富山へ その1
ということで今は氷見の宿にいる。
いやあ、魚が美味しかった。今は旬ではないと言うことであるが、美味い。
風呂は、富山湾を一望できる露天風呂があり、これで部屋がもうちょっと良ければとは思う。
贅沢かなあ。
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今回の旅は、月曜日にその目的があるのだが、その前にちょっと早く富山に入り旅を味わう。
琵琶湖の湖西を161号で北上し、8号経由で北陸自動車道に敦賀インターチェンジから乗り込む。梅雨の晴れ間を得た今日は非常に心地の良いドライブが出来た。
新緑がまだ見事で、山間部に海沿いの道もありと変化に富だ北陸自動車道は走っていて楽しい。徳光SAでは、目の前が砂浜で海を触ることが出来た。もう、十分泳げる温度だった。
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後少しで待ち合わせ場所の高岡北ICというところで、対向車線を見たことのある人の運転してる珍しい車がすれ違った。私は赤色のフィアットバルケッタだと思っていたが、その車は青であった。しかし、見たことのある顔の人が運転していた。
(おかしいなあ)
と思っていたら電話。
「いやあ、間違えて高速道路に乗ってしまいました」
とのこと。待ち合わせをしていた門島先生である。
私が勝手に赤のバルケッタだと思っていたのだが、青であった。私のカペラカーゴを対向車で発見し、八王子ナンバーであることから私だと判断して電話をくれたのだ。
こんな出会いから旅は始まった。
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二上山に登る。
景色は抜群。
立山を見ることが出来ないと残念がっていたが、十分の景色であった。
実はこの場所、10年ぐらい前に奥さんと一緒にキャンプで泊まっていたことを思い出した。その頃は、夏の研究会に行く途中と終わってからをキャンプしながら日本を回っていたのだ。それでここ高岡のオートキャンプ場に泊まったのを思い出したのだ。
縁のある土地である。
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さらに万葉歴史博物館に出向く。
この土地は大伴家持が若い時に都から赴任していた土地である。
彼の仕事は、当時建立されていた奈良の大仏のために米を作って都に送ると言うことだそうだ。
一種の左遷であったが、そのために彼はこの地の雄大な自然に出会うことになる。
海の向こうに3000m級の山を見ることが出来る場所と言うのは、世界でも数カ所しかないらしい。山と言えば大和三山ぐらいしか知らなかった彼にしてみれば衝撃であったろう。
衝撃と言えばこの記念館に門島さんの恩師がいたことだ。ボランティアのガイドがいるのだがそのガイドをされていたのだ。中学校の国語の教師を退職されてここでボランティアをされていたのだが、門島さん曰く、
「中学の時と全く変わっていない。正統派の富山弁でした」
とのこと。勢いのある解説でとても楽しかった。
その後、雨晴海岸などを案内してもらい、宿に着いたと言うことである。
そして、すぐに露天風呂に飛び込んだ。
走行距離300KMちょい。結構良いドライブであった。
明日は、近所を散策する予定である。
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コメント
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万葉歴史博物館って、なんて魅力的な博物館なんでしょう。
行ってみたい・・・。
投稿: Nekoskey | 2006/06/27 19:06
はい、とても勉強になりました。
大伴家持のことを土地の人が愛しているというのが
よく分かる博物館でした。
書道の作品としてもいいものがありましたし、
万葉集の研究論文も著者別にきちんと分類されていて、
Nekoskeyさんならずとも、
とても気に入るのではないかと思います。
北陸支部に用事のある時は、お立寄を。
投稿: 池田 修 | 2006/06/28 16:02