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2006/01/31

取りあえず復活

なんとか復活しました。
昨日PCショップに持っていったところ、定休日で本日改めて持っていきました。

診断してもらったところ、HDではなくロジカルボードではないかということでした。
そして、HDを取り出してチェックしてもらったところ取りあえず大きな問題はないということで、
HDのケースを購入しそのHDを収めました。で、ファイアワイアー接続でもう一台のマックにつなぎ、
そちらのシステムで立ち上げたところ、このように通信が出来るようになりました。

はあ、マックで良かった。HDが生きていてよかった。

あたらしマックが欲しいなんて言ったものだから、ibook-G4が焼きもちを焼いて壊れたのかとも思いました。修理完了して戻るには約一週間です。


2006/01/29

小野道風

うーん、すごかった。

午前中、とうとう重い腰を上げて三楽病院に行ってきた。私としては原因はほとんど分かっているのだが、慢性化するとこれが他の病気を引き連れてくることになるかもしれないので、いちどきちんと調べてもらうことにしたのだ。

んで、問診を受けて血液検査をして、症状を軽くする薬を出してもらって、正式な検査の予約をしてきた。

で、何がすごかったのかと言えば、この後である。

                   ◆

折角都心に出たので、上野でやっている「書の至宝」展を覗いてみたのだ。糸井先生のように毎週のようにどこかに出かけていって刺激を受けている先生を見ていると、(私もしなければなあ)と思いながら、体調が悪いこともあり家からでなかったのだが、お茶の水から上野までは歩いても30分ぐらいだし、行ってみるかと思ったのだ。

上野に向かう途中、湯島聖堂と湯島天神で、子どもたちの学力向上と人間的な成長、私の研究がまとまるようにとお願いをして、東京国立博物館を目指した。

上野公園の大噴水の前では、「東京の名酒」という企画をやっていて、試飲もできたのだがここはぐっと我慢して、博物館の門をくぐる。

                   ◆

今回の出品は、そらあすごい。何しろ中国のいっちばん古い金文、甲骨文から始まって、私が学生時代に書きまくっていた王羲之(を、すごい。ことえりは一発で変換したぞ)や欧陽詢(うひゃあこれも)や貯水量(あ、これは違う)ではなくて、ちょ遂良(あれ、「ちょ」がでない。示す篇に者なんだけど)が出品され、曹全碑、蘭亭の序(これもでる)までも出ている。肉筆の臨場感にほとんど打ちのめされそうになる。

さらに日本の作品も、聖徳太子、空海、藤原行成、藤原佐理、藤原定家に・・・とすごいのだが、私が魂を奪われたのは、なんと行っても小野道風(おののとうふう)であった。

実は、恥ずかしながら、彼の作品を直に見るのは初めてである。
だが、一目で倒されてしまった。「屏風土代」である。
じーっと見て、時間をおいてまた見て、さらに見てと時間をおいて最初から最後まで舐めるように見てきた。

その技術のすごさ、配置の妙、変化の大胆さと文字が動き出している、いや、動き続けているのである。ちょっと気持ち悪くなるぐらいであった。だから、時間をおいて見直していたというのもあるのだ。

キザで、格好つけているのにそれが全く嫌みにならず、凄みにすらなってしまう大胆な展開。
その筆跡の向こう側に、この作品を書き終えて
「どうよ?」
とこちらを振り向いている彼の姿が見えてくるようであった。

いやあー。すげーすげー。

                   ◆

展覧会の会場には、休憩のための椅子が結構ゆったりと合ったのだが、私はそれよりもでかい紙と筆と墨が休憩室に欲しかった。あの字を見てエネルギーをもらったのだが、それをとにかく字に表したかった。

「でやあああああzsdfjgぃおあsjdふぉいたれおいぐぁおdんgとかhじょg@いあい!!!!!」

てな感じで書きたかったのだ。

そんな博物館が欲しい。
うーん、小野道風。ちくしょう、すげーなー。

                   ◆

その後、新宿でちょっとした新年会。
書道の興奮が覚めやらず、がーっと飲んでしまった。
うまかった。

その席で、すごいことになりそうな話を聞く。
早くて三年後であるが、これが本当になったら、すごすぎる。
ここには書けないが、記念に自分のメモとして残しておく。

2006/01/27

頼もしく思う一方で

本日、都立高校の推薦入試の日であった。
トラブルがあったという連絡もなく、無事に一日が過ぎていった。
私は、授業の準備で一日を過ごしていた。
ディベート部が請け負った和田中学校のHPもほぼ完成となったし、良かった。

二年生の授業では文法の助動詞をやっている。まあ、実際のところ助動詞は橋本文法をすべて理解していないと問題が解けない部分があるのだが、じゃあ、理解したところでどのぐらい意味があるかと言えば、そんなに意味はないのかもしれないと思っている。都立高校の入試問題でも、出題されても5点分しか出ない。

んがあ、自分の使っている言葉が、何がどうなっているのかと考える時に、文法の考え方を知っているというのは良いと思うのだが、いかがであろうか。もちろん、国語の文法と日本語の文法では観点が違うのではあるが。

で、二年生はこのところ、その文法に取り組もうという意欲というか、勉強を使用という意欲が出てきている。ま、私が三年生の受験の話を授業中にしていて
「次は、君たちだよ」
と話しているということもあるのかもしれないのだが、そういう顔をしている。

その顔を見ると、二年生を頼もしく思う一方で、三年生ともあと二ヶ月かと寂しい思いもする。
そうだ、こうして、時は過ぎていくのだ。

2006/01/26

「頭を垂れる」の「れる」は?

