卒業に寄せて
穏やかな春の朝を迎えました。
三年生のみさん、ご卒業おめでとうございます。
去年の春、入学式の準備をテキパキと、しかも笑顔で行う君たちを見ていて、
(ああ、いい学年を担当することができそうだ)
と嬉しく思ったのを昨日のように思い出します。
みなさんとは、たった一年間、同じ時を過ごしただけでした。こんなに気持ちの良い諸君と学びをともにすることができたことは、私にとって大きな喜びでした。ありがとう。
君たちの一人一人の三年間は、良くは分からないけど、私は中学校の時代というと、萩原朔太郎の次の詩を思い浮かべてしまいます。
中学の校庭
われの中学にありたる日は
艶めく情熱になやみたり
いかりて書物をなげすて
ひとり校庭の草に寝ころび居しが
なにものの哀傷ぞ
はるかに青きを飛びさり
天日直射して熱く帽子に照りぬ。
少年期に別れを告げ、青年期に突入した君たちが、和田中学校で大いに学び、大いに感動し、大いに傷つき、大いに助け合い、大人への一歩目を踏み出したことを、そしてその側にいられたことを、私は嬉しく思っています。
◆
こんなにすばらしい諸君であれば、あと二三年は一緒にいたいなあ、同じ時を過ごし、学びを深めたいなあと思うのが本心ですが、それは当然あり得ないこと。君たちは、自らが獲得した新しい道に向かって、今日、その新たな一歩目を踏み出していくことになります。
中学校は義務教育です。将来の君たちに向けて、その基礎を作ります。于武陵が作り、井伏鱒二が訳したこんな詩を身につけておくことも、君の人生に彩りを添えてくれるでしょう。
勧酒
コノサカズキヲ受ケテオクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
勧君金屈卮
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
君たちとは、まだどこかで出会う気がします。
ですが、それは中学の時の君とではなく、中学校の教師としての私ではありません。それぞれ、成長した人として出会うわけです。
お酒が飲めるようになったとき、飲める人とはお酒を、飲めない人とはお茶でも愉しみながら、また会いたましょう。その時を、とても楽しみにしています。
◆
人生無離別
誰知恩愛重
人生 離別無くんば
誰か恩愛の重きを知らん
蘇東坡(そとうば)が、言いたかったことを、今、私は感じています。君たちとサヨナラすることが、君たちから受けた幸せな時間を、こころから感じさせてくれるのです。
もし、私の授業が君たちの人生を支える一部になっているのであれば、本当に幸せです。
私は、君たちに出会えて本当に良かった。ありがとう。
ご卒業、
心から、
おめでとうございます。
(教科通信「志学」 NO. 56 より)
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