2017年 「明日の教室」研究会の予定

2017年 「明日の教室」研究会の予定

明日の教室は11年目を迎えます。

                   ◆

明日の教室のHPができました。

https://asunokyousitsu.themedia.jp/

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などは、こちらからリリースされることになります。

2019/12/05

空に吸はれし十五の心

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不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心

今日の模擬授業は、この短歌であった。
石川啄木の短歌。
学生たちは、どうしても石川啄木を説明したくなってしまう。
短歌そのものを楽しむ、味わうことをしない。
テキスト論的に読めない。


私が中学の教師をしていた時、この短歌をどう扱ったかというと、簡単に語句の説明をしたあと

『では、ノートにこの短歌を写して、鉛筆を持って、外に行って寝転がってこの短歌の意味を理解して来なさい。ただし、一人で寝転がること。30分以内で分かったら教室に戻って来なさい』

と指示を出した。
もちろん、生徒は30分ギリギリまで外で寝転がっていた(^^)。

新卒の頃からやった。
初任校は緩やかな丘の斜面にあったので、やりやすかった。
まあ、職員室ではあれこれあったようだけど(^^)、私は大事な国語の授業だと考えてやった。
まずは、じっくりと短歌と個人で向き合い、自分なりの解釈を手に入れることだ。それを教室ではなく、外でやったのだ。

啄木がこれを詠んだのは20歳を過ぎてから。
15歳の時ではない。
15歳の時に、感じたことはなんだったのかということを後から詠んだ歌だろう。
テキスト論的には、15歳で詠んだのか、後から詠んだのかは断定できないので、両方ともの読み方を提出するしかない。それが限界。
で、そのあとに、20歳を過ぎてからだという情報を与えて、解釈をさせていくことになる。

30分経ってから生徒に考えさせたのは、
「吸われし」
である。
もちろん、「吸われた」の意味であるが、問題は「し」が「た」であることを理解させることではない。

15歳の心があるとして、それが寝転がっている人から離れていく時、通常なら15歳の心は体から「浮かぶ」のではないだろうか。「浮かんで飛んでいく」のではないだろうか。しかし、ここでは「吸われ」たのだ。ここを読めるようにしたいのだ。

「吸う」という言葉は難しくない。
『はい、息を吸って』
という指示を出せば、中学2年生は、100%その意味を理解して、息を吸うだろう。
しかし、だから、難しい。
短歌に難しくない「吸う」という言葉が使ってあって、意味も理解できるのに、心が寝転んだ体から浮かぶではなく、空に「吸われる」という表現になっていることに気が付きにくいのだ。

なんで、空に吸われたのか。
吸われてしまった十五の心はなんだったのか。
ここは書いていない。これを想像させることも大事。
だけど、吸われてしまったあとの心はどのようになっているのだろうかと考えることもできる。
『空に吸われてしまった十五の心な訳で、であるとしたら、そのあと、そこはどのようになっている?』
と問いが立つ。
学生に、授業後の私の解説の時に聞いてみた
「空っぽです」

多分そうだと思う。
20歳を過ぎて、十五歳の時に感じたあの感覚は、空に吸われてしまった心の後の、ぽっかり感である。あの感覚は、空っぽになってしまった心だったのだと啄木は二十歳を超えてから気が付いたのだろう。

そして、この短歌は十四歳が授業で読んでいる。
来年、十五歳になるわけだ。
啄木は過去を振り返ってこの歌を作り、生徒は未来を見てこの歌を読んでいる。
その比較は、テキスト論的な読解をしたあとに、おまけとしてやっても面白い。

生徒が中学生の歳の時、校庭に寝転んで短歌のことを考える時間が、1時間ぐらいあってもいいじゃないですか。そんな国語の授業は大事だと今でも思っています。

私の実践を紹介しながら、今日の模擬授業の振り返りをしました。

2019/10/11

11/30 未来の教室 in 明日の教室

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11/30(土)、経済産業省の進める「未来の教室」が、京都橘大学にやってきます。 

