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2006/07/31

教育の話、良い授業を作ろうという話だけで延々と3時間

夏休みに入り、一気に自分のことを進める。
日常の生活を動かすための事務仕事のあれこれを進める。
今日の走行距離は80KMを越えている。
はあ、疲れた。
まあ、なんとかなるだろう。

           ◆

夕方研究室に戻り、結局仕事をする。
8/2に行われる大学の研究紀要の合評会があるのだが、
私は一人の先生の論文を読み、発表することになっている。

発表の為のシラバスを作り、その先生との事前の打ち合わせをする。
その為に戻ったのだ。
が、これが面白くて、3時間近く話し込んでしまった。

お酒を飲んでも楽しい先生であるが、お酒がなくとも教育の話、良い授業を作ろうという話だけで延々と3時間も話せるなんて、幸せだ。

良い一日の終わりであった。
さて、帰るか。

2006/07/30

やった!

本日の大イベントが終わった。
やった!
何かは書けないけど、
やった!!

ということでお分かりの方はお分かりだと思いますが、
まだ正式に決まるまでブログには書けません。
よろしくお願いいたします(^^)v

半日語り合った

昨日は児童教育学科の設立のための、第二回目の懇談会があった。
スタッフが集まり、どんな学科にしようか、こんな学科にしたいと半日語り合った。

今までにあるところに入ると言うのも、それはそれで良いのだが、
私のような性格だと無いところから作る(実際は、事務方がその土台をきちんと作ってくれているのだが)方が向いている気がする。

スタッフと話しているうちに、

(うっしゃあ、やるぞ)

という気持ちがますますわいてきた。
まずは、今目の前にある仕事を一つずつ完成させて、次のステップの充実を図ろう。

2006/07/28

本物に触れてもらいたい

Wl_1
夏休み前半の仕事の調整をして午前中を過ごす。
宿の確保や交通手段の確保。ほぼ完了。ふう。
あとは、天候次第である。

            ◆

午後は八月末の夏休み中の集中講義で御呼びしている、ゲストティーチャーの先生方についての事務仕事を中心に行う。

私が集中講義で行うキャリア開発演習1、キャリア開発演習2、特別活動論の3つの授業で、合計4人の先生方をお呼びする。私がお付き合いさせていただいている先生方で、超一流の先生方をお招きする。

思うに、本物に触れることが教育はとても大事だろう。今回の授業は大学1年生と大学2年生を対象としている。教職を目指す学生が受講生である。

教師になろうとする志を持った学生達に、本物に触れてもらいたいと練りにねって考えたゲストティーチャー陣である。

            ◆

学生達は、自分とそのゲストティーチャーとの差に愕然とするはずである。
教育の奥深さ、豊かさ、複雑さ、面倒臭さなどに、教師になることに恐れをなすかもしれない。
でも、私は大学1年生と大学2年であれば、それでいいと思っている。

(ま、こんな感じで教師をやっていけばいいんじゃないの?)
と、教育を舐めてもらってはこまる。
自分がその場所にたどり着くには、もの凄い勉強をしなければならないのだということを実感してほしいのである。

教員採用試験に合格するのはゴールではなく、第一歩目であり、それから逆算したらいまの自分の位置はゲストティーチャーの先生を基準とするとどこなのかを確認してほしいと思っている。

それが勉強の始まりだと考えている。
私も授業を受けるのを楽しみにしている。

写真は、研究室の前の池に咲いた睡蓮の花です。

2006/07/27

前期の授業終了

午前中から午後にかけて大きな一仕事を終えて、落ち着いた気持ちで大学に向かう。
今日は、前期の最終授業。終業式の無いのが大学。だから、授業が終業式もかねることになるのかな。

今日の授業は、句会のリベンジと前期の授業の作文による評価。作文の評価は、書き込み回覧作文で行う。

学生の感想には、私が指導の目標としていたポイントを理解してくれているものが多く、ちょっと安心した。私がこの前期の国語科教育法1でずっと意識していたのは、

「学習者としての大学生から、指導者としての大学生になる」という意識改革であった。

            ◆

橘の学生は、やることはきちんとやっている学生が多いと思うのだが、自分に自信がないのかそれを表に出すことが苦手である。まだまだ勉強している途中なので、指導者になるのが怖いという思いを抱く学生が多いのだ。

これをなんとかしたいなあと思って授業を続けてきた。だから、私は授業ではことあるごとに、
「君たちは教師になるのですから〜」という枕詞を付けて話していた。

そこの意識改革が出てきていると思われる作文が多かったので、良かったと思ったわけだ。
自分は指導する立場に立つんだという肚のくくり方ができれば、真面目に学ぶことのできる橘の学生は、疑問や不安に立ち向かえると思う。

            ◆

後期に対する期待も書かせた。

分かったことが、できるようになるのかという不安。
授業の指導案の書き方が分からないという不安。
生徒の言葉に丸め込まれてしまうのではないかと言う不安。
私の説明が生徒に伝わるのだろうかという不安。
黒板の字がうまくならないという不安。

そして、これらの不安に立ち向かおうとする決意が読み取れた。
私には、これらの不安を取り除くためのヒントを与える授業を期待してくれている。

うしゃあ、やりましょう。
9/21からしっかりとやっていきましょう。

後期は授業内で実際にやってみる場面がもっと増えますから、しっかりとね。

定期考査を作ってみる

高校へ授業に行った関係で大学の授業ができず、その振替で月曜日の2限に授業。テスト問題作りと採点方法などの授業。テスト問題作りの大変さをづーんと理解したようであった。

「先生ってとても大変」

という授業感想だらけ。でしょ、だから「先生はとっても良い仕事だけど、とっても大変な仕事だよ」って授業で話したでしょ。私、正直です。

でも、大丈夫。こんなレベルのことを大学の授業で学んでいる大学生はほとんどいないから。他の大学生が学校現場に入ってから初めて大変な思いをするのを君たちは今しているんだから、学校現場に入ったら大丈夫。だから、学校現場に入らないともったいないよ。

S1 はじめてテストを作ってみましたが、自分のパソコンの使えなさを実感しました。メディアセンターの先生にいっぱい質問しながら作りました。今日のテストの前の先生のお話で”書道では先生に選んでもらうのかな”と思ったというのがありました。そういうことを、気づくか、気づかないかが私と先生の違いの一つなんだなと思いました。(勝手に比べてごめんなさい・・・)私が先生の立場だったら、「自分で選びなさい」と言うだけで、書道のことなんか気にもかけなかったんだろうなと思いました。私も色んなところに気づける力をつけなければいけないなと感じました。

T うーん、君は視点が豊かだねえ。自分を客体化して物事を見ることができるようだね。簡単に言うと、
(私ならどうしただろう?)
と考えることができるんだね。
ま、今回はたまたま私の予測が当たっただけだとは思うけど、一つここから教訓を導き出すとすれば、子どもの現象に教師の予測と違うことがあった場合は、
(何か子どもに特別な理由があるのではか?)
と一歩下がって考えるようにすると良いと言うことだよ。
もし、怒らなければならない場合であっても、一歩下がって考えてからでも十分に間に合うと思うよ。下がらないでそのまま怒ってから教師の誤解があると、生徒との人間関係が壊れてしまうからね。私もこれでよく失敗したよ。
あ、それからパソコンは十分に使えるようにしておくことね(^^)。

S2 教師というのは、テスト問題を作って採点するという作業だけでも、本当にやること考えなければならないことがたくさんあって大変だなあと改めて実感しました。あと、テスト問題はもちろん、あらゆることに対して説明ができるようにしておかなければならないということを学びました。テスト問題を作るのはけっこう時間がかかって大変な作業だったということも学びました。

T 正確に言うと、「あらゆることに対して説明ができる」というのではなく、「基本的な事項については説明できる」であり、「分からないこと」に対しては、「きちんと調べて説明することができる」です。「分からないことを適当に説明する」が一番まずいですね。

S3 テスト問題を作る課題は、何をどうしたらいいのかが、わからず、すごく考えた。教師はこういうテスト問題を毎回作っていると思うと感心した。今日の授業でテスト問題を事前に作っておくと言う方法に驚いた。確かに事前に作ることは、教材研究になるしいい方法だと思った。テスト問題を作り、テストをすることは、子ども成績にかかわってくることだから、子どもが見やすくわかりやすいテストを作ることが大切だと分かった。

T テスト問題を見れば、その教師の授業がだいたい分かってしまいます。つまり、その教師の指導の力量がわかるということです。もちろん、教師は良い問題を作るために仕事をしているのではありません。いい授業をするのが先です。ですが、授業とテストはそういう関係にあることは知っておいていいでしょう。

S4 まずはテストを作ることにこんなにも時間がかかるとは思っていませんでした。お互いのテストを解いたけれど難しいものだと思った。中学生のテストがとけないのかと思うと自信がなくなった。評価する大切さ、説明責任、クレーム。今日は教師のこわい面をたくさん学んだと思いました。私が作った初めてのテスト大切にしたいと思います。

T 教師という仕事は「とっても面白くやりがいがある」一方で、「とっても大変で精神的に疲れる」仕事でもあります。ですが、前者が後者をかすかに上回っていることは事実だと思います。
こわい面をたくさん学んだとのこと。大丈夫。そんなことを大学の授業で実際に学んでいる学生はそんなにいないから。良くあるのは、学校現場に行ってからこの怖さを実感するというものです。今、実感しておけば学校現場に出た時は大丈夫です。だから、早く学校現場に出ようね。

S5 筆者のきもちのよみとりもんだいで、自分が書いてほしかったのと反対のことが書かれていました。正直点数がつけられませんでした。この問題は間違っていたのかなあと思いました。問題を作るのも難しかったけど、解答をつける方も難しかったです。

T つまり、テスト問題を作ると言うことはある種、究極の教材研究になるわけです。なぜ、点数が付けられなかったのか、どうしたら良くなったのかをじっくりと考えてみてください。

S6 テストは、今まで受けてきた中で、どうしてここがこんなに減点されているのか分からないと思ったことは私も今までたくさんあったし、生徒たちの疑問に思う点だと思うので、教師は採点基準を本当に明確にしておかなければならないとすごく今日実感しました。

T そうです。今、またはこれからも教師に必要になるのは「説明責任」です。何が正しいのかということを証明するのは非常に難しいのですが、手続き的な正当性を証明することが正しさに繋がると考えられます。自分の指導の記録を残し、何を基準にしているのかを明らかにする。それが大事なポイントです。

S7 テスト問題を作ることは、思った以上に大変でした。どういう問題を作るのか、というのはもちろんのこと、レイアウトをそろえるのもかなり苦労しました。ちょっとしたことで、ズレてわけが分からなくなってしまい、何回もやりなおして、テストを作るのは本当に大変だと実感しました。パソコンをもっと使いこなせるようにならなければいけないと思いました。

T ただ、一度覚えてしまえば難なくできますし、前に作ったテスト問題のレイアウトもそのまま使えます。だからパソコンは楽なんです。ですが、気をつけてね、君たちが教師になった時、その一年目は非常に忙しいです.新人の研修がもの凄い分量あります。だから、教師になってからパソコンの使い方を学ぶとか、テスト問題の作り方を学ぶなんて暇は、ほとんどないと思ってください。一番忙しい時に、一番大変なことが押し寄せてきます。今、きちっとやり方を身につけておいてください。

S8 問題を作ることだけに必死になっていたけど、テスト問題のレイアウト、解答用紙の作り方等、配慮すべきところがわかりました。教材研究をしっかりして、テスト問題を作りたいと思います。先生って大変だなあと改めて思いました。

T レイアウト、解答用紙の作り方などの配慮は、生徒が解答の時に混乱すること無く答えが書けるようにするということを目的としています。社会に出れば、そういう細かいところも自分でチェックしながら答えなければならないとは思いますが、生徒のうちは、配慮から入りましょう。

S9 今回テストを作ってみて、今まで解く側でしかなかったので、良い経験になりました。しかし、テストを作る上での留意点は想像以上に多く、友達のものと見比べてただけでも、いかに自分の考え方や気配りが足らなかったかよく分かりました。丸の付け方一つにも意味があって注意が必要なんだと思いました。うちの両親もテスト前は私よりも苦しんでいたました・・・。

T 教師になるには、いや、教師としてちゃんと仕事を続けて行くには、もの凄い知識と技術が必要なのだと言うことを理解できてきているようですね。覚えていますか? 教師に必要な力は、「管理の力」「指導の力」「人格の力」の三つです。テストはこのうちのどこだと思いますか?学ぶことはたくさんあります。前向きに生きましょう。

