仕事に出会うと言うこと
先日、日本フィルハーモニー交響楽団の金管五重奏の演奏が和田中学校であった。一年生を対象としていたものだが、写真撮影をすることもあり、私も一緒に聴かせていただいた。
演奏のすばらしさだけでなく、楽器仕組みや成立の由来*1 などとても面白い話もありました。ですが、中学三年生の授業を担当している私としては、その他にも興味を引かれる話がありました。
演奏の途中で質問コーナーがあり、一年生が質問をします。
「その楽器はいつから演奏しているのですか?」
10歳の頃から始めたという人もいれば、高校三年生から始めたという人も居ました。その中で、中学生から始めた写真真ん中のチューバの方は、こんな話をしてくれました。
「僕の学校はブラスバンドが有名で、一学年だけでも50人の部員が居ました。顧問の先生が『男子集まって。じゃんけんをして負けた二人がチューバね』といいまして、私はパーを出して負けて、その二人になってしまいました。そこからのお付き合いです」
と。これはとても深い話だなあと思いました。
◆
二年生の諸君は、職業体験を先日発表していましたよね。三年生の諸君は、10年後の自分ということでより具体的に考えましたよね。自分の能力、向き不向き、興味などを考えて自分の職業を考えて行ったのではないでしょうか。これはこれでとても正しい職業についての学習だと思いますし、これは続けるべきだと思います。目的を持って学ぶと言うことはとても大切な学習態度です。
しかし、もう一つ、仕事に就く方法があるとチューバの演奏者さんの言葉で分かるわけです。それは、「偶然」というものです。ひょっとしたら、あのときじゃんけんで勝っていたらチューバの演奏者にはなっていなかったのではないかと思うのです。
◆
自分の好きな仕事に就けると良いなあという考えがあります。その一方で、自分の好きなことは仕事にしない方が良いという考え方もあります。前者は仕事で好きなことができるのだからなりたいというもので、後者は仕事にすると自分の好きなことの嫌な面も見なければならなくなるから、ならないというものです。
で、今回のお話は、
「好きかどうか分からなかったが、やっているうちに好きになっていた」
というものだと思います。
自分に何が向いているのか分からない、自分に合ったものが見つかるまで仕事に就かないなんて言っていて仕事をしないままの人が増えているのではないかと私は思うのです。でも、調べたわけではありませんが、たまたま就いたその仕事をやりつづけるうちに、その仕事が好きになってしまった人というのは、実は結構居るのではないかと思うのです。
もちろん、トランペッターの方が話されていたように、いくつもの楽器を辿り歩き三つ目にしてやっと自分の楽器に出会える場合もあります。
さらに言えば、私の先輩で、バンドをやって歌をやってプロを目指して頑張っていたら、バイオリン製作の職人になってしまったという人も居ます*2 。
つまり、何が言いたいのかというと、仕事に就くというのはいろいろな付き方があると言うことを伝えたかったわけです。アンダスタン?
◆
また質問と言えば、M先生はこういう質問もされていました。
「学生時代はどのぐらい練習していましたか?」
その答えは
「暇があればいつでも」
でした。
これもとてもわかります。
「何時間やればいいのですか?なんてことを考えた時点で、その人は自分の夢が叶わないことを知るべきである」
その道に名をなした数人の方から共通してこのようなことを聞いたことがあります。
これだ、と思ったら徹底して取り組むことは、みんな共通しているわけですね。
*1 ホルンはなぜ、後ろ向きに音が出るのかなどです。
*2 こういうたどり着き方を、セレンディピティという言い方をすることもあります。
(教科通信「志学」 NO. 30 より)
« 教室ディベート研究会 12/10 のお知らせ | トップページ | 分かってしまえば何でもないが »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント