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2006/03/31

現在モバイル環境

現在モバイル環境で通信しています。
添付ファイルは、ちょっと勘弁していただけると助かります。
よろしくお願いいたします。

2006/03/30

ただいま移動中。

な、なんだ。
雪が降っているぞ。
ウー寒い。
モバイルな私。

2006/03/29

今年度の業務がすべて終わった

昨日は日直であった。これで今年度の業務がすべて終わった。

机上を整理し、担当であったパソコン室を確認し、店屋物を取って当日来ていた学年の仲間と昼食を取り、校舎の東から西に向かって自分の実践の痕跡があるところを手直しし、来年度の担当に引き継ぐところは引き継ぎ、校舎内を巡回して練習試合をしているテニス部に声援を送り、満開の桜の写真を撮り、今年度が終わった。

引き継ぎ後に、私のサポートをしてくれていたTさんと軽くお茶をする。
来年度の事をホニョホヒと話しながら、この一年の御礼をする。彼女がいてくれて助かったからなあ。残りの日は休暇を取って過ごす事にする。

さて、今年度は私の教員生活で一番短い春休みになる。
今日病院行き、先日の検査の結果を聞いて、昼に友人と食事。
一日花見をして、休めたらこれでオシマイだ。

みなさんに、良い春休みが来ますように。

2006/03/28

授業づくりネットワークの春の集会

昨日は、授業づくりネットワークの春の集会。吉祥寺の成蹊大学で開催された。
一昨日までの疲れがたまり、午前中はゆっくりと家でくつろぐことにした。午後からの参加。

吉祥寺に行くには、京王井の頭線を使う。この路線は春の花がきれいである。今は、なんと言っても桜。もう少しすると、ツツジが綺麗だ。

今回は、高橋俊三先生の講座を受講し、私も講座を一つ担当した。

高橋先生の「朗読・群読で子どもたちと教室を活性化」の講座は、相変わらず駄洒落が多くて、どこが言いたいことなのかが分からなくなることがあるが、さすがに面白い。

高橋先生の今日のお言葉(抄)

・ 教室では40人の生徒に声が届くでは駄目である。40人の生徒一人一人が自分に語りかけられていると感じられるような声でなければならない。それは眼差しで声を絞り込むことを手がかりにするのである。

・ プリントを持たせて読ませるときは、一枚で持たせないで数枚を持たせる。一枚だと、声がペラペラする感じがある。持たせる手は利き腕でない方がよい。利き腕は読むときにバランスを取るのに必要である。

・ 「沈黙は金」という諺は、「雄弁は銀、沈黙は金」という諺の一部である。雄弁である人間が、沈黙をするから金になるのである。雄弁という前提がなければ、金にならないのである。

今日の駄洒落

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・。先生の名誉のために、割愛させていただきますf(^^;。

                  ◆

私の講座は、会場にいたら5人しかいなかった。
ひえーである。まあ、これでもやるならやるぞと思ったのだが、どうも様子がおかしい。
会場変更があったとのことで、あわてて移動する。すると20人強の参加者。予定通り。ああ良かったf(^^;。

今回の講座は、「『こんな時どう言い返す』方式による生徒指導講座」というもので、春のネットワークでは二回目である。学校現場で突然発生する生徒指導の場面に、生徒の発言をその場で切り返して、その場で指導を終わらせることができるようになるということを目指す講座である。

私は国語の教師で、NHKの「わくわく授業」にも番組史上初の中学校の国語の授業ということで出演しているのだが、最近授業作りネットワークでは、生徒指導講座を担当する事が多いf(^^;。もちろん、私の研究領域は国語と学級経営なのでそれは嬉しいのだが、ただ、最近は国語をやっていないなあと思う。国語もやりまっせ!

で、講座ですが提出してもらった事例は、なかなか重たい物がありました。四月から中学校の教師になる予定の学生さんは、ちょっとビビってしまっていたかもしれませんf(^^;。

でも、中学生はかわいいものです。
見ているだけで、なんか嬉しくなるものです。
そういう彼らが、自分の力を出しつつ社会を良くする方向に伸びる指導をする教師という仕事は、やりがいのあるものです。

                  ◆

そして、当然ながら本日も打ち上げに参加。
北海道、京都、新潟、岩手と遠くから参加している仲間達と親交を深める。
日本中には、こんなに凄い先生がいるわけである。

ああ、楽しかった。

2006/03/27

昨日は良い若者に多く会ったな

ディベートの関東甲信越大会は、念願の初勝利を得ることができた。それどころか、二勝もできた。素直に嬉しい。

一年間かけて全くの素人の中学一年生と中学二年生にディベートを指導してきた。授業でのディベートなら楽しみながら力を付けていくという指導ができるが、大会レベルで勝たせるための指導は、正直言って大変である。だが、ここに挑むのがクラブとしてのディベート部である。

子どもたちが、自分たちの力で勝てたというのが、とても嬉しい。権利、義務、福祉、搾取、虐待など抽象度の高い言葉と格闘しながら、自分なりの解釈を行い立論を組み立てていくのである。そして、その結果の勝利である。

あと一勝で決勝戦進出と言う可能性もあったが、これは残念ながら負け。対戦相手はこの大会の優勝チームとなってしまった。前回も同じだったなあ。うちに勝ったところが優勝。なんか、和田中ディベート部を乗り越えていけ!てなことになっているなあ。

ま、ともあれ、おめでとうディベート部。

                  ◆

大会後、反省会に参加。
かつて私が全国大会でジャッジしたもと高校生が立派な大学生スタッフとして働いているのを見ると、時の流れの速さに驚く。

自己紹介の時に、自分が関わった論題を言うのがなんとも全国教室ディベート連盟らしくて良い。

四月から何をするのかなどの話をしながら、
(よし、新しいスタートだ)
との思いを新たにする。

良い仲間達だ。

                  ◆

反省会後、国分寺からバスで府中に行き、京王線で帰ろうと国分寺のバス停に並ぶ。
(を、あと4分でバスが来るな)
と安心して並んでいた。
そこに、
「あれ? もうバスは終わってしまいましたか?」
と声を掛けられる。
(ん? そんなことはないでしょ)
と確認すると、
「あー、やっぱりないですね」
と。
よく見てみると、私が確認していた時刻表は土曜日のもの。私は昨日が土曜日だと思いこんでいた。日曜日のものを見ると、確かにない。

「こまったなあ」
と件の女性。困ったのは私も同じだ。
すると目の前にタクシーが。
『府中まで行くんでしょ? 一緒に乗るかい?』
「いいんですか?」
『ま、それの方が私も助かるし』
と相乗り。

この女の子、こっちは酔っているのに、なかなかしっかりした会話ができる。府中駅の手前で、
「あ、ここで良いんですけど、おいくらでしょうか?」
もちろん、
『いいって、いいって。気持ちの良い会話ができたあなただから私が払うよ』
と言ってさよならする。

昨日は良い若者に多く会ったな。

2006/03/25

おいでおいで

本日、全国教室ディベート連盟関東甲信越支部大会の初日。高校生の部である。
私は、子どもたちの準備につきあって、一日中学校にいた。

子どもたちが準備をしているところにいて、見守るのが8割。アドヴァイスが2割という事である。ディベートは、自分と自分の仲間たちの力で作り上げなければ、本当の力はつかないと考えている。私が立てた立論で戦ってもし勝ったとしても、ディベートで勝ったという事にはならないと、私は信じている。

