« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »

2005/11/30

12/3に講座があります

以下のように講座があります。
私も前座で一つ講座を担当します。
本編はとても力のつく講座です。
ぜひ、お越し下さい。

引用開始 ーーーーーーーーーー


第22回連続ワークショップ
教師力UPセミナー2005のご案内
〜熱血教師が語る!子どもの力を引き出す方法〜

 最近、授業中、子どもたちが教師の話を聞かなかったり、すぐに
立ち歩きをはじめてしまったり、そもそも教科書を出すことを拒ん
だりなど、授業成立がなかなかむずかしくなってきているようで
す。比喩的に言えば、いま、教室は「安定した草原」ではなく、
「不安定な湿地」になってきたというふうに言えるのではないで
しょうか。

 こうした中、いま「授業成立を支える基礎技術」が強く求められ
ています。子どもを引きつける授業技術、子どもの集中力を生み出
す授業技術、子どもたちがついてくる授業技術です。

 高度な技術ではダメです。誰にでもできる普通の授業を支える授
業成立のための基礎技術が必要です。そうしたベーシックな教育技
術を学ぶために「教師力UPセミナー2005−」を企画しました。

 今回は、熱血教師・杉渕鉄良氏をお迎えします。
 10マス計算や音読指導など基礎学力指導に定評のある先生です。
基礎学力指導というと重くなりそうですが、杉渕メソッドの特徴は
明るく楽しいことです。たくさんの教育技術を使いこなして子ども
たちを育てていきます。「1000の技を持つ男」です。杉渕氏のワー
クショップを直接体験することによって、様々な役に立つ技能・技
術を知ることができるはずです。

 最近、授業が成り立たないことが増えたと悩んでいる方、子ども
たちをもっと引きつける授業をしてみたいと考えている方、授業の
中で子どもたちの知的な学びを作りだしたいという方、ぜひこのセ
ミナーに参加してみて下さい。きっと新しいヒントが見つかりま
す。

■日時:12月3日(土)13:00〜17:00
■場所:成蹊大学 9号館302教室(武蔵野市吉祥寺北町)
 *JR中央・総武線、井の頭線、地下鉄「吉祥寺駅」下車。
  吉祥寺駅前より関東バスで成蹊学園前下車(約10分)。

■演題・講師:
(1)教科別基礎講座
 13:00〜13:30「国語科学習ゲーム」
 ●講師:星 彰氏(東京都福生市立福生第七小学校)
  1979年東京都生まれ。小学校教師4年目。自己肯定感を持ち、
  自分をのびのびと表現できる子どもに育てようと、日々修行
  中。特に、話し合い活動に力を入れています。
 13:30〜14:00「これだけは身につけたい生徒指導の基礎技術」
 ●講師:池田修氏(東京都杉並区立和田中学校)
  1962年東京都生まれ。東京都教育委員会認定講師、NPO全国
  教室ディベート連盟常任理事。著書「こんなときどう言い返す
  ユーモアあふれる担任の言葉」(学事出版)など多数。
(2)特別テーマ講座
 14:00〜17:00「熱血教師が語る!子どもの力を引き出す方法」
 ●講師:杉渕鉄良氏(東京都板橋区立新河岸小学校)
  彩の国の住人。趣味は、格闘技、ボクシングを見ること、読
  書。著書に『家庭楽習でわが子は変わる—鉄人の学力向上法』
  『子どもの学力がぐんぐん伸びる家庭楽習』などの家庭向け教
  育書がある。

■定員:50名(定員になり次第締め切ります)
■参加費:2500円(授業づくりネットワーク会員:2000円)
     *当日お支払いください。

★申込・問い合ケ先
1)氏名、2)会員・一般の別、3)〒・住所、4)電話・FAX番号
5)勤務先、6)メールアドレスを明記の上、下記あてにFAX、
Eメールまたはハガキでお申し込み下さい。 
 授業づくりネットワーク事務局 担当:鈴木宣昭
 〒162-0814新宿区新小川町6-12 TEL/FAX:03-3269-3715
 Eメール:yoyaku@jugyo.jp

引用終了 ーーーーーーーーーー

では。

50分の上映会

このところ、三日続けて不思議な現象がある。
仕事が終わり、バス停に向かうのだが、バス停に届くか届かないというタイミングでバス停にバスが現れるのである。まるで、お抱えバスを持っているような感じだ。
ま、行きのバスは遅れ気味で迷惑している部分もあるのだが、このお抱えバス感覚はなんとも言えず良い。

                    ◆

また、帰りの楽しみというか、帰りの電車の活用方法を変えつつある。実験中だ。
いつもは、笹塚駅から急行か各駅停車に乗り、明大前駅で特急か準特急に乗り換えて聖蹟桜ヶ丘駅までという方法をとっている。この方法だと、接続次第だが乗っている時間は30分弱である。ただし、立ったまま。

そこで、笹塚駅から聖蹟桜ヶ丘駅まで各駅停車で帰ることにしてみた。乗っている時間は50分だが、座れる。そこで、膝にマックを広げて、一仕事するわけだ。

で、このときに一緒にDVDで映画を見るのである。私のPCは、ibookの12インチであるが、画像を半分にして、イヤホンで聴きながらでも結構楽しめる。

もちろん、重たい仕事はできないし、しない。例えば、授業の構想メモとか、教科通信とか、ブログの記事とかをするのである。

特急に比べて20分ぐらい帰宅時間は遅くなるが、なんとも良い時間である。
ちなみに、今日のDVDは、「swing-girls first & last concert」である。あの「swing-girls」の出演者たちによるライブコンサートだ。

50分間の乗車時間なら、ちょうどテレビ一回分になるな。今まで見ていなかったテレビドラマのDVDを見るという手もあるな。ふむふむ。なかなか楽しめる企画になりそうだ。

2005/11/29

自分でやる部分が増えるのだ

期末試験が終わった。今回のテストでは、いつもの漢字の出題よりも多くの漢字を出した。いつもは、読みが5問、書き取りが5問の10問だが、今回は書き取り15問で行った。というのは、この間、漢字の学習方法として新しく「津川式超記憶法」というものを紹介し行ってきたからだ。

私としては、

・ 重点的に指導してきたところ
・ 努力をすれば点数につながるところ

の配点を多くしたつもりだ。で、その結果はどのようになったかが問題である。

                  ◆

採点して得た感想は何かというと、
(ああ、学習習慣ができている人と、そうではない人の差がでたな)
というものである。『志学 NO.25』に私は以下のように書いた。

引用開始 ーーーーーーーーーー


津川式記憶術の私が考える弱点、つまり、四回時間をおいて記憶をするという部分の克服方法です。もう一度引用してみましょう。

なお、どのくらいの期間が「覚えている期間」かということですが、基本は、覚えてすぐに一回目、八時間〜一日以内に二回目、二〜四日以内に三回目、四〜一〇日以内に繰り返す時間を見つけてください。
                               『世界最速「超」記憶法』109p

引用終了 ーーーーーーーーーー

まさに、ここであったと分かった。
確認してほしい。授業中に津川式で漢字を覚えている時には、90%以上の諸君が、その場で簡単に漢字が書けるようになっていたこと。ところが、期末考査になると、できた人とできなかった人に分かれているのだ。

漢字の満点である30点を手に入れることのできた諸君は、この引用した部分がきちんとできた人であろう。そして、満点に遥かに届かなかった人は、ここができなかった諸君であろう。

