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2006/01/10

命の有限性

昨年末に和田中がお世話になった先生、警備員さんと二人の方がなくなられた。心からご冥福をお祈りしたいと思う。

理科のO先生は、離任式でしかお会いしたことがなかったが、それだけで(丁寧な指導をされる先生なんだろうなあ)と思えるお人柄であった。また、警備のHさんは私が転任してきたときに真っ先に名前を覚えていただき、大きな声で挨拶をしてくださった。お二人とも短いおつきあいであったが、心に残る方であった。

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命の有限性(命には限りがあること)について、昨日の始業式で校長先生が話されていた。私も、これは非常にその通りだと思う。

私がこの、命の有限性を心から理解したのは、中学校二年生の夏のことであった。それまでにだって私の周りで人が亡くなるということはあった。だから、人が死ぬということは理解していたのだが、なんというか亡くなられた方には悪いのだけど、(ふーん)という気がないでもなかった。

その夏休みの一ヶ月半、私は体を壊して入院していた。それまでクラブを三つ掛け持ちし、動き回るのが大好きだった私が、入院で「動いては行けません」といわれて、一日に二本の点滴を体に入れるという生活を余儀なくされたのだった。

                  ◆

友人は毎日のように遊びにきてくれたが、実に暇だった。そこで、病院の中で遊ぶことを見つけ出すようになった。

車椅子のお兄さんと仲良くなり、吉田拓郎のテープを借りたり、「車椅子に乗ってみる?」と乗らせてもらい、さらに「遊んで良いよ」と車椅子の遊びを教えてもらったり、車椅子のバスケットボールに連れて行ってもらったりしていた。

村山大島紬のデザインをやっているおじさんは、当時は聞くことのできた警察無線を聞くことが趣味で、病院の裏で大きな事件が起きた時は、私を道連れに、夜、病院を抜け出して見に行ったりもした。

勉強が分からないでいると、若いお医者さんがやってきて問題を見てくれた。だが、お医者さんも解けなくて(ふーん、そうなんだあ)と変な納得をしたりもしていた。

なんだ、楽しい入院じゃないかと思うかもしれない。まあ、そういう面も今から思えばないとはいえない。だけど、点滴一本を体に入れるのに3時間。その間天井を見つめ、時に、(俺、治るのかなあ。どうなっちゃうんだ?)と不安と戦うのはやはりつらかったな。

                  ◆

で、命の有限性である。
病院は、夜の8時には消灯なのだが、中学生がそんな時間に寝られる訳がない。特別に起きていてよい許可をもらって本を読んだりしてる時のことだ。突然、廊下が騒がしくなって何事かと思ったりもした。翌日何があったのかと思うと、仲良くしてくれたおばさんが亡くなったという話。

かと思えば、何の前触れもなく、朝私が目を覚ましたら亡くなっていたということもあった。だから、夜寝るとき、とても怖かった。(俺、目が覚めなかったらどうしよう)って思ってね。

そして、そのとき分かったんだ。
(ああ、命には限りがあるんだ)
ってね。

人間ってものは、大事なことは後から分かるようにできているようで、いわれてもいわれても分からないことがある。若い時の勉強の大切さ、命の大切さなんてものもそうで、過ぎてしまってから、なくしてしまってから気がつくのかもしれない。

だけど、私は幸いにして中2の夏に学ぶことができた。ありがたいことだと今、思う。

                  ◆

命には限りがある。だから、儚く、切なく、美しいのだと思う。

お二人からは改めてそれを学ばせていただいた。ありがとうございます。

合掌。

(教科通信「志学」 NO. 38 より)

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