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2005/10/31

未来からの手紙とは

二年生は、「古典を楽しもう」の単元に入る。「徒然草」「平家物語」「論語」とやるわけである。今から1000年も昔の人たちが残してくれた文章を読んでいくことになる。平家物語は、暗記である。

正直に言って、私は中学生の頃には
(なんで古典を学ぶのかなあ。昔のことを勉強したって意味がないじゃん)
と思っていた。
なぜかって、1000年前の人間と今の私たちを比べれば、今の私たちが優れていて、昔の人たちは劣っていると思っていたからだ。テレビもない、電話もない、自動車もない。戦争はするし、つまらないことに怯えているし。そんな過去の人間から学ぶことなどないと思っていた。

そんなことを私が敬愛している当時の国語の先生、西本先生に話をしたら
「まあ、そうだろうなあ。中学生だとそんなもんだろうなあ」
と言われた。私は
(バカにすんなよ)
と思いながらも西本先生の言われたことを守って、万葉集(日本で一番古い和歌集 奈良時代)にある短歌を暗記していた。例えば、次の短歌である。


  東(ひむかし)の野に炎(かぎろい)の立つ見えて 
  かへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ
   
     東の野原に炎のような朝日が昇ってくるのが見えて、
     振り返ってみると西の空には大きな満月が沈んでいった
                
                   巻1ー48 柿本人麿

正直、
(ふーん、そんなことあるんかねえ)
と思うぐらいの感想であった。

                  ◆

しかし、私はあるとき、気が付くことになる。私は文明と文化を混乱していたのだ。確かに、昔の時代にはテレビも電話もない。しかし、人が生きると言うことには何も違いはないと言うことに、人生経験を積み重ねる内に気が付くことになったのだ。人は何も変わっていないのだ。

仏教の教えには、「業(ごう)」というものがある。人は人である限り、何かの命を身体に入れなければ生きることができない。これを人間がもともと持っている罪としている。また、人である以上は、避けて通ることのできない「生、老、病、死」の四つの苦しみを味わう。これを「四苦(しく)」という。これも、1000年前と今と変わらない。

もちろん、彼女ができる、心を許す人と一緒に生活できる、希望の仕事に就く、子どもが生まれる、子どもが成長する、美味しいものを食べる、素晴らしい景色に出会う、仲間と楽しく遊ぶ、心を込めた作品が完成するなど沢山の喜びがあることも、1000年前と今と変わらない。

私たちは、基本的に一回しか人生を生きることはできない。だから、10年後の自分、 50年後の自分がどうなっているのか分からない。しかし、古典の世界に描かれている人たちの姿を読むとき、

(私は、人を好きになったときこんな風になるのか?)
(子どもが親から離れるとき、親はこんな風に思うのか?)
(戦があるとき、人はこんなにも残酷になれるのか)
(親は、そこまで子どものことを思うのか)
(夢が破れてもこんな風に復活するのか)

などなど、古人の人生から学ぶことができる。

                  ◆

1500年前の人が美しいと感じた、朝日と一緒に沈む満月を、今の私たちも同じ気持ちで見ることができる。そして、1500年の間無数の人たちが同じ感動を抱いてきたのかと気づいたとき、私たちは鳥肌が立つのを覚えるはずだ。

西本先生があのとき、私に言いたかったことは、たぶんこんなことである。

「(池田よ、中学生のお前には、理解できたとしても納得できるものは少ないのだよ。何せ、お前はまだ人生の経験が少なすぎるからな。そんなお前が分からないことがあっても当然さ)まあ、そうだろうなあ。中学生だとそんなもんだろうなあ」

と。私は、西本先生に無理矢理万葉集を暗記させられたことを、今は感謝している。あのとき、「東の野に・・・」の短歌を覚えさせて貰っていなければ、私の人生は今よりも感動の弱いものになっていたと思う。旅の途中、朝早く起きて見た朝日と満月。そこに、この短歌が重なってきて、(うお〜〜、これか!)と私は大きな感動を得ることができた。

中学生の内は、覚えることができても人生経験がない。大人になると人生経験はあるが、覚えられない。理解はできるが、納得は難しい。ならば、覚えられる内に覚え、その後の人生経験で、じっくりと味わうのがよい。

そうすると、古典は「予言書」、または、「未来からの手紙」と言えなくもないのだ。

(教科通信「志学」 NO. 29 より)

2005/10/27

新しい本が出ました 『こんな時どう言い返す』

今日はもう一つ嬉しいことがありました。
私の二冊目の単著が今日できあがったのです。

本のタイトルは、『こんな時どう言いかえす ユーモアあふれる担任の言葉』です。
konnatoki

授業づくりネットワーク会員版に書いていたものをベースにしてできあがりました。

たぶん類書は無いと思います。
良かったらお求め下さい。

注文は、ここか、ここでよろしくお願い致します。

津川式を全ての担当生徒に教える

今日も嬉しかった。
漢字である。

私が担当する4クラスの内、二年生2クラスにも実施してみた。
見事に、9割以上の生徒が『津川式「超」記憶術』の例題に取り上げられている10個の漢字を覚えてしまっていた。

中には海外に長いこと住んでいて、漢字がほとんど駄目な生徒もいるのだが、これもうまくいった。記憶の仕方を教える前に、

『それじゃあ、いまから10個の漢字を言うから、書いてみましょう』

と事前に書かせてみたところ、件の生徒は、0/10であった。

『おーし、大丈夫だ。君のためにあるような記憶法だから、安心してやってみよう』

と励まし、やってみる。
その結果、10/10であった。念のため、授業の最後にもう一度書かせてみたら、やっぱり10/10であった。嬉しいねえ。

                  ◆

授業後、彼は相当嬉しかったのだろう、教卓の私のところにやってきて、
「先生、ありがとうございます。漢字がはっきり見えました。こんなの初めてです」
とわざわざ言ってくれた。
『そうか。じゃあ、家に帰ってお父ちゃんに報告しなくちゃな。心配していたから』
と私も嬉しかった。

確認して分かったのだが、この本の例題として扱われている10個の漢字は、中学校の第二学年で覚えるべき新出漢字であった。

中学校二年生が、中学校二年生で覚えるべき漢字を覚えたのだから、当たり前のことと言えば当たり前なのだが、そこがそうはいかないのが中学生。それが9割の生徒ができたのだから、嬉しい嬉しい。

良かった。

入試に出た300の漢字を覚えるぞい!

