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2006/02/28

スケジュール管理

朝、気がついたら、手袋を片方バスの中に忘れていた。慌てて営業所に電話したら、まだやっていなかった。うーむ、定期券に続き忘れ物である。なんとか営業所に連絡を取り、手袋は戻ってきた。運が悪いのか良いのか。

なんというか、ケアレスミスは治らないなあ。
自分では注意をしているつもりだが、人間はそう簡単には治らない。

明日、小学校の研究授業で講師をするのだが、私は期末考査が明日から始まると思い込んでいて、どうやって試験問題を印刷しようかと思っていたのだが、試験は明後日からという基本的な間違いが判明した。

スケジュールは週案とメモ帳に書いているのだが、どうもうまく機能していない。その一方で他の人の時間割まで覚えてしまえる先生もいる。この違いは何? どうしたらスケジュールが頭に入るようになるのでしょうか? 得意な方、どうされています?

2006/02/27

イナバウワー

というわけで、オリンピックが終わりましたね。
私は、
「先生、イナバウワーやって!」
と中2の娘たちにいわれ、
『うしゃあ』
と廊下でやったところ、背中を痛めてしまいました。

うーむ、氷上どころか廊下でもできないぞf(^^;。

すごいぞ、荒川静香。

2006/02/25

クラブの同期会

今宵は、高校のときのクラブの同期会があった。高校時代は二つのクラブに参加していたのだが、今宵はその内の一つの文芸部のものであった。

文芸部は何をしていたかと言えば、ソフトボールやバスケットをしながら、読書会や文集づくりに勤しんでいた訳である。私は熱心に参加しているというよりは、遊んでもらっているというような参加の仕方であった。それでも去年から声を掛け合って同期会を開くことになり、今年も会えることになった。

今年は10人が集まったのだが、見事に職業が二分しているのであった。半分が建築関係で、半分が教師である。どうして文芸部がこのように成長するのかは分からないが、こうなったのであった。

久しぶりの仲間との会話は、仕事上でのやってらんないという愚痴に、体の不調についての悩み、さらに家庭の問題に、昔の仲間の消息と実に正当な同期会であった。まさか、高校時代に自分たちが
「お前、太ったなあ」
「あの頃に比べてウエストは30cmぐらい成長したぜ」
なんて話をするとは思いもしなかった。

優秀だった同級生のあいつが亡くなったという話も聞いた。あの先生が退職されたという話も聞いた。顧問の先生が今年ご退職という話も聞いた。新しい仕事を始めるという仲間の声も聞いた。つらい仕事でやめたいと呟いている仲間の声も聞いた。

これをもし、隣の席で若い社会人が聞いたら、がっかりくるのだろうなあと思っていた。だけど、
そう、そうやって人は齢を重ねていくのだろ。

次は夏だという。しかも、教師である仲間が、趣味で大型バスⅡ種免許を持っているのだが、大型バスをレンタルして旅をしようかなんて話をした。そういう旅も良いだろうなあ。

2006/02/23

ジョブズの卒業祝賀スピーチ

知り合いからメールをもらった。マックの最高経営責任者のS.ジョブズの、スタンフォード大学で行った卒業祝賀スピーチである。良い話をしているんだなあ。紹介したい。

引用開始 ーーーーーーーーーー


ジョブズの卒業祝賀スピーチ
(2005年6月12日、スタンフォード大学)
原文URL:
HYPERLINK


"http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404"http://slashdot.org

/comments.pl?sid=152625&cid=12810404


 PART 1 BIRTH

 ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
 
本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

 私はリード大学を半年で退学しました。が、本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って授業を聴講していました。じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、それは私が生まれる前の話に遡ります。
 
 私の生みの母親は若い未婚の院生で、私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、ある 弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで手筈はすべて整っていたんですね。ところがいざ私がポンと出てしまうと最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しいということになってしまった。で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。「予定外 の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、欲しいですか?」。彼らは「もちろ ん」と答えました。

 しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、といういきさつがありました。

               ◆◇◆


 PART 2 COLLEGE DROP-OUT

 こうして私の人生はスタートしました。やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎはすべて大学の学費に消えていくんですね。そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

 そりゃ当時はかなり怖かったですよ。ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを聴講しにいけるんですからね。

 夢物語とは無縁の暮らしでした。寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、あれを貯めて食費に充てたりね。日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、これが無茶苦茶旨くてね。

 しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけたことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい価値のあるものだって分かってきたんだね。

 ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART 3 CONNECTING DOTS

 リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準のカリグラフィ教育を提供する
大学でした。キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。私は退学した身。もう普通のクラスには出なくていい。そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。

 セリフをやってサンセリフの書体もやって、あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。それは美しく、歴史があり、科学では判別できない微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると私はすっかり夢中になってしまったんですね。

 こういったことは、どれも生きていく上で何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた世界初のコンピュータでした。

 もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に1台として存在しなかったことになります。

 もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。

 そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

 もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って己の心の赴くまま生きていくことができる。結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART 4 FIRED FROM APPLE

 2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。
 私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で見つけることができた。実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、私が二十歳の時でした。がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に私は会社を、クビになったんです。

 自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる非常に有能な人間を雇った。そして最初の1年かそこらはうまく行った。けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、最後は物別れに終わってしまった。いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、世の中の誰もが知っていた。

 自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが消えたんですから、私はもうズタズタでした。数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、そう感じました。このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時はシリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

 ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが見え始めてきたんです。私はまだ自分のやった仕事が好きでした。アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。振られても、まだ好きなんですね。だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。

 その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、自由になれたことで私はまた一つ、自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に足を踏み出すことができたんですね。

 それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、彼女は私の妻になりました。

 ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。

 思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、私はアップルに復帰。NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の中心にあります。ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。

 アップルをクビになっていなかったらこうした事は何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。そりゃひどい味の薬でしたよ。でも患者にはそれが必要なんだろうね。人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも起こるものなのです。だけど、信念を放り投げちゃいけない。私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、その気持ちがあったからです。皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、好きなことを仕事にすることなんですね。まだ見つかってないなら探し続ければいい。落ち着いてしまっちゃ駄目です。心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。


               ◆◇◆

 PART 5 ABOUT DEATH

 3つ目は、死に関するお話です。
 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。

「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。

 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER


 今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

 医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、ほぼ断定していいと。生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

 それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことがあるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、ということです。たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということです。それはつまり、さよならを告げる、ということです。

 私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、手術で直せる、そう分かったからなんです。こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。

 これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験ということになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないものと願いたいですけどね。


 以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために死にたいとは思わない。にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。そしてそれは、そうあるべきことだから、そういうことになっているんですよ。何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって一掃される日が来る。とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

 君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。


               ◆◇◆

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

 私が若い頃、"The Whole EarthCatalogue(全地球カタログ)"というとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つになっていました。

 それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに仕上げていました。時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、ポラロイドカメラで作っていた。だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

 スチュアートと彼のチームはこの”The Whole EarthCatalogue”の発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出した。それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

 最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、そんな田舎道の写真です。写真の下にはこんな言葉が書かれていました。「Stay hungry,stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。「Stay hungry, stay foolish.」 それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。

the Stanford University Commencement address by
Steve Jobs
CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios

翻訳 市村佐登美

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引用終了 ーーーーーーーーーー

マックを選んでよかったと思うねえ。

読書新聞を書こう

二年生は、一年間のまとめとして読書新聞を書く単元に入りました。三年生は読書を中心にした卒業文集を書いています。

二年生の授業では、はじめに新聞の要素を確認しました。1)タイトル(日付なども)、2)見出し、3)記事の要約(リード)、4)記事(ニュース、意見、感想、説明、創作)、5)ビジュアル(イラスト、写真、漫画)、6)広告という要素が新聞にはあるのだということを確認しました。

新聞作りは作文と同じで、1)ネタを調べる、2)構成する、3)書く、4)見直すの四つのステップを踏みます。このうちの1)と2)を考えるために、ワークシートを2枚用意しました。ここにこの一年間を振り返って「読んだ本」「学校行事」「社会の出来事」について学期ごとに印象に残ったものを書き出しました。

そして、私たちは驚いたわけです。如何(いか)に私たちは社会の出来事を覚えていないかということをです。この一年に起きた社会の出来事について四つの季節ごとに一つずつ書き出せという指示を出しても、うまく思い出せないのです。

しかし、ひょっとしたらそれで良いのかもしれません。自分から遠い出来事を、事細かに覚えているなんてことをしていたら、私たちは前に進むことが出来なくなるのかもしれません。ただ、あなたはあなたの周りで起こる出来事と全く関わりなしに生きていくことは出来ませんし、その中で様々なことを思い、考え生きていくわけです。思ったり話したりしているだけでは、中途半端なままになることが多いわけです。書くことが考えることになるのですね。

私が、なんでそんなことを思うようになったかというと、きっかけの一つに、ユネスコの一つの宣言があります。

                  ◆

学習権宣言(1985年 UNESCO 国連教育科学文化機関)

引用開始 ーーーーーーーーーー


学習権とは、
読み書きの能力であり、
質問し、分析する権利であり、
想像し、創造する権利であり、
自分自身の権利を読み取り、歴史をつづる権利であり、
あらゆる教育の手立てを得る権利であり、
個人および集団の力量を発達させる権利である。

学習権は、経済的発展の手段ではない。それは基本的権利の一つとして認められなければならない。学習行為は、あらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人びとを出来事のなすがままにされる客体から、自分自身の歴史を創造する主体に変えていくものである。

引用終了 ーーーーーーーーーー

簡単この宣言の意味をまとめれば、

「学習するということは、金儲けの手段ではなくて人間の基本的な人権の一つであって、自分で考えて自分で決める、自分たちで考えて自分たちで社会を良くすることが出来る権利で、自分の人生において自分を主人公にし、歴史の一部となることが出来る行為。この中心となることが書くことである」
 
と言うことが出来るでしょうか。

私は、授業を考えるとき、どうしようかと詰まるとこの宣言を読み直すようにしています。そしてヒントを手に入れています。もちろん、これは教師である私が考えれば良いことですが、国連の教育に関する機関がこのような宣言をしていることを知っておくことは、いずれ世界に出て行く君たちにとっても大事なことでしょう。

                   ◆

14才、15才が書く文章は、20才を過ぎてから書く文章には、その技術において、内容において適(かな)わないことでしょう。しかし、14才、15才が書く文章は、20才を過ぎてから書く文章には、書けないものがあります。

14才、15才で感じることの出来る世界というものがあります。14才、15才でなければ思い出に残せないというものもあります。これらはあなたがあなたの人生の一部を書き残すことで、残るわけです。たとえ技術がまだまだ不十分であっても、いまあなたが学んだ結果、出会った世界、そして読んだ本について書くことは、意味がある訳です。残念ながら20才のあなたには書けないのです。

