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2006/05/31

そんな初夏の風

朝早起きして、家の中の床という床、棚という棚のすべてを水拭きする。二時間ぐらいかかる。新築とはいえ、二ヶ月間使っていなかったためか結構な埃。だけど、スッキリだ。奥さん、新居の準備はバッチリだぜ。

ついでに、先日の一人カラオケの時に着ていたタバコの匂いの付いてしまったラガシャツも洗濯。まだ洗濯機がないので、洗面所で手洗い。ふう。こういうのもなんか良いな。

さらについでにミストサウナを体験。ここで分かった事は、ミストサウナの時には風呂で本が読めないという事f(^^;。痛し痒しである。

            ◆

大学では新学科開設のための準備。学会の時につかった研究費の清算。また、明日の高校での模擬授業の準備などをしながら過ごす。

気がつくと日が落ちようとしていた。笑っちゃうぐらい一日が早い。
事務方に用事があって、外に出たら下弦の月が出ていた。
そして、初夏の夜の匂い、木々の精霊のため息のような何かが、風に乗って流れてきた。

そんな初夏の風と言えば、川上澄生である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

わがねがい 川上澄生

われは かぜとなりたや
あのひとの うしろよりふき
あのひとの まへにはだかる
はつなつの かぜとなりたや

引用終了 ーーーーーーーーーー

この詩は、アンソロジーノートではほぼ確実に教えてきた詩である。
やっぱり、いい詩だなあ。

切ない五月が今日で終わる。

2006/05/30

を、JR湖西線の列車の音がする

ふう、引っ越し第一陣が終わった。

6階のマンスリーマンションから荷物を運び出し、11階の新居に運ぶ。
たった二ヶ月のマンスリーマンションであったが、感謝感謝。最後に部屋を出る時には、
『家神様ありがとうございました』
と御礼を述べた。

新居はJRの西大津駅の駅前のマンションである。
マンションは、ちょっと新しくなると設備が格段に良くなる。聖蹟桜ヶ丘のマンションにはない設備も揃っている。風呂好きの私にとっては「ミストサウナ」が楽しみである。

新居から大学までは10KM以内なので、通勤も楽になる。今日は旧居、大学、新居、旧居、大学、新居と動き回ったのだが、走行距離は30キロも満たないかなあ。

を、JR湖西線の列車の音がする。

聖蹟桜ヶ丘の家の時は、京王線の明かりと音が聞こえたが、ここでは湖西線。で、気がついたのだが聖蹟と西大津は結構似ているかもしれない。

1)ランドマークタワーのマンションが街にある。
2)駅に近い。
3)水に近い。
4)花火がある。
5)大きなスーパーがある。

特に夜バイパスから西大津の街を見ると、そっくりだと思う。

意外と早くこの街に馴染めるかもしれない。

2006/05/29

今月の歌詞 5月ー2 いつか街であったなら

いつか街であったなら 中村雅俊

何気ない毎日が風のように過ぎていく
この街で君と出会い この街で君と過ごす
この街で君と別れたことも 僕はきっと忘れるだろう
それでもいつか どこかの街であったなら 肩を叩いて微笑んでおくれ

さりげない優しさが僕の胸を締め付けた
この街で僕を愛し この街で僕を憎み
この街で夢を壊した事も君はきっと忘れるだろう
それでもいつか どこかの街であったなら 肩を叩いて微笑み合おう

それでもいつか どこかの街であったなら 肩を叩いて微笑み合おう
それでもいつか どこかの街であったなら 肩を叩いて微笑み合おう

            ◆

新緑から深緑へと移り変わる季節に、私はこの街を離れて次の街に行こうとしている。別に誰かに恋をしたわけでもないし、誰かを憎んだわけでもない。だけど、そんな気持ちがしてくる。

京都の木屋町、河原町、東山、祇園と歩いていると井の頭公園で歩いていたあの頃の事がよみがえる気がする。

「出会い、過ごし、別れ、愛し、憎み、夢を壊し」と心を動かしながら、時間は過ぎていく。
そうであっても、緑は美しく街は輝いたままだ。そんな五月の歌ではないか。

一人カラオケ

関根勤さんの『バカポジティブ』という本がある。私は彼の笑いが好きで、本も楽しく読む事が出来た。その中に、
(うーん、禁断の遊びだなあ)
と思うものが紹介されていた。それは、

「一人カラオケ」

である。

一人でカラオケに入るなんて、友達がいない奴ではないかと思われるし、そもそも聞いてくれる人がいないのに楽しいのかという問題もあるが、関根さんは勧めていた。

            ◆

学会に行く前の仕事、さらに学会での三日間週末を過ごした私は、今日をオフと決めてジュンク堂まで本を買いにいったのだ。その前に腹ごしらえ。

昼ご飯に、「眠眠」の餃子を食べる。
実は京都の餃子は「王将」ではなく「眠眠」がルーツであるという事を聞いたので食べた。「王将」より上品だが、私は「王将」に慣れてしまったなあ。

で、ジュンク堂で本を漁り、帰りを急いでいたらちょっと雲行きが怪しくなってきた。パラパラと来た。そんなところにカラオケボックスがあった。これは禁断の遊びをするしかないと、入店。

しかしねえ、昼間とはいえソフトドリンク飲み放題で、一人30分で140円は安すぎないか?1時間いたけど280円だったぞ。これじゃあ、喫茶店でコーヒーを飲むよりも安い。

順番を気にせず自分の歌いたい曲を歌いたいように歌う。
確かにこれはいい。

平井堅、イーグルス、中村雅俊、杏里、アンルイス、森高千里と、そりゃあ日頃なら歌わない曲をガンガン歌う。ちょっと癖になるかも。

            ◆

とまあこんなことができる木屋町がすぐ近くにあるマンションの生活も、今月一杯でオシマイ。6月からは正式に新しい家で過ごす事になる。奥さんはいま東京で引っ越しの下準備をしてくれている。ありがたいことだ。

で、奥さんと電話で話していたのだが、青梅の教員住宅から聖蹟桜ヶ丘のマンションに引っ越す時は、実のところそんなに切なさを感じなかった。自分たちが選びに選んで買った住まいに引っ越せる喜びに満ちあふれていたのだろう。

だから、聖蹟桜ヶ丘の家を離れて京都に来るということが動き出すと、本当に切なかった。でもそれは持ち家だからかと思っていたのだが、今、この京都でたった二ヶ月間だけ過ごしたマンションを離れるとなると、聖蹟桜ヶ丘の家を離れる事の切なさには及ばないが、それでも切なさがあることに驚いている。

なんでかと考えていたのだが、東京から京都へ移ってきた時の混乱の二ヶ月間を支えてくれたからではないだろうかということに落ち着いた。そう、もう京都の生活を始めて二ヶ月が経つんだな。

            ◆

明日は新居の鍵の引き渡し。このマンスリーマンションの荷物も新居に運ぶ。下準備はもうしてもらってあるのだが、最終の準備を始める。なんもと切ないや。しかし、この切なさの積み重ねが人生なんだろうなあ。

明日の夜は新居かも。

2006/05/28

二日目

二日目は、午前中知り合いの先生が発表をされていて、全部回ろうとしたのだが、朝、なぜか熱っぽくてしばらくホテルで様子を見ていたら、門島先生と寺崎先生の発表しか見る事が出来なかった。残念。今度富山に伺います。そして、授業を見せて下さいね。さらに、「きときと」の魚も食べさせて下さいねf(^^;。

だが、午後の提案授業とその後の検討会も熱かった。
難波先生が、小学校4年生を対象にして授業を行う。宮沢賢治の詩をもとに太鼓を叩きながら詩を読み、生徒の表出を狙おうとするものであった。

45分の授業の後、検討会では東北福祉大学の上條先生と岩手大学の藤井先生が提案者に加わりながら、小学校国語の授業の今後の方向性について検討を重ねた。司会は秋田大学の阿部先生。

            ◆

で、授業の評価であるが、二つに分かれた。非常に提案性のある授業で良かったという意見と、これは国語の授業なのか、いやそもそも授業なのかというものである。

授業研究は難しいなあと改めて思った。
提案授業であるから、提案の方向性をきちんと伝える事が大事である。そして、その方向性に導かれて検討を行うものだと私は思う。

しかし、

・方向性が見えない人
・方向性が見えない授業
・方向性が違うと考える人
・方向性が良いと考える人
・自分の方向性に縛られて授業を見る人

など色々なスタンスを持つ人が、一つの授業について考えを述べる。中には、一回目は褒めておきながら、二回目の発言ではケチョンパンに言う人もいて、なんだあと思ったりもした。

授業は、やりたいことと出来た事の差があって当然で、飛び込み授業(つまり、日頃授業をしていない子どもたちに向かって行う授業)であり、提案授業であれば提案の大胆さによってその可能性はさらに広がるのは当然だと思う。

だから、何をしたかったのかという方向性を元に議論する事が大事だと思う。

会場では、岩手の中学国語教育の巨人、南先生にも会う。同じ年齢ではあるが、私とは違いじっくりと落ち着いた実践をされる方だ。なにが凄いと言って、自分の実践を毎年冊子にまとめているのが凄い。今年で第7集となる。これを頂いた。こういう地道な研究が太い実践を支えるのだろうなあ。

良い刺激をまた貰った。

終了時間を3分残し、会場を後にする。盛岡駅から飛行場に向かうバスに乗り遅れそうだったからだ。乗れてよかったけど。

            ◆

飛行場では、飛行機の出発が遅れるとのことだったので、ちょと早めの食事。ジャジャ麺を食す。これで盛岡三大麺、椀子そば、冷麺、ジャジャ麺を食すことができた。良かった良かった。

で、麺を食べながら思った。私はどこに帰るのであろうかと。

聖蹟桜ヶ丘に戻るという感覚はもうあまりない自分に気づいた。だけど、京都に帰るという実感もあまりない。引っ越しを控えていて「戻る」という感覚がないのかもしれない。奥さんは、聖蹟桜ヶ丘の家の荷物を整理し始めたと電話で話していた。

帰るのではなく、新しい旅立ちということを体が理解しているのかもしれない。

さあ、搭乗が始まった。


全国大学国語教育学会初日

全国大学国語教育学会初日。朝食の会場で国立教育政策研究所の有元先生とお会いする。私が大学に移った事を喜んでくださり、今後の事もいろいろとアドヴァイスをしていただいた。嬉しいねえ。

            ◆

大熊先生と待ち合わせをして、タクシーで岩手大学にに移動。
広いなあ。大学の中もタクシーで移動するわけだから。
新緑がとても美しい。

            ◆

午前中は5つの発表を聞く。
圧巻は、岩手大学の望月善次先生であった。
望月先生では歌人でもある。有名な先生だ。
昔、先生とはインターネットを使って連句を遊んでいただいたことがある。

