2017年 「明日の教室」研究会の予定

2017年 「明日の教室」研究会の予定

明日の教室は11年目を迎えます。

                   ◆

明日の教室のHPができました。

https://asunokyousitsu.themedia.jp/

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などは、こちらからリリースされることになります。

2019/04/30

その時、大事なのは、その違いを自分で見つけさせること

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このところ、SNSなどに文字を書いているのをアップしていることからだと思うが、会った人に自分の字を上手く書くためのミニレッスンを頼まれることが多くなった。

また、これが都合の良いことにいつでも万年筆を持っている私。どうぞと引き受ける(^^)。

やってみて改めて思うのは、文字の線の意味を知らない人たちが圧倒的ということだ。文字は結構と運筆が大事。文字全体のバランスと線の運び方である。

お習字をある程度やった人、または、字を教えるための勉強をした人はこの二つのことを理解している。だけど、当たり前だけどやったことのない人は、これが全く頭にない。

おそらく、今まで見てきた活字や他の人が書いてくれた自分の名前の字を頭に描いて、それを「お手本」にして書くのだが、それは結構と運筆を理解したものではないので、次の形、線の動きに意味がないのだ。または、知っている人からすると矛盾した動きになるのだ。

だから、レッスンの時にはまず、自分で自分の名前を一文字100円玉の大きさぐらいで書いてもらう。その次に、私が書いてみせる。

そして、その次に、


『どこが違うと思いますか?』


と発問するようにしている。

私は音痴だったが、音痴はなぜ音痴になるかといえば、自分の歌っている音を聞けていないからだという。だから、耳が聞こえない人でない限りは、音痴は治るというのだ。

私はそのことを知ってから、高校2年生の時に必死に自分の歌を録音して聞いて、音痴を直した。

文字が綺麗に書けない人は、綺麗な字と自分の字がどう違うのが見えていない人が多い。つまり、何がどう違うのかがわかっていないのだ。だから、直しようがない。

 

『ほら、ここが違うでしょ』


と私からやってしまうのはダメ。まず、その人の字に関する能力に基づいて、その人が認識できる範囲で発見させながら、わからせないとダメ。

そのあとヴィゴツキーのZPDではないが、


『そうですね。では、ここはどうですか?』


目の前にありながら見えていなかったものを、私の方で指摘して解説を加えていく。手助けをするのだ。

そうすると、頭の中に違いは残る。
あとは、その理解した内容をできるようにするために、トレーニングを重ねて小脳に、動かし方を刻みつけるということになる。

私が教師になった30年前はワープロが使えるとものすごく重宝されました。しかし、ワープロ、電子文字が当たり前になった時代だからこそ、手書きは重宝されます。価値は少数派に宿りますから。

今、そして、これからは手書きだと思います。書聖の王羲之のように「書けて」しまうソフトも開発されていますが、それでも手書きだと思います。

で、手書きの中で一番綺麗に書きたいのが、自分の名前でしょう。
どこぞでお会いしたら、ビール一杯飲みながら、お手伝いしましょう(^^)。

2019/04/28

それは「根雪」を作ることだ。

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「コツコツとがんばります」

と若者は言う。真面目な若者ほど言うような気がする。しかしコツコツ頑張ったところで、実はあまり成果は無い。正確に言うとコツコツする前に、やるべきことがあるのだ。

それは「根雪」を作ることだ。
パラパラと降った雪は積もらない。一気にどかっと降った後にパラパラと降る雪は積もる。根雪を作ることだ。

学生時代は授業の課題や、先生の指示でとにかく文字をたくさん書いた。冗談抜きで、書いている途中で鼻血が出る位集中して書いた。書いても書いてもうまくならず、それでも書いて書いて書いた。

小学校の1年生から書いていただけだから、書けないわけではなかった。しかし、私が書いていた文字は単にお習字の文字でしかなく、書道の文字ではなかった。だから書けないまま、なんとか書こうと思って書き続けていた。

ひらがな、特に「ひ」が最後まで書けなかった。もがいてもがいて書いたものを、恩師の佐野光一先生のところに持っていってご指導を仰いだ。

「池田、こう書けばいいんだよ」
と先生が書かれたその「ひ」は、なんとも見事で、一瞬にして
(あーそうか)
と私の中にストンと落ち、その後書いてみたら何の事は無い、書けてしまったのだ。

多分、それは私が閾値に出会った瞬間なのだと思う。すっと成長したのをよく覚えている。その後書けるようになったのが嬉しくて、またずっと書き続けていた。気がついたら書いていた。