未来の教室は「一人一人が未来を創る当事者(チェンジ・メーカー)に育つこと」を目指し、「新しい教育を可能にする技術(EdTech)」の活用等を通じて、新しい教育のあり方を創出しようとするものです。

2019年度は、日本に五校の未来の教室実証校が設定されて、活動が行われています。しかし、今年度、関西には残念ながら実証校はなく、未来の教室を知る機会も少ないのではないかと思われます。

そこで、京都で10年以上活動を続ける、教師を目指す学生・若い教師を支援する教育研究会、明日の教室(NPO法人申請中)が主催して関西の皆さんに、未来の教室を体験して頂くこととなりました。

当日は、EdTechサービス事業者による体験会や、特別セッションに加え、経産省の浅野大介室長の基調講演もあります。未来の教室 in明日の教室に是非、お越しください。参加費は無料です。

参加予定事業者は以下の通りです。

学研プラス、Google for education、compass、
Z会、凸版印刷、Life is Tech!、Apple

(順不同、他に交渉中の事業者あり)

お待ちしております。

 

お申し込みはこちらです。申し込みをされてからご参加ください。

https://www.kokuchpro.com/event/c6a9ff28d687d6c24e4a7cde77a0c45b/?fbclid=IwAR0Q7JgXbnXRx65fVq_ijZ58p56jX6gaSzNT-BdZ491V-sDOaY1Ryo6c6bs

2019/06/05

「池田修、筆を持って50年記念」ということで

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「池田修、筆を持って50年記念」ということで、自分で勝手に記念行事をしております(^^)。

最近FBでDMでやり取りのあった方のお名前を中心に、50人の方に紺紙金泥で書かせていただいております。

母親が悪筆ということで、子供にはそういう思いをさせたくないからと近くのお習字教室に通い始めたのが、小学校1年生の5月24日。そこから数え始めて50年というのが今年です。まあ、よく続いたものです。

外発的動機づけから始まったものの、今では内発的動機付けで書いています。継続は力なりとよく言いますが、まあそうなのでしょう。

ただ、この50年でやはり大きかったのは、大学時代に書き込んだこと。これが大きかった。

コツコツやってもダメなのだと思います。コツコツの前どかっとやる。これが大事なのだと。雪のようにどかっと降ると、根雪になります。その上にサラサラと降ると積もっていきます。根雪がないと溶けるだけ。この「根雪」をどう作るか。

飽きっぽい私は、あれこれ手を出しています。
書道にしたって、甲骨文字、ガラス書道、お抹茶書道、そして、今は紺紙金泥。しかし、書道のベースの上で遊んでいる感じですね。

書道の世界は広くすぎて深すぎて、一生かけて高みに登るには、挑戦しがいのある世界です。おそらく、頂点には登れないであろうけれども、「当社比」での頂点を目指して書き続けることになるのだと思います。

ドイツの誕生日は、自分でケーキを焼いて仲間にふるまうというのを知りました。
(ああ、そういうのもいいかもしれない)
と思って、先輩方、仲間たちのお名前を書かせてもらって、差し上げるというのをやりました。

「書道生活100年の時も下さい」
というありがたいお言葉もいただきました。

精進します(^^)。

2019/05/25

昨日で、筆を持ってから50年の年月が経った

Hana

 

昨日で、筆を持ってから50年の年月が経った。半世紀筆を持って文字を書き続けていることになる。誰も祝ってくれないが、勝手にすごいと思って何か祝おうと思う(^^)。一応、その一環として「手書き万年筆学年別配当漢字」

https://itunes.apple.com/us/book//id1455467422?mt=11

をまとめることもできたし、

「紺紙金泥 教育漢字」も仕上げることはできた。良かった良かった。

 