授業中に助動詞の「れる・られる」の説明をしていたら、
(う〜〜〜〜〜〜〜ん?)
という顔をしている男子生徒がいた。
『どうしたの? どこが分からないの?』
と聞いたところ、
「先生、【垂れる】はどうなるのですか?」
という質問があった。これは、非常に良い質問である。
どうして、良い質問なのかというと、助動詞の「れる・られる」に関して理解が始まっていないと出来ない質問だからである。そして、学習を進めると多くの諸君がぶつかる疑問を、質問にしているからである。

                   ◆

この質問は、文法の問題では中・上級の問題なので、今回は触れるつもりはなかったのだが、折角だから触れておこう。
まずは、前回の復習だ。

1_thumb


だから、

1) 濃霧に遮られて、先が見えない。
2) この岬から海峡が見られます。

とあったとき、1)は、「遮ら」+「れ」+「て」と単語に分けることが出来て、これは「五段活用動詞【遮る】の未然形」+「受身の助動詞【れる】の連用形」+「接続助詞【て】」と説明できる。
また2)は、「見」+「られ」+「ます」となり、「上一段活用動詞【見る】の未然形」+「可能の助動詞【られる】の連用形」+「丁寧の助動詞【ます】の終止形」と説明できる。

では、「垂れる」はどうなのだろうか?

                   ◆

「垂れる」は

3) 水が垂れる。
4) 頭を垂れる。

のように使う。この場合、3)の「垂れる」は、自動詞として働いていて、受身や尊敬の助動詞を使うことが出来ない。だから、他動詞として働いている4)で受け身を作ってみる。すると、

5) 先生は慰霊碑の前で、頭(こうべ)を垂れられた。

となる。これを1)、2)のように単語に分解すると、「垂れ」+「られ」+「た」となり、「下一段活用動詞【垂れる】の未然形」+「尊敬の助動詞【られる】の連用形」+「過去の助動詞【た】の終止形」となるのだ。

つまり、「垂れる」は、もともと単語の中に「れる」という言葉を含んでいるのであって、助動詞の「れる」とは関係ないのである。だから

問 「頭を垂れる」のれるは何でしょうか?

とあった場合、「下一段活用動詞【垂れる】の活用語尾」と答えるのが正しいのである。あんだすたん?

                   ◆

とまあ、ここまで説明してもさらに分からない生徒諸君が多いようなので、次の国語の授業では、「文法大質問大会」を行う。

質問用紙に質問を書いて、国語係りに提出してください。1年生のところからでも良いよ。

2006/01/24

「見れます」と「見られます」の違いを考える

あんまり大きな声では言えないが、実は私は大学では文法を学んでいた。正式には国語学というのだが、その中でも萩原朔太郎のオノマトペを研究してた。

現在君たちに教えている助動詞は、橋本進吉先生という学者の唱えた日本語文法の考え方に則っている。違う考え方を持っている学者たちもいるのだが、今はこれがスタンダードである。ここはちょっと勉強しただけでは歯が立たないこともあり、入試には出しやすい部分なので、じっくり学んでほしい。

                  ◆

入試の文法では、助動詞に関する問題が出題されやすいのだが、これはなぜであろうか。ここでは、「れる・られる」という助動詞で考えてみよう。

「れる・られる」という助動詞には、「受身・尊敬・可能・自発」の4つの意味がある。「れる」にも「られる」にもある。これは何を示しているかというと、

・ 形(「れる・られる」)は同じなのに、意味(「受身・尊敬・可能・自発」)が違う

ということを示している。そこで、

・ 同じ形の中に、違う意味のものを紛れ込ませて選ばせる

という問題を作ることが可能になるのである。

                  ◆

さらに、「れる・られる」という助動詞が、「受身・尊敬・可能・自発」の4つの意味を同じように持っているのであれば、「れる・られる」と2種類の単語がなくてもいいようなものだが、実際はある。

なぜあるのであろうか。それは「れる・られる」が、くっつく単語の種類が違うからなのだ。具体的には動詞の活用の種類(五段活用動詞、上一段活用動詞、下一段活用動詞、カ行変格活用動詞、サ行変格活用動詞)が違うのだ。教科書では、

