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2005/12/31

一年を言祝ぐ旅 2

ということで、ホテルから帰ってきた。
実に充実した一日だった。

『亡国のイージス』のDVDは、実は途中で寝てしまった。
映画は、本との違いがあり、これを頭の中で整理しているうちに
酔いが回って寝てしまったのだf(^^;。hana51

写真は、マックにDVDをセットして、部屋の明かりを暗くして、隅田川の夜景をバックにしながら見ているところ。如月航がピストルを構えているのが分かるかな。

部屋を暗くしたのが熟睡の原因かもしれない。


              ◆

目が覚めたのは朝の6時半ごろであった。
開け放した窓から見える空が、ものすごいことになっていた。それが目に飛び込んできた。hana61


こんな光景を見るたびに、地球って奴はすごいなあと思う。
一日の始まりと終わりにこんな演出を用意しているのだから。

そして、人間もすごいと思う。
江戸時代であれば、天下人であったとしてもこの地上20数階からの景色は見ることができなかった。それが庶民である私であっても、見ることができるのである。

もちろん、あと50年もすれば、庶民は宇宙から地球を見ることもできるであろう。それが人類が進化することであるから、それでいい。私は、この景色を抱きしめられる今の幸せがいい。

              ◆

写真を撮り終えたところで、また寝てしまった。
ラウンジでの朝食は9時過ぎだった。
ラウンジは、私たちの泊まっている部屋と反対側にある。
だから、景色が違う。
ベイブリッジ、お台場、羽田から飛び立つ飛行機などが見える。

朝食は、お腹いっぱいに食べた。
コンチネンタルスタイルだが、このホテルのそれは、すごいのだ。hana71


              ◆

部屋に戻り、もう一度フロに入る。
この時は、この一泊二日で読み切ろうと思っていた本を持参して入る。
スピーディーな展開なので、読み切れてしまうかなと思ったのだが、
面白そうなので読み切るのをやめる。

そうこうしているうちに、チェックアウトの13時になった。
今回頼んだプランは、12時チェックインの、翌日13時チェックアウトなので、
たっぷりホテルライフを楽しめる。

チェックアウトの為にフロントに行くと、混んでいる。
ラウンジで待つ。ラウンジからは、お台場がよく見えた。
hana81

そのちょっとした時間にも飲み物はどうですかと聞いてくる。
さすがに、これは遠慮する。
うーむ、このホテル、癖になるなあ。

              ◆

ということを楽しんで帰ってきました。
『亡国のイージス』のDVDは、帰ってきてから見終えたのですが、
ウームという感じでした。
劇場で見なくてよかった。

さて、明日は新年。これから後少し、正月の準備の追い込みです。

2005/12/29

一年を言祝ぐ旅

年の瀬に、この一年を言祝ぐ旅に出た。
どこか遠いところに行くのではない。
私たちが気に入っている都心のホテルである。
そのホテルは、隅田川の畔にあり、かなり気に入っている。

チェックインしたのが午後4時ごろ。
部屋に入ると、テーブルの上に豪華なフラワーアレンジメントが置いてある。
よく見るとメッセージもある。
連れ合いのお花の先生と、その教室に通う友達からのものであった。

レッスンの時にこのホテルに泊まることを話したのであろう。
この言祝ぐ旅はちょっとしたお祝いの旅でもあるのだが、それを祝ってくれているのだ。
うれしい。

ばしばし写真を撮っていたら、部屋のベルが鳴る。
何かと思えば、シャンパンセットが届いた。
うわあ、やられた。
お花とシャンパンセットでそりゃあもう豪華、豪華。hana11


その間にも外は、夕日の色が変わっていく。
その色に合わせて、街の色、花の色が変わっていく。
あわてて、黄昏色に染まる風景をバックにして写真を撮る。
き、きれいだ。
ああ、幸せである。hana21


                 ◆

お花の先生は、この間非常に忙しい。クリスマスレッスンに、クリスマスの飾りの注文に答えての制作、それに諸々のことで忙しいのが分かっていた。

奥さんの友達にしても、パン屋さんをしていて、この時期はクリスマスケーキを作っていてと忙しい。それなのにこんなにしてくれて、まあ、なんと幸せなのだろう。ありがたい。

夕景が夜景に変わるところでアレンジメントについているキャンドルに点火。
これが、また、いい。hana31


水の星座である蟹座である私は、川とか海とか水のある場所が好きである。であるにもかかわらず、たき火など炎も好きである。ま、さすがに自宅でたき火や暖炉は無理なので、ミニ七輪で遊んでいるが、実はキャンドルもいい。

部屋の明かりを消して、キャンドルの炎を見ながら時間を過ごす。
これに今回は、美しい花、夜景、そして、ipodに入れてあるゆったりとしたジャズをミニスピーカーで流しながら、のんびりである。

