2017年 「明日の教室」研究会の予定

2017年 「明日の教室」研究会の予定

明日の教室は11年目を迎えます。

                   ◆

明日の教室のHPができました。

https://asunokyousitsu.themedia.jp/

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などは、こちらからリリースされることになります。

2018/01/20

明日の教室のHPができました。

明日の教室のHPができました。


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https://asunokyousitsu.themedia.jp/
みなさんのお力を借りつつまる10年の活動を経て、明日の教室は、来年度中に「NPO法人 明日の教室」になる予定です。これから先も、若手教員の支援に力を注ぎますが、さらに事業を拡大していこうと考えています。

教育は子供を大人に育てていくためにあるものだということは、多くの人に同意していただけることでしょう。そして、その教育で義務教育に携わるものは、目の前にいる子供の5年後、10年後、さらにはその子供が社会で活躍する時につけておく必要のあるものを、丁寧に指導するものでは無いかと考えています。

不易と流行があれば、その不易の部分を特に若い教師たちは、早くから身につけようとする必要があると思っています。そして、それが若い教師にとって、明日の授業の、さらにその先にやる授業の礎になるのだと考えています。

教育科学は不易をベースにして、流行のものを取り入れながら、進化しています。
社会情勢は変わり、学校状況も変わり、子供達も変わっていきます。

その中で、最先端の学びを手に入れつつ、目の前の子供達の指導に十分な力を注げるような教師が育つ、その支援をこれからもしていきたいと思います。

ご参加を、お待ちしております。

簡単にいうと北町奉行所と南町奉行所だね

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ひょんなことから昔の実践の資料を読むことになったが、我ながら色々とやっているなあ。しかも、上からやれと言われてやってないところが、私らしい。

上からの指示でやれと言われたら、こんなにやらなかったろうなあ。教師が問題解決型の学習をしながら、授業づくり、行事づくり、学級づくりをしていたんだよなあと思う

この時の校長先生は、未だに尊敬している先生。
いつも私にくだらないことを相談して来ては、私に呆れられるのだが、本質は間違っていなかった。ぶっ飛んでいた

例えば、
「池田さん、生徒会を作ってくれないかなあ」
と行って来たことがあった。
『先生、今であるじゃないですか』
「うーん、もう一つ作ってくれない?」
『は? 先生、何を言われているんですか?』
「うーん、簡単にいうと北町奉行所と南町奉行所だね」

がーん。
すごいことを考えていたわけだ。
生徒たちが忙しいので、生徒会を奇数月と偶数月で担当を訳で、交代でさせる。そして、二つの政府のどちらの政策を支持するかで生徒会選挙をすればいいということだったのだ。

その当時は途方も無いことだと思っていたけど、今から考えれば、やっていたら面白かっただろうなあと思う。

2018/01/04

『ヴルスト! ヴルスト! ヴルスト!』

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『ヴルスト! ヴルスト! ヴルスト!』(原 宏一)
年末年始で読んでいた本。
この作者は初めてであったけど、良かったなあ。

たまたま
(京都で美味しいヴルストが食べられる店は、どっかにないかなあ)
と思ってネットで検索していたら見つけた本。

ヴルストというのは、いわゆるソーセージ。フランクフルトのこと。
ドイツのミュンヘンでこれを食べた時、その美味しさに度肝を抜かれた。
こんなのが日常で食べられるのかと思った。

で、何かのご縁だと思って読んだのだが、面白かった。


以下ややネタバレ

登場人物は還暦間近の男と高校卒業認定試験を受けようとする高校中退生。
この2人が取り壊しが決まった古いアパートに住んでいるところから、物語は始まる。

途中でドイツへの試食旅行も出て来るのだが、私が食べたミュンヘン駅のことや、あれこれが出てきてもう懐かしい。また、ドイツで食べなかったさらに美味しそうなものまで出てきて、
(次に行った時は、絶対食べてやる!)
と思ったのでありました。