その作風、作品に、あたたかく熱いお人柄を感じていたが、実際にお会いするようになってからますますその思いを強く抱くようになった。

今日のご発表は、
「教師力量モデルと大学教育の距離 〜 国語科教師教育研究整理の一環として 〜」
というタイトルであった。

先生が、教師に成りたいと若き日に思ったその熱い思いからスタートした研究を、続けられていることに胸を打たれた。そして、その研究から学びたいと思った。

朴訥とした語り、そう発表ではあるのだが、「語り」という表現がぴったりのご発表であった。

私もその熱さに打たれて、質問をしてしまった。

『教員の免許更新制度が、現職の教員にもという話が出てきていますが、先生の教師力量モデルとの関連からすると、どのような関連が考えられるでしょうか』

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060526-00000033-mai-soci&kz=soci

と質問をしたところ、
「池田会員からのご質問ですが、更新制度そのものは大事なところがあると思いますが、今回の免許更新制度には、教育に対する愛がないので反対です」
とズバッと答えていただいた。

同じく国語の研究を志す者として、学会に参加している研究者に対して、望月先生は、どんなに若い必ず「○○会員」と同じ土俵に置いて話をされる。こういう言葉遣いをされると、しっかりと勉強しなければなあと思う。

            ◆

もう一つ挙げるとすれば、やはり難波先生@広島大学の発表だった。
国語科の解体と再生をキーワードにし、これを真摯に研究されている。

私も今の国語科は二つの部分で大いに不満である。
1)授業時数が少なすぎる。
2)扱う領域が偏りすぎる。
というものである。

私の研究キーワードは、「国語科を実技教科にしたい」であるが、難波先生の知見に学びながら、研究を進めたいなあと思った。

            ◆

午後は、パネルディスカッション。先週も全私教協のパネルディスカッションでお顔を拝見した藤原和博先生が登壇。ご縁があるなあf(^^;。

途中で突然に私に話を振られてしまい参ったが、まあ、それもありか。

            ◆

学会の懇親会は、そりゃあ日本の国語教育のお歴々だらけである。雑誌か、遠くからお顔を拝見しただけの先生ばかり。ちょっと緊張しながら参加。
オープニングに岩手農林高校の学生による、鹿踊が披露される。いいもんだなあ。

懇親会では、たくさんの研究者の方とお話ができた。
広島大学の難波先生のブログも読んでいる事を本人に伝えるf(^^;。かなり驚かれていた。
信州大学の藤森先生は、なぜか私と似ているという話で難波先生と日体大の奥泉先生が盛り上がる。そういえば、私の母方のおじさんに似ているかも。
秋田大学の阿部先生には、山梨大学の須貝先生を紹介してもらう
「私と同じ、竹内先生のゼミで、私の後輩ね」
と。

そして、みなさんが
「良かったね、池田さん。大学でのご活躍楽しみにしているよ」
と言って下さった。幸せである。

            ◆

その後、二次会で学芸大学の仲間達と飲む。
若い仲間達と飲むというのは、非常にエネルギーを貰える。
自分の実践や研究で、考えになる前の思いを語り合っていると、自分の思いが考えの方向に向かっていくのを感じる瞬間がある。これが嬉しい。

この時に感じた瞬間が、後から具体的に何らかの形になることもある。
もちろん、お酒を飲まなければなんも出てこないというのでは、単なるアル中ーだ。
そうではなくて、心がゆったりしたときに出てくるこの閃きの瞬間がいいんだなあ。

会計をしているときに、みなさんと逸れてしまい、私は一人でホテルに戻る。
戻れてよかったあ。

2006/05/26

え、ここが?

MKタクシーは、ドアツードアで飛行場まで運んでくれる。京都市内からだったら2000円/人である。地下鉄を使って空港リムジンバスで行くよりも安い。これで伊丹空港に向かう。

道が空いていて、出発の1時間30分も前に着いてしまった。ま、そういうのも良いだろう。御陰で翼より前の窓側の席を確保する事が出来た。

            ◆

離陸直後の飛行機からは、大阪の街がよく見えた。一番印象的だったのは、学校が多いということだ。やたらグラウンドが目に入る。

さらに、一瞬だが確実に「太陽の塔」が見えた! 大阪万博のシンボルだ。なんかとても得した気分であった。

その後、飛行機は雲の中を飛び続け、この世なのか、あの世なのか分からない景色であった。

            ◆

いわて花巻空港を眼下に収める頃には、一緒に田植えが終わったばかりの一面の田圃が飛行機の窓に広がった。旋回をしながら飛行場に迫っていくので、なかなか刺激的なアングルであった。

乗り継ぎバスで、一路盛岡駅に向かう。ひたすら寝る。旅行の疲れは時間ではなく、移動距離だというが確かにその通りだ。はあ。

盛岡駅でスーパー等を見て歩いていたら、回転寿しがあった。時間は11時過ぎだが朝ご飯が早かったので軽く食すかと思って入る。ところが、これがおいしい。ほやの握りなんて珍味であった。たっぷり食べてしまった。恐るべし三陸の海。

            ◆

食後、宿泊先のホテルに荷物を預け次の予定を確認しているときに、ふと思いついた。
(そうだ、盛岡なんだから、佐藤さんに連絡を取ってみよう)
ダメもとで連絡をして、上手く行ったら夕ご飯を一緒にとなれば嬉しいと思ったわけだ。

職場に電話をしてしまって申し訳なかったが、佐藤先生は気持ちよく電話に出てくれた。ところが、残念ながら明日が運動会という事で、今晩も明日の夜も無理。

しかし、つい昨日、突然やってきた学生に文句を言っているその口が乾かないうちに、突然佐藤先生に電話をしている私って、まったく情けないなあf(^^;。

            ◆

その佐藤先生との話は、「森の風」というホテルからした。私が泊まろうとしているホテルから無料のシャトルバスが出ていて、ゆっくり出来そうだったので向かった。そこでの会話。

『いやあ、いま森の風というホテルにいるんですよ』
「え、それはすごい。岩手で一番良いホテルですよ」
『え、ここが?』
「ま、岩手ではそんなもんです」

いやあ、言葉は難しいなあと思った。私が『え、ここが?』と言ったのは、(この程度で岩手で一番なの?)という意味で言ったわけではない。私は
(たまたま無料のシャトルバスがあったので言ってみようと思ったホテルだったのに、一番良いところに来られたのだ! ラッキー)
と言う意味で、『え、ここが?』と言ったのだが、そのようには伝わらなかった。佐藤先生、そういうことです!

            ◆

ホテルでは、じっくりと本を読んで過ごす。
久々に、良い実践の本だ。来年の教科書に指定しても良いぐらいかもしれない。
まだ半分だが、読み終えたらこの本について書こうかな。

            ◆

森の風ホテルから盛岡駅にバスで戻る。
駅前で、大熊先生らと待ち合わせである。
今宵は「わんこそば」である。私ははじめての挑戦である。

結果的に101杯平らげる事が出来た。記念のお札も頂いた。
いやあ、お腹いっぱい。わんこそばの次に軽く飲みに行こうなんて言っていたが、とても無理であった。

今宵は、静かにおやすみなさいである。

2006/05/25

学生から相談を受ける

生活指導で急遽授業が振り回されるという事はさすがに大学ではないが、学生からの相談で振り回されるということはある。

ま、相談しにくるようになった事は喜ばしい事だ。そして、私も予約も取らずに先生の研究室に突然訪問して、相談しては
「もっと早くに相談しにくるように」
と言われていたのだから、今年は文句は言わない。いや、言えないf(^^;。

ぎりぎり授業の準備が間に合ったから良かったか。

            ◆

今日の相談の一人目は、教員採用試験の自己紹介の文章を見てほしいというもの。一読したが、及第点には及ばないものであった。本人もそれは分かっているのだが、どこをどう直したら良いのかが分からないとのこと。

そこで、いくつかの観点を示し、具体例を出し、書き直すように指示。月曜日に提出だというが、私は明日から日曜日まで盛岡で学会。授業の後に見ることを約束する。

            ◆

なんとか仕上がった授業のプリントを印刷に行く途中に、もう一人の学生から相談を受ける。
「教育実習でやる教材が指示されたのですけど、先生に教えていただいた授業の導入の大切さを考えると、どうやって導入をしたら良いのか分からなくなってしまったので、教えていただきたいんです」
とのこと。

うーん、今夜は学科の先生方と親睦会があり、授業が終わったらすぐに出発する事になっているんだが、この学生も月曜日から実習との事。

実習の範囲がギリギリまで分からないというのは、現場ではギリギリ進度が揃わないことがあるので仕方のない事。よし、親睦会ちょっと遅れる事にして、面倒見よう。

            ◆

5限の授業の後、研究室で二人の指導をする。
一人目の生徒は、自己紹介を具体化したことで前半はかなり良くなる。前半の流れから後半のポイントにつなげ方を考えさせた。

二人目は、前回の自主勉強会で仲間がやった模擬授業を見て、導入の大切さを理解したものの、さてどうしたらいいのかということだったので、導入の一般的なパターンと、指示の的確さが大事だという事と、いくつかのアイディアを話して考えさせた。
参考図書を三冊持たせて、
『うしゃあ、頑張れよ!』
と送り出す。私は懇親会に15分遅れで参加できた。

この懇親会で出た話題が凄かったが、これはblogには書けない。いやあ、大学ってすごいや。

            ◆

さて、明日は5:50amに伊丹空港直行のタクシーが迎えにくる。
荷物はなんとかまとまったので、寝る事にしよう。
おやすみなさい。

枕詞で語られる事

元ヤンキー義家先生、真鍋かおりさんを見ていて、最近思うことがある。私の思いなのでそこそこに読んで下さい。

なんかね、義家先生は元ヤンキーを代表して発言していて、真鍋さんは若者を代表してコメントする事が多いんだけど、どうもズレている感じがするんですね。つまり、現役ヤンキーはもう義家さんを相手にしていないし、若者も真鍋さんを相手にしていないと感じるのですよ。

ところが、二人を取り上げる時には相変わらず「元ヤンキー」「若者代表」という枕詞で語られる事が多い。そして、二人もそれをその通りとして受け入れている。

            ◆

特に義家先生を見ていると、痛々しさも感じてしまう。教師になるまでのストーリーは、事実であるとすればすごいなあと思う。私には出来ないなあと思う。

であるが、義家先生からは、読者や生徒が先生の姿を見て学ぶ事であり、自分の生き方から生徒に指導する事ではないような気がする。さらに言えば、自分の生き方をベースにした教育論ではなく、生徒を指導してきた部分からの教育論が薄いなあとも思う。

