もっとも正しい主張
心地よい疲れを新幹線のシートに委ねて、京都に向かっている。
合計で6試合のジャッジをした。
ここに至るまでの子どもたちの、そして指導者達の道のりが分かるだけに、
一試合一試合のそれぞれの議論の裏側にある姿が見えてくる。
もちろん、判定は目の前で交わされた議論だけに基づいて行われる。それは間違いない。しかし、アドヴァイスのスピーチでは子どもたちの更なる成長を期待して、丁寧に行ったつもりだ。
◆
『この試合では、私が今まで聞いた主張の中で、もっとも正しい主張がされていたと思います。それは、肯定側の第二反駁での主張です。この反駁の4点目で、第二反駁を担当した、そう、君ね。君はこう言いましたよね』
否定側は、プランを導入する前とプラン導入後の変化を述べるべきところで、プラン導入前のことを述べていなかった。
『「私達肯定側は第一反駁で、否定側の立論では、プラン導入後の変化を述べる際に、現状との比較を行っていないと主張しました。否定側は第二反駁で、やはり現状がどのようになっているのかを述べていませんでした。現状がどのようになっているのかを説明していないのですから、ダメです。つまり、今と現状は変わらないのです」って言ったよね』
「はい」
『うーん、すばらしい。やはり、今までで一番正しい主張だ。「つまり、今と現状は変わらないのです」って言ったんだよね』
「はい」
『そりゃあ、そうだよな。今と現状が違ったら困るよね(^^)』
「あ」
◆
ま、いたいけな生徒をからかってはいけないのだが、ジャッジはちゃんと聞いているし、決めの台詞はきちんと決めてほしいという思いで話した。この程度間違いは、文脈で理解できるのできちんと理解するが、大事に言葉を使ってほしいと言うことだ。
◆
で、分からないことがある。動物園廃止論題で肯定側から出る主張に「動物の権利を守る」というものがある。この主張が出るといつもどきどきする。次のような展開にならないかと思うからだ。
「肯定側は動物の権利を守ると言い、動物にも人間と同じ権利を認めると言いました」
そうである。こういうとととても気になることがある。
私は「権利があるなら、義務も発生する」と学んできた。となると、動物の権利を人間と同じように認めるなら、動物に義務も認めなければならない。じゃあ、動物の義務ってなんだろう? これが認められないのならば、動物の権利は認められないということになる。
また、夜一緒に飲んだ藤岡幹根先生じゃ、人間の権利の根本は生存権であり、動物にも権利を認めるなら、ライオンの生存権のために人間が食われてしまってもいいということになる。本当に良いのだろうか?
ってな話をしながら試合後の打ち上げをした。
楽しかったなあ。
終電の一本手前で自宅に戻る。乗ってしまえば、1時間40分ぐらいでつくんだなあ。
楽しい時間でした。
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コメント
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動物園論題,奥が深いですよね。
関東で2試合ほど見ましたが正直中学生には難しすぎるのではないかと感じるほどです。
生物学を専攻する者ととして非常に興味深いテーマです。
動物園の動物の「義務」は人間に見られること,でしょうかねぇ。
ちょっと私にはわからないです。
私は8月,北海道に行くので今話題(?)の「プランを導入しても廃止すべきでない動物園」旭山動物園を見てこようと思います。
肯定側のエビデンスは旭山動物園ばかり。
そんなにすごいならこの目で確かめなくては。
ジャッジお疲れ様でした。
投稿: 関戸紗由里 | 2006/07/17 17:36
いろいろな観点で論じることができるからでしょうね。
小学校のディベートのように「動物園の動物と、野生の動物はどっちが幸せか?」というような観点もありますし、権利の問題からも考えられますし、人間の娯楽の観点もあります。
権利一つとっても、そもそも権利とは何かを考え、その先に、ではその権利は動物にも適応できるのであろうかと考えなければならない。これは難しいです。
しかし、この難しさが面白さになり、思考を促すわけですよね。
旭山動物園、いいですね。是非、レポートを。楽しみに待っています。
投稿: 池田 修 | 2006/07/18 07:05