« 憲法記念日 | トップページ | そこに居場所を作る事はなかった »

2006/05/05

民衆を救おうとする手の勢い

従兄弟の結婚式で山形に来た訳だが、いろいろと考える時間が出来て良かった。

            ◆

従兄弟は山形で小学校の先生をしている。私と違って非常に真面目な彼は良い子どもたちを育てている。結婚式の披露宴で子どもたちが先生のために歌った歌が流れたのだが、これが良い合唱であった。これだけで従兄弟は良い実践をしているのだなあと思った。

もう一人の従兄弟の子ども(こういうのはなんて呼ぶのか分からないが)が小学校三年生になっていた。人の子どもの成長は早いというが、まさに早い。いつのまにこんなにむずかしいことを訊くのかと思う。
「は、と、がのない主部はどうやって見分けるのですか?」
なんてことを小学校三年生が訊くか?
例文を出してくるので、その場合については答えたが、一つ答えると次から次へと質問をしてくる。小学校三年生の言葉で説明しなければならない。全くもう面倒くさい。その面倒くさい事にきちんと付き合う小学校の先生に敬意を表したいと思う。

            ◆

山形でおいしかったのは「うるい」。山菜なので、この時期にしか食べる事が出来ないが、これを茹でてごま和えのドレッシングで食べる。「ウド」かと思ったが、これがそうではなく、シャキシャキしながら甘みがあって、お気に入りになってしまう。お土産にも買う。

            ◆

山形の庄内を支える景色と言えば、なんと行っても「鳥海山(ちょうかいさん)」である。とにかく美しい山だ。私達が山形にいた時期に庄内では田植えが始まった。父の話によれば、
「鳥海山に、『種まきじいさん』が出てきたら、田植えをするのだ」
ということである。

鳥海山の山肌に雪解けによって出てくる模様が、種まきじいさんだという。私はその姿が分からなかったが、どうやらそれが出たらしいのだ。気温とか、気象庁の予報だとかではなく、目の前の鳥海山が示してくれる姿が答えであるというのは、いいなあと思う。

            ◆

結婚式の翌日には、「土門拳写真美術館」に足を運んだ。ちょうど入江泰吉との二人展覧をやっっていたので見に行ったのだが。

これが良かった。

同じ大和路を撮影しながら、二人の作品に対する姿勢の違いがきちんと作品によって描かれている。切り取ろうとする土門、包み込もうとする入江というところであろうか。これが見事であった。

書道では、作家の作品の上に半紙を置いて写し書きをする事を「模書」という。絵画では、作品を見ながら、その通りに描くことを模写という。教育では先達の授業を記録の通りにやることを「追試」という。

二人の作品を見ながら思ったのは、写真にも「模写」または「追写」ということが可能なのではないかという事である。

場所を探す事はそんなに難しい事ではないと思うが、時間、季節、風、気温、湿度、天気などを揃えて同じ一枚を手にすることの道のりを経ることで、書道、絵画、授業と同じように作者の技術や意図を追う事が出来るのではないかと思った。

            ◆

土門写真の中で印象的なものはいくつかあったが、千手観音の写真は凄かった。千手観音を横から撮影し、その手だけを写しているのだ。

民衆を救おうとする手の勢い。いや、救われたいと思っている人たちの多さか。その手の多さをリアルに感じていたであろうその時代の姿を、この角度で切り取ったのかと思った。

            ◆

酒田は高田屋嘉兵衛が活躍した日本海航路の重要な港であった。今でもその時の名残が、山居倉庫として残っている。往時は凄かったのだろうと思わせる。しかし、今は駅前も割とひっそりとしている。船よりも電車、電車よりも自動車と人々の流れが変わってきたので栄えている場所が変わっているのだ。

確かに自動車があれば、非常に快適に過ごせる町になっている。庄内空港まで30分。そして、自動車は無料で停められる。買い物にしても、遊びにいくにしてもすぐである。ただ、冬の厳しさはあるし、派手な喧噪はない。刺激という点では若者には物足りないかもしれない。生活するにはいいとは思うのだが。

            ◆

今回も東京へは夜行バスを使う事にした。
一つ分かったのは、バスの後ろは跳ねるということである。後ろの席が空いていたので私はそちらに移動して足を伸ばしていたのだが、まあ、跳ねる。あれがダメな人は、足を伸ばせてもダメだろうなあ。

21時30分に酒田駅前を出て、途中に二カ所でピックアップして渋谷に着いたのが6時30分。ちょっと首が痛くなったが、夜行バスに少し慣れたかな。

朝の渋谷は、夜の疲れを引きずっていながらもきれいに輝いていた。
バスはマークシティに到着する。乗客はトイレに向かう。私はトイレ付きのバスに乗る事にしているが、ついていないバスもある。だから、下車と同時にトイレに向かうのかと思いきや、そうではない。

化粧である。

トイレに入る前と後で、こんなにも違うかと思うぐらいに化けている。とくに目玉の化け方が異常である。そこだけ別の生物がいるかのような化け方である。自分で怖くないのだろうか。私は気持ち悪い。

            ◆

さあ、GW後半だ。

« 憲法記念日 | トップページ | そこに居場所を作る事はなかった »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 民衆を救おうとする手の勢い:

« 憲法記念日 | トップページ | そこに居場所を作る事はなかった »

2022年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31