なんでこんなにはっきりと覚えているかというと、小学校一年生の時に習い始めたお習字だが、最初のお月謝袋が出てきたのでわかったのだ。私は計算は苦手だが、数字は画像記憶でバシリと頭の中に残る。フォトリーディングだ。だから、残っているのだ。

 

 

子供の頃住んでいた団地。そこから歩いて3分もすればお習字教室であった。字が苦手な母親に強制的に行かされたとも言える。ご夫婦でされていた佐藤先生に私は、ここで高校卒業までお世話になることになる

 

週に一回。1時間弱。

小学校高学年になると、お習字なんて女のやることだという思いが出てきて、なかなか通いにくかった。すると佐藤先生は、女の子がいない時間に電話をくれたり、大人の人がやる時間に呼んでくれたりして、なんとか繋いでくれた。これが今になって思うと、実にありがたかった。

 

高校では、書道部の助っ人として作品展に作品を出したりもしていた。

まあ、少し天狗になっていた。

 

 

ところが、大学で中学校の国語の免許を取るために、書写指導法を学び、高校の書道の免許を取ろうとして専門の書道の授業を受けたりすることで、私は、自分が全く書けていないことに気がつかされたのであった。

 

だから、大学の2年生、3年生の時は失意に打ちのめされながらも、猛烈に書いた。

昭和天皇の祐筆であった木村東洋先生、中島司有先生に指導を受け、新進気鋭の佐野光一先生にも手厚いご指導を受けた。

 

課題の作品を持っていくと、木村先生には

「これはなんですか?」

と真顔で聞かれた。点の位置と角度がやや違う程度だったと思うが、それは全く違うと否定された。

 

課題を出せないで泣いている学生に、中島先生は

「親が死んだことと、一年前に出した課題ができていないことは関係ない」

と叱りつける姿を見せつけられた。

 

「まあ、この生徒には次はこれかな?」

私が指導した中学生の作品を持って、私の指導のあり方をご指導いただこうと佐野先生のところに春休みに出かけると、その先、その先へと導いてくださった。

 

だから、冗談抜きで、鼻血が出るぐらい熱中して、集中して筆で字を書き続けた。

 

 

大学を卒業する時、先生になるなら高校の芸術の書道の先生もいいかなあと思っていた時期もある。だが、中学校の教員となり、書写の時間に今まで多くの先生にご指導いただいたこと、自分で学んだことを全部出して教えていた。

 

中学校一年生の一学期は、「蘇孝慈墓誌銘」を双鉤塡墨(そうこうてんぼく)や摸書をさせて、粘葉本にまとめさせた。二学期は、「和漢朗詠集」を摸書させて、和綴じ本にした。冬休みは書道字典から集字させてお手本を作らせて、年賀状を書かせた。さらに三学期は「蘭亭序」を摸書、臨書させて、仮巻きでまとめた。

 

書道をやった人なら、この課題を普通の中学校一年生にやらせるのは無謀だと思うだろう。ものすごい高度なことをやっていると思うだろう。私もそう思う。しかし、私は逆に考えた。まだ、きちんとした時の練習をしていない中学生だからこそ、本物をしっかりと与える。私の字を、教科書の字をお手本にするのではなく、本物の古典を与える。なんとなれば、私も教科書も書いた人も、必ず書いて練習してきた古典なのだから、それを学ばせたほうがいいという判断である。

 

その結果、子供達は本当に上手くなった。

 

 

大学に移って、書道コースのある大学に移れたことを幸せに思っている。

文字を書くことに懸命になっている若い学生たちと、書道談義をするのは実に楽しい。

 

また、ガラス書道、抹茶書道、甲骨文字の再現、紺紙金泥などいろいろな書道を楽しめている。

そんなことをしていたら、50年も経ってしまった。

 

 

50歳までは私の中にいる芸術家は封印してきた。

歌を歌ったり、料理をしたり、好きな言葉を書き写したりはしてきたが、芸術というよりは、趣味としてやってきた。だが、ここを境にその封印を解こうと思った。

 

(もう、好きなように書いてもいいでしょ)

