小学校4年生にも分かるように説明せよ
高校での模擬授業。45分の持ち時間であったが、チャイムがなってから教室に移動だったので予定していた45分の授業の枠通りに進めるのが厳しくて、参った。
授業の最初に教室を見たら、ペットボトルが一本机の上にあった。
『はい、それではそのペットボトルしまってくれる?』
と言った瞬間、教室の空気が重くなるのを感じる。しかし、そんなことでめげてはいられない。授業を受ける者として、飲み物を机の上に置いておくことを私は許さない。
ま、それでも授業の半ばから教室の空気も暖まり、最後には高校生達も喜んでくれたようだ。アンケート見るとわかる。薔薇という字も書けたことだし。「もっと授業をしてほしい」と書いてくれた生徒も多い。じゃあ、京都橘大学で待っているぜ(^^)。
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高校からはタクシーで大学に戻る。5時間目の授業がある。だけど、15分ぐらい遅れてしまった。すまん。京都は名神高速道路が集中工事で一般道路が混んでいる。んなもんで、タクシーもその渋滞にはまってしまったのだ。
今日の授業は、「作文の指導1」である。学校で指導する作文の種類を「体験の作文」「伝達の作文」「思考の作文」の三つに分類し、主に「体験の作文」の指導法について、その哲学や原稿用紙の使い方、作文指導のアナロジーなどについて話す。
予想した通り、中高で作文の書き方を習ったことのある生徒は皆無であった。なぜか、作文を書く時は「書け」「思った通りに書け」「時間内に書け」「書けなかったら宿題で書け」と命令なのだ。これは指導ではない。
次週は、具体的な指導法について述べることになる。
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研究室に戻り、実習生の指導。扱う教材は「メディアに軽重はあるか」というもの。一週間考える時間を置いての指導。
・「メディア」とは何かを、小学校4年生にも分かるように説明せよ
という課題を与えておいたのだが、彼女がやってきたのは、専門書を読み、そこに書いてある学術的な定義を書き写してきたことであった。真面目な学生がはまるパターンである。
彼女は、学術的な説明を調べ、自分でも理解した。それは正しいし、当然のことである。しかし、それは、説明ではない。小学校4年生が分かるはずもない。
そこで、私は次の説明をした。
『君がしてきたことは、定義を捜してきたことだね。子どもたちにその定義を話しても分からないよ。子どもたちは、手紙、新聞、パソコン、フロッピー、ラジオ、テレビ・・・と具体的なメディアから、抽象的な定義には至れない。教師は、具体と抽象との間の理解を促す「説明の言葉」が必要になるのだよ。そして、それはおそらく「比喩」がキーワードになるはずだ』
という話をしながら、私が中学校でやってきた実践の話、研究授業の山場はどうするか、授業全体のまとめはどうするかなどの話をして終わる。
やる気のある学生の指導は、気合いが入るなあ。
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家に帰ってから今日のことを奥さんに話していたら、奥さんから次の授業のアイディアを貰った。そうか、そういう手があったか。ありがたい。
『こんな時どう言い返す』という本を作った連載も、奥さんの一言から始まったのだが、奥さんのこういう一言は的を射ていることが多いからなあ。新しい展開があるかも。
うーん、いいなあ。
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