1) 遮られて、
2) 見られます。

と一見同じように見えるものなのに、1)は「れ」に、2)は「られ」に下線が引っ張ってある。これは「れる・られる」の前に来る活用の種類によって違ってくるからなのだ。このくっつきかたのことを、文法では「接続」という。ここが違うのである。表にすると、1


となる。1)は、「遮る」という五段活用動詞の未然形についていて、「れ」の後ろに「て」があるので、この「れる」は連用形ということが分かるのです。2)は、「見る」という上一段活用動詞の未然形について、「られ」の後ろに「ます」があるので、この「られる」は、連用形ということが分かるのです。(って、わかったかなあ。分からない場合はもう一度読んでね)

だから、「見れる」という言い方は、今一般的に使われるようになってきていますが、少なくとも学校で教えている文法を基準にすると、おかしいのです。「見られる」でなければならないのです。こういう「ら」のない言葉を「ラ抜き言葉」といっているわけです。

まとめます。助動詞に関する問題では、助動詞と思われる部分にある棒線部の

1)品詞は何か
2)意味は何か
3)活用形の種類は何か

これらを全ての助動詞について答えられるようになると良いのです。ちょっと大変だけど、頑張れ。

(教科通信「志学」 NO. 41 より)

2006/01/23

聞き手の負担を減らす、話し方をしよう

面接は、話し言葉で行われる。話し言葉と書き言葉の違いを簡単に述べれば、

12

と表のようになる。ここから考えてみよう。

ある大学の先生から伺ったのだが、生徒が先生の授業に対する不満の第一位は、なんと、「何を言っているのかわからない」というものであった。声が小さかったり、発音が悪かったりするのが原因だと言うことだ。ま、これは論外としても、「この話がいつ終わるのかが分からない」とき「何を言おうとしているのかが分からない」ときにも、不満を感じるという。

書き言葉は、心の中で文字を声にして読むにしても、書かれている文字を「見ながら」読めるので、次に何があるのか、またはどのように続いていくのか、いつになったら終わるのかが、だいたい予測できる。だから、「この話がいつ終わるのかが分からない」という不安は少ない。つまり、情報を主体的に受け取ることができるのである。読む側が主導権を握っているということだ。

また、書き言葉でまとめられている文章は、所々に「小見出し」や「段落」で一つの意味のまとまりを明示してくれているので、「何を言おうとしているのかが分からない」ということも少なくなるように工夫されている。もし、一回読んで分からない場合であっても、書き言葉は「残る」ので、繰り返し読むことができる。

                  ◆

しかし、話し言葉はどうであろうか? 話し言葉は書き言葉の持っている「伝えるための優れている点」、即ち「先が予測できる」「小見出しがある」「情報が残る」は、意識していないとまったく使われないことになる。

そこで、「この話がいつ終わるのかが分からない」「何を言おうとしているのかが分からない」という不満を解消するために、話し言葉では

・ ナンバリング
・ ラベリング

という技術を使う。ナンバリングは、「全体の数」「それぞれの位置」「まとめ」の三つがセットである。これらができているときに、話を聞く相手は、不満や不安を減らすことができる。

また、ラベリングは「私が言いたいことは、○○です」と自分が話したい内容について小さくタイトルを付けることを言う。聞き手は(ほう、そういうことを話すのね)と聞く準備ができるのである。そうすると、「何を言おうとしているのかが分からない」という状態が減るのである。

さらに、情報が残るように「文字の言葉で書かれている文よりも、一つの文を短くする」という工夫も必要である。

(どうしたら相手に分かって貰えるように話すことができるだろうか)と考え、相手の顔を見て話したり、言葉遣いを丁寧にするということも大事な姿勢である。で、その上に、ナンバリングやラベリングなどの話し言葉の本質的な弱点を補強するスキル(技術、わざ)を身につけておくことができれば、さらに相手に伝わりやすくなるのである。

三年生の授業では、現在ディベートを通して、これを確認している。意識しながらやってみてください。

(教科通信「志学」 NO. 40 より)

2006/01/22

まずは、体調だ。

朝目が覚めたら、朝焼けがきれいだった。
うっすらと積もった雪の景色に、朝の赤が照り輝き
思わず拝んでしまいたくなるような景色だった。

このごろ、朝起きるとリビングでしばらくぼーっと過ごし、おなかの具合を気にする。
(ん、今日は大丈夫かな?)
幸いにして今朝は大丈夫であった。
おなかの調子は高校生の時からの付き合いであるが、いつまでこんな生活が続くのかと思う。このごろちょっとひどすぎるしねえ。

