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2005/12/01

評価だけで良いのではないか

実は、今週は劇作家で演出家の平田オリザさんが、和田中学校で演劇の授業をしてくださっていた。一年生の総合的な学習の時間を使って、1クラスに3時間ずつという贅沢な時間を過ごした。

私は自分の授業があったので、ちょこっとしか見ることができなかったが、面白い授業であった。三省堂の教科書に載っているワークの元になっているワークである。

平田さんの授業が終わり、食事のあとくつろいでいるところに、電撃インタビューに出かけた。
質問の内容は絞って三つ。

1)型はどのタイミングで取り払うのか。
2)正しい発音はどの程度意識するのか。
3)評価から評定へはどのようにするのか。

である。

                 ◆

1)は、
「これはまさに、職人芸のもっとものところで、とても難しいところだと思います」
とおっしゃっていた。ワークシートには、場面の転換やストーリーを進めるための決めの言葉などが書かれている。つまり、これが型である。この型をどのタイミングでリリースしていくのかということを聴きたかったのである。

ディベートでも書道でも作文でも、私は型を重視する。そして、その型からリリースするタイミング、方法を考え続けている。平田さんはどうやっているのかを聴いてみたかったのだ。その答えが、上記の物である。

プロですし、同じワークを何回もしてきているので、そのタイミングはいくつかのパターンの中から選ぶことができると話されていた。それは、ちょうど、プロの棋士が子ども10人を相手に同時に将棋を指せるのと同じ例えではなされていた。とてもよくわかる。

よくわかるが、演劇の素人には難しいなあf(^^;。


2)は、
私が
「例えば、『し』の音が「し」でなくて、「スィ」である子どもが増えている気がするのですが、どうしたもんでしょうか。どこまで指導すれば良いのでしょうか』
と質問したところ、
「小学校時代から、体から出る言葉を大切にする指導が必要ですね」
とのことでした。また、
「今は、プロの役者でも一人一人発声の練習をします」
とのことでした。
なかなか難しいものですねえ。

3)は、
『例えば、今日の授業を国語で行った場合、どうやって評定、つまりは54321をつけるのですか? あちこちで聞かれている内容だとは思うのですが、どんなでしょうか?』
と聞いた訳です。
やっぱり何回も質問を受けているとのことでした。で、
「分かりません」
とのことでしたf(^^;。

ですが、会話を交わしながら一致したことは、

・ 表現の領域は、評定にそぐわないのではないか

ということです。評価はできるが、評定にはそぐわないのではないかということなのです。

実は、私もこれは前から薄々感じていたことなのです。指導したら、その分評価する。これは分かります。ですが、それがそのまま評定につながるかというとそんな簡単ではないと思う訳です。

たとえば、定期考査は授業で指導した内容をためておいて、ペーパーテストをやるわけです。実技系であっても指導して、トレーニングをしている時は、評価をしても評定はしなくてもいのではないかと。

ですが、この評定もしなくていいのではないか。評価だけで良いのではないかという発想です。「いいね」
「んー、もうすこし」
「を、そうきたかね」
というのでいいのではと。

どうなんですかねえ、こういうの。

短時間でしたが、非常に充実した時間でした。

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