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2005/09/30

わくわく授業の再放送があります

急なんですが、再放送が決定したとの連絡がNHKからありました。実際は4回目の放送ですが。
ディベートの方です。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「わくわく授業〜わたしの教え方〜」のお知らせです。
10月2日(日)の放送は、
「ディベートで伸ばそう“話す力”“聞く力”〜池田修先生の国語〜」です。
平成16年7月29日の再放送です。
中学2年生の国語です。

本放送:10月2日(日)午前7:40〜8:05NHK教育テレビ
再放送:10月9日(日)午前0:40〜1:05NHK教育テレビ

引用終了 ーーーーーーーーーー

ということです。
良かったらご覧下さい。
そして、ご感想をこのコメントに下さいね。

刺激的な一日

一昨日は刺激的な一日であった。

「よのなか」科のゲストは、女装家の三橋順子さん。女性でなく、ニューハーフでもなく、女装家である。その「彼女」を中心として、差異と差お別の話をマイノリティーとメジャーの話の中に織り込んでいくものであった。

子どもたちは、この「女装家」というタームに敏感になれないようであったので、
『あなた、あなたです。あなたは、女装していますか?』
とセーラー服を着ている女子に聞いてみた。

女装という言葉は、女性が服装で女ぽくしているときには言わない。男性がしているときにに言われる言葉だ。具体のインパクトが冷静な判断力を失って、思っても見たこと無い思考を導く。子どもたちは、考え込む。

その考え込んだ子どもたちを残しつつ、マイノリティーが先入観をモトにした差別につながることの恐ろしさや、マイノリティーが生きていくことの辛さと優位さの話などがあった。

                  ◆

私は、先入観が悪いとは思っていない。先入観とは学習の成果であることも多いからである。問題は、その先入観にとらわれることだと思っている。もし、今自分が思っているお琴に対して違和感を抱くのであれば、

「これでいいんですよね?」
と聞けばいいし、事実が違った場合は
「そうか、事実は違うんだ」
と受け入れれば良いだけのことである。

用事があった校長室に三橋さんがまだいらっしゃったのでこの点を確認したらその通りであった。良かった。

                  ◆

この授業を参観して貰っていたのが、藤川大祐さんである。本日は校内研修会の日でもある。その講師をお願いしてあるのだ。藤川さんは私が紹介するまでもなくすごい人である。一言で言えば、「日本で一番多くの教育現場に出向いている若手授業研究者」ということであろう。授業づくりが研究領域で、教科は問わない。そんな彼に今年の和田中学校の校内研究の講師をお願いしたのである。そして「よのなか」科の授業を見て貰ったのである。

このコメントがまた良い。刺激的である。「よのなか」科の授業の構成が具体と抽象のバランスが良いことを指摘した上で、そこで扱われている事例には偏りがあるのではないかと指摘していた。今後のワークシート作成に参考になる。

                  ◆

その後、わたしは事務作業に突入。午後の研修の資料の印刷や、杉並区の図書館が主催する調べ学習コンテストの出品準備の名簿と名票づくりである。パワーポイントで貰った資料が、マックで開くとずれてしまうのでもう一度ウインドウズで開いて、なんてことをやていたらお昼になってしまった。

お昼は、なんと残られていた三橋さんと藤川さんと、ATのTさんの四人で食べることになった。ここでの話しも面白かった。いろいろと話が飛び交うのだが、藤川さんの研究領域である「歌謡曲の教育学」の話になったときに、三橋さんが「面白いわ」と歌詞に歌われる人称代名詞の変遷の下りに感心していた。

そこに和田中学校のテニス部のコーチであり、ミュージシャン深田さんが登場。5時間目の選択音楽の授業の講師をされている。先ほどの音楽つながりで藤川さんを紹介。そして、録音技術の変遷やなんやらの話で盛り上がる。藤川さんはそのまま5時間目の選択音楽の授業に参加してしまった。

私は研修の最後の準備をしつつ、同時進行で本日行われている東京ガスによる理科の出前授業の写真取りもした。そして、今日杉並区の教育研究所に出勤してきている、この研究の協力者である山口さんに電話して研修会に参加して貰うことをお願いする。

                  ◆

さあ、研修会である。夏学期末の事務処理の時間を割いて行う研修会であるので、時間は研修会にとっても事務にとっても大切である。

私にとっては、あっという間の一時間であった。現状の子供たちが置かれている実体を説明し、総合的な学習の時間をキャリア教育の時間と定義し直し、これを身につけるための方略と実践例を提示してお話をしてくれた。今書いている吾著書の中に収録される新たな提案も、示してくれた。面白かったなあ。

藤川さんは、18:00から千葉大学で会議があると言うことなので、研修会終了後休む間もなくお帰りになる。ありがとうございました。

                  ◆

その後、私は杉並区の図書館に調べ学習コンテストの、生徒作品を提出に向かう。何点かは入賞してくれよ。

で、研修後のクールダウンを一人でやろうかと思ったのだが、山口さんも久しぶりに飲みたいという気持ちになっているというので、高円寺に向かう。焼き鳥を食べながら今日の研修会を振り返り、近況を語りあい、論文の構想をつっつきあったりと、非常に楽しい時間を過ごした。

あまりにも楽しくて、例によって寝過ごしてしまい、気が付いたら北野の駅であった。上りの電車がギリギリあったので、良かったあ。

刺激的な一日であった。

本日修学旅行 その2

今日はこれから修学旅行その2に出かけます。
7時10分に学校に集合して、新潟県の魚沼までバスで向かいます。
春に植えた稲を刈り取るためです。

バスの中では読書となりますねえ。
行ってきます。

2005/09/27

それを言うなら

職員室前の廊下で。

「ねえ、先生。あたし大変なんだから」
いつも大変なJが話しかけてくる。
『ほうほう、何が大変なのかね』
「あのね、私の目を見て」
『ん? いつもどおり変な顔だが』
「そうじゃないの。目が痛かったので目医者に行ってきたの。そしたら、目薬を差されたの」
『ほう』
「それでね、右目の○○が開きっぱなしになっているでしょ」
『はあ?』
「だから、右目の○○が開きっぱなしになっているでしょ」
『おい、嫁入り前の娘がそんなことを大きな声で話すんではないぞ』
「え? だって右目の○○が開きっぱなしになっているんだよ」


『なあ、J。それを言うなら瞳孔だろ。膀胱なんていうなよf(^^;。』
実話だからすごい。

息を抜かずにリラックスする技術

一枚目の模書が終わったところである。

さて諸君、こんなに時間を掛けて書くとは思ってもいなかったろう。いまはこんなにも紙が氾濫(はんらん・ひろがり、はびこること)している世の中だが、1000年前、中国の後漢の時代に発明されたときには、言うまでもなくとても貴重なものであった。その貴重な紙に自分の思いや考えを書き表したわけである。丁寧に書くのが当然であった。

授業では、私が筆を持って書いている様子も見て貰ったが、筆を持って30年になる私であってもあのぐらいのスピードである。あの小文字なら、一文字30秒掛けて書く程度だと思っていれば、まあ良いだろう。

                  ◆

お習字の学習では、


 1)「姿勢」「筆の持ち方」「呼吸」の三つが安定した上で、「字の形」「筆の運び方」を理解して 書きます。
 2)その上で、「ゆっくりと、多くの枚数」を書くことで「字の形」「筆の運び方」を自分の身体に 染みこませていきます。


四月の段階で「学習」とは何かを説明したが、まさに1)が「学」で、2)が「習」だということが分かるだろう。しかし授業では、残念ながら時間が限られているので、1)はできても、2)を十分に行うことが難しい。
そこで、2)の部分を宿題にするわけだ。もちろん、上手くなりたい人は申し出てくれば、余分に半紙を上げるぞ。字を書く技術を身につけてください。

                  ◆

話はちょっと変わるが、私は一昨年修士論文を書いているときに、こんなことをしていた。午前中、午後、夜と一日最低9時間はワープロに向かうのだが、息抜きもしないと体がもたないわけだ。なにせ、この生活を2ヶ月半続けていたので。

ところがここが難しい。休憩で息を抜いてしまうと、再び息を入れるのに時間が掛かる。そこで、息を抜かずにリラックスする方法が求められたのだ。

私がやった三つの方法の内、二つは諸君に紹介できる。一つ目は、違う文章をワープロで書くという方法だ。頭の中が切り替わる。

もう一つは、このお習字だ。模書は集中しなければ行うことはできない。しかし、呼吸を整えて行うため、思った以上にリラックスできるものでもある。

美しい字に自分の身体を預けて模書することで、集中しながらリラックスすることができ、字もうまくなる。              

                  ◆

三年生は、これからの残り少ない受験勉強の時間を有効に活用する必要がある。ちょっと勉強して、
「あー、疲れた。休憩、休憩」
とこれを繰り返していては、休憩ばかりが積み重なってしまう。仮に、勉強の時間が積み重なっていても、本当に息を抜いてしまうと、次に集中することが難しいということを理解してほしい。

お習字で、集中したリラックスと、字を上手くするという一石二鳥というのも良いものだよ。

                  ◆

それから、今年の「書評座談会」に興味のある生徒は、I先生か私の所に申し出てるように。

課題図書が届いているぞ。

(教科通信「志学」 NO. 18 より)

2005/09/26

動き出した

先ほど、嬉しい電話があった。
これで少し本格的に動き出した。
何のことかは、まだ言えない。
でも、動き出したんだなあ。
よーし。

今の気持ちを軽くメモしておく。

三つのゴロウ

歌謡曲を意識し始めた頃に聞いていたのが野口五郎に沢田研二あたりだったなあ。「私鉄沿線」に「時の過ぎゆくままに」。低音が歌えなかったのだから、まだ声変わりの前でしたね。

グラビア雑誌で言えば、「GORO」がインパクトがあったな。毎回表紙に出てくる女の子達はかわいかったな。

で、私にとってさらにインパクトのあったものは、『万歳ハイウエイ』である。コミックモーニングに連載されていた漫画だが、80年代の良いムードが漂ってくる私の大好きな作品であった。この漫画の主人公がゴローさん。モトショップの脳天気な店長さんである。

ここで描かれるバイクの世界がとっても好きだった。私が当時乗っていたYAMAHA「SRX-4」というバイクも登場してきたが、この巻はモチーフとしてビートルズの「Let it be」が使われていて感動しっまくっていました。

その『万歳ハイウエイ』に出てくる店は「Motoshop 五郎」というのだが、実はこの漫画から実際に「Motoshop 五郎」という店ができたのである。そして、その店が私の通勤経路にあるのだ。縁のある土地なんだろうなあ。バスの窓越しに一枚パシリである。

goro


毎朝シャッターに書かれているこの「Motoshop 五郎」の文字を見ると、「SRX-4」にまたがって第三京浜を訳も分からずに嬉しそうに走っていたあのころの私を思いだして、ちょっと元気が出るのだ。

もう一度バイクに乗りたいなあ。

2005/09/25

「子どものために」というフレーズ

23日の学校公開日のあと、ちょっと飲むことがあり帰宅が遅くなったのだが、駅で電車を降りると昔の教え子とばったり。そりゃあ、飲みに行くでしょう。久しぶりにカラオケなんかもしてしまって、飲み過ぎたかなあ。

                   ◆

最近つくづく思うのは、「子どものために」というフレーズの難しさだ。
学校にはいろいろな立場で子どもを見る人がいる。ざっと見ても教師、事務、用務、ボランティア、PTA、保護者、地域といる。教師だって、担任、副担任、教科担任、管理職、養護教諭といる。子どものためと思っていることが、それぞれで違っていることもあるはずだ。

で、私が子どものころであったら、大人の「子どものため」なんて言葉には、嫌気が差していただろうとも思う。なんとなく感じる「子どものため」には、うれしさを感じたが正面からそれを言われると、(なんだかなー)と思って引いてしまっていた。今の子どもにも居るんじゃないかと思う。

とくに今、「子どものため」にというフレーズが強く聞こえるようになっていると思うのだが、そうであればあるほど、子どもは引くんじゃないかなあと思う。「子どものため」と言いながら、自分の自己実現ため、私を見て症候群の人の活動の場としての利用、その他にも自分の利益を得るために子どもを利用している人たちを、私が子どもの頃にも見てきたからなあ。

「子どもに勉強しろ、というのではなく、子どもに勉強する姿を見せる」これが、最大の指導方法である何て言い方もある。そうだとすれば、子どものために何かをする、というのではなく自分を高めるためとか、世界を良くするために自分の仕事をするの方が良いのかもしれない。

                   ◆

へそ曲がりの私は、「子どものために」というフレーズを聞く度に、軽く半歩下がって進もうと思ってしまいます。

2005/09/24

いいから、とにかく流せ

9月14日の杉並区の集中豪雨の後日談が伝わってきている。
生徒の住んでいる家には大きな被害が出たという話は伝わっていないが、知り合いの先生二人は床上浸水という話を聞いた。

一人の先生は、去年まで和田中学校にいらっしゃった先生で、杉並区の緊急災害時の対応の悪さを朝日新聞の読者投稿欄に投書していた。確かにそのための行政であるからなあ。

                  ◆

私がすごいと思ったのは、神田川の水をためる地下遊水池の話である。
この遊水池は、環状七号線の地下に作られており、1時間に50mmの豪雨に対応して
急に増えた神田川の水位を下げるために作られている。

ではあるが、これがまだ建設の途中で完成しては居ないところに9月14日の豪雨となったのである。

この日の雨量は、一時間に100mmを越えるものであった。
遊水池の想定している水量の倍の水が神田川になだれ込んだわけである。

で、この問題を解決するための遊水池であるが、実はまだ完成していなかった。
工事の途中であった。が、この雨に際して責任者はこう言ったという。

「いいから、とにかく流せ」

と。

                  ◆

別に「プロジェクトX」ではないのだが、この状況でこの判断はすごいと思う。
作っている最中の遊水池には、さすがに人は居ないであろうが、工作機器や乾ききっていないコンクリートやらが転がっていたはずである。

