「明日の教室」研究会の予定

2016年 「明日の教室」研究会の予定
教育研究会「明日の教室」関連のご案内をブログのトップに置くことにします。

                   ◆

現在以下の講座が決まっています。スケジュールに書き込んで下さいね。

2016年6月25日 三宅貴久子先生 元関西大学初等部教諭

http://kokucheese.com/event/index/404956/

                   ◆

明日の教室関連の、本、DVD、電子書籍は以下にあります。

書籍は、http://www.gyosei.co.jp/home/books/book_detail.html?gc=3100501-01-000/

DVDは、http://sogogakushu.gr.jp/asunokyoshitsu/dvd_1.htm
電子ブックは、http://asukyo.jimdo.com/

からお求めください。

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2016/08/16

「急がば回れ」の実証が記事になりました

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2016/08/14

あそこだけどね。なんで、多かったのを取り上げたの?

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ゼミ合宿が終わった。
ゼミの合宿係が中心になって、宿泊場所、スケジュール、レクなどすべて決めて行った。卒業生も参加してくれた。こう言う枠から決める経験が大事なんだと考えている。

本当なら中学生ぐらいからこう言うのを特別活動でやらせていくことが、これからの時代にはますます大事になるんだろうなあと考えている。大人という教師がサポートできるうちに、自分で枠を作るレッスンを受ける。大事だよなあ。

ゼミ合宿では、模擬授業も行った。
グループに分かれて指導案を作り、代表者が授業をするといものだ。それぞれ頑張っていたが、気になったこともあった。
二年生の算数の授業で、繰り下がりのある引き算についてである。

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という計算をさせていた。
小グループに分けて、どういう計算をしたのかを説明させていた。そして、説明をさせた後に、

「ということで、いろいろな説明がありましたが、〜という説明が一番多かったですね。これはですね〜」

と説明していたのだ。

(あ〜〜〜〜)と思った。

『あそこだけどね。なんで、多かったのを取り上げたの?』
「?」

そう。学生は意識的にはやっていない。無意識だ。今まで自分が受けてきた授業がそうだったからそうしたのであろう。

『あそこは、他の人が解いていない方法で解いた子供を取り上げるべきでしょう』
「?」
『多くの人がやった方法は、後でやればいい。大事なのは、ユニークなやり方を見出した子供だ。それを価値付けよ。他の子供がやっていないなら、その方法を説明した方が、他の子供にとっても勉強になる』

こうやって少数派の子供達は、
(あ、自分は間違っていたのだ)
と思い込まされて、学習を進めていく。そして、ユニークな芽は伸びることなしにということは沢山あったろうし、今でもあるだろう。

少数派を拾う。実はとても難しいことではある。
意識の切り替えが必要。これができない。そして、拾えたとして、それを授業に位置付けることができるかどうか。これも難しい。

教師は自分が予定しているストーリーを持っている。そこに自分が想定していない意見が出てくる。それを受け入れたとして、想定していない意見を自分が理解して、さらに学習者に説明をし、その上でそれも取り入れて、新しい授業の展開をその場で作り出していく力が求められる。だから教師に実力がないと、挑めない。

しかし、ここに挑まないと授業そのものに価値がなくなっていくと私は考えている。ライブでやるのは、そこに意味がある。価値があると考えている。

数が多いのは安心だけど、安全とは限らない。
避難する時の言葉だ。しかし、これ、勉強の時にも言えるんじゃないかなあと思っている。

そして、嬉しかったのが卒業生の現役の教師たちのアドヴァイス。
(をを、それなりに成長したなあ)
と思わせてくれた。

指摘するポイントも、自分がクラスで指導に困っている子供にどうやって取り組んでいるのかがわかるところで、その取り組みが見えるようなアドヴァイスであった。

教師は、現場で鍛えられる。私にできるのは、刺激を与え、自分がいかにわかっていないかを理解させ、腹をくくらせることだと思っているが、それを改めて思った。

大学に移って10年。
いい流れができてきたかなあと思った。

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2016/08/06

「急がば回れ」の実証 水路編

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昨日は、実に歴史的な日であった。

『「絵に描いた餅」「二階から目薬」「猫に小判」こういうの、写真で撮ったら面白いんじゃない?』
と大学の授業で何回か言っていた。関西の行動基準は「おもろいか、おもろくないか」であるというのを聞いたことがある。