                  ◆

私の知り合いに、この津川式の漢字の学習方法を使って、小学校の学級で漢字学習に取り組んだ先生がいる。その学級では、一週間後の漢字テストでは、50問の漢字、1問2点で平均点が98点を超えたということが報告されていた。

この小学校との違いはどこにあるのだろうか。それは、小学校では「二〜四日以内に三回目、四〜一〇日以内に繰り返す」を担任の先生が帰りの学活を使ってやらせていたが、中学校では、国語の授業中にこれをやらなかったことにあると思っている。中学校ではやらずに、『「二〜四日以内に三回目、四〜一〇日以内に繰り返す」ことは大事だから、やるんだよ』との話をした。かなり丁寧に話をした。

私は、意識してこの違いで指導した。

                  ◆

では、なぜ国語の授業中にやらずに、話をしただけにしたのか。もう分かると思いう。そうだ、「先生がその場にいて、時間を作り、強制的に行う学習」から、「先生が心の中にいて、時間は自分で設定し、自分からやろうと思って行う学習」を身につけてくれることを期待したからなのである。

学校に行っていれば勉強ができるようになると言うのは、半分正しくて半分違う。やっぱり自分からやる時間がないと、身に付くものも身に付かない。だから「側座核」の話も『志学』に書いたのだ。

小学校の勉強は、先生が側にいてくれていいのだと思う。だから、学級担任がほとんどの教科を教えてくれる。だが、中学校以降はそうではない。自分でやる部分が増えるのだ。

心の中に、
(よし、これはやらなければならないぞ)
と自分で自分に声を掛け、自分や自分の仲間とでやらなければならないことが増えてくる。そして、ここは大人が手助けしにくい部分なのだ。

なぜなら、それは、君が大人になるということの一部なのだからだ。

(教科通信「志学」 NO. 35 より)

2005/11/28

ちょっと関係していた

マンション問題、人ごとだと思っていたら、ちょっと関係していた。
私の住んでいるマンションも、ここには書けないが知っている人は知っているほど凄いことがあったが、そのこととも違う。

奥さんがつい最近、奈良に旅行に行ったのだが、その時に泊まったホテルが、例の建築士が関わって建築基準より下回っていたホテルだったのだ。

「安くて、きれいなホテルを見つけた」

と言っていて、そこに泊まったのだがそのホテルが件のホテルだったのが分かったのだ。

何事もなく帰ってきたら良かったけど、もしも何かあったらと思うと、恐ろしい。

2005/11/27

優勝パレードのあとの光景

ロッテマリーンズの優勝パレードが幕張で行われた。ディベート甲子園の全国大会で馴染みの街である。ビルの窓から、紙吹雪が舞う。きれいだ。

テレビでは、そのパレードの後にファンや子どもたちが紙吹雪を掃除している姿が映し出されていた。そして、
「良い姿ですねえ」
というコメントがあった。
確かにそうだが、実になかなか世界は広い。

向田邦子さんのエッセイにあったと思うのだが、確かブラジルのサンパウロでは12月31日、仕事が終わると、不必要な書類はビルからばらまくのだそうだ。そして、そのゴミは仕事のないホームレスたちが片付け、新年を過ごすためのお金を手にするというのだ。

日本の学校では生徒の「仕事」になっている学校の清掃も、アメリカでは業者の仕事になっていることがほとんどで、もし生徒が掃除をすることになれば、清掃業者は失業してしまうとのこと。

『下流社会』で論じられたように、日本がこの方向に行くのであれば、日本の優勝パレードのあとの光景も、変わるのかもしれないなあと思った。

2005/11/26

採点の日

午前五時半に起床して、風呂に入り一日を始める。
朝ご飯を食べてから、国立の桜の紅葉を見に行く。午前中の光が当たっている方がきれいに見えると思ったので、奥さんと出かける。きれいだったなあ。
ついでにスーパー紀伊国屋で、いくつか珍しい食材を買う。

そして、帰宅して、さあ採点というところで睡魔が襲ってくる。
やっぱり疲れが出たか。
このまま採点をすると、採点間違い続出の可能性があるので、寝る。

お昼のパスタを食べてから、一気に採点。
はあ、疲れた。

明日は、答案の再チェックと、今度こそ原稿書きだあ。

2005/11/25

秋の多摩の一日

祭日は久しぶりに休んだ。テスト問題を作り終え、採点前の空白の一日であった。ええ、もちろん書かなければならない原稿もあるのですが、すみません、秋の一日を優先してしまいました。

出かけたのは、多摩市の公報に載っていたイベント。防人の歩いた多摩の横山を歩く会である。私の住む多摩市は、万葉集に乗っている防人歌のふるさとなのだ。

たとえば、

4417: 赤駒を山野にはがし捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ(椋椅部荒虫妻:宇遅部黒女)
4423: 足柄の御坂に立して袖振らば家なる妹はさやに見もかも(藤原部等母麻呂)
4425: 防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず


がある。この防人歌で歌っている場所を、防人に扮した俳優と、その防人の妻に扮した女優が多摩の横山を歩くというイベントであった。

自宅から歩き始めて家に帰ってくるまで5〜6キロという行程であったろうか。多摩市の連行寺や聖ヶ丘の住宅街、都立桜ヶ丘公園と通り抜けていくのだが、紅葉が見事であった。また、ガイドの説明も面白く、なかなか楽しかった。

例えば、

・古代東海道は、この足下1.5メートルのところにあるだろう。
・古代東海道を一部発掘調査したときの写真は、これです。
・この竹やぶの中に古代東海道はあると思われます。
・奈良の春日大社は、茨城の鹿島神社から神様が出向いていっている。
・聖蹟桜ヶ丘にある鄙びた細い道は、かつて多摩川を渡るための渡し場に通じる道であった。

なんて話もあった。

2


多摩の横山の遊歩道に、防人が妻と別れる場所と思われる見晴らしの良い丘で、防人は手を振り、妻も手を振りということをするのだが、面白くもありつつ良かった。

sakimori2


イベントの最後は、
「なおも防人は行くのであった」
と司会者に言われ、一人歩き続けていくという演出もあったりで良かった。

                ◆

それにしても今から1400年ぐらい前に、この多摩の地から九州まで行くというのは、大変なことであったろう。人の寿命が30年ぐらいのときに、3年間派遣されるというのはつらいことであり、生きて再び会えないというのが暗黙の了解であったろう。

そして、もう一つすごいと思うのは、話し言葉はあっても書き言葉を持たない庶民の歌が、多摩から奈良まで伝わったという事実である。途中で誰かが書き留めたのか、書き留めた物が伝わったのかは良く分からないが、やっぱりすごいと思う。歌の持つ生命力と言うかパワーというか、そういうものなのだろう。

                  ◆

これで一日が終わった訳ではない。
勤労感謝の日である23日は、多摩市のお風呂屋さんは無料で入れるのだ。風呂好きの私はいそいそと出かけていった。あー極楽。

                  ◆

そして、夜は高幡不動の万燈会(まんとうえ)に行った。
紅葉がライトアップされる中で、五重塔に提灯が飾られ、階段にはろうそくとかがり火。これも幻想的な世界であった。

秋を十分楽しみつつ、非常に安上がりな一日であった。満足、満足。

ここで「YOU メッセージ」かあ?