コツコツ続けると言うのは、この先のことである。根雪というのは、閾値に達するための積み重ねである。根雪ないままコツコツ続けるのは、自己満足で終わることになる場合がある。

大人になって趣味でやるなら、コツコツも良いが、若者は根雪を作ることに力を入れて注ぐことが大事だと私は思うのだ。

それは「根雪」を作ることだ。

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「コツコツとがんばります」

と若者は言う。真面目な若者ほど言うような気がする。しかしコツコツ頑張ったところで、実はあまり成果は無い。正確に言うとコツコツする前に、やるべきことがあるのだ。

それは「根雪」を作ることだ。
パラパラと降った雪は積もらない。一気にどかっと降った後にパラパラと降る雪は積もる。根雪を作ることだ。

学生時代は授業の課題や、先生の指示でとにかく文字をたくさん書いた。冗談抜きで、書いている途中で鼻血が出る位集中して書いた。書いても書いてもうまくならず、それでも書いて書いて書いた。

小学校の1年生から書いていただけだから、書けないわけではなかった。しかし、私が書いていた文字は単にお習字の文字でしかなく、書道の文字ではなかった。だから書けないまま、なんとか書こうと思って書き続けていた。

ひらがな、特に「ひ」が最後まで書けなかった。もがいてもがいて書いたものを、恩師の佐野光一先生のところに持っていってご指導を仰いだ。

「池田、こう書けばいいんだよ」
と先生が書かれたその「ひ」は、なんとも見事で、一瞬にして
(あーそうか)
と私の中にストンと落ち、その後書いてみたら何の事は無い、書けてしまったのだ。

多分、それは私が閾値に出会った瞬間なのだと思う。すっと成長したのをよく覚えている。その後書けるようになったのが嬉しくて、またずっと書き続けていた。気がついたら書いていた。

コツコツ続けると言うのは、この先のことである。根雪というのは、閾値に達するための積み重ねである。根雪ないままコツコツ続けるのは、自己満足で終わることになる場合がある。

大人になって趣味でやるなら、コツコツも良いが、若者は根雪を作ることに力を入れて注ぐことが大事だと私は思うのだ。

2019/04/25

教師の言葉は、重い

先日の一回生の授業で、
『教師の言葉は、重い。事実とは関係なしに、その言葉で語られたことが、事実になる』
という話をしていた。

その話をしながら、学生時代の恩師、吹野安先生のことを
思い出していた。


http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2012/05/post-4f8c.html

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2006/10/post_af63.html

吹野先生の指示で、毎回板書をしていた。漢文概論の授業である。
その日にやる分の漢文を白文で板書するのが私の「仕事」。なんで私が? と思ってきくと、「うるさい。いいからやれ」との言葉。

単純に自分がやりたくないからではないかと思っていた。

ある日
「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」
と言われた。
当時私は自分の字がうまいとは思わないけど、下手でもないとは思っていた。そこに、この言葉。

今日授業をしながら、板書をしながら、突然この言葉が蘇った。
授業中、ちょっとまずかった。

あれから30年、その時よりは頑張って書いていると思う。
先生に言われた

「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」

という言葉は、私を支える言葉の一つになっている。

2019/04/12

父の「卒業証書」

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  昨日、父から電話があったというので、私も電話をした。

最初に母が出て、

 

「お父さんに代わるから」

 

と言われて、電話を待つ。すると

 

「もっしもしー♪」

 

とルパンの「ふーじこちゃーん」のような感じで出てくる父親(83)。

実は父は「卒業証書」をもらったというのだ。

それは、もう病院に来なくていいよという「卒業証書」である。

 

 

私の左耳がものすごく状態が悪かった時、そう、TBSの番組を収録していた時、実は、私の父が突発性難聴に襲われた。私は、あれこれ調べて手配をして父を最速で耳鼻科に送り込めたと思う。その結果、父の場合は、治った。

 

「なんでこんな風になってしまったのかなあ」

と耳が聞こえなくなった父は嘆いていた。

『一番いいタイミングでいい治療を受けられたから、かなり大丈夫だと思うよ』

と話していた。

 

 

iPhoneの向こうで「いやあ、修ありがとう。聞こえるよ」

と父親。母親も喜んでいる。

 

ともあれ、治ってよかった。

医者は、症例として記録させて欲しいとのこと。

83歳でこれだけ見事に治る例はなかなかないんだとのこと。

そりゃあそうだと思う。

 