これらがあることを分かりながら、現状の厳しさを判断し、プランとして工事中の湧水路に水を導いた判断は、最近の行政の判断として素晴らしいものだと思う。間違えていたら責任あるポストの位置を追われることになるであろう。

行政的に何もしないことが、訴訟対象になる時代ではあるが、こういう判断を出せる責任者がいたことを、私はすごいと思う。

もし、この判断がなかったら床上浸水は、もっとすごいことになっていたことであろう。

そんな行政的な判断は支度はないが、せざるを得なくなったときにできるような私でありたいとも思う。

2005/09/22

さあ、お習字をやりますぞ

mosho
書写の授業に入りました。二年生は漢字、三年生は漢字と平仮名をやる予定です。漢字のお手本は「蘇孝慈墓誌銘」(そこうじぼしめい)という中国の古典中の古典で、西暦603年の作品です。中学校の書写のお手本を書くような先生であれば、必ず学んでいる古典の作品です。

文字には、五つの基本の形があります。君たち流に言うと「フォント」というのが分かりやすいかもしれません。それは、楷書、行書、草書、篆書、隷書というものです。この「蘇孝慈墓誌銘」は、楷書というフォントができあがった時期にできあがった作品で、楷書を学ぶにはこれから始めるのが良いと思います。そういうわけで、このお手本の文字を学びます。

ちなみに、三年生の平仮名は西暦1120年頃成立した「関戸本 和漢朗詠集」(せきとぼん わかんろうえいしゅう)という本からの文字で、これまた書道の先生で学んだことのない人はいないという、本物の文字を学びます。

                  ◆

日本に限らず、アジア圏では字がうまい人は、「頭がいい人」「性格がいい人」と思われる傾向があります。字がうまい人は、うまくなるために一生懸命練習したのは事実で、本当に頭がいいかどうか分かりませんが、そう思ってくれるのですから、うまくなるに越した事はありません。

20年前はワープロが使える人が少なかったので、ワープロができると重宝(ちょうほう・大切にすること)されましたが、今は逆で筆が使える人が重宝されます。数の少ないところに価値が集まるのです。

さあ、しっかりとうまくなりましょう。

                  ◆

授業では、書道・書写を学ぶための三つの基本について、まず説明をしました。

君たちが社会に出てから使う筆は、小筆が中心になります。これで名前と住所が書ければ、結婚式、葬式、年賀状はばっちりです。小筆は、毛の全体を柔らかくしてしまうと書きにくくなります。筆先から2/3までを解(ほぐ)しましょう。

構え

小筆の持ち方は、1)親指の腹で筆の中心を押さえる。2)人差し指の第二関節にあてる。3)中指を下から添える。の三つのパートからなります。さらに、手首を反らして筆をまっすぐに立てること、手のひらの中にウズラの卵が入っている感覚で柔らかく持つことが大事です。
左手は、半紙の左下を軽く押さえるか、右手を載せる台にします。
書くときに姿勢は、両足をしっかりと床に着け、身体と机の間を握り拳一つ分あけ、背筋を伸ばします。こうすることで、書いている文字だけでなく、半紙にある文字全体に目を配ることができるようになります。

呼吸

スピーチの時の逆になります。スピーチの時は、「息を吐いて、吸って、止めて」話すと教えました。書写の時は、「吸って、吐いて、止めて」書きます。
字を書くときは、大きな力を必要としません。身体の余分な力を抜くために、「吸って、吐いて、止めて」書きます。

この三つが書道の基本です。

                  ◆

実際の練習では、お手本を写して書く「模書」(もしょ)という方法で学びます。日本ではあまり好まれていない方法ですが、中国では今も丁寧に扱われている練習方法です。

古人の美しい筆跡を、「ゆっくり」「丁寧(ていねい)に」なぞりながら、自分の身体にその筆跡を移し込んでいきましょう。

美しい文字が書けるようになりますように。

(教科通信「志学」 NO. 17 より)

2005/09/21

いやあ、難しい話ですねえ

本日の「よのなか」科は、人の身体をいじくるのはどこまで許せるのかというテーマで行われました。ピアスの是非、入れ墨の是非、人工中絶の是非、性転換の是非などを、簡単なディベート形式で考えていきました。

生徒の議論が終わってから、ゲストの養老孟司先生が10分間で今日のテーマを脳と絡めながらお話ししてくださいました。yourou


いやあ、実に面白いです。さすが養老先生。養老節といってもいいのかなあ。
スピーチのはじめは、
「いやあ、難しい話ですねえ」
と始まる。

東大医学部の脳科学の先生に、難しいと言われてしまってはこちらも唸るしかありません。
先生の話は、身体に加工を加えることはまあどうでもいいのだが、問題は受け取る側の問題であると言う話。

解剖学教室にある単眼児や双頭児の標本を何事もなく見ることができるようになるまでに、先生も10年掛かった。まあ、そういう人間を増やすのが良いのかどうなのかは分からないけど、見る側の問題であることは事実だと。

その双頭児の標本から話は進むのだが、

「双頭児の片方の子どもは普通の顔なのだが、もう片方は単眼児だという。そして、この双子の遺伝子は同じである。つまり、君たちもそうやって生まれてくる可能性があったんだな。ただ、日本の社会は出産や死ぬということ、周りと違うものを隠すという文化があるので、表に出てこないだけなんだな。君たちは、それを受け止められるかな。こういう話になるんだったら持ってくれば良かったなあ」

なんて話になる。

話は、睡眠とは何かを量子力学の話に展開しながら説明したり、そのつながりで
「だから覚醒剤は使っては行けないんだ」
とさらに展開していく。

でも私のこの説明では、このblogを読んでいる人には分からないだろうなあ。そのスリリングな展開は私の文章力では書けないので、許してくださいな。

やっぱり養老先生はすごかった。

2005/09/20

答え方を学ぼう

本日、期末考査の答案を採点し終えた。

採点の結果、君たちのテストの受け方で不十分だと思われる点が見つかったので、忘れない内に知らせておく。次回からは間違いの無いようにして貰いたい。

1) (   )は使わない

解答を書くときに、(   )を使って答える人がいる。例えば、説明する問題で、「どこに行くときですか?」という問があった場合、

「山にいくとき。(野原も)」

という答え方をしている人がいると言うことだ。これは駄目だ。なぜなら、この答え方は、答えを二つ書いていることになる。つまり、どちらか正しい方を採点者である先生に決めて貰うということになっているのだ。(   )を使って良いのは、心の中の気持ちを表す文章を書くときだけと理解するように。

2)句点をしっかりとつける

句読点という言い方がある。これは、句点の「。」と読点の「、」を表している。その句点をしっかりと書こう。文を書くときには、文末にしっかりとこの「。」をつける。
採点をしていて気が付いたのは、「。」の代わりに「、」や「.」を使っている人や、何も書かない人がいるということ。英語では、ピリオドをつけるのに、なぜ日本語ではつけないのだろうか。
こういう所は、急には直らない。日頃文章を書くときからしっかりと注意することである。

3)文末を合わせる

文や文章を書いて答えを求める記述式の問題では、質問に応じた答え方をしなければならない。ところが、これができていない。算数の問題で、

「10kgの荷物が5つありました。合計は何kgですか?」

という問題があった場合、「50m」という答えをする人はいないだろう。そして、50mと答えを書いて先生に×を貰ったところで、文句を言う人は居ないはずだ。しかし、国語だとその辺りが適当でも良いと思うのかもしれない。これは間違いである。

代表的な文末の形式を挙げておく。

  問 なぜですか? 理由を答えましょう。

      → 〜だから。〜なので。

  問 いつですか? どんな時ですか?

