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2006/04/22

別れと出会いの一日

風呂に入り、ひげを剃り、新しいシャツとネクタイを選ぶ。中学校の教師は辞したが、これが最後の中学校の授業だと思い、気持ちを改める。

朝日が出窓から入ってくる。出窓の向こうは、新緑だ。
ああ、瑞々しい朝だ。

            ◆

で、学校に行く前に、歯医者に飛び込みで行く。差し歯がぐらついているのだ。京都で良い歯医者を捜さなければとは思うのだが、まずは差し歯の延命治療をしてもらいにかかりつけの歯医者に向かう。根っこが厳しい状態にあるが、もたせるしかない。

            ◆

歯が落ち着くまで、通い慣れた本屋に向かい、研究室に必要な本を買いあさる。思うに引っ越しというのは、パソコンで言うところのOSの変更と同じではないかと思う。

パソコンを使ってやる事は、マックでもウインドウズでもリナックスでも同じだろうが、その使い勝手が違う。引っ越しをしても生活を続けていく事には変わりないのだが、その生活の勝手が全く違ってしまう。本屋はどこにある、美容院はどこがいい、歯医者は、ラーメン屋は? と最初から学習し直さなければならない。

これを村上春樹などは「引っ越しは過去がチャラになるのが良い」なんて言って、引っ越しを繰り返すのだが、私はどうもそうではないらしい。何に出会うのかというわくわくも良いが、まあ、それは旅で良いかなとも思う。生活は、どこに行けば何がどういう状態であるのかというのが分かっている方が良いなあ。

            ◆

昼ご飯は、久しぶりに「亀我楽」。
嬉しい。
じっくりと味わって食す。
おいしい。

そして、あることをご主人に相談。
そうすると、快諾してくれる。
これで、安心して京都でも暮らせる。

            ◆

和田中学校のある堀之内二丁目のバス停で降りる。
信号待ちをしていたら、一緒の学年で仕事をしていたY先生に会う。
一緒に離任式に出席することになっている。よくバス停から一緒に歩いたよなあ。

校長室で開始の時間を待つ。
まあ、いろいろなことがあったよなあと思い出す。

開始の時間になり、体育館に向かう。なぜかスピーチは一番最初。先頭を歩く。音楽も拍手もないので、ちょっと緊張、するかと思ったが全然しない。自然と微笑んでしまう。ステージの上から子どもたちを見ると、いるいる、懐かしい顔。ああ、ここには中学校の日常があるなと思った。

和田中学校では、生徒のスピーチはすべて暗記という伝統がある。ま、生徒がそうだからといって教師もそうする必要はないのだが、私もそうした。

最後の授業である。自己紹介のあと、中学生とは何かという話をした。一部を思い出して書いてみる。

「私は生徒に指導しているつもりでいたけど、実は君たちから育てられていたのではないかと最近は思っている。こんなだらしのない私がそれなりに中学校の教師という仕事をすることができたのは、中学生である君たちにそだて貰ったからではないかと思います。ありがとう。

で、中学生とは何かを考えてみました。
小学校の学校の目標は、ま、簡単に言うと「いい子になろう」ではないかと思うのです。が、中学校はどうでしょうか? 日本中どこの中学校を見ても「いい子になろう」なんてことはないと思います。なぜでしょうか。中学校は大人に向かってい一歩を踏み出す場所だからです。

君たちは子どもですか、大人ですか。子どもかもしれないし、子どもと大人の間かもしれないし、大人かもしれません。では、大人ではないという人に聞いてみたいのですが、ずっと大人にならないでいられる人っていますか? いませんよね。そうなんです、大人には、ならざるをえないのです。そうだとすれば、君たちには是非カッチョエー大人になってほしいのです。その一歩目を学ぶのが中学生の時代だと思うのです。

小学校の先生の仕事は、海に眠っているかもしれない、山に埋まっているかもしれない宝石の原石である君を取り出す事ではないかと思っています。君は原石の宝石のままで中学校にやってきました。

中学校の教師であった私は、その原石である君を磨く事が仕事だと思っていました。玉磨かざれば光無しという言葉がありますが、そのことをやろうと思って仕事をしていました。

だけど、違うんだなあと仕事を進めるに従って思うようになりました。君たちは原石ではありますが、石ではありません。人間なんですね。先生が磨かなくとも、自分で自分を磨く事ができるのですね。さらに、あなたは仲間と磨き合う事ができるのですね。それを切磋琢磨というのではないかと思うようになりました。

中学校ってそれができる場所なんですね。中学生ってそれができる時期なんですね」

話の後、クラブの子どもたちから言葉と花束を貰った。ちょっと照れてしまったが、嬉しかったな。全国大会で会おう。

校長室で次の会を待っていたら、三年生が何人か顔を出した。
「先生、『たほいや』やろうよ」
と。
やっぱり、俺はたほいやか(^^)。
そして、なぜか私のお腹を触る。
「ぷにょぷにょして気持ちいー」
うーん、この生徒はこういう一面を持っていたのか、と最後の最後に分かる。
本当は、こういう触れ合いをしたかったんだろうなあ。
『これこれ、セクハラはやめんしゃい』
というが、
「だって気持ちいいんだもん」
まあ、もうこんなこともないから好きないようにさせておいた。

その後、PTAの歓送迎会でお茶を飲み、和田中を後にしようとしたら、去年指導していた生徒達が、いた。おーおー、スカートも短く化粧もしているなあ。やっぱり今風の高校生になったか。でも、笑顔は変わっていないなあ、良かった。男の子達は、シャツを出して着ていた。やりたかったんだろうなあ。見せたかったんだろうなあ(^^)。

さらば、和田中学校である。

            ◆

さて、その後は学芸大学の大熊研究室の歓送迎会である。
5月にある学会の打ち合わせがメインだが、さらに私の転職のお祝いもして下さるというので国分寺に向かった。

今年院にやってきた新人は、なんと国学院の後輩。恩師の話等で盛り上がる。また、14条特例で合格した現職の先生とも熱く話す。研究室での過ごし方の奥義も伝える。

別れと出会いの一日であった。

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コメント

離任式のお話や、別れる子どもたちとの会話に池田さんらしさを感じます。儀式で話すことや、節目でプライベートに話すことって、実はとてもだいじな教材ですね。池田さんの話術にはいつも感心させられますが、子どもたちにとってもさぞかし印象深い一日だったことでしょう。

大学での実践の様子をブログで楽しみに読ませて頂いています。どうぞ健康に気をつけて京都を楽しみながら研究を深めてください。

コメントありがとうございます。
金曜日にお会いできるかと思ったのですが、残念。
しかし受賞おめでとうございます。

離任式、参加どうしようかと思ったのですが思い切って参加して良かったと思いました。だって遠いし交通費は自腹だしf(^^;。

ほんの10分にも満たない話でしたが、中学生に向けての最後の授業をすることができたかなと思います。

京都での生活はまだ始まったばかりで、授業も少なくなんだかよくわからないままに過ぎています。

が、大学の教員としてのスタートを切った訳ですから、中学校の教員の時と同じく最初の三年間で決まると思うので、あの頃の事を思い出してやろうと思っています。

ま、人はそんなに変わらないので、変な私は私のままだと思いますが。盛岡で会えるのを楽しみにしています。

では。

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