明らかな間違いの指摘、学年を越えた概念理解への解説、準備の確認。これらが私の今の仕事だと思っている。もちろん、これが最終的には自分の力で達成できるように指導するのが、私の仕事ではあるが、こればかりは一回で導く事はできない。

少しずつ、それでも確実に、子どもたちを高みに「おいでおいで」とするしかないなと思っている。

さあ、明日は中学の部の試合だ。

2006/03/24

美しく切ない季節

今日、終業式が終わり、小学校の卒業式へ参加し、親睦会の食事があり、今年度の最後の職員会議があり、机上の整理をして、クラブ指導をして、今学期が終わりました。

実際は、明日のクラブの練習。明後日の関東大会。27日の講座。28日の日直がありますので、ここで今学期は終わりです。

長かったのか、短かったのか。ゆっくりしていたのか、早かったのか。
どれも合っていそうで、どれも違っているようで。

我が家で育てているデンドロビユームは、このタイミングで咲きました。
聖蹟桜ヶ丘も、桜が咲き始めました。

美しく切ない季節が始まります。

感想文と小論文の違い 2

というわけで続きである。感想文と小論文の違いを考えよう。

【違い1 根本的な違い】


  感想文は、感じたことを書く。
  小論文は、考えたことを書く。

ということである。
感じるは、「不思議だ、感動した、頭に来た、楽しかった、悲しかった、おいしかった、愛している、嫌いだ、変だ」などの心の動きを書く。その時に、

1)どんな事があってあなたはそのような心の動きになったのかという事実
2)なぜそういう心の動きになったのかの理由
3)その後どうなったのか、どうなるのか

などと一緒に書くのである。
ただ、ちょっと難しいのは、たとえば「感動した」という心の動きがあった時に、「感動した」と文章に書くのは、ダメで、あなたの文章を読んだ人が
(ああ、この文章を書いた人は感動したんだなあ)
という感想を漏らすような文章に仕上げる事が大事なのである。

                  ◆

考えるは、「疑問、仮説、調査・実験、結論」という流れだ。簡単に言うと、

「世の中には〜という問題がある。私はこの問題に対して、〜と考える。なぜならば、〜だからである。実験・調査の結果〜というデータや資料が手に入った。だから、〜なのである」

というスタイルで書く。「主張+根拠」と言っても良い。

注意しなければならない事は、小論文には「〜と思う」という言い方はないということである。なぜならば、「思う」は感想を述べる時に使う言葉だからである。小論文では、「〜と考える」「〜と主張する」「〜である」「〜だ」と言い切り、その後に「なぜならば〜」と書き進めるのである。


【違い2 タイトル】


  言いたいことをタイトルに書かない感想文。
  言いたいことをタイトルに書く小論文。


たとえば、「楽しかった体育大会」と書く感想文のタイトルはダメなのである。なぜならば、このタイトルを見ただけで、一般的な読者は(ふーん、そうなの)と思って本文そのものを読んではくれません。タイトルだけで、本文を読んでくれません。

中学校では、先生たちは君たちが書く作文を、君たちを指導するために全員分、最初から最後まで読みます。ですが、あと読んでくれるのは、君の事に好意を持っている人か親ぐらいでしょう。読者を意識しなければ読まれません。

だから、タイトルで
(おや、これはどんなことが書かれているのだろう)
と思わせなければならないのです。その先を読んでくれないのです。「あと2センチ」「勝ちたいなら、声を出せ」「空に舞い上がった赤いハチマキ」などは私の教え子が書いた体育大会の感想文のタイトルですが、読んでみたいとは思いませんか?

                  ◆

一方小論文は、「電車の優先席に関わる客観的な諸問題とその有効な改善策」なんてのを書いたって、よほど有名な学者さんが書かれたものでなければ、これは読んでもらえません。あなたの言いたい事をまとめた「電車の優先席を廃止するべきである」でなければなりません。

そうすると、電車の優先席に関心を持っている人が、(へ〜、そうなんだ。なんでなの?)とあなたの主張が現れているタイトルへの理由を読みたくなってくれる訳です。その理由、なぜあなたがそのように考えたのかを述べるのが、小論文なのです。

来年度、書き進める事でさらに学んでいきましょう。

(教科通信「志学」 NO. 57 より)

感想文と小論文の違い 1

三年生は感想文と小論文を書き、二年生は感想文を書くこの一年であった。二年生の諸君の来年は、今まで以上に文章をたくさん書く事になるだろう。予習として感想文と小論文の違いをまとめておこう。

まず、感想文も小論文も、どちらも作文であるので、共通項がある。
そこから説明しよう。

【共通項1 読者がいる】

私は当たり前だと思うのだが、この読者がいることを理解しないで書く人が少なくない。あなたが書いている文章は、誰が読むのか、誰に読んでほしいのかということを理解しないで書いているのだ。ここをまず、しっかりと考えよう。すると、次のことが導かれる。

「あなたが書きたい文章を書くのではなく、読者が読みたい文章を書く」

ということである。ま、実際はあなたが書きたい内容の中で、読者が読みたいであろう部分に絞って書くことになるのであるが、読者がいるということをきちんと意識することが大事である。

となると、さらに

濃く、太く、大きく」書く

ことが大事になるのだ。これは、筆記用具が鉛筆の時に言えることである。君たちは実際にはワープロで書くことがほとんどになるが、読み手が読みやすく書くということには変わりない。フォントの種類や大きさ、レイアウトなども考えて書くのだね。

【共通項2 書くためのステップがある】

これは、

1)ネタだし、ネタ集め
2)構成
3)執筆
4)推敲

という四つのステップを踏んで書くという事である。

【共通項3 書くためのフォーマットがある】

感想文は、

1)クライマックス(出来事の山場、一番感動したところ。会話文で入ると良い)
2)説明
3)感じた事

の順番である。たとえば、

1)(あ、いかんいかん。ここで泣いてはいかん)
2)三年生が指揮者に体を投げ出すように歌っている。中学校生活最後の歌、卒業式の合唱だ。3)これで彼らが和田中学校を本当に終わるのかという実感はまだないのに、彼らの歌でそれが迫ってくるのを感じた。

のようにである。

小論文は、

1)序論 何が問題なのか、なぜ問題と思ったのか、問題の定義などを述べる。
2)本論 問題はどのようにしたら解決するのか、その良さは何かを述べる。
3)結論 まとめるとどういう事なのかを述べる。

の順番である。たとえば、

1)電車の優先席は、若者の心を育てないという問題がある。優先席があるのだから、年寄りはそこに座れば良い。普通の析の前に年寄りが立っていても関係ないと思う若者がいるのである。少子高齢化社会が進む中でこれは深刻な問題である。
2)この問題を解決するには、電車の優先席を廃止することで、どの座席であってもお年寄りには優先席に座らせるのだという気持ちを育てる事が大事である。
3)これが若者に優しい気持ちを育て、少子高齢化社会に良い効果を与えるのである。

という感じである。実際はここにデータを付け加えて、もっと丁寧に説明していくのであるが、流れとしてはこういう封に書くのである。

それでは、違いである。違いも二つある。であるが、それは次号に続くのであった。

(教科通信「志学」 NO. 57 より)

2006/03/23

年度末進行

卒業式が終わり、今年度をまとめる作業に入っている。
卒業式の翌日は、学芸大学でお世話になった山田先生のML仲間と一献傾ける。今年度大学院を修了された方やいろいろなお祝いをかねて、吉祥寺で楽しむ。

