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2005/10/08

書写の授業が終わりました

守破離(しゅ・は・り)という言葉がある。
日本の古典芸能や武道を学ぶ者にとっては、一度は聞いたことのある言葉だ。私が考えるに、簡単に言えばこういう意味である。

 守 今まで伝わってきた技術・文化をそのまま自分のものとして受け継ぐ
 破 受け継いだものを、自分なりの新しい技術・文化でうち破る
 離 その根本には「守」の部分を受け継ぎながら、自分独自の技術・文化を創る

私は書道と剣道を学んでいたので、この守破離という考え方は割とすんなりと理解できる。二年生の君たちには「シナリオ方式のディベート」を指導したが、これもこの守破離の段階的な学び方に基づいた指導だと言っても言い。

もちろん、今回君たちに指導してきた模書は、「守」の部分である。

                  ◆

君たちの書いた授業の感想を読むと二種類に分かれていた。

1) 書写は苦手だったけど、なぞり書きだったので楽しくできた。
2) なぞり書きなので楽だと思ったけど、意外と難しかった。

実に面白い結果だと重う。

1)を書いた諸君の多くは、字を書くことが苦手な諸君である。お手本を見ながら書く書写を「臨書・りんしょ」と言うが、この方法で学ぶのは「守」から「破」に移る段階である。

「守」ができていない諸君に、いきなり「破」をやらせて上手くなるはずがないと私は考えている。水泳で考えれば、ビート板に掴(つか)まりながら、ばた足、面かぶりクロールと段階的に学んでいる最中に
「んじゃあ、25mを自由に泳いでね」
とビート板を取り上げて泳がせるようなものだと思う。

さすがに水泳では命に関わるからこんな荒っぽいことはしないが、書写に限らず物事を学ぶというのはこういう段階的な学習が必要なのではないかと思っている。

ま、何事にも天才がいるもので、こんな守破離など関係なく、いきなりすごい字を書くような生徒もいるが、それは、10年に一人ぐらいであって、そういう人の練習方法を真似しても意味がない。なにせ、相手は天才である。

だから私も君たちも、普通の人が普通よりちょっと努力することで身につけることができるトレーニング方法をしっかりと行うことに力を注ぐのが、間違いない。

                  ◆

2)を書いた人は、ある程度筆の使い方を知っている諸君である。
私は、(和田中学校の諸君は、お習字教室に通っていた生徒が少ないなあ)と実は思っている。今でも続けている人は本当に少ないんじゃないかな。しかし、これは危ないのである。
「生兵法は怪我のもと」という諺がある。「身についていない、生半可な知識や技術に頼って事を行うと、かえって大失敗をすることのたとえ。(大辞林)」という意味だ。私はお習字でもそれを見てきている。ちょっと学んだ人は、逆に筆に対して変な優越感を持ち、その後練習をしないので、上手く書けなくなっている場合がある。

お習字をやっていた人にとって、この模書はじれったいものであろう。しかし、筆の入り方、毛先の回転、筆圧、手首の角度など、どうやったらこの字を書いた人の動きと同じになるのだろうかと考えながら、筆を動かしていくと模書は実に深い学習になると思う。そして、それを実感してくれた人がこういう感想を書いてくれたのだろう。

                  ◆

残念ながら、授業の書写では「守」の入り口で時間切れである。「破離」はとても間に合わない。

興味を持った人は、是非続けて欲しい。お手本と半紙なら用意してあげるよ。

(教科通信「志学」 NO. 20 より)

2005/10/05

おやすみなさい

体調が優れないので、今日は静かに寝ます。
みなさんは、お元気で過ごされますように。
おやすみなさい。

2005/10/04

修学旅行 外伝

「先生、一番美味しいのは摘み食いでしょ」

八紘閣のご主人、小野塚さんが私の耳元でささやいた。

修学旅行その2で、新潟県の塩沢まで出かけていった時のお昼御飯である。魚沼産特Aクラスの新米を「糠釜・ぬかがま」という伝統的で手の込んだ方法で炊いてくれたのだが、私が写真を撮っているときにそういわれたのである。

