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(琵琶湖の金環日食。え、どこが? 湖面ぎりぎりに。カメラのレンズの反射の日食です)
本日の三回生ゼミは、『教育問題はなぜまちがって語られるのか?』(広田照幸 日本図書センター)からの発表。この本は教育問題を考えようとする高校生向きの本。シリーズの最初の本である。今回は、メディアリテラシー、統計データ等について触れていた。
社会に出てくる統計データの見方については『「社会調査」のウソ』が名著として名高いが、本書も相当面白い。発表の学生達には、本の中から結論に関わる部分を書き抜き、その根拠に該当するであろう所を書き抜き、その後生まれる疑問について纏めてくることを、ハンドアウトの大きな課題としている。
疑問を元にゼミの中で議論を行うのだが、その時の発問の仕方が良く理解できていない。だから、議論が深まりにくい。多くの学生は、オープンエンドの質問だけで終わらせてしまうのだ。議論が展開しない。そこで発問の仕方、議論の展開のさせかたをレクチャーする。オープンエンドの質問とは「なにかありますか?」「なんでしょうか?」「どうでしょうか?」のような質問の仕方。なんとでも答えられる。
なんとでも答えられるということは、何を答えても答えさえすれば良いということにもなり、答えなくても良いということにもなる。「なにかありますか?」と聞いているわけだから、(なにもなければ答えなくてもいいんでしょ)と子どもたちは直感的に思う。そこで発言が無くなる。
そんな時は、直ぐにクローズエンドの問いに変える必要がある。例えば「~という考え方がありますが、これは賛成ですか、反対ですか?」とする。
そう発問しておいて、ノートに「賛成なら◯。反対なら×を書いて下さい」とする。野口芳宏先生の十八番の指示だ。こうすると、どちらか態度を決めなければならず、その後、「では、自分の書いたものに手を挙げて下さい」となって、挙手が出来る。意見を言いやすくなる。
または、同じ立場のメンバーで集まって意見の交換をして強固な根拠を生み出し、反対側と意見をぶつけ合うことをしやすくする。さらにこうすると「私は△です」と中間の意見も出てくる。そしたらその意見も聞くのだ。このクローズの質問は、教師がしっかりとした答えを持つ必要がある。因に、意見を聞く時は、少数意見から聞く。この順番も大事だ。
一見ほとんどが、◯に思えるような選択肢を出しておいて、実際は×のような設定ができれば中級者。上級者は、◯×が半々になるように出す。さらに、選択肢を四つ程度出しておいて、その中から選ばせて議論を構築するという展開の仕方もある。こういう手法を知らなすぎるので説明。
ではあるが、本文の読み込みの中で気になった部分に関して調べて来て、それを資料として授業の後半で配布する等のやり方はなかなかであった。今日の授業では、この発問の設定の仕方から入って、メディアリテラシーについて軽くだが触れることができた。
『情報は、流れているのではなくて、流している。隠れているのではなく、隠しているということである。情報を流している人、隠している人は、何を意図して流しているのか、隠しているのか。ここを理解することがメディアリテラシーなのだね』
『それじゃあ、これを小学生の授業として作るには?』
と、ここからさらに展開もした。教えたい内容、教えるべき内容つまり教育内容は見つかっても、それをどう教材化し、どういう授業構成にして説明、指示、発問にしていくかが問題。これが出来ないと授業は作れない。大学生相手に作れなければ、小学生相手になんて作れるわけが無い。その練習でもあるのだ。
『本の中の主張、根拠の提示の後は、自分のエピソードを加えて語れ。例えば~で語れ』
とも指導。本の内容をただ要約して伝えているだけの発表では意味が無い。
例えば〜で例を語り、自分のエピソードを添えて語る。そうすることで、文章に書かれている内容が他人事ではなくなる。聞いている人にとって身近なものになる。一人称で語る練習にもなる。
その他、今ゼミで研究開発に取り組んでいるものも含めて濃密な90分でありました。来週も楽しみ。
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