だけど、今日も基本的には寝て過ごそう。

                  ◆

嬉しいこともあった。
実はこの正月に私のおじさんが心筋梗塞で倒れていた。
突然従兄弟から電話があり、びっくりしたのだがそういうことであった。

いろいろと連絡を取り合って動いたりしていたのだが、
昨日退院できたという電話をもらった。
ああ良かった。
電話の向こうの声は、昔ながらのおじさんの声であった。

「いやあ、一度心臓が止まったんだけど、電気ショックで戻ってきたよ」

静電気の痺れでビビっている私には、出来れば避けたい治療であるが、ありがたいことである。
良かった良かった。

                  ◆

夕方から全国教室ディベート連盟関東甲信越支部の支部会があったのだが、寝ていて行けなかった。みなさん、すみません。昨日、常任理事会も行けなかったのに。

まずは、体調だ。

2006/01/21

こんな時は過ぎ来し道を

東京では、久しぶりの雪だ。
朝早くから出かける用事があったので、
早起きしたのだが外は既にうっすらと雪景色であった。

本当なら午後から降り始めるということだったが、
少し時間が早くなったのだろう。

引用開始 ーーーーーーーーーー

人が生きること
それは
つらいことではあるけれども
雪の降りつもるのを見ていると
やはり 生きることの尊さを
信じていたいという気がしてくる

三宅武治

引用終了 ーーーーーーーーーー

実にそうであるなあ。

                  ◆

こんな時は過ぎ来し道を、なんとなく少し振り返ったりする。
なんて言うか、その時は今やっていることが、あとからそんな風に展開するから、または展開させるためにやっていたつもりはないのだが、今この地点から見ると
(ああ、つながっていたんだなあ)
と思うことがたくさんある。

いや、つながっているから私の人生なのだが、
(そこで、そうきたか)
というあまりにも面白い展開に驚くこともある。

それは、たまたま手にした一冊の本のストーリーであったり、一本の映画であったり、一通のメールであり、一本の電話であったりする。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「運命」は、それを背負ってこそ乗り越えられるのであり、逃げていては追いかけられるだけなのである。

『大人が子どもと出会うとき 子どもが世界を立ち上げるとき』(p153 竹内常一著 桜井書店)

引用終了 ーーーーーーーーーー

まったくもって恩師というものは、私の人生を見透かしているかのようにこんな言葉をさりげなく著書に紛れ込ませ、届けてくれる。

まあ、勝手に私がそう思っているだけかもしれないが。恩師の言葉を理解するのに20年もかっているんだから、大学の時から言っていたのかもしれないが。

                  ◆

しかし、70歳を過ぎて、こんな良い本を書かれてしまっては、嬉しいんだけど、追い越せないなあ。ま、
「そもそも恩師をライバルとして考えていること自体が違っているのよ」
と連れ合いには何回も言われるのだが、同じ教育を選んでいる以上、恩師であってもライバルと考えなければ、私は恩師に失礼だと思うのだが。違うかなあ。

かつて先生は、
「池田な、大学の授業ってのは、一年間講義が終わったらその時に一冊の本が出来上がっているようじゃなければダメなんだよ」
と言われていた。

20代の教師であった私は、
(おーし、そんじゃあ、中学校の授業でもやったろーじゃねーか。ええ、やりますとも)
と、なぜか「売られた喧嘩は買わねばならぬ。勝った喧嘩は勝たねばならぬ」の言葉が湧いてきて、格闘を始めたこともあった。おかげで最初の本、『中学校国語科ディベート授業入門』を書くことが出来たのだが。

                  ◆

20060121
雪が激しくなってきた。
ビルの上層階にいると、雪は下からも「降って」くる。
そしてその雪を見続けていると、まるで深い海の底に沈んでいくかのような気持ちになる。そう、潜水艦の窓からマリンスノーを見ているかのようにも思えてくる。
日本の庶民がこんな景色を見ることが出来るようになったのは、いったいいつ頃からなのだろうか。

背負うものを背負い、乗り越えていくのが人生かあ。

2006/01/20

大寒

今日は大寒である。
私の名前は、おさむなので「おー寒」となり、私の日と言っても良い。
ではあるが、久しぶりに学校に行ったので、なんだかぼーっとしたまま過ごしてしまった。

週末は出かけなければならない用事があるので、ずーっと寝ているわけにはいかないが、
なるべく休養しよう。

2006/01/19

おなか風邪? 2

ふう、なんとか治ったと思う。
明日には学校に行けるだろう。

メールの返事が書けていません。
明日の夜になると思います。
すみませんが、よろしくお願いいたします。

2006/01/18

おなか風邪?

参った。

昨晩、トイレを捜している夢を見ていた。
トイレを発見して、安心したところで目が覚めた。
すると、
(ん?)
とおなかに違和感。
時間を見ると午前3時。

念のために起きてトイレに行ったのだが、
その結果、ひどい下痢。

このところ、毎日のようにそうなっているのだが、
ここまでひどいのは久しぶり。
それから、寝られず。

復活しないので、本日は休暇を取って寝ていた。
かるーく、おかゆで食事をして
一日中寝ていた。8時間ぐらい寝ていた。
お昼も食べずに寝ていた。

まだ、おなかの調子は良くない。
おなか風邪なのかなあ。
鼻血が出やすくなっているところを見ると、免疫力が低下しているのかもしれない。

夕ご飯には、ヨーグルトとうどんを食べた。
さて、また、寝よう。
明日には治っていますように。

2006/01/17

で、池ちゃんはどう思う?