      → の時。

  問 どういう点ですか?

      → 〜点。

ということである。

                  ◆

人間は「悪い習慣はすぐに身に付くが、良い習慣はなかなか身に付かない」。だから、時間は掛かると思うが、少しずつでも身につけよう。

入試では、△という採点は無い。全て×になります。丁寧に答える習慣を身につけましょう。

(教科通信「志学」 NO. 16 より)

(ああ、私はやりきった)を体験してほしい

現在、期末考査の答案を採点している。

気づいたことを何点か書こう。
良かった点としては、半年間言い続けてきた成果が出たことだ。答案にある文字が濃くなってきた。中には、これだけ言っても薄い生徒もいるが、多くの諸君が濃く書くことを心がけてくれるようになったので、嬉しく思う。今後も続けて欲しい。

                   ◆

気になったところと言えば、「指定されたところの練習はするが、それ以外はやらない」という感じが見えることである。言い方を変えると、「やれと言われたところは、それなりにやる」が、そこから一歩、二歩と踏み込んでやることがないということだ。例えば、

「漢字のテストの試験範囲は21pから25pまで」

と指示を出せば、多くの諸君は「21pから25pまで」は練習をするであろう。しかし、残念ながら
(そうだ、前回の16pから20pも復習しておこう)
とか
(次次回の範囲まで予習してしまおう)
というような勉強をしている人は、ほとんどいないのではないかと感じたのである。

                   ◆

いや、漢字の練習のことだけを言いたいのではない。漢字でなくてもいいのだ。私が言いたいのは、与えられた世界の次に進む学習が君たちにあるかどうか、自分が納得するまで突き進む勉強をしたことがあるかどうが心配なのである。

私の場合はたまたま漢字の練習や書道の練習であったが、それは英語でも良いし、美術でも言い。いや、剣道の素振りでも良いし、テニスのサーブでも良い。

(ああ、私はやりきった)

と思える勉強をしたことがあるかということなのだ。そこまでやった勉強は、もう勉強という呼び名を越えて「学び」と呼ばれるものに変わっている可能性がある。自分がやりたくてやって、それでいて今まで知らないものを身につけ、できなかったことができるようになり、他の人よりも秀でているという状態を作り出すのが学びである。

                   ◆

四月に勉強をしていくと、ある日突然分かるようになることがあるという話をした。「湯舟の法則」だ。この湯舟の法則は
(ああ、分かった)
と思う瞬間はなかなかやってこないが、できれば和田中学校の三年間の学習の中で一回ぐらいはこの瞬間を迎えて欲しい。

そして、この瞬間に立ち会うためには、

(ああ、私はやりきった)

という努力を積み重ねることが大事なのである。

                  ◆

できれば、中学校時代に(ああ、私はやりきった)から、(ああ、分かった)への体験をして欲しいなあと思うのだよ。

それは、これから先、君がいろいろな問題にぶつかって解決を目指そうとするとき、この経験が生きてくるんだなあ。

やりきる経験をしてほしい。

(教科通信「志学」 NO. 15 より)

2005/09/19

連休の終わりに

さあやるぞと決めて、朝から原稿の仕上げと採点。

この秋に急遽出版することが決まった本があるので、その原稿を仕上げたのだ。今まで雑誌などに発表していた原稿をまとめて、出すことになる。国語関係の本ではなくて生徒指導関係の本になる。乞うご期待。

採点もなんとか午前中に終わりました。はあ。
私の採点が細かいとは思わないが、時間がかかる。筑田さんは、採点は愛用の万年筆を使えるのでまったく苦にならないとのことだが、私はそこまで達観しきれないなあf(^^;。

            ◆

振り返ってみればこの三日間どこにも行っていないことに気づき、ちょっと悲しくなる。そこで、久しぶりに釣りに行こうと決意。釣具屋に行って釣り具を調達しようとしたら道に迷ってしまい、時間をロスしてしまった。

だが、30分ほどなら連れると思い決行。
久しぶりの鯉釣りではあったが、50cm程度のを一匹釣り上げました。
うむうむ。

            ◆

気持ちの良いまま、風呂に行く。
今日は敬老の日という事で、多摩市では市民に無料でお風呂を開放している。
ラベンダー湯につかりながら、連休の名残を過ごす。

夕ご飯は、外で。
もう、生牡蠣が出て居るんだなあ。
松茸の土瓶蒸しもあるぞ。

ちょこっと秋を愉しむ。
そんな一日でした。

2005/09/18

初恋を偲ぶ夜

奥さんと二人で河原に出かけていった。
折り畳みテーブルを持参し、
ビールにおつまみも一緒に。
さっき写真を撮った場所とほぼ同じ場所に。

fullmoon

仲秋の名月と言えば、この詩である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

逸題  井伏鱒二

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

春さん 蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿

ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

引用終了 ーーーーーーーーーー

私が毎年呟くものだから、奥さんもしっかり覚えていた。
ビールのつまみで、タコのぶつ切りの入ったトマトサラダを買ってきたら、
「この詩に合わせてでしょ」
と鋭い指摘をしていた。さすが、奥さんである。

私が担当した生徒には、必ず紹介している詩であるが、今年はしていないなあ。
残念ながら授業に余裕がないのだなあ。
まあ、教科通信で紹介しようか。

秋の佳き夜に。

仲秋の名月

本日仲秋の名月。
月のでは6時ちょっと前。
さあ、これから河原に出かけていこう。

事前に河原をチェックしたところでは、川の水は非常に綺麗で
青空を川に映している。
blueriver


近くの土手からススキもゲットしたし、ゆったりと月見である。

体を休める

久しぶりの三連休である。
と言っても、全国教室ディベート連盟の常任理事会に期末考査の採点、さらには原稿執筆ということで何処かに行くこともなく過ぎ去っていくのであるが、それでも体を休めてゆったりとできるのは嬉しい。

