和綴じ本づくり
生徒には、和綴じ本の作り方を教えている。春学期に配ったプリントや課題として出した作文などを、ここに全て閉じることを夏休みの宿題の一つにするからである。
表紙の作り方、中のプリントの仮綴じの仕方、表紙と中の綴じ方などを一時間で教えるのだが、参ったことに子どもたちの理解が遅い。
「こういう形を作ってね」
と見本を見せるのだが、その見本通りに作れない。それは難しい図形を要求しているのではないが、できない。
なんというか折り紙したことないの? 暇な時間に広告を切って工作をして遊んだこと内の?と突っ込みたくなる感じである。10年前の私と今の私を比べれば、明らかに今の私の方が説明は上手くなっているはずだが、その説明が上手くなった私が説明しても、できないのだから吃驚してしまう。
いいのだろうか。
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杉並区では中学生の主張コンクールに作文を投稿している。
その指導も始まっている。本格的な作文の指導はまだできていないが、今回はタイトルだけ指導することにした。
過去の優秀賞に選ばれた作文のタイトルを黒板に書き、どのタイトルがどのように素晴らしいのかを説明した。なんといってもタイトルで作品への興味がまったく違ってしまうから、ここは大事なのだと丁寧に説明した。
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作文のアイディアだしの時に、ホゲーッと考えている生徒がいたので説明した。
「アイディアは、ホゲーッと考えていても出てこないぞ。とにかく書くことだ。鉛筆を回していても駄目。ノートに心に思いつく言葉をとにかく文字にして書くことが大事だ。文字が、君の考えを引っ張ってくる。もし、何も思いつくことがなかったら、聞こえてくる音、目に見えるものでも良い。とにかく紙に書き続けること。そうすると、文字がリンクして頭から何かを引っ張ってくる。書くは考えるだ」
私もそうしている。何もしないよりも数倍良い。
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