今のあなたがそこにいる、「読書新聞」を期待しています。

(教科通信「志学」 NO. 50 より)

2006/02/22

良い結果を出せますように

いよいよ都立高校の本番が明日です。今ままで学んできたことをそのまま出せば、いい結果が得られるでしょう。落ち着いて試験に臨んでください。

和田中学校では、君たちの学校での生活をきちんと育てています。試験ではあがることもあるでしょうが、大丈夫。日頃からきちんとやっている君たちは、いつも通りにやれば良いのです。特別なことをする必要はありません。いつも通りがちゃんとしているのですから、そのままやれば大丈夫ですし、多少あがったところで多くの他の学校の生徒諸君よりも、まだ余裕があるはずです。大丈夫です。

                  ◆ 

ですが、一応老婆心ながらチェックポイントを確認しておきましょう。

今晩

明日の持ち物をチェックしたら、早めに寝ましょう。寝ようと思ってもひょっとしたら興奮して寝ることが出来ないかもしれません。でも大丈夫です。体を横にするだけで疲れは取れます。寝られなかったら、目をつぶってるだけで大丈夫です。

それでも寝る努力がしたいのならば、頭の中を空っぽにしてリラックスすることです。しかし、頭の中を空っぽにするのは難しい。そこで、お勧めの方法は、1)顔の筋肉を手でほぐす。2)自分の足の裏がどのようになっているか想像する。3)顔は、ホゲーッとした顔にする。こうすることで、一つのことだけ考えて、リラックスした体になります。これで、バカらしくなりながら大体寝てしまいます。

腹八分目にして出かけましょう。30分ぐらい前に学校に着くのが良いでしょう。自分の机を確認したら、校舎を見回してみましょう。そして、四月から始まる自分の高校生活を想像し(うっしゃあ、やるぞ!)とエネルギーを貰いましょう。

テスト開始

国語は、最初の試験です。順調に滑り出したいものです。試験問題を解く順番、解き方についてはを去年の10月に問題集を使って練習しました。それを思い出してみましょう。

筆記用具は、濃いものを使い、「濃く、太く、大きく」書きます。

1)試験開始と同時に、受検番号と名前を書きます。また、テストを受ける際の条件をきちんと読みます。

2)問題の冊子を最初から最後まで見渡します。どこにどのような問題があって、どこから解いたら良いのか、どのぐらい時間をかけるのかと計画を立てます。入試問題では、点数がとりやすいと思えるところから解き始める計画を立てます。

3)問題を解く時には、設問を良く読みましょう。設問の中にある条件がヒントになります。記号ですか、書くのですか? 書き抜くのですか、まとめるのですか? 単語ですか、語句ですか? 正しいところですか、間違ったところですか? 一つ選ぶのですか、二つ選ぶのですか? 条件のところに線を引きながら、確認しましょう。

4)設問を読んだら、出典(作者や本のタイトル)を読みます。何について書かれている文章か大雑把につかめることが出来ます。

次に、本文を読みます。一回目の読みが大事です。一回目の読み方を間違えてしまうと、間違えたまま頭に記憶されてしまいます。落ち着いて読みましょう。

5)試験の途中で35分が過ぎたら一度、軽い休憩を取りましょう。そして、このあとの15分でどう解いていけば良いのかを確認しましょう。今解いている問題を解き続けたら良いのか、それとも新しい問題に取りかかったら良いのかを確認し、残りの15分で得点が取れるように方針を立て直しましょう。

6)残り時間5分で見直しです。見直しは、他人の目を持って見直しが出来ると有効です。そのためには、時間をおいて見直すことです。最初に解いた問題から取りかかりましょう。また、他人になるためには、心の中で性を変えて読むと良いでしょう。つまり、男性は女性の声で、女性は男性の声で読むと他人になりやすいわけです。そして、最後に受検番号と名前を確認します。

テスト終了

終わった問題の答え合わせをする暇があったら、次の時間で一問でも多く解けるように最後まで努力を重ねよう。

心から、健闘を祈ります。

(教科通信「志学」 NO. 49 より)

2006/02/21

大人にはなったのか? なっていたのか?

三年生は、小論文を学んでいる。この小論文をもって、卒業論文としたい。
今回挑戦するテーマは、「大人とは何か?」である。三年間学んできた知識と体験と技術をもとに、あなたの考える大人というものを説明してほしい。

授業では、君たちに大人とはなにかを定義してもらい、それを私が検証し、私が考えた「大人」の定義に至る思考の過程を紹介しする。これを受けて君たちの再定義を小論文にまとめるという流れで行う。

以下に示すのは、授業中に君たちに紹介した詩である。授業中は時間の関係で一つしか読み上げることが出来なかったので、その詩と一緒にもう一つの詩も紹介する。君たちの小論文の参考にしてほしい。

引用開始 ーーーーーーーーーー


あのときかもしれない   長田弘 『深呼吸の必要』から

 きみはいつおとなになったんだろう。きみはいまおとなで、子どもじゃない。子どもじゃないけれども、きみだって、もとは一人の子どもだったのだ。
 子どものころのことを、きみはよくおぼえている。水溜まり。川の光り。カゲロウの道。なわとび。老いたサクランボの木。学校の白いチョーク。はじめて乗った自転車。はじめての海。きみはみんなおぼえている。しかし、そのとき汗つぶをとばして走っていた子どものきみが、いったいいつおとなになったのか、きみはどうしてもうまくおもいだせない。
 きみはある日、突然おとなになったんじゃなかった。気がついてみたら、きみはもうおとなになっていた。なった、じゃなくて、なっていたんだ。ふしぎだ。そこには境い目がきっとあたはずなのに、子どもからおとなになるその境い目を、きみがいつ跳び越しちゃっていたのか、きみはさっぱりおぼえていない。