を、フロントから電話だ。
予約していたラウンジが空いたようだ。
これから食事の前の軽い、ドリンクタイムである。
ああ、極楽。

                 ◆

東京ベイブリッジがライトアップされているのを見ながら、飲む。
ディナーとまでは言えないが、それでも軽い前菜をたっぷりと食す。
もうこれでおなかは良いと言えば良いのだが、取りあえずホテルの周りを歩く。
日本酒が飲めるお店があったので、そこに入りちらっと食べる。

だいたいからしてホテルの部屋が好きなので外で何かする必要はあまりない。
ホテルに戻り、風呂に入りる。バスソルトを入れて、バスルームに音楽を流して。
インターナショナルサイズなので、バスタブもゆったり。はあ。

出てきた頃には、すっかりと夜景に明かりが溶け込んでいた。hana41


                 ◆

さあて、今夜のメインイベント。夜景をバックにDVD鑑賞会である。ああ、極楽。
今年読んだ本として、ベスト3に入るであろう『亡国のイージズ』のDVDがレンタル開始になったのだが、手に入れることができたので見ることにしたのだ。

原作を読んで舞台が今日泊まるホテルに近いお台場近辺ということが分かっていたので、そうすることにしたのだ。部屋の明かりを暗くして、持参したマックにDVDを入れて、隅田川のほとりに立つ高層マンションを背景にして、さあて鑑賞である。

つづく。

2005/12/26

クリスマスが終わった。

クリスマスが終わった。
特に何をする訳もなく終わった。
聖蹟桜ヶ丘の街は、午前中からデパートに買い出しにくる車でいっぱい。
窓からのぞく景色は、すっかりと葉っぱを落とした欅と青空である。200512261105000


10代の頃であれば、何もすることなく終わるクリスマスなんて切なかっただろうが、
今は、何もなく家で過ごすことが幸せと感じることができる。
どこかに出かけていくこともなく、誰かを探すことのもなく、過ごす一日に幸せを感じる。
家で、おいしい料理を食べながら、お酒を飲んで、気持ちよい音楽を聴いて。

私が、そんな風に思うようになるとは思わなかったなあ。

テレビでは一年間を振り返る番組がいろいろと流されていて
(をを、そうか、これは今年だったんだなあ)
と振り返るのだ。

あと5日で激動の今年が終わるとは思えないなあ。
来年も激動なんだろうけど。

2005/12/23

空は青く、日向ではポカポカの一日であった。

日本中大雪だとのニュースが、がんがん流れている。
が、東京に住まいする私には今ひとつぴんと来るものがない。
空は青く、日向ではポカポカの一日であった。

終業式を終え、この休み中は一日だけ日直に行くだけで、あとは全て休暇を取った。この休みはのんびりするつもりだ。今日はその初日だけにのんびりを続けた。

朝は相変わらず6時前に起きるのだが、朝ご飯を取ってからの二度寝をした。身体が寝るのを求めているのが分かるなあ。

お昼過ぎに起きて、昼ご飯を食べに「きがら」に出向く。平日のランチタイムは、大盛りにしても値段は同じなので、そのつもりで頼んだら、本日は祭日であることが判明。まったくもう曜日の感覚がなくなっている。

今日の「きがら」のラーメンはちょっと味が薄かったかな。それとも私の身体が疲れているので、濃い味を求めているのかな。

食事後、土手を軽く自転車で流す。
心地よい日差しを受ける。

自宅に戻って、貯めてしまったメールに返事を書く。
そこに、なんと父親からインターネット開通のメールが届く。
長島と同じ年の父からのメールは、なかなか味わい深いものがある。
既に私のHPも見たとのこと。うむ。

夜は、「ゴチバトル」を見た後、テレビを消してロウソクの灯り、クリスマスツリーの灯り、ランタンの灯りなどを楽しむ。こういうときは、アルコールの度数の高いお酒と、ゆったりとしたジャズがいいですねえ。ジンとitunesの中にあるいくつかの曲をシャッフルしながら、のんびりというか、ダラーッと一日を過ごしました。

明日はクリスマスイブ。奥さんは、明日のメニューを今から考えています。
うれしいねえ。
おやすみなさい。
世界が平和になりますように。

『グレンミラー物語』

最初に聴いたジャズは、たぶん、グレンミラーだと思う。
小学校の4,5年の頃に、我が家に初めてLPレコードを聞くためのプレーヤーが来て、私はアニメソングのLPを買って貰った。グレンミラーは、母親が買ったLPであった。

アニメソングにも飽きたとき、グレンミラーを聴いてみた。
(なんだあ、この終わりが分からないのんびりとした音楽の固まりは)
と思った記憶がある。それから、自分から聴くこともなかった。

だが、残っている音楽だったのだろう。

                  ◆

帰りの電車の小さな楽しみである、映画鑑賞でクリスマスっぽいものを見続けているのだが、昨日は『グレンミラー物語』を見た。

終業式でこの学期を終え、
(ああ、生き残った)
と思いながら、各駅停車の電車に座り、見ながら帰ってきた。

このグレンミラーって男は、非常にわがままであるが天才でもある。また、そのわがままな男に、奥さんが良いアドヴァイスをするんだな。

『スイングガールズ』でも演奏されていた名曲「ムーンライトセレナーデ」が誕生する瞬間や、この曲が独特の「サウンド」を手に入れる過程も描かれていて、良かった。

                  ◆

こう、なんというか、煮詰まっていきながら、一瞬のひらめきを活かしていくのだが、煮詰まっていることの大切さがよく分かる。煮詰まっているときには、その煮詰まりが辛いのだが、それを突き抜けるたときに感じるのは、その煮詰まりがなかったら、突抜はなかったと言うことだ。