S10 テスト問題を作るのは本当に大変でした。国語は絶対これ!!!っていう答えがない場合もあるので、答えを作りながら自分で「本当にこの答えであっているのかな??」と思ってとても不安になりました。あと解答用紙の欄の作り方がわからず大変でした。欄の高さもバラバラでもっと勉強しないといけないと思いました。教師は本当に本当に大変だと改めて思いました。

T 「国語は絶対これ!!!っていう答えがない場合もある」場合は、問題にしないことです。そういう問題を出せば、採点ができなくなるのは当然です。揺れる問題を出す場合には、部分点の基準を明確にして、出題しなければなりません。
でないと
「結局国語って、勉強しても意味が無いよね」
という子どもを育ててしまいます。
それは、教師の責任ではないかと思っています。

S11 自分の作った問題を解いてもらって、採点の難しさを感じました。不正を防ぐことは本当に大切だと実感しました。採点ミスはしない方が良いというのも自分の経験上わかっています。答案もすべて返ってきて、最後に自分のテスト結果が返った時に点数が自分が取った点よりー50点でした。焦って先生に泣きつきにいったことがあります。この経験から私は採点ミスはしないと思っています。

T 先生達も採点ミスをしようと思ってしているのではありません。しかし、テスト後の採点のできる時間の少なさが現実としてあります。たとえば、テスト後の休日の土日を採点の時間として行事を組み込んであり、なおかつ、その土日は部活動の試合が入っていたりします。生徒は、テストが終わればクラブをしたいからすぐにクラブが始まります。すると、それを指導する教員は採点の時間がないのです。
もちろん、これは生徒に問題があるわけでなく、仕事としてテストをしている以上、教師のミスはあってはならないことです。ですが、そういう事情の中で必死にやっていくのが先生なのだと言うことを理解することは大事だと思っています。ミスをしようと思ってミスをする人はいません。だから、採点ミスが出ないような出題形式を工夫するのです。思いだけでなんとかなると考えるのは、私は危険だと考えています。

S12 採点にもきちんとした方法があるということを知った。今回もまた知らなかったことが出てきた。今まで私が教えてもらった先生の中に、正しくないと言われた採点方法の先生がいたので、それには驚きました。テストを作る作業といのは本当に大変で4問作るだけでだいぶ苦労したので本物のテストを作成する時は、もっと大変なのだろうと思いました。今日指摘されたところは、きちんと直したいと思います。説明もできるようにしたいと思います。

T 楽しむ側と、楽しませる側。指導される側と指導する側。演じる側と見る側。立場が変われば同じことであっても全く違うものになります。君たちは小学校からずーっと学校に来ていますが、ここにきて、そう教職課程を本格的に学んできて同じ学校でも生徒の側から、先生の側で物事を見ることを、私は求めています。見え方が全く違っているということは、勉強が進んでいると言うことでありましょう。それは、良いことです。次は、自分はどのようにやるのかと考えることです。さあ、それは後期に国語科教育法2でやりますかね。

さあ、これで前期の『修学』はおしまい。
身体に気をつけて、充実した夏休みを過ごしてください。私は多分、東京と滋賀の行ったり来たりです。
次の授業は9/21です。ちょうど中学生を教えに行く日だね。休み中にメーリングリストでいろいろと届く思います。良く読んで備えてください。
それじゃ、また。良い夏を!!!

(教科通信 修学 NO31、32、33より)

2006/07/26

夏休みなのか?

研究室の前は森である。
久しぶりの青空に、蝉時雨が心地よい。
さすがにこの時間になると、その蝉時雨の中に蜩が重なり、
これはこれで、切なく、心地よい。

            ◆

明日は私の前期の最後の授業。
私の授業の終了と同時に梅雨明け宣言が出そうだ。

大学は終業式が無いからなんとも区切りがつかないという気持ちが、今はある。
もちろん、今は二期制の学校が多いから、夏休みの前に終業式はやらないところもあるだろう。

でも、それでも全校集会はあるだろうなあ。夏休みの過ごし方やなんやらの注意をしなければならないから。この二期制のときの夏休みに入る前の日のことを、なんと名付けたら良いのだろうか?

            ◆

授業の準備を先に先にとやっておいて良かった。
途中から高校訪問がたくさん入り、追いつかなくなりそうであったから。

で、これで夏休みに入るが、それはそれで忙しい。
そんな中に嬉しい忙しさも一つ増えた。

教員採用試験の一次試験を合格した学生がいる。この学生の二次試験対策をするのだ。折角掴んだ一次試験合格。なんとか二次も通過してほしいなあ。

んだがあ、一次試験が残念な結果になってしまった学生もいる。
おーい、研究室に顔出せよ。色々あるって人生は。私なんか、浪人して留年もしているんだぞf(^^;。(あ、またバカ自慢してしまった)
次のこと、対策立てよう。

            ◆

夏休みに入ったら暑中お見舞いも書かなければなあ。
糸井先生の発表も見たいし、紀要合評会もあるし、キャンパス見学会もあるし、ディベート甲子園もあるし、花火大会もあるし、授業作りネットワークもあるし、論文も書きたいし、集中講義の準備もしなくちゃだし、後期の授業の準備もしなくちゃだし・・・。

夏休みなのか?

まあ、一日一日を大事にしよう。

2006/07/25

ワーキングプア

働く意欲があるのに、働けない。
または、働いても生活するだけの生活費を手に入れることができない。

「ワーキングプア」というのだそうだ。

先週の日曜日にNHKスペシャルで放映されていた。
重くて、辛い話でチャンネルを変えようと思ってしまうぐらいであったが、
この現実を見なければダメだと思い見続けた。
テレビである。もちろん、編集されている。
しかし、この内容は重たかった。

ニート等の働く意欲が無い人の対策を国は進めているが、それと同等以上に深刻なのは働く意欲があっても働けない人たち、必要最低限の収入を得ることのできない人たちの存在であろう。

            ◆

この現実の中で生きて行く子どもたちがいる。

教師は政治家ではないから、国の政策に関わることはできないという立場もある。しかし、教師は政治家ではないが、市民でもある。そして、目の前にそれで苦しんでいる子どもたちがいるのであれば、なんとか手を差し伸べたいと思うことは自然のことではないだろうか。

社会と子どもを理解することは、教育を進める上で大事な一面である。

http://www.nhk.or.jp/special/rerun/index.html

によると今晩深夜0:00からNHKの総合で再放送があるという。
ビデオに撮って見てもいいのではないかと思う。

2006/07/24

句会を楽しむ

S1 今日は句会をやった。初めて句会をしたが、俳句について知っていると思っていたのに、実際は何も知らない自分にショックを受けた。まだまだ勉強しなければいけないことがたくさんあるし、知らなければならないことと、知っていて当たり前のこともたくさんある。もっと学ぼうと思った。句会は誰の作品かわからないというのが面白かった。

T 知るってどういうことなのかなあと、時々考え直します。「分かるとできる」がセットになって知るなのかもしれませんね。そして、君たちはその先に「指導できる」が付いてくるのだと思います。教育という営みはとても豊かなものですから、簡単にはできるようになりません。だから、生涯をかけて取り組むことができる仕事なのだと思います。じっくり学んでください。

S2 俳句の知識について、基本的なことから分かっていなかった自分が本当にはずかしかったです。かなり反省しました。また挽回のチャンスがあるなら、その時こそはちゃんとした俳句を作りたいと思います。でも、こうやって先生の説明を聞いて、はずかしい思いをしたおかげで、これからは絶対にこんなありえない俳句をつくったりはしないと思いました。あと、テレビ番組が授業のヒントになるんだということが分かってこれからのテレビの見方が変わるかもしれないなと思いました。

T 挽回のチャンスを授業で作ると言うことはとても大切です。一回勝負では事前に知識のあるものだけが成功するような授業になってしまい、授業中に理解した生徒が悲しい思いをします。授業中に自分の過ちを理解しできるようになったのなら、それを表現できる挽回の場を用意してあげることが大事でしょう。次の句会、楽しみですね。

S3 俳句を作るの難しかったです。俳句の作り方の基本的なことも分かってなくて本当に恥ずかしかったです.基本が分かってしまうと、考えすぎて余計に作りにくくなるかもしれないと不安です。でも、精一杯がんばります。

T 基本という用語を誤解していますね。基本は十分に理解しなければなりません。プロだろうが素人だろうが、大人だろうが子どもだろうが、俳句を作る人は基本を理解していなければならないものです。その基本の上に自分の表現があるわけです。基本は難しいものではなく、なければならないものです。

S4 初めて句会と言うものをやりました。「季重なり」というのをはじめて知ったり、感情を表す形容詞は使ったらダメだというのを知らなかったりと自分の力の無さをとても感じてしまいました・・・。でも友達の作った俳句を鑑賞するのは楽しかったです。
先生の言ったことに反応するのは、先生の話を良く聞いているということと言ってもらえて嬉しかったです。でも、このほめ方は、中学生に対してなんですよね(笑)。

T まあ、そう僻まない(笑)。そこは中学生だろうが、大学生だろうが本質は同じなのだから。教育実習に行った時に、生徒から突っ込まれたらこの台詞で切り返すのだぞ。

S5 みんなの俳句は、誰が作ったのかわからないけど、楽しく鑑賞できました。夏は夜というのが、季語でないとは知らなかったです。夏とあるだけで、季語かと思っていたので良い勉強になりました。私の俳句は、清少納言が、枕草子で夏は夜とよんでいるけど、2006年の今も、私も夏は夜がいいなあという思いは変わらないという内容を読みました。でも、まだまだ俳句を作る能力はダメだなあと思いました。

T 正確に言うと、「夏」だけならば「夏の季語」です。ですが、「夏は夜」は季語ではありません。自分の世界を俳句で表現できたら楽しいでしょうねえ。私もまだ勉強中です。

S6 一つ目の俳句がダメと言われたので二つ目はもうダメだと分かっていたのでプリントが配られるのが本当に嫌でした。でも今日勉強したら、俳句のことが少し分かった気がします。二回生の時に授業で先生がよく俳句を作って授業の前に発表していたので、凄いことだなあとあらためて実感しました。次作る時は頑張りたいです。

T 生徒が嫌な気持ちになったとしても、間違いは間違いと正すのが教師の仕事なのですね。それを恐れてはなりません。

S7 メールでも送ったように俳句の力が全くないと思いました。さらに他の俳句で何が良い俳句なのかも分からなかったことが残念でした。俳句の指導ができるようになるのにはまだまだ先のように感じました。次頑張ります。

T 折角書道をやっているのですから、書道の仲間と句会を頻繁に開くと良いのですよ。そして、優秀な作品を筆で書く。面白いと思うけどなあ。

S8 自分が俳句のことを全然知らないことにショックを受けた。この授業を受けて何回もショックを受けている。今までの私の受けてきた授業とは何だったんだろうと思ってしまいました。将来、自分の生徒にそう思わせないように、今からしっかり勉強したい。俳句は5・7・5の短い文に一つの場面を閉じ込めるので作るのにとても大変だった。「ウム苦しみ」を感じた授業だった。普段から色々感じながら生きていかないとな。

T 分かっていると思っていたものが、実は分かっていなかったという思いを私の授業でしているとは実に光栄です。20歳ぐらいでは珍しいことではありません.私は今でもそんな思いをしています。そして、それは別に悪い気持ちはしません。むしろ、心地よいです。なぜならば、それが学ぶと言うことの本質に近いからです。たくさん学んで、その喜びを教師になって子どもたちに伝えてあげてください。

S9 俳句を作ったのが久しぶりでした。5・7・5で季語が入っているのが俳句だと思い込んでいたので、しっかりした俳句の作り方を学びました。今まで何を学んでいたのかと思うと事前勉強はしっかりしないといけないと感じました。作者と作品の切り離しはやらないといけないと思います。中学校の時に意見作文を全員が書いて発表していたのですが、その時クラス委員だからという理由で選ばれたりしている人がいました。それならば選ぶ理由が無いので、作者と作品の切り離しはできる限りしないといけないと感じました。

T 作品と作者の切り離しができるのが、この句会の面白さですね。文章を理解する立場は、大きく三つあります。「テキスト論」「作家論」「読者論」です。この三つの立場のそれぞれから味わえると面白いのですが、中学生ぐらいですと作者だけに引きずられてしまうことが多くあります。つまり、「○○さんが書いたから凄い作品」ということですね。だから、作者を切り離して作品を鑑賞し、その後作者との融合を試みる読解に導くのが良いのではないかと言うのが私の指導方法論です。

S10 今回の俳句の授業で改めて勉強しなければと思いました。逆選で選ぶべきものも初めは全く分からなくて正選におしたりしていて、知らないっていうのは罪だなと感じました。教えれる(ママ)レベルになるようにがんばります。きょうは初めて板書しました。大きく書いているつもりでも意外に小さくて、やってみないと分からないものだなと思いました。練習します。

S11 句会は、ほぼ初めての経験だったと思います。俳句は、季語を入れれば良いと思っていました。しかし、俳句はそれだけではなくて、奥深いなと感じました。俳句を教えられるくらい、勉強しないといけないと痛感しました。

S12 中学の時に俳句を作ったのを思い出しました。今回俳句について勉強したけど、こんなに難しかったのかな??と思いました。みんなの作った俳句はたくさん良いのがあってすごいなあと思いました。もっと勉強しないといけないと感じました。

T もちろん俳句を教えると言うことは大事ですが、この句会では生徒と一緒に言葉で遊ぼうという感覚も必要です。ですが、遊びと言うのは真剣にやらなければ面白くないものです。そこでやはり教師は十分な知識と指導力が必要になるのです。ですが、遊んでいるという感覚もしっかり持ちましょう。でないと、面白い授業にならないですよ。この場合の面白いは、funnyではなく、interestingですけどね。

(教科通信 修学 NO29、30より)

停電

高校へ授業に行った関係で大学の授業ができず、その振替で本日2限に授業。テスト問題作りと採点方法などの授業。テスト問題作りの大変さ、教師の仕事の重さをづーんと理解したようであった。

            ◆

その後、夏休みの間に行われる集中講義の準備や教職セミナーの準備などに取り組む。で、溜まっていた事務仕事を片づけてそれぞれの課に書類を出しに行こうとした時である。

「びびびいびびび!」

と明らかに怪しい、そう宇宙人が登場しそうな電気音が右前方からした。なんだろうと思って面を上げると変圧器が火花を挙げている。確認すると火は無いのでまあいっかと思って校舎に入る。入ると、いつもなら開く自動ドアが開かない。中の電気が消えている。

あれ、なにか臨時にあったけ?