四月から東京の小学校の教師になる私の教え子にも声を掛けた。このMLの参加者はいろいろな力を持っている人が多く、MLを読んでいても面白いのだから、会わせてしまおうと思ったのだ。

彼は、四月から教師にもなるが結婚もするという。そこで結婚届にサインしてほしいと。めでたい事は皆で味わうのが良いと思い、来てもらったのだ。

さらに、その彼と同級生で同じく担任した彼も、父になるという。教え子が幸せになっていく姿を見る事ができるのは、本当に幸せな事だ。

MLのメンバーとも、たくさん刺激的なお話をする。

                   ◆

翌日は夕方から、前の学校の先生たちと恒例のログハウス合宿。
料理の得意な先生が学年に揃ったので、学年旅行で遠くまで行くのをやめて、近くのログハウスに泊まって、手作りの料理を楽しもうと始めたのが3年前。年に1、2回はやっている。

今回もおいしい手作りの料理と、仲間達との楽しい会話。
ログハウスには薪ストーブがあり、ときどき薪を焼べながらゆったりとした時間を味わった。

                   ◆

そしてその翌日は、全国教室ディベート連盟の理事会であった。今年度のまとめを行い、来年度の活動方針の確認等を行った。私は急な仕事が入ったので、前半は参加できなかった。移動中にWBCの情報を携帯ラジオで聞いていたのだが、理事会の会場がある茗荷谷に行くには地下鉄に乗るしかない。電波が届かない状態もあり、地下がしんどかった。

しかし、優勝!!!!
やったなあ。

理事会に参加したあと、大宴会。
久しぶりに会う仲間もいて、良い時間を過ごす事ができた。
仲間がいるってことはありがたいことだ。

                   ◆

で、昨日から今日にかけて一日所用で駆け回る。
午後から学校。大掃除でパソコン室をきれいにする。
クラブの指導は日曜日の大会に向けて。

さあ、今年度も、あと1週間である。

2006/03/19

もう少しで咲くぞ

用事があって、午前中は北の丸公園に行ってきた。

200603191118000

ソメイヨシノではないが、桜の花が咲いていた。
モクレンの花も咲いていた。

200603191122000

そのまま足を伸ばして、靖国神社の気象庁ご指定の桜の木を見ることにした。

200603191203000

「ちょっとピンぼけ」(ロバートキャパ)だが、感じは分かるだろう。
あと二日ぐらいで咲きそうである。

春である。

2006/03/18

卒業に寄せて

穏やかな春の朝を迎えました。
三年生のみさん、ご卒業おめでとうございます。

去年の春、入学式の準備をテキパキと、しかも笑顔で行う君たちを見ていて、
(ああ、いい学年を担当することができそうだ)
と嬉しく思ったのを昨日のように思い出します。

みなさんとは、たった一年間、同じ時を過ごしただけでした。こんなに気持ちの良い諸君と学びをともにすることができたことは、私にとって大きな喜びでした。ありがとう。

君たちの一人一人の三年間は、良くは分からないけど、私は中学校の時代というと、萩原朔太郎の次の詩を思い浮かべてしまいます。

  中学の校庭

  われの中学にありたる日は
  艶めく情熱になやみたり
  いかりて書物をなげすて
  ひとり校庭の草に寝ころび居しが
  なにものの哀傷ぞ
  はるかに青きを飛びさり
  天日直射して熱く帽子に照りぬ。

少年期に別れを告げ、青年期に突入した君たちが、和田中学校で大いに学び、大いに感動し、大いに傷つき、大いに助け合い、大人への一歩目を踏み出したことを、そしてその側にいられたことを、私は嬉しく思っています。

                  ◆

こんなにすばらしい諸君であれば、あと二三年は一緒にいたいなあ、同じ時を過ごし、学びを深めたいなあと思うのが本心ですが、それは当然あり得ないこと。君たちは、自らが獲得した新しい道に向かって、今日、その新たな一歩目を踏み出していくことになります。

中学校は義務教育です。将来の君たちに向けて、その基礎を作ります。于武陵が作り、井伏鱒二が訳したこんな詩を身につけておくことも、君の人生に彩りを添えてくれるでしょう。

  勧酒 

  コノサカズキヲ受ケテオクレ
  ドウゾナミナミツガシテオクレ
  ハナニアラシノタトヘモアルゾ
  「サヨナラ」ダケガ人生ダ

  勧君金屈卮
  満酌不須辞
  花発多風雨
  人生足別離

君たちとは、まだどこかで出会う気がします。
ですが、それは中学の時の君とではなく、中学校の教師としての私ではありません。それぞれ、成長した人として出会うわけです。

お酒が飲めるようになったとき、飲める人とはお酒を、飲めない人とはお茶でも愉しみながら、また会いたましょう。その時を、とても楽しみにしています。

                  ◆

  人生無離別
  誰知恩愛重

  人生 離別無くんば
  誰か恩愛の重きを知らん

蘇東坡(そとうば)が、言いたかったことを、今、私は感じています。君たちとサヨナラすることが、君たちから受けた幸せな時間を、こころから感じさせてくれるのです。

もし、私の授業が君たちの人生を支える一部になっているのであれば、本当に幸せです。

私は、君たちに出会えて本当に良かった。ありがとう。

ご卒業、
心から、
おめでとうございます。

(教科通信「志学」 NO. 56 より)

2006/03/17

ものもらいである。はあ。

さすがは私である。
明日を卒業式に控えた昨晩から、左の頬から上が痛い。
なんとなくこすっていたら、腫れて来た。
何かと思っていたら、ものもらいである。はあ。
自分では、小学生の頃になった記憶しかない。

実は、昨日杉並区教育員会から表彰された。
私の作った教材が、区の教材展に入賞し、教育長から賞状と図書券を頂いたのだが、それからものもらいになったのではないかと、シャレにもならないことを話していた。

                  ◆

今日、学校には眼帯をしていった。
花粉症のマスクに眼帯ということで、顔面は右目しか出ていない。
完全に怪しい人である。
幸いにして、効き目が右目だったのでまあ、良かった。

学校では、子どもたちが
「先生、どうしたんですか!!!」
とあちこちで訊いてくる。ありがたいことだ。

そんな彼ら彼女らに、私は

『んーとね、朝起きたら目が溶けていたんだよ』
「でええええええ! 本当ですか?」
『嘘に決まってんだろう(^^)』

といつものようにからかう。
なんというか、引っかかるんだよなあ。

また、
『さっきね、鬼太郎の目玉おやじがやってきてね、鬼太郎にもう一個目玉がほしいってんで、あげたんだよ』
「ええええええ。それは嘘でしょ」
なんて会話を楽しんだ。

全く持ってかわいい子どもたちである。
世の中は悪い大人もいるんだよ、少し冷静になろうね(^^)。

                  ◆

さて、明日の卒業式には腫れは引いているでしょうか。
そして、いい卒業式になりますように。

2006/03/16

校庭で 小野十三郎

わたしは 
未来という言葉が好きだ
よく考えると
あなたたちの一人一人に
それがどんな意味をもつのか
なかなかふくざつで
かんたんには使えないけど
あなたたちと別れる日が近づくと
なぜか、さからいがたく
未来という
そんな言葉が
心の中からとび出してくるのだ。
夢とか
倖せという言葉では
いいつくせないものが
その未来という言葉にあるからだろう。
いまうす陽がさしる校庭には
だれもいない
わずかに光をあつめて
冬薔薇だけが
咲きのこっている。
いってみれば
未来とは
かすかに風にゆれる
この一輪の
白い花のようなものだ。
ゆく雲のかげさえそこにうつっていて
世界はかぎりなくしずかで
かぎりなく美しい。
しかしそこにあれば
この庭にみちあふれていた
あなたたちの
明るい笑い声が聞こえる。
わたしは
あなたたちのそばを
なんども通った
そんな日があったことを
忘れない。