煮詰まりという言い方がしっくりと来なければ、壁にぶつかったときでいいか。その壁をよじ登って行くために、足下に足場を組み立てて最後の最後に、よいしょとその壁を乗り越えるようにする。一気には乗り越えられない。足場を組んでいる状態が煮詰まっている状態といってもいいか。

私の今までの人生にも、書けなかった文字が書けるようになり、歌えなかった歌が歌えるようになり、まとまらなかった原稿がまとまったり、分からなかった前置詞が分かるようになったりする瞬間があった。

今は煮詰まり観があるときは、その次に来るジャンプを期待できるようになったが、煮詰まりは、まあ、つらいやね。

でも、そうやってでしか成功できないのが、人生なんだろうなあとも思う。

『グレンミラー物語』。良い映画であった。

2005/12/20

熱中していた頃があって、今がある。

週末に20年前の仲間達と会ってきた。メンバーの一人が開いている立川駅南口の喫茶店「ラルゴ」で会ってきた。
井の頭公園の野外ステージでギターを弾いて歌っていた仲間達である。
そのグループでは、私は最年少の世代でかわいがって貰った。

そのグループが、結成30年と言うことで同窓会を行うことになった。先日案内が来たので、いそいそと出かけていったのだ。

20年前であるが、いやあ昔と変わらない人が多い。いや、正確に言うと変わっているのだが、変わり方が変身という変わり方ではなく、深化した変わり方なのだ。(ああ、あの人ならこのように変わっても当然だよな)
のようにあの当時の特徴が深化していた。別の言葉で言えば、ヴァージョンアップと言っても良いかもしれない。

20年前のことであってもあるシーンは良く覚えている。
そして、その時のことを人それぞれに覚えていたんだなあと思う。

今頃になって、
「あのころの池田君は、○○だったよねえ」
「あのころの池田君は、○○でもあったよねえ」
のように言われて、
(へー、俺ってそう思われていたんだ)
と嬉しく思ったりもした。

昔の自分は、今の自分を予測できているわけがないが、仲間から見れば
(をを、池田もそんな風になったか)
と思われるようになっているのかなあと思う。

当時柱となって居た人は、いまでも柱であり、活気づける人はいまでも活気づけていた。そして、恐ろしいことに、今でもギターのフレーズやコードは空で覚えていた。あのときの歌が、ちゃんと出てくるのである。

熱中していた頃があって、今がある。
今、熱中していることで、20年後の私はどうなっているのかと思うと、楽しみである。

2005/12/17

七味五悦三会

今年もあと少しになりました。
沢山授業のある和田中学校も、さすがに来週で終わりですf(^^;。

さて、そんな学校の最後の週に行うと良いものがあります。
七味五悦三会です。

一年間の、七つの美味しい味、五つの悦び、三つの出会いを振り返り良い一年だったねと確認します。江戸時代には大晦日に庶民がやっていたようです。

http://homepage.mac.com/ikedaosamu/gakkyuukeiei/2gakki/sitimigoetu.html

にワークシートがあります。良かったらご活用下さい。

2005/12/16

ラグビー。または、本歌取り

ラグビーという「変な」スポーツがある。
楕円のボールを使って、相手の陣地にボールを運ぶスポーツである。それだけでも変であるが、このスポーツの最も変なルールは、パスを前に投げては行けないということである。パスは、自分よりも後ろにいる選手にしかできない。そして、前に行くには自分でボールを持って進むか、キックするしかないのである。

学校からの帰り道、見上げると月が出ている。
(ああ、満月か。いや、明日あたりが満月か)
と思う。
(今年の最後の満月だなあ。いくつもの満月を今年も見てきたんだなあ)
と思う。すると、

天の原ふりさけ見れば
春日なる三笠の山に出でし月かも  百人一首 7  安倍仲麿

を思い出す。2年生では百人一首の指導に入っていることから、こんな歌を思い出したのか。この歌の季節は、冬じゃないような気もするけど、思い出してしまう。この一年でいろいろなことを体験し、その度に満月は出ていたんだと思うと、あながちこの歌を思い出すのも変ではない。

そして、そうくれば自動的に

日は昇り 日は沈み振り向けば
何もかも移ろい去って
青丹(あをに)よし平城(なら)山の空に満月  まほろば さだまさし

も出てくる。

今朝、電車の窓から朝日が昇るのを見ていた。そしたら、また思い出した。

東の野に炎の立つ見えて
かへり見すれば月傾きぬ  万葉集 巻1−48 柿本人麻呂

である。車内で振り向いたら高尾山方面に沈む満月を見ることができた。この景色は明日も見ることができるだろう。

三年生の授業では、三大歌集を学んでいる。そのうちの一つ、鎌倉時代の『新古今和歌集』に

駒とめて袖うちはらふかげもなし 佐野のわたりの雪の夕暮れ 藤原定家

がある。これは、万葉集 巻3−265の歌

苦しくも降り来る雨か神(みわ)の崎 佐野のわたりに家もあらなくに

の一部を使いながら、この歌の内容を受け継ぎ新たな世界を広げている。この修辞法のことを「本歌取り」と言うのである。

一つの考え、一つの思いは、いきなり現れることは少ない。
意識しているか無意識であるかは別にして、私に、あなたに届いている何かが、私の、あなたの中で育って「新しい」何かを作り出す。そして、それは次の世代へと引き継がれていくのである。それはまるで「本歌取り」のようでもある。

私がラグビーを見るたび感じるのは、この「本歌取り」であり、人生とか教育とか言うものである。私が先達(せんだつ)から手に入れたものは、後ろにしか投げることができない。しっかりと受け止めて、前に進む諸君の姿を見つづけたいと思ってこの仕事を続けている。

じゃあキックは何か。
キックで前に出すには、受け止める諸君が(どこに行くか分からないボールだが、この子たちならきちんと手に入れるだろう)と判断した時である。

実は私は、キックをしてみたくてうずうずしている。

(教科通信「志学」 NO. 37 より)

2005/12/15

年の瀬に向かっている

さすが私である。本日から始まった高校の入試相談。東京の高校は、今日と明日とで私立の推薦試験の打ち合わせを終える。だが、財布を持たずに出かけてしまった。

電車には定期券で乗れたので、財布を忘れていることに気がつかなかった。降りる時になって、
(ない)
と気がついた。

ここで家に帰っていては、子どもの使いになってしまう。
そこで、
「すみません。財布を家に忘れてきてしまって差額が払えないんですけど」
と下車する駅で、定期券を見せながら話したところ、
「じゃあ、ここに必要事項を記入してください」
ということで、お金を借りることができた。

これで入試相談には間に合い、なんともなくすんだのだが、考えてみれば帰りの電車賃もない。
そこで、
「すみません、子どもたちは立派なのですが、私がおっちょこちょいで、財布を忘れてきてしまって。ちょっとお金を貸していただくことはできないでしょうか?」
と借りてしまった。

実に何とも情けない話であるが、さすが私である。
生徒に迷惑がかからなくてよかった。

                 ◆

一日の仕事が終わった帰り道、見上げると月が出ている。
ああ、満月か。
いや、明日あたりが満月か。

今年の最後の満月だなあ。
いくつもの満月を今年も見てきたんだなあ。

  天の原ふりさけ見れば
  春日なる三笠の山に出でし月かも

   百人一首 7  安倍仲麿

百人一首の指導に入っていることから、こんな歌を思い出してしまう。
季節は、冬じゃないような気もするけど、思い出してしまう。

そして、そうくれば自動的に

  日は昇り 日は沈み振り向けば
  何もかも移ろい去って
  青丹よし平城山の空に満月

    まほろば さだまさし

も出てくる。
なんか、年の瀬に向かっているのだなあと思った。

2005/12/14

クローン人間の是非

本日の「よのなか」科は、クローン人間の是非であった。
突然
「このテーマで黒板にマッピングしてみて」
と校長に言われたのでちょこっと驚いた。が、それはそれ、マッピングメモを指導している訳ですので、やってみました。ある程度のことはできたかな。3分で描きました。

kokuban

今日のゲストは、独立行政法人 物質・材料研究機構の主席研究員である花方信孝先生。工学博士だ。ヒトゲノムの話から始まり、そのゲノムの分析結果のコピーを見せてもらったりして、とても興味深かった。

私はこの授業を受けながら、二つの質問が思い浮かんだ。

1)体内クローンは可能か?
2)動物の体への植物の埋め込みは可能か?

である。
授業が終わってから質問してみた。すると、

1)可能である。
2)もう、行っている。

との話であった。ゲゲである。

                  ◆

ただ、お話の感じだと、1)については花方先生も気づいていなかったようで、ひょっとしたら研究のテーマになるかなあ、いや、もうやっていて極秘事項だったらなんてことを考えた。この方法は、自分の体の中である一定の期間がきたら、クローンを行う訳である。そういうプログラムを遺伝子情報の中に組み込むのである。

もし、1)が可能なら、宇宙旅行などのときに便利だろうなあと思う。10年ごとに角膜を更新ししたら、目の病気の解決になるし、歯が可能なら虫歯治療も根本的に変わる。人が不老不死になるにはこの道なのかもしれない。

2)はできているということだったが、動物の体内に植物の細胞一つを埋め込むレベルであった。私は、たとえば、牛の背中に植物を埋め込み、水を与えておけば背中の植物が光合成をしてエネルギーを作り出し、牛が育つというようなものをイメージしていたのだが、これはまだできていないとのことであった。化学反応が複雑だからだそうだ。

