2017年 「明日の教室」研究会の予定

2017年 「明日の教室」研究会の予定

明日の教室は11年目を迎えます。

                   ◆

明日の教室のHPができました。

https://asunokyousitsu.themedia.jp/

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などは、こちらからリリースされることになります。

2019/03/21

読了 『上手な教え方の教科書 入門インストラクショナルデザイン』

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『上手な教え方の教科書 入門インストラクショナルデザイン』(向後千春 技術評論社)を読み終えた。

3月はインストラクショナルデザイン(ID)を勉強し直そうと思って、三冊の本を読むつもりである。その1冊目に読んだ。

もちろん、今までにも向後先生の『いちばんやさしい教える技術』も『教師のための読んでいたし、『先生のための「教える技術」』も読んでいる。向後先生には「明日の教室」に来て頂いたし、本学のFDの講師でもお招きして勉強してきたが、学問的な背景を表にはあまり出していない本であるがため、そこを求めて本書を読みたいと思った。

結論から言えば、やはり正解であった。

導入の漫画の絵柄は好みが分かれるところではあるが、実に良かった。最後まで読み終わる前から、いい言葉を書き抜いては書いていた。だから、本当は1週間で読み終える予定であったが、これがま全然読み終わらなかった(^^)。

しかし、こういう計画倒れは良いものだと思う。まあ、来年度からの授業に生かすためには、3月中に読み終えておくことが理想だが、特に締め切りのあるものでも無いし、自分のスピードでじっくりと読めたのが良かった。

で、恐れ多くも言ってしまえば、

(ん、俺、薄々感じていたけどIDを習ったわけでも無いけど、IDの授業をしているなあ)

というものである。

特に、「体験作文の書き方」「読みやすい文字の書き方」「ディベート指導の導入のあり方」「学習材づくりの指導」などなど、自分で言うのもなんだけどまさにIDだなあと思った次第である。

私の場合は、これらの指導方法を実践を通して磨いてきた。学習者からフィードバックを得て、授業中に観察して、授業づくりの書籍を読んで、考えてヴァージョンアップしてきた。だから、指導の事実はあるのだが、それが何に裏付けされているのかの知識については、正直断片的なものとなっていて、体系化されていなかった。

しかし、この本を読み終えて体系がわかり、私も説明するための学術用語を手に入れることができた。これは、非常に嬉しかった。

今思っているのは、今まで指導をしてきたものに、この本から得た理論を付け加えながら授業を作ることである。行動心理学、認知心理学、状況的学習論。これらの知見から得られるものを元にして、国語の授業の作り方をもう一度整えて、来年度の授業でやることである。

それをすることで、学生たちが授業を作るときに、

(今教えているのは、これだから、注意するのは、ここだな)

となれるようにしたい。

全ての教えることを生業としている人にオススメである。

「万年筆で手書きの教育漢字、ひらがな、カタカナのルーツ本」完成

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万年筆で手書き文字シリーズ、完成
(漢字の練習、手書きの文字を見て書いた方がいいよなあ。活字ではなくて)
(そういうお手本あるかなあ。無いなあ)
(学生たちの字も綺麗に書けるようにするには、練習用のお手本が欲しいよなあ)
(卒業生も、指導するときに手書きの漢字のテキストがあった方がいいよなあ)
のようなことを思い始めたのが二月の末ぐらいだったと思います。
(無いんなら、作るか)
と思って書き始めて、万年筆シリーズはひとまずの完成を見ました。これで小学校で学ぶ文字は全て網羅したことになります。教育漢字1006字、ひらがな、カタカナ。全て手書きで書きました。充実感はありますねえ。来年度からの学生たちの教材にも使いましょう。
この後、常用漢字、人名漢字も書いてみようと思います。そして、紺紙金泥でも、最低教育漢字はやってみようと思っています。
今年、私が筆を持ってからちょうど50年になります。自分のアニバーサリーを自分でこうして祝っているのは、なかなかいいかもしれない。アドラーのいう「自己満足」です(^^)。
万年筆で手書きの学年別配当漢字
カタカナの元の漢字は何?どの部分?
ひらがなの元の漢字
学年別配当漢字 バラ
1年生
2年生
3年生
4年生
5年生
6年生

