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2006/08/31

かえって分からなくなってしまった

集中講義三日目。
登録していた学生は37人だったが、この日は22人で行う。
なんとなく「風雲たけし城」を思い出す。

空には、鰯雲が出始めた。
もう、秋である。
Iwasi

            ◆

三日目は

1)糸井先生、杉浦先生の講義のまとめ作文、回覧。
2)まとめのスピーチ作成
3)まとめのスピーチ、お礼状指示、最終課題提示
4)学習指導案の解説、模擬授業実施課題の説明

という流れで行った。
1回生などは、体力が無いのか懸命に授業を受けようと思いつつも、眠気との戦いに大変そうであった。教育は体力なのよ。体力つけなさいね。

            ◆

この授業は、講義とワークショップを折り重ねながら進めている。そして、教師を目指す私を見つめ、

・自分にはどのような特性があるのか
・自分には何が足りないのか
・教師の仕事はどんなものなのか
・教師の仕事で分からないところはなにか
・一流のものに触れる

を目標として行っている。

ワークショップ型の授業は、行った後に振り返る時間が必要になる。同じ時間に同じ体験をした人たちが、何を学んだのかを交流するのだ。同じものもあれば違うものもある。それを交流することが大事で、これによって学びが深まると考えられる。

私のワークの場合は、作文に書いて回覧することを中心にこの振り返りを行う。すると、出てくる作文の内容が、往々にして賛辞の羅列になるのである。そりゃあまあ、すごい先生が目の前ですごい話をしてくださるのだから、当たり前と言えば当たり前であるが、それではこの授業の目的には到達できない。

つまり、学んだことを批判的に検討しなければ不十分なのである。

            ◆

そこで、昨日の課題は
「これまでの授業を受けて、深まった謎や疑問を挙げ、それについて考察せよ」
とした。

勉強したら分かるなんてことは、高校まででいいだろう。
「学んだから、ここまでは分かった。でも、かえってここが分からなくなってしまった」
ということがあるのが、大学での学びであり、学びの本質であろう。

この「かえって分からなくなってしまった」という部分が、学生の課題になるのだと考えている。

例えば、

引用開始 ーーーーーーーーーー

「授業の最大の楽しみは、先生がなぜ間違えたのか考えること」
池田先生がそうおっしゃったとき、私はなるほどなと思った。しかし、よく考えてみると疑問が浮かんだ。

池田先生のおっしゃる通り、教師が授業中間違えることはそう何回もあるわけではない。だからなぜ間違えたのか、その原因を考えるのも確かに楽しいと思う。
しかし、授業の最大の楽しみは、わかるようになることではないだろうか。

今までわからなかったことがわかったときの喜び。それが学びの醍醐味ではないだろうか、と私は思っている。

しかしそれは、生徒の視点から見た場合なのかもしれない。生徒の側からみた授業の楽しさと、教師の側からみた授業の楽しさは違うものなのだろうか。

池田先生がこの言葉に込めた真意は一体どういうものなのか。それが今の謎である。

引用終了 ーーーーーーーーーー

という感想が出る。
ま、この感想の間違いを指摘し、答えを述べることはさほど難しいことではないが、これは言わない。

まあ、間違いぐらいは指摘してみようと思うが、答えは自分で捜させたい。
そのような課題をたくさん手に入れたと思える文章がたくさん出てきた。良かった良かった。

2006/08/30

素敵な発見でした

実に贅沢な時間であった。
杉浦先生、糸井先生に本学まで来ていただいて、学生に向けて講義をしていただいたわけだ。

いやあ、来てくださったお二人の先生にも感謝だが、予算的措置をしている京都橘大学もすごい。もっとも学生からの授業料を得ているわけだから、学生に返すのが筋である。んが、それがちゃんとできることがすごい。

そして、贅沢な時間と自分で言ったものの、学問・教育を受けるときには、できるだけ贅沢にやってあげたいと思う。人類の営みの中でも最も崇高な教育と言う営みを学ぶのである。できるだけ、贅沢に豪華にやってあげたいと思う。