ということで、少しずつ試してみた結果、かなり効果がありそうだと言うことが分かったので、「津川式『超』記憶術」を使って、昨年の入試問題に実際に出題された、304字の漢字を覚えることにしよう。

この304字は、期末考査の試験範囲でもある。期末考査まであと一ヶ月ある。ということは、一日に10問ずつ漢字を覚えていけば間に合うのである。実際はもう既に30字近く覚えているのだから、大丈夫であろう。

今までは、授業の最初にこの記憶法に従って漢字を覚えて来たが、これからは授業中ではなく、君たちの勉強に任せたい。毎日こつこつとやることで効果が出るし、毎日やらないと300字が終わらないからだ。

ただし、覚えるためのプリントは用意した。最初に正しい漢字を見ないと、間違った漢字を覚えてしまう可能性があるからだ。毎日一枚(20字分)のプリントが集配棚に入っているので、朝の学活で配り、休み時間を使って帰りの学活までにやっておいてほしい。3Aでやってみたところ、20字の漢字を例の四つのステップ1 でやってみたところ、6分30秒ほどでできていた。クラス全体でこの時間だ。自分のペースでやれば5分程度だろう。帰りの学活までになんとかなるだろう。

そしたら、帰りの学活で国語係の指示に従って、30秒だけ使ってその日の内に行ったプリントの復習をして欲しい。漢字に○を点けた場所を確認するだけで良い。これだけで漢字を思い出すためのきっかけが、短期記憶から長期記憶に移りやすくなるはずだ。

ここまでをまとめる。


1)朝、集配棚からその日の内の漢字プリントを教室に持ってきて、朝配る。
2)帰りの学活までに、20問の漢字を覚えてみる。
3)帰りの学活で、国語係の指示に従い30秒で、○を点けたところの確認。


だ。すると、

4)期末テストの漢字の部分で、満点が続出

となることを期待している。

                  ◆

以下の写真は、君たちに配布する漢字ドリルプリントの一部である。

kanji


ちょっと説明しておく。
このドリルには、空欄が三つある。左から順番に「確認1」「修正」「確認2」である。

「確認1」は、○をして問題を隠して最初に書いてみる場所。
「修正」は、「確認1」で書けなかった漢字をもう一度書いてみる場所。
「確認2」は、5個まとめて書くときに使う場所。

というように作ってある。

漢字の採点で重要になる、漢字の止めや跳ねが書けているかどうかのチェックは、互いにプリントを交換して他人の目でやっておくと良いだろう。

そして、このプリントを持ち帰り、トイレの壁に貼っておき、寝る前にもう一度確認ですぞ。これで満点(のはず)である。

(教科通信「志学」 NO. 27 より)

2005/10/25

本の帯を作ろう

二年生は、「本の帯を作ろう」の単元を行っている。できあがった作品は、杉並区の『「本の帯」アイディア賞』に応募する。募集期間は10月31日(月)が閉めきりなので、ここになんとかして間に合わせよう。

教科書には1pしか説明がないので、授業では参考書を用意した。『「よのなか」教科書 国語 心に届く日本語』(新潮社 藤原和博編著)である。この中には、プロの本の編集者が帯の書き方を説明している部分がある。それによると、


 帯 = 小さな広告


(同著201p)であるという。
広告である以上、以下の点が大事になると言う。

1) 広告する商品の特性を理解している。
2) 広告の対象者の特性を理解している。

帯を作ることを頭に置いて簡単に言えば、1)は、「その本にしかない、優れた魅力」のことであり、2)は、「本を読ませたい人の傾向」である。今回は、中学生に読ませると言うことを前提にして作っている。

                  ◆

さらに、次の説明をした。広告として使われているパンフレットと帯は広告の種類として同じような特徴があるので、それを理解しようとするものだ。新聞にある広告を材料にした。いくつかの広告を比較して分かったことは、紙を使った広告には4つの特徴があることが分かった。

1)キャッチコピー
2)ボディコピー
3)ビジュアル
4)仕様

である*1 。基本的にはこれら4点が使われている。簡単に説明しよう。
広告は、商品を買って貰うために作られているわけだが、そんな広告も見て貰わなければ意味がない。沢山の広告のうち自分の会社の商品だけは見て貰いたい。そこで、お客さんが思わず見てしまうような仕掛けが必要になる。それが、1)と3)である。1)は普通大きな文字で書かれており、内容はなんだかよく分からないがお客に(おや?)と思わせるものになっている。また、3)は写真、絵を使って1)と同じ効果を期待して作られている*2 。

2)は、1)で目をとめさせたお客に、1)の説明をするために書かれる文章である。商品の良いところを丁寧に説明してある。4)は、買う気持ちになったお客に買うために必要な情報を載せてある。インターネットのアドレス、連絡先の電話番号、会社の所在地、商品の値段、サイズなどである。

                ◆

で、ここまで説明して、帯とは何かを説明したところで下書きを書かせてみることにした。が、どうもうまくいかないようだ。

そこで次の方法をやってみることにした。

・ イメージの花火

である。
思いつかないのは、アイディアがないのではなくて、引き出す方法・道具がないからだと考えてのことである。これらのものは、頭の中にあるアイディアを引きづり出すためのツールである。そういう意味では漢字の記憶方法の津川式に似ているなあ。

イメージの花火は、頭の中にあるものをどんどんだして、出し切ってから重要なものを絞り込むことが大事である。一人ブレーンストーミングと言っても良い。花火の外側に生み出された言葉は、中心のテーマから多少離れているので、キャッチコピーの言葉として適しているだろう。

さあ、内容の説明と作成の方法は説明した。あとは、君が作り始めることだ。

提出締め切りは、10/27(木)の朝。今回は5:00pmの提出も認める。

良い作品を期待する。

*1 これらを考えて作る作文のことを、コピー作文とも言います。
*2 自動車のCMでは、その車を買ってもらいたい人たちの青春時代に流行っていた曲を流すことで、テレビに振り向かせるという「キャッチソング」という手法を使っています。

(教科通信「志学」 NO. 26 より)

2005/10/24

トイレと睡眠の力 ー短期記憶を、長期記憶に落とし込むー

では、どうしたらいいのか。それは次号につづく(か?)

と勢いで書いてしまったので、考えてみたいと思います。
何のことかと言えば、津川式記憶術の私が考える弱点、つまり、四回時間をおいて記憶をするという部分の克服方法です。もう一度引用してみましょう。

なお、どのくらいの期間が「覚えている期間」かということですが、基本は、覚えてすぐに一回目、八時間〜一日以内に二回目、二〜四日以内に三回目、四〜一〇日以内に繰り返す時間を見つけてください。
『世界最速「超」記憶法』109p

おそらく、この二回目の「八時間〜一日以内に二回目」というのは、「寝る前に行う」と言うことも関連していると考えられます。

                 ◆

人間はなぜ寝るのでしょうか?もちろん、日中活動した身体を休ませるために寝るという意味もあります。ですが、人間の睡眠は他の意味もあります。それは、

記憶の整理

というものです。
養老孟司先生の「よのなか」科でのお話によれば、人間の脳みそは寝ている間も起きている間も使っているエネルギーは変わらないのだそうです。寝ている間に脳は寝ているのかというとそうではなく、昼間頭の中に入り込んできた膨大(ぼうだい・とっても量の多いこと)な情報の整理を行っているのだそうです。つまり、これはいる情報、これはいらない情報と分けているのです。

人間の睡眠は「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」というものに分かれます。前者は身体を休ませていますが、脳みそは、浅い睡眠状態で記憶の整理をしています。このノンレム睡眠の状態に入っている人を観察すると、閉じている瞼(まぶた)の下の眼球が動いていることがあります。はい、この時多くの人は夢を見ています。
後者のノンレム睡眠は、大脳を休息させていると考えられ*1 、この繰り返しの周期が90分であることが分かってきています。

なもので、すっきりとした睡眠時間を確保するためには90分単位で考えると良いということなのです。例えば、朝の6時に起きたいと考える人は、12時半に寝るのではなく、12時に寝た方がすっきりと起きられるということなのです。

脱線1 では、睡眠をとり続けなかったらどうなるのでしょうか。
その時、人間の脳みそは、起きているのに寝ている状態を擬似的(ぎじてき・区別のできないほど、良く似ていること)に作り出そうとします。簡単に言うと、起きているときに情報の整理を始めるわけです。だから、聞こえないものが聞こえる幻聴や、見えないものが見える幻視が始まるのです。

脱線2 チャーチルの昼寝
イギリスの首相であったチャーチルは、どんなに忙しくとも昼寝を1時間取ったそうです。これは、寝ることにより体力を復活させることもありますが、それにより頭の中身を整理させる効果もあったようです。
最近では日本の高校(福岡県立明善高校)でも昼寝を推奨しているようです*2 。

で、遠回りをしてしまったが、寝ることが記憶の整理に繋がることが分かってくれたと思う。だから、寝る前に重要な部分を見直すことは大事なのです。

                  ◆

さて、そこで寝る前の復習方法である。津川式の復習は非常に簡単だ。見るだけだ。だから私は、わざわざそれだけ行う必要はないと考えた。ではどうするか。

トイレに学習したプリントを貼り、用を足しながら or 足した後に確認する

である。どうだ。
寝る前にトイレに行かない諸君はいないだろう。そのついでの時にやればいいのである。

授業で使ったプリントをトイレの壁に貼り続けていけばいいのである。そうすれば、三回目も四回目もできるぞ。

と書いて、私も中学生の時にトイレに貼っていたのをや思い出した。記憶、奥が深いなあ。

*1 『海馬/脳は疲れない』(ほぼ日ブックス 池谷裕二著)によれば、脳は疲れず目や身体が疲れるだけだともあります。脳が疲れていたら、人間は簡単に死んでしまうとのことでした。
*2 asahi.com 2005.8.30 昼寝15分で成績アップ? 高校で調査「能率上がる」

(教科通信「志学」 NO. 25 より)

2005/10/22

良い時間でした

学芸発表会が終わりました。午前中は、選択社会科の劇『子豚は無罪か?』が面白かったですねえ。童話三匹の子豚を元にして、三匹目がオオカミを食べてしまったのは無罪か、有罪かというお話です。

弁護士の書いたシナリオを生徒がさらに書き加えて、裁判所などの見学をした上で、法廷劇として行っていました。これは、裁判制度が大きく変わる前の学習としては、ディベートと関連して良い企画ではないかと思いました。

オープニングのシーンで裁判長が入廷してくるのですが、裁判所にいる人たちに対して、
「はい、起立」
と私の物まねで声を掛けていて、会場は爆笑でした。私は
(やられたー!)
と苦笑でした。

国語科の指導では、意見主張を行いました。学級代表を決め、学年代表を決め、原稿を暗記させてのスピーチです。こういう経験を重ねることは大事だろうなあと先達の指導に感じ入るわけです。

                  ◆

午後は、合唱コンクール。
子供たちは良く歌っていました。三年生は、Soon ah will be doneというアカペラの黒人霊歌と、名曲「聞こえる」。一クラスの人数は25人なので大きな曲は難しいのですが、良く歌いきっていました。

PTA合唱もありました。忙しくて夜の練習には出られませんでしたのでぶっつけ本番。まあ、ちょっと知っていた歌なので良かった。
会場では、三年の子供たちが歌に合わせて手を右左に振っていた。