2019/03/08

【新刊】 『万年筆で手書きの学年別配当漢字』

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『万年筆で手書きの学年別配当漢字』

小学校学習指導要領、別表 学年別漢字配当表にある小学校一年生から六年生が習う漢字の1006字を、A4の5mmの方眼紙の上に万年筆で書いてみました。

漢字練習をする子供達は、活字の文字を見て練習しています。子供達は手書きなのに、活字の字を見て練習しています。子供達には、漢字の練習は手書きの文字を見ながらさせてあげてほしいなと思って書いているものをまとめてみました。

日本語を第二外国語、第三外国語として勉強している方にもオススメしていただけると嬉しく思います。

100円です。

2019/02/27

自分で勝手に「修行」を始めている

たまたまテレビをつけた時にやっていたのでそこから録画して、残りはYouTubeでみた。「世界! ニッポン行きたい人応援団 スペシャル」

ここでは、あまりにも落語が好きで、落語を勉強したくて日本語を勉強しているジョージアの19歳の女の子と、琴の音色に参ってしまったピアノ調教師の女性の、10日間の日本の滞在についての番組。

日本を好きな外国人を日本に招待するというコンセプトそのものがまず面白い。日本のことを好きな人を招待するわけだから、見ている日本人は気分が悪くなるはずはない。

そして、招待される外国人は、日本の伝統芸能に惚れている。これも日本人の自尊心をくすぐる。悪くない。

で、私が感じ入ったのは、この2人の女性は、別に招待されたくて落語やことをやっていたわけではないということだ。落語、琴そのものにノックアウトされ、誰に言われるのでもなく、自分で勝手に「修行」を始めていることだ。

誰かがいないとできないとか、一緒にやる人が欲しいとかではない。準備が不十分だから始められないでもない。とにかく走り出しているのだ。居ても立っても居られないで、走り始めてしまっているのだ。

そんなものに出会える人は、少ないのかもしれない。しかし、走り出せるのに走り出さない人は実は多いのではないかなと思う。

「はまった時間の合計を、自分が生きた時間とする」
畑正憲さんの言葉だ。それを実感させてくれる番組であった。

2019/02/24

Bohemian Rhapsodyを観た


Img_8422 Bohemian Rhapsodyを見た。


ドイツに行くルフトハンザの機内で、映画を探していた学生たちが叫んでいた
「Bohemian Rhapsodyがある!」

(え、どうしよう。見たいけどどうしよう)
私が思ったのはそういうことだった。

映画館でBohemian Rhapsodyが映画になる。このことはかなり前から知ってはいた。封切りと同時に見に行きたかったが、封切りの前に耳がおかしくなってしまった。この耳の状態で映画なんかとてもではないが行くことができない。

今最悪の状態は出してはいるが、まだ安定していると言うところには来ていないと思う。その状態で見たらどうなってしまうんだろうか。だから見たいけどどうしようと思ったのだ。

それで、結局見てしまった。とても良かった。

行きと帰りで合計2回半ほど見てしまった。通して見たのが2回。見たいところを探しながら見たのが1回であるので、半分とする。

1回見て
(これは、映画館で、観客と一体になって歌いながら見る映画だなぁ)
と思った。

が、飛行機の映画はビデオなので見たいシーンを簡単に探せて何回も見ることができる。だから、歌うことを我慢することができれば、飛行機で見たのはよかったかもしれない。

良かった。
とても良かった。


Queenと言えば私にとってはとても大切なバンドの1つだ。私が最初に見た外タレは、Queenだ。Queenの2回目の来日公演の時、武道館で見た。

ステージ向かって左側の2階席である。目の前でブライアン・メイが、フレディ・マーキュリーが演奏し歌っていた。ロジャー・テイラーも、ジョン・ディーコンも演奏していた。

フレディ・マーキュリーがソロアルバムを出す前あたりまで聞いていたと思う。彼がエイズになったと宣言をした翌日に亡くなったのもよく覚えている。


中学生の時ギターを始めた。最初はガットギターを手にしていた。もちろんエレキギターやフォークギターが欲しかったのだが、なぜか家にはガットギターであった。

歌が好きだった私は、それでもふきのとうの「白い冬」からギターを始めたと思う。Emから始まる曲なのでとてもひきやすかった。そしてあれこれ聞いている事に出会ったのがQueenであった。


最初に聞いたのがBohemian Rhapsodyだった。とにかく衝撃を受けた。ロックなのにコーラスになっている。さらに言えばよくわからんがオペラと言うものにもなっているように聞こえた。

