2016年 「明日の教室」研究会の予定

2016年 「明日の教室」研究会の予定
教育研究会「明日の教室」関連のご案内をブログのトップに置くことにします。

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9/24 琵琶湖、雄琴のオーパルでカヌー&ジャグジー 

http://kokucheese.com/event/index/425906/

10/15 土作彰先生 京都橘大学 決め言葉

http://kokucheese.com/event/index/426059/

11/5 赤坂真二先生 京都橘大学

                   ◆

明日の教室関連の、本、DVD、電子書籍は以下にあります。

書籍は、http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000/

DVDは、http://sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm
電子ブックは、http://asukyo.jimdo.com/

からお求めください。

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2016/09/26

読書感想文の書き方のマニュアルを先生が配布したことについて賛否が起きている

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読書感想文の書き方のマニュアルを先生が配布したことについて賛否が起きている。
http://www.asahi.com/articles/ASJ8W4RCMJ8WUTIL00M.html
ここには幾つかの問題が隠れている。それが賛否が起きている原因になっていると思う。ポイントを三つほど取り出すと、1)作文の書き方指導 2)宿題のあり方 3)読書感想文 などがあるだろう。

1)作文の書き方を皆さんは、習ったことがあるだろうか? 私が学生にした調査では9割以上の学生が習ったことがあると答えている。しかし、何を習ったのかと確認すると、これもまた驚くことだが、原稿用紙の使い方であり、それも書き始めは一文字下げるだけが共通していたである。

アイディアはどのように出して整理するのか? タイトルはどうつけるのか? 書き始めはどうするのか? 書き進めるにはどうしたらいいのか? 推敲の仕方はどうしたらいいのか? など指導を受けてきている学生はほとんどいない。書き方を指導されていないのだ。

その段階で読書感想文を書けという宿題を出したところで、子供達は書けない。いや、書ける子供はいる。しかし、その子供は先生の指導によって書けるようになったのではなく、もうすでに書ける子供であったというだけのことである。指導によって書けるようにするのが教師の仕事なはずだ。

2)宿題は、目的によって次の5つがあると考えている。1. 授業に参加するための準備 2.授業で習ったことの定着 3.授業中に終わらなかった部分の処理 4.自学自習を促す 5.長期休業中の学習である。もともと、宿題とは句会に参加するために予め作ってくる俳句のことを言う。

だから、1. 授業に参加するための準備が、語源に基づくものである。反転学習ってのは、もうすでに江戸時代からやられているのである。ところが、作文になると3.授業中に終わらなかった部分の処理が多くなる。「終わらなかったらやっておいて、水曜日に提出」ってなことになる。

授業時間中にできないというのは、課題の規模が大きすぎるか、その子供の能力に応じた課題ではなかったか、やり方を教わっていないかのいずれかであって、そのできない責任は子供にはない。そして、できない子供に「あとはやっておけ」といのは全くおかしい。その子供こそ残して指導すべきである。

作文の書き方を習っていない子供に、「書け」と「指導」して、書けないと「宿題」にするってのは、書けない子供からしたら絶望以外の何物でもないだろう。だから、子供達は「宿題は『忘れました』」という。できない、わからない、無くしたは、『忘れました』になることが多い。

3)読書感想文は、コンテストに出すことを目的にした以外はわたしは書かせたことはなかった。コンテストに出すことが学校の伝統で、校長もそれを強く推し進めていたので、やったことが一回だけある。しかし、他はやったことはない。私がやっていたのは、読書意見文である。

読書感想文であれば、「あなたは、この本を読んでどう思いましたか?」という問いに答えるという暗黙の条件があると思われる。もし、そうだとしたら「別に」という読書感想文も認めなければならない。その本をどうも感じない子供もいる。しかし、それを認めない。そこでややこしくなる。

読書感想文。本を読んで何を思ったか。その思ったこと書きたくない子供もいる。(こんなこと思ったんだけど、それは書けないよな)という子供もいる。思うというのは、根拠が私でその私の深いところに繋がっていることがある。それを表に出して文章にするなんてできないという子供である。

読書意見文の場合、文章の中から気になった一文を書き抜き(引用)、その一文について自分はどう考えるか書き進めていく。その時には、その引用と自分の言葉を繋ぐための「きっかけの言葉」を用意しておく。「書き抜きエッセイ」という方法でやっていた。