二年生はそれをみて、やろうかどうか悩んでいて、一年生は見とれていた。そういう三年生らしさが、なんとも嬉しく私は歌いながら彼らの手の動きに合わせて身体を降っていたら、あとで「先生、ノリノリでしたね」と言われたが、まあ、あれだけやってくれたのだからそれに応えるのが教師としての礼儀だと思う。

歌い終わったところに、女子生徒の声で「○○先生かっこいい!」と声が掛かる。次に「××先生、かわいい」と。
(をを、こうやって掛け声も掛けることができるんだなあ)
と思っていたら
「池田先生、かっこいー!」
と私だけ、三年の男連中からの声。
まいったなーf(^^;。

良い時間を過ごせました。
生徒のみなさん、良い時間をありがとう。

2005/10/20

明日は合唱コンクール

担任ではないので、今ひとつ自分の中の盛り上がりが弱いが、明日は合唱コンクールである。
今日は最後の練習。私はカメラを持ってクラスの練習を撮影しては、プリントアウトしての時間を過ごした。

国語科としては、津川式超記憶術を指導しながら、一方で合唱での発音・発声が良くなるように
活舌の練習も協賛企画として行っている。

私は4クラス指導している。4クラスで模範読みをして、その後一緒に読むので、簡単に言えば子供たちの8倍読んでいることになる。

私の学校には要約筆記のボランティアの方が来ているのだが、その方から
「池田先生のお話は、活舌が良くて聞き取り易いです」
と言われた。

活舌に自信のない私としては、非常に嬉しいお言葉であった。
やっぱり、練習を欠かさずに行ってきて良かった。
一日五分。続けると結構違う。

2005/10/19

津川式超記憶術2 なぜ、「覚えて」しまうのか。

人間が何かを覚えるという仕組みは、なかなか複雑で全ては解明されていない。今分かっていることは、記憶は脳みそに関わっていて、脳みその外側にある側頭葉で情報を受け止め、海馬に短期的にため込み、その後、大脳皮質に長期的にため込むという流れになっているというものです *1 。

ですが、人間はすべてを記憶できるわけではありません。それは、短期的に記憶した情報を長期的な記憶に置き換える作業が必要だからなのです。その作業は漢字で言えばドリルです。何回も書いて、短期記憶を長期記憶に塗り替えていきます。

                  ◆

というのが、一般的な記憶の考え方である。これはこれでまったく正しいと考えている。しかし、君たちに紹介した津川式の記憶は、逆からのアプローチをしている。「思い出すきっかけ」だけを覚えるというのです。

「覚えなくてもいいことまで覚えるから、全て忘れる」
のです。
さらに言えば、記憶すべき対象の大半は、目に映った瞬間に記憶できています。ただ、思い出すときに、思い出すきっかけがないから、思い出せないわけです。記憶を効率よくするためには、その思い出すきっかけだけを正確に覚えることです。ですから、
「もっとも思い出しにくいもののみを正確に記憶すれば、残りの知識も一緒に出てくる」ということです。それが全ての記憶の根本的なコツです。
『世界最速「超」記憶法』34p

確かに、心当たりはある。その結果編み出された津川式の漢字記憶法は、

1)覚えたい漢字をよく見る
2)覚えにくそうな部分に、○をつける
3)覚えている漢字を隠す
4)書いてみる

という四つのステップで覚えるというのです。

                  ◆

私が、なるほどと思った部分は他にもあります。著者が「究極の繰り返し法」と呼んでいるものです。

「忘れてから繰り返す」のではなく、「覚えているうちに繰り返す」という作業です。言葉は、同じ「繰り返す」ですが、天と地ほどの結果の違いが出ます。(中略) 学校で一時間かけて習ったものを、忘れてから繰り返しますと、下手をすれば、二時間くらいかかります。(なぜそうなったかも忘れるからです)同106p

ここで筆者が言いたいことは、繰り返しの重要性です。「思い出すきっかけ」を覚えている内に繰り返して覚え込んでしまおうというものです。
だから、1)から4)のステップの次には、

5)五個終わったら、漢字を全部隠して、五個分書き出す

と覚えている内にもう一度覚え直します。もし、「思い出すきっかけ」を覚えられていない漢字があったら、

6)もう一度○をつけた部分に○をつける
7)文字を隠して、もう一度書いてみる

を繰り返して「思い出すきっかけ」を覚えます。
では、どのぐらいの期間、「思い出すきっかけ」を覚えているのでしょうか。

なお、どのくらいの期間が「覚えている期間」かということですが、基本は、覚えてすぐに一回目、八時間〜一日以内に二回目、二〜四日以内に三回目、四〜一〇日以内に繰り返す時間を見つけてください。同109p

私はこの記憶法の一番の難しさは、ここにあると思います。なぜなら、ここは学校でフォローしきれないところだからです。自分で、家で、やらなければならないからです。

今、薔薇が書けなくなっている人は、二回目、三回目の繰り返しをしていない人でしょう。

やり方が簡単なだけに、逆に
(ま、いいか)
となってしまうのです。

では、どうしたらいいのか。それは次号につづく(か?)