天声人語でも取り上げられていたマラソンの高橋尚子さんのレース後のインタビュー。天声人語では良い評価がされていたが、私はダメであった。ものすごい違和感を感じて聞いていた。

オリンピックで頂点を極めた彼女が、その後いくつかの挫折を味わい、マラソン選手としての自分をあきらめて引退しようかと思ったところから、再起を図って今回の優勝。すごいなあと思う。

が、レース後にあったインタビューでは、なぜか自分のことを語るのではなく、つらい苦しみの中にいる人たちへのメッセージになっていた。

こういう場面では、通常「I メッセージ」である。つまり、「私は〜をしてきました」「私は〜に感謝しています」のように語られる。そしてその「I メッセージ」に寄り添いながら話を聞いて、
(そうだよなの。そういうのってあるよな)
と自分に重ねながら感動するのだが、今回は違った。

彼女のインタビューは「YOU メッセージ」であった。「あなたは、〜してください」「あなたも〜のはずです」というメッセージであった。

私は、このメッセージに違和感を感じた。
なんだか、政治家の街頭演説のように感じた。

確かに、大変なレースに勝ったというのはすごいと思うが、だから、「私が頑張ったのだから、あなたも頑張れ」というメッセージ、私はダメだなあ。

ただ、こういう思いであのインタビューを聞いていた人は、そんなに多くはないと思う。多くの人は、彼女の話に感動しながら聞いていたんだろうなあと思う。

でも、私はダメなんだあ。
この感覚分かってもらえるかなあ。

2005/11/22

問題作成

秋学期の期末考査が始まった。
国語科は24日の一時間目なので、今日中に印刷を終えておく。自分で作った問題は、丁寧に点検しないと、間違いが見つけられない。作り終わって最低一日は寝かせておいて、それで点検するのだが、それでも発見できないミスがある。なぜかと言えば、

1)自分では正しいと思って作っている。
2)問題のフレームは過去の問題を使い回している。
3)細切れの時間で作っている。

ということがあるだろうか。

1)は、間違っているものを作ろうとしていないので、チェックする時も自ずから正しいはずというバイアスが自分の目にかかっているからだ。このバイアスを解くのは実に難しい。だから他人の目に寄るチェックが必要なのだが、同僚も同じ時期に時間のない中やりくりして作っている訳で、見てくれというのはお互い様だとしてもなかなか言いにくい者がある。

2)は、「平成十七年度 和田中学校 国語科三年 夏学期 期末考査 実施日 ○月 ○日 担当 池田 修」なんてところだが、春学期に使ったものをかえて使うので、夏学期の部分を春学期のままで出してしまうということがあるわけである。

3)は、まとまった作成時間がなかなか取れないので、細切れの時間で作るということである。一つの単元が終わったところで、その単元の試験問題のアイディアをメモしたり、問題作成までしておく。ところが、あとで見直すと用語の統一が図られていないことがある。また、細かい問題すぎたりすることがある。授業を終えた直後に作ると、細部にまで指導の記憶が残っているので、そこに焦点を当てて問題を作ることになりやすいようである。だから、これも良いようで悪い。

とまあこういうことがあって、試験問題作成のミスが発生するのだと分析している。かつては、試験一週間前と言えば、生徒の指導はないし、会議もなかった。だから、今よりも余裕を持って問題を作れた。また、採点も時間をかけて行えたから、記述問題も数多く出せた。が、今は、このどちらの時間も取れない。結局、子どもの考える力を育てる試験問題は作りにくいことになっている。

教員にゆとりがないままで、良い教育をしろというのは、長い時間をかけて人を育てる仕事がどういうものなのか、少し誤解しているのではないかとも思う。

教務専門の事務職員を創設するような教育改革が必要なのだが、そういう方向には行っていかないのかなあ。

 

2005/11/21

熱っぽい

ので、寝ます。
今から寝れば、9時間近く寝られるな。

おやすみなさい。

2005/11/20

白楽天に捧ぐ

「林間に酒を煖めて紅葉を焚く」とは白楽天の詩の一節である。

試験問題が出来上がらない私は、気分転換にと春の桜に使ったライトアップ用の電気を取り出して、外の欅に光を当てて喜んでいる。kouyou5


本当なら、ここにぬる燗を用意してチビチビとやるところであるが、試験問題が出来上がらないでいると落ち着かないなあ。ではあるが、このロケーションの方が大事だ。

白楽天の気分に少し浸る方が、今宵は意味があるように思える。

さて、さて、炭火をおこして夕餉の支度を始めるとするか。

100ドルPC

http://japan.cnet.com/news/tech/story/0,2000047674,20091069,00.htm?tag=blogger.cr

いやあ、これなら中学生にも一人一台で大丈夫だ。
リナックスがOSとのことだが、例えばマックがOS9.2.2を無償で入れてくれたらもっと良いのになあ。

手動でバッテリ−に充電できるのもいいなあ。
私だってほしい。

雲に引っ張られる

試験問題を作りながら一日を過ごしている訳です。疲れると、他の原稿に手を出して、また疲れると外を見る訳です。

我が家の北側には多摩川が流れていて、その多摩川がリビングからよく見える訳です。その空をじーっと見ていると、雲が南から北へとゆっくりと流れていくのが見えます。

で、その空に体を任せていると、自分の体が雲と一緒に北側に引っ張られていく気がする訳です。akisorad

そこで、そのままにしていると前にひっくり返ってしまうので、うーんと体を反らせバランスを保つのです。

そう、そうして体を反らしてコンピュータで固まった私の体をほぐすのです。

2005/11/19

直径2mm、0.7gの側座核を使え

来週から、秋学期の期末考査が始まる。

この秋学期はなんと言っても最大の行事を乗り越えながら、自分の進路の方向性を定めるという非常に大きな学びがあった。この学びは、その場だけでなんとかやってしまうことはできない。三年間の少しずつの学びが積み重なってできるというものである。

提出物一つにとっても、期日に何事もなく出せる人もいれば、一週間も十日もほったらかしにして怒られてやっと提出する人もいれば、提出したと思ったら鉛筆書きであったり、判子がなくて再提出しなければならない人もいた。おかしな所を注意されたらきちんと直してきた人と、適当に誤魔化してきたととでは、この時期の乗り越え方が全然違ったであろう。

当たり前のことだが、努力を重ねてきた人とそうでない人の結果が同じ訳がない。心しなければならない。残り少ないテスト勉強の時間を有意義に過ごそう。

やる気を十分に持って望んでほしい。

                   ◆

しかし、この時期になっても「やる気」がでてこない人もいるようである。保護者会などでも
「先生、うちの子どもやる気がないんですけど、どうしたらやる気が出るでしょうか?」
などと相談されることがある。以前なら、
「やる気は本人の問題ですからねえ」
と答えにならない答えしか言えなかったのだが、最近の脳科学の発達は、やる気も解明しつつあるらしい。

実は、やる気を出させる魔法の言葉がある。その魔法の言葉は、

とにかく、まずやってみよう

である。
科学的にはこれしかないらしい。なぜだろうか。やる気を司(つかさど)っているのは大脳の中に左右一つずつある直径2mm、0,7gの「側座核(そくざかく)」という部分である。この「側座核」は、刺激を受けることで「やる気」というホルモンを分泌するという。つまり、ある程度の刺激を与えないと、やる気は生まれてこないのだ。ただ、ぼーっと過ごしていてもやる気は生まれてこないのだ。

たとえば、親にさんざん言われて仕方なしに机の周りの片づけをはじめるとする。はじめたときには嫌々だったのに、事が進んでくると熱中して思っていた以上に片づけてしまったという経験はないだろうか。これが、やる気の構造なのである。