(教科通信「志学」 NO. 55 より)

アンソロジーノートに書いてね。

期末考査に、「先生がアンソロジーノートに書く詩の中で一番好きな詩は何ですか?」という質問があった。難しい質問である。私のデータベースには詩、短歌、俳句だけで600以上、名文になると1200以上のデータがある。その中で一つか。

考えて選んだのが、以下の詩である。中学生のときに出会い、中学生の時から大好きになった詩だ。2Bでは書く時間があったが、他のクラスではなかったので、志学で紹介する。アンソロジーノートに書き写しておいて下さい。

                  ◆

ネロ ー愛された小さな犬にー
                        谷川俊太郎
ネロ
もうじき又夏がやってくる
お前の舌
お前の眼
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる

【インターネットのため中略】

しかしネロ
もうじき又夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ 春をむかえ 更に新しい夏を期待して
すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために

                  ◆

少年時代に別れを告げ、本格的に青年時代に向かって歩み出す決意が描かれている。
これがなんとも言えず、勇気を与えてくれる。

実は、この詩は私の結婚式の時に、参列して下さったみなさんに結婚の承認として、この詩の一部を読んでいただいのである。私達の結婚式は人前式だったので、参列して下さった皆さんに結婚を誓おうと決めたのだ。君たちに紹介していて思い出した。

三年生、諸君。私のアンソロジーノートはここで終わるが、できればこの先、君が出会うさまざまな名言を、あなたのアンソロジーノートの続きに書き続けていくことをお勧めするよ。

3年続けると宝物になるよ。

(教科通信「志学」 NO. 54 より)

2006/03/14

家本先生が感動された詩

全生研の仲間が、家本先生の感動された詩を紹介していました。

引用開始 ーーーーーーーーーー

千の風になって
           作者未詳(原作英詩)


私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています

引用終了 ーーーーーーーーーー

もし、この詩を家本先生が感動していらっしゃったのなら、
なんか私は少し楽な気持ちになりました。

(そうか、家本先生は、風になって全国の教室を回ることにしたんだな)

と思えました。それなら、私の教室にもやってきて
「お、頑張っているね。無理しないでね」
とか
「そこは、あの本に書いてある、あそこのところを読むんだよ」
なんて言ってくれていそうな気がします。

悲しいんだけど、元気が出てきます。

2006/03/12

訃報 家本芳郎先生

家本芳郎先生が亡くなられた。
先月の25日に亡くなられていたとのことだった。
このお話が、全生研の仲間から伝えられた。

今日、連れ合いと何気なく家本先生の話をしていたのだが、まさかそんなことになっているとは思わなかった。体調が優れないとのことで、私達後輩の指導から引退されたのはつい最近であったが、急だ。

私の教師修行は、家本先生から学ぶことが非常に多かった。
群読のレッスンも受けたし、教育の本に関する文章の書き方も学んだし、そして私淑で終わるかと思っていたら、一緒に仕事をさせていただくこともでき、食事を一緒にさせていただくこともできた。論文も書くことができたし、読んでいただくこともできた。

家本先生のご業績は、日本の教育の宝である。
私の後輩の教員にも伝えていかなければならないと、改めて思う。

ご冥福をお祈りしたい。
ありがとうございました。

発見ではなく編集

卒業遠足は、ディズニーランドであった。賛否両論あるが、私はここでの遠足は将来的には限界に達すると思っている。なぜなら、キャパシティが限界に来ていると思うからである。

ま、これを「無事に」終わらせて、一日が終わった。
久しぶりに歩きまくったので、ちょっと疲れたかな。
でも、昼ご飯が思ったよりもよかったので、満足。

                  ◆

次の日、土曜日の朝。年に数回、高校時代に感じることができた、あの清々しい朝を迎えることが久しぶりにできた。空は晴れ、空気は暖かく、日差しは穏やかで、気持ちのよい音楽に出会うことができる。今朝はそんな朝であった。

それは、今朝聴いていた音楽と関連するのかもしれない。
80年代の音楽をitunesの一つのフォルダに入れていたのを聴いていたのだ。

いや、そんなことは関係ないのかもしれない。
気持ちよく時間が流れることを受け入れる私に、やっとなれていたのかもしれない。

                  ◆

午前中は、細かい仕事をして過ごす。そして、午後から全国教室ディベート連盟研究開発委員会主催の研究会に出席する。今日は、明治大学の辻脇葉子先生による、講座である。

辻脇先生は10年ぐらい前に私の講座を受けていただいた仲だ。
相変わらず明瞭な(つまり質問した内容にはきちんと焦点を当てた)、受け答えをしていただいて、嬉しくもあり、納得の度合いもありの講座であった。

                  ◆

この研究会の良さは、ディベートのなんたるかをほぼ理解している人もいれば、全くの初心者の人もいることである。

で、初心者の方の「分からない」という発言から、議論が深まることがさらに良いことである。

成長社会を経て、これだけ成熟社会にたどり着いた私達が目指せるものは、発見ではなく編集であるというのが私の主張である。新しい哲学を発見するのでなく、哲学のアウフヘーベン、または、視点の提示・転換・融合が重要である。

そうだとすれば、この初心者の「分からない」という発言は非常に大事なものになるのだ。

                  ◆

研究会後は、懇親会へ。初対面の人とも楽しくなれる。
ディベートや読書のとる学びのスタンスについてなどについて、話す。

私は、マトリックスを書いて自分の考えを説明した。
このところ、この考えをもとに授業を見直しているのだ。

そして、最後にもう一件行く。私の大好きなバーだ。作家の山口瞳さんが愛した店で、大人にならないと行けないなあと思い、30歳になるまで我慢していた店だ。

そこで仲間達と静かに、酌み交わす。
相変わらず、いい感じであった。良い一日であった。

2006/03/10

言葉を学ぶ一つの理由

「言葉を学ぶのはなぜなのか」
と言えば、「つながる」ためだと言っていいはずだ。
何とつながるのか。それは、人である。

                   ◆

中学生ぐらいの君たちは、人生の中で一番自分に自信があり、また一番自分に自信がないころだろう。
(お、俺ってすごいんじゃない? やっぱ俺が一番でしょう)
と思った翌日に、
(あー、ダメだ。もう最低だ)
と自分のことを思い切り否定するなんてことも珍しくはない。

ま、人間が成長するには、この(お、俺ってすごいんじゃない? やっぱ俺が一番でしょう)というなんでもできると思える「全能感(ぜんのうかん)」がないと厳しいので、ある程度は多くあったほうがいいでしょう。

年齢をとるに従って全能感は少なくなり、自分の程が分かってくる。そして、いろいろなことが分かってくる。例えば、

・自分が好きなことと、自分に向かないこと。
・自分がやらねばならぬことと、自分はやってはいけないこと。
・自分にできることと、自分ができないこと。
・自分だけでは何もできないこと、仲間に助けられるとできること。
・自分一人でやらなければならないこと、自分だけでやってはいけないこと。