*1 参考図書としては、『海馬/脳は疲れない』(ほぼ日ブックス 池谷裕二著)や、『進化しすぎたの脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線』(朝日新聞社 池谷裕二著)があります。

(教科通信「志学」 NO. 24 より)

2005/10/18

津川式超記憶術

というわけで、漢字の秘密である。
本当? と思う方は、是非本を買って試してみてください。

引用開始 ーーーーーーーーーー

子どもの頃は、訳の分からないことに熱中することがある。
漢字練習でもそうである。私が漢字練習に熱中した第一期は、小学校の五年生の時なのだが、そのときにやった練習は、毎朝届く新聞で決まっていた。

それは、「裏の白い広告に漢字練習をする」というものである。これは結構スリリングで、その日によって練習量が増えたり減ったりするのだ。なんでこんなことを始めたのか、たぶん母親に乗せられてやったんではなかったと思う。
「修、運が良ければ練習しなくて良い日があるのよ」
なんて言われた気がする。実際はそんなことはなかったと思うが、母親の作戦に乗せられてしまっていた私である。

                  ◆

が、そんな練習なんてぶっ飛んでしまうほど、簡単な漢字の記憶方法を見つけてきた。あまりにも簡単なので嘘じゃないかと思うほどだが、やってみたところで、今覚えている漢字を忘れるわけでもないし、何人か救えれば見つけものと思って三年生の授業でやってみることにした。参考にした本は、『世界最速「超」記憶法』(津川博義著 講談社+α新書 838円)である。

方法を教えた後、3Bで、去年の入試問題として出題された漢字で試してみた。

1 ベンゴシ 弁護士
2 ソソグ 注ぐ
3 ガラ     柄
4 キガン 祈願
5 ヒジュン 批准
6 シュシ 趣旨
7 ナゲク 嘆く
8 カタマリ 塊
9 スタレル 廃れる
10 アオギ 仰ぎ

の漢字を約五分間で覚えさせたのだが、25人の3年B組のクラス*1 で、23人が満点、1人が9点、1人が8点であった。

教室からは、
「すごい!」
「気持ち悪い」
「なんで、覚えているの?」
という声が出た。

そこで私は、
『昨日覚えた「推薦」とか「携帯」とかも書ける?』
と聞いてみたら、
「書ける」
という。

そんなところに、ある生徒が、
「先生、この漢字はひょっとしたら簡単だから書けるんじゃないですか? もっと難しい漢字で試してみてください」
というので、
『おーし、んじゃあ、「バラ」だ』
とバラの漢字で試してみた。

覚えさせてみると、すぐに書ける。漢字練習などしたことのない、彼や彼女まで書ける。何て言ったって、漢字練習はいらないのだからできるのだと思う。生徒は
「授業の最後にもう一度書いてみたい」
と言う。んだ、んだ、その通りだ。瞬間的に覚えているだけでは意味がない。

それから20分後、チャイムが鳴りそうになったところで
『おーし、おーし、バラだ。バラだ。バラを書いて見よ』
「おー、書いてみるーーー!」
と書かせてみると24人が書けていた。ひえーである。

こうなったら、去年の入試に出題された漢字をがんがん覚えてしまおうと言うことになった。私たちが使っている問題集には、去年入試に実際に出題された漢字が304個ある。都立の入試までには十分間に合う。

                  ◆

ちなみにバラは、薔薇である。

*1  二年生は、本の帯の授業が終わったらやるからね、待っててね。

(教科通信「志学」 NO. 23 より)

引用終了 ーーーーーーーーーー

この結果、和田中学校の2,3年生は一発で薔薇という漢字を覚えてしまった。
三年生は入試に出題された漢字を、この方式で覚え始めている。

なんで覚えてしまうのかは、後ほど考察してみたい。

2005/10/17

読むと書く

書写の授業が終わって、久しぶりに
『はい、起立!』
と号令をかけました。やっぱり、これがないと授業を始める気がしない(笑)

アンソロジーノートも久しぶりでした。黒板に字を書き、こんな話をしました。

『お習字をやった後の今は、字を綺麗に書こうという気持ちに成っていると思う。だから、アンソロジーノートは綺麗に書いているはずだ。それはそれで良いことだ。が、話のメモをするときには、丁寧に綺麗に字を書こうとしてはダメだ。そういうときは、早さを優先するのだ。たくさんの情報をノートに書き取るメモが優れたメモであり、綺麗な文字で書かれた情報量の少ないメモは、良い目元は言えないのである』

つまり、目的に応じて字の書き方を切り替えることが大事なのである。
これは何も文字だけの話ではない。読むに関しても言える。

                  ◆

本の読み方にもいろいろな読み方がある。丁寧に読む読み方と、ざっと読む読み方である。丁寧に読むには、

・ 暗記しながら読む
・ 書き写しながら読む
・ 線を引きながら読む
・ 一度濡らして読む *1
・ 声に出しながら読む

などがある。
この中で君たちにお勧めなのは、「書き写しながら読む」である。

今の作家は、原稿用紙に万年筆というスタイルで書いている人は少ないと思うが、私が中学生の頃の作家は、基本的に手書きであった。私は、気に入った本があると、気に入った部分をノートに書き写しながら読んでいた。誰かの本に
「書き写しながら読んでいくと、その作家の息づかいまでが聞こえてくる」
のようなことが書いてあったのだ。

当時私は、ギターを弾いて歌を歌うことに嵌(はま)り始めていて、大学ノートに歌詞を書いてその歌詞の上にギターのコードを書いてなんてことをしていた。で、その延長で自分の好きな詩、短歌、俳句、文章を大学ノートに書き写し始めたのだ。

全てが全て、作者の息づかいが聞こえるわけではないが、
(ああ、ここで句読点を打つのは納得がいくなあ)
なんて思いながら、書き写したことを覚えている。

その大学ノートに書いてあった作品を、コンピュータに打ち込み直したのが君たちに紹介している「アンソロジーノート」の作品なのである。

                ◆

「池田、読んだら、書くんだよ」
と話されていたのが、私の大学時代の恩師、竹内常一先生である。ディベートを学び始めた頃の私は、
(読んだら、話すじゃないのかな?)
と思ったものだが、確かに今は、
(ははあ、読んだら書くだな)
と思うようになっている。


読んだ内容をノートに書き写す。
そして、
なんでこの内容を書き写したいと思ったのかをメモしておく。


授業で使っているアンソロジーノートを使っても良いと思う。自分の好きな言葉を書き加えておくと良いよ。

意見文を書く練習にもなるが、何より、君が中学時代に出会った素晴らしい言葉を残しておくことは、君の人生を豊かにすると思うよ。

*1 私はこうやってゆっくりとページを捲らざるを得ない状況を作って、ムツゴロウシリーズを中学生の頃にじっくりと読んでいましたが、良い子のみなさんはまねしないでね。

