« 授業準備 | トップページ | ふわふわしながら »

2006/04/19

何回か目の出会い直し

授業を作るために研究室に持ち込んだ自分の本をひっくり返しては、その出典を確かめている。
(たしか、あの話は、あの本だったよな)
と出典を確認する。

中学校の教師のときは、基本的には私がだいたい分かっていれば良かった出典だが、大学の授業ではそれを先行研究として学生が使う可能性があるので、いい加減なことをするわけにもいかず、あれこれと確認している。

昔懐かしい本を取り出してきて、教師修行を始めたばかりの頃の私が線を引きまくった本、作者の言いたい事が理解できなくて反論を書き込んだ本、当時は何も感じなかったのに今読み直すと胸にぐっと来るフレーズのある本。そんな本達と会話をしながら授業の細案を作り込んでいる。

そして、やっぱり、その中でも家本芳郎先生の本は別格だ。
なんて、こんなに子どもと教師に対して厳しく、温かいのだろうかと思う。

たとえば、『教師のための「話術」入門』(高文研 家本芳郎著 p61  1442円 1991.3)

引用開始 ーーーーーーーーーー

言葉のうえで、どんなに怒っていても、顔を真っ赤にして怒っていても、やさしいまなざしで「目は励ましている」「目は許している」「目は包み込んでいる」それが教師の目である。

引用終了 ーーーーーーーーーー

本当にそうだよなあ。
それが教師だよなあ。

でも家本先生はもういらっしゃらないんだよなあ。
でも本の中から語りかけてくれるんだよなあ。

授業作りをしながら、私は、家本先生に何回か目の出会い直しをしている。

« 授業準備 | トップページ | ふわふわしながら »

コメント

そういう怒り方ができるまでには、あと何年かかるだろうか?自分の大学にも「まだまだ『大学生』になりきっていない『ガキンチョ』」が増えて来た昨今、教室で学生に授業態度を注意するとかいうシーンも増えてきました。「お前、授業中に携帯メールチェックするなよ!」などの低レベルの指導を大学の教室でしなければならないのは、教育的指導よりもイラつき感情の方が表に出がちになってしまいます。数年前にはそんなことまったくする必要がなかったのに。「プレゼンテーションの授業では授業中に携帯が鳴るととても迷惑になります。だから電源は必ず切るようにしてください。」と言って、昔は通じていたものが今は通じない。「大学生になってまで教室でセンコーに叱られてんじゃねぇよ!」とか思うと情けなくなってしまうんですね。
でもこれからはそのような状況にも、対応していかなければならないのでしょう。「大学における生活指導」、そのオキシモロンのような状況に対応できるようになるためには、私の方にさらに大きな包容力が必要となるようです。

大人とは何か、またはどうやって大人になっていくのかををきちんと提示する事ができてこなかったことに問題の一端があるように感じています。

本学でも、生協の雑誌の上に自分の鞄を置いている学生(置いていると私が理解したときは、さっと出て行ってしまったので怒れなかった)などもいて、いつ切れてやろうかと思う私でもあります。

私が中学校の教師として学んできた事の一つに、できなければ年齢に関係なくやるということがあります。かけ算だろうが、掃除だろうがです。

彼らは単にできないだけでなく、教わっていないからできないということがあるということが比較的多くあるという事が分かりました。

すんげー面倒くさいのですが、それを一つ一つ教えると
「へー、そうなんですか」
と嬉しそうに直したりもするわけです。

そういう意味では中学校で良い修行をしたなあと思います。あのときは、頭に来ていましたけどねf(^^;。

そして、どう言い返すかについては、拙著
http://www.gakuji.co.jp/book/4-7619-1140-9.html
をご覧頂ければと。ま、釈迦に説法でしょうけどね。

本日、御陰さまで第二版が書店に並びます。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/95613/9670242

この記事へのトラックバック一覧です: 何回か目の出会い直し:

« 授業準備 | トップページ | ふわふわしながら »