子どもの事実は非常にさまざまで、臨床から学ぶことは多い。そして、論証の事例は一般化できない事も多い。だけど、彼は自分の事例を一般化しているとも言えるわけだ。

            ◆

と、他人を批判しているようであるが、実はこれは自戒の文章なのである。

中学校の現場から大学に移った私は、実践ベースの指導をする。中学校現場の代表だというつもりはないが、いつの間にかそのような枕詞で定義され、思い込むようになり、やがてそう思っているのは自分だけとならないように自戒しなければならない。

2006/05/24

吉祥寺でも行ったHUBに出向き

で、急遽思いついた。車で京都に行こうと。

引っ越しの荷物で研究室に置くものを車に積んで、朝の5時に家を出た。
中央道に進路を取った。
霧の出ていた諏訪湖までの道では、眠気が襲いPAで寝ながら進んだ。

名古屋を過ぎてからはあっという間に大津PAにたどり着いた。そこから今度の新居も見えた。大学についたのは、家を出て6時間後、485KMであった。新緑の中の疾走は、心地良かった。

この程度のドライブなら、まあ、ありだなと思った。

             ◆

教授会の後、昔の仲間と飲む。
全国教室ディベート連盟の前に、ディベートの研究会に参加していたのだがそのときの仲間が
今年大学に奉職し、同志社大学で授業のために京都に来ていたのだ。もう、15年前からの仲間だ。

吉祥寺でも行ったHUBに出向き、仲間の友人ご夫妻と一緒に4人で楽しい時間を過ごす。この友人ご夫妻も大学の先生で、私の疑問に対して、いろいろな事を教えてもらう。いやあ、楽しい。

専門家に質問をすると、自分の予測とは違う答えが返ってくる。知らない内容が返ってくるというよりは、知っている内容の知っている方向、つまりベクトルが違っているという事を教えてくれる。これが嬉しい。つまり、定義とか哲学とかという世界だ。

出会いを作ってくれた、仲間に感謝。

引っ越す算段が始まった

いよいよ聖蹟の家から引っ越す算段が始まった。
引っ越し業者を選定。我が家を貸し出す準備である。

東京からの引っ越し。見積もりをしてもらったらなんと70万円弱とのこと。ひえ〜で
ある。しかし、それは定価。ここからが値引き交渉である。もちろん3月などの一番忙
しいときには、定価から値引かれることはない。しかし、今は繁忙期ではない。どちら
かというと暇な時期である。強気の交渉(笑)。結果的には驚きの金額で妥結。ディベ
ートはやっておくもんだわい(笑)。

新居は滋賀県の大津市。琵琶湖が玄関やテラスから望める。おそらく花火大会も見るこ
とができるのではないかと思う。京都駅まで12分で着く。西大津駅が最寄りの駅にな
る。駅からは驚きの一分。新幹線を京都で降りて20分もすれば、我が家にいるでしょ
う。
しかし、まあ、京都・滋賀の不動産を借りるのは面倒くさい。保証金はすんごい高いし
、契約書に連帯保証人は二人も必要だし。実家を回って契約書に実印を押してもらう。
ありがたい。

我が家を貸すかどうかは考えたが、やはり使っても使わなくても痛むし、資産の有効運
用を考えれば、そのままにしておくことはできない。いくつかの業者を選んで貸し出し
を考えているけど、このblogを読まれている方で聖蹟の我が家を借りたいという方いら
っしゃいますか。優先的に考えますけど(笑)。

非常に疲れたが、近来まれに見る充実した一日だった。
引っ越しは、月末になる。

2006/05/22

ルールには幅がある

大学のある椥辻駅の交差点は、幹線道路の青信号が長くとってあり、地下鉄の入り口に向かう歩行者用の信号は結構待つ事になる。先日も待っていた。向こう側にはおばあさんがいた。こちら側には、青信号を待ちきれないでイライラしている高校生がいた。そして、青信号になるちょっと前に横断歩道を渡り始めた。
(危ない)
向こう側のおばあさんが、その高校生の動きを見て歩き始めたのだ。

幸いにしておばあさんは大丈夫であったが、こういうのは非常にまずいと思う。私が学活で子どもたちに良く言っていたのは、
『先生だって、真夜中の赤信号で車が来なければ渡ってしまう事はあります。が、絶対やってはいけないのが、その交差点で信号待ちをしている人に、子どもとお年寄りがいる時です』
ということだ。
『子どもは、ルールを守らなくてもいいと大人から学んでしまう。そして、お年寄りは信号ではなくて人の動きに反応してしまう。君たちは、車が来たら戻ったりよけたりする事は出来るかもしれないが、お年寄りはこれが出来ない。だから、状況を判断して赤信号でも絶対に渡っては行けない場合があることを理解しなければならない』
と。

ルールに幅があるなんてのは、本当かどうかは分からないが、私はそこが運用というか教育だと思っている。

            ◆

教師になりたての頃、職員会議で大笑いされた事がある。
「○○ということを子どもたちにきちんと守らせて下さい」
という発言があった。○○は名札を付けさせるかなにかだった気がする。私は、
『ちょっと時間が欲しいのですが』
「なぜですか」
『守らせるのには、なんというか生徒に指導の段階と言うか、幅を持たせないと上手く行かないと思うのです』
と言ったところ、
「決まりに幅があるなんて聞いた事がありません」
と大笑いされたのだ。

私はそれでも
『いや、ルールがある以上、目標としては分かるのですが、それは私が分かる事であり、子どもたちが分かる事かというと、違うんではないかと。また、分かったとしても納得するのにはいろいろな説明が必要になると思うのです』
のようなことを言った。
しかし、
「ルールなんだから、とにかく守らせれば良いんだ」
の一言が支配した。私の次の言葉を言わせない発言であった。

私は争うのをやめて
『努力します』
のように答えたと思う。

            ◆

でも、今でも考え方は変わっていない。名札なんて学校によっては個人情報が漏れるから危険で付けるなというところもあれば、プラスチックの板に名前を彫ってそれを制服に縫い付けている学校もある。学校によって理由は色々なのだ。それをきちんと説明して、子どもたちが、なるほどそういう流れがあったのかと分からせる事が大事だと思っている。

ルールは、守る事と変える事が大事で、どういう流れでルールが出来たのかと学習する事が、新しいルールを作る事、または今のルールを守る必要性を学ぶ事になると考えている。

とにかくルールなんだから守らせろという考え方を持つ先生に、その後の見通しがあるのであれば、それはそれでいいのであろうが、そういうことはなかった事が多かったと思う。

指導とか、説得とかってのは面倒くさいが、こういうことを繰り返すことでしか本当のところは出来ないのではないかと思う。

だから、ルールは指導の流れに沿って幅があって良いという事だ。
違うかなあ。

2006/05/21

学校でワールドカップを見る

今回のワールドカップはドイツ。
なもんで、時差の関係で難しいかもしれないが、学校で子どもたちと一緒にワールドカップを見るという企画を作ってはいかがか。

大人は、ビールを飲みながら仲間達と店で大騒ぎをしながら見る事が出来る。
しかし、子どもたちはビールをジュースに変えても無理だろう。
スポーツは多くの仲間と見る方が面白い。

楢原中学校に勤めている時に、「大人の粋な計らい」ということをやりたいと思い、体育館で一緒に見た。この時は、すばらしい職員室の仲間、校長、そして節度をわきまえた子どもたちと凄い条件が揃って実現する事が出来た。

写真は、予選リーグを勝ち上がれるかどうかの対チュニジア戦。そう、日本が開催国になったときのものだ。
後半、森島のゴールが決まった直後のシーンである。
体育館にテレビのアンテナコードを引っ張り込み、プロジェクターでステージに映してみたもの。

良い時間でしたよ。
生徒会の企画として、お勧めです。

教員養成の大学は動くかも

亜細亜大学で行われた全国私立大学教職課程研究連絡協議会であるが、なんというか、私って良い教育環境にいたのだなあと、思う。

今回のシンポジュームのシンポジュームニストは去年お世話になった和田中学校の藤原校長が出ていた。また、話題に出てくる大学の名前に國學院大学や東京学芸大学がホイホイ出てくる。内部を知っている私としては、今日の話は非常にリアリティーを持って聞けたし、課題も得る事が出来た。

            ◆

教員養成GPという制度があるのだが、学芸大学は落ちていたんだなあ。シンポジュームの席で、パネラーの学芸大学の先生が自ら話していた。
うーむ、確かに残念ながら私も一昨年授業を受けていて衝撃を受けたのは、
「僕は、教育の事は分からないから」
と授業で言い放つ先生がいた事。教員養成大学なのに?!と思った。
このことからも推察できるのかもしれない。

もちろん、今まで先生を輩出してきた歴史、現場で活躍している先生の多さはさすがであるが、でもそれは小学校がメインで、中学は6割、高校は8割が私立大学出身なんだね。

いやあ、教員養成の大学は動くかもしれないなあ。

            ◆

会議が終わった後、関西地区の教員と職員で飲みにいく。東京に来るのがはじめての方もいるので、吉祥寺ぐらいならと、私がガイドする事になる。ただ、予定していた「いせや 公園口店」は一杯だったので、THE ENGLISH PUB HUB に行った。山田先生に教えてもらって、それ以来お気に入り。京都にある店にも行ったぐらいだ。イギリスの料理が貧しいということは良く聞く話だが、ここは料理もうまい。

初対面のみなさんであったが、良くしてくれてとても楽しい時間を過ごした。京都でも遊ぶ約束をする。さらに、九州の法律が専門の先生ともう一件行った。かねてから疑問であった憲法のことについて伺う。なーるほど。

ぎりぎり終電で帰りましたf(^^;。

            ◆

翌日、つまりは今日も参加。今日は分科会で「学校インターンシップ」について研修。私は中学校の教員の時にインターンシップでやってきた大学生を指導した経験があり、今度はインターンシップを送り出すことになるかもしれない。

京都の佛教大学と立命館大学が先行取り組みをしているので、その実践から課題を課題を考えたのだが、なんというか、今の学生は使えるチャンスが多いなあと思った。

これらのチャンスを生かして力を付けてほしいねえ。

はい、このブログを読んでいる京都橘大学の諸君、研究室にいらっしゃい。紹介するから(笑)

2006/05/20

『アイディアのつくり方』

のぞみ114号で東京に出張。亜細亜大学で行われる全国私立大学教職課程研究連絡協議会に参加するためだ。

            ◆

新幹線の乗り方も随分と慣れてきたかなと思っている。
私が指定する席は、700系の車両で、車両の真ん中の窓側である。

足許が広く作られているし、連結部の人の出入りに影響される事なく仕事だったり、睡眠だったりに集中する事が出来る。さらに、気のせいかもしれないが車両の真ん中は、揺れが少ない。快適である。

新幹線は、田植えの終わり、台風一号の影響の残る日本列島を突っ走る。
揖斐川あたりでは、雲の中を走っているかのような霧。かと思えば新横浜ではすばらしい青空。
田んぼに映る景色もさまざまな表情を見せる。
東京着は11:52。今日は28度まで気温が上がるとのこと。ひえ〜。