文章は、思った通りに素直に書けば書けるというのは、書ける人の言い方である。文章を書くということは、総合的な言葉の力が必要で、それはやり方を教わり、できるようになるためにトレーニングしなければならないものである。

書くは考えるである。考えるは書くである。だから、子供達には書かせたい。しかし、そのやり方を教えないで「書け」といったところで、それは指導でもなんでもない。できない子供をできるようにするのが指導である。書く指導もそうでありたい。

このマニュアルを配った先生は、書けない子供に配慮して行ったのだと思う。それは教師の良心から出たものだと思われる。そういう意味では良い先生だと思う。しかし、もう一歩踏み込んで、それを授業でやってほしかったという想いは残る。書かせるための指導は大事である。

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2016/09/18

現存する日本最古の美術館有隣館に私たちが再現した甲骨文字が展示されています

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学生達のバレーの応援を終えて、京都市内に出掛けた。
「有隣館」という我が国最古の現存する民間の美術館である。第一、第三日曜日しか開館していない美術館である。東洋美術、中国美術、文字などに詳しい。
http://www.yurinkan-museum.jp/

実は、甲骨文字を再現する時に実物を探していたとき、本学の王先生から紹介されて最初にいったのが、ここ。王先生は中国古代文化の研究をされている。
収蔵品を見せていただいたが、残念ながらそこには牛の骨の甲骨文字はあっても、亀の甲羅のものは目録にはあったが、実際には見ることが出来なかった。

しかし、そこで学芸員をしている大学院生に話をすることが出来て、繋がりを作ることは出来た。そして、東京の台東区の書道美術館や国立博物館の東洋館にある亀の甲骨文字を実際に見たりしながら、再現の可能性を探っていた。

で、実に奇跡的に再現することが出来た。それは3月の話。
それから私の方にいろいろとあって、美術館も月に二回しか開いていないことがあって、再現をした報告が出来ないでいた。

今日、大学から電話をしてみたところ、
「何時でも結構ですから、どうぞお越し下さい」
と館長の藤井善三郎先生からの有り難いお言葉。そこで、亀の甲骨文字などを抱えて、美術館に向かったのだ。

とても驚き、とても喜んでくれた。
そして、今後、私が考えていることを話したところ、それもとても喜んでくれた。

で、お礼にと持参した亀の甲羅を貢いだところ、
「これは、飾らなければ」
と言われる。いやまあ、それはありがたいのですが、甲羅だけ飾ってもと思ったので、思い切って
『この私たちが再現したもの、暫く飾っていただけませんか?』
と伺ったところ、
「喜んで!」
ということになり、まさかの陳列となったのだ。

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「先生、釈文を書いて下さい」
と館長先生に依頼されたので、これから書くことになります。まさか、まさか、あの由緒正しい美術館に陳列していただけることになるとは。もう、驚き以外の何者でもなく。

本学の三上先生から亀の甲羅を手に入れたことから、こんなことになるなんて。大学時代の恩師の佐野先生にまたご指導した抱けるなんて、学生達と一緒に大源で切るなんて、本当にありがたいことです。なんとなく、藁稭長者を思い出します。
前に一歩、いや、半歩でも進み出てみることが大事なんだと、改めて思います。



京都にお越しで、しかも、第一、第三日曜日に岡崎公演辺りに行かれる方は、是非、ご覧下さい(^^)。 現存する日本最古の美術館有隣館に私たちが再現した甲骨文字が展示されています。

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2016/09/11

部活動を学校教育から切り離すことが前提

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私が中学校の教師になったのは1987年。
その時にも、今言われている部活動担当の問題はあった。あったが、こんなに深刻ではなかった。

私が先輩教師に言われて
(そういう考え方なのね)
と理解したことがある。

学級の集団には大きく三つある。
子供の気持ちから分類すると、

1)やりたいことをやりたくて集まっている、部活動。
2)たまたま偶然で集められた、学級。
3)やりたくもないのに仕方なしに受けている、授業。

というものである。だから、「若い教師は、やりたいことをやるために集まっている部活動の指導を通して、集団を指導する力量をつけていくように」という、教師育成の観点から部活動を指導させようとしていたのだ。

また、「部活動指導に熱中できるのは、結婚していない子供のいない時だけだよ」という話もよく聞いた。

私は、
(別に部活動で集団づくりの力量を鍛えようと思っていないし、そもそも本当に全員がやりたいことをやりたくてその部活に来ているわけでもないでしょ)
(部活動指導に熱中ししたいと、そもそも思っていないわけでして。中学校の時に無理やりやらされて身体や考え方がおかしくなった同級生や先輩後輩はたくさんいるので、やりませんて)
(部活動ができる先生と、授業ができる先生とどっちが大事なんだ?)
と言いたかったけど、言わずにできる範囲でやっていました。