体を休めるときには寝るのが一番だが、この夏手に入れたハンモックをベランダに広げて、そこに寝転がるのが今のお気に入りである。そこで、寝たり読んだりしている。

私は授業のあるときは、仕事に関する本を読み、仕事がないときには、楽しみの本を読むようにしているのだが、今年は授業が始まったのにまだ楽しみの本を読んでいる。先日読み終わったのは岡嶋二人の『99%の誘拐』。1988年の作品だがスピード感があってとても良かった。さらに、漫画ではあるが吾妻ひでおの『失踪日記』。失踪に憧れるってあるんだよなあ。

さて、始めますか。

sorakakami

写真は、和田中学校の窓から見た秋の空と、窓に映った秋の空です。

2005/09/15

1回使って、1円

先日、昼休みに廊下を歩いていたら窓の外を眺めている国語係が二人いた。青春の悩みを相談しているのかとも思ったが、それにしてはちょっと雰囲気が違う。
「どうしたの?」
と聞いてみると
「先生、カラスが池で水浴びをしています」
とのこと。
「あのねえ、そういうときは『カラスの行水』って言うんだよ」
と言うと
「え? 行水って何ですか?」
との返事。

(うーむ、国語係がこれではなあ)
と思っていると、
「えー、先生。知らないですよ、行水なんて」
と言われたので、授業で確認してみた。すると、知らない生徒がクラスの1/3いた。そうか、カラスの行水って諺(ことわざ)は、行水から説明しなければ行けないのか。

早速辞書で調べてみた。『大辞林 電子版』

ぎょう ずい ギヤウ 【行水】 →♪[0]
(名)スル (1)(夏の暑いときなどに)たらいに湯・水を入れ、その中で体を洗うこと。[季]夏。「—を使う」
(2)(鳥などが水辺で)水浴びをすること。「烏の—」
(3)潔斎のため清水で体を洗い浄めること。「こよひは、御—も候はで読み奉らせ給へば/宇治拾遺{一}」

というわけである。しかし、今度は「たらい」が分からないかなあ。

たらい タラヒ【盥】 →♪[0]
〔「手(テ)洗い」の転〕水や湯を入れて、顔・手足を洗うための丸くて平たい器。現在では多く金属製・プラスチック製で、洗濯に用い、洗面器などより大きいものをいう。「洗濯—」「金—」

ここまできたら、カラスであろう。

からす【烏・鴉】 →♪[1]
(1)スズメ目カラス科の鳥のうち、大形でくちばしが大きく、全体に黒色のものをいう。日本ではハシブトガラスとハシボソガラスが全国に普通。全長五◯〜六◯センチメートルで、羽には光沢がある。田園や人家近くにすみ、雑食性で何でも食べる。古くから、神意を伝える霊鳥とされたが、現在は凶兆を告げる鳥と考えられることが多い。

(2)〔カラスの性質に似通うので〕(ア)口やかましい人。(イ)物忘れのひどい人。(ウ)意地汚い人。(エ)うろついている人。「旅—」
—が鵜の真似
「鵜の真似をする烏」に同じ。
—に反哺の孝あり
〔「小爾雅{広鳥}」より。烏が成長ののち、親鳥の口に餌を含ませて養育の恩に報いるということから〕子が親に孝行することのたとえ。
—の頭白く馬角を生ず
「烏の頭(カシラ)白くなる」に同じ。「烏の頭の白くなり、馬に角のおいんずる其期もいつと知り難し/保元{下}」
—の頭白くなる
〔秦(シン)に捕らえられていた燕(エン)の大子丹が故国に帰りたいと申し出たとき、秦王が、烏の頭が白くなり、馬に角が生えたら許してやろうと言ったという「史記{刺客列伝賛注}」などの故事から〕ありえないことのたとえ。烏頭変毛。
—の行水
入浴時間の短いたとえ。
—の雌雄
⇒誰(タレ)か烏(カラス)の雌雄(シユウ)を知(シ)らん
—を鷺
黒い烏を白い鷺だといいはるように、理を非に、非を理にいいくるめること。鷺を烏。黒を白。

というように、言葉の旅は続く。
「カラスの行水」という諺を知らない諸君を嘆いたが、こうやって辞書を改めてみてみると「カラスに反哺の孝あり」という諺は、私も知らなかったなあ。

新しい言葉を調べるにも、知っていることを再確認するためにも、辞書を引く習慣をつけるのは大事だぞ。

ちなみに、辞書は、使えば使うほど安くなるという性質を持っている。3000円の辞書だって、1日1回使えば、年間の1回の使用量は10円以下。3年間続ければ、1回の使用量は3円。1日3回、3年間使えば1回の使用量は、1円です。

使え、使え! 
使えば使う程やすくなる辞書だ。

辞書を友にしよう。

(国語科教科通信 「志学」 NO14より)

2005/09/13

オー

和田中学校は、現在夏学期の期末考査である。
よって、クラブは活動停止中。

クラブ活動の黒板には、
「勉学に励まれよ。テストが終わったら、HPづくりやらをやり、秋の大会に向けて頑張るぞ」
のようなことを書いて置いた。

ただ、これだけでは寂しいので、自分でその後に「オー」と私が書いて置いた。

そして、今日何気なくその黒板を見たら、

「オー」
「オー」
「オー」

と書きまれていた。
こういうコミュニケーションができる生徒は、いいなあと思う(^^)。

2005/09/12

ムツゴロウ流 漢字の学習法

でね、その『ムツゴロウの青春期』なんだけどね、結構良いことが書いてあったんだよ。私が特に影響を受けたのは、「くたばれ受験勉強」というタイトルが付けられた文章だったな。

ムツゴロウさんは、高校三年生のときには勉強することがなくなってしまって、毎日学校に行っては一人でバスケットをして過ごしていたらしいんだ。なんでこんなことになってしまったかというと、彼の独自の勉強方法の成果なんだね。

中学生の君が、小学校の三年生の算数の教科書を見ると簡単に見えるでしょ。この原理を使ってムツゴロウさんは、大学の数学の教科書を高校生のときに解いていたんだ。で、高校二年生のときには、大学二年生レベルの数学の問題を解いていたというのだよ。

このときムツゴロウさんが使っていた本は、高木貞治先生の『解析概論』という本だというので、私も本屋に行って見てきた。中学生の私には当然全く分からなかったけどね。

でもね、この考えはなるほどと思ったね。さすがに数学では無理だろうが、漢字ぐらいならこの考え方を使って勉強するとうまく行くのではないかと思ったのさ。

                   ◆

中学校2年生当時の私は中学校を卒業したらコックになろうと思っていて、高校に行こうとは思っていなかったが、
(ま、どうせ学校の勉強で漢字をやるならまとめてやってしまえ)
と単純に思い、漢字の勉強を始めたのだよ。

本屋に出かけていった私は『漢字に強くなる本』(学燈社)という問題集を見つけたんだ。確か500円でそんなに厚い本ではなかった。見てみると大学受験用の問題集。それを手にした私は
(ま、高校受験も大学受験もそんなに変わらないだろう。大は小を兼ねるだ)
とタカをくくってその問題集を手に入れたんだな。

