そこに居場所を作る事はなかった
府中では、大国魂神社で暗闇祭りが行われていた。この暗闇祭りに合わせて、神社の横にあるビアハウスケンでは、ビールの有料試飲会がある。今年も参加する事が出来た。いつも肴がなくて口が寂しかったので、今年は聖蹟桜ヶ丘で蛸のマリネと手羽先のスモークを買って出かけた。
府中はもの凄い人であった。
大国魂神社の暗闇祭りは、約1900年前から続いている。府中というのは、武蔵の国の首都だったわけだし、歴史は凄いものがある。奈良の春日大社は、この府中からの使いによって開かれたなんて話も聞いたような気がする(未確認)。
大きな太鼓を叩き、飛び子が跳ね、植木市があり、出店が並ぶ。そんな中で私は一人ビールを頼み、本を読みながら、肴をつまむ。
そして、私はあの中に入る事はこれからもないのだろうなあと思う。
団地に住まいし、下宿、教員住宅と住まいを変え、聖蹟桜ヶ丘の家を手にしたが、地域に積極的に入るほどの時間を教師の生活は与えてくれなかった。
もちろん、あの祭りの中に入っている先生達もいるとは思うのだが、私はそこに居場所を作る事はなかった。地域に根ざした教育をというが、土日に地域にいる事が難しい教師にはそりゃあ、不可能だ。とくに、お盆が絶対のような思いの強く残る東北や沖縄なら話は別だろうが、東京ではねえ。
何もかも手に入れるということはないと思うし、外側から見続けるという事もあるのだろうなと思う。もちろん、こんな私が京都の生活を始めるぐらいだから、あそこに入る事もあるかもしれないが、いまはこうして外から見る私であり続けると思う。
街に住みながら、街を見ているだけなのかもしれない。
でも、そういう生き方もあるのかなあと思っている。
« 民衆を救おうとする手の勢い | トップページ | GWの読書 学び論、構成主義 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント