だから、簡単に納得しないことだ
このところ高校生に授業をすることが多い。大学の教育関係の模擬授業と言うことで、行う。
あちこちの高校生と授業ができるのは、非常に面白い。ま、飛び込み授業の連発と言うことで、こちらにも適度な緊張感があり、60分一本勝負という感じが面白い。
今日は京都の大学ということで京都コンソーシアムの企画で大阪府教育センターに出かけていって色々な高校の生徒50人ぐらいを相手に授業をした。
タイトルは、『教師入門 「はなしことば」による説明』である。教員の研修の内容を高校生向きにアレンジし直して行った。
内容は、
1)大学の説明
2)論理的に話すとは
3)話し言葉と書き言葉の違い
4)分かりにくい話し方の三大要因と、その対策
5)まとめ
大学の紹介も含めて70分の授業であったが、面白くできた。感想文を見ても「役に立った」「教師にならなくてもこれは使える」「教師になりたくなった」「うちの先生に聞かせてほしい」など過激な感想も含めて、まあ及第点であった。
「先生、オープンキャンパスに行ったら、先生の授業をまた受けられますか?」
と聞きにくる生徒もいた。
『おう、待っているよ』
と答える。嬉しいものだ。
◆
で、余談の中で高校の学びと大学の学びの違いを少し説明した。
『高校までは、基本的に世の中で解決している出来事を理解することを中心に授業が進む。しかし、大学では理解もあるが、その先に「自ら問いを立て、その問いに自らが答えを求める」ということが必要なんだね』
『なぜかと言えば、大学は世界中の誰もが分かっていないことに対して答えを見つけようとする営みをする場所でもあるからなんだね。だから、大学の先生は、高校の先生以上に「それはわからないなあ」ということもあるんだよ』
『で、高校時代の君も、授業中に分からないことが出てくることがある。その時ちょっと注意深くなると良いよ。それは君の頭が悪いから、つまり勉強が足りないから分からないということもあるが、実は、誰もが分からないことに気がついてしまっていると言うこともあるかもしれないのだよ。人類の進歩にとって重要な問いを見つけていることも無いとはいえない』
『だから、簡単に納得しないことだ。分からないことを記録し、ずーっと、そうね10年ぐらい考えることができれば、君に答えを解く実力が付いた時にその問いは解決することがあるんだな。でも、10年経ってしまうと、問いが作れなくなってしまうこともあるんだ。だから、いま、その分からないという問いを大事に記録してほしいし、大学ではその問いを解決するための学びをしてほしいんだな』
◆
分からないのは、自分の頭が悪いのではなく、
1)説明が悪い
2)本当はみんなも分かっていない
3)自分だけが深いところで理解している
という場合もあるということを話したかったのだ。
私なんぞ、周りが理解しているのに自分だけ理解しないということが小中学生の時に良くあり、それにこだわっていると一種の「問題児」のように扱われたが、そこを簡単に分からなかったことが、自分を成長させていたんだなあと今は思うので、高校生にはそんなことを話したのだ。
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大阪は暑かった。
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