もちろん、この場合の「贅沢に豪華に」というのは、最先端の機材を使いということではない。もちろん、それもあっても良いのだが、やはり「人」である。

教育を語ってもらえる最先端で実力を持っている先生に、来ていただくことを「贅沢に豪華に」と私は考えている。それが、昨日の授業ではできたと思えるので、嬉しいのだ。

            ◆

1限 インタビューのやり方の確認と、インタービューの準備
2限 糸井先生の講義とインタービュー
3限 杉浦先生の講義とインタービュー
4限 杉浦先生、糸井先生、池田の三人によるパネルディスカッション

という流れで「教育、教師、教師の仕事」ということについて一日を過ごした。

インタービュー、質問という内容は、学生達が教師になった時に、子どもに指導しなければならない重要な項目である。実は、インタービューというのは、高度な知的生産が行われる作業である。ここにはさまざまなスキルが求められる。

・事前調査
・挨拶、御礼
・聞き取り
・類推
・聞き取りから展開して、新たな質問の発見
・事前調査と聞き取りの融合からの新たな質問の創造
・メモ
・表情
・話術

その他にもいくつもあるだろう。
この授業の目的の一つは、教師になる自分にとっての課題の発見である。インタービューの技術一つとっても、それを見つけてくれればと思う。

            ◆

授業後の課題として、次のようなものを出した。

課題
1)杉浦先生、糸井先生、池田の三人に共通しているものを指摘し、それについて考察せよ。
2)杉浦先生、糸井先生、池田の三人に共通していないものを指摘し、それについて考察せよ。

1)と2)のどちらかを選べば良いのだが、学生は見事に1)を選んだ。まあ、2)は難しいけどね。1)の例である。

引用開始 ーーーーーーーーーー

【素敵な発見でした】

三人の先生に共通されていると感じたことは、みなさんの「顔」です。
ここでいう顔とは造形ということではなく、表情のことです。

みなさんの表情からは指導者としての風格が感じられました。
具体的に言うと、黙って話を聞いているときも目が相手を理解しようとまっすぐ話し手を見ておられたりしましたし、喋るときは口の端が少し上がっていて、聞き手に安心感を与えてくださいました。

「顔」は人に与える印象を一番左右するパーツだと思います。
表情筋は普段から、心から喜怒哀楽を表現するために使っていないと、すぐ衰えてしまいます。
心のそこから笑わないと頬や目尻は上がらなく唇だけの笑顔になります。悲しんでいる場面でも顔が固いと無表情になります。
顔から感情が伝わってこない人は、子どもたちに恐怖を与えると私は考えています。逆に表情豊かな人は子どもに信頼を抱かれるとも思います。

私はここ数年表情が無いと言われ続け、最近やっと笑顔がいいねと言われるようになりました。しかし今日先生方の「顔」を見て、自分はまだ感情をうまく顔で表現できていないと思い知りました。
子どもに、人に、心や気持ちや考えを正確に伝える為に、私も素敵な「顔」を手に入れるため日々努力しようと感じました。

引用終了 ーーーーーーーーーー

そうなのかあという思いと、よく見ているなあという思いを持った。
他にも面白いものがあり、学生達の真剣な学びと、充実感が伝わってきた文章たちだった。

杉浦先生、糸井先生、ありがとうございました。

2006/08/28

(!!!!!)

集中講義一発目、キャリア開発演習1の初日終了。
これから教師を目指そうかと思う学生を相手に行う授業である。
久しぶりの6時間ぶっ通しの授業。

6時間のうち1時間目が終わったら、6人ぐらいがリタイヤしていたf(^^;。
リタイヤすることは問題ないが、挨拶ぐらいしてリタイヤしろよ、まったく。

6時間後に数日前から痛めている腰と膝に痛みが走るかと思ったが、そんなに大きな痛みにならずに終わらせることができて、ああ良かったというところか。
しかし、加齢とともに当日に痛みがでなくて、翌日にということもある。
明日に注目。

            ◆

本日は、6時間で

1)授業ガイダンス
2)今教師になるということは 教師の仕事の実際
3)教師になる道のり
4)インタビューの練習

ということをやった。
一番心配していた、4)のインタビューだが、私で練習をさせたところ、結構いい質問が出ていたので一安心。

明日は、糸井先生と杉浦先生に授業に来ていただき、お話とインタービューに応えていただく授業をお願いすることになっているのだが、インタビューが、わやわやではどうしょうもないからなあ。