本書の中で、作者が一番言いたかったことは多分次のセリフではないかと思う。

「”傾向と対策”だけで受かる世界に進んでどうなるって思ったんだ。”傾向と対策”だけじゃどうにもならない世界に進んでこそ、人生面白いわけだしさ」

実にその通り。いいなあ。
料理系の小説って読んだ記憶はあまりないんだけど、これ、おすすめです。

2017/12/31

30年経って、それは間違っていなかったことがわかった

Img_5303 中学校の現場にいる時、いや、その前の塾の講師をしている時から、ずっとやっていたのは、名言を生徒たちに紹介すること。
塾の講師の時は、漢字テストの裏に書いて紹介し、中学校の教師の時は授業開始の最初の時間に黒板に書いていた。
アンソロジーノートというものを一冊用意させて、生徒に書きうつさせていた。
私が考えていたのは、いい言葉を体に埋め込んであげたいということ。私の説明や解説や説教でも言葉は使う。しかし、当たり前だが、それよりも素晴らしい言葉が世の中にはたくさんある。
私の言葉でやれば、私は自己満足するけど、それよりもいい言葉を紹介することの方が大事だと思っていた。
いい言葉が体に入っていれば、それは醗酵したり芽を出したりして、やがて子供達の人生を支えたり、励ましたりしてくれることになるだろうと思っていた。詩短歌俳句、気に入ったフレーズ、文章、名言を5分から10分かけて黒板に書いて書き写させていた。時には、1時間書くだけの授業もしていた。
昨日の最初に担任した子供達との同窓会で、30年経って、それは間違っていなかったことがわかった。
「先生、ネロって詩、今でも覚えています。『すべての新しいことを知るために そして すべての僕の質問に自ら答えるため』にですよね」
「先生、『ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し』ですよね」
「先生、『春さん、タコのぶつ切りをくれえ、それも塩でくれえ』ですよね」
いやあ、みんなよく覚えている。
そう、覚えてくれている。
それが彼ら彼女らの人生を支える何かになっていたようで、とても嬉しかった。
今は、自分の修行として毎日少しずつ書き写している。言葉を自分の中に入れること。入っていなければ、出ていかない。そして、人間の体は、入れておけば、不思議なことに色々なものになって出てくる。
年越しそばを食べながら、昨日のことを嬉しく思い出していた。

2017/12/27

『15歳のコーヒー屋さん』

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グランフロント大阪で、ランチをどこにしようとかとウロウロしていたら、紀伊国屋書店に迷い込んでしまった。そこで手にしたのが、本書『15歳のコーヒー屋さん』(岩野響 KADOKAWA)。一晩で読んでしまった。

アスペルガー症候群という発達障害を抱えた少年が、中学校での生きにくさから学校を辞め、家族の理解の中で一つの仕事を見つけて行く話である。

こう書くとあっさりとした感じになるが、実はそんなことはない。
とても大変な日々を過ごしてきて、ここにたどり着いているということ。

発達障害。
障害というのは、治らないということ。
親の育て方や、本人の努力でどうこうなるというものではないのだ。
ただ、障害は周りの環境や理解があると、生きやすくなる。
不便かもしれないが、不幸ではなくなることがある。

また、この不便ということも、どうなのかということもある。
確かに、障害を抱えているとできないことがあり、不便ではある。
しかし、特にアスペルガーなどは、その代わりと言ってはなんだが、他の部分で他の人よりも優れた才能を発揮することがある。

解説で、医者の星野先生は
「私は「発達障害」という言葉に違和感があり、以前より「発達凸凹症候群」という言い方をしようと提唱しています。」
と言われている。

人間の生物としての平均値というのは、どこにあるのかはわからない。
人間の能力の平均を出して、その平均に近い人を普通の人というのかもしれない。
でも、その普通ってのは、そんなに意味があるとは思えない。

Gifted

という言い方が出てきている。
非凡な才能は、本人の努力からではないのだろう。
ただ、この非凡な才能は、非凡なだけに周りから理解されにくいし、条件や環境が整わないと開花しにくいと思う。

できなことより、できることに目を向ける。
これは、何も発達障害の子どもたちだけの話ではないはず。
躾の問題があるので、やらせなければならいこともあるなあとは思いながらも、
できないことよりも、できることに目を向けてだよなと思い直す本でした。

2017/12/22

国語の入試問題が変わる 親の時代とは違う学力の時代を生きる、今の子供たちです

2020年からの大学入試の国語が大きく変わります。

 http://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00011239.pdf&n=5-01_%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%86%8A%E5%AD%90_%E5%9B%BD%E8%AA%9E.pdfE5%9B%BD%E8%AA%9E.pdf 高校の先生、また、高校生のいる保護者の方は、驚いたかもしれません。
しかし、実は、小学校の全国学力・学習状況調査では、もう既にそのような問題が行われています。これも見てみると驚くかもしれません。
また、OECDが行なっているPISAや、ブルームのタキソノミー、また、首都圏模試センターの思考コード https://www.syutoken-mosi.co.jp/column/entry/entry000668.php などを見ると、色々とわかると思います。
親の時代とは違う学力の時代を生きる、今の子供たちです。

「はようしねえ」

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昨日の国語科教育法の授業で面白いことがあった。共通語と方言についての模擬授業を学生がしていた時だ。

『「早くしなさい」という言い方を、あなたの故郷ではなんと言いますか?』
というものである。
これに
「はようしねえ」
という言い方をする学生がいたのだ。
『え? 早く死ね?なの?』
と確認すると、そうだという。