そうだとしたら、この「ことわざを写真で表す」というのは、かなりおもろいのではないかと思うのだ。

ことわざの学習は、学習指導要領では、小学校の3、4年生行うことになっている。ことわざを知り、意味を知るにはこの頃に行うのは、適切だと私も思う。

しかし、ことわざはここで習っておしまいにするほどのものではない。奥が深い。中学や高校でも扱うべきだと思う。小学校ではことわざの意味の理解はあるだろう。しかし、いかにも人生経験が少ない。その後経験を重ねて、理解から納得へと行くあたりで、またことわざを学ぶといいと思っている。

去年の二回生ゼミでは、京加留多48枚の全てについて、取り札作成をおこなった。全て写真にしてそれをパワーポイントのひな形に流し込んで、作った。その様子を日本デジタル教科書学会で発表し、2015年度の本学の紀要論文にまとめた。「連続型テキストの読解を、非連続型テキストの表現から導く指導に関する一考察 〜京歌留多の取り札作成を通して〜」

取り札を作るためには、ことわざの意味を十分に理解しなければできない。一枚の写真に切り出すには、そのことわざの理解と解釈が必要だ。写真作りを通して、ことわざの理解を促すという実践であった。

本年度は、去年のものをベースにして、写真で取り札作りをし、また、5秒程度の動画も作った。この様子は今年の日本デジタル教科書学会で発表する予定だ。「連続型テキストの読解から、非連続型テキストの表現に導く指導に関する一考察 その2 ~電子ブック「京歌留多 ことわざ動画辞典」作成を通して~」ということで、電子ブックでことわざ動画辞典を作ることを視野にいれての実践を発表する予定だ。

で、この流れと並走する形で、もう一つ「ことわざ」実証関連をやっていた。繰り返し言うが、ことわざは、誰が言ったかわからないけど、いい箴言として残っているのが「ことわざ」。事件や出来事あってそれに基づいて作られた言葉が「故事成語」。だから、「急がば回れ」は、ことわざではなく、故事成語である。

で、「急がば回れ」実証プロジェクトである。すでに、三回生ゼミのメンバーと、今年の7月18日に、陸路編を終えている。この時は、旧東海道の琵琶湖に向かう分岐点の瓢泉堂から歩き始めて、石場の常夜灯まで13キロ4時間であった。

その時の感想は、一言で言えば、
『何があっても、船がいいだろう。船が出なければ、船を待ちます』
というのが偽らざる想いであった。

そして、昨日、「急がば回れ」水路編なのであった。

これを思いついた時、すぐに相談したのが本学の谷口先生だ。観光学の先生。優しくて頼りになる先生。そして、いつも新入生キャンプでお世話に成っているウォータースポーツ施設の「オーパル」。担当の中岡さんである。両者から快諾を得た段階で、もうすでに半分はうまくいったようなものであった。

ただ、気象条件、手続き、琵琶湖のかつての船の様子など分からないこともたくさんあったのでその確認などもして歩いた。琵琶湖博物館、大津歴史博物館、丸子船資料館などに訪れ、その疑問を確認して歩いてきた。

そして、下見をしたところ、スタート地点では「滋賀マリン」の岸さんに出会えて、駐車場のサポートや、急がば回れの歴史的な資料も拝見することができた。

そして、迎えたのが昨日であったのだ。

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4キロと少しの航路である。ゆっくり行っても2時間でと言われていたのだが、実際のところスイスイと移動できてしまって、90分程度で到着してしまった。
(え、もう到着?)
という感じで、往復できるじゃんと思えるぐらいであった。

これには理由がある。
とにかく、琵琶湖の状態がこの上なく良かった。心地よい風が吹いており、湖上は涼やかであった。それでいて、波はなく、思うようにパドルを扱うことができ、なんともいい感じであった。流されているなあと感じたのは、近江大橋のあたり。そう、そこからは瀬田川に向かって水が動いている。そこだけ少しだけ流されそうになった。あとは、何もなし。

