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2006/04/29

あどけない話

一日まったく大学に行かなかったのは、今日がはじめてである。先月の30日に京都入りして一ヶ月だから、良く大学に通ったものだ。

今日は高校訪問する予定が流れたので、大学には行かず自宅と近辺で仕事をしていた。
授業作りネットワークの原稿の推敲と、去年から連載しているひまわり社のHPの原稿である。去年が「教育におけるデジタルカメラの活用」ということで、今年が「教育におけるパソコン・インターネットの活用」というテーマである。

カメラは高校時代に白黒フィルムを自分で現像したりしていたし、パソコン通信も比較的早い時代に始めていたが、まさか私がこういう連載をするとは思わなかった。もともと書道のベースがあるので、コンピュータなんかやらないと思っていたんだけどねえ。

            ◆

午後からは、近くの岡崎公園を散策する。疏水の桜はすっかりと葉桜。しかし、大手まりの桜や枝垂れ桜はまだ咲いていた。長いなあ、桜の季節。

市営美術館の広場には、修学旅行の生徒達が集合していた。制服、私服、ジャージ。それぞれの学校の指導によって同じ修学旅行でも随分違うなあと改めて思う。そして、その集団を指導している先生。
(俺も、二年前の楢原中学校の時には、ここにいたんだよなあ)
と改めて思う。

桜が満開の時には一杯だった疏水沿いのベンチも、人はまばら。座って本を読み始めると、鳩がやって来る。
「餌はないよ。私は読書だよ」
と話しながら、寝転がって読書を進める。すると、そこには春の光を受けた葉桜が一杯であった。

そうだと思い出したのは、高村光太郎の詩である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

引用終了 ーーーーーーーーーー

私も少し、人の生活を取り戻しつつあるかなあと思う。

            ◆

その後、美術館、動物園の入り口まで歩き入る事はせずに、図書館に向かう。
平安神宮の入り口の左側に大きな図書館があるのだ。やっと入れる。

雑誌を確認し、(ここで良い情報を得た)インターネットの環境と、DVDの環境を確認。
十分仕事ができることが分かり、満足満足。

聖蹟桜ヶ丘にいるときは、自宅で外の景色を眺めながらやっていたが、外に出て空気を感じてやるのもいいなあ。

ずっと大学にいて帰ってくるのは、近辺が真っ暗になってからだったから住んでいる町の夕暮れを見る事がなかった。西日の当たる比叡山は若葉がきれい。大阪の方面に沈む夕日も見事だ。

明日のネットワークの最後の準備をするか。

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