でも、これができたらすごいことになるな。食料問題は結構解決するのではないだろうか。

                  ◆

倫理の問題で人間のクローンはゴーサインが出ていないが、中国やインドなどで進めば、安く高度な技術が作られることになり、日本は抜かれてしまう。私は、自分の歯がサイボーグ(差し歯)なので、ここだけクローンで変えてほしいと思っているが、意外と私の人生のうちに間に合ってしまうかもしれないなあと思った。

さらに、臍帯血のベンチャービジネスの話や、中国の一人っ子政策が生み出すクローン技術など詳しくは書けない話まで授業後に伺うことができた。いやー、すごい。

この5年ぐらいでこの世界の覇権は決まってしまうのだろうなあ。日本の科学者頑張れ、そして、人類の科学者、原爆の轍を踏まないように頑張れ。

2005/12/13

紅天女

国立劇場で文楽を鑑賞してきた。
学校の生徒全員、もちろん職員も全員で。鑑賞教室である。

いまから400年前に作られた人形劇であるが、これが脈々と今日に伝わっているのは、すごいなあと思う。ブラジルという国ができて500年、アメリカという国ができて200年であるからして、すごいなあと思う。

演目は、牛若丸と弁慶の五条の橋のお話と、もう一つは人情ものであった。
これはこれでその人形の操作のすごさとか感動したのだが、実は、妙な物に感動してしまった。

それは、「紅天女」という新作のお能の演目が演じられる予告を見たことである。未だに新作のお能が作られているということに感動しているのではなく、この「紅天女」の原作が、あの『ガラスの仮面』であるということである。

もちろん、宝塚で「ベルサイユのバラ」が漫画からドラマになったようにそういうこともあるのだろうが、『ガラスの仮面』からお能というのは、すごいなあ。

見てみたい気もする。

法教育とディベート

法教育とディベートの関係を考える研究会では、京都大学の土井真一先生を京都から御呼びして行った。30人強の集まりであったが、非常に良かった。

まだ三十代後半だが、京都大学法学部の教授である土井先生の話は、さすが、法学部の教授と言うのがぴったりな回転の速さ、説明の適確さであった。

裁判員制度が導入されることになる日本の司法制度である。
法とは何かということをきっちりと知っておく必要はある。

土井先生によれば、「約束を守ること」の意味と重要性を学ぶことが基本であるという。人が生きるときに、このことをきちんと行えれば、生きやすくなるということを学ぶことが法教育の土台であるという。

私は、他にも

・みんなで決めたルールを守るというが、そのみんなの中に自分が入っているという実感を持てないが、それはなぜか。

・ルールは守る一方で、作ることも重要だが、この作るをきちんと行う実践が難しいが、どのようなものがあるだろうか。

・なぜ、人は所有権を大事にすること、つまり物は盗んではいけないと厳しく教えるのだろうか。

などの質問をした。

これらも丁寧な説明をもらった。
基本的には私が考えていることと同じであったので、私はああ良かったと思った訳であった。

エキサイティングであったなあ。

2005/12/09

進路事務

授業中に何気なく
『ああ、今日を入れて学校に来る日は、今年は、あと9日だねえ』
と話したら、
「え!!」
という反応が多かった。
うーむ、三年生必死なのか鈍感なのか分からない。

             ◆

しかし、この9日間で中学校三年生を担当する教員は、嵐に巻き込まれる。
進路事務である。

推薦で受験する生徒を確定し、どの学校にどの先生が訪問して相談するのかを決め、出願や試験のために学校に来れない生徒が何人いるかをカウントして給食を止める日を決め、高校に訪問する日の予約を入れ、特別活動の記録の内容の確認と文章化、これらを全て書類に落とす。

一般で受ける生徒の押さえを確認し、併願受験の条件を確認し、都立だけで受験する生徒のまさかのための学校をそれとなく考える。

さらに、東京都教育委員会に提出する成績一覧表を作成し、調査書を作り、調査書記載事項証明書を作り、通信簿を作り・・・。

はあ、書き出すだけで悲しくなってくる。これらを9日の間にするわけで、恐ろしいことに授業は一切カット無しで、授業と同時に行うのである。それに、会議も研究会も忘年会もあるぞ。あ、原稿書きもある。

             ◆

学校は授業が第一だと私は今でも思うが、授業以外の仕事がものすごく多いことはあまり理解されていない。

学校に企業並みのことを求めるのであれば、企業で一般的に行われている「総務」とか「庶務」とかの部署を置いて、教員が授業に専念できるシステムを構築することが大事だと思う。

本当に授業に専念したいのであれば、事務仕事をテキパキと行えばよい、というようにも言われるが、そんなレベルではなくなってきていると私は考えている。きちんとシステムとして授業を行えるものを作らなければならない。

学力向上は、こういうところも関係しているはずだ。

2005/12/08

新年会のお知らせ 1/3

今年も残すところ、あと二十日あまりとなりました。実に早い一年でした。
さて、この時期のご案内と言えば、吉例の新年会のお知らせです。

例年通り、幸か不幸か池田の授業を受けてしまった諸君で、法的にお酒が飲める年齢になっているみなさんをお待ちしております。世代を越えて、交流して頂ければと思います。もちろん、連れ合い、婚約者、恋人、友人を連れてくるのは歓迎です。

日にち:平成18年1月3日(火曜日)
時間 :お昼ぐらいから、帰れる時間まで
持ち物:みんなに紹介したいものがあればなにか

参加を希望するみなさんは、メールで連絡を下さい。

私の方は、ベルギービールとワインを例年よりも多く用意できると思います。

2005/12/07

刺激的な本三冊

寒くなりました。師走です。師走の師を持った魚は、鰤(ぶり)です。寒くなるとおいしくなる魚です。何か関係があるのでしょうか(笑)。

                    ◆

読書の秋を通して本を読む勢いが増えた皆さんに、この頃私が気になっているいくつかの本を紹介しましょう。興味のある皆さんは、手に取ってみてください。

『生協の白石さん』(講談社 白石昌則 東京農工大学の皆さん)

現在ベストセラーですね。大学の生協(生活協同組合)というところで働いている白石さんと言う職員と、そこの生協を使っている大学生との交流の記録です。
こんな風に書くと堅苦しく感じるかもしれませんが、そうではありません。生協にあるお客さんの要望を受け付ける「ひこととBOX」に寄せられた意見に、白石さんがまじめに、かつユーモアたっぷりに答えている記録集です。
基本的には、文房具や食品のリクエストが多いのですが、中には、

「単位を売ってください」「牛を売ってください」「愛を売ってください」

のようなリクエストがあります。これに、見事に答えてしまうのです。
私は、朝の通勤電車の中で読み終えてしまいました。とても温かい気持ちになれる本です。

                    ◆

『10年後の日本』(文春新書 『日本の論点』編集部編)

(10年後と言えば、そうだ。ちょうど、和田中の子どもたちが社会に出て行く頃のことだなあ)
と思って読み始めました。この本、結構衝撃的です。本当にこうなってしまうのか。もちろん、良い予測もありますが、厳しい予測もあります。

たとえば、
「『2002年度の所得再配分調査』によると、世帯ごとの所得格差の大きさを示すジニ係数は、0.4983と過去最高を更新した。1984年から7回連続で拡大を続け、0.5に限りなく近づいている。ジニ係数が0.5というのは、全人口の25%の高所得層が、国民の総所得の75%を占めている状態のことだ」
「国連人口部は、日本が労働力の現状維持をはかろうとするなら、2050年までに3000万人以上の移民受け入れが必要だと予測している。人口の3分の1が外国人になる計算だ。」

など。日本がそういう社会になるかも知れないことを頭のどこかに置きながら、(さてではどういう授業をしたら良いのだろうか)と考える私であるが、君たちも(10年後はどうなっているの?)と読んでおくことは意味があることだろう。

                    ◆

『小説入門のための高校入試国語』(石原千秋 NHKブックス)

早稲田大学教育学部で小説を専門に教えている石原さんの本。この本では、小説とはどのように読んだら良いのかということを扱っています。

もともと小説は「どのように読んでも良い」と作者は言います。では、どのように読んでも良いはずの小説が、入試問題として扱われる時には、なぜ正解があるのでしょうか、高校の入試問題として実際に使われた小説をもとに、解説を加えていきます。これもインパクトがある本です。

ただ、「そうだ」という人と「いや、違うでしょ」という人に評価も分かれる本なので、まずは本屋で最初の「はじめに」「序章」ぐらいに目を通して、それで(お、面白いな)と思った人や、小説は好きなのに入試の小説が解けないと思っている人は読むと良いと思います。手掛かりが掴めるかもしれません。

【追加情報】

三年生の国語の教科書に出てくる松尾芭蕉の『奥の細道』。この中に「平泉」という巻がある。これは、源義経が平泉で戦った歴史上の事実を元にして描かれている巻である。実は、次の日曜日の夜8:00から、NHK大河ドラマ「義経」で、この部分が放映される。ちなみに、最終回。

ここを見ておくことは、『奥の細道』を十分に理解するために、良い手がかりになると思う。ぜひ、見ておくように。

(教科通信「志学」 NO. 36 より)

ちゃんと配置を

私は、きれい好きの片づけ下手である。
であるが、このところずっと元の場所に戻そう運動を細々と続けている。

学校が担ってしまった役割を、元の場所に戻そうということである。
家庭の仕事は、家庭に。医者の仕事は医者に。警察の仕事は警察に。保健所の仕事は保健所になどである。

山田さんのブログを見ていたら、まさに!と思うことが指摘されていた。

http://yamadama.cocolog-nifty.com/blog/2005/12/all_about__b6fe.html

このまま仕事が肥大したら、現場はクラッシュするぞ。あ、それが目的なのか?

