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2005/09/20

(ああ、私はやりきった)を体験してほしい

現在、期末考査の答案を採点している。

気づいたことを何点か書こう。
良かった点としては、半年間言い続けてきた成果が出たことだ。答案にある文字が濃くなってきた。中には、これだけ言っても薄い生徒もいるが、多くの諸君が濃く書くことを心がけてくれるようになったので、嬉しく思う。今後も続けて欲しい。

                   ◆

気になったところと言えば、「指定されたところの練習はするが、それ以外はやらない」という感じが見えることである。言い方を変えると、「やれと言われたところは、それなりにやる」が、そこから一歩、二歩と踏み込んでやることがないということだ。例えば、

「漢字のテストの試験範囲は21pから25pまで」

と指示を出せば、多くの諸君は「21pから25pまで」は練習をするであろう。しかし、残念ながら
(そうだ、前回の16pから20pも復習しておこう)
とか
(次次回の範囲まで予習してしまおう)
というような勉強をしている人は、ほとんどいないのではないかと感じたのである。

                   ◆

いや、漢字の練習のことだけを言いたいのではない。漢字でなくてもいいのだ。私が言いたいのは、与えられた世界の次に進む学習が君たちにあるかどうか、自分が納得するまで突き進む勉強をしたことがあるかどうが心配なのである。

私の場合はたまたま漢字の練習や書道の練習であったが、それは英語でも良いし、美術でも言い。いや、剣道の素振りでも良いし、テニスのサーブでも良い。

(ああ、私はやりきった)

と思える勉強をしたことがあるかということなのだ。そこまでやった勉強は、もう勉強という呼び名を越えて「学び」と呼ばれるものに変わっている可能性がある。自分がやりたくてやって、それでいて今まで知らないものを身につけ、できなかったことができるようになり、他の人よりも秀でているという状態を作り出すのが学びである。

                   ◆

四月に勉強をしていくと、ある日突然分かるようになることがあるという話をした。「湯舟の法則」だ。この湯舟の法則は
(ああ、分かった)
と思う瞬間はなかなかやってこないが、できれば和田中学校の三年間の学習の中で一回ぐらいはこの瞬間を迎えて欲しい。

そして、この瞬間に立ち会うためには、

(ああ、私はやりきった)

という努力を積み重ねることが大事なのである。

                  ◆

できれば、中学校時代に(ああ、私はやりきった)から、(ああ、分かった)への体験をして欲しいなあと思うのだよ。

それは、これから先、君がいろいろな問題にぶつかって解決を目指そうとするとき、この経験が生きてくるんだなあ。

やりきる経験をしてほしい。

(教科通信「志学」 NO. 15 より)

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