会議は13:00からなので、しばらく時間がある。
そうか、これからはこの空いた時間を有効に使う場所を探さなければなあ。今までは、時間にぴったり合うように家を出ていたから、どこかで時間をつぶすという発想はなかったもんな。

東京駅だと八重洲ブックセンター、新宿駅だと紀伊国屋書店か。
でも、荷物が多くなってしまうか。これから業務という時には、つらいか。東京都区内の切符は西荻窪まで使える。ふむ、これは面白いテーマが見つかったな。

            ◆

新幹線の中では、
『アイディアのつくり方』(ジェームス・W・ヤング著 阪急コミュニケーションズ 777円)
を読み切る。と言っても60分で読めると書いてある本だ。私としては特に目新しい情報があったわけではないが、著者の「日本の読者のみなさんに」という前書きに驚いた。

「1961年7月」

とある。私の生まれる前にかかれている本ということだ。
ということは、世にあるアイディアのつくり方に関する本のルーツに当たる本なのかもしれない。著者はアメリカの広告代理店の有名人である。

この本によれば、アイディアのつくり方も、どんな技術の習得の仕方と共通で「原理と方法」を学ぶ事であるという。そして、非常にシンプルではあるが実行可能が難しい方法を通じて、アイデアは生まれ、形になるという。すなわち、

1 資料収集
2 資料理解
3 データの組み合わせ (放置・熟成)
4 アイデアの誕生
5 アイデアの磨き上げ

という段階を経てアイデアは作られるという。(ただし、この1〜5の見出しは、池田が自分の言葉で付けたもの。原典とはちょと違う)また、アイディアとは、「組み合わせ」であると言い切っている。

            ◆

論文を書く時の事を考えると、上記の1〜5は非常に当てはまるのが分かる。私は修士論文を書く時に、ファイルメーカープロに500枚のカードを蓄積したが、これが1と2。ときどきパラパラカードを見てはそのままにしていた時間が3。突然わき出してくるアイディアの瞬間が4。論文に落とし込み、文章として磨きをかけるところが5ということだ。

解説の竹内均さんの話も非常に面白いし、60分で読み終える事が出来るので、お勧めである。

2006/05/19

夜の祇園を歩いて

京都に来てそろそろ二ヶ月が経つ。
東山の辺りは随分土地勘が持てるようになった。
が、夜の街は全然わからない。

今夜、夕ご飯を食べた後、腹ごなしに奥さんと一緒に祇園を歩いた。
今の住まいから10分も歩くと祇園なのだ。
祇園は、桜の頃昼間に白川沿いを歩いた。
しかし、その時とは全く別の顔であった。

いやあ、凄い。
ちらっと見えた町家作りのお店の中は高級なクラブであったり、
川沿いの料亭はどこをみても
「ふふふ、御主も悪よのう」
と言っているようで、面白かった。

ま、私には縁のないところだろうが、こういうところがあるんだと知れるだけでも東山に住んだ甲斐があったというもんだ。

            ◆

聖蹟桜ヶ丘の我が家にいる時は、我が街、我が家こそがすべてだと思っていた。もちろん、今でも聖蹟桜ヶ丘が我が家だと思う。しかし、たった二ヶ月しか住んでいないこのマンスリーマンションも、今では自分の家という気持ちになっている。

ありがたい事に、生きていくことの可能性が広がっていくのを感じている。
そして、改めて分かったのは、今を生きるということだ。

この先にあることの出会いを楽しみにして、今の生を充実させようと思う。
この家で生活するのもあと少しだ。

思うを行動にする凄さ

GWの読書ということで、次の三冊を挙げた。

http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2006/05/gw_956e.html

その内の一冊、『効果10倍の〈教える〉技術』 (吉田新一郎著 PHP新書)について、凄い実践があった。京都の、いや全国の最先端を行く実践である。

http://susumu.exblog.jp/d2006-05-19

何が凄いって、この本の内容を全校体制で行うのが凄い。
思う事と行動に移す事は別の才能、別のエネルギーが必要だが、糸井先生は見事に一致させている。この実践のこれからが楽しみだ。

模擬授業に挑戦

午後から大学へ。教職を目指す学生達の自主学習会、つまりは自主ゼミに向かう。大学の醍醐味は、自主ゼミにあると思う。自主ゼミ、つまり、単位にはならないが自分の学びたい事を仲間達と学ぶ。そして、先生に教えを請うというものだ。

私も大学時代には、竹内常一先生の自主ゼミに参加した。人気のある先生だったので、水曜日と金曜日の二回も先生はゼミを開いて下さっていた。いま思うとそれは凄い事だと思う。

今日は間近に迫った教育実習に向けて、授業の導入の模擬授業である。まっさらなところから授業を作るのは時間もないし、難しいのでいくつかの導入に適した教材を元にそれをやってみることを先週指示しておいたのだ。

            ◆

最初の学生は「人生名言集」をやった。私の授業記録からである。
二人で指導案を考えて、一人が実際に授業をやるというものだ。

正直言って、授業の導入の15分でやれるネタではない。しかし、それを説明してもダメ。自分で実際やってみて、この授業がどういう構成になっているのかを理解し、自分には何が足りないのかを実感しなければ模擬授業をやる意味はない。

指摘したのは、

・だんだん盛り上げる授業ではなく、いきなりクライマックスから始まる授業を目指そう。
・「指示」の順番を良く考えて、子どもたちの思考が流れるようにしよう。
・「指示」の内容を指導者がよく理解して、子どもにどういう動きが発生するか十分に予測しておこう。

15分の予定が20分ぐらいかかる事が判明。途中で止める。

二人目も私の授業記録から「擬音語ゲーム」である。擬音語を使ってものを説明し、そのものを当てるゲームだ。

始まり方は良かったのだが、指示した内容と子どもが違う応答をした時の反応の甘さや、ゲームで使う語句の説明の甘さ、まとめをせずに終わる授業等に問題が見られた。

『なぜ、まとめがなかったのだろうか?』

と質問する。
すると生徒役の学生が発言した。
「授業の目的がなかったからではないでしょうか」
この授業ではそうであった。

『教師は、授業をする時に、この授業でどんな力を誰に付けさせようかと考えて授業に臨みます。それを授業の最初に言うか言わないかは別にして、それを持って臨みます。そして、授業後にその目的が達成できたかどうかを確認し、まとめとします。いまの模擬授業は、教師が「この授業でどんな力を誰に付けさせようか」と考えているものが感じられなかったので、まとめがなかったのでしょうね』

のように話した。授業をほとんどしたことのない学生にとっては難しいかもしれないが、実習に行くのであれば、少なくともこれらの観点を持って授業に臨んでほしい。

            ◆

ゼミ後、学生達は「とても勉強になりました」と素直に学ぶ姿を見せていた。そうそう。それなら大丈夫さ。素直に学ぶ。そして、学んだ事を自分の力で出来るようにする。さらに、批判してアウフヘーベンする。その繰り返しだからね。

頑張れ、教育実習!

2006/05/18

飛び回った一日

飛び回った一日だった。
朝一番で、健康診断。目の検査を丁寧にしてもらう。
パソコンからくる疲れが心配だから。

バリュウムも飲んで胃の検査も受ける。
三月に胃カメラを飲んだのだが、一応念のため。
なんか、バリュウムがおいしかったのがびっくり。

びっくりと言えば、問診票に「三月に胃カメラを飲んでポリープを切除」と書いたのを見た技師が確認してきて、
『念のためにもう一度やるんですよ』
と答えたら、
「ありがとうございます」
と答えていた。なんでありがとうございますなのか、よくわからないが、でも健康管理を指定校という気持ちにはなる。

教師はこうはいかないだろうなあ。

『あれ、あなた3月に漢字検定の三級受けたよね』
「はい。でも、もう少し高得点で合格したいのでもう一度受けました」
「ありがとうございます」

てなことにはならないだろうなあ、なんてことを思いながら胃カメラに挑んだ。

            ◆

検診後すぐに、近江八幡に出張。高校の進路ガイダンスで教育の分野を担当する。40分の授業を2回やる。なかなかの感触があったようで、

「先生、新しい児童教育学科はもう受けられるのですか?」

と男子生徒が聞いてくる。嬉しいねえ。説明して

『男子学生、待っているよ!』

と伝える。やる気のある学生が集まってほしいなあ。

しかし、私は大変であった。二回の授業の合間にバリュウムの後処理があり、授業も実は必死だったのだf(^^;。なんとかクリア。

            ◆

大学に戻り、明日の授業の準備などをする。その合間に、今日の高校生を相手に行った授業から、新しい授業のアイディアが出てきたので、それを必死にまとめる。私は、やっぱり授業をする中で何かを生み出すタイプなのだろうなあと改めて思った。

やっぱり子どもたちに接するのは楽しいなあ(^^)。

            ◆

夜は、教員養成講座の担当講師であるK先生と飲む。
いやあ、久しぶりに飲んだ。
才能の固まりであるK先生と、西日本を中心にして若手の教師の育成に関わって何か出来ないだろうかと明け方まで語り合う。

私に出来る事など程度が知れているが、声を掛けていただいたので、ご縁があるのならば出来る範囲で何かしてみたいなあと思う。

2006/05/16

わがままは言ってみるものだ

現在ワンルームマンションに仮住まいしている。
いや、この世そのものが仮住まいという説もあるが、まあ、ワンルームマンションは仮住まいである。であるからして、転職転居のご案内も出せないままでいる。

で、いよいよなんとかしなければならないと思っている。
ただ、今の聖蹟桜ヶ丘の家を買った時によくわかった事がある。
それは、家はお金がなくては買えないが、お金があったとしても買えない事もあるということである。

もう少し正確に言うと、お金の方は、仕事人としての信用と多少の持ち合わせががあれば、いろいろと調整したり助けてもらったりして何とかなる事がある。だが、問題はもう一つの方であるところの「ご縁」である。

            ◆

聖蹟桜ヶ丘の家も最初は欲しい部屋に売約済みのマークがついていて、
「ま、良いところだからな。でも、残っていたとしてもこの金額では買えないよな」
と奥さんと話していた。

が、ある時に違う部屋を考えて見に行ったところ、狙っていた部屋の売約済みの印である花が無くなっていたのだ。
(あれ? どっかに落ちたかな?)
と思って近辺を見てもない。そこで、聞いてみたらキャンセルが出たというのだ。
そこで、慌てて押さえる事にした。

とまあそういうことで、家は縁がなければ買えない、手に入らないと今のところ思い込んでいる。だから、京都での物件もそんなに慌てていない。というか、慌てても無駄だろうと思って腰を据えていたのだが、もう一ヶ月半も過ぎるからなんとかしようかと思ったわけだ。

