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2006/05/11

先生は大変ではありません

S1 教師の話し方、板書の仕方について学んだ。はなし方や板書の仕方にもいろいろな種類があって、楽しく学ぶ事が出来た。しかし、一方で、教師はこんな細かい部分まで気をつけながら授業を進めなければならないと思うと、やはり大変な仕事だと思った。

T 「教師はこんな細かい部分まで気をつけながら授業を進めなければならない」という考え方ではなくて、このように配慮をすると子どもたちは無駄な労力を使わずに学習を続ける事が出来るという考え方です。

極論してしまえば、勉強のできる子どもたちは、教師がどんな授業をしても勝手に学力を付けていきます。がしかし、勉強の苦手な子どもたちは、教師のちょっとした配慮不足でつまずき、それは
(自分が馬鹿だからだ)
と自分を責めるようになります。

だから教師はそういう子どもを出さないように配慮をするのです。

            ◆

S2 今回、板書の基礎として私は6・4の構えとは凄く大切だと思った。いつも先生は何気なく板書をしているだけだと思っていた。確かに先生が黒板に文字を書き出すと、消しゴムを投げる子、手紙を回す子など様々な子どもたちがいた。板書をしている時もしっかり生徒を見る事が大切なんだと改めて思った。先生は本当に大変なんだと思った。

T 「先生は本当に大変なんだと思った。」とあります。大変かどうかというと、大変ではありません。正解は「ものすごく大変」です。その人の将来に影響を与え、人類の方向にまで影響を与える仕事です。大変なんてものではありません。

じゃあ嫌な仕事なのかというと、これは違います。とても魅力のある仕事です。ちょっと考えてみましょう。世の中には、「大変だからやりたくない」ということと、「大変だからやりたい」ということの二種類があるということです。たとえば、ジグソーパズルです。私は見ただけでも面倒くさくてやってられませんが、あの面倒臭さが楽しくてジグソーパズルに没入する人がいる訳です。

ジグソーパズルと教育を比較して良いのかということは置いておいて、ここで言いたい事は大変で面倒くさいことは、実はやりがいのある事であることもあるということです。一つ一つ教師としてのきちんとした考え方を身につけて、教育に関わることができるようになれば、「大変だからやりたい」ということが分かってくるのではないかと思います。

            ◆

S3 今日の授業のチョークの種類の多さには驚きました。特に、○○の出来るチョークはすごいし、使えるなと思いました。
また、板書には、生徒としての側から見ている時には、こうやったら見やすいとか、いろいろ思うのに、教師の立場になって、板書してみると、よりよい板書にすることはなかなか難しいなあと思いました。

T 一つ誤解のないように言っておけば、あの「○○のチョーク」は、チョークではありません。チョークの形をした○○です(笑)。インターネットには流さないマル秘の情報です。
実は、あれを教室でやった後、生徒は教室の黒板をきれいに消し、チョーク受けにあったチョークを全部片付け、一本だけ「○○のチョーク」を置いておき、次にきた先生がその「○○のチョーク」で書かざるを得ない状況を作って、先生がどんな対応をするのかを楽しみに見ていたという事件が発生しました。
その先生は、
「あれ? あれ? おかしいわね」
と黒板に書けない○○のチョークで難儀するということがあったようです。教育実習中にそんな目に遭ったら、「○○のチョーク」である事を思い出し匂いを嗅ぎ、○○してしまって、生徒の度肝を抜いてあげて下さい。「○○のチョーク」でなかったとしても、伝説に残るでしょう(笑)。

             ◆

S4 今日は、少しだけ板書をしたのですが、黒板を目の前にすると、文字の大きさは、まっすぐにかけるかどうかなどが、分からなくなりました。それから、ゆっくり書いても文字の形をとるのも大きく書くのにも苦労したし、黒板は思っていたよりも高い位置にあり、上の方に書くのが大変だと感じました。想像以上に板書が難しかったので、真剣に練習していかないと大変なことなると思いました。
話すことの技術について、聞いている分には納得できるのですが、いざ実践しようと思っても出来ないだろうと思いました。特にメリハリ、視線の部分は、意識しても難しいだろうと思いました。

T とても良い気づきをしましたね。授業でも何回も話す事になると思いますが、「頭で分かる事」と「実際に出来る事」にはもの凄く大きな差があります。その差を埋めるための行為をトレーニングという訳です。

私は大学時代に先生に「命令」されて黒板に漢文の白文を書かされ続けました。また、塾の教師をしながら黒板の使い方を練習しました。大学の書道の先生のところに
「どうやったらそんなにきれいに黒板に字が書けるようになるのでしょうか?」
と伺ったところ、
「まあ、年期が違うからね」
と門前払いでした。

悔しかったので私は先生が書いた黒板の文字の上から違う色のチョークで模書をしてトレーニングしました。模書をして少し書けるようになったら臨書してと書道の時間のあとは黒板を消しにくるおばさんに
「私が後で消しておきますから」
とお願いして書き続けていました。半年ぐらい続けたらチョークで書くコツのような物がつかめるようになりました。

みなさんは教師になるわけで、自分ができる必要があります。そしてその出来るようになった姿を客観視して、生徒ができるようになるために指導するわけです。自分の経験や人の経験を取り入れて、目の前の生徒に合った方法で指導するわけです。

いま、自分が出来ないという実感をする事は、指導者になるための大事な実感、気づきです。そこから自分をどのように高めていくか、どんなトレーニングを行うのかを見つめて、力を付けていって下さい。

            ◆

S5 ナンバリング、ラベリングをするだけで、相手にききやすくなるということが、わかったので、人前で話す際は取り入れて慣れていきたいと思います。メリハリの付け方は、結構難しいと感じたので、ジェスチャーや表情、声量、スピードなどは、普段できることは、今後できるだけ意識していきたいと思います。

T 授業の性格上、あれもこれもと紹介するわけですが、トレーニングをする時は自分が出来そうなもの、必要なものに絞ってやるのがいいですね。メリハリに関しても、一つのスキルが出来るようになると、メリハリの他のものについてもやりやすくなる事があります。そんなことを考えて取り組んでみて下さい。

            ◆

S6 話し方のテクニックがこんなにあるとは思いませんでした。特にメリハリはたくさん項目があってたじろぎました。メリハリの中の一つの表情で、家に帰って笑顔を練習してみました。すると自分は笑っているつもりでもなかなか笑顔になりません。自然と笑ってしまうような場合は別として結構大げさにやらないとダメなんだなと感じました。

T これもいいですね。そうです、実感が大事なのです。私が授業中に言った自分の授業を録音してみるという修行方法も、この実感を得るためにやるのです。
(あれ、思ったよりも良くないなあ)
と大概は思うはずです。そこから始まります。

役者の表情にもテレビの表情と舞台の表情があります。ズームアップしてくれるテレビであれば画面の中で微妙に微笑む事ができるかどうかが、その役者のテクニックですが、舞台ではまた別の物が模のめられます。自分で笑っていると思っていても、40人相手の微笑みとは自ずと違ってくるはずです。

ま、露骨にやるものでもありませんが、ちょこっと意識してやれるのはとても大事だと思いますよ。

(教科通信 修学 NO9.10より)

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