二年生の授業は、文法に入った。助詞、助動詞、つまりは付属語である。この付属語というのは、日本語の大きな特徴の一つである。

「私は池田修です。」この文の助詞は、「は」であり、助動詞は「です」である。付属語というのは、それだけでは意味が分からず自立語や付属語について単語と単語関係を表す単語である。

私たち日本人は、当たり前だが、日本語を第一の言葉として話す。そのため、

私は池田修です。
私が池田修です。
私の池田修です。
私へ池田修です。
私を池田修です。

とたった一文字の助詞を変えただけで、文の意味が変わってしまうことを理解している。だが、どのように変わっているのかを説明するのは、なかなか難しい。

これらの違いをきちんと説明できるようになるためには、言葉への鋭い感覚と文法への深い理解がなければならい。これを手に入れることは、外国語を日本語と比較しながら学ぶ時にも有効なツールを手に入れることにもなる。今回の授業では、その初歩の部分をやることにしている。

                    ◆

いきなり付属語の説明に入っても、なんのことだか分からない生徒が多いだろうと思ったので、今まで学んだ文法の簡単な復習をした。曰(いわ)く、単語、自立語、用言、活用、品詞の種類などである。

文法は専門用語が出てくるが、この専門用語の意味を理解していないと授業を聴いてもなんのことだか全く分からなくなる。専門用語を使って説明するからだ。

ということで、専門用語の復習をしていたのだが、授業を受けている君たちの表情が、私が心に描く表情とどうも違うのだ。一度習っていることで、自分が忘れてしまっていることを私が復習をしていることに対して、なんの抵抗もなく受け入れている表情をしていたのだ。時代なのかなあと思いながらも、次のことを話した。

『あのね、私がまだ塾の先生をしているときのことの話をしよう。大学二年生のときに、中学三年生の国語を教えていた訳ね。その時の教え子の一人は今、テレビ朝日のアナウンサーをしている萩野志保子さんね。ま、そんな話はどうでも良い。

私が担当していた中学三年生を一緒に担当していた先生たちは、専任の先生以外は、大学生ではなくて、大学を卒業した後に進む大学院に通っている先生たちばっかりだったんだ。将来は大学の先生になろうという人たちばかりね。

で、授業が終わると食事に行くわけ。そこで出てくる会話は、「○○って本は良かったな」「そうだね、△△と関連しているんじゃないの?あれは」「なるほど。で、池ちゃんはどう思う?」なんてことになっているわけ。

でも、私はその○○って本を当然読んでいないので、「え〜、ま〜そうなんじゃないですか」と誤摩化すのですよ。そして、トイレに行って先ほどの本の名前を思い出してメモして、翌日本屋に走りその本を注文し、次の授業の時には読み終えて「あれは、こういう点もポイントですよね」なんて話をしていたんだな。「読んでいません」なんてのは、言いたくなかった。必死で読んでいたなあ』

そして、こんなことを言いたかったんだ。

『でも、君たちを見ていると、一度習っていることなのに、分からなくても当然のように私の復習を聞いている。うーん、良いと言えば良いんだけどね、中には(チクショウ)と思って、こっそりと自分で勉強するってことを考えている人がいないかなと君たちの顔を見ていたのだけど、残念ながらいないようだねえ』

                    ◆

勉強てものは、繰り返し繰り返しやりながら自分のものにするものである。だから、君たちが出来ていなかったら復習につきあうのは、私の仕事だとも思っている。

だが、なんというか、
(チクショウ!)
と思ってやる勉強も大事だと思うんだよ。

今になって本当にそう思うんだな。

(教科通信「志学」 NO. 39 より)

2006/01/15

彼の独立

髪の毛を切ってきた。
私が聖蹟桜ヶ丘に引っ越してきてからずっと通ていた美容院でお願いしていた美容師さんが、独立して店を持ったという情報を手に入れたので、行ってきた。

教師という仕事をしていると、人と接する機会が多い。
そして、意外と思われるかもしれないが、私は、接する時には気を使っていることが多い。
さらに、仕事人の技術を気にすることも多い。
もっと言えば、私は仕事人の好みが激しい。気に入った人はずっと気に入るが、ダメだと思った場合は、もうずーっとダメである。

で、加藤さんは最初から
(を、いいんじゃないの?)
と思える美容師さんであった。お客に対する言葉遣いは当然のことだが、年下のスタッフへの言葉遣いが良い。この美容院全体で気持ちよく仕事をしようという心が伝わってきた。だから私は6年も彼に頭をやってもらっていた。

