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2005/12/17

七味五悦三会

今年もあと少しになりました。
沢山授業のある和田中学校も、さすがに来週で終わりですf(^^;。

さて、そんな学校の最後の週に行うと良いものがあります。
七味五悦三会です。

一年間の、七つの美味しい味、五つの悦び、三つの出会いを振り返り良い一年だったねと確認します。江戸時代には大晦日に庶民がやっていたようです。

http://homepage.mac.com/ikedaosamu/gakkyuukeiei/2gakki/sitimigoetu.html

にワークシートがあります。良かったらご活用下さい。

2005/12/16

ラグビー。または、本歌取り

ラグビーという「変な」スポーツがある。
楕円のボールを使って、相手の陣地にボールを運ぶスポーツである。それだけでも変であるが、このスポーツの最も変なルールは、パスを前に投げては行けないということである。パスは、自分よりも後ろにいる選手にしかできない。そして、前に行くには自分でボールを持って進むか、キックするしかないのである。

学校からの帰り道、見上げると月が出ている。
(ああ、満月か。いや、明日あたりが満月か)
と思う。
(今年の最後の満月だなあ。いくつもの満月を今年も見てきたんだなあ)
と思う。すると、

天の原ふりさけ見れば
春日なる三笠の山に出でし月かも  百人一首 7  安倍仲麿

を思い出す。2年生では百人一首の指導に入っていることから、こんな歌を思い出したのか。この歌の季節は、冬じゃないような気もするけど、思い出してしまう。この一年でいろいろなことを体験し、その度に満月は出ていたんだと思うと、あながちこの歌を思い出すのも変ではない。

そして、そうくれば自動的に

日は昇り 日は沈み振り向けば
何もかも移ろい去って
青丹(あをに)よし平城(なら)山の空に満月  まほろば さだまさし

も出てくる。

今朝、電車の窓から朝日が昇るのを見ていた。そしたら、また思い出した。

東の野に炎の立つ見えて
かへり見すれば月傾きぬ  万葉集 巻1−48 柿本人麻呂

である。車内で振り向いたら高尾山方面に沈む満月を見ることができた。この景色は明日も見ることができるだろう。

三年生の授業では、三大歌集を学んでいる。そのうちの一つ、鎌倉時代の『新古今和歌集』に

駒とめて袖うちはらふかげもなし 佐野のわたりの雪の夕暮れ 藤原定家

がある。これは、万葉集 巻3−265の歌

苦しくも降り来る雨か神(みわ)の崎 佐野のわたりに家もあらなくに

の一部を使いながら、この歌の内容を受け継ぎ新たな世界を広げている。この修辞法のことを「本歌取り」と言うのである。

一つの考え、一つの思いは、いきなり現れることは少ない。
意識しているか無意識であるかは別にして、私に、あなたに届いている何かが、私の、あなたの中で育って「新しい」何かを作り出す。そして、それは次の世代へと引き継がれていくのである。それはまるで「本歌取り」のようでもある。

私がラグビーを見るたび感じるのは、この「本歌取り」であり、人生とか教育とか言うものである。私が先達(せんだつ)から手に入れたものは、後ろにしか投げることができない。しっかりと受け止めて、前に進む諸君の姿を見つづけたいと思ってこの仕事を続けている。

じゃあキックは何か。
キックで前に出すには、受け止める諸君が(どこに行くか分からないボールだが、この子たちならきちんと手に入れるだろう)と判断した時である。

実は私は、キックをしてみたくてうずうずしている。

(教科通信「志学」 NO. 37 より)

2005/12/15

年の瀬に向かっている

さすが私である。本日から始まった高校の入試相談。東京の高校は、今日と明日とで私立の推薦試験の打ち合わせを終える。だが、財布を持たずに出かけてしまった。

電車には定期券で乗れたので、財布を忘れていることに気がつかなかった。降りる時になって、
(ない)
と気がついた。

ここで家に帰っていては、子どもの使いになってしまう。
そこで、
「すみません。財布を家に忘れてきてしまって差額が払えないんですけど」
と下車する駅で、定期券を見せながら話したところ、
「じゃあ、ここに必要事項を記入してください」
ということで、お金を借りることができた。

これで入試相談には間に合い、なんともなくすんだのだが、考えてみれば帰りの電車賃もない。
そこで、
「すみません、子どもたちは立派なのですが、私がおっちょこちょいで、財布を忘れてきてしまって。ちょっとお金を貸していただくことはできないでしょうか?」
と借りてしまった。