最初に担当したのは、ソフトテニスクラブ。
私は
『引き受けるのならば、硬式テニスクラブにします』
と言って、硬式にした。

新三年生になる生徒たちからはクレームがきた。
また、地域のソフトテニスクラブの顧問たちからも圧力をかけられた。前者に関しては、三年生が引退するまでそのメンバーはソフトで面倒を見る。後者に関しては、相手にしなかった。

私は
『球技をやりたいけど、ちょっと怖いかなあ。でも、ちょっとやってみたいかな? と思う位の人達のための部活動です。ガンガンやりたい人は、この部活動はお勧めしません』
と言って、やっていた。

ラケットにボールが当たるのを喜ぶぐらいの子供達にも、スポーツをして汗を流す体験があってもいい。それならば、週に2回ぐらいやってもいいということでやっていた。

だから対外試合もなし。
練習試合でやる程度。体を壊すことなく、球遊びをする。そのぐらいの部活動を目指した。

そして、私は授業の準備と生活指導と学級事務に力を注いでいた。

なぜ、あの時はこれができて、今ができにくいのかを考えてみた。

1)保護者が協力的であった。

基本的に「先生に面倒を見ていただいている。ありがたいことです」というポジションにいてくれた。20代前半の若造をうまく動かしてくれたという感じ。

今は「何やってんだよ」というスタンスで顧問の教師に食ってかかるのもあると聞く。全く門外漢の部活動の顧問をさせられ、顧問審判でサッカーの試合を任され、相手チームの親から「審判どこ見てんだよ」なんて土日に言われたら、やってられません。

2)学校事務がまだ少なかった。

当時から多いとは思っていましたが、今はもう半端なく多いです。例えば、学校は計画のもとに指導していきますが、新人の頃はその計画を立てるのは管理職や教務主任のお仕事で、新人にはなかったわけです。

しかし、今は、授業、特別活動、学級経営に関する年間指導計画や管理職に提出する自己評価、面接に関する書類作成など、もうすごいことになっています。これを1年目の新人でもやります。

3)携帯電話がなかった。

これは実は決定的に違うかもしれません。
どこでも繋がるということは、どこでも拘束されているということなのだと気がつくまでに、私はさほど時間がかかりませんませんでした。

それまでは、職員室の電話に拘束されていると考えていましたが、実は逆で、職員室で勤務時間だけ電話に関わっていたので去って、それ以外は自由でした。

ところが、携帯電話によっていつでもどこでもつながれるようになったと思ったら、それは拘束されるということになったわけです。ここに、メールやLINEが入ってきてさらにこの状況は深刻になります。勤務時間外に連絡が入ってきて、私生活を圧迫します。

4)授業の種類が多くなった。

私の新卒の頃になくて今中学校にあるのは、総合的な学習の時間、特別な教科の道徳でしょう。たった二つかと思うかもしれませんが、この計画と評価は相当なものになると思います。特に道徳。数値ではなく、所見で評価するわけですから。

また、私の頃は相対評価でした。今は観点別の絶対評価。簡単に言えば、相対評価の時は、クラスの人数によって点数でその評価がつく人数が決まっていて、自動的に成績がつきました。

絶対評価の観点別というのは、それぞれの子供がどれぐらいできるようになったのか、できていないのかを観点(例えば、国語だったら、話す聞く、読む、書く、関心意欲態度など)ごとに、a,b,cで評価し、その結果5段階評価の何になるかとしていくわけです。

私の感覚で、相対評価から絶対評価になった時、仕事量が軽く3倍に増えたのを感じました。

ちなみに、小学校は部活動がないところがほとんどですが、授業が大変。毎日毎日新しい明日のための準備をします。そこに、新たに特別な教科の道徳、英語、プログラミング指導などが入ってきます。

部活動のある小学校はどうなってしまうのかと思います。

5)ベテランが多い。

ベテランが多いというのは、いいことでもあるのですが、ベテランは部活動を「卒業」している人が多くいます。「私も若い頃はやっていたんだよ。まあ、若い頃だけだからやってね」なんて言われて卒業している先生はいました。まあ、体も動きにくくなるしわからないではありません。