と思ったら停電であった。山科地区全域に渡る停電。ひえ〜〜。
慌てて近くのエレベーターを確認。人は乗っていないようだ。
だけどコンピュータシステムがぶっ飛ぶか、データはぶっ飛ぶぞ。
学生は今レポートの作成時期。バックアップを取っていない学生は、もう一年来年も授業を取ってねなんてことにもなりかねないぞ。

            ◆

みなさん、バックアップとってますか。

2006/07/23

だから、縦ではなくて横に

一日研究室で過ごす。来週が前期の最後の授業になる。
このところ高校訪問などで授業の準備ができなかったので、休日返上で研究室に籠り準備。授業を作る作業は、手を抜けないからなあ。

最後の二回の授業は、定期考査の作り方と評価について行う予定。中学校1年生の最初の中間テストという設定で、漢字試験と長文読解の問題を作る。中学1年生が15分間で解ける程度の分量を作ることという指示を出している。これをお互いに解き合って、相互評価をするつもりだ。

            ◆

さらに来年度担当することになる児童教育学科の授業の一つ、「学級担任論」などのシラバスを作る。研究室に置いてある学級担任関連の本を片っ端から読み直す。

それにしてもやっぱり家本芳郎先生の本は、いい。再読しながら、これらの本で私が教師として育ててもらっていたのを何回も自覚した。

大学院の授業に、「学校経営論」というものがあったのに、学部の授業には「学級担任論」という授業が無いのに驚いたのが4年前。

もちろん、学級担任論という学問が成立するかどうかは、微妙なところであろう。しかし、物事の本質はそこではない。担任学でも担任術でもいいのだが、教師になったら必ずやる担任、その担任の為の授業がないのはおかしいと思うのだ。校長にならない教師はたくさんいるけど、担任にならない教師はいないはずだ。

大学の学問は縦割りでその専門性を極めて行く。だから、道徳、特別活動、生徒指導、憲法とやっていくわけだが、学校現場に入ると一人の生徒や学級の集団はそのように縦にはできていない。様々なものが複雑に、または豊かにかかわり合っているのだ。

だから、縦ではなくて横に学問を展開する必要があるのだ。

            ◆

学級経営論ではなく、学級担任論。学級集団の子どもたちをどう導いて行くのかというより、もっと担任としての多岐にわたる仕事を理解させる授業でありたい。

学生が学校現場に立ち問題が発生したとき
(ああ、そういえばこれは大学でやった!)
と指導の糸口を掴めるような授業。

楽しい学級をもっと心地よいクラスにしたい時
(あ、あのアイディアを発展させたらいいかも)
と実践の発展を望めるような授業。

そんな授業を大学に作ってみたい。
なんてたって、教師の醍醐味、そう、苦しみと喜びの混ざった醍醐味は担任にある。
その担任の仕事を考える授業を作りたい。

今は
http://www.sankei.co.jp/news/060722/sha102.htm
のような時代である。

学生たちに力を付けて学校現場に送り出したい。
そんな挑戦を来年から始めてみるつもりだ。

再会を楽しみつつ、音楽談義

夜、京都駅まで繰り出す。
瑞雲中学校時代担当していた軽音楽部の部員であった、くり君が京都にやってくるという。
卒業してもう8年だ。

彼は芸大でテノールを学んでいる。小沢征爾さんの復活コンサートの合唱担当として今日行われる京都のコンサートに出演するのだという。

駅の近くで再会を楽しみつつ、音楽談義をする。

            ◆

私が最初に出かけていったクラシックのコンサートは、小沢征爾さんの指揮するもので、日比谷公会堂であっった。高校一年生の時だ。年賀状のやり取りをしていた小学校の音楽の先生が連れて行ってくれた。増田先生お元気ですかあ。

『ボクの音楽武者修行』を読んでいた私にとって小沢さんのコンサートは、格別の味わいであった。

            ◆

そして、大学時代。塾に向かおうとしていた満員の急行京王井の頭線車内で、ロングヘアで白髪が交じって、Tシャツでというカッちょいいおじさんを発見したこともあった。どうみても小沢征爾さんであった。
(そうか、確かN響を振るために戻ってきているってニュースでいっていたよな)
興奮した。

小沢さんが下北沢駅で降りる時に私も降り、人波をかき分けて行き
『すみません、小沢さんですか?』
「はい」
『あの、サインしていただけませんか?』
「いいですよ」

大学の帰りに塾に向かう私は、教科書と採点用の赤ペンしか持っていなかった。
『すみません、ここにお願いします』
「はい、いいですよ」
とっても気さくにサインしてくださった。
人ごみの井の頭線下北沢駅ホームでである。
『あの、コンサートには行けませんが、頑張ってください』
「はい、ありがとう」

いやあ、感動したな。

            ◆

その小沢さんのステージに教え子が立つ。
嬉しいねえ。
良いコンサートになりますように。

2006/07/22

ご案内 多摩川花火鑑賞会取りやめについて

毎年楽しんでいただいている我が家から見る聖蹟桜ヶ丘の花火大会ですが、今年は8/10に開催されることに成りました。例年ならご案内の葉書をそろそろ送っているところなのですが、「今年は届いていないなあ」と思われる皆さんもいらっしゃるかと思います。

実は、今年は聖蹟桜ヶ丘の自宅で過ごす最後の夏になるということで、私の両親と奥さんの両親をご招待することにしています。あのマンションのあの部屋を手に入れるために、また手に入れた後も色々と助けてもらっている親に、あの花火はどうしても見せてあげたいと思っています。

毎年、池田家主催の多摩川の花火大会を見る夕べを楽しみにしていただいているみなさまには、申し訳ないのですが、そういう事情を理解していただければと思います。すみませんが、よろしくお願いいたします。

だから、簡単に納得しないことだ

このところ高校生に授業をすることが多い。大学の教育関係の模擬授業と言うことで、行う。
あちこちの高校生と授業ができるのは、非常に面白い。ま、飛び込み授業の連発と言うことで、こちらにも適度な緊張感があり、60分一本勝負という感じが面白い。

今日は京都の大学ということで京都コンソーシアムの企画で大阪府教育センターに出かけていって色々な高校の生徒50人ぐらいを相手に授業をした。

タイトルは、『教師入門 「はなしことば」による説明』である。教員の研修の内容を高校生向きにアレンジし直して行った。

内容は、

1)大学の説明
2)論理的に話すとは
3)話し言葉と書き言葉の違い
4)分かりにくい話し方の三大要因と、その対策
5)まとめ

大学の紹介も含めて70分の授業であったが、面白くできた。感想文を見ても「役に立った」「教師にならなくてもこれは使える」「教師になりたくなった」「うちの先生に聞かせてほしい」など過激な感想も含めて、まあ及第点であった。

「先生、オープンキャンパスに行ったら、先生の授業をまた受けられますか?」

と聞きにくる生徒もいた。
『おう、待っているよ』
と答える。嬉しいものだ。

            ◆

で、余談の中で高校の学びと大学の学びの違いを少し説明した。

『高校までは、基本的に世の中で解決している出来事を理解することを中心に授業が進む。しかし、大学では理解もあるが、その先に「自ら問いを立て、その問いに自らが答えを求める」ということが必要なんだね』

『なぜかと言えば、大学は世界中の誰もが分かっていないことに対して答えを見つけようとする営みをする場所でもあるからなんだね。だから、大学の先生は、高校の先生以上に「それはわからないなあ」ということもあるんだよ』

『で、高校時代の君も、授業中に分からないことが出てくることがある。その時ちょっと注意深くなると良いよ。それは君の頭が悪いから、つまり勉強が足りないから分からないということもあるが、実は、誰もが分からないことに気がついてしまっていると言うこともあるかもしれないのだよ。人類の進歩にとって重要な問いを見つけていることも無いとはいえない』

『だから、簡単に納得しないことだ。分からないことを記録し、ずーっと、そうね10年ぐらい考えることができれば、君に答えを解く実力が付いた時にその問いは解決することがあるんだな。でも、10年経ってしまうと、問いが作れなくなってしまうこともあるんだ。だから、いま、その分からないという問いを大事に記録してほしいし、大学ではその問いを解決するための学びをしてほしいんだな』

            ◆

分からないのは、自分の頭が悪いのではなく、

1)説明が悪い
2)本当はみんなも分かっていない
3)自分だけが深いところで理解している

という場合もあるということを話したかったのだ。

私なんぞ、周りが理解しているのに自分だけ理解しないということが小中学生の時に良くあり、それにこだわっていると一種の「問題児」のように扱われたが、そこを簡単に分からなかったことが、自分を成長させていたんだなあと今は思うので、高校生にはそんなことを話したのだ。

            ◆

大阪は暑かった。

移動の中で得る何か

まあね、こんなに新幹線に乗るとは思わなかったんだけど、実際乗っているわけね。
を、熱海の温泉街が見える。ということは、もうすぐ品川だな。

            ◆

『ヤバいぜっ!デジタル日本―ハイブリッド・スタイルのススメ』(高城剛 集英社新書)

では、これからの日本はハイブリッド、つまり異質なものを組み合わせることで新たな価値を作り出すこと、作り出せる力があることを、国のブランド力として提示するのが大事だと言う。それは、携帯電話でメールをしながら、側にいる友人と話をすることができる日本人の登場によって可能になっているという。

私達の時代には、それは「ながら族」という言い方で親に怒られたが、今は、マルチメディア、マルチタスクという言い方でも言い表せない、まるでCPUとHDが二個ずつあるような動きをする日本人が増えてきていると言う。それが、ハイブリッドである日本のブランド力を支えると予言している。

さらに、生き方の問題として、人は一つの仕事だけで生きるのではなく、副業ではなく二つの仕事を持つべきで、その結果家も二つ以上持ってそこを移動しながら、そう、インターネットが繋がるように、移動する生活が新しいものを生み出すという。移動する距離に比例して、アイディアも浮かんでくると言う。

            ◆

そうだよなあと思うこともたくさん書かれていたが、上記のような生活は、ほとんどの人には無理だろう。家を数カ所、あちこちに持つなんてのは、まあ無理。

だけど、結果として移動の多い生活に成っている私の思考過程にどんな変化が出てくるのかは、楽しみ。

            ◆

東京では久しぶりにラーメンの「きがら」に立ち寄る。ああ、美味しいなあ。今回はチャーシューメン。目の前に出てきた時のチャーシューは固いのに、スープを吸うにつれて柔らかくなる。絶品。

帰り際にマンションのパンフレットがあったので何気なく手にする。すると、あの「サクラ サンリバーボウル」の跡地にできるマンションとのことであった。どんどん新しくなるなあ。

            ◆

翌日は会議。
あるプロジェクトの為の会議なのだが、日本の国語教育に関わる若手のメンバーが集まった。多分私あたりがヤンゲストから二番目ぐらいだろうが、大御所の集まりではなく若手の集まりと言うのがこのプロジェクトの目玉。