慌ててそのアルバムを探した。「オペラ座の夜」と言うらしい。買いたかったが、お小遣いは無い。いや音楽のほうは誰かからダビングさせてもらおうと思っていたと思う。私は、楽譜が欲しかった。ギターで弾いて歌うために楽譜が欲しかった。

新興ミュージックから出ている、洋楽の楽譜を買った。歌詞はとてもクセのある字で書かれていた。多分、定規を置いて、文字の下の部分を揃えて書いた文字だったと思う。

楽譜は読めないがコードがあったのでそれを見ながら一生懸命弾こうとしていた。いや音楽のほうは誰かからダビングさせてもらおうと思っていたと思う。私は、楽譜が欲しかった。ギターで弾くために楽譜が欲しかったのだ。

しかし、A♭とかある楽譜に、ガットギターで弾く私は諦めた。歌だ、歌にしよう。


Bohemian Rhapsodyの歌詞を自分で翻訳もした。中学校2年生の時である。

Mama just killed a man.
Put a gun against his head
Pulled my trigger, now he’s dead.

辞書を引きながら一生懸命翻訳して出てきたその日本語には衝撃を受けた。
「お母さんは人を殺してしまったよ。銃を彼の頭に向けて引き金を引いたら、彼は死んでしまった。」

こんな訳になってしまって、でも信じられなくて、英語の佐藤先生のところに持っていってこれで合っているのかと確認した。

中学生が習った文法なら、「Mama just killed a man.」とあれば、「ママがちょうど人を殺した」と翻訳してしまうのは当然。だけどなんかおかしい。そしたら、
「池田、ここはMama, I just killed a man.であって、Iが省略されているんだな」と言われて
『え、英語って主語を省略しない言語だって習ったけど、それは違うのですか?』
と問い詰めたら
「まあ、こういうこともあるんだよ」
と言われて、良くわからなくなって、そして、
『Iが入るんなら、「お母さん、今僕は人を殺してしまったよ。銃を彼の頭に向けて引き金を引いたら、彼は死んでしまった」でいいのですか?』
と聞いたら
「うん、これでいい。これで合ってる」
と言われてもう一度衝撃を受けたのを覚えている。

歌詞の途中にガリレオが出てくる。他にいろんな人の名前が出てくる。翻訳しても翻訳しても意味がわからない。なんなんだこの歌は?

だけどとても良い。


一生懸命フレディー・マーキュリーの歌声を真似して、英語で歌うように、歌えるように頑張った。今でも
「あなたの英語はQueen’s Englishなのか?」
と海外旅行で言われることがある。まぁ、最近はオーストラリア人? イタリア人?と言われることも多いのだが、もともとはQueen’s Englishだと言われる。もしそうだとすればこれは明らかにQueenの歌を歌ったおかげだと思う。まさに、「Queen」’s Englishなのだ。

映画の中で、このBohemian Rhapsodyがプロデューサーによって否定される場面がある。「こんな長くて、何を歌ってるかわからない歌を、誰がシングルカットするもんか」のような部分があって、
(なんだイギリス人もわからない歌詞だったんだ)
と映画を見ながら笑ってしまった。


この映画の良さは、既に見た人たちからあちらこちらで報告されている。音楽の良さはいうまでもない。ラストのAidのコピーも素晴らしい。4人に似た役者の素晴らしさ、特にジョン・ディーコンは本物ではないかと思われるようなステージングだったし、やっぱり久米宏に似ていたし、ブライアン・メイの穏やかな人間性をきちんと描いたこと、ロジャー・テイラーが女たらしだったこと(^^)。父と息子の葛藤藤、バイセクシャルの人間の姿、オリジナルを求めるとは何か、人種差別、仲間との生き方、人を信じるとは何か様々なことがここで描かれている。

そして、やはり問題になるのは、AIDSのことだ。
この時代、セクシャルマイノリティやAIDSのことは今ほど理解はなかった。「性的異常者の特別な病気」という考え方に支配されていたと思われる。だから、ゲイだから病気になったんだという考え方で、本人が悪いという考え方が支配していたと思う。

私も、1984年の I want to break freeで彼らが女装をして歌っていた頃は、
(やっぱり、フレディはゲイなんだろうなあ)
と思っていた。
だからなんだということでもないのだが、
(ゲイのフレディはオペラ座の夜をリリースした頃のフレディではなくなってしまったなあ)
という思いを持っていた。少しさみしかった。
私には理解できない世界なんだなあと思って、少しさみしかった。