            ◆

3)教師になる道のりのところで、「面接試験」の話をした。

引用開始 ーーーーーーーーーー

面接では何を見ているか
 人物を総合的に評価(第一印象)
 受験者の性格や人柄(落ち着き、謙虚さ、明るさ、真剣さ、公正さ)
 面接時の服装や態度(姿勢、歩き方、座り方)
 教師としての意欲・熱意(課題解決意識、向上心、情熱)
 表現力、言語能力(問いに対する正対、話し方、声の大きさ、声の明瞭さ)
 教師としての指導力・教養
 協調性、指導力、社会性(リーダーシップ、判断力、受容性、人間的魅力)
 公務員としての適格性

引用終了 ーーーーーーーーーー

ということを話しつつ、「面接時の服装や態度(姿勢、歩き方、座り方)」から脱線した。

いやあ、私が気になるのは民族衣装を着た時にその人の人となりが出てしまうということである。昨今の浴衣ブームで若い娘達が浴衣を着て花火大会に出かけて行くのだが、育ちと言うか教養と言うかがモロに出てしまっていると思うのだ。

着方が慣れていないのは仕方が無い。だけど、20歳を過ぎているのに、乗っけた帯は頂けない。さらにもっと頂けないのは、歩き方のだらしなさである。がに股、引きずる歩き方、ふらふら歩く歩き方。なんとかしてくれえと思う。

で、さらに話は進んで、神社の階段の話になった。
神社の階段の歩幅である。今の私が神社の階段を歩くと、段差のところで右足が続いて使われることある。ま、左足でも良いのだが、つまり段差のところに来ると常に同じ足が使われる。これは、非常に気持ち悪い。段差に来たら右、左、右、左と乗り越えたい。
(昔の人は、こんなんで気持ち悪くないのかねえ)
と思いながら歩いていたのだが、気がついたのである。

            ◆

(そうか、昔の人か!)
今の私はズボンで歩いている。だから、歩幅が広い。しかして、この神社ができた時は、和服である。広く歩幅を取ることができない。

和服の歩幅を想定して神社の階段を上ってみた。
(!!!!!)
見事に、右、左、右、左と乗り越えているではないか。

昔のものを今の価値判断基準で判断して文句言ってはいけないと生徒に話していたが、自分がやっていたとは。

            ◆

てな話をしながら6時間である。ちょっと早口になってしまったし、授業の進度も早かったのは、反省。

余談をしなければ進むのだが、しないと理解の幅が広がりにくいし、余談の最中に本筋を自分のペースで理解している学生もいるし。

授業はやはり、難しくて面白い。

2006/08/27

一つ目の準備完了

そうだ、今日は日曜日であった。
うむ。

            ◆

近くの皇子山球場がリニューアルオープンしたようで、アドバルーンが出ている。今日から、試合があるようだ。ウグイス嬢の声が響いている。

朝ご飯を食べた後、奥さんと散歩に出かける。皇子山の上の方に公園があり、きれいそうなので出かけてみることにしたのだ。行ってみると、これが結構広くてきれいである.桜と紅葉がたくさんあるので、春と秋はきれいであろう.秋が楽しみ。

公園の中を歩き進めると、萩の花が咲き、くずの花のグレープのような良い香りが漂い、また檜の香りも芳しく実にいい気持ちであった。

            ◆

で、さらに歩いて行くとフェノロサのお墓があるお寺につく。
フェノロサは、アメリカ人で日本の建築を西洋に広く伝えた人である。
日本の建築を「凍れる音楽」と称して、日本が昔の建築を打ち壊そうとしたのを止めさせた人物として有名であると奥さんの説明であった。

私もなんとなく聞いたことがあったので、そうかと思ったが念のためネットで調べてみたら、違うというもあるようだ。

ま、いずれにしても皇子山の環境のすばらしさには変わらない。
彼はアメリカに戻ったが、遺言でこの西大津は皇子山に埋めてほしいという願いを出し、遺髪が埋葬されているのだと言う。