なんというか、みんな真面目な方ばかりなので、勉強になります。

いえ、私が不真面目だと言うのではないのですが、いや、そうとも言い切れませんが、そのなんというか今までの伝統的な国語教師観を受け継いでいる国語の先生から見れば、私なんぞかなり違うところにいるので、そういう面で不真面目という言い方をしているのですが、ま、いいか。

新しい出会いを設定してくださるみなさんに感謝。

さて、明日の大阪での授業に備えて、大津に帰るか。

2006/07/20

雨の詩

今週末は忙しいぞ。
大阪、東京、大阪と行ったり来たりの仕事が入っている。
何にも無ければ週末は、琵琶湖で行われる鳥人間コンテストをライブで見に行こうかとも思ったのだが、これは来年へのお楽しみ。

外は雨が降っている。

            ◆

私なんぞ、
(ああ、今日もまた雨か)
と思うだけだが、この雨に向かって心の底から
(晴れてくれ)
と願う人もいるだろう、もっと降れと祈る人もいるだろう。

ちょうどそれは、室生犀星の詩のごときかもしれない。

引用開始 ーーーーーーーーーー

雨の詩  室生犀星

雨は愛のやうなものだ
それがひもすがら降り注いでゐた
人はこの雨を悲しさうに
すこしばかりの青もの畑を
次第に濡らしてゆくのを眺めてゐた
雨はいつもありのままの姿と
あれらの寂しいふりやうを
そのまま人の心にうつしてゐた
人人の優秀なたましひ等は
悲しさうに少しつかれて
いつまでも永い間うち沈んでゐた
永い間雨をしみじみと眺めてゐた

引用終了 ーーーーーーーーーー

私が雨が降らないでほしいと思ったのなんて、自分の結婚式とか中学の体育祭、それから聖蹟桜ヶ丘の花火大会ぐらいだなあ。

だが、この瞬間にも雨が降らないでほしいと切に願っている人がこの世の中にいることを思うと、こんな私でも鼻の奥がちょっと切なくなる。

            ◆

さあ、今日は大規模な大学説明会だ。気合いを入れて教育の魅力、京都橘大学の魅力を話すぞ。

2006/07/19

そして、事件は起こったのだ

守るんジャー結成式の後、結成記念パーティとなった。
一旦車を家に置いて、お金だけ持って大学の近くの店に向かう。

行ってみて驚いた。幹部だけのパーティかと思ったら、20人強のメンバーがいた。
なんというか、変な気持ちだ。卒業生と飲むのは分かるが、まだ卒業していない学生と飲むと言うのは。

今日の結成式は、大学の授業と重なってしまい参加が無理だったという学生が多かったと言うことだ。明日も試験があると言いながらも教育について延々と語っていた。良いんだか悪いんだか分からないが、良いんだろう。

岡山、愛知、高知などからも駆け付けてくれた他大学の守るんジャーの学生達ともいろいろと話す。『こんな時どう言い返す』も読んでいてくれたようで嬉しい。

            ◆

『多くのタレントを持った人が学校教育現場に関わってほしいと思う。教育は複雑で豊かである。人の命と将来に関わる仕事、人類の幸せに関わる仕事なのだから、十分に力を付けて取り組んでほしいと思う。良い仕事だよ、教師ってのは』

そんなことを話したと思うのだが、後半は眠くなっていたf(^^;。
そして、事件は起こったのだ。

            ◆

山科駅から自宅のある西大津駅までは、一駅である。
終電を待っていたのだが、電車が30分近く遅れるとのこと。そりゃあないだろう。
京王線なら考えられないが、駅で待つ人たちは特に怒った様子も無い。

仕方なしに、ベンチに座って待つ。
ところが、ここで熟睡。
気がつくと、その最終電車はもう行ってしまっている。
おい、起こしてくれよ。

折角買った180円の切符は無駄遣い。
タクシーで帰ることにする。
個人タクシーを拾うことができた。
しめしめ。個人タクシーの方がシートが良い。

数千円を払って西大津の自宅に着く。
で、マンションに入ろうとすると、ない。鍵が無いのだ。
体中のポケットを捜しても無い。

そして、こんな時に限って奥さんはいない。
さっき山科駅から東京に向かったばかりなのである。

さあ、落ち着け。どこで無くした?
店ならと思い、学生に確認のメールを出す。ない。
タクシーかと思い、領収書の電話番号を捜す。個人タクシーということで、電話番号はない。

万事休す。
このままでは明日の出張もどうにもならない。
まずは、寝ることを考えよう。
マンションのエントランスにはソファアがある。そこに寝るか。
だめだ、オートロックの扉の向こう側にある。この時間では誰もマンションには出入りしない。

そうだ。近くにビジネスホテルがあったはずだ。
慌ててホテルに向かう。
鍵がかかっている。
南無三、ドアホーンを押す。
事情を話してこれから泊まれるかを聞いた。
オッケーであった。はあ、地獄に仏である。
数千円支払って泊まる。

            ◆

翌朝、もう一度持ちもの検査をするが出てこない。
マンションの清掃員が出勤する時間を待ってホテルを出る。
事情を話して警備会社とのやり取りをすること小一時間。

やっとのことで警備会社の担当者がやってきてマンションのドアを開けてもらう。
数千円の出張費用を払う。

おそるおそる家の鍵置き場を覗いてみると、なんと、ありました!
はあ。
いやあ、凄い出費の飲み会であった。

守るんジャー諸君、まず、私を守っておくれ。

2006/07/18

京都子ども守り隊 守るんジャー

京都橘大学の学生たちの社会貢献活動に関わることにした。

京都子ども守り隊 守るんジャー
— Safe Kyoto for Children —

と言う活動である。
今日の午後、本学で結成式が行われた。

            ◆

私が教師になった時よりも、いまの大学生が教師になる時の方が教員を取り巻く状況は悪くなっていると思う。そんな彼らが力強く教職の一歩目を歩み出せるように、その手助けができるのならばと中学校から大学に仕事を移した。

学生達は学生達で、自分が小学生の時といまの小学生を比べて、厳しくなっているいまの状況に対して、自分達が何かをできないかと動き出そうとしているのである。なんか近いものを感じて、まず3年間ぐらいならと顧問を引き受けることにした。

たぶん私の仕事は、書類への判子押しと各方面への挨拶回りになると思うが、学生諸君はそれすらも自分達でやろうとしている。立派なもんだ。私の大学生の時よりも十分に立派だ。

私なんて大学生の時には、自分とごく近くの人たちのことしか考えることはできなかったもんね。大学の学区域にある小中学校なんて何にも気にしなかったもんな。

孔子は「出来の悪い教え子から学び教師は成長する」のようなことを述べているが、私は立派な学生から出来の悪かった自分の学生時代を反省するってところだろうか。

            ◆

「今の子どもたちはいいよね〜」

と大人が呟く社会。
これを私は「社会が進歩した」と言うのだと考えている。

大学生のお兄さん、お姉さんたちが下校時を見守ってくれるのを「今の子どもたちはいいよね〜
」と言って良いのか悪いのか、私にはよくわからない。

が、教師を目指そうとする学生が集まって何かを始めようとしているとき、後ろだか横っちょだかで少し見守ることぐらいはしようと思う。私も見守られることになるような気もするがf(^^;。

清水焼団地の「第32回陶器まつり」

午前中は、清水焼団地の「第32回陶器まつり」に行ってきた。
もう10年ぐらい前であろうか、修学旅行で生徒を引率して清水焼団地には一度行ったことがあるが、それ以来である。

10時から始まるので、10分ぐらい前に会場についてうろうろ始める。
私達二人にしては非常に計画的な行動である。
会場には、たくさんの窯元が作品を展示している。また、個人の陶芸家の作品も並んでいる。

(しまった)
と思ったのは、良い作品が多いこと。
(良かった)
と思ったのは、お金をたくさん持ってきていないこと。
これでお金をたくさん持ってきていたら、とんでもない買い物をすることになっていただろう。

ちょっと良いよなあと思う天目茶碗なんて、新車一台が買えてしまう金額が付いている。ま、それを良い作品と思えた私の眼力もなかなかだなあとうぬぼれもできたが。

            ◆

この会場には京都橘大学の文化政策学部の学生が、産学協同と言うことで出店している。これを遠巻きに見ようと思ってうろうろしていたのだが、目の合った学生にお辞儀をされてしまった。

いやあ、ラフな格好でいたし授業を教えている学生はいないはずなので、分からないと思ったのだがなぜかばれてしまった。うむ。

今日は雨だけど、頑張れよ。

2006/07/17

さて、どの車にしようか

今日こそ、オフ。
いやあ、午前中はしっかりと身体を休めた。

お昼ご飯は、西大津にあるラーメン屋に行く。
味はまあまあであったが、接客がダメ。
また昼時ぐらいは、禁煙にしてほしい。
カウンターで食べるのは辛かった。

午後、オフなんだけど大学に行こうと玄関を出た。すると、161号のバイパスが大渋滞しているのが見えた。急遽取りやめ。そのまま、堅田のショッピングセンターに向かう。

以前買ったアウトドア用のリクライングチェアーが、もう一台だけあると言うので買いに出かけたのだ。で、同時に研究室に置く電気魔法瓶もゲットした。

所期の目的を達成して、帰ろうとしたところ途中でかなりお値打ちの車を発見。慌てて戻って確認する。それで試乗もしてしまう。

その後、そのお店のご主人と車談義を2時間ほど。いやあ、面白かった。国の文化の違いが車にどのように影響しているのかと言うこと、京都の人間、滋賀の人間、大阪の人間などのお国柄の特性が、どのような車を買うのかなんて話まで。

さて、どの車にしようか。
いま候補にしている車は3種類。それぞれが全く違う個性を持っているので、絞るのは難しいなあ。

もうしばらく考えよう。

もっとも正しい主張

心地よい疲れを新幹線のシートに委ねて、京都に向かっている。
合計で6試合のジャッジをした。

ここに至るまでの子どもたちの、そして指導者達の道のりが分かるだけに、
一試合一試合のそれぞれの議論の裏側にある姿が見えてくる。

もちろん、判定は目の前で交わされた議論だけに基づいて行われる。それは間違いない。しかし、アドヴァイスのスピーチでは子どもたちの更なる成長を期待して、丁寧に行ったつもりだ。

『この試合では、私が今まで聞いた主張の中で、もっとも正しい主張がされていたと思います。それは、肯定側の第二反駁での主張です。この反駁の4点目で、第二反駁を担当した、そう、君ね。君はこう言いましたよね』

否定側は、プランを導入する前とプラン導入後の変化を述べるべきところで、プラン導入前のことを述べていなかった。

『「私達肯定側は第一反駁で、否定側の立論では、プラン導入後の変化を述べる際に、現状との比較を行っていないと主張しました。否定側は第二反駁で、やはり現状がどのようになっているのかを述べていませんでした。現状がどのようになっているのかを説明していないのですから、ダメです。つまり、今と現状は変わらないのです」って言ったよね』

「はい」

『うーん、すばらしい。やはり、今までで一番正しい主張だ。「つまり、今と現状は変わらないのです」って言ったんだよね』

「はい」

『そりゃあ、そうだよな。今と現状が違ったら困るよね(^^)』

「あ」

ま、いたいけな生徒をからかってはいけないのだが、ジャッジはちゃんと聞いているし、決めの台詞はきちんと決めてほしいという思いで話した。この程度間違いは、文脈で理解できるのできちんと理解するが、大事に言葉を使ってほしいと言うことだ。

で、分からないことがある。動物園廃止論題で肯定側から出る主張に「動物の権利を守る」というものがある。この主張が出るといつもどきどきする。次のような展開にならないかと思うからだ。

「肯定側は動物の権利を守ると言い、動物にも人間と同じ権利を認めると言いました」

そうである。こういうとととても気になることがある。
私は「権利があるなら、義務も発生する」と学んできた。となると、動物の権利を人間と同じように認めるなら、動物に義務も認めなければならない。じゃあ、動物の義務ってなんだろう? これが認められないのならば、動物の権利は認められないということになる。

また、夜一緒に飲んだ藤岡幹根先生じゃ、人間の権利の根本は生存権であり、動物にも権利を認めるなら、ライオンの生存権のために人間が食われてしまってもいいということになる。本当に良いのだろうか?