                   ◆

家に帰ってから早速その問題集をやってみた。
「練習問題」という項目があり、見開き2ページで結構な問題量があったが、私は、
(まあ、なんとかなるだろう)
と根拠の無い自信を持って問題を解き始めたんだな。
ところが、これが笑ってしまうぐらいにできない。忘れもしない最初の問題は、


1) ハクヒョウを踏む思い。

だったが、どんなに頭をひねっても「白票」「白豹」しか出てこない。しかし、これを入れても意味は通じない。
(白豹なんているのか? いたところでしっぽを踏んだら大変なことになるぞ)

恐る恐る解答を見ると「薄氷」と書いてあった。漢字を見れば意味は分かったが、当時の私のボキャブラリーにはこの「薄氷」は無かったんだな。

                   ◆

頭に来た私は(というか、大学受験の問題集が解けなくて頭にくる私も、今から思えばとんでもなくアホだが、このアホさが中学生の成長のエネルギーなんだな)、この問題集を徹底的にやっつけてやれと思ってやったのさ。

どうやってやったかというと、問題集の上端に「正」の印を書きながら何回やったのかを記録し、各問題ごとにも「正」を書いていったんだな。つまり、問題集自体は5回やっていても、漢字のとろが3回しか印が無ければ、その漢字は4回目には覚えていたということを表しているのね。

私は中学生のレベルの漢字は、そのときには13回書けば覚えていたのだが、さすがに大学生レベルの漢字はそうはいかなかったね。でも、分からない漢字が出たら広告の裏側で白いものがあれば、そこに書いて練習して覚えていったなあ。

そのときに、思ったのは
(俺は何回で覚えられるだろうか)
というのではなくて、
(俺は、いったい何回忘れ続けることができるのであろうか)
というものだったんだな。

覚えなきゃと思う変なプレッシャーがかかったが、何回忘れられるかなと思うとなんか楽しくなってしまったのを覚えているよ。結果的には、「正」という字が二つ書かれることはなかったね。ということは、10回は忘れることはできなかったんだな。そのときに覚えたのが、「木乃伊」。みんななんて読むか分かる? 「憂鬱」は書けるかね?

                   ◆

という話を授業でした。実はこの話には続きがある。この『漢字に強くなる本』(学燈社)は、まだ本屋で売っていて、これを買ってきた生徒が去年教えていた生徒にいたのだよ。私は感動したなあ。相変わらず1問目は、

1) ハクヒョウを踏む思い。

であったよ。

さあ諸君、君たちの時代には漢字検定がある。中学生の時代に遠慮せずに3級、2級と取ってしまいたまえ。後が楽になりますよ。

9/20が申し込み締め切りです。

(国語科教科通信 「志学」 NO13より)

2005/09/11

選挙に関する素朴な疑問

夏の終わりと秋の始まりが、
一日の終わりと夕方の始まりが同じ時間の今日この頃

という台詞をラジオから聞いた。
そうだなあと思うこの週末であった。

                  ◆

この週末は原稿を二つ終わらせた。原稿の締め切りが評定の時期に重なるので、前倒しで書いていた。私らしくない計画的な執筆であるf(^^;。

と同時に本も読んだ。いやー、良かった。もうこの人の作品はこれから生まれようも無いので大事に読んでいるのだが、結局我慢できずに読み切ってしまった。
隆慶一郎『鬼麿斬人剣』だ。
いいなあ。

今年の夏に手に入れたハンモックをベランダに張って、そこに寝転びながら読み切った。幸せの時間であった。

                  ◆

で、今回の選挙で疑問がある。

1)箱乗り
2)応援
3)比例候補者名簿

1)選挙演説のときに、車から上半身を出して、更にはお尻まで出して車に乗って演説をしている候補者がテレビで出ていたが、これって道交法違反じゃないか?

2)私は公務員なので、選挙に関わって中立を保つことをさんざん言われる。私もその通りだと思う。だけど、分からないことがある。石原都知事にしても、田中長野県知事にしても、公務員なのに選挙演説、応援をしている。これって違反にならないの? 

ちなみに、お坊さんをやりながら教師をやる先生もなんでいいのかわかりません。公務員はアルバイトをしてはいけないのに。兼業、兼職届けを出しているのかな? 

3)今回の選挙で言うと、比例の候補者名簿はどこかで公表されていたのでしょうか。選挙公報で配られても良いと思うのだが、見たことがない。なんだかなーと思う。

                  ◆

テレビを見ていると今日の選挙は、与党圧勝のようである。が、次の選挙はもっと大きなテーマがくる。そのテーマを伏せて今回の選挙だったと思うのだが、そういう伏線を読もうとする人間を育てることが今までの国語教育でできていたのかと考えると、ちょっと悲しい。

伏線、文脈、隠れた主題。こういうのを読み取る文学教育を手に入れたいなあ。

文学を専門で教えている方、どうでしょうか?

2005/09/10

どちらにしようかな

みなさんにお聞きしたいことがあります。

♪ どちらにしようかな。天の神様の言うとおり、

の後は、どんなフレーズが来るでしょうか。

私は東京の多摩地区で少年時代を過ごしましたが、

・ なのなのな

と続きます。

連れ合いは、

・ ちんどんかんどんアブラムシ

と言います。金沢あたりで言っていたと記憶しているそうです。

全国ではどんなんでしょうか?

2005/09/09

重陽の節句

本日、旧暦では八月七日であるが、九月九日。
重陽の節句である。

家の隣の公園からは秋の虫の鳴き声がものすごい。
いよいよ秋本番である。

今日は良いことがあった。
まだ言えないけど、良いことがあった。

嬉しくて、ここに書いておこう。
本日は重陽の節句である。

2005/09/08

予測では、7250冊

(いったい、人は一生の内に何冊ぐらいの本を読むことができるのであろうか)
私は、中学校二年生の時に考えた。

15歳から本格的に本を読み始めるとして、老眼などで読みにくくなることを考えて65歳まで読めると考えると50年間は読める。三日に一冊読んだとして、年間に約100冊。となると・・・・・・・、一生の内に読める本は5000冊!!