自分の持っている力を仲間に与え、自分にない力を持っている人から、その力を貰うことが豊かな人生につながることを理解し始める。

中には、全部自分の力だけでできると思っている人もいるかもしれない。しかし、もし、すべて自分の力だけでできると思える人がいるとすれば、その人の抱えている世界、相手にしている社会があまりにも小さいのだと私は思う。例えていえば、小学生の低学年がやる内容を、中学生の君が「私はすべて自分だけでやれている」といっているようなものなのだ。

だから、人に力を貸し、人から力を借りられない人は、人間として成長して豊かな人生を送ることが難しいと思うのだ。その、人に力を貸し、人から力を借りるためには、「言葉」が重要な道具になる。

                   ◆

私は君たちに、「言葉=超能力」であると四月の段階で教えた。国語の力というのは、言葉を使いながら人とつながることで育っていくと考えても良いのかもしれない。確かに、漢字や文法などの学習は多くは個人で行うものである。しかし、これを活用することを考えたとき、相手を考えないで行うことはできない。読書だって実は作者や、もう一人の自分との対話なのである。

言葉において、自分一人だけということはあり得ないのだ。

そうだとすれば、学んだことをテストという物だけに焦点を当てて力を測ろうとしているだけでは、国語の力は付きにくいのかもしれない。自分のためだけに学んでも、その力は本物にはなりにくいということだ。学んだことを仲間や社会の中に投げかけ続けることで、あなたの国語の力は本物になっていくのではないかと思う。

それは、日直の学活での一言かもしれない。それは、朝の挨拶かもしれない。掃除の時、「これ、私がやろうか」の一言かもしれない。読み終えた本に関するあなたのメモかもしれない。そんなところから人はつながりを持ち、仲間を助け、助けられて育っていくのだと思う。

                   ◆

もちろん、人は、今の人に限らない。
私達は書物を通して、過去の人とつながることができる。アンソロジーノートに書いた詩、短歌、俳句の作者の多くは、もうこの世にはいない。しかし、私達は彼らの作品に触れることで、彼らの創り出した世界を味わうことができる。作者の紡ぎ出した言葉の世界に触れることで、作者につながることができるのだ。

さらに、君たちは未来の人ともつながることができる。君の書いたその文が、未来の誰かの手に届き、その人の考えを深め、心を振るわすことになるやも知れないのだ。

三年生は、「大人とは何か」のテーマで卒業小論文を書いた。

この小論文が、君の成長の、15歳の瞬間を切り取り、今後の君の「つながり」の広がりの、きっかけになっていることを願う。

(教科通信「志学」 NO. 53 より)

2006/03/07

命を大事にするおまじない

和田中学校には、池がある。
だいたい三畳ぐらいの大きさである。
ここに、蛙が住んでいる。ヒキガエルである。

暦の上では今日で「啓蟄」を迎えたのであるが、それよりも前から氷が溶けた水面にプカプカ浮かびながら交尾をしていた。

交尾をすれば卵が出来る。池の中には結構な数の卵がある。一説には、和田中学校の生徒の数倍の数があるとも言える。

が、放課後何気なく池を見たら、卵が池の渕に取り出されていた。池の底に落ちた落ち葉を掬うためにあるネットで掬ったのであろう。

池の周りには中学二年生の娘達がワイワイしていた。

私は渕に貼付けられている卵が、なんとも居たたまれなくて池に戻そうとネットでこそいだ。すると、娘達は、キャーキャー言っている。

なんだあ。え? 気持ち悪い? まあ、確かにネバネバしていて見てくれも良くないわなあ。だけど、たかが蛙ではあるが、目の前で命の可能性が放り出されているのを見るのは忍びない。

ネットで卵を池に返してみた。ところが、ネバネバが池の渕にくっついてなかなか戻らない。そこで、手で取って池に戻した。すると、

「うぎやあああああああ。ばっちい」

と娘達は騒ぐ。
何を言うとるか。命の源が汚いわけないだろうが。
そして、

「先生、優しいんですね」

という。
何を言うとるか、諸君が残酷なのだろうが。
卵をつかんだ手を水道で洗い、その残りの水を娘らに向けてちょこっと、ぴっぴとしてやった(^^)。

「うわああああああああああ」

と逃げる。
何を逃げる、これは命を大事にするおまじないであるのに。

2006/03/06

倒れないように行こう

今日の毎日新聞の教育の記事

ということである。
私自身を考えてみても、10年前と比べると別の仕事をしているのではないかと思う時すらある。

お仲間の皆さん、春休みはもうすぐです。
ぼちぼち行きましょう。

エスカレーター下り上りの法則

勉強については、「湯船の法則」を四月の段階で教えた。これは、「閾値(いきち)」という考えを説明したものだ。勉強というのは、やってもやってもできないもので、ある瞬間突然できるようになる性質のものであるということを説明したものである。

さて、このことはこの一年間で実感できたであろうか、また、この期末考査で実感出来たであろうか。

で、この「湯船の法則」の他に、もう一つ勉強に関する真理(だと思うが)を話そう。それは、「エスカレーター下り上りの法則」である。

                   ◆

仲間を見ていて、勉強のできる人はいつも勉強ができると思う事はないだろうか。(なんであいつはいつもいい点数なんだろうか?)と思う事があるだろう。これには答えがあるのだ。

「湯船の法則」では、湯船からお湯が溢れる瞬間が解る瞬間と説明したが、もうちょっと詳しく言うと、分からないところを学んでいる時は、下りのエスカレーターを下から上っている状態ということが言えるのだ。

良い子の諸君はやっては行けない事だが、それでも君たちもひょっとしたら小さい頃いたずらでやった事があるかもしれない。上から下に向かって降りてくるエスカレーターに乗り、上に向かって駆け上がることである。上にたどり着くには相当のエネルギーを必要とする。一気に駆け上がらなければならない。途中で(はあ、疲れた)と休んでしまうとまた元の位置にまで戻ってしまう。

これが勉強ができないでいる諸君の現状なのである。一気に駆け上がらなければならない時は、駆け上がらないと、元の位置にまで戻されてしまうのである。そして、精神的にはかえって疲れるのである。
(俺は、やってもダメだ)
と。

エスカレーターで下から上るとき、1階から2階にきちんとたどり着けば、下に戻される事はない。これは勉強で言えば、学習内容を納得した状態であり、できるようになった状態である。この状態を作りながら、1階から2階。2階から3階へと駆け上がっていくのである。そうすれば、ちょっとずつ休みながら確実に上に上っていけるのである。

ところが不思議な事があるのだ。湯船の法則で示したお湯の溢れる瞬間になると、エスカレーターの場合は、下りだったのが急に上りになるのである。その瞬間から、流れが逆になるのである。そのままの勢いで駆け上がるとどんどん上に上る事が出来るのである。

エスカレーターが上に向かって進んでいるのだから、思いっきり駆け上がらなくても「足踏み」をしているだけで上に上っていくので、余裕を持って勉強する事が出来るようになるのである。勉強のできる人というのは、下りのエスカレーターを上ってはいないのである。

だから、勉強ができる人はどんどんできるようになり、出来ない人はますます出来なくなるのである。さらに、下りのエスカレーターのスピードは、学年が進むにつれてどんどん早くなってくるのだ。そりゃあそうだ、勉強する内容が増えるのだから。