と思うようになった。自分が書きたい文字を書きたいように書く。

まだ、誰も書いたことのない線で、筆使いで、好きな文字を言葉を書く。

そうしているうちに、野口先生のご著書から手書きで書きぬいたものを集めた、手書き文字練習本も出すことができた。なんと嬉しいことよ。

野口芳宏の教育名言で学ぶ手書き文字」

https://itunes.apple.com/jp/book/野口芳宏の教育名言で学ぶ手書き文字/id1381200885?mt=11

 

 

書道は、70歳で「期待の新人現れる」の世界だという。まだまだ、はなたれ小僧である。しかし、静かにできる。一人でできる。畳一畳の広さでできる。限りなく広く深い世界がある書道に50年前に出会えて良かったなあと、思う。

 

親に、先生に、感謝だ。

2019/04/30

その時、大事なのは、その違いを自分で見つけさせること

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このところ、SNSなどに文字を書いているのをアップしていることからだと思うが、会った人に自分の字を上手く書くためのミニレッスンを頼まれることが多くなった。

また、これが都合の良いことにいつでも万年筆を持っている私。どうぞと引き受ける(^^)。

やってみて改めて思うのは、文字の線の意味を知らない人たちが圧倒的ということだ。文字は結構と運筆が大事。文字全体のバランスと線の運び方である。

お習字をある程度やった人、または、字を教えるための勉強をした人はこの二つのことを理解している。だけど、当たり前だけどやったことのない人は、これが全く頭にない。

おそらく、今まで見てきた活字や他の人が書いてくれた自分の名前の字を頭に描いて、それを「お手本」にして書くのだが、それは結構と運筆を理解したものではないので、次の形、線の動きに意味がないのだ。または、知っている人からすると矛盾した動きになるのだ。

だから、レッスンの時にはまず、自分で自分の名前を一文字100円玉の大きさぐらいで書いてもらう。その次に、私が書いてみせる。

そして、その次に、


『どこが違うと思いますか?』


と発問するようにしている。

私は音痴だったが、音痴はなぜ音痴になるかといえば、自分の歌っている音を聞けていないからだという。だから、耳が聞こえない人でない限りは、音痴は治るというのだ。

私はそのことを知ってから、高校2年生の時に必死に自分の歌を録音して聞いて、音痴を直した。

文字が綺麗に書けない人は、綺麗な字と自分の字がどう違うのが見えていない人が多い。つまり、何がどう違うのかがわかっていないのだ。だから、直しようがない。

 

『ほら、ここが違うでしょ』


と私からやってしまうのはダメ。まず、その人の字に関する能力に基づいて、その人が認識できる範囲で発見させながら、わからせないとダメ。

そのあとヴィゴツキーのZPDではないが、


『そうですね。では、ここはどうですか?』


目の前にありながら見えていなかったものを、私の方で指摘して解説を加えていく。手助けをするのだ。

そうすると、頭の中に違いは残る。
あとは、その理解した内容をできるようにするために、トレーニングを重ねて小脳に、動かし方を刻みつけるということになる。

私が教師になった30年前はワープロが使えるとものすごく重宝されました。しかし、ワープロ、電子文字が当たり前になった時代だからこそ、手書きは重宝されます。価値は少数派に宿りますから。

今、そして、これからは手書きだと思います。書聖の王羲之のように「書けて」しまうソフトも開発されていますが、それでも手書きだと思います。

で、手書きの中で一番綺麗に書きたいのが、自分の名前でしょう。
どこぞでお会いしたら、ビール一杯飲みながら、お手伝いしましょう(^^)。

2019/04/28

それは「根雪」を作ることだ。

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「コツコツとがんばります」

と若者は言う。真面目な若者ほど言うような気がする。しかしコツコツ頑張ったところで、実はあまり成果は無い。正確に言うとコツコツする前に、やるべきことがあるのだ。

それは「根雪」を作ることだ。
パラパラと降った雪は積もらない。一気にどかっと降った後にパラパラと降る雪は積もる。根雪を作ることだ。

学生時代は授業の課題や、先生の指示でとにかく文字をたくさん書いた。冗談抜きで、書いている途中で鼻血が出る位集中して書いた。書いても書いてもうまくならず、それでも書いて書いて書いた。