今回うまくいったのは、

 

  1. 父から「耳が聞こえない」とすぐに電話があったこと。
  2. これが日曜日で私がすぐに電話に出られたこと。
  3. 休日診療の耳鼻科を東京消防庁で調べることができたこと。
  4. その病院が家から40分のところにあったこと。
  5. その病院の診療時間内に駆けつけることができたこと。

 

これらがとても大きかったと思う。

取りうる限りのベストの処置をすることができたと思う。

ま、それでも1/3しか完全には治らないのだが、やるだけやって治らなかったのと、やれなくてやらなくて治らなかったのでは、その後の心のあり方が違う。後悔を抱えて生きることになる。

 

 

息子は治らないが、父を治せたので、良かったとしよう。

父のあんなに嬉しい声は滅多に聞くことはできない(^^)。

 

2019/04/10

明日の教室 5/11 野口芳宏先生 俳句・教師教育

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久しぶりの明日の教室は、千葉から野口芳宏先生にお越しいただきます。野口先生は、現在も年間に100回ぐらいの講演を全国各地で行っていらっしゃいます。そのお忙しいところを縫ってきてくださることになりました。

今回は、三部の構成で行います。

第一部は、俳句の指導です。今、俳句作りはプレバトの人気コーナーとして、子供達にも広く受け入れられています。しかし、実際に授業で俳句を取り上げることになるとこれがなかなか難しい。そこで、俳句の作り方や鑑賞指導の仕方などについて講義をお願いいたしました。

第二部は、第一部を受けつつ、教師教育についてです。教師自身が向上的変容を目指そうとするとき、自分をどのように鍛えていけばいいのでしょうか。特に、若い時代にどうすればいいのでしょうか。正しい方向に適切な努力をすることが、成長には欠かせません。主に若い教師に向けてを、お願いしました。

第三部は、鼎談です。野口先生を囲んで、糸井先生と池田で今日の講座を振り返りながら深めたいと考えています。

なお、学生さんは参加費無料です。懇親会は、椥辻駅、山科駅近辺を考えていますが、参加者数が多い場合には大学の食堂も候補としてあります。

 

参加申し込みはこちらから。

お待ちしております。

2019/03/29

なぜ、日本語は縦書きなのか

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なぜ、日本語は縦書きなのか。

この問いへの答えで私が一番好きなのは、

「天から降ってくる言葉を書き写すには、縦書きなのだ」

と言う考えての石川九楊の言葉だ。石川九楊は『縦に書け』の中で、

 

古来、「天」から「地」へ向かう重力と格闘しつつ、縦に文字を書き、言葉を紡ぐことによって日本人の精神は醸成されてきた。日本語を横書きにすることは、英語を縦に綴るのと同じ「愚」である。だが、その愚行が世を席巻したいま、日本人の精神は荒み、崩れつつある。その最大の犠牲者は。言葉習得途上の子どもたちである。ネット社会に狙い撃ちにされる彼らは、日々見えない血を流している。

 

文化的な意味では人間は言葉であるから、日本とは日本語を指す。この日本語が乱れているのが日本人が。特に子どもたちが崩れている真の原因である。縦書きでは紙に文字を書く場合、天から地に向けて書くから、全体の中の個を意識しながら書くから、常に適正な自己の位置を確認することができるようになる。

 

としている。(引用は、原典が見つからなかったので、久恒氏のHPからさせていただいた。https://plaza.rakuten.co.jp/hisatune/diary/200801260000/

 

この感覚は、書道をやっている人には、とてもよくわかるものではないかと思う。石川九楊氏は、「筆触」と言う

概念を明らかにした書道家だ。前衛書道家としても有名である。その前衛書道家をして縦書きでなければダメだと言うわけである。

 

まあ、天からの意思を受け継いで書くと言うところまでは、実感としてはないが、脳と心からの思いを手先に受け止めて、筆を走らせる時、それは横書きではなくて、縦書きだなあと言うのは実によくわかる。そして、手書きの場合、縦書きでないと連綿で書くことが難しい。中には、横書きでも連綿のように書く人を見たことがあるけど、それはまあ、特別でしょう。と言うことで私は手書きで書くとき、縦書きでないとダメなのだ。

 

 

さて、では、ワープロではどうなのだろうか?