2005/12/06

法教育とディベート 研究会のご案内

以下のように研究会があります。
良かったらお越し下さい。

今回は、法教育とディベートの関係を考えます。
裁判員制度が導入されるいま、学校教育で法教育をすることは重要な意味があると考えられます。
今回は、このきっかけを得られるのではないかと思います。

引用開始 ーーーーーーーーーー


【教室ディベート研究会】
〜法教育とディベート教育とのコラボレーション〜

主催:NPO法人全国教室ディベート連盟

新学習指導要領の本格実施に伴い、論理的思考力、表現力やコミュニケーション能力等
が求められています。新しい教科書にもディベートの文字が目立つようになりました。
そこで、全国教室ディベート連盟では、ディベートの授業づくりのための定例研究会を
開催しています。
今回は、ゲスト講師に、法教育推進協議会の座長で法教育の普及に向けて幅広くご活躍
中の、土井真一氏をお迎えして、法教育とディベート教育との関連について考えたいと
思います。皆様のご参加をお待ちしております。


■日時:2005年12月10日(土) 午後1時〜5時(受付は12時45分から)

■場所:杉並区立和田中学校(道に迷うことがありますので、10分程度余裕をみてお
越し下さい)
所在地:東京都杉並区和田2−21−8
 最寄駅:営団地下鉄丸ノ内線 東高円寺駅下車 徒歩13分
     詳しくは、次のアドレスをご覧ください。
http://www.wadachu.info/map.html
■内容
・13:00−14:15 講演 "法教育の現在"
             講師 土井真一氏(京都大学大学院法学研究科教授)
【講師紹介】
ご専門:憲法
ご著書:『現代立憲主義と司法権』青林書院(共著)他

・14:20−14:50 レポート発表
             法教育とディベートに関連した実践報告        
            (和田中の取り組みも紹介します。)          
             報告者 池田修 (杉並区立和田中学校)
                 北村明裕(横浜市立奈良中学校)

・15:10−16:50 質疑応答・ディスカッション

■司会・進行:太田昌宏(本連盟常任理事・研究開発委員会委員長)

■参加費: 2000円(教室ディベート連盟会員1500円)★当日受付でお支払いください。

■申込み方法
1)氏名、2)〒、3)住所、4)電話・FAX、5)勤務先(または学校名)、6)一般・会員の別 
7)電子メールアドレス(あれば)を明記して、下記まで電子メール(もしくは郵送、 
 FAX)でお申し込みください。定員は50名です。お早めにお申し込みください。

■懇親会 :18時くらいから懇親会を予定しています。
ご参加の有無は、当日、確認させていただきます。

■参考文献:『はじめての法教育』 法教育研究会著 ぎょうせい 2005年発行

<連絡先・申込先>
全国教室ディベート連盟「教室ディベート研究会」係
E-mail:kenkyu@nade.jp   住所:〒162-0814 東京都新宿区新小川町6-12
FAX :020-4663-6140    TEL: 03-5228-6400(問い合わせのみ)

引用終了 ーーーーーーーーーー

お待ちしております。

和楽器を楽しむ

学校では、三者面談が始まっている。どこの学校でもこの時期は三者面談だと思う。三年生は進路のかかった面談だ。副担任たちは、職員室で進路事務に勤しむ。私は進路事務の他にちょっとした仕事があったり、私事があったりで、それなりに落ち着かない。まあ、師走である。

和田中学校では、今度「文楽」を見に行く。その文楽の事前学習が本日あった。
うた、三味線、太鼓、鼓、小鼓、笛のメンバーで、楽器の紹介に演奏というものであった。

私も写真を撮りながら、その解説を伺った。
いやあ、実に奥深い話であった。wagakki

2005/12/04

冬の空気

空気が凛としてきました。
ああ、冬だなと思います。
午前中、お歳暮を用意しに駅前のデパートに足を運びました。
上着も着ないでデパートまで足早に向かいました。
そのときに、冬の空気を感じました。

原稿はなかなか進みません。
久しぶりに進みません。
だけど、立ち向かわないことには終わりませんから、少しずつでも進めます。

ノートパソコンですから、ACアダプターを抜いてバッテリーで稼働させ、家の中をうろうろしながら執筆の場所を変えて、気持ちも変えて書き進めます。

今日は、一つの章が終わりました。
あと、二つの章です。

冬の空気が頭をすっきりさせてくれることを期待しています。

2005/12/03

ユニット授業

私の講座の後に、杉渕先生の講座を受けた。さすが、杉渕先生だった。
いくつも良い刺激を頂いたけど、同じことを考えていることもあった。
それは、授業を作るユニットと言う考え方である。

小学校は45分が一回の授業であるが、杉渕先生はその授業を3分から5分、メインディッシュの部分は20分、と授業の中にいくつもの小部屋をつくって授業をしているというのだ。

たとえば、小学校6年生の国語のユニット授業では、
 
 漢字音読リピート
 漢字書き取り
 語彙増やし
 百人一首
 詩の解釈(指名なし)