ってな話をしながら試合後の打ち上げをした。
楽しかったなあ。

終電の一本手前で自宅に戻る。乗ってしまえば、1時間40分ぐらいでつくんだなあ。
楽しい時間でした。

2006/07/16

ディベート指導の醍醐味

午前中の試合が終わった。

ひりひりした緊張感と集中した議論。
子どもたち、指導された先生、保護者のみなさん。
ディベートに関わる人たちの願いが議論を後押しする。

中学校現場にいなければ味わえない感覚だ。
会場からの実況中継ではないが、私が2001年に味わった
ディベート指導の醍醐味をまとめた文章がある。

http://homepage.mac.com/ikedaosamu/debate/01kiroku.html

長いんですけど、良かったら読んでください。
子どもたちは、こんなにも頑張っています。

見覚えのあるようなないような顔

ということで、まだ『1985年の奇跡』の余韻から抜け出せないでいる私です。

最後の十数ページは本当に映画を見ているように目の前に映像が広がる。しかも、私が青春時代を過ごした街の辺りが舞台なので、本当に良く分かる。映画にならないかなあ。

            ◆

東海地区大会の初日は恙無く終わった。
講評と判定を述べる時間が10分しか無いので、どんなコメントをしたら両チームに一番有益なのかを考えて話す。これが結構大変。

私が最初に考えるのは次のどちらを選ぶかというところ。

1)議論の中身に重点を置く
2)議論の仕方に重点を置く

1)のスピーチをする時は、ディベーターがある程度以上ディベートを理解しているときで、2)のスピーチの時は、ディベートの講座のようになってしまう。

昨日の試合はこれが半々ぐらいであった。

            ◆

東海支部の方に、ディベート甲子園OBで教職についた者がいるという嬉しい話を聞いた。今年で11回目の大会だ。そういうことがあっても良いだろう。他にも法曹界に転出したもの、国家公務員一種の職に就いたもの、医学の道を選んだものと立派に成長している。

議論のスキルを身につけた諸君、議論の厳しさを実感した諸君、議論の価値を信じる諸君が、今の社会を少しだけで良いから、良い方向に動かしてくれればと思う。

            ◆

夜は栄のビアレストランで食事会。ベルギービール等が結構揃っていて嬉しい限り。向かいの席のお客さんたちも結構盛り上がっている。

そんなとき
「池田先生、この方がお話をしたがっています」
との声。

顔を上げると見覚えのあるようなないような顔の男性がいた。なんだろうと思っていたら、なんと瑞雲中学校の時の教え子であった。私が本格的にディベートの授業を始めた時の子どもである。すっかり大人の顔になってしまい、分からなかった。

いやあ、嬉しいというよりびっくり。私のことを覚えているのもそうだし、名古屋で瑞雲中学校の時の教え子に会うとは。今年から小学校の先生になった大澤君、君の同期だよ。

こういう出会いは本当に嬉しい。

            ◆

その後ホテルに戻り、風呂に入って熟睡。
私はどこでもすぐに寝ることができる。
これはこういう身体に育ったことに、感謝である。

さあ、明日は中学校の試合だ。

2006/07/15

あと少しで50000!

いやあ、50000ですか。
ありがたいことです。
キリ番の方、または前後の方。
書き込みをお願いします。

では。

『1985年の奇跡』(五十嵐貴久 双葉文庫)

本日ディベート甲子園の東海地区大会である。
朝から新幹線に飛び乗り、名古屋は金城学院大学に向かう。

で、その新幹線の中で参ってしまった。
読んでいる本がクライマックスを迎えてしまったのだ。

『1985年の奇跡』(五十嵐貴久 双葉文庫)

である。

            ◆

1985年と言えば、あの御巣鷹山に日航ジャンボジェットが墜落した年だ。
私は当時の愛車YAMAHA SRX-4にまたがり、伊豆半島の最南端弓ケ浜まで乗り付け、
半ズボンにTシャツのまま、太平洋に浮かんで青空を見ていたのを思い出す。

この本が単行本になったときに、手を出そうかと思ったのだが
自分の青春時代が変な風に書かれていたら、なんだかなあと思ったので取りあえず手を止めておいたのだ。

で、三日前に文庫本になっているのを発見して、久しぶりの物語欲求が襲いかかってくるのを押さえられずに手にした。

            ◆

結論から言うと、参った。
いやあ、良かった。
解説の茶木さんが書かれていたが、

引用開始 ーーーーーーーーーー

しかしそれにしても、『セーラー服を脱がさないで』の歌詞を読みながらまさか自分が泣くとは、本書に出会うまで想像もしなかった。

引用終了 ーーーーーーーーーー

には、同感である。
「ウォーターボーイ」「スイングガールズ」の次の矢口監督作品として映像化してもらいたい、青春ドラマである。

『セーラー服を脱がさないで』で青春時代を送ったみなさんの必読書であろう。

           ◆

これから始まる東海地区大会でも、高校生はディベートで熱く青春を燃やしてくれるといいなと思う。

2006/07/14

宵宵宵山

突然の大雨、まるでスコールのような大雨が比叡山の麓、皇子が丘に降り注ぐ。
その大雨の向こう側は真夏の入道雲が輝いている。
今日は、オフ。

新車を真剣に捜そうと、とあるディーラーに出かける。
私はオープンカーが欲しい。
琵琶湖のほとりを森高千里の「私がオバさんになっても」をかけながら
気持ちよくクルーズしたい。

んが、奥さんは
「えー、普通の車が良い」
とおっしゃる。
ふむ。
もう少し考えるか。

            ◆

自宅で明日の名古屋行きの宿の手配や新幹線の時間の確認をしようと思ってPCを確認したところ、学生からメール。

「明日面接試験なので、対策をお願いします」

とのこと。
うーむ、明日かいな。
ま、やらないよりはやった方がいいだろうということで、慌てて短パンTシャツの姿からネクタイ姿に着替えて大学に向かう。オフ取り消し。

やっぱり職場と家が近いってのはいいなあ。

            ◆

研究室で、明日面接試験を受ける学生を中心に三人に面接試験のポイントを実践形式で伝える。
30分の予定であったが1時間みっちりと行った。

付け刃になってしまうかもしれないが、自分をブランド化するということが多少分かってくれて、そしてその方向で自分と言うものを試験官に伝えることができれば、お買い上げ=合格ということになるのだが。

うちの学生達は、真面目に学んでいるもののそれを人に伝えると言う部分が弱い。何もしていないのであれば仕方がないが、小学校のボランティアに通ったり、懸命に書道を練習したりしているのに、それを前面に出して自分を理解してもらいやすいように加工する技術が弱い。

やってもいないことを、いかにもやってきたように話す必要は無いが、やってきたことでれば淡々とでも良いからきちんと伝えることが大事だ。君にしか起こらなかった人生の意味を大事にして、これから目指そうとする教育の仕事に生かすべきなのである。

            ◆

で、今晩は祇園祭の「宵宵宵山」であって、これを見に行く。
まあ、蒸し暑い。
凄い人である。
本番は明後日。
でも、これが京都なんだろうなあ。

「P1010025.MOV」をダウンロード

は、鉾の上で楽曲を奏でているところ。
京都の夏であります。

句会の授業

7/13

朝は5時台に起きて、仕事の準備。
宝塚ホテルで朝食をとって車に乗り込む。

カーナビが付いていない車でしかも、兵庫の道路マップも持っていないまま、ネットでプリントアウトした地図を元に今日の学校に向かう。ホテルから50分ぐらいだとフロントの女性に言われた。

ちょっと分かりにくいところにあったので、遠回りしてしまったがなんとか授業の開始5分前には到着することができた。ふう。

            ◆

今日の高校生達は、学校で用意されたプリントに私の話を丁寧にメモしながら聞いていた。こういう姿勢が大事なんだよね。

ただ、私の話し方が悪かったのか、反応がちょっと固かったかな。ま、大学の先生ともなれば固くて怖いと思うのが一般的かねえ。そういう人ばかりではないのにね。

            ◆

授業後、高速に乗る前に回転寿しで昼ご飯を食べて、阪神高速道路から、中国自動車道、名神自動車道と乗り継いで戻る。京都東インターチェンジの手前で京都橘大学が見えるんだなあ。

直接大学に行こうかと思ったが、あまりにも汗だらけなので一度家に戻り、身体を整えることにした。こういう時、家と職場が近いのは本当に良い。

            ◆

今日の授業は、「句会」。
小中高と俳句の授業は受けてきている彼女らだが、句会はほとんど経験したことがないとのことだった。

私はこの「句会」は、思春期の子供たちの授業作りには非常に効果的な方法の一つだと思っている。句会では、作品と作者を切り離して、作品だけで評価する。

思春期の子どもたちは、特に「○○さんが作ったから」というだけで、その作品を選ぶことがある。まず、作品を純粋に鑑賞する為には、作品と作者を切り離す作業が必要である。そのとき、この句会と言う形式は非常に優れているのである。

            ◆

で、宿題にしていた俳句をもとに、句会を行った。
残念ながら、ぼろぼろであった。
優秀な作品を選ぶことができないのだ。それどころか、俳句になっていない作品を選ぶのだ。

字余り、字足らず、季重なり、無季。さらに、形容詞で気持ちを説明してしまっている作品も選んでしまっている。そして、俳句の命である「二物衝突」が理解できていない。だから、俳句を選ぶことができず、印象だけで派手な作品を選んでしまっているのだ。

教師となって授業をする為には、俳句を作る力よりも俳句を選ぶ力、または、何処がおかしいのかを指摘する力が無ければならない。句会で選句をするということは、その力があるかどうかを見ることができるのである。ところが、ない。

うーむ。困った。

俳句は二句作らせておいたので、最初の俳句での句会では、厳し目にコメントを加えた。そしたら、二句目での句会は、彼女らは丁寧に作品を鑑賞し、少なくとも俳句になっていない作品は良い句(正選句)として選ぶことはしなくなった。

この辺りが京都橘大学の学生の良いところである。素直なので指導がすっと入るのだ。

その後、「人生名言集」や「このタイトルの作文が読みたいコンテスト」の話等をしながら授業を終える。

で、
『このまま「これは俳句ではありません」なんて言われたままじゃ残念でしょ? もう一度夏の季語で句会をやりましょう』
と言うと、嬉しそうな顔。

急遽、前期の最後の授業でもう一回句会をすることにした。
授業は、やり直せる機会が無いとね。

            ◆

で、この授業では学生による授業評価も行った。自由記述の部分だけ見ると、基本的には良い評価を貰っているのだが、二点だけマイナスがあった。これは私もまずいなあと思っているものだ。

・ 早口になることがあり、何を言っているか分からなくなることがある。
・ 授業が延びてしまうことがある。

その通りです。すみません。
伝えたいことが多すぎて、つい、そのようになってしまっているのを私も自覚している。しかし、これが直らないんだなあ。すみません。

            ◆

出張の事務処理をして、授業の片付けをして帰宅。
随分家を空けている気がしたが、一泊二日なのね。

さて、今日は久しぶりに研究日とすることができるかな。
明日、明後日は名古屋だあ。

2006/07/13

で、確かこのホテルは・・・

7/12 

今日は車で移動。
中国自動車道を西に進み、兵庫県のとある高校で模擬授業。二時間続けてである。

二時間続けて授業をやる事自体はなんでもないのだが、丁寧な学校で担当の先生が二時間続けて私の説明をずーっと聞いている。生徒が変わるのであれば、同じ話をしても良いのだが、一人でも同じ聞き手がいるとまったく同じ話をするのは、申し訳ない気持ちになってしまい、ちょこっと変える。

基本的には真面目な生徒の多い高校で、教室の後ろの黒板には懐かしい数式が書かれている。サイン、コサイン、タンジェントの例のあれを使った数式である。話も真剣に聞く。

『君たちは、どんどん賢くなりなさい。どんどん力を付けなさい。そして、その力で勉強で苦しんでいる子ども、人間関係で困っている子どもを救ってあげなさい。それをするために、力を付けなさい。そんな先生になりなさい』

と伝えた。

『八郎』を読んでいる私にとって、力は、他の人の役に立った時に初めて本当の力を持っているのだと思っている。

            ◆

実は明日も兵庫の高校で模擬授業が午前中に二時間ある。集合時間に間に合うように行くには、家を5時台に出なければならない。それは、きつい。しかも午後には大学で授業もある。

そこで、明日の学校に近いところに宿を取る事にした。ネットで捜したのだが、なかなか見つからない。あったとしても、ひとりでは泊まる事ができないとか。

高速道路のSAに車を止めてもう一度捜す。
(宝塚あたりならどうか?)
と思って捜してみたら、ありました「宝塚ホテル」です。
お得な値段で泊まれるのを発見。やった。

で、確かこのホテルは・・・。
そうです、私の奥さんのご両親が結婚式を挙げたホテルなのです。
義理の父親に電話で確認したら、
「私の父親も泊まっているよ」
とのことでした。

うーん、縁があるなあ。
京都の宿の側にあった知恩院にしても、宝塚ホテルにしても、もうここまで縁があると笑ってしまいますねえ。ありがたいこってす。

            ◆

さて、折角のホテルですから、ちょっと美味しいものでも食べましょうか。
ビアレストランでビールと一品を頼む。
付け合わせの温野菜のために添えられていたデミグラスソースが美味しかった。