ガーンであった。
(世の中に星の数ほどの本があるというのに、5000冊しか読めないのか)
という思いであった。

しかし、私の読むスピードが速くなれば沢山読めるはずだ。中学校二年生の時にどのぐらい読めるのか確認しておこうと思って、私は挑戦してみた。私は一年間でいったい何冊読めるのかを確認してみた。文庫本だけを数えてみたら145冊だった。145年×50年だと、7250冊と言うことが分かった。

                   ◆

人生は有限(ゆうげん・限りがあること)であることを私は、中学校二年生の夏の入院で実感したのだが、7250冊という数字にもショックを受けた。これしか読めないなら、面白い本だけに出会いたいなあと思ったのだ。

どうしたら面白い本に出会えるのか。これはいろいろな方法がある。

・本好きの人に聞く
・図書館司書の人に聞く
・今年の○○賞のようなタイトルを取った本を読む

などである。しかし、一番良いのは自分の直観である。(ん、この本は面白そうだぞ)と直観が働いた本は、ほとんどの場合面白い。じゃあ、どうやったらこの直観を働かすことができるようになるのであろうか。

その答えは、濫読(らんどく・手当たり次第に本を読むこと)にある。手当たり次第に読み進めるうちに、自分に合った本が見つかるようになり、本屋に行って本棚を見つめるときに
「ねえねえ、私を読んでよ」
と本が語りかけてくれるようになるのである。これを直観というのである。

                   ◆

中学二年生の夏休みにちょっとした病で入院していた私は一ヶ月半、ベットで点滴を受け続けていた。外出もできず、することもないので本を読むしかない。本は好きだから良いのだが、寝たままでは辛かった。が、面白い本はそれも問題とは感じられなくするものであった。

病院の売店にあった『ムツゴロウの続博物誌』という文庫本が、まさに「読んで」と言っていたので読んでみたのだが、実に面白かった。そこで母親に「『ムツゴロウの青春期』っていう本があるみたいだから、買ってきて」と頼み、それからこのムツゴロウシリーズに私は嵌(はま)っていくことになったのだ。

『ムツゴロウの青春期』は、作者の畑正憲さんが中学校二年生のときに隣のクラスの学級委員であった純子さんと出会い、一緒に青春時代を駆け抜ける様を書き、『ムツゴロウの結婚期』は、その純子さんと結婚し、娘さんが生まれる辺りのことを書き、『ムツゴロウの少年期』、少年時代にムツゴロウ少年が満州で大自然の中で過ごしていたことを描いていた。
(いつかは、私もこんな風に人生を展開していくのかなあ)
と思って読んでいた。

                   ◆

決定的だったのは、私が大学五年生を決めたときの『ムツゴロウの放浪記』だった。私は大学に浪人して入り、四年のときに受験した教員採用試験では、ゼミ仲間30人のうち27人が合格するにもかかわらず私は落ち、書き上げた卒業論文も納得のいくものではなく、指導教授に「もう一年やらせてください」と言ったところ「池田君はそうだと思ったよ」と言われた。ひどく落ち込んでいるときに、この本に出会ったのだ。

ムツゴロウさんは、東大の大学院で動物のことを研究した。修士論文を書き上げ封筒に入れて提出さえすれば、大学院修了の資格が得られるところで、彼はその論文を郵送せずにそのまま山に入る。自殺を考えてのことだった。純子さんという彼女が居ても彼を止めることはできなかった。あることがあって自殺を踏みとどまって山を下りてきたのだが、それが『ムツゴロウの放浪記』に書かれていたのだ。

私は、一度も会ったことのないムツゴロウさんに
(池田君、いいんだよ。人生には色々なことがあるんだよ。やり直せばいいじゃないか)
とその本を通して言われた気がした。

                   ◆

君が中学生時代にどんな本に出会うか、それははっきり言って私にもよく分からない。そして、それが君の人生のどんな影響を与えてくれるのかも分からない。ただ、君が本に手を出し続けていなければ、この先どんな出会いも、ない。

本は、一回きりの私の人生に多くの人生を経験させてくれるし、私が辛い思いをしたときにも
(ああ、俺だけじゃないんだ)
という思いを抱かせてくれる。最近ますますこの思いを強くしている。

国語の授業では、図書室で君たちに呼びかけてくれる本を探す時間を作った。いい本に出会えますように。

君の人生を豊かにしてくれるいい本に出会えますように。

(国語科教科通信 「志学」 NO12より)

2005/09/07

学んだことをやってみよう

夏の授業づくりネットワーク大会でひげまるさんの講座に参加した。さすがの講座であった。

現在和田中学校では、学習発表会で行う主張スピーチの学年代表者を選ぶ時期に入っている。このひげまるさんの講座で学んだことを活かして子どもたちへの指導の質を高めている。

ここに、糸井さんが以前ブログで紹介していた階段への掲示方法を活用して、階段にひげまるさんの提唱する20のスキルを張り出した。子どもたちは
「先生、すごい」
「うける。これは覚える」
なんて言ってくれている。

kaidan


20のスキルを知識をとして身につけ、使えるようにトレーニングを重ねて社会に送り出してあげたいなあと思う。

ひげまるさん、糸井さん、ありがとうございます。

2005/09/06

集中豪雨のあとに

お陰様で、子どもたちの被害は最小限ですみました。経営しているお店が浸水してしまったところもありましたが、生命に直接関わる被害はなかったようでした。

7年前も杉並は都市型の集中豪雨で被害を受けJR中央線が止まると言うことがあったかと思います。都市で暖められた空気が上空で冷やされて雨を降らすのですが、ちょうど杉並あたりが降るところになっているようです。

私は一時間に63mmという雨に出会ったことがありますが、これはとんでもない雨でした。自動車を運転していたのですが、あまりの雨に恐怖を感じハザードランプを点けて路肩に停まろうとしたところ、すでに路肩にハザードランプを点けて停まっていた車に衝突しそうになったぐらいです。

今回の杉並の集中豪雨は一時間に100mmを越えていたとのこと。そのすごさは想像を絶します。(あ、そういえば、前回の杉並集中豪雨も100mmを越えていたなあ)

                  ◆

今日の授業では、時間を削って家を買うときの話をしてしまいました。

『諸君は、あと15年もすれば家を買う人も出てくるだろう。そのときに、注意することを二つ話しておく。まず家を買うときは、その土地の履歴を良く理解しておくことだ。市の図書館に行けば「災害地図」があるはずだ。そこには、過去の災害がきちんと記してある。土砂崩れ、堤防の決壊、地割れなどなど。これらを確認すること』

『次に、購入希望の土地、または借りたい家は雨が降っているときにも見に行くことだ。暮らすというのは、晴れているときだけではない。降った雨が自分の家に向かってくるようなところは避けた方が良い』

ちなみに私は、我が家を買うときにこの上記二つをやりました。だって、川の近くですから景色が良くても決壊してしまったら身も蓋も無いじゃあありませんか。ちなみに、我が家の下流の○○と××の場所は、過去に決壊した記録が残っていますが、そこにも家は建っています。うーむ。

ちょっと調べれば載っているのにねえ。

本日1000を越えそうですね

おはようございます。
さて、このままですと本日中にカウンターは1000を越えますね。
キリ番の方、お知らせ下さい。
コメントに書いてね。

2005/09/05

空中三回足叩き

日曜日は、杉並区の総合震災訓練があり地域の訓練に和田中学校も協力というかたちで参加した。

中学生は、震災のときには守られる側というよりは、助ける側に回ると言う発想である。地域の防災倉庫からポンプ車を出して放水訓練をし、隣にある病院に行って6回から患者を降ろす訓練をし、トイレを設営し、炊き出しをしてといろいろと挑戦してみた。

