清冽な空気を胸いっぱいに吸って
卒業アルバムの個人写真の撮影があった。学年の集合写真もあった。教職員の撮影もあった。さすがの私は、今日に限って(でもないが)、ひげを剃っていくのを忘れた。また、いつも締めているレジメンタルのネクタイも忘れ、ペイズリーのネクタイであった。ああ、彼らの卒業アルバムには、そんな私が残るのか。
彼らが写真撮影をされているときに、さんざん笑かしていたのだが、自分が撮影の時に逆にやられてしまった。ま、がんばって平常の笑顔で収まれたとは思うけど。そんな他愛もない時間が、逆に卒業へのカウントダウンを始めさせる。
◆
外を見ると、空は青く、芝は緑で、銀杏は少し黄色くなってきた。
昨日、授業中に
『今日は、秋ですか冬ですか?』
と聞いてみたら、2/5が秋で、3/5が冬と答えていた。
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや
げにわれは
うらぶれて
こゝかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
P.ヴェルレエヌは、秋の一日、落ち葉を見ながらこのように詩にしたが、秋の終わりであっても冬の始まりであっても、和田中の子どもたちには、まだこの詩のなんたるかはわからん。いや、わからないでいいのだが、「秋の日の ヴィオロンの」と呟ける人生って結構カッチョ良いと思うので、授業で教える。アンソロジーノートだ。
私の家と駅とをつなぐペイブメントには、街路樹の桜の葉が積もりだした。積もってはくるのだが、行き交う人たちがそれを踏みつぶし、粉々にしていく。私もその上を歩く。すると、いつもはペイブメントと靴の抵抗ですたすた歩けるのに、落ち葉が間に入ることで、靴がペイブメントをしっかりと掴めないので、妙な歩き方になる。
だが、これも秋なのだ。
でも、なんか、切ない。
◆
そういえば昨日あたりは十六夜だったかな。
きれいな月があがっていた。
このところ、いろいろとあって全国教室ディベート連盟の常任理事会へも顔を出せていない。理事会が終わった後に、仲間たちと食事しながらいろいろと話すのも楽しいのだが、それもままならないのは、ちょっと寂しいなあ。
ま、そういうときは、牧水である。
白玉の歯にしみとほる秋の夜の
酒は静かに飲むべかりけり
実に、実に、今の季節だなあと思う。
◆
あんなに暑かった夏をきれいさっぱりと掃き清めたような秋の空。
そして、そこから降ってくる清冽な空気を胸いっぱいに吸って、
(今年もあと一ヶ月半か)
と思う私でありました。
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