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2005/09/03

焼きトウモロコシ

ためしてガッテンで行っていたトウモロコシの食べ方をやってみた。
焼きトウモロコシである。
これが実に簡単。お試しあれ。

1)生のトウモロコシを用意する。
2)皮とひげを取る。
3)グリルで焼く。

以上である。
焼く時間は、片面を8分。醤油をたらして、ひっくり返して4分。合計12分。
ビールがあれば言うことなしである。

あなうま。

タイのタクシン首相の手に

現地の新聞でも見たのだが、現地ではよく分からなかった記事である。
日本に帰ってきて、記事を確認し私の所属する研究会に問い合わせてみたところ、以下のアドレスを教えて貰った。

http://www.tv-tokyo.co.jp/wbs/2005/08/26/news_day/n2.html

タクシン首相の方法には賛否両論あると思うが、私はこれは賛成である。
年がら年中やるわけでもなかろうに。

ちなみに、この○×のおもちゃは教具として販売されてもいる。

2005/09/02

本を読んでいると怒っていた私の母親は、

私は目が悪い。
しかし、もともとは視力は2.0ととても良かったのだ。そんな私がいつ悪くなったのかは、しっかりと覚えている。中学三年生の二学期である。受験に向けて懸命に勉強を始めたために悪くなったのだ。と言いたいところであるが、実際は違う。

                   ◆

私の母親は古希を越えている。東京大空襲を逃げ回ったときには小学校の最上級生であった。だから、戦後新制中学校に一期生で入学することになる。

この母親は、一歳の時に父親を亡くし母親(私の祖母)一人に育てられた。兄は二人いて二人とも中学校を卒業すると、家計を助けるために働きに出た。

母が中学校を卒業するとき、二人の兄からは高校に進学することを勧められたが、兄二人が働いているのに自分だけ学校に行くわけには行かないと働きに出た。結婚するまでの10年は「片親」の差別の強かった時代にいろいろな職場でいじめに遭いながら働き続けていた。

                   ◆

そんな母親が中学生の私に言うのである。
「修、本なんか読んでないで家の仕事をやりなさい!」
と。
友人の話を聞くと、本を読んでいるときには親は非常に機嫌が良く、時々お茶なども入れてくれるという。おかしい。なんで私が本を読んでいると私の親は文句を言うのか? 

さらに夜の10時を過ぎて勉強していようものなら、
「電気代がもったいない。早く消して寝なさい。勉強したいのなら朝起きてやりなさい」
と言う。いや、勉強などしたいとは思わなかったが、やらねばならない宿題をやるためには、夜時間を掛けてやるしかない。朝起きて勉強なんて、当時の私には夢にも考えられなかったし。

もちろん、電気を点けっぱなしで机の上に倒れるように寝てしまうこともあったが、それはそうしようと思っているわけではなく、昼間の疲れでうつらうつら1 しているうちに、電気を点けっぱなしにして寝てしまうのであり、点けて寝ようとはこれっぽっちも思っていなかったのである。

宿題を何とか終わらせると、昨日の続きの本が読みたくなる。しかし、電気を点けて読もうものなら、母親が「寝なさい! 朝読みなさい」と叱りに来る。そこで考えたのが、布団の中で懐中電灯を点けて読むという方法である。これならばれずに読むことができる。そして、かなりの本を読むことができた。しかし、この結果私の視力は急激に低下し、乱視まで貰ってしまったのである。

                   ◆

母が古希を迎える少し前の正月に、お祝いのために実家に戻ったときのことである。その母がやたら大きな本を持ってうろうろしているのである。
『それは、なに?』
と聞くと
「修、本はやっぱり面白いねえ」
と言う。よく見てみると、大活字本であった。諸君は知っているかどうか知らないが、世の中にはそういう本がある。年を取り小さな字が見えにくくなった人のために、活字のサイズや本を大きくした本のことである。私は
(年を取ってから重たい本を読むなんて、大変なことだなあ)
と思っていたのだが、母はこう言った。

「私も小さい頃から本は嫌いじゃなかったんだけどね、本を読んでいると私の母親から『幸子、遊んでいないで家のことをしなさい』って怒られたのよ。それに、兄さんが働いているのに自分が本で遊んでいるのも悪いと思ってね」
(え? そうなの?)
「今になれば、もう誰にも文句を言われることなく本を楽しめるからね。大活字本だから次から次へと借りることになって、大変なんだけどね」

私はなんかショックを受けた。本が嫌いなわけではなかった。読みたかったけど読めなかった。そして、70歳を前にして本が楽しいねえともう一度読み進めている母に(やられたー)という思いだった。また、こんなことも言った。

「修、カタカナの言葉とか、難しい漢字は辞書を引くんだけど、これが文字が見えなくてねえ」

そうである。「修、なんのために辞書を買ってあるの。分からない言葉があったら辞書を引きなさい」とさんざん私に言っていた母は、私に言った言葉を自分で、まだ守っていたのだ。私は、母親にひらがなで引くことのできる電子辞書を買ってあげるのが精一杯だった。