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当時の丸子船は、昭和の半ばまで使われており、今では丸子船記念館に一艘だけ現存している。その船の構造を見たとき、逆風では前に進まないだろうことが推察された。また、オールを常備していることから、漕ぐことは大前提になったかと思われる。

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歌川広重の絵を見ると、何層もの丸子船が描かれている。
絵の様子からは、いかにも快適な船旅のような気持ちがしてくる。
私たちは今回パドルで漕いで渡って行ったが、当時の旅人は船に乗っているだけ。漕がなくていい。これはさらに快適であったろうと思われる。

たどり着いて、思ったことは
(このことわざは、季節も特定できるんじゃないかなあ)
ということ。急がば回れは、「風待ちで船が出るのを待っているよりも、急ぐなら瀬田の唐橋を回ったほうがいい」というところからきているのだが、私は、「風が吹いていないので風を待っているのだが、それなら風が吹くのを待つよりも、歩いたほうがいい」と解釈していたが、これは違うなと思ったのだ。

「風が強くて船を出せないから、風が収まるのを待っている。その収まりには時間がかかるから、遠回りでも歩いたほうがいい」というのが、急がば回れなのだろうと。で、その突風は比叡おろしと言われ、冬に吹く。または、春の嵐として吹く。

だから、この急がば回れという言葉が主に使われるのは、冬から春にかけてであろうと思われるのだ。夏と秋のシーズンなら、間違いなく船の方がいい。のんびりゆったり、琵琶湖の向こう側に雄大に聳え立つ比叡山を眺めながら、ゴールの京都への想いを馳せる方がいい。

このことを実感を持って説明できるようになった。

ゴール後は、琵琶湖ホテルでシャワーを浴びて、ランチとなった。
琵琶湖ホテルに交渉してシャワーを有料で借りることができたのだ。そして、イタリアンレストランでランチであった。

この結果を踏まえて考えている。

この先、どう展開するかだ。

始めた時は、殆どおもろいで始めているのだが、やりながら、これがなんの価値を持っていて、どう展開されたがっているのか、この出来事が、物事が、物語始めるのだ。

こうしてほしい、ああしてほしいとリクエストをし始めるのだ。こらがまた面白い。私は
『あー、そうですか。そうしたいのね』
などと聞き取りをしながら、整理していく。文字にすると変だが、実にそんな気持ちなのだ。

「お父さんのお仕事、なんか遊んでばっかり」
と娘(8)は言う。
うーん、否定しきれないが、でも、これはお仕事なのよ。

日本中の子供達が、大人が
「いやあ、言葉って面白いなあ、すごいなあ」
と感じてくれるような、わくわくする学習をデザインするためのお仕事をしているよ(^^)。

関わってくださった皆様、いろいろとありがとうございました。
次の一歩への一歩を確実に踏み出せました。
次も、よろしくお願いします。

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2016/08/03

Twitterでの炎上の仕組み

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最近気がついた、Twitterでの炎上の仕組み。
Twitterとは、つぶやきだ。
つぶやきには根拠も出典もいらない。だって、自分がそう感じたことを漏らすのがつぶやきだからだ。

文章には、表出と表現のグループと、伝達のグループがある。
漏れてしまう思いや漏らした思いが表出と表現だ。伝達には技術と熱意がいる。
伝えられる人が、しっかりと聴かなくても誤解なく伝わるようにするのが伝達だ。

Twitterは伝達のツールである。しかし、それを理解せずに表出、表現に分類される文章を、伝達のツールに乗せてしまうことがある。ここに炎上の原因があると思うのだ。「ああ、お腹すいた」とつぶやく分には特に問題はない。しかし、これが「あの人ちょっと変だなあ」と他者に関するつぶやきとなると、問題になる。

本来、伝わらないはずのつぶやきが、Twitterというつぶやきの仕組みに乗ると、「不特定多数」の人に伝わってしまう。伝達されてしまうのだ。ここが問題の所在。心の中を外に出しただけのつもりなのに、それが伝達のシステムに乗せていることに気がついていないのが、問題だと思っている。

