こんな時は過ぎ来し道を
東京では、久しぶりの雪だ。
朝早くから出かける用事があったので、
早起きしたのだが外は既にうっすらと雪景色であった。
本当なら午後から降り始めるということだったが、
少し時間が早くなったのだろう。
引用開始 ーーーーーーーーーー
雪
人が生きること
それは
つらいことではあるけれども
雪の降りつもるのを見ていると
やはり 生きることの尊さを
信じていたいという気がしてくる
三宅武治
引用終了 ーーーーーーーーーー
実にそうであるなあ。
◆
こんな時は過ぎ来し道を、なんとなく少し振り返ったりする。
なんて言うか、その時は今やっていることが、あとからそんな風に展開するから、または展開させるためにやっていたつもりはないのだが、今この地点から見ると
(ああ、つながっていたんだなあ)
と思うことがたくさんある。
いや、つながっているから私の人生なのだが、
(そこで、そうきたか)
というあまりにも面白い展開に驚くこともある。
それは、たまたま手にした一冊の本のストーリーであったり、一本の映画であったり、一通のメールであり、一本の電話であったりする。
引用開始 ーーーーーーーーーー
「運命」は、それを背負ってこそ乗り越えられるのであり、逃げていては追いかけられるだけなのである。
『大人が子どもと出会うとき 子どもが世界を立ち上げるとき』(p153 竹内常一著 桜井書店)
引用終了 ーーーーーーーーーー
まったくもって恩師というものは、私の人生を見透かしているかのようにこんな言葉をさりげなく著書に紛れ込ませ、届けてくれる。
まあ、勝手に私がそう思っているだけかもしれないが。恩師の言葉を理解するのに20年もかっているんだから、大学の時から言っていたのかもしれないが。
◆
しかし、70歳を過ぎて、こんな良い本を書かれてしまっては、嬉しいんだけど、追い越せないなあ。ま、
「そもそも恩師をライバルとして考えていること自体が違っているのよ」
と連れ合いには何回も言われるのだが、同じ教育を選んでいる以上、恩師であってもライバルと考えなければ、私は恩師に失礼だと思うのだが。違うかなあ。
かつて先生は、
「池田な、大学の授業ってのは、一年間講義が終わったらその時に一冊の本が出来上がっているようじゃなければダメなんだよ」
と言われていた。
20代の教師であった私は、
(おーし、そんじゃあ、中学校の授業でもやったろーじゃねーか。ええ、やりますとも)
と、なぜか「売られた喧嘩は買わねばならぬ。勝った喧嘩は勝たねばならぬ」の言葉が湧いてきて、格闘を始めたこともあった。おかげで最初の本、『中学校国語科ディベート授業入門』を書くことが出来たのだが。
◆
雪が激しくなってきた。
ビルの上層階にいると、雪は下からも「降って」くる。
そしてその雪を見続けていると、まるで深い海の底に沈んでいくかのような気持ちになる。そう、潜水艦の窓からマリンスノーを見ているかのようにも思えてくる。
日本の庶民がこんな景色を見ることが出来るようになったのは、いったいいつ頃からなのだろうか。
背負うものを背負い、乗り越えていくのが人生かあ。
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