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2006/02/07

主張とは、反論である

三年生はディベートの授業を通して、今までに学んだ自分の話し方、メモの取り方、聞き取り方などをチェックした。足りないところを理解し、得意な分野を伸ばそうということだ。とくに、話し方では、ナンバリングとラベリング、ジェスチャーについてはある程度丁寧に説明した。今後に活かしてほしい。

                  ◆

教科書では、ディベートの授業を受けて「主張を書こう」という単元に入る。あなたの主張を文章にするのだ。では、主張とは何であろうか。宇都宮大学の香西秀信先生は、「すべての主張は、反論である」とおっしゃっている。現状にあるできごと、意見に対して賛成している時、人はただ黙っているものである。意見を言うということは、その現状や意見に対して反対の考えを持っているから言うのであるということだ。だから、すべての主張は反論であるというのだ。

そうだとすれば、ディベートで学んだ「反駁の四拍子」は主張の作文を書くためのガイドになるであろう。

反駁の四拍子とは、

1)引用「(相手は)〜で、××と言いました」
2)主張のレベルの反駁「しかし、違います」
3)根拠のレベルの反駁「なぜならば、〜だからです。証拠資料です。〜。」
4)結論「だから、違います」

というものである。さらに、「違います」の部分も詳しく述べることが出来る。

1)言っていることは、起こりません。
2)言っていることは、起こったとしても重要ではありません。
3)言っていることは、良いことよりも悪いことの方が大きいです。
4)言っていることは、良いことではなく悪いことです。(ターンアラウンド)
5)言っていることは、関係のない話です。

である。これらを駆使して議論を整理しつつ話を進める。主張文でも同じように考えてみると良い。

                  ◆

では、さらに主張文の固まりである論文とはどういうものであろうか。さらに、小論文とはどう違うのであろうか。私は論文と小論文は、次のように考えている。

論文:世の中にある様々な事象について、自らがテーマを選び、自ら問いを立て、その問いに対して自らが、先行論文、科学的データ、事例などで説明し、答えようとする文章。

小論文:与えられたテーマに対して自ら問いを立て、その問いに対して自らが、先行論文、科学的データ、事例などで説明し、答えようとする文章。

どういうことであろうか。これを考えるためには、中学校までの勉強と高校以降の学びの違いを考える必要がある。

                  ◆

以前私は、「頭の良い人とはどんな人のことなのだろうか」と君たちに問うたことがある。私は、この20年間ぐらいでこの定義がずいぶん変わって来たと考えている。かつては、たくさんの知識のある人が頭の良い人であるという時代があったろう。また、たくさんの知識をきちんと整理して取り出せる人が頭が良いという時代もあったと思う。

しかし、これらはパソコンとインターネットの出現でかなりの部分がコンピュータに追いつかれてしまった。つまり、コンピュータが蓄えられるデータの量と検索の正確さとスピードに、人間は、ほぼ太刀打ちできないということである。

じゃあ、人間はコンピュータに負けたのかというと、そうではないと考えている。それは今のコンピュータに出来ないものを人間は持っているからである。私は、それを「おや?っと思うこと」と「忘れること」と「喜怒哀楽を持つこと」だと思っている。現在のコンピュータはこれをもっていない。

この中でも、「なんか変だな?」と思えることが人間の人間たるゆえんで、この「なんか変だな?」をたくさん、かつ、誰もが気づかなかった疑問を出せる人が、いまの時代の頭の良い人ではないかと思うのだ。

これが論文の根本に関係しているのではないかという話は、次号で考えよう。

(教科通信「志学」 NO. 45 より)

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