            ◆

で、良いなと思った物件を見つけたので、東京からの指令で不動産屋を訪ねた。そしたら、一昨日まではあった物件が無くなってしまっていた。
(うーむ。不動産屋の策略だ、ぐれてやる)
と思ったのだが、出るものがあれば入るものもありで、新しい物件が入ったという。それもかなり良いという。

折角なのでいくつかの物件と一緒に見てみる事にする。
とにかく駅に近い事が第一条件の私。そして、風呂がでかくて、景色が良くて、花火が見えて、職場に近くて、床暖房があって、スーパーがあって、自然が豊かで、公共施設が近くて・・・。そんなわがままを満たす物件なんて、あるわけないと思っていたのだが、あったのだ。ひえーである。

本日の教訓

「家探し、わがままは言ってみるものだ」

ひょっとしたら凄いところに住む事になるかもしれない。
あそこなら、東京からのみなさんをご招待することもできるなあ。

正式に決まると良いなあ。

葵祭の一日

今朝は四時台に目が覚めた。
そうであっても、もう外は明るい。
そのまま起きて、締め切りを過ぎてしまった原稿の最終推敲を行う。

朝食をとり、読書読書。
そんなに読んでいない方ではないと思うのだが、来年度の準備に必要と思われる本を時間のあるうちに、とにかく読み進めようと思って読んでいる。4月の本代はちょっと考えたくない。

            ◆

今日は京都三代祭りの一つの葵祭。人々が古式ゆかしい格好をして、京都御所、下鴨神社、上賀茂神社と練り歩く。何を祭っているのかはよくわからないが、とにかく見ておこうと思っていった。

Aoimaturi_1


京都橘大学は、そんなに大きな規模の大学ではないが学生は全国各地からやってくる。来年私が担当する児童教育学科もそういうことになるであろう。その時、18歳で地方からやってくる学生達に多少は京都の事を説明できるようになっていた方がいいだろう、と思いなるべく京都らしいところには顔を出しておくことにする。

頭に来たのが、新聞社のカメラマン。S新聞の女性記者であった。記者が記事を作るために列の中に入って写真を撮るのは、分かる。しかし、撮り終わった後にどうどうと一緒に歩いているのには、頭に来た。こっちは、一枚の写真を撮るのにずっと良い場所に立っているわけである。その記者がフレームに入ってしまうと台無しになるということが分かっていない。

人の気持ちに立てない新聞記者は、良い記事が書けるとは思わない。

            ◆

午後は大学に戻って、事務仕事と授業の準備。書き終えた原稿を送り、手紙を書き、本を調べてといつも通りの私。そんな私が楽しみにしているのが、三時過ぎ。
三時を過ぎると、子どもたちが釣り竿を持って研究室の前を通る。
研究室の前には小さな池があるのだ。

釣っていいのかどうか分からないが、子どもたちが嬉しそうに、それでいてオドオド研究室の前を通るのを見ると、なんかこっちもニコニコしてしまう。だけど釣れたような様子はないなあ。

            ◆

夜は、東京から来た知り合いの編集者さんとお食事。高瀬川の畔の店だ。Gakasegawa1_1

ゆったりと京都の料理を味わう。一品ずつの小鉢もおいしかったが、最後に出たショウガご飯が絶品であった。編集者さんの体調が悪く、二次会はなしにして、帰宅。

はあ、良く歩いた一日だった。

2006/05/14

I'm off

久しぶりにぐっすりと寝たかな。

追いかけられているという感覚がまだ抜けないんだな。本当は追いかけなければならないのに。でも何に追いかけられているんだろうか。ま、分からないでもないが、完全に抜ける事はないだろう。

部屋の窓を開けると、知恩院を包み込む山と空が非常にきれいだった。新緑を渡ってくる風も心地よい。ふう。

Photo_1


ということで、洗濯である。
通常の洗濯の他に、タオルケットを洗う。これだけ風通しが良ければ、きれいに乾くだろう。

            ◆

昼ご飯を食べながら、「横丁へよーこちょ!」を見る。関西地区限定のお笑い番組である。関東では若手というか、新人というかそういう芸人達が、ばりばりでやっている。

授業作りネットワークの春の京都の大会で土作さんがやっていたネタも、理解できた。
下らねーなと思いながらも楽しんで見る。

         ◆

今年のディベート甲子園の中学論題は、【日本は動物園を廃止すべきである。是か非か】である。

動物が好きな私は、小さい頃は母親が嫌いで飼う事が出来なかった。独立したら自分で飼うぞと思って飼った二匹の子猫は、学校から帰ったら逃げ出していた。結婚したら奥さんが嫌いということで飼えない。人生は思う通りにならない。

聖蹟桜ヶ丘の家の近くにも多摩動物園があるのだが、結局一度も行かなかった。そこで、今回の京都暮らしである。東山区の私の今のマンションの近くには、市営動物園がある。今日はそこに行った。

            ◆

いやあ、凄い人だった。昨日の旭山動物園をモデルにしたドラマの影響かな。だけど、面白かったなあ。

小動物に触れるコーナーがあって、黒豚と羊とヤギと触った。黒豚を触った子どもが
「父さんの髪の毛みたいや」
と言っていたのが笑えた。父さん、そんなに髪の毛固いのか?

「ひと」と書いた看板のある檻もあった。何があるのかと訝って中に入った人を観察するという檻である。さすが、関西!

爬虫類館では、カイマン(鰐)を見ていたら、
「お前一緒に風呂に入るか?」
と親の声。
「いやや!」
「じゃあ、やっぱり鰐はすきやないやん」
との会話。好きでも普通一緒に風呂に入らないでしょ。

P5140127


動物に食事をさせる時間を予め予告しておいて、その姿を見せながら飼育員がその動物の開設をしてくれるという企画もあった。アシカ、ゴリラ、ゾウ、ライオン、サルなどなど。良いよなあ、こういうの。

ゴリラの食事の時に、どうもゴリラが落ち着かないでいた。
すると、飼育員が
「今日は雄の○○だけを見てもらうために、メスの△△を向こう側に閉じ込めてあるんですよ。いつもなら一緒に食べるのに、こっちに来ないから心配なんですね」
なんて言っていた。もののあはれである。

動物園と言えば、高村光太郎である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

ぼろぼろな駝鳥 高村光太郎

何が面白くて駝鳥を飼うのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股すぎるじゃないか。
頚があんまり長すぎるじゃないか。 
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろすぎるじゃないか。
腹がへるから堅パンも食うだろうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見ているじゃないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまえているじゃ ないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいているじゃないか。
人間よ、
もうよせ、こんな事は。

引用終了 ーーーーーーーーーー

確かにダチョウはそんな気にさせるなあ。

P5140218


たっぷりと三時間いて、500円。いやあ、お得だ。
天気のいい時であっても研究室にいると、太陽の光を直接体に受けない。だけど、今日はたっぷりと浴びたので、心地よかった。

閉園ギリギリまでいた。個人的には動物園は廃止してほしくないなあf(^^;。

            ◆

動物園から家に帰る時に、奥さんが探してきてくれていたお店に寄る。イタリア料理の小品を出す店。テイクアウトで色々なパテやペーストを楽しめる。今日は、食べた事のないものを指名。

それを手にして、京都市美術館の前にあるベンチに向かう。
黄昏時に、ビールと一緒に味わう。はあ、休日だ。

P5140335


鳩が一羽近寄ってくる。
鳩は、私から何か餌を貰えると思ってやってきたのだろうが、生憎手持ちはない。こちらをじっと見て、首をぴょこぴょこしながら私の周りを歩く。あれで鳩から見える画像は、ぶれないのだろうかなあ。

やたら媚を売ってくるので、鳩をじっと見ていた。
鳩って鳥は、細かいパーツはかなり見事だという事が分かった。首の色はクジャクにも負けない。羽根のストライプは、シマウマのそれにも似ている。だけど、それがバランス悪く一つの体に集中しているんだなあと思った。

            ◆

琵琶湖疎水を通って帰る時に面白いものを見た。
カルガモの親子である。上流に向かって一直線に並び、泳ぐ練習をしていた。

もの言わぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ

四方ならぬ、二方であってもかあと思った。

P5140378


            ◆

家に戻り、実家に電話。
そりゃあ母の日だもんね。
元気そうで何より。

ああ、良い一日だった。

さて、明日は葵祭だ!

2006/05/13

mailではなくて、letterのような気がする

へそ曲がりなので、多くの人が夢中になると夢中になれない私である。
MIXIもそうかも知れない。
こんな私でもご招待して下さる方がいたので、一応入っている。
ただ、なーんにもしていない。
このブログをMIXIの日記に登録してあるだけである。

なんというか、へそ曲がりとしては

1)一般の電脳空間から区切られていると言いながら、全然区切られていない
2)友達の友達と言って、本当に友達かと思う
3)招待する側が偉くて、される側が謙る感覚がある
4)入っている人は友人がたくさんいて、入っていない人はダメだなあという差別感覚に基づいている感じがする

ということも感じて、どうも積極的に参加する気持ちになれない。自分で言うのもなんだが、やっぱりへそ曲がりである。

ではあるが、MIXIで時々嬉しい事もある。

            ◆

この二日間で、MIXIを通して私のかつての教え子二人からメールが来た。
一人は国立学院聖蹟桜ヶ丘校の時の教え子。ちょこっとしか教えていないはずだが、良く覚えていてくれた。現在トランぺッター。もう一人は青梅市立吹上中学校の時の教え子である。よく遊んだクラスの時の教え子だ。どちらも良いお嬢さんになっていた。

私が大学の教員になっていた事を知らなかったようで、もう少し早くメールが来ていてれば、東京で飲み会でもしたのになあと思った。が、メールだけでも十分嬉しい。こういうmailは、mailではなくて、letterのような気がする。

「先生、遠くにいってしまったんですね」

と言われたが、んなもん、電脳空間ですから聖蹟桜ヶ丘にいようが京都にいようが、あまり変わらない。これはこれで実に不思議な感覚である。

            ◆

もう一つ、私のHPの本家を見て参考になったということで、カナダからもメールが来た。日本語を指導する際、漢字や作文の指導方法の参考になりましたという御礼のメールである。

私は、「情報は、使ってもらってはじめて価値が出る」という考え方を持っているので、こういうメールはとても嬉しい。嬉しかったのでマル秘の指導プリントまで送ってしまった。

研究室の窓の外は、細かい雨の降り続く一日であった。
なかなか原稿が進まない一日でもあった。
だが、二つ仕上げられたのは、こういう嬉しいメールがあったからだと思う。