私は自分が選べるもの、選べないものというテーマで授業をしていた。
国籍、性別、身長、体重、親、髪の毛、明日の天気などなどを示して、どれが自分で選べるものなのかを考えさせる授業だ。

「本人が努力しても治らないことを根拠にして、その人を非難する」。これが私の差別の定義だ。バイセクシャルに生まれたことは、本人の努力で治るとかそういう問題ではない。私は努力することなく、男に生まれ、男という性を当たり前のように受け入れている。そして私は(まあ、次はないけど、次があったら次も男がいいなあ)と思うぐらい、今の性で安定している。

フレディマーキュリーは、バイセクシャルを選んで生まれてきたわけでもないし、なろうとしてAIDSになったわけでもない。彼は持って生まれたものを生かし、努力をし、楽曲を書き、歌っていたのだ。それが差別されるいわれはない。


Keep yourself aliveでステージデビューするシーン。
Seven seas of rhyeをアルバムの一曲として録音しているシーン。
Bohemian Rhapsodyを作り上げている姿。
もうキリがない。

あ、1つだけ、なぜ、Liarが採用されなかったのか。これは不満。多分、この曲も6分あるので、Bohemian Rhapsodyが6分あって困るというセリフとの整合性が取れないから使わなかったのではないかと思われるが(^^)。
あ、さらにもう1つ、Love of my lifeがあのシーンに使われたのも不満(^^)。
あ、’39をロジャーに歌って欲しかったなあ。

しかし、あのAIDにまで導かれるストーリー展開、さらにはAIDのシーンは圧巻の一言だった。

エンディングの、Don’t stop me nowまで素晴らしかった。


行きの飛行機で一回、帰りの飛行機で一回通して見て、帰りの飛行機は着陸のギリギリまで部分的に繰り返し見た私は、昔
(私には理解できない世界なんだなあと思って、少しさみしかった)
という思いを持ったことを思い出していた。そして、やっとわかった。
当たり前のことに気が付いたのだ。

私は、フレディマーキュリーの音楽を、Queenの音楽を愛していたんだ。中学生の頃、Bohemian Rhapsodyを聞いて、なんだか良くわからないけど、いいと思った。それで良かったんだよ。彼らのあれこれはどうでもよくて、その音楽を愛していたんだと。

耳が良くなったら、カラオケでQueenを歌うぞ(^^)。

2019/02/07

電子ブック 『新版教師になるということ』

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おかげさまで、こちらも電子ブックになりました。
旧版と合わせると10刷になっていると思います。
新版だけでも8刷りになりました。
長く読み継いでもらえる本になってくれて、
とても嬉しく思っています。

新しい電子ブックです  「三」の書き方

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Twitterで漢字の書き方のレッスンを少ししているのですが、そこでやったものを簡単にまとめてみました。
この「三」は極めて大事な漢字です。
この「三」が書けるようになると、漢字の横画(横線)の基本はだいたい身に付けることができると思います。初学者には毎日一回は、正しく書いて欲しいと思う漢字です。

ベータ版ですので無料です。
どうぞ、ダウンロードして、昔の遠足の栞のようにして「本」を作って、練習してみてください。

2018/11/17

【模擬授業】  戦争が廊下の奥に立ってゐた

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模擬授業終了。
今日は俳句。
今日もなかなか面白かった。

取り上げた俳句は

咳をしても一人
戦争が廊下の奥に立ってゐた

である。

咳をしても一人は、

咳をして◯一人

と板書して、○に入る言葉は何かを考えさせるものであった。

は、と、も が出て来た。
ま、この辺りは学生が答えているので知った上でのわざとの発言ではあるが。

そして、はともではどう違うのかを考えさせていた。

惜しかったのは、どう違うかの説明を生徒役の学生がしたのを受け止めきれなかったことである。

「は、と、もは、どう違いますか?」
という発問に対して

1)
は:咳をするたびに一人
も:誰も言ってくれない

2)
は:一人のことを再確認してさみしい
も:自分から去って行った人のことを思い出す

3)
どちらも共通しているところがある。でも、もの方が強い

という答えが生徒役の学生からあった。
これを活かし切れていないのだ。

これは、は、と、もの役割をきちんと授業者が理解していないことが原因だろう。どちらも提示をする助詞である。そして、もは複数を提示するものであると言う部分をしっかりと押さえて置けば、うまくまとまったはずである。そこが、出来ていないので、この1)〜3)の発言の共通項を見出せないで、先生の考えを押し付けることになってしまった。