そうだとすれば、「とにかくまずやってみよう」という言葉を受け入れることである。この言葉を親や先生に言われて受け入れることが第一段階。最終的には自分でこの言葉を自分に向けてつぶやき、スタートを切るのである。これこそが、やる気を出す第一歩なのである。

                   ◆

「好きこそ物の上手なれ」ということわざも、このやる気に関連している。脳の仕組みでは、扁桃核という部分がこれに関連している。この部分は自分の目的を「好きか嫌いか」で判断して行動に移そうとする部分である。好きなことは楽しくやり、嫌いなことはやらない。この扁桃核を活発にするには、ちょっと生理的な危機状態に置くと良いらしい。ちょっとでいい。頭寒足熱のように頭を冷やすとか、空腹状態を作るとかである。それで好きなことをやると良い。

で、好き嫌いだけで動かないように記憶に則って動くことも脳は考えている。それが海馬という部分である。自分の経験で良かった部分に従って動くのである。だから、今までの学習で成果のあったところから、その先を行うと効率がよいのである。

                  ◆

当たり前のことだが、努力を重ねてきた人とそうでない人の結果が同じ訳がない。

だから、やる気を自分で作り出して、この週末を充実した学びで満たして欲しい。

君たちの努力が学力の向上と人間的な成長に結びつくことを、願っている。

頑張れ。

(教科通信「志学」 NO. 34 より)

2005/11/18

清冽な空気を胸いっぱいに吸って

卒業アルバムの個人写真の撮影があった。学年の集合写真もあった。教職員の撮影もあった。さすがの私は、今日に限って(でもないが)、ひげを剃っていくのを忘れた。また、いつも締めているレジメンタルのネクタイも忘れ、ペイズリーのネクタイであった。ああ、彼らの卒業アルバムには、そんな私が残るのか。

彼らが写真撮影をされているときに、さんざん笑かしていたのだが、自分が撮影の時に逆にやられてしまった。ま、がんばって平常の笑顔で収まれたとは思うけど。そんな他愛もない時間が、逆に卒業へのカウントダウンを始めさせる。

                  ◆

外を見ると、空は青く、芝は緑で、銀杏は少し黄色くなってきた。
昨日、授業中に
『今日は、秋ですか冬ですか?』
と聞いてみたら、2/5が秋で、3/5が冬と答えていた。


秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。

鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや

げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。


P.ヴェルレエヌは、秋の一日、落ち葉を見ながらこのように詩にしたが、秋の終わりであっても冬の始まりであっても、和田中の子どもたちには、まだこの詩のなんたるかはわからん。いや、わからないでいいのだが、「秋の日の ヴィオロンの」と呟ける人生って結構カッチョ良いと思うので、授業で教える。アンソロジーノートだ。

私の家と駅とをつなぐペイブメントには、街路樹の桜の葉が積もりだした。積もってはくるのだが、行き交う人たちがそれを踏みつぶし、粉々にしていく。私もその上を歩く。すると、いつもはペイブメントと靴の抵抗ですたすた歩けるのに、落ち葉が間に入ることで、靴がペイブメントをしっかりと掴めないので、妙な歩き方になる。

だが、これも秋なのだ。

でも、なんか、切ない。

                  ◆

そういえば昨日あたりは十六夜だったかな。
きれいな月があがっていた。
このところ、いろいろとあって全国教室ディベート連盟の常任理事会へも顔を出せていない。理事会が終わった後に、仲間たちと食事しながらいろいろと話すのも楽しいのだが、それもままならないのは、ちょっと寂しいなあ。

ま、そういうときは、牧水である。

白玉の歯にしみとほる秋の夜の
 酒は静かに飲むべかりけり

実に、実に、今の季節だなあと思う。

                  ◆

あんなに暑かった夏をきれいさっぱりと掃き清めたような秋の空。
そして、そこから降ってくる清冽な空気を胸いっぱいに吸って、
(今年もあと一ヶ月半か)
と思う私でありました。

2005/11/17

1000円の手数料

朝、おそるおそる聖蹟桜ヶ丘の駅事務所に私の定期券が届いていないかを確認する。
すると、
「ちょっとお待ちください」
と確認の電話。
「えっと、代田橋駅に届いていますね。2月までの定期ですよね」
『え、やったあ』
ということでおなかの具合が悪い私ではあったが、少し元気になる。

学校である生徒と話していたら、
「先生、定期なくした」
という。
(あれ、この娘、私のブログを読んでいるのかな? なんで知っているんだろう?)
と思って聞いてみた。すると、
「バス共通カードなくした」
という。
(を、これは読んでいるなあ)
と思って話を続けるのだが、どうも要領を得ない。で、よーく聞いてみると
本人がバス共通カードの入った定期入れをなくしてしまったということが分かった。

なんということだf(^^;。
師弟志を・・・ではないが、なにも同じ時に無くさなくても良いのに。

学校の帰りに定期を引き取りに出かける。
紛失した「新代田駅」行きのバスに乗り、新代田駅に到着。

そこで
『定期券は届いていますか?』
と聞くと、
「ない」
とのこと。
(そ、そんなあ)
と思ったが
(あ、ひょっとして)
『すみません、代田橋かもしれません。聞いてもらえます?』
「はい、良いですよ」
と確認してもらうとあるという。

文字にして代田橋と新代田で見ればはっきりと別に見えるが、舞い上がっていた私にはごっちゃになってしまった。でも、間違いやすい名前だよね。

で、ふと思ったのだが、代田橋がどこにあるのかが分からない。そこで新代田の英金さんに聞いた。
「井の頭線で明大前に行き、明大前の次ですよ」
『ああ、そうか。いつも急行ですぎているから思いつかなかったのか』
と納得して、代田橋の駅に向かった。

ところが、何を考えていたのか明大前駅から下りに乗ってしまった。
慌てて上りに乗り換えて代田橋に向かった。

代田橋駅では、身分証明書を見せて無事定期券は手元に戻った。

が、緊急用に入れてあった1000円はみごとになくなっていた。まあ、これは手数料として考えれば良いだろう。

振り返ってみると、定期はどうやらバスの代田橋駅で降りて電車の代田橋駅に向かう途中になくしたと考えるのが正しいようだ。

定期をしまったつもりが落としていて、それを駅に1000円の手数料で届けてくれたのだからありがたいと思おう。

それにしても、こんなに訳が分からなくなるなんて、やっぱり疲れがたまっているんだろうなあ。>やっぱり書いてしまいました。あべたかさん、ごめんねf(^^;。

2005/11/16

はあ。

ああ、やってしまった。
定期券である。

あと三ヶ月分のこっているのに、紛失してしまった。
帰りのバスに乗るときは、それを使って乗った。
で、電車で使おうと思ったら、なかった。
ということは、バスの中だ!と思って営業所に電話したら、
届いていないとのこと。

はあ。
無くさないように毎日気を使って通勤していて、
これだけで疲れているぐらいなのだが、
落としてしまった。

やっぱり私には電車通勤はできないなあ。
はあ。

ま、山あり谷ありだ。

2005/11/15

しかし、お父さんかあ

寒い。
急に寒い。
今日も寒い。

学校は12月にならないと暖房が入らない。
ブレザーの上着にネクタイだけでは、寒い。
だから、今日は学校にセーターを持っていった。
電車の中は暑いので、学校で着るように持っていったのだ。

だんだん暖かくなるかと思ったら、気温も上がらなかったので
途中でブレザーを脱いでセーターに着替えた。
さすがにセーターを着てブレザーを着ることはできなかったので。