食事後、軽く散歩。
武庫川の上を阪急電車が走り、光が反射する。
ああ、聖蹟桜ヶ丘の景色に似ている。
振り返れば満月が登ってくる。

そこを、美しい女性達が通り抜ける。
よくわからないが、宝塚大劇場でレッスンを終えた歌劇団のみなさんかなあと思う。
歩き方がとてもきれいだ。
育ちはそういう細かいところに出てしまうから日頃の振る舞いが大事なんだよなあ。

            ◆

部屋に備え付けのフットバスに浸かりながら、
(フットバスで、吹っ飛ばすだなあ)
なんてどうでも良い事を思いながら奥さんに電話。

さあ、明日に備えて寝るか。

教育委員会のみなさん

昼間に一仕事やって、夕方からは教職の学生諸君と、教育実習の反省会と採用試験一次試験の一つ目終了の反省会をかねて、食事会。

彼女らの話を聞くつもりで出かけていったのに、いつの間にか私の高校時代の話やら教員採用試験のころの失敗談を話していた。

まー、彼女らはあれが事実だというのは信じられないだろうなあf(^^;。
私だって、もう一度同じ状況になったらその道を選ぶとは思わないし、上手く行くとも思わないからね。

私、わがままなので自分の好き嫌いがはっきりしていて、嫌な事はやらないんだよね。それは、もう小学校に入る前から変わらない。人間はなかなか変わらないとつくづく思う。

            ◆

でも、実習の話を聞くと、基本的にはみんな上手く行ったようで、一安心。実習に行って
「絶対、教師にはなりません」
となってしまったら、可哀想だもんなあ。

だけど、実習先の先生によってすごい指導の差があるのが分かる。丁寧に指導してくれる先生もいるが、一回授業を見せただけで
「あとは好きにやって」
と放っておく先生もいる。

去年まで中学校にいた私は、
(まったく、大学ではどんな指導をしているんだ? 全然教わってきていないじゃないか)
と思う事もあったが、学校現場だって指導しない、できない指導教員がいるわけで、これで同じ教員免許の単位と言うのは、なんか違う気がするなあ。

実習期間を長くしても、ここにメスを入れないと意味は無いなあ。

            ◆

で、宴会も盛り上がってきたところで、サプライズ。
なんと娘達からバースデイケーキを貰ったのだ。
本当にびっくりしたf(^^;。
また、嬉しかったねえ。

さすがに私は焼酎を頂きながらケーキを頂く事は出来なかったので、持って帰ってきたが、気持ちが嬉しいねえ。

教育委員会のみなさん、橘の娘達は優しくていい仕事をしまっせ。
ぜひ、教員採用試験に合格させてくださいね。

2006/07/10

開設シンポジュームパンフレット

京都橘大学児童教育学科開設シンポジュームのパンフレットは、
「kyototatibana.pdf」をダウンロード

をクリックしてください。

授業作りネットワーク夏 大阪 8/10,11

私がベースキャンプにしている研究団体の夏の集会が、今年は大阪であります。
これだけの講師を集めて行う集会は、なかなかありません。
私も参加したい講座だらけです。
是非、ご参加ください。

京都橘大学の教職を選んでいる学生諸君は、本当は強制参加にしたいぐらいの内容です。
参加してください。

詳しいパンフレットは、「2006070121.pdf」をダウンロード

にあります。

2006/07/09

久しぶりの散歩

遊覧船に格安で乗れるチケットを手に入れたので、午後から乗ることにして、午前中は大学に行って仕事をする。

仕事をするつもりだったが、なんと車のエンジンがかからない。バッテリーが上がってしまった。広島に行く時に車の中から携帯電話を発掘したのだが、その時に室内灯をつけっぱなしで出かけてしまったらしい。

マンションの駐車場で住人に助けをこうがみんな忙しいと断る。なんてこった。仕方がなしに初めてジャフを頼む。もうバッテリーの有効期限に来ていてたので、その場で新品に変えてもらう。

          ◆

大学にいっていくつかの文章を仕上げる。
文章を書きながら受け取ったのが、ある高校の管理職の先生からのメール。

「生徒に夏休みに作文を書かせたいのだが、書き方の指導を国語の先生にお願いしようと思っても忙しくてそのプリントを作れないだろうから、先生のHPを見ながらまとめて作ったので、申し訳ないがこれで使わせてくれないか」

との内容。びっくりした。そして嬉しかった。
私のHPの内容が採用される嬉しさと、指導する先生を助けようとする管理職の先生の姿に接した嬉しさである。

少しでも役立ってくれると良いなあ。

            ◆

Funsui
15:30から琵琶湖周遊の観光船ミシガンに乗船。1時間程度なので大津の周りをぐるりであるが、琵琶湖を渡る風が気持ちよかった。

その後、琵琶湖ホテルで軽く食事。
鯵の刺身、茄子とうなぎのグリルで軽くビール一本を楽しむ。非常に美味しかった。
琵琶湖はやはりリゾートである。

Nasu
ホテルから出て湖岸を歩いていたら、でっかいブラックバスをヒットしている人を発見。たくさんのブラックバス釣りを楽しむ人がいるが、釣っているのを見た事が無かったので、驚き。釣り人は、感動のあまり無口になっていた。
Bbass


            ◆

ホテルから自宅までは湖の畔を奥さんと二人で歩きながら帰宅。
心地よい風であった。

久しぶりの散歩であった。

京都橘大学 児童教育学科開設シンポジューム

Tachibana
広島からの帰り。電車の中吊り広告を何気なく見たら、
目に飛び込んできた。
いよいよ、広告開始である。
私はコーディネーターとして参加します。

引用開始 ーーーーーーーーーー

京都橘大学 児童教育学科開設シンポジューム

「授業の達人に学ぶ 15分の可能性 ーこどもは一日でどのぐらい成長するのか?ー」

日時:9月24日(日)
   13:00〜17:00
場所:京都市国際交流会館(地下鉄東西線 蹴上(けあげ)駅下車)

講師:杉渕鉄良先生
 佐藤正寿先生
 土作 彰先生
 赤坂真二先生

費用:無料 (200名)

引用終了 ーーーーーーーーーー

4人の先生達に、まず15分ずつ漢字の模擬授業をしていただきます。
会場から質問を受け付けてその質問を元に授業を自評して貰います。
この自評を元に4人の先生方にお互いの授業について意見の交換を行います。
そして、授業の可能性を考えてみようと言う企画です。

この4人の先生が行う授業をライブで見ることができ、質問も出来て、しかも、無料。
こりゃあ凄い企画だと、企画立案者の一人である私も驚いています。

お問い合わせは、京都橘大学へどうぞ。

2006/07/08

福山へ

金曜日は、昨年に続き広島の福山にある中・高校一貫校にお招き頂いて、研修会の講師を務めた。昨年は、ディベートに絞ったものであったが、今回は国語教育全般について。「確かな学力をつけるための魅力的な授業づくり 国語を好きにさせる授業づくり」という大きなテーマを頂いての2時間半のお話でした。

1)漢字指導
2)作文指導
3)学習ゲーム
4)シラバス検討

という大きなテーマばかりで、果たしてご要望に添ったお話が出来るか、時間内に終わるかという不安がありましたが、無事に終わらせる事が出来ました。

先生方は、期末考査の最終日、つまり採点がたくさん残っているにもかかわらず、熱心に参加してくださいました。学校を回していく中堅の実力派の先生達は、教科の枠を超えて参加してくださり、しかも休憩時間なしでした。

研修会とか講座とかは、するがわの問題だけではなく受講される方の熱意に支えられて作られるものでもあります。今回もそれをしみじみ感じました。

            ◆

研修会の後は瀬戸内の美味しい魚を食べに。
採点もあると言うのに、先生方も参加してくださいました。
旬の天然の鱸(すずき)の刺身は、身も締まっていて美味しゅうございました。

と、新幹線の中でこの文章を書きながらふと窓の向こうを見たらきれいなお城だ。
あ、姫路城ですね。
新幹線から見えるんだ。

で、思うのですが私、本当に幸せね。
自分の言いたい事を言って、それが先生方のお役に立てて、
美味しい魚まで食べられるのですから。

富山の魚に、瀬戸内の魚。
幸せダア。

            ◆

来週末は、名古屋に向かい、ディベート甲子園東海支部の地区大会のジャッジを務めます。名古屋の魚ってなんだ?

を、こんどは右側に明石海峡大橋が見えるぞ。
新幹線ってやっぱり凄いなあ。

充実した広島行きでした。

教育実習報告会

国語科教育法の授業の後、教育実習報告会があった。4回生が3回生に対して自分の実習の経験を語る会である。

私の大学の時はこんな良い会はなかったなあ。いや、あったのかもしれないけど私は出なかった。いや、あると分かっていても私は出なかったかもf(^^;。

しかし、良い会であった。

私が報告をする4回生に事前に伝えておいた内容は次の事である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

話してほしい事は、

1)実習に行く前にやっておいて良かった事
2)実習中にもらった言葉とその説明
3)実習を通して得た自分の課題

それに研究授業の指導案を持参すること

引用終了 ーーーーーーーーーー

発表する4回生は初めて話す学生諸君だったので、実習前と比べてどのように成長したのかは私にはよくわからないが、それにしても
(ああ、実習を通して成長したんだろうなあ)
と思わせる話し振りであった。集団に対して話すという経験を経てきているというのが分かる話し方であった。

私は一人一人のスピーチに対して、会場から質問を促し、私の方で補足説明をしと司会の役をしていた。

4回生の発表で印象的だったものを記そう。

「聞く事が大事です」

指導教官から貰った言葉。生徒指導では、どうしても教師は話したくなってしまうのだが、基本は聞く事なのだ。これが出来るようになるのは時間がかかる。中学での実習中、授業の前に突然始めた喧嘩を止めに入った先輩は、指導しつつも生徒の言い分を聞いた。これが、あとあとの指導に大きく影響したと話していた。

難しい判断である。
「授業を遅らせてまで生徒の話を聞くことに意味があるのか。授業が大事でしょ」
と言われればそれも一理ある。指導教官の考え方や学校の生徒指導方針によって、実習生が行った指導は正しくもなり、悪くもなる。

だけど、どうしようと考えている時間は現場にはない。なんて言ったって目の前で起きているんだから。ここは腹を決めて、(私ができる指導方法の中で、どうしたら生徒の為に一番良いのか)を直感で選び、やるしかないのだ。現場の先生だってそうしている。

この瞬間の判断力を鍛えるのは、経験である。しかし、君たちには経験がない。だから、人間との関わりを増やし経験を重ねる事、また、教育関連の本を読み本の事実をあなたの経験の一部に加えるのだ。

「あなたのような下手な授業でも懸命に聞こうと思っている生徒がいるのよ。だから懸命に授業をしなさい」

これも指導教官から。厳しくもありがたい言葉だ。そうなんだな。子どもたちって優しいんだよ。
「分からないのは、オレが頭が悪いからだ」
と自分を責める。そうじゃないって、教え方が悪いから理解できない授業というのだってたくさんあるのに、自分を責めるんだ。

だから、教師は厳しく自分の授業を磨かなければならないのだよ。

これを繰り返す事が、「教えたいという教師と学びたいと言う生徒の美しい関係」を作ることになるのだね。

「先生、来年この学校に返ってこいよ。オレが甲子園に連れて行ってやるから」

泣けるねえ。男の生徒ってのはガキだけど、かわいいよな。こういうこと平気で言えるから。頑張って教師になるんだぞ。

また、自分が得た課題と言う事では、共通して出ていたものがある。それは、「知識が足りない」ということである。

昨日の私の授業で能の話になり、私はちょっとだけ謡をやってみせた。
諸君は、驚きながらもニヤニヤ笑っていた。
(先生、良くやるなあ)
ってな感じだろうか。

まあ、それはそれで「良い」。まだ君たちは学生なんだから。だけどね、君たちは先生になるんだよ。能の話を授業でする時に、ちょっとでもいいから生徒の目の前で能を演じられる事が大事なんだよ。生徒の
(先生、良くやるなあ)
(恥ずかしくないのかな?)
(おかしいんじゃないの?)
という視線を受けながら、それでも少しでも理解をさせるためにやるんだよ。

で、実習生の言葉だ。自分の知識が足りないと言っていた。諸君に聞いてみたら京都の大学にいながら能を一回も見た事が無いとのこと。これじゃあ、とてもじゃないが生徒に能の事を授業で語る事なんて出来ないぜ。知識が足りなさすぎる。

「毎朝の学活で話す事柄が無くて困った」
「説明すれば説明するほど生徒が分からなくなっていったのを感じてしまった」
「言いたい事はあるのに、それを説明する言葉が見つからなかった」