その彼が独立したというので、八王子の彼の店まで行ってきた。

最初に電話をしたのだが、私が
「えーっと、池田です」
と言っただけで、私ということを理解してくれた。
客商売とはいえ、大したものだ。

八王子の彼の店で、いろいろと美容界の内情を教えてもらった。
そして、彼がこんなに細かいところまで気を使いながら仕事をしていたのかと教えてもらった。
例えば、
「池田さんの髪の毛は痛んでいませんが、今のお客さんは、パーマとかヘアダイで痛んでいるのが前提です。その髪を痛めずにどうやっていくのかというのが大事なんですけど、面倒くさいんで、『あー、もともと痛んでいるのでこうなりましたね』で終わりにしてしまうんですよ。ちょっと調べれば分かるんですけどね」
と話していた。

                  ◆

まだ20代の加藤さんは、これから八王子を拠点にして二号店、三号店を育てていくんだろうなあと思いました。

なんか、とても嬉しい気持ちになりました。

来週はこの気持ちを元に元気にやっていきましょう。

2006/01/14

父からの感想

正月を実家で祝う時に、昨年出した『こんな時どう言い返す ユーモアあふれる担任の言葉』を父親にあげた。まあ、息子の仕事の一面でも見てもらおうということである。

そうしたら、最近始めたメールで感想が送られてきた。70歳を超えてのメールってのもすごいなあと思いながら読んだ。記念に載せる。

そのうち、ブログを始めることになる父だが、私はとても良いことだと思っている。

引用開始 ーーーーーーーーーー


140ページへのコメント
 
もしもあのような発言をする保護者がいたとするなら?

私達が中学のころに教わった言葉に自国語を知らぬ者は他国語をしらぬと教わった事を思い出した。自分の国の言葉を理解出来ないで他国の言葉が理解できないと言うことだ。

田舎の学校でもそのような教育を受けてきたが、さて今の保護者たちはどのような教えを受けた来たのか考えさせられます。           

引用終了 ーーーーーーーーーー

ということである。

久しぶりの雨の週末

久しぶりの雨である。
何の花粉が飛んでいるのか分からないが、このところずっと鼻がただれていて痛い思いをしているのだが、花粉が原因ならこれで少しは楽になるだろう。

昨夜は久しぶりに、渋谷の開花屋に出かけていって、食事をしてきた。渋谷で魚料理を食べるにはここが一番である。特に、我が家のパーティに参加した方に大好評である「白身魚のグリル、ガーリックオイルがけ」は、この店の「雑魚のグリル」というメニューを教えて頂いて作っている物である。

久しぶりに本家の味を食べられるということで、期待して行ったのだけど、昨日のはちょっと作りが甘かったかな。魚の焼き具合が少し甘く、塩加減も緩く感じた。これは、私の鼻がただれていることに原因があるのかもしれないが、次回もそうだったらちょっと話してみよう。

でも、新メニューも食べることができて基本的には満足でした。

                  ◆

ブログを毎日のように書いていると、ときどき思うことがある。
たとえば、ブログに書かれている話は、本当なのだが、本当ではないということである。

私にしたって、このブログには日々の出来事のうち、書けることだけ書いているのであって、書けないことや書きたくないことは書かないでいる。逆に言えば、書けることや書きたいことで書いているわけである。

書くことが考えることであるとすれば、書き続けることが考え続けることであり、丸ごとの人生を考えたいのであれば、丸ごと書き続けることだろうなあと思う。

が、
「あなたのホームページは、あなたがもっとも見られたくない人に見られている」
という箴言があるぐらいだ、だらだらと書くことはできないしねえ。

                  ◆

今読んでいる本、読み返している本、映画などをメモとしていくつか。

『国家の品格』(藤原正彦著)
『容疑者Xの献身』(東野圭吾著)
『おとなが子どもと出会うとき 子どもが世界を立ち上げるとき 教師のしごと』(竹内常一著)
『油断大敵』(成島 出監督)

週末、やり残しの仕事(毎週だなあ)の合間に、楽しめると良いなあ。

2006/01/12

でた! new mac!

http://www.apple.com/jp/macbookpro/

今のマックの4倍の早さだそうだ。
私のマシーンと比べれば8倍ぐらい早いかもしれない。

年度が替わる頃には落ち着くだろう。
よーし、買うぞ!

真実は常に私を裏切り続けてくれる

参った。
急な出来事があって、午前中で学校を早退した。
その出来事は、無事に終わり家路につくことができた。

が、家の鍵を家に置いたまま家を出ていたことに家の近くで気がついた。
そういえば、今朝は燃えないゴミを両手にたくさん抱えて家を出た。
鍵を持たなかった訳だ。

                  ◆

こういう日に限って連れ合いは、外に出ている。
私はもう聖蹟桜ヶ丘にいるのに、電話はつながらない。このまま三時間ぐらい待つことになるのか。はあ。

どこで待とうかと考えて、無料の場所を探したが、地下だったりして携帯電話の電波
が届かない。仕方がないので、家の近くのサイゼリアに入る。そして、腰を据えてDVDを見ることにする。年末年始に見ようと思っていた、『ニューシネマパラダイス』である。