それで三年生の授業にいったら
「えーーーーー!」
であった。

『ん? 何かおかしい?』
「先生、制服でない!」
『というか、私はいつも私服だが』
「上着がない」
『セーターも上着だが』
「なんか、お父さんみたい」
『お前のような娘を持った覚えはない』
「そうじゃなくてえ〜」

廊下を歩いていたら、二年生の女子にも同じように言われた。
「お父様」
「父上」
なんだかなあと思っていたら、
「私もおかげさまで14歳になりました」
とのこと。

一応、バーバリーのアーガイル模様のセーターなのだが、子どもたちには分からんようだ。そうこうしているうちに、あちこちから
「お父さん!」
「パパ!」
と呼ばれ、あっという間に数十人の子どもができてしまったf(^^;。

ま、セーター一枚でこれだけ盛り上がる子どもたちもかわいいものだが。

しかし、お父さんかあ。

2005/11/14

持久走の娘たち

急に寒くなりました。
HPの表紙のように、我が家の目の前の公園にある欅はきれいに色づき始めました。

所用があって休み時間に外で電話をしていたところ、次の時間体育である中三の娘たちが
「先生、寒ーい」
と言いながら寄ってきました。
『をを、寒いな』
種目は持久走で、そのために半袖半ズボンである娘らは、確かに見た目にも寒そう。
『んじゃあ、先生のブレザー着るか?』
「ん。いいですよ」

まあ、着るとは思っていなかったが、きちんと遠慮しているのを見ると
よく育っているなあと思う。

風邪引かないようにがんばれよ、と思う私であった。

2005/11/13

授業づくりネットワーク2006春

ちょっと早いですが、来年春の案内です。
講座の内容はまだ決まりきっていませんが、
日程をあけておいていただければと思います。

なお、私も講師で出ますf(^^;。

引用開始 ーーーーーーーーーー


授業づくりネットワーク2006春

 「授業成立の基礎技術」大集合!〜ワークショップ20〜

  主催 NPO法人「授業づくりネットワーク」
  後援 東京都教育委員会(申請中)
     武蔵野市教育委員会(申請中)

 「安定した草原」から「不安定な湿地」へ、現在の教育現場は大
きな変化の途上にあります。その変化の中で、子どもたちの私語・
立ち歩きなどが発生し、授業が成立しにくい状況が増えてきていま
す。
 この現状を乗り越えるには、教師がいま直面している学級・授業
の状況を的確に「診断」する必要があります。子どもが「安心」で
きる学級、納得できる「説明」が求められます。「表現」を楽しま
せる授業、「対話」を促す授業が求められます。子どもの「集中」
や教師の「フォロー」という視点も必要です。
 以上の認識をもとに、さまざまな「授業成立の基礎技術」を考え
るヒントとなる講座を集めてみました。20講座の中から、お好きな
ワークショップを3つ体験していただきます。ぜひ、ふるってご参
加ください。

■日時 3月27日(月) 10時〜17時(受付は9時 30分から)

■会場  成蹊大学8号館
 http://www.seikei.ac.jp/university/
 東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1
 〈アクセス〉
  JR中央線・総武線(東京メトロ東西線)・京王井の頭線
  吉祥寺駅下車
  ・吉祥寺駅北口バスのりば1・2番より関東バスで約5分
   成蹊学園前下車
  ・吉祥寺駅より徒歩約15分

■日程
9:30〜10:00 受付
10:00〜12:00 ワークショップ型講座1
12:00〜12:45 昼食
12:45〜14:45 ワークショップ型講座2
15:00〜17:00 ワークショップ型講座3
17:30〜19:30 懇親会(希望者のみ)

【参加費】
 一般   3000円
 会員   2500円
 一般学生 2000円
 会員学生 1500円

【懇親会費】
 3500円(希望者のみ)

●申し込み方法
 下記についてHP、Eメール、郵便、FAXでご連絡ください。
  (1)氏名
  (2)一般・会員・一般学生・会員学生の別
  (3)〒・住所
  (4)電話・FAX番号
  (5)Eメールアドレス
  (6)勤務先名
  (7)希望するワークショップ型講座
    1(A〜Gを選択):(  )
    2(H〜Nを選択):(  )
    3(O〜Tを選択):(  )
  (8)懇親会参加の有無
 *参加費、懇親会費は当日払いです。
 *当日受付も行いますが、希望する講座に参加できない場合もあ
  ります。(各講座の定員30名前後)
 *各講座の詳しい内容は次のアドレスをご覧ください。
   http://www.jugyo.jp/
 *申し込み後、1週間以内に連絡がない場合は、トラブルが予想
  されます。恐れ入りますが、再度ご連絡ください。

●申し込み先
 (HPの場合)
  http://www.jugyo.jp/nw2006haru/
 (Eメールの場合)
  nw2006haru@jugyo.jp
 (郵便・FAXの場合)
  〒162-0814 東京都新宿区新小川町6-12
         授業づくりネットワーク事務局
  TEL&FAX 03-3269-3715

引用終了 ーーーーーーーーーー

では。

ゼロトレランス

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051113-00000001-san-soci&kz=soci

いよいよ日本でも導入の方向なのかなあと思う。
この記事からすると高校への導入が検討されている感じである。

和魂洋才ということを考えて明治の政府はいろいろと始めたが、まあ、これはなかなか難しい。
世界が西洋をスタンダードとして追いかけ始めてから、いろいろな摩擦が起きることになるのだが、
このゼロトレランスも、日本がアメリカのスタンダードを大筋で受け入れ続ける限り、
あり得ることだと思う。(もし、世界が東洋をスタンダードとして受け入れていたら、どのような世界になっていただろうと、最近考えるが)

ただ、アメリカの場合、学校で厳しくしてもその現実に対応して更生施設をシステムとして作るが、日本の場合、アイディアだけ先行してシステムを作るための人、もの、金を使わないことが多い。総合的な学習の時間の導入時の例がそうだろう。

現状でも児童相談所は、一人の所員が抱えるケースが1000件を超えているという話を聞いたことがある。ここにこのシステムを導入するのは、厳しいだろう。また、当事者になるかもしれない子どもたちへの説明は誰がどのようにするのであろうか。もし教員が行うことになるのであれば、学校での緊張状態を新たに作る学校が増えるだろうなあ。

学校って、もっとホゲーッとできる場所であったらいいのになあと思う。

2005/11/12

Tiger

仕事が一段落するのを待ってからと思っていたのだが、これがなかなかそうはいかないので、ちょっとしたきっかけを得て、Tigerにバージョンアップした。それも二台同時に。一台はG3ibook。もう一台はG4ibookである。

今のところ小さな問題だけで、大きな問題はない。
ヴァージョンアップは神経を使うけど、今回のはまあ楽だったなあ。

現在のメインマシーンはG4ibookで、もう2年ぐらいになる。バッテリーが少しへたって来たけど、至って元気。さて、今日も原稿書きに活躍して貰おう。

2005/11/10

「お帰りなさい、おやすみなさい」の謎を考える

私は国語の教師であるが、当然、日本語のすべてを理解している訳ではない。
(ん? なんでこれはこんな言い方をするの?)
と疑問に思う言葉が、いまでもある。

今、疑問に思っているのは、「お帰りなさい、おやすみなさい」である。小さい頃の君は、一日の仕事が終わって家に帰ってくるお父さんに、
「お帰りなさい!」
と言って玄関まで迎えただろう。そしてお風呂に入って歯を磨いて、寝るときに
「おやすみなさい」
と言って寝ただろう。