小学校の1年生から書いていただけだから、書けないわけではなかった。しかし、私が書いていた文字は単にお習字の文字でしかなく、書道の文字ではなかった。だから書けないまま、なんとか書こうと思って書き続けていた。

ひらがな、特に「ひ」が最後まで書けなかった。もがいてもがいて書いたものを、恩師の佐野光一先生のところに持っていってご指導を仰いだ。

「池田、こう書けばいいんだよ」
と先生が書かれたその「ひ」は、なんとも見事で、一瞬にして
(あーそうか)
と私の中にストンと落ち、その後書いてみたら何の事は無い、書けてしまったのだ。

多分、それは私が閾値に出会った瞬間なのだと思う。すっと成長したのをよく覚えている。その後書けるようになったのが嬉しくて、またずっと書き続けていた。気がついたら書いていた。

コツコツ続けると言うのは、この先のことである。根雪というのは、閾値に達するための積み重ねである。根雪ないままコツコツ続けるのは、自己満足で終わることになる場合がある。

大人になって趣味でやるなら、コツコツも良いが、若者は根雪を作ることに力を入れて注ぐことが大事だと私は思うのだ。

それは「根雪」を作ることだ。

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「コツコツとがんばります」

と若者は言う。真面目な若者ほど言うような気がする。しかしコツコツ頑張ったところで、実はあまり成果は無い。正確に言うとコツコツする前に、やるべきことがあるのだ。

それは「根雪」を作ることだ。
パラパラと降った雪は積もらない。一気にどかっと降った後にパラパラと降る雪は積もる。根雪を作ることだ。

学生時代は授業の課題や、先生の指示でとにかく文字をたくさん書いた。冗談抜きで、書いている途中で鼻血が出る位集中して書いた。書いても書いてもうまくならず、それでも書いて書いて書いた。

小学校の1年生から書いていただけだから、書けないわけではなかった。しかし、私が書いていた文字は単にお習字の文字でしかなく、書道の文字ではなかった。だから書けないまま、なんとか書こうと思って書き続けていた。

ひらがな、特に「ひ」が最後まで書けなかった。もがいてもがいて書いたものを、恩師の佐野光一先生のところに持っていってご指導を仰いだ。

「池田、こう書けばいいんだよ」
と先生が書かれたその「ひ」は、なんとも見事で、一瞬にして
(あーそうか)
と私の中にストンと落ち、その後書いてみたら何の事は無い、書けてしまったのだ。

多分、それは私が閾値に出会った瞬間なのだと思う。すっと成長したのをよく覚えている。その後書けるようになったのが嬉しくて、またずっと書き続けていた。気がついたら書いていた。

コツコツ続けると言うのは、この先のことである。根雪というのは、閾値に達するための積み重ねである。根雪ないままコツコツ続けるのは、自己満足で終わることになる場合がある。

大人になって趣味でやるなら、コツコツも良いが、若者は根雪を作ることに力を入れて注ぐことが大事だと私は思うのだ。

2019/04/25

教師の言葉は、重い

先日の一回生の授業で、
『教師の言葉は、重い。事実とは関係なしに、その言葉で語られたことが、事実になる』
という話をしていた。

その話をしながら、学生時代の恩師、吹野安先生のことを
思い出していた。


http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2012/05/post-4f8c.html

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/…/2006/10/post_af63.html

吹野先生の指示で、毎回板書をしていた。漢文概論の授業である。
その日にやる分の漢文を白文で板書するのが私の「仕事」。なんで私が? と思ってきくと、「うるさい。いいからやれ」との言葉。