これらは、すべてがそうだとも言えないが、基本的には知識量のなさから来ている事だ。

じゃあ、どうしたらいいのか。先輩達は口を揃えていっていたね。
「もっと本を読みます」
と。
そうだな、それが一番良いと思うよ。

どのぐらい読むのかって?
んーん、そういう質問はねえ。君がどのぐらいの読書量をしてきたのかにもよるけど、ちなみに私は常に5〜10冊ぐらいは同時進行で読んでいるよ。

何から読む?
んーん、これも同様の理由で難しいが『<教育力>をみがく』(寺子屋新書 家本芳郎著)は、私の授業を受けるのには必読書だね。

さらに、三回生の諸君は宝物をもらったはずだ。それは研究授業の指導案である。諸君はその指導案がなんで宝物なのかがまだ分からないだろう。

だが、やがて分かる。諸君が実習中に研究授業をやるときに必ず書かなければならないのが、その指導案である。

国語科教育法2の授業で私が指導する事になるが、ある程度書けるようになってから教育実習に行かないと、実習先で辛い事になるぞ。

私達は研究授業の当日には行く事もあるが、君たちが指導案を書いている時は、側にいられないからな。だからその時に、先輩から貰った指導案が宝になるのだ。

面白いと思った指導案を、一度書き写しておくといいだろう。書き写す事で細かい事が理解できるはずだ。

先輩達は、しっかりと君たちに伝えるべき事を伝えてくれた。三回生の諸君、一年後は君たちの番だな。期待している。

(教科通信 修学 NO26、7より)

書き込み回覧作文で作品を味わう

S1 自分の作文に感想を書いてもらえると、どういうことに皆興味があるのかわかるから、次に作文を書く時の参考になるので、とてもいいかと思いました。もう一回、書き直したのを見てもらいたい。テスト作りはとても難しそうだけど、頑張って作ってみたいと思います。(特に文章題)

T 学校教育に置ける指導は、具体的でなければならないと私は考えています。『教室の皆が興味を持てるような具体的な内容で書きましょう』と指示を出したとしても、①教室の皆が興味を持てるような内容。②具体的な内容の2点について、多くの中学生は理解できないでしょう。書き込み回覧作文を行えば、このうち①についてはコメントが貰える事で生徒は分かります。②について説明するのみになります。で、具体的ってなんだか分かったよね?

S2 友達の作文を皆で楽しめるって良いなと思いました。テスト作るのも不安だし、解くのも不安です・・・。

T 文章が自分の生活を見直すきっかけになるということはありますよね。これはつまり、書く事考える事に繋がっているからです。書いて、読んで、考える。この循環が大事なんですね。

S3 書き込み回覧作文でみんなからコメントがあると、すごく嬉しかった。「書きたい!」と思わせることが大切だということが理解できた。何回も読み返して自分できちんと指導できるようにしたい。

T そうです。みなさんは、教師になるのですから、自分が分かるだけでは不十分です。みなさんは、分かった先に「指導できる」ようにならなければなりません。力を付けて下さい。

S4 テストを作るのは、かなり難しそうだと思った。テストを作る時に考えなければいけないことが想像以上にあったし、配点を考えるだけでも大変だと思った。実際に受ける立場の時は、「何でここの配点が高いんだ?」と不満も色々あったが、ちゃんと理由があり、考えられた結果そうなっていたのだと分かった。

T 今回のテスト問題をつくる授業では今までの授業と違って、最初に丁寧にその方法を説明しませんでした。私の作ったテストの実際の見本を見せるだけにして、あとはお任せ。理由はあとで説明します。良い問題を作って下さい。

S5 今日の授業の前半でやった体験作文の回覧はとても面白かったです。インパクトの強かった内容はまだはっきりと覚えていて、思い出すと笑えます。私も他の人の印象に残るような作文を書きたかったなと思いました。

T 竹の味、浴衣、長沢、ポップコーン・・・。これらは今でも鮮明に思い出す事が出来ます。自分にしか起こらなかった体験を、読者に分かりやすく丁寧に、インパクトのあるように叙述する事。これが大事なんですね。

S6 書き込み回覧作文は、いろんな人の過去の体験を知ることが出来て楽しかった。でも初めの一分は作文を2枚しか読むことが出来ず、はじめの方にちょっとコメントを書いたぐらいでした。テスト問題作りを来襲して、解く時に、もう忘れてしまった漢字がたくさんありそうなので、解くのが少し怖い気がします。

T ということで、この書き込み回覧作文は、学級の行事のあとにお勧めなんです。同じ体験をしながら、感想が違ったり同じだったり。その中で仲間が育っていくことを私は指導の中で何回も見ました。

テスト問題は作るよりも解く方が厳しいみたいですねえ(笑)。

S7 回覧作文は、みんながどんな事書いているかわかって、良いと思った。確かに、よし、自分も頑張ろうという気持ちになると思います。今日は、料理を味わうように、作文を味わえたと思いました。テストを作るのは初めてですが、難しそうだけど頑張ろうと思う。

T 味わって読んでもらった作文は、喜んでいるでしょう。丁寧に書いたものを丁寧に読む。そんなことが繰り返し行われる授業が教室で普通にされるなら、子どもたちの作文力は向上するはずです。

S8 テストを作る。どんなテストにしたら良いのか今からとても悩んでいます。それ以上にパソコンを買わないといけない。書道だからいらないと思っていたのが甘かったなあと今日一番思いました。作文も次に書くときに今回以上に読んでおもしろと思ってもらえる作文を書けたらと思います。パソコンは中学の時に3台動かなくしたのを思い出しました・・・。

T ものを買う時は、欲しいから買うではなく、必要だから買うと考えておくと良いと私は考えています。欲しいものというのは、よく考えてみると欲しいのではなく、「欲しいと思わされている」ことが多いわけです。CMとか作られた流行とかにですね。だから、あんなに欲しかったものがあっという間にどうでも良いものに変わります。

ですが、パソコンや万年筆などは、あなたの人生に必要なものでしょう。そして、この道具を使いこなすにはある程度のトレーニングの時間が必要になります。確かに「書道は卒業論文がないからパソコンは必要ない」という考え方もできますが、あなたの長い人生を考えるとき、パソコンなしの人生は考える事が出来ません。そういうものは、早めに使えるようになって置く事が大事です。

私も持っている万年筆は、普通に使ってもあと2〜300年は使えますが、自分の癖に馴染んで使いやすくなるには5年ぐらいかかりました。あなたが今買っても、就職した時には使いやすくなっていません。だから、そのような一生ものは、なるべく早く手に入れて、亡くさないように大事に使っていくのです。その方が安いし、価値があります。

必要かどうか、これがポイントです。

S9 作文の回覧がとても楽しかったです。同じテーマなのにそれぞれの体験が見れて楽しかったです。テスト作り、高校に教育実習の内諾貰いに行った時に話を聞きました。未知の領域に足を藤入れるのは面白そうですが不安です。しかし、予行練習だと思って考えます。

T 未知の世界に突入する時に、わくわくする人生でありたいと思います。多少は準備もしますが、準備しているうちに、チャンスを失うことのないように。大学の授業でなら、失敗したって聖蹟が悪くなる程度です。本番でこけないように、大いに挑戦して下さい。

S10 回覧作文がとても面白かったです。コメントがついて返ってくると嬉しいし、他の人がどういう所に注目して読むのかが分かりました。これを続けていいくときちんと考えて作文が書けるよう」になるし、書く事自体がスムーズになると思います。教師が参加できるのもいいなと思いました。

T ときどきはこうして生徒のいる場所に先生も降りていって、一緒の活動をすることが大事だと思います。中学生であっても子どもたちは喜びますよ。何より見本を見せる事が出来るのが貴重です。

S11 みんなの作文を回覧して、面白いなと思ったり凄いと持ったり、楽しかったのと同時に勉強になりました。「この表現おもしろい」というのがあって、作文を書く時はぜひ使おうと思いました。テストを作るのは難しそうで、今からどうしようと不安ですが、先生のテストなどを参考に作りたいです。

T 【「この表現おもしろい」というのがあって、】とありますが、【たとえば、〜のようにおもしろい表現があって、」と書く事が大事です。具体的に引用する事です。その引用が無いと、何が面白いのか分からなくて読者は消化不良を起こします。心がけて下さい。

(教科通信 修学 NO24、5より)

2006/07/06

西大津のタイ料理

昼ご飯は、西大津にある「すぼる」というタイ料理のお店。
先日手にした雑誌に載っていたので、出かけてみる事にした。
ランチが980円で食べ放題のバイキング。
お店の腕前を確認するにはちょうど良い。

これが、大当たり。
いや、まさか西大津でこの味に出会えるとは。しかも、この値段で。
去年、一昨年と旅に出たタイのサムイ島で食べた味である。
グリーンカレーもおいしいし、オイスターソースを絡めてある野菜炒めも美味しい。
トムヤンクンもスイーツも。

お変わりをし続けてしまい、満腹。大満足。
会計の時には
「アローイ」
とタイ語で美味しいとの言葉をかけると、タイ語で
「コックン カー」
とありがとうございますと返事が返って来た。

ランチのメニューには無かったが、一品料理にあった「ワタリガニのカレーソース炒め」「白身魚の甘酢あん掛け蒸し」に大いに期待が持てる。楽しみ楽しみである。

            ◆

満腹になれば、眠たくなる。
琵琶湖の湖岸に出かけていき、くつろぐ。
読書をしようと思ったが、薄曇りの湖に波の音。
抗うのを止めて椅子に身体を横たえた。

I'm off

            ◆

これで一日を終わらせようと思ったのだが、仕事が終わらないので夕方6時から大学に向かう。週末に岡山の中学・高校で講座を依頼されているのだが、その資料作りをする。仕事に関する本は基本的に研究室においてあるので、家では仕事にならないのである。

帰宅したのは9時過ぎ。
風呂に入り、美味しい魚を食べ、うまい酒を飲み
誕生日の一日を終えた。

さあ、ここから二週間は出張が多いぞ。
うしゃうしゃと取り組むぞ。

2006/07/05

志賀直哉の『正義派』

明け方に起きてドイツ対イタリア戦を見る。
(この試合を日本の主審が裁いたら、例の三国同盟だなあ)
と思いながら見る。

昔、中国を旅している時に、ドイツ人、イタリア人と一緒の列車の席になった事があるが、
彼らから
「今度はうまくやろうぜ」
と言われて、三人でブラックに笑ったのを思い出した。

            ◆

で、眠気に負けて布団に戻ったのだが、起きてみたら北朝鮮のミサイル騒ぎ。
まったく、私の誕生日を狙ってこのミサイルか。

自分から悪口を言って人間関係を壊しておき、相手のせいにして泣き叫ぶという女子中学生は、まあ、いた。それと同じような事を国家レベルでやるってのは、いや、やれる環境があるってのは凄い。

            ◆

争いは、正義があるから、正しいものごとがあるから起きるということに薄々気がついたのは、大学生の頃。志賀直哉の『正義派』という小説である。

「池田、このタイトルおかしくないか?」

と竹内常一先生に質問されて、
(うおおおおおおおおおっ!)
と気がついた。

(そうだよな。なんで、正義に派閥があるんだ? 正義は一つ。正しい事がいくつもあったら、正しくならないじゃないか)

(こういう核心をついた問いを生徒にぶつける事が出来る教師になりたい)
と思う一方で、
(正義は派閥を生み、その派閥が主導権争いをすることで戦争が起きるのね)
と思ったものだ。世界各地で勃発する紛争も、基本的にはこの対立が含まれていると今でも考えている。

ボックス席

Wl
大学の池に睡蓮の花が咲いた。
さすが元女子大学だけあって、花の数は多いと思う。
睡蓮や蓮の花は、咲く時に
「ぽん」
という音がすると言う噂を聞くが本当なのだろうか。
実際そんな気持ちになるような咲き方ではあるが。
トリビアに確認して欲しいものだ。
ちなみに、睡蓮は水面から茎を伸ばし咲くが、蓮は水の上に花を浮かべて咲くのだそうだ。

            ◆

午後から神戸へ。
これで大学主催の学校説明会は終わりになる。
西大津駅から神戸駅まで新快速で1時間で着いてしまうが、さすがに距離がある。

対面の座席には1歳ぐらいの子どもを抱えた母親。
関西の電車はボックス席が多いのだ。
嫌な予感がしたのだが、この子どもが靴を履いたままで私の膝を何回も蹴る。
さすがに
『私のズボンを何回も蹴っているので靴を脱がせて下さい』
と言う。若くもない母親はむっとして脱がす。