別の観点から言えば、Tweetなのだから、思いつきでTweetしているだけなのに、「根拠は?」とか「ネットに書くのなら正確に書きなさい」などとお叱りを受けることもある。そんなもん、知らんがな。なんとなく、そう思ったからTweetしただけ。それがTwitterなんだと思うのだが、ま、いろいろと混乱する。

根拠なく、その時の思いつきを140字で乗せている。それに信憑性を求めるのは、違うんじゃないかなあと思うのだ。本人は思ったこと、感じたこと、違和感を書くのが基本だと思うのだ。論理とかはあまり気にしていないと思う。これらのすれ違いが、炎上の仕組みだとこの頃気がついた。

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2016/07/27

宿題の5種類

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宿題には5種類あると考えている。

1)授業の予習としての宿題
2)習熟、トレーニングとしての宿題
3)終わっていないところをやってくる宿題
4)自主的にする勉強としての宿題
5)長期休業中の宿題

もともと宿題という言葉は、句会から来ている。
「次の句会の時までに、この季語で作ってきてね。でないと、句会に参加できないよ」
というものが、宿題なのである。上記の分類で言えば、1)である。

しかして、学校の現状の宿題はどうなっているであろうか。2)と3)がメインではないだろうか?
2)は、わかる。例えば、余りのある割り算を学校で習って、それを確実にできるようにするために家でその類題について練習するような宿題だ。

しかし、3)は私は違うと思う。
授業では、教師が理解させ、課題をさせる。ところが、授業中に終わらなかったから、宿題にするというのだ。授業中にできなかったのは、教師の授業デザインが破綻していたからである。もちろん、授業が計画通りにいかないことがあるのはよくわかる。それはあることだ。だから残った部分は家でやってくることというのも、無くはない。しかし、「教師が理解させ、課題をさせる。」の「理解させ」の部分が不十分のまま、宿題にすることがあるのではないかと思っている。この場合は、論外だと思うのだ。

前期の振り返りで学生がこんなことを書いていた。1)についてである。

宿題をしてくることが、楽しいアトラクションの入場券になっていると
感じてもらえるようなものを考えたい

その通りなのだ。宿題をやってきたから授業が楽しい。
そういう宿題が、本来の宿題なのだと考えている。
宿題をその位置に置いた時、授業がどうデザインされるのか。
これを考えると授業づくりは面白いと思う。
そして何より、子供達が喜ぶと思うのだ。

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2016/07/19

いい言葉に出会うと書き写したくなる

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いい言葉に出会うと書き写したくなる。そうやって中学生の時からずっとノートに書き写してきた。好きな歌の歌詞を書き、ギターコードを書き歌っていた。その時は、単に好きでやっていただけのこと。母親には

「修、そんなことやって何の意味があるのかねえ」

と言われた。私は別に何かのためにやっていたわけではない。歌が好きだから。また、文字を書き写すのが楽しいからということ以外に理由は見つからなかった。

いい言葉を書き写し体に貯めていくとそれがいつの間には発酵を始め、自分の言葉となっていく。自分が心からそう思うという言葉が生まれてくるようになる。いい言葉は、思考を促し、行動を促す。最強のプレゼンテーションだ。ただし、時間がかかる。

入っていないものは、出てこない。当たり前のことだ。いい言葉をたくさん、体に入れておく。だから、中学校の教師をしている時は、授業の最初に黒板に「今日の詩短歌俳句、名言」としていい言葉を書いて「アンソロジーノート」というノートに書き写させていた。3年間担当すると200作品ぐらい書き写させていたことになる。そして、それを年間5作品程度は暗記させていた。

私は40年もこんなことをしている。体は勝手にそのいい言葉を発酵させてくれて、自分の人生を豊かにしてくれることがこの頃とても実感できる。中学生だった彼ら彼女らも今頃、発酵に気がついてくれているんじゃないかなあと思う。

「母さん、実はね、これにはね」
と今なら効果を説明できると思うが、ま、それよりも
「単にいい言葉を書き写したいんだよ」
というのが本音かな。

日々、いい言葉に出会える嬉しさのあることよ。

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2016/07/12

テキストに根拠を求めながら読む

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昨日の教科教育法(国語)では、ごんぎつねの3の場面を中心に授業づくりの具体について指導した。