(そう言われたって、そんなことできるわけないよなあ)
と思っていたところに、

「ほら、先生」

と杓文字(しゃもじ)に載せた米を私の目の前に差し出してくれた。

こうなったら受けねばならない。私は両手でお椀のような形を作り、その中に受け止めた。そして、慌てて口の中に含んだ。

そこでは、次のような展開があった。

1)熱いと思った瞬間
2)もっちり感が口の内側に伝わり
3)香りが鼻腔に広がり
4)ほーほーとその香りを味わっているときに、口の中に唾液が満ちてきて
5)噛み噛みすると、唾液で冷まされて適温になった米から、その滋養と味が口腔(こうくう)全体に広がる

というものであった。
ほんの少しだけ
(生徒諸君よ、すまん。先に味わってしまった)
と思ったが、圧倒的な米のうまさに私の思いは再び米に奪われてしまった。噛みしめるほどに、米に奪われていってしまったのだよ。すまん。

kome


                  ◆

米の炊き方は、「始めちょろちょろ、中ぱっぱ。赤子泣くともフタ取るな」と言われるが、私が観察したところによると、もう少し細かい気配りがされていた。何かと言えば、

「米を釜の中で水平に入れる」

というものである。米と水の入ったお釜を糠釜に移すときに衝撃が伝わってしまったのだが、宿の方は、すかさずフタを開けて中の米が平らになっているかを確認していた。ちょっとした気配りだとは思うが、おそらくこういう点で米の炊きあがりは決定的に違うのであろう。

たぶん、何かをするにおいても、この「米を釜の中で水平に入れる」のようなことはあるのだろう。が、それが素人にはなかなか見つからない。そこが見つけられるのがプロであり、見つけるために日々の積み重ねが必要になるのだろうと感じていた。

火をくべてからは、最初に強火で10分、次に遠火で10分、最後に蒸らしに10分という三段階で炊きあげていた。件(くだん)の小野塚さんは、

「この三段階が分かると、米はどこでも美味しく炊けるようになるんだよ」

と君たちに話しかけていたが、君たちはしっかりと聞けていたかねえ。お腹が空いてそれどころではなかったかな。真実の言葉短く、そして突然訪れるのだよ。

                  ◆

米の水加減、山の風と雨の関係、花の咲いた冥加(みょうが)の行方、天空米、涙の訳と書きたいことは沢山(たくさん)ある。

が、それは君たちの書く作文に任せようと思う。

良い修学旅行でした。

(教科通信「志学」 NO. 19 より)

2005/10/03

きりんです

最近、生徒に、しかも授業を持っていない一年生の生徒に
「先生、『きりんです』って言ってください」
と言われる。
(きりん? ああ、あれね)
と心当たりに応じて
『きりんです』
と言ってあげる。
「似てる〜〜〜〜〜〜」
と言って喜ぶ子どもたち。

かの良寛和尚は、子どもたちが望むので有れば地べたに寝転がって
泥だらけになりながら動物の真似までしたという話を、私の敬愛するかつての校長であった
蛭田先生から伺ったことがある。

私は
『きりんです』
と真似するだけだが、ちょっとは良寛和尚に近づいたのか、はたまた遠ざかったのか。

私が何者かは分からないのに「先生、『きりんです』って言ってください」と言ってくる子どもたちにちょこっとつき合っている私である。

2005/10/02

明日から秋学期

土日は、地元でのんびり。yuukei


南大沢のラフェット多摩で買い物をして、
読みかけの本を読み進めて、
ベランダで寝ころんで、
釣りに行ってと
寛ぐ。

つり場で空を見上げたら美しい夕景であった。
これが、聖蹟桜ヶ丘なんだなあ。
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                  ◆

さて、明日から和田中学校は秋学期。
今年度もちょうど半分が終了。
合唱コンクールを中心に動いていくが、じっくりと勉強もさせたいなあ。

また、月末にはディベートの秋の大会がある。
子どもたちが、良い試合を展開できるように指導したいものである。

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