mailではなくて、letterのような気がする
へそ曲がりなので、多くの人が夢中になると夢中になれない私である。
MIXIもそうかも知れない。
こんな私でもご招待して下さる方がいたので、一応入っている。
ただ、なーんにもしていない。
このブログをMIXIの日記に登録してあるだけである。
なんというか、へそ曲がりとしては
1)一般の電脳空間から区切られていると言いながら、全然区切られていない
2)友達の友達と言って、本当に友達かと思う
3)招待する側が偉くて、される側が謙る感覚がある
4)入っている人は友人がたくさんいて、入っていない人はダメだなあという差別感覚に基づいている感じがする
ということも感じて、どうも積極的に参加する気持ちになれない。自分で言うのもなんだが、やっぱりへそ曲がりである。
ではあるが、MIXIで時々嬉しい事もある。
◆
この二日間で、MIXIを通して私のかつての教え子二人からメールが来た。
一人は国立学院聖蹟桜ヶ丘校の時の教え子。ちょこっとしか教えていないはずだが、良く覚えていてくれた。現在トランぺッター。もう一人は青梅市立吹上中学校の時の教え子である。よく遊んだクラスの時の教え子だ。どちらも良いお嬢さんになっていた。
私が大学の教員になっていた事を知らなかったようで、もう少し早くメールが来ていてれば、東京で飲み会でもしたのになあと思った。が、メールだけでも十分嬉しい。こういうmailは、mailではなくて、letterのような気がする。
「先生、遠くにいってしまったんですね」
と言われたが、んなもん、電脳空間ですから聖蹟桜ヶ丘にいようが京都にいようが、あまり変わらない。これはこれで実に不思議な感覚である。
◆
もう一つ、私のHPの本家を見て参考になったということで、カナダからもメールが来た。日本語を指導する際、漢字や作文の指導方法の参考になりましたという御礼のメールである。
私は、「情報は、使ってもらってはじめて価値が出る」という考え方を持っているので、こういうメールはとても嬉しい。嬉しかったのでマル秘の指導プリントまで送ってしまった。
研究室の窓の外は、細かい雨の降り続く一日であった。
なかなか原稿が進まない一日でもあった。
だが、二つ仕上げられたのは、こういう嬉しいメールがあったからだと思う。
私は教え子に恵まれているなあ。
幸せな事だ。
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コメント
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私にとって、MIXIのいいところは、「あしあと」が残ることですね。「へー、こんなかたがわざわざみにきてくれているんだー」「なぜ、このかたは、私のページを・・・」。
あしあとやマイミクをみて、MLが活性化できなかった要因のひとつもわかったりします(^_^;)
2)「友達の友達」でも、知らない人がいっぱいですよね。知り合いがいる場合もいますが、そうでないかたもいます。
「その人をしりたければ、その友をみよ」はいえるかな。
私は、こういうツールもあるよ、ってことで、一応、知り合いのかたにご案内するんです。入るのも入らないのも、その人の自由ですから、強要しません。メールは、ちかごろ、スパムメールがおおくて、もう、あける気がしないくらい(-_-;)
でも、ミクシィ、おもしろいのは、酔睡亭さん同様、「先生は、○○高校の進学指導を担当されたいたことありますよね?」などというメッセージが届いたり。それって、15,6年前で・・・ごめん、顔が・・お・も・い・だ・せ・な・い(^_^;) というようなことがあります。
ブログという「放射コミュニケーション」のおもしろさは、まだいろいろあるようですね。
投稿: ピグマリオン | 2006/05/14 05:56
酔睡亭さん同様、あまりmixiにのめり込むことができないわたしです。
のめり込めない自分を、歳なのかなぁと思っていました。
わたしは、へそ曲がりというよりも、単純にどこがどのように面白いのかが分からないというのが本当のところです。
まぁ、こんなことを書くとmixi信望者にいろいろと諭されるのかもしれませんが。
一応、mixiをはじめとするSNS(ソーシャルネットワーク)関連の書籍も読んでなるほどなぁと思った部分もあるのですがね。
単純に言えば、自分の思ったことを外にはき出させるところ(つまりインターネット)があって、そこに雑文をまき散らしているだけで、今の自分は満足している
というところが本質的なところかなぁと思います。
mixiのそれぞれの発言を追っていくところが、以前のniftyのように洗練していないので、自分が必要とする情報を見つけていくことが面倒だったり、困難だったりするところもわたしがのめり込めない一因かもしれません。