この作品は、泣ける作品ということで名高い。未だ見たことがなかったので、疲れたからだと心を年末年始にいたわるのに良いかと思って、借りていた。

んが、とてもそんな暇がなかった。
で、今日、嬉しいのか悲しいのか時間ができたのでマックに入れて、イヤホンをさし
て見た。イタリア映画ですから、サイゼリアでしょう。

残り30分ぐらいで、もうダメである。
こんな人様が往来するサイゼリアでうるうるする程度なら良いが、その先はダメである。とっても怪しいおじさんになってしまう。

というわけで、DVDを途中で止めてブログである。
このあと、家で続きを見よう。
連れ合いはそろそろ店に到着するはずである。

                  ◆

で、サイゼリアでDVDを見て、音楽を聴いてなんてしているのだが、見慣れた街がなんか違って見えるのには、小さな感動を覚える。

音楽がBGMとなって流れることで、街が一つの番組なってしまうのが分かる。加古隆が流れるとNHKのドキュメと日本になり、松田聖子が流れるとザ・ベストテンの現場からの実況中継になる。

                  ◆

先日百人一首大会を、体育館で行った。これが寒い。
そこで、百人一首を始める前に、その場で50回ジャンプし、体をほぐした。
生徒にやらせる訳だから、私も一緒にとやった。

参った。
膝が痛くなり、背中の筋肉がつっている。
そういえば、年末年始はずっとワープロに向かっていて、まるで修士論文を書いていた時の状態と同じだったからなあ。体も固まっていたのだろう。声も使っていなかったので、たかだか100枚読んだだけなのに、喉も枯れてしまた。

さっそうと新学期を始めたつもりだが、真実は常に私を裏切り続けてくれるf(^^;。

2006/01/10

命の有限性

昨年末に和田中がお世話になった先生、警備員さんと二人の方がなくなられた。心からご冥福をお祈りしたいと思う。

理科のO先生は、離任式でしかお会いしたことがなかったが、それだけで(丁寧な指導をされる先生なんだろうなあ)と思えるお人柄であった。また、警備のHさんは私が転任してきたときに真っ先に名前を覚えていただき、大きな声で挨拶をしてくださった。お二人とも短いおつきあいであったが、心に残る方であった。

                  ◆

命の有限性(命には限りがあること)について、昨日の始業式で校長先生が話されていた。私も、これは非常にその通りだと思う。

私がこの、命の有限性を心から理解したのは、中学校二年生の夏のことであった。それまでにだって私の周りで人が亡くなるということはあった。だから、人が死ぬということは理解していたのだが、なんというか亡くなられた方には悪いのだけど、(ふーん)という気がないでもなかった。

その夏休みの一ヶ月半、私は体を壊して入院していた。それまでクラブを三つ掛け持ちし、動き回るのが大好きだった私が、入院で「動いては行けません」といわれて、一日に二本の点滴を体に入れるという生活を余儀なくされたのだった。

                  ◆

友人は毎日のように遊びにきてくれたが、実に暇だった。そこで、病院の中で遊ぶことを見つけ出すようになった。

車椅子のお兄さんと仲良くなり、吉田拓郎のテープを借りたり、「車椅子に乗ってみる?」と乗らせてもらい、さらに「遊んで良いよ」と車椅子の遊びを教えてもらったり、車椅子のバスケットボールに連れて行ってもらったりしていた。

村山大島紬のデザインをやっているおじさんは、当時は聞くことのできた警察無線を聞くことが趣味で、病院の裏で大きな事件が起きた時は、私を道連れに、夜、病院を抜け出して見に行ったりもした。

勉強が分からないでいると、若いお医者さんがやってきて問題を見てくれた。だが、お医者さんも解けなくて(ふーん、そうなんだあ)と変な納得をしたりもしていた。

なんだ、楽しい入院じゃないかと思うかもしれない。まあ、そういう面も今から思えばないとはいえない。だけど、点滴一本を体に入れるのに3時間。その間天井を見つめ、時に、(俺、治るのかなあ。どうなっちゃうんだ?)と不安と戦うのはやはりつらかったな。

                  ◆

で、命の有限性である。
病院は、夜の8時には消灯なのだが、中学生がそんな時間に寝られる訳がない。特別に起きていてよい許可をもらって本を読んだりしてる時のことだ。突然、廊下が騒がしくなって何事かと思ったりもした。翌日何があったのかと思うと、仲良くしてくれたおばさんが亡くなったという話。

かと思えば、何の前触れもなく、朝私が目を覚ましたら亡くなっていたということもあった。だから、夜寝るとき、とても怖かった。(俺、目が覚めなかったらどうしよう)って思ってね。

そして、そのとき分かったんだ。
(ああ、命には限りがあるんだ)
ってね。

人間ってものは、大事なことは後から分かるようにできているようで、いわれてもいわれても分からないことがある。若い時の勉強の大切さ、命の大切さなんてものもそうで、過ぎてしまってから、なくしてしまってから気がつくのかもしれない。

