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2006/01/17

で、池ちゃんはどう思う?

二年生の授業は、文法に入った。助詞、助動詞、つまりは付属語である。この付属語というのは、日本語の大きな特徴の一つである。

「私は池田修です。」この文の助詞は、「は」であり、助動詞は「です」である。付属語というのは、それだけでは意味が分からず自立語や付属語について単語と単語関係を表す単語である。

私たち日本人は、当たり前だが、日本語を第一の言葉として話す。そのため、

私は池田修です。
私が池田修です。
私の池田修です。
私へ池田修です。
私を池田修です。

とたった一文字の助詞を変えただけで、文の意味が変わってしまうことを理解している。だが、どのように変わっているのかを説明するのは、なかなか難しい。

これらの違いをきちんと説明できるようになるためには、言葉への鋭い感覚と文法への深い理解がなければならい。これを手に入れることは、外国語を日本語と比較しながら学ぶ時にも有効なツールを手に入れることにもなる。今回の授業では、その初歩の部分をやることにしている。

                    ◆

いきなり付属語の説明に入っても、なんのことだか分からない生徒が多いだろうと思ったので、今まで学んだ文法の簡単な復習をした。曰(いわ)く、単語、自立語、用言、活用、品詞の種類などである。

文法は専門用語が出てくるが、この専門用語の意味を理解していないと授業を聴いてもなんのことだか全く分からなくなる。専門用語を使って説明するからだ。

ということで、専門用語の復習をしていたのだが、授業を受けている君たちの表情が、私が心に描く表情とどうも違うのだ。一度習っていることで、自分が忘れてしまっていることを私が復習をしていることに対して、なんの抵抗もなく受け入れている表情をしていたのだ。時代なのかなあと思いながらも、次のことを話した。

『あのね、私がまだ塾の先生をしているときのことの話をしよう。大学二年生のときに、中学三年生の国語を教えていた訳ね。その時の教え子の一人は今、テレビ朝日のアナウンサーをしている萩野志保子さんね。ま、そんな話はどうでも良い。

私が担当していた中学三年生を一緒に担当していた先生たちは、専任の先生以外は、大学生ではなくて、大学を卒業した後に進む大学院に通っている先生たちばっかりだったんだ。将来は大学の先生になろうという人たちばかりね。

で、授業が終わると食事に行くわけ。そこで出てくる会話は、「○○って本は良かったな」「そうだね、△△と関連しているんじゃないの?あれは」「なるほど。で、池ちゃんはどう思う?」なんてことになっているわけ。

でも、私はその○○って本を当然読んでいないので、「え〜、ま〜そうなんじゃないですか」と誤摩化すのですよ。そして、トイレに行って先ほどの本の名前を思い出してメモして、翌日本屋に走りその本を注文し、次の授業の時には読み終えて「あれは、こういう点もポイントですよね」なんて話をしていたんだな。「読んでいません」なんてのは、言いたくなかった。必死で読んでいたなあ』

そして、こんなことを言いたかったんだ。

『でも、君たちを見ていると、一度習っていることなのに、分からなくても当然のように私の復習を聞いている。うーん、良いと言えば良いんだけどね、中には(チクショウ)と思って、こっそりと自分で勉強するってことを考えている人がいないかなと君たちの顔を見ていたのだけど、残念ながらいないようだねえ』

                    ◆

勉強てものは、繰り返し繰り返しやりながら自分のものにするものである。だから、君たちが出来ていなかったら復習につきあうのは、私の仕事だとも思っている。

だが、なんというか、
(チクショウ!)
と思ってやる勉強も大事だと思うんだよ。

今になって本当にそう思うんだな。

(教科通信「志学」 NO. 39 より)

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