私は教え子に恵まれているなあ。
幸せな事だ。

2006/05/12

今月の歌詞 5月ー1 ささやかなこの人生

本を探して京都市内を歩き回っていた。
木屋町通は高瀬川を包む通りだが、そこにあったあんなに見事だった桜が、すっかり葉桜になってしまっていたのを見た。

その時である、ふと、思い出した歌がある。「ささやかなこの人生 by 風」である。

            ◆

ささやかなこの人生 by 風

花びらが散った後の桜がとても冷たくされるように
誰にも心の片隅に見せたくはないものがあるよね

だけど人を愛したら誰でも心の扉を閉め忘れては
傷つきそして傷つけて引き返す事の出来ない人生に気がつく

優しかった恋人達よ振り返るのはやめよう
時の流れを背中に感じて夕焼けに涙すればいい

誰かを愛したその日には例えばちっぽけな絵はがきにも心が動き
愛をなくしたその日には街角のうたにもふと足を止めたりする

風よ季節の訪れを告げたら寂しい人の心に吹け
そして巡る季節よその愛を拾って終わりのない物語を作れ

優しかった恋人達よ ささやかなこの人生を
喜びとか悲しみとかの言葉で決めてほしくはない

            ◆

高校の時だなあ、この歌を必死に歌っていたのは。
高校時代に感じていたのは、「花びらが散った後の桜がとても冷たくされるように」というフレーズに惹かれていたと思う。
(確かに、桜なんて一瞬だよなあ)
と思っていたんだと思う。

しかし、いま改めてこの歌詞を見てみると「優しかった恋人達よ ささやかなこの人生を
喜びとか悲しみとかの言葉で決めてほしくはない」が印象に残るな。

簡単に決めつけることはできないのが人生。
げにげに。

            ◆

とまあ、街を歩きながら
(そうか、かつての私の名曲を、私が勝手に「この歌はこの月の歌」と決めて、振り返るのも面白いなあ)
と思った。

ま、時間があればこうして少しずつ書こうと思う。

著作権は大丈夫だと思うのだが、ダメだったらなんとかします。

移動から旅へ

久しぶりに朝から気持ちよく晴れた。
新緑の比叡山を前景にして登ってくる朝日は清々しい。
久しぶりに朝風呂に入り、うどんの朝食を楽しむ。

            ◆

4000キロは越えたなあ、この二ヶ月で移動した距離は。細かいところを入れれば5000キロに達しているかもしれない。自分でも驚いている。

私は若い時は、動物の生き方をするものだと思っていた。あちこち移動を重ね、ふらふらと動き続ける生き方である。ところが、教師になった事や家を買ったころからか私は植物の生き方をするタイプなのかと思うようになった。

家に仲間を呼んで、季節ごとの宴会をして、あれこれするのが心地よいと感じるようになったのだ。年齢を重ねるという事とは違う部分でそう思うのだ。

が、そんな私が4000キロを越える距離を移動している。まあ、人生は思うようにならないものだ。その思うようにならないものを楽しみ、次には何がやってくるのかとわくわくしながら待てるようになると、人生はさらに面白みを増すのだろうと思う。

            ◆

昨日、昼ご飯をとって研究室に戻ろうとすると教職を専攻している学生達が待っていた。学生たちの行うある活動のために責任者になってほしいという事なのだ。活動の内容も立派なものだし、私は引き受ける事にしているので、良いよと言った。取りあえず3年間面倒見ましょう。

まだ大学にはほとんどしがらみはないし、私を必要にしてきた最初の学生達の願いは受け入れようと思っていた。日本ハムファイターズの新庄選手も、大リーグから日本に戻る時に
「一番最初に言ってきてくれた球団にしようと思っていました」
と言っていた。私もそうだなと思っていた。

その後、彼女らが教育実習に行く時の相談をしてきたので、これに答える。LHRも任されたのだが、何をしたら良いのかと困っているとのこと。ま、いろいろとアイディアはあるが自分がやりたいことをやらないと勉強にならないので、それを聞き出して資料の本を貸し与える。

実習に行く前に、時間を取ってリハーサルをさせたいなあ。

            ◆

そして、思うのはやっぱり旅に出たいという事だ。

うー、旅をしたい。
南の島に行きたい。
ホゲーッとしたい。
半袖半ズボンで過ごしたい。
日本語ではない、英語でもない現地の言葉の中に身を置きたい。

今年の夏はどこかに行けるかね。
移動を重ねるごとに、移動ではなく、旅をしたいと思う私であった。

2006/05/11

先生は大変ではありません

S1 教師の話し方、板書の仕方について学んだ。はなし方や板書の仕方にもいろいろな種類があって、楽しく学ぶ事が出来た。しかし、一方で、教師はこんな細かい部分まで気をつけながら授業を進めなければならないと思うと、やはり大変な仕事だと思った。

T 「教師はこんな細かい部分まで気をつけながら授業を進めなければならない」という考え方ではなくて、このように配慮をすると子どもたちは無駄な労力を使わずに学習を続ける事が出来るという考え方です。

極論してしまえば、勉強のできる子どもたちは、教師がどんな授業をしても勝手に学力を付けていきます。がしかし、勉強の苦手な子どもたちは、教師のちょっとした配慮不足でつまずき、それは
(自分が馬鹿だからだ)
と自分を責めるようになります。

だから教師はそういう子どもを出さないように配慮をするのです。

            ◆

S2 今回、板書の基礎として私は6・4の構えとは凄く大切だと思った。いつも先生は何気なく板書をしているだけだと思っていた。確かに先生が黒板に文字を書き出すと、消しゴムを投げる子、手紙を回す子など様々な子どもたちがいた。板書をしている時もしっかり生徒を見る事が大切なんだと改めて思った。先生は本当に大変なんだと思った。

T 「先生は本当に大変なんだと思った。」とあります。大変かどうかというと、大変ではありません。正解は「ものすごく大変」です。その人の将来に影響を与え、人類の方向にまで影響を与える仕事です。大変なんてものではありません。

じゃあ嫌な仕事なのかというと、これは違います。とても魅力のある仕事です。ちょっと考えてみましょう。世の中には、「大変だからやりたくない」ということと、「大変だからやりたい」ということの二種類があるということです。たとえば、ジグソーパズルです。私は見ただけでも面倒くさくてやってられませんが、あの面倒臭さが楽しくてジグソーパズルに没入する人がいる訳です。

ジグソーパズルと教育を比較して良いのかということは置いておいて、ここで言いたい事は大変で面倒くさいことは、実はやりがいのある事であることもあるということです。一つ一つ教師としてのきちんとした考え方を身につけて、教育に関わることができるようになれば、「大変だからやりたい」ということが分かってくるのではないかと思います。

            ◆

S3 今日の授業のチョークの種類の多さには驚きました。特に、○○の出来るチョークはすごいし、使えるなと思いました。
また、板書には、生徒としての側から見ている時には、こうやったら見やすいとか、いろいろ思うのに、教師の立場になって、板書してみると、よりよい板書にすることはなかなか難しいなあと思いました。

T 一つ誤解のないように言っておけば、あの「○○のチョーク」は、チョークではありません。チョークの形をした○○です(笑)。インターネットには流さないマル秘の情報です。
実は、あれを教室でやった後、生徒は教室の黒板をきれいに消し、チョーク受けにあったチョークを全部片付け、一本だけ「○○のチョーク」を置いておき、次にきた先生がその「○○のチョーク」で書かざるを得ない状況を作って、先生がどんな対応をするのかを楽しみに見ていたという事件が発生しました。
その先生は、
「あれ? あれ? おかしいわね」
と黒板に書けない○○のチョークで難儀するということがあったようです。教育実習中にそんな目に遭ったら、「○○のチョーク」である事を思い出し匂いを嗅ぎ、○○してしまって、生徒の度肝を抜いてあげて下さい。「○○のチョーク」でなかったとしても、伝説に残るでしょう(笑)。

             ◆

S4 今日は、少しだけ板書をしたのですが、黒板を目の前にすると、文字の大きさは、まっすぐにかけるかどうかなどが、分からなくなりました。それから、ゆっくり書いても文字の形をとるのも大きく書くのにも苦労したし、黒板は思っていたよりも高い位置にあり、上の方に書くのが大変だと感じました。想像以上に板書が難しかったので、真剣に練習していかないと大変なことなると思いました。
話すことの技術について、聞いている分には納得できるのですが、いざ実践しようと思っても出来ないだろうと思いました。特にメリハリ、視線の部分は、意識しても難しいだろうと思いました。

T とても良い気づきをしましたね。授業でも何回も話す事になると思いますが、「頭で分かる事」と「実際に出来る事」にはもの凄く大きな差があります。その差を埋めるための行為をトレーニングという訳です。

私は大学時代に先生に「命令」されて黒板に漢文の白文を書かされ続けました。また、塾の教師をしながら黒板の使い方を練習しました。大学の書道の先生のところに
「どうやったらそんなにきれいに黒板に字が書けるようになるのでしょうか?」
と伺ったところ、
「まあ、年期が違うからね」
と門前払いでした。

悔しかったので私は先生が書いた黒板の文字の上から違う色のチョークで模書をしてトレーニングしました。模書をして少し書けるようになったら臨書してと書道の時間のあとは黒板を消しにくるおばさんに
「私が後で消しておきますから」
とお願いして書き続けていました。半年ぐらい続けたらチョークで書くコツのような物がつかめるようになりました。

みなさんは教師になるわけで、自分ができる必要があります。そしてその出来るようになった姿を客観視して、生徒ができるようになるために指導するわけです。自分の経験や人の経験を取り入れて、目の前の生徒に合った方法で指導するわけです。

いま、自分が出来ないという実感をする事は、指導者になるための大事な実感、気づきです。そこから自分をどのように高めていくか、どんなトレーニングを行うのかを見つめて、力を付けていって下さい。

            ◆

S5 ナンバリング、ラベリングをするだけで、相手にききやすくなるということが、わかったので、人前で話す際は取り入れて慣れていきたいと思います。メリハリの付け方は、結構難しいと感じたので、ジェスチャーや表情、声量、スピードなどは、普段できることは、今後できるだけ意識していきたいと思います。

T 授業の性格上、あれもこれもと紹介するわけですが、トレーニングをする時は自分が出来そうなもの、必要なものに絞ってやるのがいいですね。メリハリに関しても、一つのスキルが出来るようになると、メリハリの他のものについてもやりやすくなる事があります。そんなことを考えて取り組んでみて下さい。

            ◆

S6 話し方のテクニックがこんなにあるとは思いませんでした。特にメリハリはたくさん項目があってたじろぎました。メリハリの中の一つの表情で、家に帰って笑顔を練習してみました。すると自分は笑っているつもりでもなかなか笑顔になりません。自然と笑ってしまうような場合は別として結構大げさにやらないとダメなんだなと感じました。

T これもいいですね。そうです、実感が大事なのです。私が授業中に言った自分の授業を録音してみるという修行方法も、この実感を得るためにやるのです。
(あれ、思ったよりも良くないなあ)
と大概は思うはずです。そこから始まります。