具体的には、以下の指示を事前に出して、指導案を書かせ、物語文の読解の仕方、指導の仕方の基礎を抑えた上で、授業ではテキストの読解をしながら進めた。

目標: 3場面を読んで、ごんの行動や気持ちの変化を考えよう。

学習指導要領 小学校国語 第三学年及び第四学年 C 読むこと
(1) 読むことの能力を育てるため,次の事項について指導する。 ウ 場面の移り変わりに注意しながら,登場人物の性格や気持ちの変化,情景などについて,叙述を基に想像して読むこと。

目的:テキストに根拠を求めながら読む。

思い込みではなく、テキストに書かれていることから考えていくわけである。
ごんは、うなぎ、いわし、山栗、松茸と兵十にgiveする。giveするものが違っていくこと、またgiveの動詞が違っていくことをテキストから読まねばならない。そして、それはなぜ変わっていったのか。その時、ごんの心情はどのように変化していったのか。ごんの心情の変化の一方で、兵十はどうだったのか。

これらを、教師の思い込みではなく、テキストに書かれている事実から考えていく。
国語の授業としては当たり前の授業なのだが、このような読み方を指導してもらった学生は実に少なかった。教師が自分で読んだ解釈を児童が当てるような国語の授業が多かったのだ。そうではない。

『ごんぎつねは、ハッピーエンドですか? バッドエンドですか?』
と発問した。学生はほぼ50%にわかれた。
『では、その根拠は何ですか?』
その根拠を本文から読取らねば、国語にならない。
『では、横の人とペアになって、じゃんけんに勝った人から、ペアの人に、「私は〜エンドだと考えています。なぜならば教科書の〜にこう書いてあるからです」という形で説明してください。はいどうぞ』
と交代でやらせる。

授業の終わりには、
『今日の授業で勉強になったなあ、と思うことを三つ、ノートに書きなさい』
『ペアの人に、その三つについて何がどう勉強になったのかを説明しなさい』
とした。

人間は、必要なことと興味があることでないと学ばないと思うのだ。
だから、教師がいかにこれが大事だと言っても、学習者が必要、または興味があるとなっていないと学ばない。だから、自分が勉強になったと思うことをまとめさせるというやり方は、大事だと思っている。

『もちろん、教師は児童に対して(あ、これは必要だ)と思わせる導入を考える必要があるんだぞ』
と付け加えておいた。

前期の授業もあと一回で終わる。

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娘自身は生活の中で、算数を遊んでいる

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「1+11は12!」
エレベーターを待っていた娘(6)が突然言い出した。
(なんだ?)
と思ったら
「1+10は11!」
と言う。
????

分かった。
二機あるエレベータに提示される階の階数を足しているのだ。
そして、次は
「9-2は7!」
とかやっている。

面白いなあ。

さらに、エレベーターの中にある階を表すボタン。
「3、6、9、12、15、18!」
と読んでいる。いわゆる3飛ばしだ。

まだまだなあと思う。

娘自身は生活の中で、算数を遊んでいる。
私はそれを楽しんでいる。
算数の先生ではないが、小学校教員養成過程の先生である。
こういう遊び方をもっともっと私の身近なものにしたいなあと思う。

娘に教えられる休日である。

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2016/06/24

オリジナルスパゲティ  甘鯛のスイートバジルオイルフルーツスパゲティ

Img_7289 レシピです。よかったら作ってください。写真は甘鯛ですが、鯛でも白身の魚でもいけます。
甘鯛の焼き方と、ニンニク、スイートバジルの火の通し方が決め手です。