などをするという。これは、私もかねてから思っていることだ。

私は、中学校なので50分の授業である。これをぶっ通しで一つのテーマでやるのは、子どもにとっても教師にとっても厳しいことが多いと思っている。もちろん、ディベートの試合とか書写の実習とか作文の書き方などは50分ぶっ通しでやるが、通常の授業はユニットを意識している。

授業の考え方は、いくつかあるが、私は授業には次の三つが必要だと思っている。

1)連載
2)定番
3)新規開拓

1)は、いわゆる「帯単元」。一つのテーマをある期間続けて行う物だ。私は、「アンソロジーノート」「活舌聴音」という実践である。授業の導入でやる。
2)は、メインディッシュになる部分であるが、自分が自信を持って指導できる教材をすることである。私だと「ディベート」「短編問題集」「書写」などである。
3)は、年に一つぐらいずつであるが、今までに自分が取り組んでいない教材、指導方法などに挑戦する授業である。今年だと「津川式超記憶術」である。

これをさらに、50分の授業の中で細分化していくのである。そうすることで、子どもたちの集中力が途切れることなく、進むと思っている。し、杉渕先生もそうおっしゃっていた。

大事だと思う。ユニット授業。

百草園

mogusaimo
近くに住んでいると、なかなか訪れない場所がある。
百草園もそうであった。奥さんの実家もあるし、行こうと思えばいつでも行けるというのがまあ行かない理由だったのだが、ついに行った。

多摩の横山にある百草園は、非常に景色の良いところであった。
多摩川は言うに及ばず、天気がよければ東京タワーも見える。

写真は、百草園の一番高いところから、東京タワー方面を見たところ。
園内の銀杏の色と、園内で売っていた石焼き芋の色がそっくりだったので、並べて一枚撮影した。

この石焼き芋あたりに東京タワーを見ることができます。

2005/12/01

今晩中に2万アクセスに

届きますね。
キリ番の方、または、前後の方、書き込んでくださいね。

評価だけで良いのではないか

実は、今週は劇作家で演出家の平田オリザさんが、和田中学校で演劇の授業をしてくださっていた。一年生の総合的な学習の時間を使って、1クラスに3時間ずつという贅沢な時間を過ごした。

私は自分の授業があったので、ちょこっとしか見ることができなかったが、面白い授業であった。三省堂の教科書に載っているワークの元になっているワークである。

平田さんの授業が終わり、食事のあとくつろいでいるところに、電撃インタビューに出かけた。
質問の内容は絞って三つ。

1)型はどのタイミングで取り払うのか。
2)正しい発音はどの程度意識するのか。
3)評価から評定へはどのようにするのか。

である。

                 ◆

1)は、
「これはまさに、職人芸のもっとものところで、とても難しいところだと思います」
とおっしゃっていた。ワークシートには、場面の転換やストーリーを進めるための決めの言葉などが書かれている。つまり、これが型である。この型をどのタイミングでリリースしていくのかということを聴きたかったのである。

ディベートでも書道でも作文でも、私は型を重視する。そして、その型からリリースするタイミング、方法を考え続けている。平田さんはどうやっているのかを聴いてみたかったのだ。その答えが、上記の物である。

プロですし、同じワークを何回もしてきているので、そのタイミングはいくつかのパターンの中から選ぶことができると話されていた。それは、ちょうど、プロの棋士が子ども10人を相手に同時に将棋を指せるのと同じ例えではなされていた。とてもよくわかる。

よくわかるが、演劇の素人には難しいなあf(^^;。


2)は、
私が
「例えば、『し』の音が「し」でなくて、「スィ」である子どもが増えている気がするのですが、どうしたもんでしょうか。どこまで指導すれば良いのでしょうか』
と質問したところ、
「小学校時代から、体から出る言葉を大切にする指導が必要ですね」
とのことでした。また、
「今は、プロの役者でも一人一人発声の練習をします」
とのことでした。
なかなか難しいものですねえ。

3)は、
『例えば、今日の授業を国語で行った場合、どうやって評定、つまりは54321をつけるのですか? あちこちで聞かれている内容だとは思うのですが、どんなでしょうか?』
と聞いた訳です。
やっぱり何回も質問を受けているとのことでした。で、
「分かりません」
とのことでしたf(^^;。

ですが、会話を交わしながら一致したことは、

・ 表現の領域は、評定にそぐわないのではないか

ということです。評価はできるが、評定にはそぐわないのではないかということなのです。

実は、私もこれは前から薄々感じていたことなのです。指導したら、その分評価する。これは分かります。ですが、それがそのまま評定につながるかというとそんな簡単ではないと思う訳です。

たとえば、定期考査は授業で指導した内容をためておいて、ペーパーテストをやるわけです。実技系であっても指導して、トレーニングをしている時は、評価をしても評定はしなくてもいのではないかと。

ですが、この評定もしなくていいのではないか。評価だけで良いのではないかという発想です。「いいね」
「んー、もうすこし」
「を、そうきたかね」
というのでいいのではと。

どうなんですかねえ、こういうの。

短時間でしたが、非常に充実した時間でした。

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