長くなりそうなので、このあたりで。
投稿: あべたか | 2006/05/14 07:26
その、mixiにて先生と再会できた元生徒です(笑)。
mixiに限らず、ネットはとかく悪く言われがちですが
こういう嬉しい出会い、再会などがあったりすると
いいものだなぁと思います。
投稿: ゆうちゃん | 2006/05/14 09:30
まぁ、ぼくなんかは、そこそこ活用(?)している口で。
ちょっとした、RSS的な使い方をしています。
また、コミュニティーではたまに、「へー!」っていう情報もちらほらあるし、
たまに、かつての教え子が、「こんちわ〜」ってくるのもうれしいものです。
投稿: いけち | 2006/05/14 10:41
ピグさん、ありがとうございます。
そうなんです、ここを受け入れられるかどうかってところが違いだと思います。
良い悪いではなくて、自分が受け入れられるかどうかだと思います。
ただ「閉鎖性」一つをとっても、夜の第二職員会議*1のような感じがあって私はダメなんです。
これは私が感じるだけで、そうではないという方がほとんどだと思います。で、どっちが良くてどっちが悪いということではないのは、何回も言うところです。
*1 ボスがいてそのボスに従っている一部の人たちだけが参加できて、参加は拒まないけど参加した以上は、つねにそのボスに従うという暗黙の了解があって、しかも職員会議の原案中の原案を作ってしまうような飲み会の事です。
でも、出会いの一つのきっかけが増えたのは嬉しい事です。特に教師の場合は、多いと思います。
◆
あべたかさんもダメ派でしたか。
niftyと違うのは、発言者の個人データが本人によって登録されているので、そのデータを元に他の参加者が個人のカテゴリーで人を探す事がしやすいという事でしょうか。
niftyのフォーラムでは、フォーラム自体にカテゴリーの特徴があり、そこに集う人は興味関心が同じだから会話がしやすいということでしたが、もちろんグループもありますけど、MIXIは、いきなり個人にいくのだと思います。そこが気持ちのよい事もあれば、恐ろしい事もあるかなと。
◆
ということで、元生徒のトランぺッターゆうちゃんですね(^^)。
ネットは道具ですから、良いも悪いもないわけで使う人間の使い方の問題だと思います。ただ、相性があって、合う合わないはあるということでしょういか。
例えば、採点に使う筆記用具であってもボールペンが良い、サインペンが良い、万年筆が良い、筆ペンが良いなど、人によって違うでしょうし、私だってその時の気分や感触で使い分けます。
とまれ、MIXIがなければこうして再会する事もなかったわけですから、これはこれで素直に喜びましょうね(^^)。
投稿: 池田修 | 2006/05/14 13:10
遅くなりましたが、そのmixiで再開できた元生徒その2です。
「先生、遠くにいってしまったんですね」と言いましたが、確かに…mixiやHPを拝見していると、遠くに行かれてしまったなぁと思いを馳せない限り、限りなく近くにいらっしゃるような気もします。
私もmixiを活用する一人ですが、先生の言う2)、4)に同感です。
でも本当に親しい人だけをマイミクに登録しているので、逆にその少なさに自信を持っていたりもします。
何にせよ育児中でなかなか外に出られない私にとっては、友達や恩師を身近に感じることの出来る良いコミュニケーションツールです!
それにメールじゃなくてレターと思って頂けて嬉しい限りです!
レターと同じくらい心をこめて送れば、メールもそんなに味気ないものでもないかな?と思います。
ただ、ポストで手紙を発見したときの喜びと開封するときのドキドキ感がないのが残念ですね。
今度は手紙を送りたいと思います!
投稿: ゆき | 2006/05/14 13:20
いけちさん、確かにRSSとして毎朝届くメールはありますよね。
でも、私は取りあえず巡回しているのであまり関係ないかな。
コミュニティの情報ってのがよくわからないのかな。
一説によると、MIXIの熱もそろそろ全体として覚めてきたとの事ですが、
私は熱くなる前にかなf(^^;。
教え子からのメールは、やっぱり嬉しいですよね。
◆
ゆきさん、どうも。本を読み始めましたか?
「何にせよ育児中でなかなか外に出られない私にとっては、友達や恩師を身近に感じることの出来る良いコミュニケーションツールです!」
とありますが、確かにそれはそうだなあ。私も原稿を書き続けるとき、机から離れられないわけで、そのときネットサーフィンは気晴らしになるからなあ。
mailとletterの違いをどう説明すれば良いのかよくわからないのですが、まえからなんでe-mailと言っていて、e-letterと言わないのかなと思っていました。
どうなっているんだろ。英語と日本語に詳しい方、教えて下さい。
投稿: 池田 修 | 2006/05/15 09:07