* 著作権の関係でネット上では以下省略する
引用終了 ーーーーーーーーーー

(教科通信「志学」 NO. 48 より)

小論文の二つの型

小論文は、大きく分けると二つの型がある。一つは、問題解決型であり、もう一つは、定義型である。与えられた論題に対してどちらの型で書き進めれば良いのかを考え、書くことにする。

問題解決型の論題は、「電車の優先席を廃止すべきであるという考えがあるが、あなたの意見を書きなさい」というタイプで、定義型は、「日本人は幸せであるかどうか、あなたの意見を書きなさい」というタイプのものである。

                   ◆

問題解決型の文章は、さらに次の三つのパターンで書くことが出来る。g


(1)は、現状(いまの様子)に問題があり、プランを実施すると、メリット(良い点)が発生するのでプランをしようという流れで書く。たとえば、「現状の学校のトイレは非常に寒い。便座ヒーターを設置すると、安心してトイレを使えるようになり健康にも良い」のようなものである。
(2)は、現状には特に大きな問題点はないが、プランを実施するとメリットが発生するので、プランを実施するのが良いと書く。たとえば、「クラスに大きな問題はないけど、さらに仲良くなるためにレク大会をしよう」のようなものである。
(3)は、ある「目標」を達成するには、このプランを実施するのが一番良いという流れで書く。たとえば、「期末考査では平均点80点以上を目標とする。そのための勉強方法は、以下のものである」のようにする。

もちろん、反対側もある。(1)’は、現状に問題はない。しかし、プランを実施すると、デメリット(悪い点)が発生するのでプランは行わないの流れで書く。(2)’は、現状には特に大きな問題点はないが、プランを実施するとデメリットが発生するので、プランを実施するのは悪いと書く。

                   ◆

初心者は、この問題解決型の時には、(1)の型を使って書くのが書きやすいだろう。なぜならば、現状とプラン後の差がはっきりと出るからである。注意しなければならない点は、「本当にそのプランでないとメリットは生まれないのか」ということである。そのままにしていおいても、問題が解決するなんて場合は、説得力がなくなる。例えば、(1)で、「今年学校の予算を使って便座ヒーターを設置しなくても、来年区の予算で設置される」なんて場合は、ダメだということだ。

                   ◆

もう一つの定義型についても説明する。定義とは、「言葉の意味を定めること」である。「日本人は幸せであるか」と言われて、日本人とは何かと考える人は、まあ、いないだろう。一般的には、日本国に国籍のある人でいい。

しかし、「幸せ」については意見は別れるだろう。例えば、ある人は「一日に三食食べられること」だが、ある人は「体が思い通りに動かせること」かもしれない。また、「一日中本を読んでいられること」「家族に囲まれて生活すること」「自分にあった仕事ができていること」「高収入を得られること」「一人で暮らせること」などなどいろいろである。

このような違いのことを「価値観」の違いというのだが、この部分を自分とは違う価値観を持っている人に
(なるほど、こういう見方もあるのか)
と思わせるような文章を書くことができれば、この定義型の小論文はうまく書けたと言えるだろう。

                   ◆

実際の授業では、この二つの型を使って練習の文章を書き、その後、新たな論題を私の方から提示して、本番として書いてみることにする。

ちょっと頭を使うが大事な部分だ。しっかりやってみよう。

(教科通信「志学」 NO. 47 より)

2006/02/18

修論提出を祝う会

昨晩は、東京学芸大学大熊研究室の修論提出記念の打ち上げがあった。私も声を掛けていただいたので、顔を出しかつて同じ研究室で学んでいた後輩や仲間たち、大熊先生にも会ってきた。

二年前、修士論文を提出したときは、体のつかれと心の充実感でいっぱいであった。不惑の近くになって学ぶだけの一年間を手に入れることが出来るなんて考えられなかったから、私なりに懸命に取り組み、その当時に書けることはすべて書ききったという思いだったのを思い出した。

今年度提出しおわった後輩のみなさんも良い顔をしていた。四月からの新しい生活を控えて、
「よし、社会に出るぞ」
という良い顔をしていた。

私もエネルギーをもらったぞ。

先日、レクサスを試乗してきた。

先日、レクサスを試乗してきた。
10年乗り続けた愛車ではあるが、そろそろ手放そうかと思って次の車を考え始めたのである。一番良いと思われる車からはじめて、いくつかのグレードを試していけば良いかなと思って、まずはレクサスであった。

IS250に乗った。
すごい装備である。カーナビなんて目的地を入力しなくてよいのだ。レクサスクラブに電話をして、例えば
「箱根の富士ホテルに設定して」
と言えば、センターで勝手に登録してくれる。

また、非常事態が発生したらボタンを押すだけで、GPSから読み取った現在位置の表示で警察への連絡やら何やらをしてくれるのだそうだ。音楽だって、標準で13のスピーカーがついている。ハンドルの左右に見慣れないレバーがあるので何かと確認したら、F1と同じギアチェンジのシステムであった。オートまでもマニュアルでも楽しめるのである。オートマなんてどこでギアがチェンジしたのか全く分からなかった。