1)甘鯛の両面に塩をする。正確には、鯛の重さの、0.08%の分量を振る。人間の体内の塩分と同じ濃度が一番美味しいと言われている。

2)5分以上待つ。塩は、水分に溶けるので、鯛の水分になじませる。

3)フライパンを冷たいまま、ガスコンロに乗せてオリーブオイルを大さじ3程度入れる。

4)甘鯛の皮目を下にして置く。

5)ガスコンロの火をつける。その際、炎の先端はフライパンとコンロの中間ぐらいになるようにすること。

6)1分程度すると、フライパンから音がしてくる。フライ返しで鯛を押し付けて、反ってくるのを防ぐ。

7)時々揺すりながら、火が通っていくのを待つ。だいたい5分程度。

8)甘鯛の厚みの1/3程度が白くなったら火を止めて、甘鯛をひっくり返す。余熱で加熱する。

9)甘鯛を取り出して、別の皿に乗せておく。アルミで包んでおくと冷めにくい。

10)フライパンに残っているオリーブオイルに、ニンニクのスライスしたもの2〜3片と、スイートバジル5〜6枚を投入して、和える。

11)スイートバジルの葉がしんなりしたら、茹で上がったスパゲティを投入して、オイル、ニンニク、スイートバジルと絡める。様子を見て、ゆで汁を少し入れてかき混ぜ、オイルを乳化する。

12)スパゲティを皿に盛り付け、甘鯛、柑橘系のフルーツを乗せる。写真は、天草晩柑。

13)軽く胡椒を振る。

14)熱々をいただく。

15)うまー!と叫ぶ。 ◆ 夏のランチに白ワインで楽しむといいと思います(^^)。



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2016/06/11

6月の「明日の教室」は三宅貴久子先生に御登壇いただきます

6月の「明日の教室」は三宅貴久子先生に御登壇いただきます



糸井先生の案内文です。


三宅貴久子先生を御存じでしょうか?
三宅先生は、関西大学初等部で勤務されていましたが、この3月で定年退職されました。

私が三宅先生を知ったのは、ちょうど「総合的な学習」が学校に導入され始めた頃ですから、もう16年ほど前になります。
三宅先生は、岡山県の先生だったのですが、2006年にNHKの「わくわく授業」でも二度にわたって、その実践が取り上げられ、多くの教師がその名を知ることになったと思います。
*2003年 わくわく授業『歴史の見方を深めよう~三宅貴久子先生の社会~』
2006年 わくわく授業『自分を見つめる 未来予想図~三宅貴久子先生の総合的な学習~』

ただ、私が三宅先生に着目していたのは、この「わくわく授業」より数年前に放映されていた「おこめ」というNHK教育テレビでの教育実践でした。とにかく子どもたちがどんどん動いていくのです。そして、その学びを「米米ワールド」(高陵社書店)として出版されました。この本は、何と、岡山県岡山市立平福小学校6年B組と東京都江東区立南砂小学校6年1組の児童、あわせて60人が、「総合的な学習の時間」を使って作った書籍。子どもらしい発想で、大人顔負けの綿密な調査を行い、自分たちで執筆し、編集しましたというのです。

それ以後も、三宅先生の実践には、ずっと着目してきました。関西大学初等部の開校に合わせて同校に移られてからは研究の柱とも言えるミューズ学習を進めてこられました。
無理を言って、三宅先生の授業を参観させていただくことができました。卒業前の3月という慌ただしい時期にも関わらず、ミューズ学習と歴史の授業を見せていただくことができました。

一言で言うならば、完敗でした。私が定年までの残された日々で、目指すべき授業の姿がそこにはありました。やはり、まちがいなく日本を代表する素晴らしい実践家でした。

そして、最後の年に、やはり子どもたちが執筆した「ナマステ! 会いたい友だちと――友情は国境を越える」(さくら社)を出版された。凄いの一言に尽きます。

その三宅先生が退職され、若い先生方がその実践に触れることができない。これは駄目だと思いました。そこで、すぐさま三宅先生に「明日の教室」に「伝説の教師」として登壇いただきたいとお願いした次第です。

今回は、3時間半全てを鼎談という形で進めていきたいと考えています。
三宅先生の「20代」「30代」「40代」「50代」に何があって、何を考え、どのようにして三宅貴久子という類まれな教師が形づくられたのかを浮き上がらせていきたいと思っています。私と池田先生で、三宅先生御自身も気づかれていない三宅貴久子の凄さを炙り出していければと思います。

お申し込みは、こちら。

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