私は、実感としてワープロでもこの「天から降ってくる言葉を書き写す」と言うものを感じる。横書きは、引っ張っていく感覚、または、掘っていく感覚になる。その感覚が、文体にどう言う影響を与えるのか、表現の違いにつながるのかはよくは分からない。

 

認知心理学の論文を読んでみたけど、これは読む時の縦書きと横書きであって、書く時のものではないのでねえ。https://www.jcss.gr.jp/meetings/jcss2010/pdf/JCSS2010_P2-43.pdf

 

例えば、同じ文章を縦書きで書く時の脳の働きと、横書きで書く時の脳の働きはどう違うのかを、脳波を調べてみたらどうなのだろうかと思う。論文を探してみているが、この書くときに焦点を当てた脳波の違いなどに関するものは見つからないなあ。

 

ワープロで連綿で文字を書くと言うのは、今のところないとは思うが、もし連綿で書くことができるようになったら、手書きで縦書きで書いている時の感覚と同じようになるのかなあ。ちょっと気になる。

 

 

音声入力開始

 

ちなみに音声入力の縦書きはどうだろうか。やってみよう。

音声入力で縦書きをしてみたところ、これはなかなか快適だなあと思う。手書きで、天から文字が降ってくる感覚に近いぞ。

音声入力終了

 

 

pagesの縦書き機能追加によって、縦書き推進派が増えてくることを願いたいねえ。

 

p.s.

ま、ブログになると横書きになってしまうんだけどね。これ、縦書きで書いたんだけど。

奇跡のレッスン 書道編

奇跡のレッスン 2019年3月27日 190327
「書道編 書は身体がつくる/書くことは 人生と向き合うこと」

 

とてもいい番組だった。書道をやる人、文字を書くことに興味のある人にはたまらなくいい番組だったと思う。

レッスンをするのは、中国人書道家の熊峰さん。中国人ですが、日本に三年留学しかなも書ける書道家。この方が、広島は熊野筆で有名な熊野の中学生にレッスンをします。

基本的なレッスンの思想は、私と同じだった。嬉しい。

まずは、美しい文字とは何かを認識することから始めていた。技術に走るのではなく、美しい文字とは何なのかを観察させるのだ。そして、何がどのように美しいのかを言語化していく。番組ではそれをコーチがする場面もあれば、自分でさせる場面もあった。自分で書いた文字に、自分で朱を入れさせていた。これはとても大事なこと。自分がどこがどう違うのかと認知しないことには始まらないのだ。先生にいくら言われても、学習者に入らないことはたくさんある。だから、自分なのだ。

そして、その次に技術の指導となる。

 

「好きな字や得意な字には癖が出やすいものです」

「美の基準に基づいて子供の書いた文字のクセをそぎ落とす。そうすることで美しい漢字が浮かび上がってきます」

「まずは技術よりも、”美の観察力”を養うことが大事なのです」

「クセと個性は違います。だから、今日は字の法律を教えました」

 

と言う字の法律のことを、黒板には「字法」と書いてあり、そのあと「結構」と言う言葉を書いていました。

(ああああ、そうそう。そうなんだよ!)

と番組を見ながら、心の中で叫んでました。

昨今の美文字ブームを見ていると、この結構(その漢字が持っている適切なバランス。明の李淳が八十四通りに分類したものが有名)を勉強せずに感覚だけで書いている美文字の先生がいます。書道家にもいます。結構を勉強しないで、美文字家だったり書道家だったりするのは、それはそれで逆にすごいとは思いますが、それは、その人の感覚で書いているだけでしょう。

だから、読みやすい文字を書けるように指導する基礎的なレッスンは厳しいんじゃないかなあと思うのです。なぜ、この字は美しいのかを言語化しなければレッスンはできませんし、言語化したものが本人の感覚ではなく、歴史の時間を経て残っている古典によって証明されている言葉で説明できることが必要になるからです。

美文字家のレッスンを見ると、ホワイトボードに美しく書くにはどうしたらいいのかなどのアドバイスは、正しいと思うものもあります。例えば、小指をホワイトボードに立てて滑りにくくして書くとか、一面で書かずに、ノートの見開きのように書くとかそう言うアドバイスは正しいと思います。しかし、文字そのものについては、結構を理解していないため、厳しいものがある場合が多くあります。

 

私が、結構に関してが常に言っているのは、

・文字の中心線はどこにあるのか

・偏と旁のバランスは考えているか

・その文字の全体的な外形は何なのか

この三つです。このことを指導しないと、結構は整いません。

 

当たり前ですが、今回のレッスンではそれを最初にしていました。そして、その先に、字体の違いによる表現の違い、さらに運筆という筆の動かし方の技術、点画という点の書き方(書道では点が一番難しいと言われています)などの技術を習得して、自分が表したい文字を書いていくことになります。