いや、もちろん、死ねではないのだが、関東人の私からすると、しなさいの意味でいう所の「しねえ」は、関東アクセントの「死ねえ」と同じように聞こえた。

これ、関東からの転入生があった時は、要注意だなあ(^^)。

突発性難聴になったら

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突発性難聴になったら、全てのものを投げ捨てて、病院です。発病後、48時間が勝負です。ステロイドの点滴か、高酸素のカプセルに入ります。

入院できるなら入院です。

いいですか?
全てを投げ捨ててです。
後から治療は出来ません。

7:16 - 2017年11月28日

こうツイートした。
これがまあ、その後びっくりすることになった。

12/22現在
返信 276 リツイート 105,092 いいね 113,079 ツイートアクティビティを表示

となっている。
iPhoneが壊れたのかと思ったぐらいの反応であった。

もともと、若い友人がフェイスブックで突発性難聴になったことを書いていたのを見た。ところが、それが割と軽い感じで書かれていたので、それは大変んだと思って、すぐに病院に行くんだぞという書き込みをした。

まあ、突発性難聴の怖さは、あまり知られていないんだろうなあと思って、FBを加工して、Twitterに流したのが、上記のものである。

たまたまKinKi Kidsの剛さんが、突発性難聴と闘病しているというタイミングがあったのかもしれないが、ものすごい勢いでリツイートされた。

そこにはコメントも多くあった。コメントは二つに分かれた。この情報を知って良かったというものと、この情報を知っていればというものである。

私は、先生であるが医者ではないので専門的なことは分からないが、私が突発性難聴になった経験から述べれば、以下の症状が突発性難聴と疑われる。

耳鳴りや耳に水が入った時のような感じになり、自分の声がいつもの声とは違うように聞こえる。

繰り返しいうが、私の場合である。同じような症状であってもメニュエル病であったり、脳梗塞や脳腫瘍の場合もある。しかし、何れにしても重篤な病気であることには違いない。すぐに病院である。

私の場合は、十年間に二回起きて、今はほとんど右の耳の聴力はない。耳鳴りも激しい。しかし、まあ、それなりの治療をした上で、治らないのであれば、諦めやすくなる。

問題は、この情報を知らないでいて放置していた人たちだ。この人たちの後悔は激しい。本人も家族もだ。今回のリツイートを見て、改めて思った。

心臓の痙攣が起きた時、AEDを使おうということで、いろいろなところで研修がある。運転免許証を取るときにもレッスンがある。私は、突発性難聴は、実は心臓の痙攣と同じではないかと思っている。それにも関わらずそのことが伝わっていない。それは一刻を争うということだ。

なんとなく耳の調子が悪いなあと思っても、その一刻を争うことを知っていないため
(まあ、来週でいいか)
のように放置してしまう。イメージとしては、歯が痛いとき、来週の予約を入れるような感覚だ。

しかし、違うと思う。心臓発作と同じではないかと思うのだ。この場合、AEDが到着するまで心臓マッサージをする。体内にある酸素を心臓マッサージで巡らせる。呼吸が止まってから1分ごとに、蘇生率は10%下がっていくという。また、蘇生しても、脳に後遺症が残り、最悪の場合植物人間になってしまうこともある。

突発性難聴の場合は、聴力がなくなる。そして、後遺症として耳鳴りが出てくることになる。これは、音楽関係の仕事をしている人には致命傷であり、また、私のような授業をする人間にとってもかなりの痛手である。学生の声を聞くとき、私から見て右側にいる学生さんの声を聞くとき、背中を向けて左耳で聞かなければならないこともある。

話を聞くと、すぐに対応しても完治するのが1/3、分からないのが1/3、治らないのが1/3となっているそうだ。私は最後の1/3だったわけだが、そんなことを知らない人が沢山いるわけだ。

この手の情報は、公共広告機構で流すか、耳鼻科学会がポスターを作って耳鼻科にはり出すぐらいのレベルではないかと思うのだ。

ツイートを読むと
『「なんでもっと早くに来なかった!」と医者に怒られた』というのも割とあったのだが、
(そんなこと言われたってそんなこと知らんし)
というのが本音だろう。私もある有名な病院に行ったら
「ああ、もうこれは医療費の無駄。治りませんから」
とあっさりと言った医者がいて、呆れ返った。

「大変申し訳ありません。今の耳鼻科の治療技術では、聴力を回復させること、また、耳鳴りを抑えることもできません」
というのもんじゃないかなあと思うのだ。病を治すのが医者なら、治せないならそういうんじゃないかなあ。教師である私は、勉強のできない子供に
『君は、もう賢くならないから。諦めて』
なんていうわけないし、そんなことを言う教師がいたら、ど突くと思うしね。