単純に自分がやりたくないからではないかと思っていた。

ある日
「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」
と言われた。
当時私は自分の字がうまいとは思わないけど、下手でもないとは思っていた。そこに、この言葉。

今日授業をしながら、板書をしながら、突然この言葉が蘇った。
授業中、ちょっとまずかった。

あれから30年、その時よりは頑張って書いていると思う。
先生に言われた

「池田。お前の字には、何かある。字でいけ。字を磨け」

という言葉は、私を支える言葉の一つになっている。

2019/04/12

父の「卒業証書」

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  昨日、父から電話があったというので、私も電話をした。

最初に母が出て、

 

「お父さんに代わるから」

 

と言われて、電話を待つ。すると

 

「もっしもしー♪」

 

とルパンの「ふーじこちゃーん」のような感じで出てくる父親(83)。

実は父は「卒業証書」をもらったというのだ。

それは、もう病院に来なくていいよという「卒業証書」である。

 

 

私の左耳がものすごく状態が悪かった時、そう、TBSの番組を収録していた時、実は、私の父が突発性難聴に襲われた。私は、あれこれ調べて手配をして父を最速で耳鼻科に送り込めたと思う。その結果、父の場合は、治った。

 

「なんでこんな風になってしまったのかなあ」

と耳が聞こえなくなった父は嘆いていた。

『一番いいタイミングでいい治療を受けられたから、かなり大丈夫だと思うよ』

と話していた。

 

 

iPhoneの向こうで「いやあ、修ありがとう。聞こえるよ」

と父親。母親も喜んでいる。

 

ともあれ、治ってよかった。

医者は、症例として記録させて欲しいとのこと。

83歳でこれだけ見事に治る例はなかなかないんだとのこと。

そりゃあそうだと思う。

 

今回うまくいったのは、

 

  1. 父から「耳が聞こえない」とすぐに電話があったこと。
  2. これが日曜日で私がすぐに電話に出られたこと。
  3. 休日診療の耳鼻科を東京消防庁で調べることができたこと。
  4. その病院が家から40分のところにあったこと。
  5. その病院の診療時間内に駆けつけることができたこと。

 

これらがとても大きかったと思う。

取りうる限りのベストの処置をすることができたと思う。

ま、それでも1/3しか完全には治らないのだが、やるだけやって治らなかったのと、やれなくてやらなくて治らなかったのでは、その後の心のあり方が違う。後悔を抱えて生きることになる。

 

 

息子は治らないが、父を治せたので、良かったとしよう。

父のあんなに嬉しい声は滅多に聞くことはできない(^^)。

 

2019/04/10

明日の教室 5/11 野口芳宏先生 俳句・教師教育

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久しぶりの明日の教室は、千葉から野口芳宏先生にお越しいただきます。野口先生は、現在も年間に100回ぐらいの講演を全国各地で行っていらっしゃいます。そのお忙しいところを縫ってきてくださることになりました。

今回は、三部の構成で行います。

第一部は、俳句の指導です。今、俳句作りはプレバトの人気コーナーとして、子供達にも広く受け入れられています。しかし、実際に授業で俳句を取り上げることになるとこれがなかなか難しい。そこで、俳句の作り方や鑑賞指導の仕方などについて講義をお願いいたしました。

第二部は、第一部を受けつつ、教師教育についてです。教師自身が向上的変容を目指そうとするとき、自分をどのように鍛えていけばいいのでしょうか。特に、若い時代にどうすればいいのでしょうか。正しい方向に適切な努力をすることが、成長には欠かせません。主に若い教師に向けてを、お願いしました。

第三部は、鼎談です。野口先生を囲んで、糸井先生と池田で今日の講座を振り返りながら深めたいと考えています。

なお、学生さんは参加費無料です。懇親会は、椥辻駅、山科駅近辺を考えていますが、参加者数が多い場合には大学の食堂も候補としてあります。

 

参加申し込みはこちらから。

お待ちしております。

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