しかし、今、ベテランが多いと、卒業している人が多くなり、そのしわ寄せが若手にきます。これは深刻。若い先生は恋をして、結婚をして、子供を産んで育ててという時間が必要です。そこを部活動に奪われてしまわないかと思うのです。

私のソリューションは、部活動を学校教育から切り離すことが前提です。そして、その後考えられるのは、二つです。一つは、社会教育が担当すべきだと考えています。部活動の仕事は、それだけで立派に一つの仕事として成立するものだと考えています。

では、その際の財源はどこにあるのか?となるわけです。私は、教員の給料1割カットと、部費の値上げだと思います。ただ、これだけでは指導者の給料をまかないにくいと思います。

そこで、もう一つ。地元の企業がスポンサーになって、NPO法人を立ち上げてそこで行うなどもあるかと思います。すでに動き出しているところもあります。
http://npo.bukatsuganba.com/

大学の様子が、自分が学生時代の大学とは随分違うなあと、今大学生の子息をお持ちの親御さんは感じていると思います。

ところが、中学校の親御さんは中学校が大きく変わっているにもかかわらず、昔と同じものを求める。そして、それは若手の教員に大きく負担になっていると思うのです。

私は、学校経営が専門ではありません。が、自分の体験と今の実態を見ると、若い先生のために声にしなければならないことが多くあると考えています。

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9/24 明日の教室 琵琶湖雄琴オーパル、カヌー&ジャグジー

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今回の「明日の教室」は、毎年好評の琵琶湖のオーパルを会場にして、カヤック(カヌー)体験教室です。 研修の修養の方をじっくりとどうぞ。

午前中に1時間レッスン。そして、午後に2~3時間の琵琶湖ツーリングを行う予定です。
琵琶湖の広い空を独り占めにすることができます。ものすごい開放感です。教室の子どもたちに自慢が出来ます(^^)v。

さらに、費用は弁当と飲み物込みで2000円です。
終わってからジャグジーで体をマッサージも出来ます。

是非お待ちしております。

10:30 オーパル集合 開会挨拶 諸注意 着替え
11:00 カヌー体験
12:00 昼休憩
13:00 カヌーツーリング
15:30 カヌー終了 着替え
16:00 オーパルの学校活用事例紹介
16:20 閉会挨拶 解散

持ち物
・濡れても良い服(Tシャツ+短パンなど)
・濡れても良い靴(ビーチサンダルなど)
・日焼け対策(帽子・日焼け止めクリームなど)
・メガネの方はメガネバンド
・乗り物酔いする人は酔い止め薬

お申し込みは、こちら

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満員の京都のジャズクラブで、一人でじっくりと堪能の夜でした

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しかし、良かった。
本当に、良かった。

30年前の曲なのに褪せていない。歌詞には確かにカセットテープとか電話ボックスとかが出てくるけど、全く問題ない。

オリジナルのアレンジをベースにして、自らがギターとピアノのバージョンでジャスアレンジしていて、じっくりとしっとりと歌い上げる。

予習をしていかなくとも、ほぼ全ての曲は分かった。音は出さずに一緒に歌った。一緒に歌えるコーナーでは、一緒に歌った。

アンコールを含めて22曲。
Bombay sapphireのロック二杯で堪能した。


私が最初に浜田さんの音楽に触れたのは、
https://www.amazon.co.jp/midnight-cruisin%E2%8…/…/B00005HUNR
が最初。この後全てのアルバムを手に入れるが、とにかくこの 「midnight cruisin’」 が素晴らしかった。そして、それから何回も聞く。今でも素晴らしい。

オープニングのトランペット(フリューゲルホーン?)の前奏から始まる「抱かれに来た女」で、まずガツンとやられる。そして、最後の「真夜中のテニスコート」まで一気に聞かせる。一曲一曲を取り出しても名曲ばかり。



あっという間に過ぎ去った30年間のことを思い出すことはなく、学生時代、就職をしたあたりの絵が頭の中に浮かんでは消えた。

"midnight crusin'"、はこの夜は演奏されなかったが、私の頭の中を流れた。青山通りを車でSRX-4で流していた時のことが思い出された。あの時、まさか京都で大学の教員になるとは微塵も思っていなかった。バブル前とバブルの頃の渋谷、青山をうろついていただけだった。ただ、その時に聞きまくっていた。