『あのねえ、自分の子どもがそういうことをしていることに気がつかないようなあなたの気づき方では、子どもが危険な状態に陥りそうになる時に気がつかないですよ』

と言おうと思ったが、これは止めて読書に勤しむ。
でも、本当にそう思うよ。

            ◆

説明会を終えた後、帰りの新快速では梅本先生と来年度の児童教育学科の打ち合わせをしながら帰ってくる。こういうときボックス席は便利だ。細かい打ち合わせができて良かった。

            ◆

夕ご飯は久しぶりに餃子。
我が家の餃子は非常にシンプル。「ニラ」と「ひき肉」だけである。これを蒸し器で蒸して、ショウガをたっぷり入れたツケに浸して食べる。

このところ疲れていた私の様子を見て、奥さんが作ってくれた。
明日は誕生日だし、久しぶりのオフにしてゆったりとするので、じっくりと味わって食べる。
はあ、美味しい。

おやすみなさい。

2006/07/03

うーん、残念

大学主催の学校説明会が続き、さらに高校での説明会も続くので授業の準備をしている暇があまりない。本日も午後から大阪の南、天王寺で説明会があったのだが午前中は大学に行き、仕事である。ま、そういう時に限ってプリンターのインクが切れたりする。機械は人の心まで読むかどうかは知らないが、シチュエーションは読んでいると思う。

            ◆

今日の仕事は、来年度の新入生のキャンプの素案を作り、教職を目指す学生のための宿泊セミナーの素案を作り、授業の準備に事務処理である。

あっという間に3時間が過ぎ、昼ご飯を生協で食べて一旦自宅に戻る。そして、大阪に向かった。

            ◆

説明会は恙無く終了。話す内容も三回目なので随分慣れた。
で、面白いのが何処の会場でも

『本学では、教員養成をチョークの餅から指導のような重要でありつつも細かいので蔑ろにされてきたものも指導したい』

と話すと、この瞬間は会場に来ている高校の先生達が顔を上げる。
びっくりするんだろうなあ。

おそらく会場に来ている先生達は、誰一人として大学の教職課程でチョークの持ち方なんて指導されていないからなあ。私だって指導されていないが、どうやって持つのかは聞きにいって教えてもらったぐらいだもんね。

だけど、本学の書道科の学生だって、黒板に文字を書くとなると全然だめになってしまうほど黒板の字ってのは難しいからね。

ま、一年ぐらい丁寧に黒板に書く練習をすれば書けるようになると思うけどねえ。

            ◆

夜は、浜大津に出かける。
魚好きの課長さんに教えていただいた店「魚叡」にでかける。

店に入ると、カウンターが15席、座敷が10席ぐらいであるが、月曜日だというのに、店内はほぼ満席。期待できる。

結果として、魚そのものは美味しかったが浜大津にしては値段が高く、一番のマイナス点はカウンターの両サイドで煙草を吸われてしまった事。美味しい刺身の上にタバコの煙が流れるのを見るのは耐えられなかった。

うーん、残念。

            ◆

Biwakofunsui
夜の琵琶湖噴水を見て帰宅。
先日の富山旅行のときに買った「ふぐの卵巣の味噌漬け」と「純米 京乃一滴」で締めて終わりにする。

2006/07/02

西大津の休日

大学ではネムノキが満開の花である。
Nemunoki

今日は降ったりやんだりの天気。
晴れると比叡山はきれいに見える。
そんな中を比叡山を目指してスタート。
Sorahiei


山中越えという京都に向かう道があるのだが、そこから比叡山ドライブウエイに入り山の中にあるホテルでお茶をしようと計画。しかし、料金が高すぎる。

急遽取りやめて京都市内に向かう。

            ◆

北白川に出て、白川通を北上し、大原三千院方向に向かう。大原と言えば

「♪京都〜大原三千院 恋に疲れた女が一人♩」

という曲で小学生の頃から知っている場所だが、実際に走ってみると
(こんなところまで恋に疲れた女がやってくるかねえ?)
と思えるぐらいの辺鄙な場所。

それを助手席の連れ合いに言うと、
「だから来るんじゃないの。分かっていないわね」
と一蹴。

いや、その、疲れていたらこんなところまで来る元気はないと思うのだが。

それに、この大原の雰囲気は、東京の青梅や埼玉の飯能辺りの景色とあまり変わらない。わざわざ京都まで来なくてもねえ。それに当の三千院近辺は観光化していて、やっとたどり着いても破れた恋を癒す雰囲気はないんじゃねーの?と思った次第でした。

            ◆

琵琶湖大橋辺りのガソリンスタンドがこの辺りでは一番安い。リッター122円。ガソリンを入れてから、目の前にあった店に入った。「PREGO」。イタリア語でこんにちはという意味だろう。

琵琶湖の畔にあるレストラン。一番窓際の席でお茶とケーキを楽しむ。
琵琶湖の上空を走る雲に併せて、琵琶湖の水の色が変わっていくのが面白い。
広い空だ。
広い空は本当に気持ちがいい。
Prego


            ◆

小一時間休憩してから、坂本にある魚屋に向かう。
先日、本学の課長さんから教えていただいた店だ。

鯵が数種類あったので、どの鯵が美味しいのか聞いてみる。すると、
「こっちの鯵は手釣り。あっちは網ね。手釣りの方が美味しいよ」
とのこと。
さらに、石川県産の岩牡蠣を発見。驚くなかれ、3つ300円。
ってことはですよ、いかに算数の苦手な私でも分かる1つ100円です。
なんてこった!!
買います買います、ええ、買いますとも。

野菜に果物だって安い。東京じゃ信じられないぐらい安い。
満足満足。

            ◆

さて、明日も大阪だ。

オシムの言葉

筑田さんのブログにあったのを覚えていたのだろうか。
本屋ですっと手を出して買っていた。

『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見せる』(集英社 木村元彦著)

を読み終えた。

現在ジェフの監督をしているこのオシム氏が、日本代表チームの監督になったら凄いことになるぞという感触を得た。

数学者や医者になれる道を投げ捨ててサッカーの道を選び、母国ユーゴすらビヤの崩壊の中で家族の生存も分からない中でチームを指揮するすごさ。教育者として厳しい時は厳しく、しかし、成長を促す厳しさである優しさ。

こんな人が日本代表チームの監督になるのか。
楽しみだなあ。

            ◆

一つだけ、この本の弱点を言えば、文章が分かりにくいことであった。

構成をきちんとして、もう少しストレートに叙述すれば良いのに。オシム監督の事実をきちんと伝えるだけで、この本は良い本になると思うのだが、いじりすぎてちょっと分かりにくくしている部分があった。「第52回青少年読書感想文全国コンクール」の課題図書にしては、お粗末ではないかなあ。

ま、でも学校のクラブ活動で監督をしている先生は、指導者としての幅を広げるヒントをたくさん得られる本になるはずです。

私もチームを持っている時に読みたかったなあ。

2006/07/01

でも、気になる

気になっていることがある。
つまらないことだと思うが、どんなもんであろうか。

例の女子大生誘拐事件に関してである。新聞記事等では誰も問題にしていないので、事件とは直接関係ないし、不謹慎な話題かもしれない。

でも、気になる。

            ◆

保護された女子大生の母親が、渋谷警察署の前で記者会見に臨んでいた。
私の通っていた大学が渋谷にあるので、あそこはよくわかる。
(ほう、あそこで記者会見をやりますか)
と思った。

で、場所が気になるのではない。
あの女子大生の保護者である。

            ◆

美容整形を生業にして、HPではかなりの写りの写真を載せ、テレビにも出ている彼女である。テレビに出る時はかなりメイクで作り込んで出演しているであろう。

で、今回の事件で娘と一緒に記者会見に臨んだわけだが、あのときは「スッピン」だったのだろうか。まさか、スッピンと言うことは無いだろう。だとすれば、メイクをしていったわけだがその時の心境はどんなものだったのだろうか、というのが非常に気になる。

見られることを意識している彼女であるから、「被害者の保護者のメイク」というものにしたのであろうか。そうだとすれば、そんなに落ち着いていられたのであろうか。

            ◆

被害者の母親という「私」と、テレビタレントとしての「公」が、メイクの上でどのように表現されていたのか。そして、そのときの心境は?というのが非常に気になる。

メイクが分からない私だけに、非常に気になる。
小説が書ける人は、ここの辺りの機微を作品に書き表すことが出来るんだろうなあと思う。

            ◆

ちなみに、このお医者さん時給100万円で、一度着た服は二度と着ないという「セレブ」だと言われている。

が、私の感覚ではこういうのは「成金」という範疇に所属し、哀れんだりからかったりする対象になるのだが、私のそういう感覚は違うのかなあ。

蔵書を構想する

朝から大学で打ち合わせ。
来年度の児童教育学科開設に併せて図書館に置く図書の選定作業の作業部会である。

私の担当は、国語科、教職課目が中心である。文科省に申請する関係から4月からの開設とはいえ、これらの仕事は今年度前半の仕事となる。

今日伝えられた中身は、びっくり。
(うほほ〜〜〜〜〜〜〜い、そんなに本を買っても良いの?)
と思える分量であった。

だが、問題は選ぶ為に必要な時間が限られていること。
また、国語はいいとして、教職関連の書籍は一般的なものも揃える必要があり、これから着任される先生達にも満足してもらえるものでなければならない。ここが難しいなあ。

            ◆

会議後、研究室にこもって方針を立てる。結論。

・私が読んだ本で良い本を揃えよう。

である。
研究室には、個人でこの20年間で買い集めた仕事の本が置いてある。(楽しみの本は研究室には置かないようにしている)その仕事の本の中から、(これは!)と思う本を大学の図書館にも置いてもらうことにする方針を立てた。

メインは家本芳郎先生の関連の著書になるだろう。
家本先生の著作が全部揃っているなんていう大学の図書館になると良いんだけどねえ。

            ◆

そのあといくつかの事務仕事を終わらせて、家に帰り昼ご飯を食べて、大阪に向かう。今日は昨日の京都に続いて、大阪の北で本学主催の大学入試説明会である。なんだかしょっちゅう大阪方面に向かう新快速に乗っているなあ。

来週の月曜日は大阪南、火曜日は神戸で説明会。さらに週末の7/7、8は岡山だぞ。さて、まだ準備も終わっていないぞ。その間にある私の誕生日はゆったりできるのかなあf(^^;。

            ◆

大阪の説明会の後、さらにもう一つの会議があった。
これも入試関連の会議。
これを終えて、担当課長さんと大阪駅のガード下の店に行く。
魚の美味い「丸」という店。

実に美味かった。
たっぷり飲んで、いろいろと関西地区の仁義を教えていただき、ごちそうになってしまった。
ありがとうございました。

いやあ、疲れたけど充実した一日でした。

満足度70%ぐらいで

今週は梅雨が盛り返してきて雨が降ると言う予報だが、結構晴れている。
京都は蒸し暑いと聞いていたが、確かにその通りだ。
盆地と言うことで、風が通らない。これは、八王子のそれにも似ているなあと思う。

京都の市内で、本学主催の大学入試説明会があったのだが、終了後ホテルから出るともの凄い暑さであった。

比叡山を越えて滋賀に帰ってくると、琵琶湖の畔から吹き上げてくる風が心地よい。
山一つでこんなにも違うかと思う。

            ◆

昨日は、前日に食べたハバネロ加工の鳥の手羽先がお腹に直撃を食らわしたので、断酒。身体にいいのだか悪いのだか。

そして、アルコールの無い食事をしたのだが、そのアルコールの時間帯を夕涼みに出かけた。例の琵琶湖の畔の砂浜で、小一時間連れ合いと二人で読書をしながら、この三ヶ月を振り返る。まったくもって迷惑をかけっぱなしだった私は、感謝感謝である。

思ったよりも時間のない毎日。
次から次へと増えていく仕事。
それは、まあ、私が望んできた仕事であるし、やりがいもあるので私は良い。

だが、趣味の友人を東京に置いてきて、慣れない土地で友人もいないなか毎日のことをやってくれる奥さんには本当に感謝なのである。

         ◆

で、これから先のことも話す。

「あれも欲しい、これも欲しい」と次から次へとものを買うようには私は育てられていないと思うが、ここにきて大きな買い物を集中して買わなければならない時期に入っているようである。

テレビ、ビデオ、冷蔵庫、洗濯機、自動車・・・。一つ一つを吟味して選んでいる時間がない。さらに、この先の人生設計を考えるとどこでどうお金を使うべきかなんてことも考えなければならないのだが、いまは、満足度70%ぐらいでどんどん先に行かなければならない時期のような気もしている。

とても涼しい風が湖面から運ばれてくる。
だんだん対岸の街の灯りもくっきりと目に入ってくるようになった。

ほんの一時間だったが、良い時間だったなあ。

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