そんなこともあって、多くの人に知られるといいなあと思って、ツイートしたら、こんなに広がってしまったと言うことだ。

このツイート見た人が数日後におかしくなって、病院に駆け込んで助かったというお礼のツイートももらったりした。これは嬉しかったなあ。私の突発性難聴も人様の役に立ったと言うものだ。

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で、このツイートは、ネット上のあちこちの記事になったり、まとめサイトに載せられたりして、これも驚いた。

また、主婦と生活社の『週刊女性』12/26号にも、記事として取り上げられた。電話取材まで受けている(^^)。

1人でも多くの人の、1つでも多くの耳が救われますように。

2017/12/14

義務教育で教えておくこと、または生徒が身につけておくことは何か

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義務教育で教えておくこと、または生徒が身につけておくことは何かって考える必要があるなあと改めて思い始めている。

学校教育法の二十一条には、義務教育が行う普通教育の内容について以下の要に述べている。

第二十一条 義務教育として行われる普通教育は、教育基本法 (平成十八年法律第百二十号)第五条第二項 に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
二 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。
三 我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
四 家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。
五 読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。
六 生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
七 生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。
八 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。
九 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。
十 職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。

因に、教育基本法の5条2項は、これ。

「2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。」

大筋でこの方向で異論を挟むことは無いと思う。これはこれでいい。しかし、この二十一条は、なんというんだろう、前向きというか攻めというか、そういうものに見える。

勿論、目標なんだからそういうように見えるというか、文言化するのかもしれないが、私にはそれは一面にしか過ぎないんじゃないかなあと思えるのだ。

たとえば、以下のようなものはどこで教えるのだろうか。何の授業で教えるのだろうか?

1)お礼の仕方、謝り方
2)借金の仕方
3)保健所の活用の仕方
4)払いすぎた税金の取り戻し方
5)生活保護の申請の仕方

他にも、名誉挽回の仕方とか、ひき逃げに合った時の対応の仕方とか、えん罪に巻き込まれた時の対処の仕方とかもあるかもしれない。

このような「身を守るため」に用意されているマナーや社会保障は、どういう授業で行われるのだろうか? 1)は道徳? 2)は家庭科? 3)は保健体育? 4)5)は社会科? よく分からない。これらは、教育基本法の5条2項のように、前向きに生きて行くことを求めているものではないので、教えなくていいのか?

義務教育は、可能か不可能かは別として、人生で生きて行くために必要な基礎の部分を教える教育だと考えている。それは、前に進む方法だけでなく、立ち止まったり、倒れた時に安全に倒れることのできる方法であったり、復活するまで倒れ続けていられる安心を手に入れる方法も含まれている必要があると思うのだ。

人生は、前向きでありたい。前進して行くものでありたい。誰も、没落して行くことを人生の目標として設定するものはいないだろう。しかし、前向きにならないときもある、なれないときもある。その時の対策としてセーフティネットが社会で用意されているのだとは思うのだが、そのセーフティネットを活用する方法が学習される機会が与えられていないのではないかと思うのだ。

ここは、福祉ではなく、教育で扱う問題だと思う。
そして、義務教育で扱う問題だと思うのだ。

2017/12/11

30年前にお世話になった先生と

このところ時間がどんどんすぎるので、後から書くことが多いかなあ。
先々週の金曜日の話だ。

いやー、楽しかった。
30年前にお世話になった先生と、一緒に今日は京都駅で飲むことができた。

石川先生だ。当時は私は塾の講師をしていて、英語の教師から校舎を移動して国語の教師になっての一年目。学部の3年生だった。石川先生は、修士課程の1年目だったと思う。石川先生は、数学の先生。教科は違っても、いろんなことを教えてもらった先生だ。可愛がっていただいた先生だ。

先生とは、年賀状のやりとりをし、Facebookでの友人の関係になり、ずっと連絡を取り合っていた。そして今日久しぶりに会えた。

何が幸せって、石川先生が山梨から姫路に行く途中に
「池ちゃんに会いたいな」
ということで、わざわざ京都に途中下車してくれた。

そして、私の行きつけので久闊を叙したというわけだ。
まぁそこからは、過去の思い出話から始まって、Facebookにある記事のあれこれに関わって、もうとにかく話しまくった。気がついたらあっという間あっという間に5時間以上が経っていた。

で、石川先生と新しい仕事ができできそうな企画が生まれた。
正確に言うと私が石川先生におんぶに抱っこで、助けてもらうだけの話なのだが、これうまくいったらすごいことになるなぁと思いながら楽しい時間を過ごした。

幸せなことだ。
思っていたこと、温めていたことを100人ぐらいに語ると、それは本当になっていくと言うのが、私の実感なのだが、どうらやら100人ぐらいに話したかもしれない。動き出しそうだ。いや、動き出すぞ。

楽しみ楽しみ。

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