その後、中学で軽音楽部を担当した時、生徒の演奏で"真夜中のテニスコート"とか歌っていた。生徒は誰も知らない歌。だけど、生徒も、いい歌だと言ってくれてた歌。

そのcomposerでsingerの彼の演奏を歌をを30年後に京都で味わえるなんて、信じられなかった。



圧巻は、"Wasted Summer love"
私も今でもよく車の中で歌うけど、夏の雨のドライブにはなくてはならない曲。

雨のハイウェイ 煙る夏が
二人の瞳 濡らしてく
浮かれ過ぎた恋人たち
置き去りにして Wasted Summer Love
愛を 囁いて
海風に Hold You
遠く褪せた香り
微笑みに今 変わって
もう都会の灯が見えて来るから

岬のヴィラ 妬けた夏も
背中に消えた陽炎さ
窓にはじく雨音たち
振りきるように Wasted Summer Love
心捜しても
めまいさえ so long
遥か夢の彼方
こぼれる涙 拭って
もう都会の灯が見えて来るから

WASTED SUMMER LOVE/濱田金吾
作詞:大津あきら 作曲:濱田金吾 編曲:佐藤博

あ,iTunesで買えるんだ。
すげー。



そして、最後にしっかり一緒に写真に写ってもらった。
満員の京都のジャズクラブで、一人でじっくりと堪能の夜でした。

また、いい歌を聴かせてください、濱田金吾さん。

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2016/09/09

新人の先生には強く言いたい。個人の連絡先は教えないこと。

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部活動に関わる中高の教員の悲鳴が上がり続けている。
https://twitter.com/i/moments/774139127612645377
ひどいと思う。

休日の練習に試合の引率もそうだが、特に、夜にもかかわらず自宅や携帯電話に掛かってくる電話に対応しなければならないことも、大きな問題だ。

♦︎

学校から部活動を一旦切り離して、指導が可能な先生は指導をすればいいと思う。私なんかは、帰宅してそのあと、自分が住んでいる地域の中学校でディベートの指導をするってのであれば、いいなあと思いずっと言ってきた。もちろん、そんなんで変わるわけもないが、言い続けてきた。

♦︎

で、部活動が学校から切り離されていない今、どういう対処が可能なのだろうかと考える。もちろん、新人や若手の先生にはやりにくいだろうが、それでも自分を守るためにはやるべきだと思うことがある。

1)自宅の電話番号、携帯電話の番号、自宅の住所、メールアドレス、LINEのIDなどは教えない

そんなんで仕事になるのか?
と思われるかもしれないが、考えてみればいい。上記の個人情報は基本的には勤務時間内には必要のないものばかりである。それを教えてしまうことで、教師のプライベートの時間を仕事に奪われてしまうことになるのだ。

新人の先生には強く言いたい。個人の連絡先は教えないこと。
学校に来る電話だけでも大変。
子供の命に関わる問題が発生したら、管理職から連絡が来る。
そこからでもいい。

2)もう、教えてしまった人、伝わってしまっている人

電話番号を変える。または、時間を決めてそれ以降は留守番電話にして、電話に出ないことを周知する。これだろうなあと思います。私は自宅の電話番号に、コレクトコールでわけのわからない電話が続いたことがかつてありました。コレクトコールだと、交換手は繋がないわけにはいかないので、掛かってくるのです。

これは大変だと考えて、電話番号を変えました。
一定期間、二つの電話番号を使い分けながら、切り替えることができました。それから学校の連絡網にも電話番号は載せませんでした。連絡網はPTAの連絡網ということにして、スタートも役員さんでやってもらいました。

もちろん、親御さんが電話で相談したいことがあるのはわかります。
そのために、私は自分の時間割を学級通信で公開し、授業のない「事務の時間」に予約をしていただければ、職員室で電話でも、面談でも引き受けますと連絡していました。通常の親御さんは、「先生にいつ電話していいかわからないことが多かったけど、この方が助かる」と言ってくださいました。

また、どうしても夜でなければ厳しいという親御さんには、もちろん、日時を設定して電話対応をしましたし、会うこともしました。きちんと線を引きながら対応していくことが大事だと思うのです。

♦︎

もう一つ、大丈夫なのかと思うことがあるかもしれません。それは、携帯電話がなければ部活動はできないのではないか?ということです。

私はできると考えています。
携帯電話がない時代にも、部活動はありました。
携帯電話があった方が、試合に行く時などは便利です。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか?