役者の表情にもテレビの表情と舞台の表情があります。ズームアップしてくれるテレビであれば画面の中で微妙に微笑む事ができるかどうかが、その役者のテクニックですが、舞台ではまた別の物が模のめられます。自分で笑っていると思っていても、40人相手の微笑みとは自ずと違ってくるはずです。

ま、露骨にやるものでもありませんが、ちょこっと意識してやれるのはとても大事だと思いますよ。

(教科通信 修学 NO9.10より)

2006/05/10

そこで偶然ばったりI先生に会う

昨日の夜は同じマンションの方にお呼ばれして夕食。まえから伺う約束をしていながらなかなか伺えなかったので、やっと伺う。とにかく物作りの天才で、なんでも自分で作ってしまう方。そして趣味人。奥さんは感心しきり。弟子入りしたら良いではないかと思った。

私は日頃は飲まないワインを飲んで、帰宅後、撃沈。ま、同じマンションの中を移動しただけなんだけどね。これなら乗り過ごす心配もない。

実に楽しい夜でした。また伺います。よろしくお願いいたします。

            ◆

朝は6:39の聖蹟桜ヶ丘発の通勤快速で東京駅に向かう。今回は「ぷらっとこだま」を使って京都入り。値段が安く飲み物が一本付くというサービス。ただし、京都まで新幹線の各駅停車なので、3時間40分かかる。

ま、電車の中で本を読み、仕事をすれば良いからと思ってこれにした。
結果は、新幹線の中でぐっすりであった。

気がついたら米原。反対ホームには東京方面に戻ろうとしている中学生の団体。やったらこちらの新幹線に手を振っている。後で分かったが、私が乗っていた新幹線にこれから京都に向かう修学旅行の中学生が乗っていたのだ。彼らの手を振っていたのだ。

そうか、そうだ。GWが終わると京都は修学旅行の最初のシーズンになるのであった。一昨年は楢原中学校の子どもたちを引率して、この時期にやってきたなあ。なんか、今から思うと遥か昔だ。

            ◆

京都駅で降りると、新幹線のホーム下にはこれから修学旅行を始める中学生や小学生、また、もう終わって東京に戻ろうとしている子どもたちが固まりになって座っている。

うーん、懐かしい。そうそう、私はあの集団の前に立って子どもたちを見ていたんだなあ。なんて思いで子どもたちを見ていた。何やら不満を一生懸命に女の先生に訴える女子生徒。壁に寄りかかってだるそうにしている女子生徒。床にぺたっと座っている女子生徒。え? なんか問題ありそうなのはみんな女子生徒ではないか。

しかし、床に直接座るのはなんとかならんか。見ていても美しくないし、だいたいその直接土足の歩く場所に腰を下ろしたスカートで、公共交通機関の乗り物の座席に座る訳だろ。君が汚れるのは一向にかまわないが、その汚れを次にその席に座る人に移すのは勘弁してほしい。そういう想像力がないんだろうなあ。

なんて思いながらジロジロ見ていたのだが、怪しいおじさんに思われるので、切り上げてトイレに向かう。

            ◆

そこで偶然ばったりI先生に会う。
私がまだ学生時代、中大の仲間に良くしてもらって、夏休みに中大のゼミの合宿に野尻湖に一緒に行った事がある。そこで出会った先生だ。私よりも一年早く東京の中学校国語の先生になったと思う。

その先生に、京都駅のトイレの前でばったりである。
ということは? そう、I先生の学校もこれから修学旅行であった。見覚えのある制服だと思ったら、私が教師になった時に赴任した青梅のある中学校であった。

ひゃあ、びっくりである。
しばらく話をして失礼する。これから二泊三日、睡眠時間もない戦いが始まる訳で、ひっそりとエールを送る。私のHPも見ていてくれるとの事なので、I先生ご覧になったらメールくださいね。

            ◆

研究室に戻ると、八重桜もすっかりと葉桜になり、ツツジが花を咲かせていた。
京都はまだまだ花の季節が続く。

会議の後に私のレターボックスを確認する。
これが凄い量の書類たちである。まあGWの間一回も大学に行かなかったのだから当然と言えば当然かもしれないが、この大体の整理に半日かかった。自己マネジメント能力がないと大学の先生は大変だという事が日に日に分かってくるなあ。

            ◆

直接大学に行ったので、東山のマンションに着いたのは日が暮れてから。
きちんと戸締まりをして、火の元を確認して、ゴミも出してとやってきたはずだが、扉を開けてみない事には心配。

おそるおそる開ける。

ぬはははは、大丈夫であった。って大人なら当たり前だよなあ。
しかし、当たり前が出来て喜んでいる私ってなんだあ。

書き込み回覧作文など

えっと、二つほど原稿が載りました。

いつもの「授業作りネットワーク」ではなくて、「日本教育新聞5/1・8付」と、ぎょうせいの『学力が身に付く授業の「技」3 授業に命を吹き込む「技」』です。

どちらも「書き込み回覧作文」のことに触れています。この方法がもう少し広まってくれると嬉しいなあと思いまして。

良かったらご覧下さい。なお、「日本教育新聞」は、5/15付にも掲載されます。併せてご覧下さい。

ポスター完成 ディベート甲子園2006

今年のディベート甲子園のポスターが完成しました。
夏の、熱く清々しい議論を予感させる良いポスターに仕上がりました。
ダウンロードして、お使いください。

「20061.pdf」をダウンロード

2006/05/09

これって何かに似ているなあ

甘い香りがする。
河原のニセアカシアが満開だ。
いや、今年から隣の公園のニセアカシアもたくさんの花をつけるようになった。
これが、さらにいい香りを運んでくるのであろう。

            ◆

京都での生活は順調に動き出したが、本屋がまだうまいこと見つからない。
自分の興味のある本が確実に手に入り、そして、今まで興味のなかった本が目に飛び込んでくるように配置してある本屋。こういう本屋がまだ見つからないのだ。人間はつくづく習慣の動物だという事が分かる。

聖蹟桜ヶ丘には三つの大きな本屋がある。私の家からすべて5分以内にある。だから、二時間も回ればかなりの本にヒットする事が出来る。GWはここで本を買い込んだ。

            ◆

授業の構想を考えながら、あれこれページをめくる。というより、ページをめくっていると授業のアイディアが浮かんでくる。これを45分、50分、90分、120分の授業に落とし込むとどうなるかと考えている。

これって何かに似ているなあと思った。そうだ、これはかつて東京都の教育がいまのようになるまえに、夏休みに自宅研修でやっていたことと同じだということだ。

机の周りに本を並べてあれこれと読み飛ばし、本に書き込みをしながら、ノートにまとめながら
(ああ早く二学期にならないかな。子どもたちに授業がしたい)
と会うのを楽しみにしていた時に似ている。

さて、GWも終わりだ。

2006/05/08

坂本龍馬になった気持ちになれる

午後からディベート実験室主催のモデルディベートを見に行った。参宮橋のオリンピックセンターが会場である。

今回のモデルディベートは、ディベート甲子園の高校生の部の論題である【日本は道州制を導入すべきである。是か非か】を扱う。ディベーターは安藤温敏さんなどとびきりのメンバー。さらにこの試合の解説を嶽南亭のご主人がされるとある。非常に贅沢な時間を過ごす事が出来る。

当日は二試合あったが、二試合目の途中から観戦。
ディベートは、ジャッジを説得するために論理的な議論の展開が行われるコミュニケーションだが、良いディベートは、論をふまえ論を越えて情に訴えてくる。

会場には、この論題でこの夏戦う事になる高校生達が真剣にフローシートをとっている。この【日本は道州制を導入すべきである。是か非か】という論題を通して、ディベートのスキルの向上を目指すとともに、この国の形、この国の進む方向をじっくりと考える機会を得られるというのは、非常に良い事だと思う。

上手く言えないが、ディベートに参加する一人一人が坂本龍馬になった気持ちになれるのではないかと思う。

            ◆

国会では教育基本法をこの会期中にいじくろうとする動きが盛んになっている。愛国心を盛り込むとか、文言を変えて入れようとかしている。自分の住むところを愛さない人がいるかと思う。だが、愛国心となるとなんか急にきな臭く感じてしまう。故郷を思う気持ちと国を思う気持ちは、別なものなのかもしれない。

ただ、きな臭い方向ではなく国というものを考える事は、大事である。【日本は道州制を導入すべきである。是か非か】は、それを十分させてくれるのではないかと思う。教育基本法をいじくるより、国というものをじっくりと考える高校生を育てると思う。

            ◆

会の終了後は、仲間達と食事。
話の内容があっちこっちに飛びながら、薄くリンクが張られ、ターンして意味が深めれれて、揺さぶられてジョークになってと相変わらず面白い。

そんなに飲んだ感じはなかったが、帰りの京王線はお決まりの乗り過ごし。高幡不動で上り最終電車になんとか駆け込み、帰宅。

会話に酔ったかなあf(^^;。

2006/05/06

GWの読書 学び論、構成主義

問題意識が呼び寄せるのか、セレンディピティーなのかわからないが、手にする本が、私が追いかけているテーマに立て続けにヒットしている。嬉しいものだ。

『先生はえらい 』 ( 内田 樹 (著) ちくまプリマー新書 (002))

『効果10倍の〈教える〉技術』 (吉田新一郎著 PHP新書)

『教師のための「聞く技術」入門』(家本 芳郎著 高文研)

成長の時代から成熟の時代へと転換したと言われるのが1985年。モダンからポストモダンへと移り変わり、学習だけを主体に組み立てる授業は厳しくなり、学びを主体にした授業の創造が求められ、と私が個人的に感じているこの20年を論じている本たちだ。

学び論、構成主義などを理解するのにもいいかもしれない。

そこに居場所を作る事はなかった

府中では、大国魂神社で暗闇祭りが行われていた。この暗闇祭りに合わせて、神社の横にあるビアハウスケンでは、ビールの有料試飲会がある。今年も参加する事が出来た。いつも肴がなくて口が寂しかったので、今年は聖蹟桜ヶ丘で蛸のマリネと手羽先のスモークを買って出かけた。

府中はもの凄い人であった。
大国魂神社の暗闇祭りは、約1900年前から続いている。府中というのは、武蔵の国の首都だったわけだし、歴史は凄いものがある。奈良の春日大社は、この府中からの使いによって開かれたなんて話も聞いたような気がする(未確認)。

大きな太鼓を叩き、飛び子が跳ね、植木市があり、出店が並ぶ。そんな中で私は一人ビールを頼み、本を読みながら、肴をつまむ。

そして、私はあの中に入る事はこれからもないのだろうなあと思う。
団地に住まいし、下宿、教員住宅と住まいを変え、聖蹟桜ヶ丘の家を手にしたが、地域に積極的に入るほどの時間を教師の生活は与えてくれなかった。