(教科通信「志学」 NO. 22 より)

2005/10/15

大事の前に眼鏡を壊す

読書して、教科通信を書いて、風呂に入りながら午前中を過ごす。
休日で授業がないのが残念だと思うのは、久しぶりだ。
あの漢字記憶法を早く担当している子供たち全てに教えてあげたいという気持ちがあるからだ。ちなみに、私の奥さんにも試してみたが、効果はあった。

「WING OF GOD」のDVDをみて、レンタル屋さんに返却しにいきつつ、久しぶりに南平の「えびすや」に向かう。ここは、カレー屋なのにラーメンもうまい。セットで頼む。
ラーメンは八王子系のラーメンなのだが、ちょっと変化があった。タマネギのトッピングに大根とミョウガの乱切りが入っていた。これは面白い。

午後は、新しいDVDを借りて家でごろごろ。
全国教室ディベート連盟の常任理事会に行く準備をしているときに、眼鏡を完全に壊してしまう。明日、重要なミッションが入っているので、慌てて眼鏡を作りに行く。なんとかできあがってほっとする。

さあ、明日に備えて寝よう。

2005/10/14

「なんで、覚えているの?」

というわけで新しい漢字記憶法を実験中である。
結果は、なんと良好である。

1 ベンゴシ 弁護士
2 ソソグ 注ぐ
3 ガラ    柄
4 キガン 祈願
5 ヒジュン 批准
6 シュシ 趣旨
7 ナゲク 嘆く
8 カタマリ 塊
9 スタレル 廃れる
10 アオギ 仰ぎ

の漢字を約五分間で覚えさせたのだが、25人の3年B組のクラスで、23人が満点、1人が9点、1人が8点であった。

この10個の漢字は、去年の高校入試に出題された漢字をそのまま使っている。
教室からは、
「すごい!」
「気持ち悪い」
「なんで、覚えているの?」
という声が出た。

そこで私は、
『昨日覚えた「推薦」とか「携帯」とかも書ける?』
と聞いてみたら、
「書ける」
という。

そんなところに、ある生徒が、
「先生、この漢字はひょっとしたら簡単だから書けるんじゃないですか? もっと難しい漢字で試してみてください」
というので、
『おーし、んじゃあ、「バラ」だ』
とバラの漢字で試してみた。

覚えさせてみると、すぐに書ける。漢字練習などしたことのない、彼や彼女まで書ける。生徒は
「授業の最後にもう一度書いてみたい」
と言う。んだ、んだ、その通りだ。
瞬間的に覚えているだけでは意味がない。

それから20分後、チャイムが鳴りそうになったところで
『おーし、おーし、バラだ。バラだ。バラを書いて見よ』
「おー、書いてみるーーー!」
と書かせてみると24人が書けていた。
ひえーである。

こうなったら、去年の入試に出題された漢字をがんがん覚えてしまおうと言うことになった。私たちが使っている問題集には、去年入試に実際に出題された漢字が304個ある。都立の入試までには十分間に合うだろう。

なんだか、とんでもないことになってきた。

ちなみにバラは、薔薇である。

2005/10/13

子どもたちが、懸命に高みに登ろうとする側

合唱コンクールが近づいてきた。
今日は、三年生のリハーサルがあった。
課題曲は、あの「旅立ちの日に」である。A組はアカペラの黒人霊歌で、B組は「聞こえる」である。

子どもたちが、懸命に高みに登ろうとする側にいられるというのは、教師の最大の喜びの一つである。本当は、あれもこれもアドヴァイスしてあげたいところだが、それをすると彼らの成長が弱まる気がして、二の足を踏む。だから、口パクで歌っているだけの私だ。

時々
「先生も一緒に歌う?」
と聞いてくれるとき、
『おし! 歌うぞ!』
と歌う。メロディをパートごとに覚えている訳でもないので、自分の歌いたいところを勝手に歌う。応援しているんだか邪魔しているんだか分からないが、子どもたちはそれを許してくれる。嬉しいねえ。

A組の黒人霊歌は南部訛の英語で、何を歌っているかよくわからない。そこで、つい、B組の「聞こえる」を廊下で口ずさんでしまう。すると、A組の娘たちから
「私たちの歌も歌って下さい」
とクレームが入る。
『すまん、この歌うたえないんだ』
と言うと、
「じゃあ、B組の歌も歌わないで下さい」
と言われる。そこで、
『じゃあ、課題曲を歌うか』
と廊下で歌うと、娘らも一緒に彼女らのパートを歌いだす。
嬉しいなあ。
この子たちのために力を付けてあげたいなあと思う。

                 ◆

で、ちょっと驚くような漢字の練習方法を見つけた。
これが本当なら、彼ら彼女らに簡単に漢字の力を付けれ上げることができる。
現在、本当にこれで効果があるのか、実験中である。

本日やってみた3Bでは、2/3の生徒が「凄い」と言っていた。
なかには、
「こんなことなら、漢字検定申し込んでおけば良かった」
と言っている生徒もいた。

うまく行ったら、書こうと思う。
お楽しみに。

2005/10/12

本を読むようになるために考えられる手段

夏学期が終わり、夏学期に読んだ本の数が集計されました。
その結果、残念ながら君たちの読書量が伸び悩んでいることが分かりました。和田中学校では三年間で100冊読むことを目指しています。これは、一ヶ月に三、四冊のペースで読むことになります。ただ、この目標はちょっと気を抜くとたどり着けない数になってしまいます。

私は、今までの人生で「本を読みなさい」と言われたことがありません。逆に、「本なんか読んでいるんじゃありません」と言われたことは何回もあります。ええ、引っ越しのときに読み始めた昔の本が面白くて、怒られながらもなお読み続け、更に怒られたのでトイレに隠れて読み続けるということはありましたが、「本を読みなさい」と言われたことはありませんでした。