何がおかしいのだ。どこもおかしくない。子どもとはそういうものだし、そういう言い方をしなければ親に怒られたであろう。

しかし、君たちは文法を学んだ。そうだ、活用形の種類だ。「未然形、連用形、終止形、連体形、仮定形、命令形」のあれである。これを知っている諸君は、おかしいと思うであろう。
(「おやすみなさい、お帰りなさい」は、なんで命令形なのだろう?)
と。

もし、命令形ならばこれらの意味は、「早く寝ろ」「帰れよ」の意味になるはずである。しかし、そうではない。この言葉は自分から相手に挨拶として言う言葉であり、相手に命令している内容ではない。しかし、形は命令形である。

そんな話を三年生の授業でしたら
「先生、『ごめんなさい』も、そうじゃありませんか」
と言う。さすが三年生、鋭い。

さて、これはいったいどうしてなのだろうか。

                  ◆

私は今までにも、このような言葉の問題に挑戦してきた。
例えば、「嘘付け」であり「負けず嫌い」である。嘘をついた相手に、「嘘なんか言うなよ」の意味で「嘘付け!」と命令し、「負けるのが嫌いな性格」の生徒に「負けず(負けない)+嫌い=負け(引き分け)好き」という言い方をしているのはなぜなのかと考えてきた。

私は国語の教師なので、こういうことを考えるのが好きなのかもしれないが、なんでかなあと考えてきた。それで本を読んだり、人に聞いたりして答えを「考えて」きた。

ところがである。今は、
(うーん、わからないなあ。そうだ、インターネットで調べよう)
と簡単に調べることができてしまう。私はこれは問題ではないかと考えている。簡単に答え(らしきもの)が出てしまうのは問題ではないかと思うのだ。

インターネットが無かった時代は、自分であーでもない、こーでもないと考え、それで図書館までわざわざ足を運んで調べ、人に頭を下げて教えを乞い、答えを求めた。が、今は簡単すぎるのだ。考えるステップを踏まないで答え(らしきもの)にたどり着いてしまうのだ。考えないことになっているのではないかと思うのだ。

また、話はチョッッとずれるが、よくわからない状態は、人間は不安になるので知ろうとするのだ。が、君たちがこれから出会う問題は、簡単に解決できない問題も多い。そのときに、「今は解けないけど、わからない状態のままでいよう」と問題を抱えていられる強さを育てるのも、君たちには大きな課題だと思うのよ。

                  ◆

三年生の授業では
「『嘘付け』というのは、『嘘つき』がなまったものではないでしょうか?」
という発言があった。これはとても良い発言である。私が調べた範囲では、これは正解ではない。しかし、○○かもしれないと仮説を立てることができるというのは、ものすごく良い。考えるための、調べるためのきっかけができるからだ。

これからの時代は、知識があっても、調べ方を知っていても賢い人とはならないだろう。(あれ? 何か変だぞ)(ひょっとしたらこうかな?)
と思える事がとても大事です。

ちょっと格好いい言葉を使えば、これは「問題発見能力」であり、「課題設定能力」なのであります。

興味があったら、「お帰りなさい」「おやすみなさい」を考え続けてみて下さい。

(教科通信「志学」 NO. 33 より)

2005/11/07

自己PRカードの書き方 進路学習補助資料

都立高校を受検する諸君は、この「自己PRカード」というものを書かなければならない。この「自己PRカード」は、受検書類の中で唯一学校長の判子がいらないものである。つまり、あなたとあなたの保護者が、書類を書くことに責任があるのだ。これは、(注意)にも書いてあるように、「志願者が黒のボールペンで記入する。」のである。

「自己PRカード」に書かなければならない内容は、以下の文言である。

私が貴校の(全日制課程、定時制課程、通信制課程)を受検するにあたり、入学を希望する理由と中学校での活動で特にPRしたいことは、次のとおりです。

1 入学を希望する理由(この学校に入学したい理由と入学してから自分がしたいと思うことなどについて記入しましょう)
2 選択教科や総合的な学習の時間について(第3学年の学習活動の中で、自分が特にPRしたいことを具体的に記入しましょう)
3 諸活動の状況及び実績について(3年間の中学校生活の中で、学級活動、生徒会活動、学校行事、部活動、ボランティア活動、資格・検定等の取得、その他の活動のうちから、自分が特にPRしたいことを具体的に記入しましょう)

さて、何を書けばいいのだろうか?

                  ◆

私たちが口を酸っぱくして言ってきたことは、「きちんとやって結果を残していきましょう」ということであった。「自己PRカード」を書くために言っていたわけではないが、ほとんどの諸君が都立高校の進学を考えることになるだろうし、書くなら書く内容がなければ書けないからである。

ということは、何もやってこれなかった人には厳しいカードだということが分かる。しかし、この「きちんとやって結果を残していきましょう」ということが実感としてわかるのは、
(ああ、私は何もやっていなかった)
と分かる頃なのだから始末が悪い。

果たして、もう駄目なのか。いや、違う。あきらめるな。方法は、二つある。

                  ◆

一つ目。今から「きちんとやって結果を残す」である。大丈夫、まだ時間はある。必死になったときの人間は強い。一つで良い。小さくても良いので、いや小さい方が良い。君にしかできない何かを、きちんとやって結果を残すのだ。書くに値する事実を残すのだ。

やってきた→ この高校に行く → もっとやれる

という流れを作るのだ。

二つ目。やれなかったことを分析するである。あなたはやれなかったのだ。何がやれなかったのか分析するべきである。そして、やりきれなかったことが分かれば、次に生かせるのだ。

やれなかった。→ この高校なら → 今度はやれる

という流れを作るのだ。

                  ◆

二つの方法を行う場合、どちらにも必要なことがある。それは、「なぜあなたはこの高校なのか」という点である。そこで重要なのが東京都教育委員会が出している「本校の期待する生徒の姿」である。ここには、高校側が来てもらいたい生徒の姿が描かれている。たとえば、富士高校では、

本校の特色は、「日々の学習」と「特別活動(部活動・学校行事など)との両立にある。どちらの活動においても、伝統ある進学校にふさわしい、より高い成果が得られることを目標とする。以下の項目について中学で成果をあげ、入学後も引き続き努力できる生徒を期待する。なお、文化・スポーツ等特別推薦を実施する

として、以下に具体的に6つ書かれている。

この中の何か一つが、あなたの「やってきたこと」または「やれなかったこと」とつながるとき、あなたはその学校に必要な人物となるでしょうし、自分を発揮できる学校を見つけることができるのではないかと考えている。つまり、「自分と高校のリンク」を探すことが大事なのだ。

                  ◆

念のため、一つだけ禁句(きんく)を紹介しておきましょう。禁句、つまり書いてはいけない言葉は

「がんばりました」

です。

なぜかというと、この言葉は君が書く言葉ではなく、試験官が呟(つぶや)く言葉なのです。
君が「クラブを頑張りました」と書いてあっても、試験官はなにがなんだか分かりません。ですが、

「演劇部の部員として、一日30分ずつ週に5〜6日間、中学校3年間欠かさずに発声練習をしてきました。」

と何をしてきたのか具体的に書いてあれば、試験官は君の書いた自己PRカードを読んで、

「この生徒は頑張ったんだねえ」

と呟いてくれるのです。「頑張りました」は、君が書く言葉ではなく、試験官が呟く言葉というのは、そう言う意味です。

三年生は、今日から面談。午後、『面接ガイド』も参考に、内容を少し考えておこう。

(教科通信「志学」 NO. 32 より)