もちろん、あの祭りの中に入っている先生達もいるとは思うのだが、私はそこに居場所を作る事はなかった。地域に根ざした教育をというが、土日に地域にいる事が難しい教師にはそりゃあ、不可能だ。とくに、お盆が絶対のような思いの強く残る東北や沖縄なら話は別だろうが、東京ではねえ。

何もかも手に入れるということはないと思うし、外側から見続けるという事もあるのだろうなと思う。もちろん、こんな私が京都の生活を始めるぐらいだから、あそこに入る事もあるかもしれないが、いまはこうして外から見る私であり続けると思う。

街に住みながら、街を見ているだけなのかもしれない。
でも、そういう生き方もあるのかなあと思っている。

2006/05/05

民衆を救おうとする手の勢い

従兄弟の結婚式で山形に来た訳だが、いろいろと考える時間が出来て良かった。

            ◆

従兄弟は山形で小学校の先生をしている。私と違って非常に真面目な彼は良い子どもたちを育てている。結婚式の披露宴で子どもたちが先生のために歌った歌が流れたのだが、これが良い合唱であった。これだけで従兄弟は良い実践をしているのだなあと思った。

もう一人の従兄弟の子ども(こういうのはなんて呼ぶのか分からないが)が小学校三年生になっていた。人の子どもの成長は早いというが、まさに早い。いつのまにこんなにむずかしいことを訊くのかと思う。
「は、と、がのない主部はどうやって見分けるのですか?」
なんてことを小学校三年生が訊くか?
例文を出してくるので、その場合については答えたが、一つ答えると次から次へと質問をしてくる。小学校三年生の言葉で説明しなければならない。全くもう面倒くさい。その面倒くさい事にきちんと付き合う小学校の先生に敬意を表したいと思う。

            ◆

山形でおいしかったのは「うるい」。山菜なので、この時期にしか食べる事が出来ないが、これを茹でてごま和えのドレッシングで食べる。「ウド」かと思ったが、これがそうではなく、シャキシャキしながら甘みがあって、お気に入りになってしまう。お土産にも買う。

            ◆

山形の庄内を支える景色と言えば、なんと行っても「鳥海山(ちょうかいさん)」である。とにかく美しい山だ。私達が山形にいた時期に庄内では田植えが始まった。父の話によれば、
「鳥海山に、『種まきじいさん』が出てきたら、田植えをするのだ」
ということである。

鳥海山の山肌に雪解けによって出てくる模様が、種まきじいさんだという。私はその姿が分からなかったが、どうやらそれが出たらしいのだ。気温とか、気象庁の予報だとかではなく、目の前の鳥海山が示してくれる姿が答えであるというのは、いいなあと思う。

            ◆

結婚式の翌日には、「土門拳写真美術館」に足を運んだ。ちょうど入江泰吉との二人展覧をやっっていたので見に行ったのだが。

これが良かった。

同じ大和路を撮影しながら、二人の作品に対する姿勢の違いがきちんと作品によって描かれている。切り取ろうとする土門、包み込もうとする入江というところであろうか。これが見事であった。

書道では、作家の作品の上に半紙を置いて写し書きをする事を「模書」という。絵画では、作品を見ながら、その通りに描くことを模写という。教育では先達の授業を記録の通りにやることを「追試」という。

二人の作品を見ながら思ったのは、写真にも「模写」または「追写」ということが可能なのではないかという事である。

場所を探す事はそんなに難しい事ではないと思うが、時間、季節、風、気温、湿度、天気などを揃えて同じ一枚を手にすることの道のりを経ることで、書道、絵画、授業と同じように作者の技術や意図を追う事が出来るのではないかと思った。

            ◆

土門写真の中で印象的なものはいくつかあったが、千手観音の写真は凄かった。千手観音を横から撮影し、その手だけを写しているのだ。

民衆を救おうとする手の勢い。いや、救われたいと思っている人たちの多さか。その手の多さをリアルに感じていたであろうその時代の姿を、この角度で切り取ったのかと思った。

            ◆

酒田は高田屋嘉兵衛が活躍した日本海航路の重要な港であった。今でもその時の名残が、山居倉庫として残っている。往時は凄かったのだろうと思わせる。しかし、今は駅前も割とひっそりとしている。船よりも電車、電車よりも自動車と人々の流れが変わってきたので栄えている場所が変わっているのだ。

確かに自動車があれば、非常に快適に過ごせる町になっている。庄内空港まで30分。そして、自動車は無料で停められる。買い物にしても、遊びにいくにしてもすぐである。ただ、冬の厳しさはあるし、派手な喧噪はない。刺激という点では若者には物足りないかもしれない。生活するにはいいとは思うのだが。

            ◆

今回も東京へは夜行バスを使う事にした。
一つ分かったのは、バスの後ろは跳ねるということである。後ろの席が空いていたので私はそちらに移動して足を伸ばしていたのだが、まあ、跳ねる。あれがダメな人は、足を伸ばせてもダメだろうなあ。

21時30分に酒田駅前を出て、途中に二カ所でピックアップして渋谷に着いたのが6時30分。ちょっと首が痛くなったが、夜行バスに少し慣れたかな。

朝の渋谷は、夜の疲れを引きずっていながらもきれいに輝いていた。
バスはマークシティに到着する。乗客はトイレに向かう。私はトイレ付きのバスに乗る事にしているが、ついていないバスもある。だから、下車と同時にトイレに向かうのかと思いきや、そうではない。

化粧である。

トイレに入る前と後で、こんなにも違うかと思うぐらいに化けている。とくに目玉の化け方が異常である。そこだけ別の生物がいるかのような化け方である。自分で怖くないのだろうか。私は気持ち悪い。

            ◆

さあ、GW後半だ。

2006/05/03

憲法記念日

今日は憲法記念日だ。
憲法を最初に勉強したのは、中学生の時だが、本格的にやったのは高校時代だ。

私は文学部出身のくせに、大学受験では倫社政経で挑んだわけで、歴史をやらなかった。倫社政経であるので、世界史は1919年のワイマール憲法よりこっち、日本史は文学史という偏ったものである。

であるので、憲法は必須のものとして暗記した。

その時に、なんで憲法があるのかということを考え、調べた。
私の結論は、
「人間は馬鹿なので、人間の行動が暴走しないように重りを置く」
というものであった。

憲法9条なんて、その考えをそのまま表しているのだと思う。

現在、改憲の話が多くあるが、確かに今の社会に必要な理念が欠けているものもある。環境権なんてその最たるものであろう。しかし、現状での生活が動きにくいから、その重しを外そうというのは、憲法の持つ意味そのものを変えてしまうのではないかと思う。

人間が暴走できないように、人間が冷静なうちに人間の手で重しを置く。
それが憲法の意味なのではないだろうか。

2006/05/02

あちこちを見ていたら

朝、実家に向かうときモノレールに乗った。多摩モノレールである。日頃自動車で移動している街を空中から眺める感じで、なかなか気持ちがよい。ちょっと曇っていたが、晴れているとあちこちから富士山を見ることもできる。

んなわけで、あちこちを見ていたら車内で妙な動きをしている女子高生がいるのに気がついた。椅子に座っているのだが、なんか辛そうな顔をしている。座っているから大丈夫か、私と同じように朝はお腹が厳しいのかななんて思っていたのだが、顔色が青くなり、土色になってきて腰の辺りをしきりにさすっている。どうしようかと思ったが、私が声をかけるよりは奥さんの方が良いだろうと思って、奥さんに声をかける事を促したん。

これから学校に向かう予定だったが、家を出た時から急に腰に痛みが走ってきて、とても辛いという。それじゃあ、降りて駅員さんに助けを求めようということで、女子高生と一緒にモノレールを降りる。

奥さんに彼女を任せて、私は階下の駅事務室に向かう。そこで連絡をとり救急車を手配した。こういうときは救急車に限る。

数分後、救急車到着。心肺停止に備えて電気ショックを与える道具や、呼吸装置も持参。彼女の血圧を測り様子を見て、これは必要ないと考えてその道具は撤収。代わりに座って乗れる担架を取りに戻った。

ま、一応の連絡先をと言われるので、私の名刺を渡してやってきたモノレールに乗る。

こういう場面に出会う事が割とあるなあと思う。
助けられるうちに助けておこう。そのうち、私達がお世話になる時が来るだろうから。

2006/05/01

移動

バスの時間は23:00京都駅発なので、ゆったりと過ごす。夕ご飯を三条京阪に出かけていって食べる。時刻は20:00ぐらいだろうか。鴨川縁にはもうカップルが出ている。夏の風物詩かと思ったが、そうではなく春の宵にも。ま、寒くもなく暑くもなくである。しかも、心地よい風が吹いている。良い季節だ。

高瀬川沿いの店をチェックし、京都の夜景を堪能する。一番高い建物は、京都ホテルオークラだろう。そのうちあの最上階のバーで一杯やろう。今日は、この二日間飲み過ぎたので、断酒。ipodからは、フォービートジャズを集めたセレクションを流して、歩く。うむ、いいもんだ。

            ◆

今回は前と違うバス会社で帰ってみる事にした。ハーベスト観光である。参列独立シートではあるが、多摩バスよりも少し安い。京都新宿をつないでいて、途中二回の休憩が入って5:30に到着。休憩時間に人の出入りがあるのと、毛布がないのが難点かな。それに、新宿着だと各駅停車で聖蹟に戻らなければならないからさらに1時間かかる。足下の広さはいいんだけど、多摩バスの方が良いかな。

それにしても、京都駅のバス乗り場は旅を盛り上げてくれるいい雰囲気であった。
ちょうど中国の汽車の駅のような雰囲気である。私が旅していた15年ぐらい前は、切符をとるために駅前に二泊するなんてことは当たり前のようにあり、ものすごいたくさんの荷物を持った中国人が群れをなしていたのを覚えている。

いや、京都駅前のバスターミナルが切符待ちの人でごった返していた訳ではなく、出発待ちの人たちで混んでいただけなのだが、
(これから旅やで〜)
という雰囲気が似ていて、私も
(大丈夫だろうか、忘れ物はないだろうか、乗り遅れる事はないだろうか)
とドキドキが増して、出発だと言う気持ちになる。

            ◆

5:00ぐらいに目が覚めた。
バスのカーテン越しに朝日が射してきたのである。そして気がついた。耳が痛くないのである。そうなのである。今回のバスは、東名高速道路経由なのである。前回は中央高速経由である。さすがに東名高速道路経由は、山岳地帯を走らないので高度の差がなく、耳が痛くなる事もなかったということであろうか。

新宿駅前は、昨晩の宴の後があちらこちらに見る事が出来た。傘を振り回しながら何か呟きながら歩く若者。ビルの壁に寄りかかって泣いている女。そしてその横で困った顔で立ち尽くす男。若い女性達にいきなりイタリア語を教えようとしているおじさんのイタリア人。見ているだけで面白いなあ。

            ◆

さて、GWの準備だ。

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