だけど、私は幸いにして中2の夏に学ぶことができた。ありがたいことだと今、思う。

                  ◆

命には限りがある。だから、儚く、切なく、美しいのだと思う。

お二人からは改めてそれを学ばせていただいた。ありがとうございます。

合掌。

(教科通信「志学」 NO. 38 より)

2006/01/09

新しい旅立ちかあ

さて、明日から学校再開である。
冬学期の始業式の日であるが、いきなり中学二年生は百人一首大会だ。
体育館が冷えすぎなければ良いなあ。
そして、その後会議。学力向上関係の会議である。

たしかに今年の冬休みはカレンダーの関係で長かったし、昔とは違うというのも分からないではないが、このスタートからのダッシュというのは、休みそのものを落ち着かなくさせる感じがする。

それにしても、まだ新学期の準備が終わっていない。
そんなに遊んでいたかなあ。
結構集中して仕事をしていたつもりなんだけどなあ。

                  ◆

昨晩は、奥さんの友人たちが急遽集まった。

アメリカに留学している中学校時代の友人の彼女が日本に帰ってきているというので、近くに住む友人たちに声をかけたら奇跡的にみんないて、集まった。バレーに熱中している彼女、新しく結婚を決めた二人と自分の生活を深めたり、新しい生活を始めたりとそれぞれ自分の人生の後半を踏み出していて、幸せな気持ちになれた。

人生のそういう時期になったんだなあと思う。
新しい旅立ちかあ。

                  ◆

さあて、残りの時間を使って、終わらせるか。
新しい始まりだもんね。

p.s.

あ、それから昨日マックが一瞬調子が悪くなって、再起動を行ったらメールの設定が飛んでしまって、今までのメールのデータのリンクが切れてしまいました。なんとかなるとは思うのですが、今は触りません。幸いにしてメール環境は整いましたが、返事が遅れてしまうかもしれません。よろしくお願いいたします。

2006/01/06

初春の慶び

ありがたいことに、新年の始まりは暖かい人たちに囲まれて始めることができている。
両親や義理の両親、また甥っ子姪っ子たちの成長を見ながら、いま生きているんだなあと思う。

また、卒業生の新年会にやってきた教え子や仲間を見ていると、人間の成長をここでも感じることができる。
(を、そんな風に思うようになったのか)
(さっと動ける体になったなあ)
とかを思う。

ま、もちろん
(おい、もうちょっと動け。先輩が片付けものをしているのに)
(ん、一言多いんじゃないか)
と成長途中の諸君もいるが、人間の成長には時間がかかるものだ。
じっくりと成長してくれればなあと思う。

                  ◆

卒業して20年近くになるというのに、まだ恩師の家で新年の会を開けるのも嬉しいことだ。
毎年、新たな課題や先生の本や、今行っている実践への批判、また、仲間からの助言などももらえる。

自分の生徒が成長していないことを嘆いたりもするが、なんのことはない、私自身が成長していなかったこと、または成長したことを実感できるのもこの恩師との新年会のおかげである。

「だから、こうでこうでこうで、ということならば、こうだ」
と先生が説明するのだが、それがスッと分かる自分を発見した。びっくりした。そこで、
『先生、その話は20年前にもされましたか?』
と伺うと、
「したよ」
とのこと。なんであのときは分からなかったのだろうか。これが成長なのかもしれない。

ということは、私の教え子もこれからまだまだ成長するのだろう。
楽しみだ。

                  ◆

5日は、楢原中学校の仲間達と恒例のログハウス合宿。
料理好きの男先生が作って、食べていただこうという趣向である。
私も、半年に一回のこのために新メニューを考える。
今回は、豚肉のローズマリー焼きトマト添えだ。好評で良かった。

懐かしい人たちと、今の様子を語りながら美味しい食事、酒、薪ストーブ。
朝方にはデッキに設置してあるジャグジーにも入ってきた。

良い時間を過ごせた。
休み明けからは新学期である。
休暇を取りながら家にいるが、休み明けに向けて準備を再開しよう。

2006/01/03

本日新年会

ということで、本日は我が家で新年会です。

卒業生が集まる日ですが、友人の輪が広がることは良いことで、
卒業生でなくとも、もしお時間があって行っても良いよと言う方が
いらっしゃったら歓迎します。

お昼ぐらいから夜までやっています。
どうぞ、お越し下さい。

2006/01/01

改年吉慶

あけましておめでとうございます。
うららかな春をお迎えのこととお喜び申し上げます。

窓の外はいつもとあまり変わらない景色ではありますが、
すっかりと葉の落ちた桜の木に止まる鳥の姿にも
正月らしさを感じます。
鳥は人間の世界では正月なのだということを理解しているかのようです。

私の正月は、

1日 私の実家へ
2日 連れ合いの実家へ
3日 我が家で卒業生の新年会
4日 恩師の家に伺い、新年会
5日 日直 夜は仲間と新年会

となかなか嬉しい展開です。

今年は、私の人生の中でも意味のある年にしたいと思います。
よろしくご指導いただければと思います。
そして、一緒に遊んでやってくださいね。

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