実に何とも情けない話であるが、さすが私である。
生徒に迷惑がかからなくてよかった。

                 ◆

一日の仕事が終わった帰り道、見上げると月が出ている。
ああ、満月か。
いや、明日あたりが満月か。

今年の最後の満月だなあ。
いくつもの満月を今年も見てきたんだなあ。

  天の原ふりさけ見れば
  春日なる三笠の山に出でし月かも

   百人一首 7  安倍仲麿

百人一首の指導に入っていることから、こんな歌を思い出してしまう。
季節は、冬じゃないような気もするけど、思い出してしまう。

そして、そうくれば自動的に

  日は昇り 日は沈み振り向けば
  何もかも移ろい去って
  青丹よし平城山の空に満月

    まほろば さだまさし

も出てくる。
なんか、年の瀬に向かっているのだなあと思った。

2005/12/14

クローン人間の是非

本日の「よのなか」科は、クローン人間の是非であった。
突然
「このテーマで黒板にマッピングしてみて」
と校長に言われたのでちょこっと驚いた。が、それはそれ、マッピングメモを指導している訳ですので、やってみました。ある程度のことはできたかな。3分で描きました。

kokuban

今日のゲストは、独立行政法人 物質・材料研究機構の主席研究員である花方信孝先生。工学博士だ。ヒトゲノムの話から始まり、そのゲノムの分析結果のコピーを見せてもらったりして、とても興味深かった。

私はこの授業を受けながら、二つの質問が思い浮かんだ。

1)体内クローンは可能か?
2)動物の体への植物の埋め込みは可能か?

である。
授業が終わってから質問してみた。すると、

1)可能である。
2)もう、行っている。

との話であった。ゲゲである。

                  ◆

ただ、お話の感じだと、1)については花方先生も気づいていなかったようで、ひょっとしたら研究のテーマになるかなあ、いや、もうやっていて極秘事項だったらなんてことを考えた。この方法は、自分の体の中である一定の期間がきたら、クローンを行う訳である。そういうプログラムを遺伝子情報の中に組み込むのである。

もし、1)が可能なら、宇宙旅行などのときに便利だろうなあと思う。10年ごとに角膜を更新ししたら、目の病気の解決になるし、歯が可能なら虫歯治療も根本的に変わる。人が不老不死になるにはこの道なのかもしれない。

2)はできているということだったが、動物の体内に植物の細胞一つを埋め込むレベルであった。私は、たとえば、牛の背中に植物を埋め込み、水を与えておけば背中の植物が光合成をしてエネルギーを作り出し、牛が育つというようなものをイメージしていたのだが、これはまだできていないとのことであった。化学反応が複雑だからだそうだ。

でも、これができたらすごいことになるな。食料問題は結構解決するのではないだろうか。

                  ◆

倫理の問題で人間のクローンはゴーサインが出ていないが、中国やインドなどで進めば、安く高度な技術が作られることになり、日本は抜かれてしまう。私は、自分の歯がサイボーグ(差し歯)なので、ここだけクローンで変えてほしいと思っているが、意外と私の人生のうちに間に合ってしまうかもしれないなあと思った。

さらに、臍帯血のベンチャービジネスの話や、中国の一人っ子政策が生み出すクローン技術など詳しくは書けない話まで授業後に伺うことができた。いやー、すごい。

この5年ぐらいでこの世界の覇権は決まってしまうのだろうなあ。日本の科学者頑張れ、そして、人類の科学者、原爆の轍を踏まないように頑張れ。

2005/12/13

紅天女

国立劇場で文楽を鑑賞してきた。
学校の生徒全員、もちろん職員も全員で。鑑賞教室である。

いまから400年前に作られた人形劇であるが、これが脈々と今日に伝わっているのは、すごいなあと思う。ブラジルという国ができて500年、アメリカという国ができて200年であるからして、すごいなあと思う。

演目は、牛若丸と弁慶の五条の橋のお話と、もう一つは人情ものであった。
これはこれでその人形の操作のすごさとか感動したのだが、実は、妙な物に感動してしまった。

それは、「紅天女」という新作のお能の演目が演じられる予告を見たことである。未だに新作のお能が作られているということに感動しているのではなく、この「紅天女」の原作が、あの『ガラスの仮面』であるということである。

もちろん、宝塚で「ベルサイユのバラ」が漫画からドラマになったようにそういうこともあるのだろうが、『ガラスの仮面』からお能というのは、すごいなあ。

見てみたい気もする。

法教育とディベート

法教育とディベートの関係を考える研究会では、京都大学の土井真一先生を京都から御呼びして行った。30人強の集まりであったが、非常に良かった。

まだ三十代後半だが、京都大学法学部の教授である土井先生の話は、さすが、法学部の教授と言うのがぴったりな回転の速さ、説明の適確さであった。

裁判員制度が導入されることになる日本の司法制度である。
法とは何かということをきっちりと知っておく必要はある。

土井先生によれば、「約束を守ること」の意味と重要性を学ぶことが基本であるという。人が生きるときに、このことをきちんと行えれば、生きやすくなるということを学ぶことが法教育の土台であるという。

私は、他にも

・みんなで決めたルールを守るというが、そのみんなの中に自分が入っているという実感を持てないが、それはなぜか。

・ルールは守る一方で、作ることも重要だが、この作るをきちんと行う実践が難しいが、どのようなものがあるだろうか。

・なぜ、人は所有権を大事にすること、つまり物は盗んではいけないと厳しく教えるのだろうか。

などの質問をした。

これらも丁寧な説明をもらった。
基本的には私が考えていることと同じであったので、私はああ良かったと思った訳であった。

エキサイティングであったなあ。

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