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2006/02/01

君は「包丁」を手に入れたか?

こんどは私がうーんと考える順番である。
君たちからもらった文法の質問メモを見ながら、考えていた。
(なんで文法が判らないのだろうか)
(なにが判ると文法が判るようになるのであろうか)
ということである。今までだって考えたことはあるのだが、今回もう一度考え直してみる事にした。

文法は、文法の体系(関連した物事をまとめた知識の全体)が判っている人が、細かい所を考えるには非常に判りやすいのだが、下から積み重ねて覚える人には、覚える項目が「細かくて、多い」ので大変であるということがある。確かに面倒くさいのだが、ここは覚えないと駄目なんだなあ。

                  ◆

授業では、料理の話で例えて説明した。

「君たちに、お願いをする事にする。冷蔵庫からほうれん草を取り出して、まな板の上において、葉っぱと茎の部分に包丁で分けてください」

と。
これが判らない人は、まあ、いないだろう。ところが、

「君たちに、お願いをする事にする。教科書から一文を取り出して、ノートに書き写し、自立語と付属語に分けてください」

とするとこれがまあ判らなくなる。何が違うのか考えてみた。

二つある。一つ目は、単語の意味の理解である。「冷蔵庫」を知らない人はいないし、「教科書」を知らない人もいない。だからこれは大丈夫。ところが、「ほうれん草」と「一文」になると怪しい人もいるかも知れない。「ほうれん草」が「小松菜」になるかもしれないし、「一文」が「段落」になるかもしれない。こうして、指示された言葉の意味を理解できないで、間違えてしまう、できないということがあるのだろう。この場合には、それぞれの単語の意味を辞書や問題集などを使って理解するのが一番良い。

二つ目は、「包丁」である。料理の例えでは、ほうれん草を包丁で切るということはそんなに難しくはない。ほうれん草も包丁も目で見えるし、ほうれん草を葉っぱと茎の部分に切る技術も、「桂剥き」などに比べれば、そんなに難しいものではないからだ。ところが、文法の場合はその包丁を見る事が出来ない。また、どう使ってよいのかも判らないのだろう。私にはこの包丁が見えて、使い方も判る。そこが違いだ。では、その包丁とは何か。簡単に言えば、これが「文法」なのである。

                  ◆

ここまで来ると身も蓋(ふた)もない話になる。なぜなら、文法は判っている人には判るが、判っていない人にはわからないという事にもなりかねないからだ。

しかし、違う。「湯船の法則」を思い出してほしい。「やってもやっても判らなかったものが、勉強を続けているとあるとき突然判るようになる」というあれだ。

大事なのは「単語の意味を覚え」「使い方を覚え」「練習問題を解き続け」「解説を読み続ける事」という至極当たり前の結果であるが、そうなのだから仕方が無い。

                  ◆

そうして努力を重ねておくと、名歌

東風吹かば匂ひをこせよ梅の花
主なしとて春な忘れそ           菅原道真

で「春な忘れそ」が「どうか春を忘れるないでくれ」であることを学ぶ時に、
(あ〜、そういうことなのね)
と実に納得するということになるのだ。

自分が手にしているもの、目にしているものがある。なんの特別な感情を持つ事も無く日常で使っているものがある。それが、(こういう仕組みで出来ているのか)とわかると嬉しいものだ。

言葉なんてものはまさにそれで、いつも使っているのでその仕組みなんて考えることもないが、わかると嬉しいんだよなあ。それを味わってほしいなあ。

アンダスタン?

(教科通信「志学」 NO. 43 より)

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コメント

正月は行けずに(ご連絡もせずに)スミマセンでした。

「包丁」
中学生のときに使えるようになっておいてよかったと、
大学受験のときも、今、文章を書くときもひしひしと感じます。「ホウレンソウ」ぐらいのときに丁寧に理解させてもらえたのは幸せだったと思います。ホント。ありがとうございました。

こんにちは。書き込みの様子からすると、瑞雲中学校卒業生の君かな(^^)。わざわざありがとう。

中学校の授業が役立っているとのこと。こういう書き込みは照れくさいですが、とても嬉しいです。

時間を作って仲間たちと遊びにきてください。

あ、知床の僕です(笑)
Fireってあだ名はいろいろな裏の意味があるのですが、ちょっと公序良俗に反するのでいつだかの機会に…

池田先生に教わったことで、何気に役立っていることはたくさんありますよ~。
「何気」っていうところがミソです。
「俺がよい詩だって言うんだからよい詩だって思え!」って言われた機会があったように思うのですが(笑)、
それを素直に聞いておくのと、聞かなかったのでは、大人になってからの「伸び(自分でいうのもなんですが)」が違うような気がしました。
結果として、どっちが自分のためになるか?
結局、信頼できる大人にどれだけ会えたか…
ということに比例するなあ~と思う今日この頃です。
親になると、特に…。

そうでしたか、知床の君でしたか。失礼しました。

確かに、「俺がよい詩だって・・・」というのは発言した記憶があります。というか、今でもしていますf(^^;。

私は教育技術というのを大事にしたいと考えていますが、技術は技術だけで独立しているものではなく、必ずそれを使う「人」がついてくると思っています。同じ技術を使いながら出来上がるものが違ったり、相手に与える印象が違ったりするのはそのせいだと思っています。

なわけで、私は教師という仕事をしていながら、人から習うのが本当に苦手ですf(^^;。
(この先生は!)
と思える先生に出会ったときは、長いおつきあいをさせていただいております。

これらは、ちょっとカッチョ良くいうと「正当的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation:LPP)ということになります(たぶん)。何かというと、学習ってのは知識だけではなく、その知識を持つ人の全人格的な物から学んでいるってことなんです。

君を教えている当時の私は、そんなことを理論として知ってはいませんでしたが、
(だって、子どもたちにこの良さを伝えるってできないだろう。大人にならなきゃ分からないだろう)
と思ってそんなことを言っていました。

ただ、ここにも問題があって、教師と生徒、または大人と子どもが幸せな出会いをしていればいいのですが、そうでない場合、LPPは悲惨になります。

この当たりが、教育の難しいところだと思います。
私は、幸いにして教え子に恵まれていますので、ありがたい限りです。

Fire君も君の周りにいる若者に、君の全人格で立ち向かっているから、彼らもついてくるのだと思います。

今年こそは知床のツアーに参加したいと思っている池田でした。

正統的周辺参加…
初めて聞いた言葉ですが、経営論から言っても、まちづくりや行政とのパートナーシップの視点から見ても、いま最もトレンドな(というか本質的な)概念ですね。
もうすこし勉強して、これから僕もこの言葉、使わせてもらいます(笑)。

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