そうだとすれば、君たちには一刻も早く上りのエスカレーターに乗ってほしいと思う。そうすると見える景色が違ってくるだろう。

                  ◆

(そんな馬鹿な)
と信じられない人もいるかもしれないが、私だって多少は勉強ができるようになった経験はある。その時はなんだかよくわからなかったが、その時の経験をまとめるとこのように説明できるという事なのだよ。

いや、君だって記憶にないだけで経験はしているんだよ。君が歩けるようになったとき、君は何回も転がっていたんだよ。自転車に乗れるようになった時だって、何回もこけたんだな。下りを駆け上っていたんだよ。でも、忘れているだけなんだよ。

勉強で苦しんでいる諸君よ、一気に駆け上がってほしいなあ。そして、足踏みをしているだけで勉強ができるようになる快感を味わってほしいなあ。

しかし、このエスカレーターは波があって、上りだと思っていたら実は下りに変わっている事がある。ここには注意すること。その時には、また一気に駆け上がるべし。老婆心ながら伝えておく。

(教科通信「志学」 NO. 52 より)

2006/03/05

ばたばた歩き

「真実は細部に宿る」

このごろ、この言葉が本当だなあと思う事が続く。
私は元来だらしがなく、怠け癖があるので大雑把に捉えてやるということが多い。そのため、最後のところでうっちゃりを食らう事がある。
(ここは出ないだろう)
と思った場所が試験に出たりするということを数多く経験してきた。

もちろん、大雑把に構える事でやることに「遊び」の部分が出来て、その場での臨機応変の対応ができるということもある。というか、そうやって臨機応変の力量を磨いてきたのだと思う。

その臨機応変の対応が一冊の本になったのが、『こんな時どう言い返す』であって、おかげさまでそこそこ売れている。(ありがたいありがたい)

が、人間は無い物ねだりをするもので、コツコツとか確実にとか計画的にとかという言葉に、私は憧れる。これが出来る人は格好いいなあと思う訳である。

                   ◆

先日たまたま「ビューティーコロシアム」という番組を見ていた。いろいろな意味で美しくはない女性が、化粧の方法や美容整形手術をして美を手に入れるという番組である。

その回は、番組始まって以来の女性が登場していた。鼻の軟骨がなく、「フランケン」などのあだ名を付けられ、それは可哀想な半生を送っていた訳である。それが、半年以上の手術を施されて「美しく」なってスタジオに現れたのである。

が、その登場シーンの最初、スタジオに向かって歩き出すその足音で、
(あれまあ)
と思ってしまったのである。歩き方がおかしいのである。それが足音で分かるのである。美しくなった顔で颯爽と歩こうという気持ちは分かるのだが、その歩き方にその人の生き方が現れているのである。

なんというか、ばたばた歩くのである。もちろん、ハイヒールを履いていたので実際はばたばたという音ではなかったが、品のある歩き方ではなかったのである。顔の作りと足の動きが非常にちぐはぐであったのだ。

(そういう顔、そういうメイクをしている人は、そういう歩き方はしないぞ)
という歩き方であった。

                   ◆

人間が育つというのは、大変な事だと改めて思った。仮に一部を直せたとしても、トータルが改善される事はないのだ。もちろん、手術前の彼女と手術後の彼女であれば、彼女自身は大きな違いに喜びを得て、今後の人生に自信を持つ事が出来、幸せになる可能性は高い。

しかし、一方の体に染み付いている今までの自分の立ち居振る舞いも、その顔に合わせてヴァージョンアップしないと、違和感の固まりの個人になってしまうだろう。人はそこを見抜き、本人はそこに気がつかない。これは私にとっても当てはまるはずだ。

自分を磨くために、自分が心を許している仲間たちより、少し緊張を強いられるようなグループの中に身を置く事は大事な事だと思う。しかし、この「ばたばた歩き」になってしまっていないかどうかは、常に気にする必要があるのだろうなあ。

「真実は細部に宿る」のである。

2006/03/04

3/27 春の講座案内

3/27に吉祥寺の成蹊大学で以下の講座があります。私も一つ担当します。
興味深い講座ばかりだと思います。新学期に向けて充電をかねていかがでしょうか。
お待ちしております。

                 ◆

授業づくりネットワーク2006春
「授業成立の基礎技術」大集合!〜ワークショップ20〜
主催 NPO法人「授業づくりネットワーク」
後援 東京都教育委員会(予定) 武蔵野市教育委員会
----------------------------------------------------------------------------


「安定した草原」から「不安定な湿地」へ、現在の教育現場は大きな変化の途上にあります。その変化の中で、子どもたちの私語・立ち歩きなどが発生し、授業が成立しにくい状況が増えてきています。
 この現状を乗り越えるには、教師がいま直面している学級・授業の状況を的確に「診断」する必要があります。子どもが「安心」できる学級、納得できる「説明」が求められます。「表現」を楽しませる授業、「対話」を促す授業が求められます。子どもの「集中」や教師の「フォロー」という視点も必要です。
 以上の認識をもとに、さまざまな「授業成立の基礎技術」を考えるヒントとなる講座を集めてみました。20講座の中から、お好きなワークショップを三つ体験していただきます。ぜひ、ふるってご参加ください。

■日時 3月27日(月) 10時〜17時(受付は9時30分から)

■会場  成蹊大学8号館
 http://www.seikei.ac.jp/university/
 東京都武蔵野市吉祥寺北町3-3-1
 〈アクセス〉
  JR中央線・総武線(東京メトロ東西線)・京王井の頭線
   吉祥寺駅下車
  ・吉祥寺駅北口バスのりば1・2番より関東バスで約5分
   成蹊学園前下車
  ・吉祥寺駅より徒歩約15分

■日程
9:30〜10:00 受付

10:00〜12:00 「授業成立の基礎技術」ワークショップ1
A:診断に生かす授業感想文
講師:池内清(東京・聖学院小学校)1960年生まれ。授業づくりネットワーク事務局員、全国教室ディベート連盟理事、学習ゲーム研究会、実践作文研究会事務局員。
 授業感想文における三つの効能「学習のふりかえり」「作文力をつける」「授業改善」について、実際の活動を通して体験する。

B:安心を生み出すグループワーク・トレーニング
講師:上石厚志(神奈川・グループワーク・トレーニング講師)1960年生まれ。2004年より日本GWT研究所としてGWT財開発・講師を本業に活動。日本GWT協会理事。
 小・中学校で「協力や友達のよさを学ぶ」グループワーク・トレーニングを紹介します。楽しく体験しているうちに、多くの学びを得ます。

C:説明責任を果たす小学校算数学習ゲーム
講師:竹松克昌(神奈川・茅ヶ崎市立緑が浜小学校)茅ヶ崎算数サークル所属。楽しく力をつけることができる算数の授業づくりを目指して研究しています。
 子どもたちが、意欲的に取り組み力がつく算数ゲームを、指導のポイントを明らかにしながら紹介。楽しさを是非お持ち帰りを。
※『授業づくりネットワーク』2月号ではワークショップ2でしたが、都合により時間を変更しました。

D:スクール オブ コミュニティ・ダンス 基礎編
講師:奥田志保(千葉大学教育学研究科)2002年よりコミュニティ・ダンス講師、南村千里に師事する。以来、コミュニティ・ダンスを学校に生かす研究に従事する。
 からだと遊んで、からだでおしゃべりしましょう。ほらそこに、ダンスが生まれます。
※動きやすい服装(ジーンズ・スカートは避けてください)でお願いします。