携帯電話が必要になるのは、緊急の時です。遅刻とか。
あらかじめ、集合時間を設定し、解散時間を設定し、それを守れば問題ないはずです。遅刻などをなんとかカバーしようとして、生徒に電話番号を教え、その結果大変になっているのではないでしょうか。

遅刻をしたら、試合には連れて行かない。

それでいいのではないでしょうか。
その方がよほど教育的ではないかと思うのです。

また、どうしても連絡の手立てが必要だというのであれば、例えば、サイボウズライブのようなシステムを使って、連絡系統を確保しておけばいいのではないでしょうか?
https://cybozulive.com/login 

♦︎

部活動が学校から切り離されるまでは、こうして自分の身を守るしかないのではないかと私は考えています。

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『魂の退社』(稲垣えみ子 東洋経済新報社)を読み終えた

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『魂の退社』(稲垣えみ子 東洋経済新報社)を読み終えた。

私の敬愛する元校長の蛭田先生は、ご退職の時
「池田さん、退職というのはね、職業人としての死なんだよ」
とおっしゃっていた。その時は、なんだかよくわからなかったが、10年前に中学校の教師を辞めた時、この言葉を思い出した。

幸いにしてこの退職は、大学への転職ということとなり、死と再生を1日で行うことができ職業人としての死というのはあまり実感しないでいた。

しかし、そろそろ残り時間が気になり始めている。まだまだではあるが、20代の時とはまったく違う感覚があるのは事実。

『魂の退社』の著者の稲垣さんは、朝日新聞の社説を書き、エッセイなども書いていた人。アフロヘアの新聞記者といえば、それはそれで有名だからわかるだろうか。

本書は、なぜアフロヘアにしたのかの話から始まり、実は、そこから退社への道がいつの間にか出来上がっていき、会社を辞めるということはどういうことなのか、仕事とはどういうことなのか、お金とは何なのかなどを実体験に基づいて考察しながら書いている本である。

会社に社会保障の部分は任せっきりで生きてきたため、世の中の仕組みなどに関して、そんなことも知らないの?と私でも突っ込みたくなることが満載でもあったが、それを隠さずに書きそこから社会の仕組みの歪みの部分を明らかにしているのは、面白い。

「会社は修行の場であって、依存の場ではない」
という考え方にたどり着くまでの、変遷を書かれています。これは、新入社員の時代に読み、その後40代で読み直すといいんじゃないかなあと思う本でした。

『魂の退社』となっていますが、実は『魂の代謝』と掛けているのかなあとも思った次第です。

よかったです。

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『子どもの頃から哲学者』(苫野一徳 大和書房)を読み終える

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『子どもの頃から哲学者』(苫野一徳 大和書房)を読み終える。

若き哲学者、苫野一徳さんの半生を振り返りつつ、哲学との出会い、哲学との格闘、哲学による救済をユーモアたっぷりに書いた本だと言える。

このユーモアは、潜り抜けてきた人にしか書けないユーモアだなあと思う。また、潜り抜けてきた人が読めば、単なる笑いではなく、読者のヒリヒリとした悲しみの傷跡を思い出させる笑いだということがわかる。

本書は、苫野さんが哲学を通して死と再生を繰り返しながら成長していった記録である。成長の過程で出会う哲学者の考えによって、苫野青年は、魂の死と再生を繰り返す。その記録は、哲学の紹介にもなっている。また、後期青年期の発達課題へのヒントにもつながっている。

音楽、宗教、哲学と変遷を経ながら、承認欲求という人間の根っこにあるどうしょうもない業を受け入れていく、乗り越えていく様子が描かれている。

生物学には、「個体発生は系統発生を繰り返す」という仮説がある。この本を読んでいると、それは精神にも同じことがいえるのではないかと思える。

ストア主義から始まる承認欲求への解答のあり方は、ヘーゲルを通して学べ、デカルト、カント、フッサールなどを経ながら、相互承認へと導かれていく。この流れの中に苫野少年、青年は「個体発生は系統発生を繰り返す」ように成長していく。

実を言えば、私だって多少はここに描かれている悩みや苦しみを少年、青年時代には体験している。しかし、私は哲学に向かわなかった。教育に向かった。教育実践に向かった。
(それはなんでだったかなあ)
なんて思いながら、読み進めた。

青年期に突入する若者も、青年期を終えた若者だった者にも、おすすめである。

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2016/08/16

「急がば回れ」の実証が記事になりました

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«あそこだけどね。なんで、多かったのを取り上げたの?