熱中していた頃があって、今がある。
週末に20年前の仲間達と会ってきた。メンバーの一人が開いている立川駅南口の喫茶店「ラルゴ」で会ってきた。
井の頭公園の野外ステージでギターを弾いて歌っていた仲間達である。
そのグループでは、私は最年少の世代でかわいがって貰った。
そのグループが、結成30年と言うことで同窓会を行うことになった。先日案内が来たので、いそいそと出かけていったのだ。
20年前であるが、いやあ昔と変わらない人が多い。いや、正確に言うと変わっているのだが、変わり方が変身という変わり方ではなく、深化した変わり方なのだ。(ああ、あの人ならこのように変わっても当然だよな)
のようにあの当時の特徴が深化していた。別の言葉で言えば、ヴァージョンアップと言っても良いかもしれない。
20年前のことであってもあるシーンは良く覚えている。
そして、その時のことを人それぞれに覚えていたんだなあと思う。
今頃になって、
「あのころの池田君は、○○だったよねえ」
「あのころの池田君は、○○でもあったよねえ」
のように言われて、
(へー、俺ってそう思われていたんだ)
と嬉しく思ったりもした。
昔の自分は、今の自分を予測できているわけがないが、仲間から見れば
(をを、池田もそんな風になったか)
と思われるようになっているのかなあと思う。
当時柱となって居た人は、いまでも柱であり、活気づける人はいまでも活気づけていた。そして、恐ろしいことに、今でもギターのフレーズやコードは空で覚えていた。あのときの歌が、ちゃんと出てくるのである。
熱中していた頃があって、今がある。
今、熱中していることで、20年後の私はどうなっているのかと思うと、楽しみである。
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