E:表現を楽しませる劇あそび
講師:林久博(成蹊小学校)劇表現活動を導入した小学校での出前授業やワークショップの実践多数。日本児童劇作の会(http://www.geocities.co.jp/gekisakunokai/)事務局長などを務める。
 心と体を解放して、表現する楽しさを味わいながら友だちと繋がる喜びのある学級づくりの方法を学びます。

F:フリートークで語り合う関係をつくる
講師:桂聖(東京学芸大学附属小金井小学校)使える授業ベーシック研究会常任理事、全国国語授業研究会理事、教師の“知恵”.net(http://www.kyoushinochie.net/)事務局などを務める。
 話し合う力を育てたい、そんな願いにはフリートークがオススメです。温かいクラスづくりにも役立ちます。ぜひ明日から実践してください。

G:気持ちを伝えるアサーション
講師:左口絹英(アサーショントレーナー)1967年東京生まれ。企業、自治体での研修、企画を行う。子どもや家族のコミュニケーションに関心が高い。(有)N&Sラーニング取締役。ディペートオープンスペースDOS事務局長。日本論理療法学会認定論理療法士。
 断りたいのに引き受けてしまう、言いたいことが言えないという場面での主張的な表現方法とそのための考え方を学ぶ。

N:特別支援教育に生かす要配慮児への理解と対応
講師:上原文(横浜市東部地域療育センター)精神保健福祉士。横浜市東部地域療育センターソーシャルワーカー。横浜市特別支援教育検討会議メンバー。
 「配慮を要する子どもたち」の行動や状態を理解し、教員が学級でどのような工夫をするべきか。理論だけではなく具体的な対応方法を学ぶ。
※『授業づくりネットワーク』2月号ではワークショップ2でしたが、都合により時間を変更しました。

12:00〜12:45 昼食

12:45〜14:45 「授業成立の基礎技術」ワークショップ2
H:診断に生かすQ−U
講師:粕谷貴志(都留文科大学)都留文科大学地域交流研究センター講師。子どもの発達と適応との関連を研究。Q−Uをつかって全国の学校現場のサポートに取り組んでいる。
 Q−Uをつかった児童生徒理解と学級集団の把握について紹介。学級集団の状態に合った授業の構成と展開について学ぶ。

I:診断に生かす『小学校高学年女子の指導』
講師:赤坂真二(新潟・新潟市立曽野木小学校)1965年生まれ。学校心理士。日本教育心理学会所属。学級担任をする一方で、他の教師の相談、他学級のサポートを行う。
 指導が難しいと言われる高学年女子の指導を通し、様々な場面に使える生徒指導の理論と具体的指導法、授業を紹介。

J:説明責任を果たす小学校国語学習ゲーム
講師:鈴木啓司(千葉・浦安市立見明川小学校)ワークショップ型国語授業の開発に日々奮闘している。著書に『論理的な表現力を育てる学習ゲーム』(共著 学事出版)、『ワークショップ型授業で国語が変わる 小学校』(共著 図書文化)などがある。
 論理的な思考力を育てるゲーム「名探偵はだれだ!」や伝え合う力を育てるゲーム「食わず嫌い王スピーチ」などを紹介する。
※『授業づくりネットワーク』2月号ではワークショップ1でしたが、都合により時間を変更しました。

K:朗読・群読で子どもたちと教室を活性化
講師:高橋俊三(前群馬大学、NPO日本朗読文化協会顧問)1936
年東京生まれ。長年、朗読・群読・話すこと・聞くことなど音声言語教育の研究に当たる。テレビ出演多数。特技:駄洒落(本人は、「The洒落」と断じている)
 授業は先ず楽しさから出発と考えている。そして、実力養成。この講座も、「声を出す楽しさ→指導力養成→声を届けることの意味追究」の順。
※講座Rと同じ内容です。

L:音楽をからだいっぱいに感じさせる授業
講師:高倉弘光(筑波大学附属小学校)1965年北海道生まれ。リトミックを基盤にした授業を展開。北海道ムーブメント教育研究会研究部。
 音楽は、頭で考える前に、心やからだで感じて理解するもの。授業ばかりでなく、全校集会などでも使える音楽活動を紹介します。

M:指名しなくてもどの子も発言したくなる授業
講師:今泉博(北海道教育大学釧路校)1949年函館で生まれる。東京都公立小学校教員として33年間勤務。現在は北海道教育大学釧路校助教授。
 子どもたちが生き生き授業にすすんで参加するようにするにはどうすればよいのか、現場体験をもとに語る。

15:00〜17:00 「授業成立の基礎技術」ワークショップ3
O:『こんな時どう言い返す』方式による中学校生徒指導入門
講師:池田修(東京・杉並区立和田中学校)全国教室ディベート連盟常任理事。国語科を実技教科にしたい、学級を楽しく経営したいと考えて実践している。著書『中学校国語科ディベート授業入門』
『こんな時どう言い返す』他。
 「先生、○○?」と突拍子もない生徒の質問に、5秒以内に答えられるかどうかが生徒指導のポイントになります。みなさんの具体的な事例で考え、4月を楽しみに待てる準備をします。

P:安心を生み出すプロジェクト・アドベンチャー
講師:高久啓吾(神奈川・寒川町立一之宮小学校)PAに出会ってから10年、PAを柱にクラスづくりをおこない、その素晴らしさを子ども達と共に感じてきた。講師多数。
 実際に活動のいくつかをおこないながら、PAの楽しさ、よさを「体験学習」していただきます。動きやすい服装でどうぞ。

Q:説明責任を果たす中学校国語学習ゲーム
講師:石川晋(北海道・広尾町立広尾中学校)1967年生まれ。研究集団ことのは所属。北海道子どもの本連絡会会員。執筆『授業をぐ〜んと面白くする中学国語学習ゲーム』
 学習ゲームが国語科の学力形成に有効であることを、実際の学習ゲームを体験しながら学ぶ。

R:朗読・群読で子どもたちと教室を活性化
講師:高橋俊三(前群馬大学、NPO日本朗読文化協会顧問)
※講座Kと同じ内容です。

S:表現を楽しませるハンズオン・マス
講師:坪田耕三(筑波大学附属小学校)横浜国立大学教育人間科学
部非常勤講師。日本数学教育学会常任理事、全国算数授業研究会会長、「算数授業研究」誌編集長、授業のネタ研究会会長、ハンズオン・マス研究会代表。
 盛りだくさんの面白教具を使った授業の紹介と参加者みんなで楽しく学ぶ実技講座。

T:対話を促すディベート
講師:太田昌宏(東京都立荏原看護専門学校講師)NPO法人全国教室ディベート連盟常任理事、研究開発委員会委員長。2001年より企業、自治体で「ディベート研修」の講師をつとめる。
 ディベートを手段にして、クラス全員が議論に参加する仕組みを紹介。議論の“楽しさを味わう”講座。

U:ミニネタで創る知的で楽しい授業
講師:土作彰(奈良・広陵町立真美ケ丘第一小学校)1965年、大阪府河内地方生まれ。日本教育ミニネタ研究会代表。「学級づくり」改革ネットワーク主宰。
 ミニネタとは、ちょっとした教育情報のことで、単独で、あるいは組み合わせて使用することで授業に奥行きと深みを与えることが出来ます。こんなミニネタを時間許す限り紹介し、ちょっぴり「理屈」も紹介します。

17:30〜19:30 懇親会(希望者のみ)

