秋の多摩の一日
祭日は久しぶりに休んだ。テスト問題を作り終え、採点前の空白の一日であった。ええ、もちろん書かなければならない原稿もあるのですが、すみません、秋の一日を優先してしまいました。
出かけたのは、多摩市の公報に載っていたイベント。防人の歩いた多摩の横山を歩く会である。私の住む多摩市は、万葉集に乗っている防人歌のふるさとなのだ。
たとえば、
4417: 赤駒を山野にはがし捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ(椋椅部荒虫妻:宇遅部黒女)
4423: 足柄の御坂に立して袖振らば家なる妹はさやに見もかも(藤原部等母麻呂)
4425: 防人に行くは誰が背と問ふ人を見るが羨しさ物思ひもせず
がある。この防人歌で歌っている場所を、防人に扮した俳優と、その防人の妻に扮した女優が多摩の横山を歩くというイベントであった。
自宅から歩き始めて家に帰ってくるまで5〜6キロという行程であったろうか。多摩市の連行寺や聖ヶ丘の住宅街、都立桜ヶ丘公園と通り抜けていくのだが、紅葉が見事であった。また、ガイドの説明も面白く、なかなか楽しかった。
例えば、
・古代東海道は、この足下1.5メートルのところにあるだろう。
・古代東海道を一部発掘調査したときの写真は、これです。
・この竹やぶの中に古代東海道はあると思われます。
・奈良の春日大社は、茨城の鹿島神社から神様が出向いていっている。
・聖蹟桜ヶ丘にある鄙びた細い道は、かつて多摩川を渡るための渡し場に通じる道であった。
なんて話もあった。
多摩の横山の遊歩道に、防人が妻と別れる場所と思われる見晴らしの良い丘で、防人は手を振り、妻も手を振りということをするのだが、面白くもありつつ良かった。
イベントの最後は、
「なおも防人は行くのであった」
と司会者に言われ、一人歩き続けていくという演出もあったりで良かった。
◆
それにしても今から1400年ぐらい前に、この多摩の地から九州まで行くというのは、大変なことであったろう。人の寿命が30年ぐらいのときに、3年間派遣されるというのはつらいことであり、生きて再び会えないというのが暗黙の了解であったろう。
そして、もう一つすごいと思うのは、話し言葉はあっても書き言葉を持たない庶民の歌が、多摩から奈良まで伝わったという事実である。途中で誰かが書き留めたのか、書き留めた物が伝わったのかは良く分からないが、やっぱりすごいと思う。歌の持つ生命力と言うかパワーというか、そういうものなのだろう。
◆
これで一日が終わった訳ではない。
勤労感謝の日である23日は、多摩市のお風呂屋さんは無料で入れるのだ。風呂好きの私はいそいそと出かけていった。あー極楽。
◆
そして、夜は高幡不動の万燈会(まんとうえ)に行った。
紅葉がライトアップされる中で、五重塔に提灯が飾られ、階段にはろうそくとかがり火。これも幻想的な世界であった。
秋を十分楽しみつつ、非常に安上がりな一日であった。満足、満足。
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