本日、楢原中学校で離任式であった。
一ヶ月ぶりの楢原中学校は、暑かった。体育館に熱気が籠もっていて、
(ああ、八王子の暑さだ)
と思った。
久しぶりに会う子どもたちは、私の顔に髭がないのに気がつく生徒もいれば、全く分からない生徒もいて、まあ、そんなもんなんだろうなあと思う。だが、髭がない方が良いという生徒は一人もいなかったなあ。
「先生、なんで髭剃ったの?」
『え? 髭? ああ、髭剃りで剃ったよ』
「そうじゃない! 理由!」
『理由か、なんでかねえ。人生には色々とあってね』
「新しい校長先生に剃れって言われたの?」
『いや、髭が似合っているからそのままが良いって言われたよ』
「じゅあ、なんで? 奥さんと別れたの?」
『違うって。だから、人生は奥深いんだよ』
なんだか子供たちは分からなかったと思うが、まあ、色々とあるわけである。
◆
体育館のステージから子どもたちの様子を眺める。心配していた三年生も、落ち着いているという話通り、去年とは比べ者にならないくらいにきちんとしている。良かった。そうだ、最上級生なんだから、楢原中学校の顔なんだから、がんばれよ。
体育館の後ろの壁には、卒業式の時に掲示した全紙サイズの書道作品がまだ掲げられていた。それを見たら
(ああ、俺はここで仕事をしていたんだなあ)
という思いが、今更ながらわき上がってきた。
転勤職員の挨拶は、私が一番手であった。忙しくしていたので、スピーチを考える時間が取れず、今日楢原に向かう電車の中で考えたことを話した。
◆
進路の話を最後にしようと思う。
進路は、努力を重ねた者にしか手に入らない。努力をしたって手に入らないことは普通である。だから、努力をすることは自分の進路を手に入れようとする者は、必ずしなければならない。
しかし、世の中に自分の思うとおりの学校に進学し、自分の思うとおりの仕事に就き、理想のパートナーと結婚し、住みたい街で住みたい家に住んでいる人はいないだろう。仕事一つをとっても自分の希望通りの仕事をしている人はあまりいないと思う。
だけど、その人が幸せでないかというと、結構幸せな人もいる。それはなぜかというと、好きな仕事には就かなかったけど、就いた仕事を好きになったと言うことだと思う。
実を言うと七年前楢原中学校に来たとき、私はがっかりしていました。勤務地を八王子に希望していなかったのに、なってしまったからです。だけど、まあ、仕事だし始めたわけです。
で、あるとき掲示物を張り直すことを生徒に頼んでいるときに、生徒に言われたんです。
「先生、なんで俺ばっかり頼むの?」
確かに他に生徒はいるのに、私はその生徒にだけ頼んでいました。
なんでだろうと考えたら答えが分かりました。
『分かった。それは、君に頼めばきっちりやってくれると思っているからだよ』
「また〜」
と良いながら彼はしっかりと直してくれました。
(ああ、そうか)
と思ったんです。
私は「やりたいことをやるのが人生だ」と思っていました。しかし、このときから「お願いされたことをやるのも人生」と思うようになったんだね。
それで、自分ができることで仲間のためになると思われることをやるようにしたんだ。幸い少しだけパソコンの知識があったので、職員室のパソコンやパソコン室のパソコン、HPなんかをやるようにしていったんだね。
楢原中学校の先生は仲がいいでしょ。みんなそうやって自分のできることを仲間の先生のためにやっているんだよ。そして、うまくいかないときは支え合って来たんだよ。
もちろん、予定通りにいかないことには、良いこともありました。まさか、大学院に通えるとは思わなかったですから。これも君たちと授業ができたこと、そして職員室の仲間がいてくれたからだと感謝しています。
新しい学校、新しいクラスになって(あーあ)って思っている人もいるかもしれません。そんなときはね、自分ができることで、そう小さな事でいいから、自分のためではなくて仲間のために続けていると、良いことがあると思いますよ。
ありがとう、楢原中学校。
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そんな話をしました。
式が終わってから、廊下で何人かの生徒や卒業生と話したのですが、
「先生、あのゲームの国語、イメージの花火とか、ことわざとかを次の学校でもやってあげてね」
と言われた。
嬉しかった。やってきたことは生徒には良かったということが分かったので。
さらば、楢原中学校。ありがとう、楢原中学校。