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2006/05/22

ルールには幅がある

大学のある椥辻駅の交差点は、幹線道路の青信号が長くとってあり、地下鉄の入り口に向かう歩行者用の信号は結構待つ事になる。先日も待っていた。向こう側にはおばあさんがいた。こちら側には、青信号を待ちきれないでイライラしている高校生がいた。そして、青信号になるちょっと前に横断歩道を渡り始めた。
(危ない)
向こう側のおばあさんが、その高校生の動きを見て歩き始めたのだ。

幸いにしておばあさんは大丈夫であったが、こういうのは非常にまずいと思う。私が学活で子どもたちに良く言っていたのは、
『先生だって、真夜中の赤信号で車が来なければ渡ってしまう事はあります。が、絶対やってはいけないのが、その交差点で信号待ちをしている人に、子どもとお年寄りがいる時です』
ということだ。
『子どもは、ルールを守らなくてもいいと大人から学んでしまう。そして、お年寄りは信号ではなくて人の動きに反応してしまう。君たちは、車が来たら戻ったりよけたりする事は出来るかもしれないが、お年寄りはこれが出来ない。だから、状況を判断して赤信号でも絶対に渡っては行けない場合があることを理解しなければならない』
と。

ルールに幅があるなんてのは、本当かどうかは分からないが、私はそこが運用というか教育だと思っている。

            ◆

教師になりたての頃、職員会議で大笑いされた事がある。
「○○ということを子どもたちにきちんと守らせて下さい」
という発言があった。○○は名札を付けさせるかなにかだった気がする。私は、
『ちょっと時間が欲しいのですが』
「なぜですか」
『守らせるのには、なんというか生徒に指導の段階と言うか、幅を持たせないと上手く行かないと思うのです』
と言ったところ、
「決まりに幅があるなんて聞いた事がありません」
と大笑いされたのだ。

私はそれでも
『いや、ルールがある以上、目標としては分かるのですが、それは私が分かる事であり、子どもたちが分かる事かというと、違うんではないかと。また、分かったとしても納得するのにはいろいろな説明が必要になると思うのです』
のようなことを言った。
しかし、
「ルールなんだから、とにかく守らせれば良いんだ」
の一言が支配した。私の次の言葉を言わせない発言であった。

私は争うのをやめて
『努力します』
のように答えたと思う。

            ◆

でも、今でも考え方は変わっていない。名札なんて学校によっては個人情報が漏れるから危険で付けるなというところもあれば、プラスチックの板に名前を彫ってそれを制服に縫い付けている学校もある。学校によって理由は色々なのだ。それをきちんと説明して、子どもたちが、なるほどそういう流れがあったのかと分からせる事が大事だと思っている。

ルールは、守る事と変える事が大事で、どういう流れでルールが出来たのかと学習する事が、新しいルールを作る事、または今のルールを守る必要性を学ぶ事になると考えている。

とにかくルールなんだから守らせろという考え方を持つ先生に、その後の見通しがあるのであれば、それはそれでいいのであろうが、そういうことはなかった事が多かったと思う。

指導とか、説得とかってのは面倒くさいが、こういうことを繰り返すことでしか本当のところは出来ないのではないかと思う。

だから、ルールは指導の流れに沿って幅があって良いという事だ。
違うかなあ。

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コメント

「ルールには幅がある」
中学校現場にいると、それがよくわかります。
話がずれてしまうかもしれませんが、教師の勘違いが多いのはその部分だと思います。
ある学校(または地域)の「常識」が、隣の学校では「非常識」であること。反対に、ある学校の「非常識」が、隣の学校では「常識」であること。
そのことに気づかない教師がいるわけです。
特に同じ学校に長く勤務している教師が陥りやすい過ちですね。
生徒指導における基準なんて、同じ市内の学校でも違いがありますから・・・・。異動して新しい学校に赴任すると、その学校独自のローカル・ルールに慣れるまでに時間がかかります。

まいど。今週末は盛岡ですよね。
私は発表もせずですが、楽しみです。

さて、異動をするとどこまでがこの学校の指導ラインなのかを見極めるのに神経を使いますよね。「んなもん関係ない。自分は自分でやるんだ」と言う人もいますが、チームで動く以上、このチームの胆はどこにあるのか、つまり、最大多数はどこなのかを理解しなければ、助けることも助けられることもできないわけです。

しかし、これは教員側から見たルール。
子どものほうからすればそんなことは知ったことではない。
子どもが納得するのは、正当な理由があるルールであるかどうか。

もちろん、中学生の時にはその正当なルールが分からないこともあるでしょうが、大人が逃げているかどうかと言うのは直感的に分かるのが中学生ですよね。

何が正しいのかというのは難しい時代になってきているとは思いますが、少なくとも手続き的正統性と、人類が今まで築いてきた価値、大人の責任で正しいと思うことぐらいについては、正しいと主張し、その方向に幅を持って指導したいと思うわけです。

はい。

盛岡でお会いできるのを楽しみにしております。
その前に中間考査を作成しないと・・・。

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