ただ、思ったより車内が狭く、またガラスの部分が少ないと感じた。窮屈なのである。今の愛車はカペラカーゴで5ナンバーとしては最大クラスのホイールベースであり、車幅もゆったりしている。だからであろうか、レクサスの方が狭く感じた。ISでなくGSでもそれは感じた。

それから乗り心地である。これも10年前のカペラカーゴの乗り心地は馬鹿に出来ないぞと思った。もちろん、市街地のちょっとした道路だけであるから大した感じはつかめないかもしれないが、ゆったりとした走りはまだまだ現役でいけると思った。

さあ、困った。
装備ではさすがに今の車はすごいのだが、私の感触ではそんなに違わないと思ってしまった。今出ている新車でかっこいいと思える車で、日本車はあまりないんだよなあ。

ま、しばらく乗り歩いてみよう。なんかお勧めの車ありますかねえ。

2006/02/14

『ウェブ進化論 ー本当の大変化はこれから始まるー』

『ウェブ進化論 ー本当の大変化はこれから始まるー』 梅田望夫 ちくま新書

一泊二日で読み終えてしまった。ここに描かれている世界がこのあと10年で本格的なものになるのであるとすれば、さて、どうやって授業を創り出していこうかと考えしまった。

チープ革命、ムーアの法則、オープンソースぐらいは私も分かっていたが、インターネットの「あちら側」の情報発電所、アドセンス、ヤフーとグーグルの違い、ロングテール現象、Web2.0、API公開、自動秩序形成、Wisdom of Crowds、予測市場などなど私の知らない刺激的なキーワードだらけであった。

インターネットのこれまでの10年とこれからの10年を考えるのに、重要な一冊になるのではないだろうか。

2006/02/13

明日はバレンタイン

明日はバレンタインである。
まあ、頂ける男性は限られているのだが、それでも何も気にならない男性はいないだろう。
中学校でもいくつかの場面があるのだろう。

昔々には、ここには書けないような取り締まりをしていた先生もいた。
が、私はなんといっても去年の子どもたちのとった行動が好きだ。

学校では、バレンタインにチョコレートを持ってくると没収ということになっていた。
しかし、クラブの顧問の先生は、
「持ってきたら没収だぞ」
と女子生徒に言いながら、
「私たちが持ってこないとへそを曲げそうよ」
と指導を受けている女子生徒は考えていた。

(どうするのかなあ)
と外野の私なんぞは面白そうに見ていたのだが、生徒はこの難題を見事にクリアしたのであった。

そうである。彼女らは、
「先生、没収してください」
と手渡していたのである。

お見事。
「山田君、座布団5枚」であった。

こういう生徒を育てたい。

2006/02/12

80年代の音楽

オリンピックが始まった。
この大会が終わると、二月も終わる訳だがあっという間なんだろうなと思う。

開会式の選手入場で使われていた音楽は、80年代の音楽が主であった。懐かしくなる曲ばかりであった。あまりにも懐かしかったので、70年代後半から80年代までの曲を聞き返していた。

ユーミンの曲である。
「ひこうき雲」を最初に聴いたのは、中学生の頃だろうか。自我なんて言葉は知って入るが理解なんて出来ていなかった頃だと思う。きちんとした音程が取れている訳ではないが、その危うい音程が思春期の心の揺れと見事に共振していたのだと思う。

私がその心をなくしたのか、ユーミンが変わったのか。最近の彼女の曲を聴いても、あの時のような心の揺れはない。哀しいが、それでも、いまでも心をふるわす曲を手にすることが出来たことに感謝しよう。

サザンである。
いまだに魂をふるわす曲を書いてくれている。
オリンピックでは、なぜかオノヨーコが出てきてメッセージを読んでいた。
(まったく、そのぐらいメモを見ないで言えよ)
と思った人は、世界中で何人ぐらいいるのだろうか。
そして、イマジンが歌われた。

イマジンと言えば、私にとっては桑田さんの唄と、RCサクセションの唄である。
桑田さんのは、とにかくいいなあと思わせる。しかし、ぶっちぎりはRCである。

「天国はない。ただ空があるだけ。みんながそう思えば、簡単なこと」

と忌野清志郎さんはアルバム「カバーズ」で歌う。
世界で大国が関わる戦争が起こるたびに、このイマジンは反戦歌と見なされて放送禁止になる。逆説的に言えば、言葉や歌にまだ力があると信じられる瞬間だ。

リアルタイムのビートルズには間に合わなかったが、その後の黄金期に思春期を過ごせたことは幸せだったなあと改めて思う。

2006/02/11

自らの問いに、自らが答える

中学校までの勉強というのは、簡単に言えば問題も答えも決まっている部分がほとんどである。セットで与えられるのである。セットで与えられているものを切り離して、

Q:「父の書いた本」と「私の本」のそれぞれの「の」の違いを説明しなさい。

と問いが与えられる。内容を理解できれば、答えもついてくる。(なお、違いが説明できない三年生は、慌てて教科書で復習しよう。助詞の部分である)

ところが、1)問題だけ与えられて自分で内容を考えて答えを導きだせというものと、さらに、2)自分で世の中で解明されていない問題を捜し、内容確認し、答えも自分で考えて他の人に分かるように説明しろというものもあるのである。

1)に関して言えば、「助詞の「の」について、その働きについて論じなさい」というものに答える文章になるし、2)に関しては、(教科書のこの「の」についての説明は、なんか納得いかないんだけど、本当は違うんじゃないかなあ)と疑問を持ち、自分で考えて、調べて、文章にまとめるというものになるのである。