名文を暗記するぞ

二年生は、『平家物語』の那須与一を暗記する。今年度のNHK大河ドラマの『義経』を見ている人にとっては、良く分かる話であろう。以下の部分である。


ころは二月十八日の酉の刻ばかりのことなるに、をりふし北風激しくて、磯打つ波も高かりけり。舟は揺り上げ揺りすゑ漂へば、扇もくしに定まらずひらめいたり。沖には平家、舟をいちめんに並べて見物す。陸には源氏、くつばみを並べてこれを見る。いづれもいづれも、晴れならずといふことぞなき。

 与一、目をふさいで、

「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光の権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願はくはあの扇の真ん中射させてたばせたまへ。これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に再び面を向かふべからず。いま一度本国へ迎へんとおぼしめさば、この矢はづさせたまふな。」

と、心のうちに祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱り、扇も射よげにぞなつたりける。

 与一、かぶらを取つてつがひ、よつ引いてひやうど放つ。小兵といふぢう、十二束三伏、弓は強し、浦響くほど長鳴りして、あやまたず扇のかなめぎは一寸ばかりおいて、ひいふつとぞ射切つたる。かぶらは海へ入りければ、扇は空へぞ上がりける。しばしは虚空にひらめきけるが、春風に、一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。

 夕日の輝いたるに、皆紅の扇の日出したるが、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬ揺られければ、沖には平家、舟ばたをたたいて感じたり。陸には源氏、えびらをたたいてどよめきけり。


553字である。今の三年生も去年暗記したところだ。

『平家物語』は、鎌倉時代に文字を読むことのできなかった庶民に、琵琶法師達が語って聞かせた物語である。ここでのポイントは、「語って聞かせる」である。文字を読むことのできなかった庶民でも、文学に触れることができたのである。そして、語り続ける作品であったことが、この作品を鍛え上げてきたのである。

二年生の諸君は、授業で私と一緒に声を出して5回ぐらいは読んでいる。(ま、私は二クラス教えているので君たちの倍読んでいることになるが)もうそろそろ古文の言葉の音が身体に入ってきていることだろう。

こんな少ない回数で身体に入ってくるのは、多くの琵琶法師達が語り続けることで磨かれた文章であるからと言える。言いにくいフレーズは言いやすいフレーズに置き換えられ、覚えやすい決めのせりふが作られ、育てられたのであろう。その文章を覚える。

覚え方として、お勧めなのはペアを作って行うことである。二つやり方がある。


【方法1】

例えば、Aさんが「ころは二月」と言ったらBさんが「十八日の酉の刻ばかりのことなるに、をりふし北風激しくて、・・・」と続けて読むのである。

Bさん役は、「磯打つ波も高かりけり。」と「ころは二月」から始まる一文の最後までを読む。読み終わったら「舟は」とAさんに出題する。これを繰り返す。

【方法2】

Aさんが「ころは二月」と言ったらBさんが「十八日の酉の刻ばかりのことなるに、をりふし北風激しくて、磯打つ波も高かりけり。舟は・・・」と、言える限り続けて読むのである。

で、Bさんが「・・・扇もくしに定まらずひらめいたり。えーと」とつっかえたらそこでストップ。Bさんは、「沖には平家」と出題します。これを受けてAさんが続きを読みます。そして、これを繰り返す。


方法2は、つっかえた数の少ない方が勝ちのゲームにすることもできる。

ポイントは、声に出して読むことだ。800年の時間の流れを感じつつ、覚えるまで読み続けよう。

三年生も思い出しておこう。

(教科通信「志学」 NO. 31 より)

2005/11/06

うれしいねえ。

今年4人目の連絡である。
私の教え子が3人、関係者が1人である。
そう、教員採用試験の合格者である。

東京都中高校社会科1人
東京都小学校全科1人
東京都中高校国語1人(補欠)
千葉県中高校国語1人

ということである。
みんな優秀だなあ、この時代に合格するなんて。
教え子に恵まれる私である。

それから、こんな記事も見つけた。

http://www.sanspo.com/sports/athletics/ekiden/2005/1022yosen.html

正月三日の我が家の卒業生の日が楽しみだ。
中央大学、東海大学の卒業生が遊びに来る。私も母校を応援しよう。

分かってしまえば何でもないが

コンピュータの設定で週末をつぶすところであった。
マックそのものは問題がないのだが、インターネットに関わると
途端にわからなくなる。

私のマシーンの他に、奥さんのマシーンを用意し、そこにniftyの家族メールを設定することになったのだが、これがなかなか分からなかった。

かつて私が修士論文を書いたマシーンを奥さんに渡して、そのマシーンを奥さん専用にするのだが、
設定に難儀した。分かってみれば何でもないのだが、難儀した。

何に困ったかと言えば、

・ ブロバイダーとの契約関係と、コンピュータでの設定が同じなのかずれるのか。

分かってしまえば何でもないのだが、使っている養護も同じなので混乱した。

私が契約しているのだから、インターネットへの設定は、私のIDとパスワードで接続し、その後、メーラーには奥さんのIDとパスワードで設定するのが正しいのだが、それをせずに混乱していた。最初から奥さんのIDとパスワードで設定していて、できないでいたのだ。

しかし、これは私だけが悪いのかなとも思う。
コンピュータの設定の全体図というか、関係図というか、そういうのが分かれば何も問題なくできるのに、それが分からないような状態になっているのが問題である。

niftyの家族メールを契約する画面に、これらのことをまとめた概念図やフローチャートをリンクして置けば設定の混乱はずいぶん違うはずだ。

ま、奥さんのマシーンは、最先端のTigerにすることができたので、良かったけど。

さて、次は論文書きだ。これからが私の週末だ。

2005/11/05

仕事に出会うと言うこと

先日、日本フィルハーモニー交響楽団の金管五重奏の演奏が和田中学校であった。一年生を対象としていたものだが、写真撮影をすることもあり、私も一緒に聴かせていただいた。

演奏のすばらしさだけでなく、楽器仕組みや成立の由来*1 などとても面白い話もありました。ですが、中学三年生の授業を担当している私としては、その他にも興味を引かれる話がありました。

演奏の途中で質問コーナーがあり、一年生が質問をします。
「その楽器はいつから演奏しているのですか?」
10歳の頃から始めたという人もいれば、高校三年生から始めたという人も居ました。その中で、中学生から始めた写真真ん中のチューバの方は、こんな話をしてくれました。

「僕の学校はブラスバンドが有名で、一学年だけでも50人の部員が居ました。顧問の先生が『男子集まって。じゃんけんをして負けた二人がチューバね』といいまして、私はパーを出して負けて、その二人になってしまいました。そこからのお付き合いです」
と。これはとても深い話だなあと思いました。

                  ◆

二年生の諸君は、職業体験を先日発表していましたよね。三年生の諸君は、10年後の自分ということでより具体的に考えましたよね。自分の能力、向き不向き、興味などを考えて自分の職業を考えて行ったのではないでしょうか。これはこれでとても正しい職業についての学習だと思いますし、これは続けるべきだと思います。目的を持って学ぶと言うことはとても大切な学習態度です。

しかし、もう一つ、仕事に就く方法があるとチューバの演奏者さんの言葉で分かるわけです。それは、「偶然」というものです。ひょっとしたら、あのときじゃんけんで勝っていたらチューバの演奏者にはなっていなかったのではないかと思うのです。