子供の発言を授業中に聞いて、授業に取り入れて行く。
このライブでの作業が授業の醍醐味の一つだ。取り入れて行く為には、授業者の方にこの授業のゴールが見えていなければならない。そこに向かって行くわけだから。だけどそこが曖昧だと厳しい。

いや、もう少し言えば、子供の発言が分からないというのは次の三つがある。

1)子供の発言の内容が理解できない
2)子供の発言の内容は理解できているのだが、授業との関連性が見えない。
3)子供の発言の内容は理解できていて、授業との関連性が見えいるのだが、それをどう授業に組み込んで行くのかが分からない

である。今日の授業は2)であった。
そこについて授業後の指導で指摘した。

また、咳の代わりに「風呂」「めし」「糞」等を入れてみたらどうなるだろうか?というアイディアも検討してみるが良いということも。松尾芭蕉の「 句ととのわずんば舌頭に千轉せよ」を出しながら説明をしてみた。

もう一つの

戦争が廊下の奥に立ってゐた

は、非常に面白かったが、惜しかった。

「これは擬人法ですね。戦争が立ってゐたわけですから」
「では、廊下に出てみましょう」

という指示を生徒にする。生徒が廊下に立つと、同じ授業グールプの学生が、戦争と書かれた紙を持って立っていたのだ。このイメージからどう授業を展開するかが最大の見物だった。

「廊下は人生を現しています」

と断定して授業が始まってしまった。なんでそう言いきれるのかの説明が抜けていた。「廊下は、通り抜けて行かなければならないところですが、その先に戦争が待ってます」と説明していた。本当なのだろうか? 少なくとも私は次の六つを想定した。

1)私が廊下を戦争に向かっていく
2)私は廊下に立ち尽くす
3)私は廊下を戦争と反対方向に向かう

4)戦争が私を呼んでいる
5)戦争が渡し向かって微笑んでいる
6)戦争が私に向かって迫ってくる

である。
授業者はこの中の1)だけを想定して進めてしまっていた。
実際、戦争の書かれた紙を持っていた学生は、その紙を横にちょっと傾けてニコッと笑っていたのだ。
(を、5)のイメージでやっているのか?)
と私は時はその演出に驚いたのだが、あとで確認したら単なる癖であった。

『このように6つ位はイメージできる。そして、5)の解釈にリードしようとする無意識の行動もあった。これは生徒を無意識に混乱させる可能性のある授業展開であったろう。押しつけのつもりはないはずだが、押しつけになってしまっていた可能性が高い。』

と説明。

俳句の授業は言葉が少ないだけに、作品を丸ごと味わえて、かつ一つ一つの言葉をじっくりと吟味できる。国語の教師を育てるには非常にいい教材だなあと今回も思った。

この授業は、宗我部さん、渡邊さんにFacebookを通じてアドバイスを頂きながら作りました。ありがとうございました。こう言うとき、Facebookは本当に頼りになります。


2014/11/17の記事から

2018/11/06

『だめだこりゃ』(いかりや長介著 新潮文庫)

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『だめだこりゃ』(いかりや長介著 新潮文庫)を読み終えた。

今頃?と言われるかもしれないが、今頃だ。買っておいたまま積ん読になり、埋蔵され、発掘されたので読むことにした。

この本は、いかりやさんの自伝だ。

いかりや長介さんといえば、言わずと知れた「ザ・ドリフターズ」のリーダーである。「ザ・ドリフターズ」は、バンドである。いかりやさんはベーシストである。

https://www.youtube.com/watch?v=6uRfYrYJAW4

クレイジーキャッツの後釜として育てられたといかりやさんは書かれている。そして、自分たちは技術も才能もほとんどないとまで書いている。その「ザ・ドリフターズ」が、どのようにして、怪物番組「8時だよ全員集合」を引き受け、育てていったのかが書かれている。その前後が書かれている。

「8時だよ全員集合」で育った私には、とても興味深い本であった。

【余談】私が小学生の頃は、毎週土曜日「8時だよ全員集合」を見続けていた。土曜日だけは、これを見るために9時まで起きていてよかったのだ。いつもは8時には寝ていた。

そして

(世の中には、かわいそうな子供がたくさんいるんだなあ)

と思っていた。「8時だよ全員集合」は公会堂などでの生放送である。その会場にはたくさんの子供達がいる。しかし、私の感覚では夜の8時に子供達が出歩いているというのは考えられなかった。そこで私が思いついた理路は、

(ああ、この子たちは、親がいないので、かわいそうなのでドリフに呼ばれて、お客さんとして生で見ているんだなあ)

というものであった。小学校の高学年までこう思っていた。

プロ野球やコント55号をなぎ倒した「8時だよ全員集合」は、「オレたちひょうきん族」に負け、いかりやさんはドリフターズとしては表舞台からさっていく。カトちゃんケンちゃんの時代になっていき、いかりやさんは、俳優としてもう一花を咲かせていくことになる。

一貫して書かれているのは、その場でどうしたら一番いいのかということを考えて実行しているいかりやさんの姿だ。

自分たちに才能がないのは、自分たちが一番よくわかる。

そしてそれなのに、表舞台に出てきている。ビートルズの前座をやるときの作戦の立て方、テレビに生放送で出演するときの作戦の立て方、俳優として生きていくときの学び方などなど。今ある我と我ら(ザ・ドリフターズ)を、どうやって活かしていくのかということに懸命になっている姿が浮かび上がってくる。

「才能とは、努力した後に生まれるものに対して名付けられたものだ」と中野孝次さんも言われている。「なまじ才能があると、そこに埋もれて努力もせずに終わってしまう人が多い」ということも言われている。

いかりやさんの文章を読んでいると、中野孝次さんの言っているのはいかりやさんのことではないかと思えてしまう。

このところ、人工知能やEdTechのことを勉強したり考えたりしている。だから、人間とはなんなのかを一方で勉強している。人間とは何なのかが私の中で定まらないまあ、人工知能、EdTech、教育のことを考えても、柱がぶれるような気がしているのだ。

そんな時に読めたこの一冊は、とてもエキサイティングな本であった。

2018/10/27

『7で一つの束になっているものは、何かあるかなあ?』  掛け算の指導

算数わからない族の池田が語ります。

先日の教育実習訪問指導を見ていて、わからないことがありました。
小学校2年生の掛け算の九九の覚え方についてです。
それまでに五の段から初めて、二、三、四、六の段を教えた後の話です。

学生さんは、教科書にある通りに、7個のクッキーが一つの束になっているものを黒板に貼って、その束がいくつあるのかと言うことで、7の段の説明をしていました。子供達は、素直に7つずつ増えることをノートにまとめて、7の段の理解をしていました。

私にはわかりません。
なんで、クッキーが7である必要性があるのかが、全くわかりません。
ところが、教科書を見ると、クッキーで教えた後に、カレンダーがあって1週間は7であると言うことを考えさせています。

(え、逆じゃん)

と思うわけです。

もし私が授業をするなら

『7で一つの束になっているものは、何かあるかなあ?』

と発問するでしょう。
いや、五の段、二の段からそうするでしょう。
いつでもどこでも必ず五の束になっているものを示します。そして、それがいくつあるのかを考えさせます。例えば、五円玉。五円玉が、3個あったら、いくらになりますか?とする。五円玉は分解できないから、五円が3つある。つまり5×3は15ということを考えさせると思うのです。

それをやってから
『では、2で束になるものは何かあるかなあ?』
と聞いて子供達に出させます。ま、さくらんぼとか出るかなあ。
『次は、3の束で考えるから何がある考えてきてね』
と宿題。

私は信号機のランプで考えました。娘に聞いたらクローバーと答えていました。なるほど、クローバーは基本的に3枚の葉っぱ。幸せの四葉はイレギュラーですから。

この辺りを事後指導で学生と一緒に考えました。

『6は何かある?』
と聞くと、
「6人乗りの車」
と答える。
これは、危険。
なぜなら、2人乗りの車も、6人乗りの車もあるから。
その数でなければならない、数の束を提示しなければならない。

また、子供達に考えさせる時も、その数の束でなければならないものを出した場合のみそれを認めて、他は、「違う」と切り離す授業展開ができないとダメになると思うのだ。

子供の生活の中にある、「1あたりの数」を子供自身が発見して、掛け算の概念を考えること。そういう授業が大事であって、子供の生活にとって必然性のない「クッキーが7つ」なんてやっても、混乱させるばかりだと、私は考えるのです。

そんなことを事後指導で語っていました。

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