ということで、私は本を読まない人の気持ちが正直言って分かりにくいので、何が読書を妨げているのか、どうしたら読むようになると思うか、また、読んでいる人は何がきっかけで読むようになったのかなどを諸君に紙に書いてもらいました。その結果、いくつかのことが分かりました。

課題図書が難しい

課題図書は、一ヶ月に一回君たちの朝の読書に合わせて用意している本です。今は、和田中学校に揃えてあったものを順番に与えてます。去年も同じようにして読んでいたので、特に問題があるとは思えないのですが、君たちの意見を見てみると

・自分の興味にあった本でないと読みにくい
・文字が小さい
・挿絵がない
・本が厚い

などがありました。
君たちを本の世界に導くために行っている課題図書ですが、それがそうなっていない、または嫌いにしている可能性もあることがわかりました。

確かに、もう既(すで)に本が好きな人たちであれば、「興味の本でなくても、文字が小さくても、挿絵がなくても、本が厚くても」読むことは可能ですが、まだ本を読みたい読みたいモードに入っていない人にとっては、辛いかもしれないなあ

と思った訳です。

これを受けて、先月ちょっと実験してみたのが、「授業中図書室に行って、自分の好きな本を選び、一冊借りる」というものでした。ある生徒は借りてきた本を一日で読んでしまったと翌日話していたので、効果はあったのでしょう。

これをこれからも続けてみたいと思います。ただ、授業中に捜しにいくというのは限られた授業の時間数なので、いつまでも続けるということはできないかもしれません。今月はやりますが、それ以降もどんどん図書室に借りにいって下さい。もちろん、借りた本はきちんと返してね。

図書カードを取りにいくのが面倒くさい

読み終えた本は、図書カードに書いて10冊ごとに一枚のカードにまとめるようにしています。現在、このカードは職員室においてあります。そして、先生に声をかけて貰うことになっています。(そのぐらいのことは簡単だろう)という思いもありますが、確かに私が中学生であれば、面倒くさいと思うかもしれません(笑)。

そこで、このカードを国語係が管理して教室に置くようにもしたいと思います。読み終えたら、教室においてあるものを使ってどんどん書き込んでいって下さい。とりあえず職員室前に置きますので、必要な人は持っていって下さい。

読む時間がない

んーん、これはなあ。考えられる方法は二つ。一つは、時間を作るです。本が好きな人は、3分、5分と時間ができたら、その時間をこまめに読むのだよ。去年までの先輩が今の君たちより時間があったとは思えないし、君たちよりも圧倒的に時間がない校長先生や私だって、こうして時間を作って読んでいるよ。時間は作って読むしかないんだなあ。

もう一つは、早く読む訓練、つまり「速読」だね。私はトレーニングを受けたことがあるが、受ける前よりも5倍ぐらい早く読めるようになりました。

ただ、これはきちんとトレーニングを受ける必要があるので、簡単にはできません。興味がある人は、聞きにおいで。ちょこっと教えてあげるから。

(教科通信「志学」 NO. 21 より)

2005/10/09

スイカを食す

というわけでスイカである。suika


なんと、今年はスイカが二個成ったのである。ラグビーボール型の小型のスイカである。
一つは、カラスが食べ残り滓を丁寧に蟻が食べてしまった。が、もう一つ成っているのを見つけ、先日の学校説明会のときには、「和田中産のすいか」と名札を付けて展示しておいた。

それを切って学校の冷蔵庫で冷やして食べてみた。
「甘い!」
思ったよりも遥かに甘かった。

これならば、来年は大々的にスイカを育ててみようと思った。
子どもたちがクラブの後にスイカに齧りつくなんて、美しいじゃありませんか。

日当たりの良い、枯れた土地が学校にあったら、スイカ栽培はお勧めです。
苗はDIYショップで売っています。

2005/10/08

書写の授業が終わりました

守破離(しゅ・は・り)という言葉がある。
日本の古典芸能や武道を学ぶ者にとっては、一度は聞いたことのある言葉だ。私が考えるに、簡単に言えばこういう意味である。

 守 今まで伝わってきた技術・文化をそのまま自分のものとして受け継ぐ
 破 受け継いだものを、自分なりの新しい技術・文化でうち破る
 離 その根本には「守」の部分を受け継ぎながら、自分独自の技術・文化を創る

私は書道と剣道を学んでいたので、この守破離という考え方は割とすんなりと理解できる。二年生の君たちには「シナリオ方式のディベート」を指導したが、これもこの守破離の段階的な学び方に基づいた指導だと言っても言い。

もちろん、今回君たちに指導してきた模書は、「守」の部分である。

                  ◆

君たちの書いた授業の感想を読むと二種類に分かれていた。

1) 書写は苦手だったけど、なぞり書きだったので楽しくできた。
2) なぞり書きなので楽だと思ったけど、意外と難しかった。

実に面白い結果だと重う。

1)を書いた諸君の多くは、字を書くことが苦手な諸君である。お手本を見ながら書く書写を「臨書・りんしょ」と言うが、この方法で学ぶのは「守」から「破」に移る段階である。

「守」ができていない諸君に、いきなり「破」をやらせて上手くなるはずがないと私は考えている。水泳で考えれば、ビート板に掴(つか)まりながら、ばた足、面かぶりクロールと段階的に学んでいる最中に
「んじゃあ、25mを自由に泳いでね」
とビート板を取り上げて泳がせるようなものだと思う。

さすがに水泳では命に関わるからこんな荒っぽいことはしないが、書写に限らず物事を学ぶというのはこういう段階的な学習が必要なのではないかと思っている。

ま、何事にも天才がいるもので、こんな守破離など関係なく、いきなりすごい字を書くような生徒もいるが、それは、10年に一人ぐらいであって、そういう人の練習方法を真似しても意味がない。なにせ、相手は天才である。