本番のときにどこまでできるかどうかは分からないが、実際に練習しておくことは大事だと思う。地域に一つのイメージができたことは意味があるはずだ。

             ◆

訓練が一段落したとき、三年生の男の子たちと雑談をしていた。
「空中にジャンプして、三回足をならす(叩く)ことはできた?」
という話になった。以前にも話をしていたのだが、これが結構難しいのだ。

訓練で疲れた体なんてものは、体力の固まりである中学生には意味が無い。彼らはどんどん挑戦する。ところが、これができないんだなあ。そこで、一つヒントを

「二回なら簡単にできるだろ? そのときどこで足を叩いている?」

実は、跳び上がるときに一回、降りるときに一回鳴らしているいるのだ。そして、三回目を降りながら叩こうとしてできないでいるのだ。

そこで、

「跳び上がるときに二回叩くようにしてごらん」

と話した。
理論が分かればすぐにできるというものでもない。が、ある生徒は数回練習したらできたのだ。たいしたものだ。

理論 → コーチ → 分かる → 練習 → できる

という美しいモデルがここに完成した訳である。

             ◆

本日は、代休。ゆったりと朝を寝ていて起きたら、記事を発見した。
訓練中から空模様が怪しかったのだが、その夜は集中豪雨が杉並にあったとのこと。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050904-00000115-yom-soci&kz=soci

記事を見る限りでは子どもたちのところには被害はなさそうだが。

2005/09/03

焼きトウモロコシ

ためしてガッテンで行っていたトウモロコシの食べ方をやってみた。
焼きトウモロコシである。
これが実に簡単。お試しあれ。

1)生のトウモロコシを用意する。
2)皮とひげを取る。
3)グリルで焼く。

以上である。
焼く時間は、片面を8分。醤油をたらして、ひっくり返して4分。合計12分。
ビールがあれば言うことなしである。

あなうま。

タイのタクシン首相の手に

現地の新聞でも見たのだが、現地ではよく分からなかった記事である。
日本に帰ってきて、記事を確認し私の所属する研究会に問い合わせてみたところ、以下のアドレスを教えて貰った。

http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/2005/08/26/news_day/n2.html

タクシン首相の方法には賛否両論あると思うが、私はこれは賛成である。
年がら年中やるわけでもなかろうに。

ちなみに、この○×のおもちゃは教具として販売されてもいる。

2005/09/02

本を読んでいると怒っていた私の母親は、

私は目が悪い。
しかし、もともとは視力は2.0ととても良かったのだ。そんな私がいつ悪くなったのかは、しっかりと覚えている。中学三年生の二学期である。受験に向けて懸命に勉強を始めたために悪くなったのだ。と言いたいところであるが、実際は違う。

                   ◆

私の母親は古希を越えている。東京大空襲を逃げ回ったときには小学校の最上級生であった。だから、戦後新制中学校に一期生で入学することになる。

この母親は、一歳の時に父親を亡くし母親(私の祖母)一人に育てられた。兄は二人いて二人とも中学校を卒業すると、家計を助けるために働きに出た。

母が中学校を卒業するとき、二人の兄からは高校に進学することを勧められたが、兄二人が働いているのに自分だけ学校に行くわけには行かないと働きに出た。結婚するまでの10年は「片親」の差別の強かった時代にいろいろな職場でいじめに遭いながら働き続けていた。

                   ◆

そんな母親が中学生の私に言うのである。
「修、本なんか読んでないで家の仕事をやりなさい!」
と。
友人の話を聞くと、本を読んでいるときには親は非常に機嫌が良く、時々お茶なども入れてくれるという。おかしい。なんで私が本を読んでいると私の親は文句を言うのか? 

さらに夜の10時を過ぎて勉強していようものなら、
「電気代がもったいない。早く消して寝なさい。勉強したいのなら朝起きてやりなさい」
と言う。いや、勉強などしたいとは思わなかったが、やらねばならない宿題をやるためには、夜時間を掛けてやるしかない。朝起きて勉強なんて、当時の私には夢にも考えられなかったし。

もちろん、電気を点けっぱなしで机の上に倒れるように寝てしまうこともあったが、それはそうしようと思っているわけではなく、昼間の疲れでうつらうつら1 しているうちに、電気を点けっぱなしにして寝てしまうのであり、点けて寝ようとはこれっぽっちも思っていなかったのである。

宿題を何とか終わらせると、昨日の続きの本が読みたくなる。しかし、電気を点けて読もうものなら、母親が「寝なさい! 朝読みなさい」と叱りに来る。そこで考えたのが、布団の中で懐中電灯を点けて読むという方法である。これならばれずに読むことができる。そして、かなりの本を読むことができた。しかし、この結果私の視力は急激に低下し、乱視まで貰ってしまったのである。

                   ◆

母が古希を迎える少し前の正月に、お祝いのために実家に戻ったときのことである。その母がやたら大きな本を持ってうろうろしているのである。
『それは、なに?』
と聞くと
「修、本はやっぱり面白いねえ」
と言う。よく見てみると、大活字本であった。諸君は知っているかどうか知らないが、世の中にはそういう本がある。年を取り小さな字が見えにくくなった人のために、活字のサイズや本を大きくした本のことである。私は
(年を取ってから重たい本を読むなんて、大変なことだなあ)
と思っていたのだが、母はこう言った。

「私も小さい頃から本は嫌いじゃなかったんだけどね、本を読んでいると私の母親から『幸子、遊んでいないで家のことをしなさい』って怒られたのよ。それに、兄さんが働いているのに自分が本で遊んでいるのも悪いと思ってね」
(え? そうなの?)
「今になれば、もう誰にも文句を言われることなく本を楽しめるからね。大活字本だから次から次へと借りることになって、大変なんだけどね」

私はなんかショックを受けた。本が嫌いなわけではなかった。読みたかったけど読めなかった。そして、70歳を前にして本が楽しいねえともう一度読み進めている母に(やられたー)という思いだった。また、こんなことも言った。

「修、カタカナの言葉とか、難しい漢字は辞書を引くんだけど、これが文字が見えなくてねえ」

そうである。「修、なんのために辞書を買ってあるの。分からない言葉があったら辞書を引きなさい」とさんざん私に言っていた母は、私に言った言葉を自分で、まだ守っていたのだ。私は、母親にひらがなで引くことのできる電子辞書を買ってあげるのが精一杯だった。

                   ◆

私はこんな母親に育てられていたんだなあと思うと、嬉しかったり申し訳なかったりした。そして、一方で、いま本を読める私は幸せだなあとも思った。いや、今でも思っている。

これから小さな字が見えにくくなり、新しい言葉が分からなくなったとしても、辞書を引きながら読んでいきたいなあと思うよ。なぜって、本を読むって楽しいからだよ。

さて、今年の後半戦はどんな面白い本に出会えるかな。たのしみたのしみ。

もちろん、君も面白い本に出会えますように。

(国語科教科通信 『志学』 NO.11より)

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