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2005/05/16

池田先生から借りた教科書を、家で探す

『ないないないない・・・』
職員室で私はつぶやいていた。何がないかというと、教科書がないのだ。自慢じゃないが無くしものをするのは得意である。なもので、授業前に必死になって捜していた。そして気がついた。
『あ、教科書を忘れた○○君に貸したんだ』
と。○○君が返してくれるのを忘れていたのだから、私の手元にあるわけがない。

『おい、私の教科書はどうした?』
昼休みに○○君に呼びかけて聞いてみた。
「あ、先生、大丈夫です。ここに書いてあります」
『ん?』

見てみると、左腕の甲になにやらボールペンで書いてある。

【池田先生から借りた教科書を、家で探す】

私はこの文字を読んで二重に悲しかった。

                  ◆

『おい、ちょっと変じゃあないか?』
「なんでですか?」
『私は君に教科書を貸したよな』
「はい」
『でもって、返ってきていない』
「はい」
『ということは、君はまだ私の教科書を持っていると言うことだよな?』
「はい。家にあります」
『だろ? だけど、それなら「家で探す」ってのは、変ではないか?』
「?」
『探すってのは、無くしてしまったと言うことかい?』
「!」
『こういう場合、持ってくるとか、鞄にしまっておくとかじゃないの?』
「はははは・・・」

                  ◆

はははは・・・と笑われても困るのだが、実は彼はもう一つ私が悲しい思いをしているのに気がついていない。それは、「探す」と「捜す」の違いである。私は、「池田先生から借りた教科書を、家で捜す」と書いてあるのであれば、まだちょっと嬉しかったかもしれない。「探す」と「捜す」とは違うのである。

犯人をサガス。
宝物をサガス。

どちらがどちらだか分かるかい? 意味が違うのだよ。
「探す」というのは、あるかないか分からないものをサガスのである。だから、宝物を探すであり、探検なわけだ。一方「捜す」は、あることは分かっているのだが、どこにあるのか、どこにいるのかが分からないものをサガス場合に使う。だから、犯人を捜す、捜査なのである。

ということなので、「池田先生から借りた教科書を、家で探す」というのは、二重に悲しいわけである。言葉はかくも繊細なのである。

とまれ、まさか、無くしていないよなあ。○○君。

(教科通信 志学 NO.4 より)

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コメント

自己レスです。
この通信を配った後、○○君から意見がありました。

「先生、これ違っています。【池田先生から借りた教科書を探す】です。『家で』なんてありません」とまだ手の甲に残っている証拠を見せながら語ってくれました。

(だからなんなんだよ)

とは思いながらも、本人の申し出がありましたので、なおしておきます。さらに、教科書は無事に発見され、手元に戻りました(^^)。

毎度の事ながら、池田さんの文章は、新聞のコラムに載っていてもし魏でないくらい一級品の文章ですね。
こういう文章を読むことができて、トクした気分です。
教科書が無事見つかり、おめでとうございます。
なくすと、それなりに面倒な手続きが必要ですものね(笑)。

自己訂正です。
新聞のコラムに載っていてもし魏でないくらい一級品の文章ですね。

新聞のコラムに載っていても不思議でないくらい一級品の文章ですね。

あべたかさん、池田です。
お褒めの言葉、ありがとうございます。
文章を沢山読んでいるあべたかさんに誉められるのは嬉しいなあ(^^)。

私は国語の教師でありながら、ほとんど小説は読んできませんでした。エッセイ、随筆、詩歌ばかりを楽しんできましたので、アウトローなのです。

が、この年になって私の中にため込んできた名エッセイが、少しずつ私の文章の形を支えてくれるようになってきたのかなという感じもしています。

今年は学級通信がなく、文章を書かないで暮らすのかと思っていましたが、体験を書き続ける生活を20年もしていると、書くことが生活の一部になっているようで、こうしてブログに書いてバランスを取っているようなものです。

ま、ぼちぼち書いていきますのでご贔屓に。

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