だから私も君たちも、普通の人が普通よりちょっと努力することで身につけることができるトレーニング方法をしっかりと行うことに力を注ぐのが、間違いない。

                  ◆

2)を書いた人は、ある程度筆の使い方を知っている諸君である。
私は、(和田中学校の諸君は、お習字教室に通っていた生徒が少ないなあ)と実は思っている。今でも続けている人は本当に少ないんじゃないかな。しかし、これは危ないのである。
「生兵法は怪我のもと」という諺がある。「身についていない、生半可な知識や技術に頼って事を行うと、かえって大失敗をすることのたとえ。(大辞林)」という意味だ。私はお習字でもそれを見てきている。ちょっと学んだ人は、逆に筆に対して変な優越感を持ち、その後練習をしないので、上手く書けなくなっている場合がある。

お習字をやっていた人にとって、この模書はじれったいものであろう。しかし、筆の入り方、毛先の回転、筆圧、手首の角度など、どうやったらこの字を書いた人の動きと同じになるのだろうかと考えながら、筆を動かしていくと模書は実に深い学習になると思う。そして、それを実感してくれた人がこういう感想を書いてくれたのだろう。

                  ◆

残念ながら、授業の書写では「守」の入り口で時間切れである。「破離」はとても間に合わない。

興味を持った人は、是非続けて欲しい。お手本と半紙なら用意してあげるよ。

(教科通信「志学」 NO. 20 より)

2005/10/05

おやすみなさい

体調が優れないので、今日は静かに寝ます。
みなさんは、お元気で過ごされますように。
おやすみなさい。

2005/10/04

修学旅行 外伝

「先生、一番美味しいのは摘み食いでしょ」

八紘閣のご主人、小野塚さんが私の耳元でささやいた。

修学旅行その2で、新潟県の塩沢まで出かけていった時のお昼御飯である。魚沼産特Aクラスの新米を「糠釜・ぬかがま」という伝統的で手の込んだ方法で炊いてくれたのだが、私が写真を撮っているときにそういわれたのである。

(そう言われたって、そんなことできるわけないよなあ)
と思っていたところに、

「ほら、先生」

と杓文字(しゃもじ)に載せた米を私の目の前に差し出してくれた。

こうなったら受けねばならない。私は両手でお椀のような形を作り、その中に受け止めた。そして、慌てて口の中に含んだ。

そこでは、次のような展開があった。

1)熱いと思った瞬間
2)もっちり感が口の内側に伝わり
3)香りが鼻腔に広がり
4)ほーほーとその香りを味わっているときに、口の中に唾液が満ちてきて
5)噛み噛みすると、唾液で冷まされて適温になった米から、その滋養と味が口腔(こうくう)全体に広がる

というものであった。
ほんの少しだけ
(生徒諸君よ、すまん。先に味わってしまった)
と思ったが、圧倒的な米のうまさに私の思いは再び米に奪われてしまった。噛みしめるほどに、米に奪われていってしまったのだよ。すまん。

kome


                  ◆

米の炊き方は、「始めちょろちょろ、中ぱっぱ。赤子泣くともフタ取るな」と言われるが、私が観察したところによると、もう少し細かい気配りがされていた。何かと言えば、

「米を釜の中で水平に入れる」

というものである。米と水の入ったお釜を糠釜に移すときに衝撃が伝わってしまったのだが、宿の方は、すかさずフタを開けて中の米が平らになっているかを確認していた。ちょっとした気配りだとは思うが、おそらくこういう点で米の炊きあがりは決定的に違うのであろう。

たぶん、何かをするにおいても、この「米を釜の中で水平に入れる」のようなことはあるのだろう。が、それが素人にはなかなか見つからない。そこが見つけられるのがプロであり、見つけるために日々の積み重ねが必要になるのだろうと感じていた。

火をくべてからは、最初に強火で10分、次に遠火で10分、最後に蒸らしに10分という三段階で炊きあげていた。件(くだん)の小野塚さんは、

「この三段階が分かると、米はどこでも美味しく炊けるようになるんだよ」

と君たちに話しかけていたが、君たちはしっかりと聞けていたかねえ。お腹が空いてそれどころではなかったかな。真実の言葉短く、そして突然訪れるのだよ。

                  ◆

米の水加減、山の風と雨の関係、花の咲いた冥加(みょうが)の行方、天空米、涙の訳と書きたいことは沢山(たくさん)ある。

が、それは君たちの書く作文に任せようと思う。

良い修学旅行でした。

(教科通信「志学」 NO. 19 より)

2005/10/03

きりんです

最近、生徒に、しかも授業を持っていない一年生の生徒に
「先生、『きりんです』って言ってください」
と言われる。
(きりん? ああ、あれね)
と心当たりに応じて
『きりんです』
と言ってあげる。
「似てる〜〜〜〜〜〜」
と言って喜ぶ子どもたち。

かの良寛和尚は、子どもたちが望むので有れば地べたに寝転がって
泥だらけになりながら動物の真似までしたという話を、私の敬愛するかつての校長であった
蛭田先生から伺ったことがある。

私は
『きりんです』
と真似するだけだが、ちょっとは良寛和尚に近づいたのか、はたまた遠ざかったのか。

私が何者かは分からないのに「先生、『きりんです』って言ってください」と言ってくる子どもたちにちょこっとつき合っている私である。

2005/10/02

明日から秋学期

土日は、地元でのんびり。yuukei


南大沢のラフェット多摩で買い物をして、
読みかけの本を読み進めて、
ベランダで寝ころんで、
釣りに行ってと
寛ぐ。

つり場で空を見上げたら美しい夕景であった。
これが、聖蹟桜ヶ丘なんだなあ。
2yuukeitate

                  ◆

さて、明日から和田中学校は秋学期。
今年度もちょうど半分が終了。
合唱コンクールを中心に動いていくが、じっくりと勉強もさせたいなあ。

また、月末にはディベートの秋の大会がある。
子どもたちが、良い試合を展開できるように指導したいものである。

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