                   ◆

私はこんな母親に育てられていたんだなあと思うと、嬉しかったり申し訳なかったりした。そして、一方で、いま本を読める私は幸せだなあとも思った。いや、今でも思っている。

これから小さな字が見えにくくなり、新しい言葉が分からなくなったとしても、辞書を引きながら読んでいきたいなあと思うよ。なぜって、本を読むって楽しいからだよ。

さて、今年の後半戦はどんな面白い本に出会えるかな。たのしみたのしみ。

もちろん、君も面白い本に出会えますように。

(国語科教科通信 『志学』 NO.11より)

2005/08/31

八月が終わる

私の好きな夏が終わる。
この夏も沢山の思い出を作ったが、それでもまだ足り無いなあと思っているうちに、
夏が終わる。

和田中は、もうすでに授業が始まっており、その面では夏は終わっているという思いもあるが、
やっぱり八月が終わるというのは大きい。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども
 風の音にぞ驚かれぬる

  古今和歌集 巻4秋ー169  藤原敏行

目ではなく、風の匂いでもなく、風の温度でもなく、
「風の音」でその秋の訪れを感じた古人の感性と
言語化にあらためて唸ってしまう私である。

でも、もう少し、夏を感じていたい。

2005/08/30

夢の途中 

このところ、実になんともいや〜〜〜〜な夢を見続けている。

その1 富士山を自転車で登攀する夢

私はそれほど自転車に乗る生活をしていないのだが、夢の中ではマウンテンバイクにまたがり、高原を気持ちよく走っていた。高原よりも海岸が好きなのに、高原を走っていた。

すると、いつの間にか高原は山道になり、砂の多いダートに変わった。そして、なぜだか分からないが(登り切らなければならない)という思いになり、必死に漕いだ。はーはー良いながら登り切ったら、そこは富士山の頂上であった。

その2 中国の大学で講義していたらの夢

授業をしていた夢だったと思う。そしたら、いつのまにか教室は階段教室になり、いっぱいの学生に囲まれていた。何か叫んでいるが何を言っているのか分からない。

そこで
「静かにするように」
と話すと、教室は今まで以上に煩くなる。良く聴いてみると中国語であった。彼らは何かを叫び、私の方に迫ってくる。危険を感じた私は大声を上げて威嚇するが、相手は構わず私に飛びかかってきて、腕にかみついた。
「ううううううううううう!」
と叫んでいるときに
「あなた大丈夫?」
と奥さんに夢から生還させて貰った。

その3 無理矢理離婚の夢

これもなぜだか分からないが離婚することになった。何があったわけでもないのに離婚させられて、新しい結婚をすることになってしまった。相手が誰だかも分からないのに結婚式が準備され、結婚式に臨むことになってしまった。おかしいおかしいと思いながら話が進んでいく。誓いの言葉を言わされる瞬間に
「いや、おかしい!」
と叫んで式場を飛び出していた。
そこで目が覚めた。

なんだかなあ。
昼間働き続けて夜また別の意味で働き続けている感じがする。
これらの夢は何を示しているのであろうか。>詳しい方。

授業再開

夏学期後半の授業が再開された。
和田中学校では昨日から授業なのである。
子供たちのやってきた夏休みの宿題を確認しつつ、
授業を進めていく。

それだけならいいのだが、その一方で分掌の会議が入り込み
その仕事がどんどん増えていく。ここをうまくやりくりしていかないと大変だ。
本当は、朝からブログなど書いている場合でもないのだがf(^^;。

夏休みに仕事を進めておくこともできるし、ある程度してはあるのだが、
やっぱり子どもの顔を見ながらでないと仕事がうまくイメージできないところもある。
それでぎりぎりになってしまう。いいのか悪いのか。

夏休み明けの最初の授業は、私の話のメモ、生徒の夏休みのできごとのスピーチから入る。夏のネットワークで講座を受けた堀さんのものをベースに授業を展開してみるつもりだ。

さて、分掌の仕事をやるか。

2005/08/28

地域清掃

午前中、和田中学校の地域の清掃に参加。
中学校の周りを四つのブロックに分かれて清掃する。
子供たちは1、2年生を中心に参加していた。
私は主に撮影で参加。

二時間ほど清掃をして、大きなゴミ袋30ぐらいのゴミや草を集めて終了。
参加賞の菓子パンと飲み物を貰う。

久しぶりに見る子供たちの顔は、良いものだった。小一時間話し込んでしまった。
もちろん、明日から授業の始まる和田中学校において今日参加できている生徒はほとんど宿題が終わっているわけで、そういうわけでは優秀な諸君であった。ま、なかにはこれから宿題を片付けるという大物もいたが。

私はその後、職員室に残って仕事をいくつか片付ける。
途中でお腹が空いたのを機に家に帰ることにした。
仕事を持ち帰り、夏休み最後の日を過ごす。

全国教室ディベート連盟関東甲信越支部の支部会に行けなくてすみません。>関係者各位。

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