ここまでが番組の前半。

そして、後半は西日本で起きた大水害のことに焦点を当てつつ、文字を書くとは何かという深いところに入って行きました。ここは本当にすごかった。

書く。

何かを伝えたくて書く。

話し言葉でも伝えられるかもしれないけど、ワープロでも伝えられるかもしれないけど、ペンでも伝えられるかもしれないけれども、筆を使って紙に、書く。

それは何なのかを中学校の書道部の子供達へのレッスンを通して、表していました。

 

いい番組でした。

 

2019/03/21

読了 『上手な教え方の教科書 入門インストラクショナルデザイン』

20190321-165512

『上手な教え方の教科書 入門インストラクショナルデザイン』(向後千春 技術評論社)を読み終えた。

3月はインストラクショナルデザイン(ID)を勉強し直そうと思って、三冊の本を読むつもりである。その1冊目に読んだ。

もちろん、今までにも向後先生の『いちばんやさしい教える技術』も『教師のための読んでいたし、『先生のための「教える技術」』も読んでいる。向後先生には「明日の教室」に来て頂いたし、本学のFDの講師でもお招きして勉強してきたが、学問的な背景を表にはあまり出していない本であるがため、そこを求めて本書を読みたいと思った。

結論から言えば、やはり正解であった。

導入の漫画の絵柄は好みが分かれるところではあるが、実に良かった。最後まで読み終わる前から、いい言葉を書き抜いては書いていた。だから、本当は1週間で読み終える予定であったが、これがま全然読み終わらなかった(^^)。

しかし、こういう計画倒れは良いものだと思う。まあ、来年度からの授業に生かすためには、3月中に読み終えておくことが理想だが、特に締め切りのあるものでも無いし、自分のスピードでじっくりと読めたのが良かった。

で、恐れ多くも言ってしまえば、

(ん、俺、薄々感じていたけどIDを習ったわけでも無いけど、IDの授業をしているなあ)

というものである。

特に、「体験作文の書き方」「読みやすい文字の書き方」「ディベート指導の導入のあり方」「学習材づくりの指導」などなど、自分で言うのもなんだけどまさにIDだなあと思った次第である。

私の場合は、これらの指導方法を実践を通して磨いてきた。学習者からフィードバックを得て、授業中に観察して、授業づくりの書籍を読んで、考えてヴァージョンアップしてきた。だから、指導の事実はあるのだが、それが何に裏付けされているのかの知識については、正直断片的なものとなっていて、体系化されていなかった。

しかし、この本を読み終えて体系がわかり、私も説明するための学術用語を手に入れることができた。これは、非常に嬉しかった。

今思っているのは、今まで指導をしてきたものに、この本から得た理論を付け加えながら授業を作ることである。行動心理学、認知心理学、状況的学習論。これらの知見から得られるものを元にして、国語の授業の作り方をもう一度整えて、来年度の授業でやることである。

それをすることで、学生たちが授業を作るときに、

(今教えているのは、これだから、注意するのは、ここだな)

となれるようにしたい。

全ての教えることを生業としている人にオススメである。

「万年筆で手書きの教育漢字、ひらがな、カタカナのルーツ本」完成

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万年筆で手書き文字シリーズ、完成
(漢字の練習、手書きの文字を見て書いた方がいいよなあ。活字ではなくて)
(そういうお手本あるかなあ。無いなあ)
(学生たちの字も綺麗に書けるようにするには、練習用のお手本が欲しいよなあ)
(卒業生も、指導するときに手書きの漢字のテキストがあった方がいいよなあ)
のようなことを思い始めたのが二月の末ぐらいだったと思います。
(無いんなら、作るか)
と思って書き始めて、万年筆シリーズはひとまずの完成を見ました。これで小学校で学ぶ文字は全て網羅したことになります。教育漢字1006字、ひらがな、カタカナ。全て手書きで書きました。充実感はありますねえ。来年度からの学生たちの教材にも使いましょう。
この後、常用漢字、人名漢字も書いてみようと思います。そして、紺紙金泥でも、最低教育漢字はやってみようと思っています。
今年、私が筆を持ってからちょうど50年になります。自分のアニバーサリーを自分でこうして祝っているのは、なかなかいいかもしれない。アドラーのいう「自己満足」です(^^)。
万年筆で手書きの学年別配当漢字
カタカナの元の漢字は何?どの部分?
ひらがなの元の漢字
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