【参加費】
 一般   3000円
 会員   2500円
 一般学生 2000円
 会員学生 1500円

【懇親会費】
 3500円(希望者のみ)

●申し込み方法
 下記についてHP、Eメール、郵便、FAXでご連絡ください。
  (1)氏名
  (2)一般・会員・一般学生・会員学生の別
  (3)〒・住所
  (4)電話・FAX番号
  (5)Eメールアドレス
  (6)勤務先名
  (7)希望するワークショップ型講座
    1(A〜G・Nを選択):(  )
    2(H〜Mを選択)  :(  )
    3(O〜Uを選択)  :(  )
  (8)懇親会参加の有無
 *参加費、懇親会費は当日払いです。
 *当日受付も行いますが、希望する講座に参加できない場合もあります。(各講座の定員30名前後)
 *各講座の詳しい内容は次のアドレスをご覧ください。
  http://www.jugyo.jp/nw2006haru/
 *申し込み後、1週間以内に連絡がない場合は、トラブルが予想されます。恐れ入りますが、再度ご連絡くだ
さい。

●申し込み先
 (HPの場合)
  http://www.jugyo.jp/nw2006haru/
 (Eメールの場合)
  nw2006haru@jugyo.jp
 (郵便・FAXの場合)
  〒162-0814 東京都新宿区新小川町6-12
         授業づくりネットワーク事務局
  TEL&FAX 03-3269-3715

でかい紙に「うしゃあ!」と文字を書く

sho
「気持ちい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!」
「もう一度やりたい〜〜〜〜〜〜い!」
という諸君の声を席書大会終了後に何人からも聞いた。
この授業をやってよかったなあと思ったよ。

こんなにでかい紙に「うしゃあ!」と文字を、しかも筆で書くという経験はあなたの人生では初めてのことだろう。それもたった一枚の紙に書く。書き直しはない。

教室では、書写として『蘇孝慈墓誌銘』を模書してきたが、今回はあなたの好きな詩、短歌、俳句、ことわざ、名言、歌詞などの言葉から、その言葉にあったスタイルの文字で書くという書道に挑戦したのであった。

                  ◆

先日、「書の至宝」という展覧会を東京国立博物館に行ってみてきたのだが、これがまあすごかった。中国で文字が発明され、それが骨に刻まれ、青銅器に残されたころから、日本に伝わり聖徳太子が、藤原定家が、さらに空海に小野道風にと書いた文字が一同に並べられていたのであった。

ま、私が生きている間にこれだけの作品が一カ所に並べられることはないだろうと思って見に行ったのだが、動くはずのない書かれている文字が、踊り出すように、歌い出すように見えた。1000年以上の時を越えて、迫ってくる強さを感じたんだなあ。

墨と紙と筆だけで書き残された文字なのに、思いや考えを残したい、伝えたいという思い、エネルギーが伝わってきたのだよ。

                   ◆

で、今回の書道である。
(ああそうか、自分の好きな言葉を書くってのはこういうことなんだ)
と分かった人がいたのではないかと思う。

これからはますますワープロやインターネットということで、コンピュータを使って文字を書くことが多くなるだろう。それはそれで良い。便利なものは使えば良い。しかし、手書きで伝えることのできる、いや、手書きでなければ伝えることが出来ない「何か」というものがあり、その「何か」を人間は感じることが出来るのである。

たくさんの表現方法を持ち、その中であなたの思いや考えを伝えるのに一番適している方法を使って伝えられるようになってくれると良いなあと思う。

これからも、あなたの言葉、あなたの字を紡ぎ出していってください。

(教科通信「志学」 NO. 51 より)

2006/03/03

西川純先生のお話

はあ、なんとか胃カメラが終わった。
切腹をする事なく、胃の中を確認することができるのだから、これはすごい方法なのだがあのゲーゲーはなんとかならないものか。

検査の経験のある人には分かるだろうが、最初に喉を胃カメラが通過するときがたまらなく辛い。しかし、辛いの向こう側には幸せがあるかと思えば我慢する。辛いは幸せという字に似ているのだ。

みなさんはどうか知らないが、私は検査の最中涙が止まらなかった。なんでだろうか。悲しくて泣くという感じではなく、何か涙の出る場所が胃の中にあって、そこを胃カメラで刺激される事で、涙が出るボタンを押されて出てくるという感じであった。

結果は予想通り。症状からしてこんなことかなあと思っていた事を言われた。
組織の一部を切り取って、検査に回すとの事であった。

ふう、カプセルの中にカメラが内蔵されている検査方法がもっと早くに普及すると良いなあ。

                   ◆

検査の後多少めまいを感じたので、病院の椅子に座って休んでいた。場合に寄ってはこのまま帰宅も考えた。だけど、今日は午後から校内研修会。上越教育大学の西川純先生を御呼びしている。それはできない。

で、慌てて学校に戻る。
朝から何も食べていないのだが、食事は一時から可能といわれた。研修会の始まりも一時。うーむ、困った。

途中、消化の良い食べ物を購入して、学校で研修会の前に食べられればと思ったのだが、ダメであった。お水を一口飲んで、研修会に突入。

「総合的な学習の時間における学びあいについて ー学習集団を育てる指導の在り方ー」

いやあ、良かった。熱のこもったお話。そしてしっかりとした論証。総合的な学習の時間の勘所を丁寧に説明していただけた。遠くからお越しいただけると分かった時、私はどきどきしていたのだが、学校の先生にも伝わったかなあ。

研修会が終わったら、ちょっとまためまいが戻ってきた。
研修会のあと、休暇を取り西川先生を新宿までお送りしながら帰る。

いやあ、良い刺激を頂いた。

さて、今日は早めに寝て、明日あさってで採点だ。

2006/03/02

共時性

例の「オーラの泉」を見てしまっている。
まあ、なんというか、魂とか、精神とか、守護霊とか、前世とか、そういうこともあってもいいかなあと思うことももある。

体に霊魂があるかどうかという話でいつも思うのは、宇宙の成り立ちから言えば、ひょっとしたら霊魂が先にあって、その後に体が出来たのではないかということだ。この場合の霊魂というのは、エネルギーと置き換えてもよい。

ビックバーンによって宇宙が出来たのだとして、そこにはとてつもないエネルギーが発生した訳である。そのエネルギーの種類は現在解明されているものとそうではないものがあるだろう。その解明されていないエネルギーの一部に、いま「霊魂」と呼んえでいるものがあってもおかしくないと思うのだ。

信じる信じないと言う事とは別に、あったとしても上記のような理屈でおかしくはないなあと思う訳である。ただ、私には見えないけどね。そして、見える人がいると言われれば、そういう人もいるのかなあと思う。

だが、私の連れ合いとの共時性についてはちょっとビビる事がある。
(なんでこんなところで会うんだよ!)
と思うことは一回や二回ではない。
同じものを捜していて、同時に店で手にする事もある。

また、私が久しぶりに必要とするものがあって、捜していたら
(もうこれは必要がないから捨てても大丈夫だろう)
と連れ合いが捨てる準備をしていたなんてこともある。これは昨晩の事だ。

そして、こんな会話をした。

「うーん、前世があるとすれば、どこかでつながっていたのかなあ」
「あると思う」

新しい春は、もうすぐである。


2006/03/01

卒業まで、あと15日

本日都立高校の合格発表。
子どもたちのドキドキが伝わってくる日だ。
おかげさまで、学年の生徒全員が行き先は確保する事が出来ました。
よかったあ。

卒業まで、あと15日です。

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