                  ◆

自分の好きな仕事に就けると良いなあという考えがあります。その一方で、自分の好きなことは仕事にしない方が良いという考え方もあります。前者は仕事で好きなことができるのだからなりたいというもので、後者は仕事にすると自分の好きなことの嫌な面も見なければならなくなるから、ならないというものです。

で、今回のお話は、
「好きかどうか分からなかったが、やっているうちに好きになっていた」
というものだと思います。

自分に何が向いているのか分からない、自分に合ったものが見つかるまで仕事に就かないなんて言っていて仕事をしないままの人が増えているのではないかと私は思うのです。でも、調べたわけではありませんが、たまたま就いたその仕事をやりつづけるうちに、その仕事が好きになってしまった人というのは、実は結構居るのではないかと思うのです。

もちろん、トランペッターの方が話されていたように、いくつもの楽器を辿り歩き三つ目にしてやっと自分の楽器に出会える場合もあります。

さらに言えば、私の先輩で、バンドをやって歌をやってプロを目指して頑張っていたら、バイオリン製作の職人になってしまったという人も居ます*2 。

つまり、何が言いたいのかというと、仕事に就くというのはいろいろな付き方があると言うことを伝えたかったわけです。アンダスタン?

                  ◆

また質問と言えば、M先生はこういう質問もされていました。
「学生時代はどのぐらい練習していましたか?」
その答えは
「暇があればいつでも」
でした。
これもとてもわかります。

「何時間やればいいのですか?なんてことを考えた時点で、その人は自分の夢が叶わないことを知るべきである」
その道に名をなした数人の方から共通してこのようなことを聞いたことがあります。

これだ、と思ったら徹底して取り組むことは、みんな共通しているわけですね。

*1  ホルンはなぜ、後ろ向きに音が出るのかなどです。
*2  こういうたどり着き方を、セレンディピティという言い方をすることもあります。

(教科通信「志学」 NO. 30 より)

2005/11/03

教室ディベート研究会 12/10 のお知らせ

以下のようになっております。私もちょこっと話します。
京都大学から法教育の第一人者の先生をお呼びして、行います。
是非、お越し下さい。

引用開始 ーーーーーーーーーー

【教室ディベート研究会】
〜法教育とディベート教育とのコラボレーション〜

主催:NPO法人全国教室ディベート連盟

新学習指導要領の本格実施に伴い、論理的思考力、表現力やコミュニケーション能力等
が求められています。新しい教科書にもディベートの文字が目立つようになりました。
そこで、全国教室ディベート連盟では、ディベートの授業づくりのための定例研究会を
開催しています。
今回は、ゲスト講師に、法教育推進協議会の座長で法教育の普及に向けて幅広くご活躍
中の、土井真一氏をお迎えして、法教育とディベート教育との関連について考えたいと
思います。皆様のご参加をお待ちしております。


■日時:2005年12月10日(土) 午後1時〜5時(受付は12時45分から)

■場所:杉並区立和田中学校(道に迷うことがありますので、10分程度余裕をみてお
越し下さい)
所在地:東京都杉並区和田2−21−8
 最寄駅:営団地下鉄丸ノ内線 東高円寺駅下車 徒歩13分
     詳しくは、次のアドレスをご覧ください。
http://www.wadachu.info/map.html

■内容
・13:00−14:15 講演 "法教育の現在"
             講師 土井真一氏(京都大学大学院法学研究科教授)
【講師紹介】
ご専門:憲法
ご著書:『現代立憲主義と司法権』青林書院(共著)他

・14:20−14:50 レポート発表
             法教育とディベートに関連した実践報告        
            (和田中の取り組みも紹介します。)          
             報告者 池田修 (杉並区立和田中学校)
                 北村明裕(横浜市立奈良中学校)

・15:10−16:50 質疑応答・ディスカッション

■司会・進行:太田昌宏(本連盟常任理事・研究開発委員会委員長)

■参加費: 2000円(教室ディベート連盟会員1500円)★当日受付でお支払いください。

■申込み方法
1)氏名、2)〒、3)住所、4)電話・FAX、5)勤務先(または学校名)、6)一般・会員の別 
7)電子メールアドレス(あれば)を明記して、下記まで電子メール(もしくは郵送、 
 FAX)でお申し込みください。定員は50名です。お早めにお申し込みください。

■懇親会 :18時くらいから懇親会を予定しています。
ご参加の有無は、当日、確認させていただきます。

■参考文献:『はじめての法教育』 法教育研究会著 ぎょうせい 2005年発行

<連絡先・申込先>
全国教室ディベート連盟「教室ディベート研究会」係
E-mail:kenkyu@nade.jp   住所:〒162-0814 東京都新宿区新小川町6-12
FAX :020-4663-6140    TEL: 03-5228-6400(問い合わせのみ)

引用終了 ーーーーーーーーーー

では。

日本語の一人称名詞

日本語には、一人称名詞が非常に多くある。「わ」から始まるものだけでも、「わたし、わたしくし、わ、わっち、われ、わい、わし、わらわ・・・」とある。だから、" I love you. "を日本語に訳そうとすると、とても難しいことになる。

そんな一人称名詞であるが、先日の事件で女子高生がブログに綴っていた一人称名刺に「僕」がある。

                  ◆

この「僕」という人称代名詞だが、基本的には男の子が使うものである。ところが、私の観察によると、一部、女の子が使う例がある。

小学校の4年生ぐらいの女の子が使うことがある。今の生徒に聞いても、使っていたことがあるという生徒は別に珍しくはない。これは、第二次性徴を迎えた女の子が、自分の変化を認めることができず、少年としての「僕」を名乗るのではないかと思っている。もちろん、無意識であろうが。

で、この「僕」は加齢と共に「私」になっていくのだが、一部中学生、高校生であっても使う女子生徒がいる。これを観察すると自己肯定観が乏しい生徒に現れていることが多い。

                  ◆

また一方で、自分のことを、自分のニックネームや名前で呼ぶ生徒もいる。「あゆはー」とか「めぐみはー」のような場合である。(なぜか、この場合語尾が延びることが多い)このような生徒は、自己中心的な発想、つまり「ミーイズム」であることが多い。

自分が世界の中心であり、自分が世界の中の一部である「私」という客観的な位置に立つことができないのである。女王のように振る舞う子もいれば、愛らしいキャラとして守られることを求める子どももいる。結局は「私を見てみて」であるのは同じである。

                  ◆

たかが、一人称名詞ということなのかもしれないが、私は少年期から青年期に移るときの大きな発達課題だと考えている。

2005/11/01

米は米を呼ぶ

『こんなときどう言い返す』に「寿司は寿司を呼ぶ」という文章があるのだが、今年の我が家は「米は米を呼ぶ」状態になっている。

和田中学校の修学旅行で訪れた新潟県の魚沼。
そこでお世話になった八紘閣さんの作っている米をちょっと奮発して注文したのだ。
ここの米は、特A級の米である。ネットオークションで買うと、プレミアムが付いてン万円するらしい。

修学旅行のときに食べた米があまりに美味しかったので、自分でも頼んだのだ。
で、たまには親孝行をと思い、実家と奥さんの実家にお米を送ったのだ。

そうしたら、米が届く前に私の実家から電話。

「新米が手に入ったから、取りにおいで」

とのこと。
父親が、長野県に田圃を借りていて新米が取れたというのである。幸いにしてこちらは玄米のまま持って帰ってきたので、まずは新潟のお米から頂くのだが、嬉しい限りである。

« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »

2022年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31