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2006/06/28

京都から、日本の教育を少し変えるきっかけを

今から12年前に、全生研(全国生活指導研究協議会)の京都大会があった。
ディベート甲子園が始まる一年前のことである。
私はディベート甲子園が始まる前は、全生研の全国大会に参加していたのだが、ディベート甲子園の日程と重なることが多くなり、足が遠のいてしまっている。

その私にとっての最後の全生研の全国大会の閉会セレモニーで、ガンガンのロックコンサートをやっていた京都の小学校の先生がいた。今村克彦先生である。

私とて、中学、高校とバンドをやっており、教師になってからは軽音楽部の顧問もしていたぐらいであるからして多少のことは分かる。その私が見ても
(すげ〜〜)
と思うコンサートであった。

            ◆

で、その今村先生と昨日飲んだ。京都の駅前のホテルのビアガーデンで飲んだ。
今村先生のマネージャーのあやちゃんと、糸井先生と私の4人でビアガーデで飲んだ。

きっかけは今村先生の本である。今年出された『夢の見つけ方教えたる—タイマン先生と悪ガキどもの心意気』
を読んいるときに、先生が小学校現場を離れたことを知った。
(こ、これは!)

            ◆

全生研は、子どもの事実から教育を考えるという立場を取っており、私はこのことが全生研を全生研たらしめているポイントだと、勝手に思っている。

そして今村先生は、子どもの事実から教育を語ることの出来る先生だと思っている。もちろん、最初に到達すべき目標を設定して子どもを指導することは大事だが、それがすっとできるほど今の社会や子どもたちは簡単ではない。

子どもの一番近くにいて、子どもの事実から、子どもの伴奏者として、さらに伴走者として学校教育に携わることが出来る教師であること。これが今の、これからの教育にはもっと必要になると思っている。

            ◆

今村先生とは、コンサートもそうだがいろいろなところで繋がっていることが分かった。まず、恩師である。竹内常一先生つながりである。私が学生時代に竹内先生が今村先生の実践を話していたのを覚えている。

糸井先生は、奥さんが小学校の講師をされている時に今村先生が勤められている小学校に勤務されていたし、その学校には、小学生時代のあやちゃんもいた。ちなみに、上記のコンサート会場にもあやちゃんはいたそうだ。

糸井先生と今村先生は、カテゴリーは違うがダンスと言う共通項目もある。
さらにさらに・・・、とてもブログには書けないことで話は盛り上がった(^^)。
だって本当に書けないんだもんねえ。

            ◆

で、9月に行う大学での私の「特別活動論」の集中講義で、今村先生に一日特別授業をしていただくことが決定したのだ。バンザーイである。9/8から9/13の間のどこか1日である。本学の教育を目指す学生達に、凄いプレゼントが出来そうである。

学生らが今まで出会ったことの無い子どもたちの事実を、小学校教育と言う営みの中で、今村先生が伴奏し、伴走してきたのかを授業で伝えてもらえるのだ。本学の学生の大きな財産になるだろう。

ではあるが、事務方と調整して上手く行けば、私は公開で行いたいとも考えている。そのときは、告知します。

            ◆

「三人の会を続けましょうや。うちの子どもたちにも会って下さい」

今村先生に言われた。
いやあ、嬉しい。会いにいきますとも、お酒も飲みますとも(^^)。

京都から、日本の教育を少し変えるきっかけを作れるのではないかと思う。

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