もうお分かりだと思うが、1)が小論文であり、2)が論文である。

前号では、「「なんか変だな?」と思えることが人間の人間たるゆえんで、この「なんか変だな?」をたくさん、かつ、誰もが気づかなかった疑問を出せる人が、いまの時代の頭の良い人ではないかと思うのです。」と書いたが、それはこういう意味なのである。

                  ◆

現在売れている本に、藤原正彦著『国家の品格』(新潮新書)がある。私は2年ほど前にこの著者の講演で話を聞いたことがあった。作家、新田次郎の子で世界のトップレベルの数学者である彼の話は、非常に面白かった。

彼は論理的思考には4つの限界があるとして、そのうちの1つを話した。曰く、

「論理的思考というのは、簡単に言えば、1+1=2、2+1=3、3+1=4・・・・・。ということです。論理とはつながりのことです。つながりが正しいことを論理的という訳です。しかし、ここに問題があります。論理的な人はつながりは正しいのですが、その最初の「1」をきちんと選んでいるかどうかは論理では説明できません。数学の場合、最初の1にあたる部分を「公理」から始めていて、公理は正しいと証明されているものばかりなので、途中のつながり、つまりは論理が正しければ、最後まで正しいことになります。しかし、日常生活で最初の1が100%正しいなんてことはないんです。まちがった1をつかんでいる可能性すらある。そして、間違った1をつかんでいても、後半のつながりが正しいと、論理的には正しいということになってしまうんです」

とおっしゃっていました。藤原正彦さんは、このとき「正しい1」を獲得するには「情緒」「人間性」などが大事になるということを話されていました。(あとの3つの限界を知りたい人は、本を読んでね)

私はこの話を聞きながら、(あ、俺の思っている「なんか変だな?」と通じるところがあるなと思っていました。

                  ◆

さて、話をまとめましょう。簡単に言えば、論文とは、「自ら問いを立て、その問いに『なぜならば、〜だから』と自らが答える文章」と言えます。この論文を書くためには、日常生活で、常に社会の情報を得、歴史に学び、なぜと疑問を持ち続け、自ら答えを求めようと学んでいることが求められます。

そして、そのトレーニングとして、指導者があるテーマを与えて、そのテーマの中で「『なぜならば、〜だから』と自ら答える文章」を書くのが小論文であると私は考えています。そうであるならば、小論文も論文と同じように、日常生活で、常に社会の情報を得、歴史に学び、なぜと疑問を持ち続け、自ら答えを求めようと学んでいることが求められます。だから、考えることをしてきた人なのかを判断するテストとして最適なのです。

今回の授業では、主に小論文を扱い、論を展開するための書き方を指導する予定です。

中学を卒業する君たちが、今後の人生で自らの考えを深め、今の社会を良くするために考える方法を得るために。または、自分の考えを多くの人に理解してもらえる文章が書けるようになるために。

そのきっかけとして小論文の書き方を学んで卒業していってほしいと思います。

(教科通信「志学」 NO. 46 より)

2006/02/09

『夏雲あがれ 上・下』

『夏雲あがれ 上・下』(宮本昌孝 集英社文庫)

心とは、脳が活動している状態のことをいうと、とある薬学者が話していたが、この本はまさに心だらけになる本であった。時代物を読むのが苦手な人であっても、すっと入っていける本であろう。

私は前評判を知らずに、南伸坊さんのイラストに引かれて、
(これなら、いけるんじゃないか)
と思って読み始めた。

藩の転覆を謀る勢力に対して三人の若者が立ち向かうという、ありふれたストーリーといえばあり振れたストーリーであるが、細かいが嫌みにならない設定が功を奏してぐいぐい引き込んでいく。終わらないでくれと思いながらも、先が知りたいという読書のもっとも「悩ましい」状態を作ってくれる本であった。

隆慶一郎の『吉原御免状』と、藤沢周平の『蝉時雨』を足して、軽やかに描いた感じといえば褒め過ぎだろうか。しかし、このさわやかな読後感にはこのぐらいの敬意を表してもいいだろう。

この続編を読みたい。

2006/02/07

主張とは、反論である

三年生はディベートの授業を通して、今までに学んだ自分の話し方、メモの取り方、聞き取り方などをチェックした。足りないところを理解し、得意な分野を伸ばそうということだ。とくに、話し方では、ナンバリングとラベリング、ジェスチャーについてはある程度丁寧に説明した。今後に活かしてほしい。

                  ◆

教科書では、ディベートの授業を受けて「主張を書こう」という単元に入る。あなたの主張を文章にするのだ。では、主張とは何であろうか。宇都宮大学の香西秀信先生は、「すべての主張は、反論である」とおっしゃっている。現状にあるできごと、意見に対して賛成している時、人はただ黙っているものである。意見を言うということは、その現状や意見に対して反対の考えを持っているから言うのであるということだ。だから、すべての主張は反論であるというのだ。

そうだとすれば、ディベートで学んだ「反駁の四拍子」は主張の作文を書くためのガイドになるであろう。

反駁の四拍子とは、

1)引用「(相手は)〜で、××と言いました」
2)主張のレベルの反駁「しかし、違います」
3)根拠のレベルの反駁「なぜならば、〜だからです。証拠資料です。〜。」
4)結論「だから、違います」

というものである。さらに、「違います」の部分も詳しく述べることが出来る。

1)言っていることは、起こりません。
2)言っていることは、起こったとしても重要ではありません。
3)言っていることは、良いことよりも悪いことの方が大きいです。
4)言っていることは、良いことではなく悪いことです。(ターンアラウンド)
5)言っていることは、関係のない話です。

である。これらを駆使して議論を整理しつつ話を進める。主張文でも同じように考えてみると良い。

                  ◆

では、さらに主張文の固まりである論文とはどういうものであろうか。さらに、小論文とはどう違うのであろうか。私は論文と小論文は、次のように考えている。

論文:世の中にある様々な事象について、自らがテーマを選び、自ら問いを立て、その問いに対して自らが、先行論文、科学的データ、事例などで説明し、答えようとする文章。

小論文:与えられたテーマに対して自ら問いを立て、その問いに対して自らが、先行論文、科学的データ、事例などで説明し、答えようとする文章。

どういうことであろうか。これを考えるためには、中学校までの勉強と高校以降の学びの違いを考える必要がある。

                  ◆

以前私は、「頭の良い人とはどんな人のことなのだろうか」と君たちに問うたことがある。私は、この20年間ぐらいでこの定義がずいぶん変わって来たと考えている。かつては、たくさんの知識のある人が頭の良い人であるという時代があったろう。また、たくさんの知識をきちんと整理して取り出せる人が頭が良いという時代もあったと思う。

しかし、これらはパソコンとインターネットの出現でかなりの部分がコンピュータに追いつかれてしまった。つまり、コンピュータが蓄えられるデータの量と検索の正確さとスピードに、人間は、ほぼ太刀打ちできないということである。

じゃあ、人間はコンピュータに負けたのかというと、そうではないと考えている。それは今のコンピュータに出来ないものを人間は持っているからである。私は、それを「おや?っと思うこと」と「忘れること」と「喜怒哀楽を持つこと」だと思っている。現在のコンピュータはこれをもっていない。

この中でも、「なんか変だな?」と思えることが人間の人間たるゆえんで、この「なんか変だな?」をたくさん、かつ、誰もが気づかなかった疑問を出せる人が、いまの時代の頭の良い人ではないかと思うのだ。

これが論文の根本に関係しているのではないかという話は、次号で考えよう。

(教科通信「志学」 NO. 45 より)

2006/02/06

古稀の祝い

土日と、父親の古稀の祝いで伊豆に弟夫婦と一緒に家族旅行に出かけてきた。
土日に伊豆、しかも車でというのは、ちょっと無謀な気もしたが、
土日にしか、時間が作れないわけで、しかもこの日がちょうど父親の誕生日ということで
決行した。

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伊豆は、節分の頃には雪が降るということらしく、この日も少し舞っていた。
渋滞をよけようとして、山の中に新道で入ったのだがこれが、正解。
十国峠では、相模湾に沈んでいく夕日を見ることが出来た。
きれいだったなあ。

宿について、まずは風呂。温泉である。
露天風呂に入る。
上半身は凍えているのに、足下からは熱い刺激が来るので、
体全体としては、どちらに合わせてよいのか軽いパニックが起きる。
そして、だんだん熱い刺激が体の優勢となることで、落ち着いてくる。
この結果
「うーーーーーーーーーん」
とため息となって口から漏れる。
これが、露天風呂の醍醐味である。

夜は、古稀を祝う宴。
食事は相模湾の魚がメイン。
うまいねえ。
弟の子ども、私の甥っ子は一歳になったばかり。
まだ、日本語を理解しない。
食事も離乳食。一緒に食事である。
父親と同じような顔をした私であるが、違いは分かるようでそれが面白い。
そして、彼は自分の目につく小物をすべて手で確かめ、私にくれる。
なんか原初のコミュニケーションを体験した感じだ。
昔話などをしながら楽しい時を過ごした。

                  ◆

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翌日は、大室山に登る。
500メートルちょいのこの山はリフトで登ることになる。
このぐらいの山であるが、ここからの眺望はすばらしい。
この日は風もなく、快晴で富士山に伊豆七島も見渡すことが出来た。
いやあ、絶景であった。
このぐらい、これからがスッキリ見渡せると良いなあと思った私であった。

『次は喜寿だねえ』
と話したら、
「その前に金婚式があるよ」
と母親にいわれた。
そうか、そうなるか。
やりましょうやりましょう。

2006/02/03

形容詞に命令形はないのだ 良い質問とは?

形容詞の復習をしていると、良い質問が出てきた。

『形容詞は、自立語で活用があって、言い切りが「イの文字」で終わり、様子や状態を表す品詞です』

と説明し、活用表を説明した。

形容詞は活用があるのだから、活用形の種類もある。しかし、命令形だけはない。

簡単に言えば、「白い」を命令しようとしても、命令できないのである。

『白!』

と言ったところで、何の意味もない。
ひょっとしたら、「シロ」と名付けられた犬が振り向いてシッポを振るもしれないが、それは、名詞の「シロ」であり、形容詞の「白い」とは関係ない。

名詞は、「〜が」「〜は」という言葉を従えて、主語になることが出来る。「シロは、悲しそうに鳴いています」とはいえるが、形容詞は主語になれない。つまり、「白いは、悲しそうに鳴いています」とは言えない。だから、「シロ」は名詞なのであり、命令形はない。

『では、「白くなれ!」は命令しているとは言えないのだろうか。命令しているんじゃない?』

と確認してみた。これは、大丈夫だと思うが「白く(形容詞の連用形)+なれ(五段活用動詞の命令形)」と単語を二つに分けるて説明することが出来る。命令形は動詞であり、形容詞は命令形ではないのである。

                  ◆

で、良い質問は授業のあと、放課後にやってきた。

「先生、例えばですね、画家が色を塗っていて、次に白を塗りたい時に、助手に向かって『白!』というときは、形容詞の命令形なのではないのでしょうか?」

というものである。
これは良い質問である。この答えは、やはり命令形ではないというものである。では、これは何か。これは「(次は)白(の絵の具を寄越せ)!」と命令している文のカッコの部分を省略していると考えられる。

命令というのは、その動作や状態になるように命令するものである。「走る」の命令形「走れ」は、走る動作になるように命令しているわけであるが、「白い」は画家が助手に向かって「白!」といっても、助手に白い状態になれと命令しているのではなく、白を寄越せと言っているので違うのである。

さらに、付け足しで説明すれば、顔色の悪い人の顔を見て
「白い!」というのではなく、「白!」と言ったり、とても寒い時に「寒い!」と言わずに「寒!」ということがある。これは、形容詞に固有の特徴で、感動の時には語尾が省略されるというなのである。なんとこれは、平安時代の日本語からづーっと続く特徴なのである。

勉強が深まると、こうして良い質問が出始める。嬉しい限りである。

                  ◆

ただ、一つだけ願うならば、こういう質問が授業中に出ると良いなあということである。

質問には大きく二種類ある。自分だけにしか関わらない質問と、仲間の考えを促す質問である。言い換えれば、質問することによって自分だけが賢くなるものと、一緒に学習している仲間ごと(え、なんだろう。答えが知りたいな)と思わせる質問とがあるのだ。

今回の質問は、後者であるので良い質問だと考えているのだ。そういうわけで、授業の流れを考えると、前者の質問は休み時間にすれば良いし、後者の質問は授業中にするのが良い。

ただ、この違いは微妙なので、まあ、とにかく(おや?)っと思ったら、授業中に質問をすることだ。

(教科通信「志学」 NO. 44 より)

2006/02/01

君は「包丁」を手に入れたか?

こんどは私がうーんと考える順番である。
君たちからもらった文法の質問メモを見ながら、考えていた。
(なんで文法が判らないのだろうか)
(なにが判ると文法が判るようになるのであろうか)
ということである。今までだって考えたことはあるのだが、今回もう一度考え直してみる事にした。

文法は、文法の体系(関連した物事をまとめた知識の全体)が判っている人が、細かい所を考えるには非常に判りやすいのだが、下から積み重ねて覚える人には、覚える項目が「細かくて、多い」ので大変であるということがある。確かに面倒くさいのだが、ここは覚えないと駄目なんだなあ。

                  ◆

授業では、料理の話で例えて説明した。

「君たちに、お願いをする事にする。冷蔵庫からほうれん草を取り出して、まな板の上において、葉っぱと茎の部分に包丁で分けてください」

と。
これが判らない人は、まあ、いないだろう。ところが、

「君たちに、お願いをする事にする。教科書から一文を取り出して、ノートに書き写し、自立語と付属語に分けてください」

とするとこれがまあ判らなくなる。何が違うのか考えてみた。

二つある。一つ目は、単語の意味の理解である。「冷蔵庫」を知らない人はいないし、「教科書」を知らない人もいない。だからこれは大丈夫。ところが、「ほうれん草」と「一文」になると怪しい人もいるかも知れない。「ほうれん草」が「小松菜」になるかもしれないし、「一文」が「段落」になるかもしれない。こうして、指示された言葉の意味を理解できないで、間違えてしまう、できないということがあるのだろう。この場合には、それぞれの単語の意味を辞書や問題集などを使って理解するのが一番良い。

二つ目は、「包丁」である。料理の例えでは、ほうれん草を包丁で切るということはそんなに難しくはない。ほうれん草も包丁も目で見えるし、ほうれん草を葉っぱと茎の部分に切る技術も、「桂剥き」などに比べれば、そんなに難しいものではないからだ。ところが、文法の場合はその包丁を見る事が出来ない。また、どう使ってよいのかも判らないのだろう。私にはこの包丁が見えて、使い方も判る。そこが違いだ。では、その包丁とは何か。簡単に言えば、これが「文法」なのである。

                  ◆

ここまで来ると身も蓋(ふた)もない話になる。なぜなら、文法は判っている人には判るが、判っていない人にはわからないという事にもなりかねないからだ。

しかし、違う。「湯船の法則」を思い出してほしい。「やってもやっても判らなかったものが、勉強を続けているとあるとき突然判るようになる」というあれだ。

大事なのは「単語の意味を覚え」「使い方を覚え」「練習問題を解き続け」「解説を読み続ける事」という至極当たり前の結果であるが、そうなのだから仕方が無い。

                  ◆

そうして努力を重ねておくと、名歌

東風吹かば匂ひをこせよ梅の花
主なしとて春な忘れそ           菅原道真

で「春な忘れそ」が「どうか春を忘れるないでくれ」であることを学ぶ時に、
(あ〜、そういうことなのね)
と実に納得するということになるのだ。

自分が手にしているもの、目にしているものがある。なんの特別な感情を持つ事も無く日常で使っているものがある。それが、(こういう仕組みで出来ているのか)とわかると嬉しいものだ。

言葉なんてものはまさにそれで、いつも使っているのでその仕組みなんて考えることもないが、わかると嬉しいんだよなあ。それを味わってほしいなあ。

アンダスタン?

(教科通信「志学」 NO. 43 より)

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