今は、西大津の周りにはマンションが多くなってしまったが、確かに明治初期であればこのフェノロサの眠るお寺から眺む琵琶湖の風景は、心を打つ風景そのものだったであろう。私も、この風景を見ながらお茶を飲んだり、本を読んだりして一日を過ごしたいなあと思う。

            ◆

ま、そんな夢はおいておいて、午後から大学に向かう。
いよいよ明日から始まる、集中講義の授業の最後の準備である。

六時間かけて、なんとか準備が終わったと言っていいだろう。
半年間に週一回ずつで十五回行う授業を、一日四時間の四日間で行うのが集中講義。最終日は三時間だが、授業をする方も受ける方も大変だ。久しぶりに一日六時間の授業になる。

だが、集中でなければできない講義をしたいと思っている。

授業が動き出すと、集中講義なため大幅な授業の変更はできない。微調整をしながら内容を高めて行くしか無い。だから、事前の準備に時間をかけているのだが、授業の準備はこれでおしまいということがないのは、中学校でも大学でも同じ。

さて、今晩は早く寝よう。

2006/08/26

夏山登山&キャンプ

Tachiyuukei
28日からの集中講義の集中に備えて、授業の準備をしている。
これから、集中講義の授業が3つあるのだ。
授業漬けというのは、まあ、嬉しいのだがちょっと多いかなあとも思っている。

今日も午前中からずっと研究室で準備。
夏山登山&キャンプという気がしないでもない。

蝉の鳴き声のあとに、雷鳴。
で、さっきまで雷がごろごろ鳴っていたかと思ったら、
今は雷も終わり、秋の虫の声がしている。

ブラインドを下ろしているので、外の景色は全く分からない。
音だけで、感じる変化である。

さあ、明日も研究室キャンプだ。
明日は、日曜日だから生協はやっていない。昼ご飯、どうしようかなあ。

写真は、大学の夕景。
駐車場に向かって行く時に見える景色だ。
明日は、この時間には帰りたいなあ。

2006/08/25

今月の歌詞 8月ー1 Smoke Gets in Your Eyes

They, asked me how I knew,
My true love was true,
I of course replied, something here inside,
Can not be denied.

そうだ、Smoke Gets in Your Eyes「煙が目にしみる」の歌い始めだ。
今日、たまたま研究室でitunesで音楽を流していたら、流れてきた。
夏に、この曲を聴くとあの中国の夜を思い出す。

            ◆

寧波(ニンポー)という街は、空海が漂着した普土山(プドゥサン)という島から近い港町である。私は15年ぐらい前に普土山に船で渡る前の日に、この寧波の街の寧波国際海員倶楽部というホテルに泊まっていた。

部屋に荷物を置き、シャワーを浴びて
(さて、軽くビールでも飲んで食事とするか)
とホテルのレストランに向かった。

レストランには相応しくないような大きな観音開きの扉を押して中に入ると、このSmoke Gets in Your Eyesが大音量で流れ出した。そして、テーブルに座っていた男女がフロアに出てきて踊り出したのだ。

私が入ったのは、レストランとダンスホールを兼用している店であったのだ。

私は、目を閉じてこの曲に包まれ、
(アジアの夏にこの曲かよ。何でか知らんが合うなあ)
と思いながらビールを飲んでいた。

            ◆

今も、日本の若者は世界中を旅しているんだろうなあ。

夏もそろそろ終わりだなあ。

9月24日に行われる児童教育学科開設シンポジュームの下見に、京都国際交流会館まで行く。以前、修学旅行で生徒を引率したとき、ここで休憩しお茶を飲んだことがあるが、こういうご縁になるとは思わなかった。

200人が入る会場ということで、締まった感じのいい会場であった。
エキサイティングな時間になるだろうなあ。

下見の後、もう一度大学に戻って仕事。
集中講義の準備と、開設シンポジュームの準備。
集中講義は8/28から始まる。残りの日々も準備だろうなあ。
よし、やるぞ。

            ◆

P82400463

夕方、膳所(ぜぜ)の方まで買い物に行く。
膳所からの夕方の景色もきれいだ。
今日は、風に湿気が無く心地よい。

夏もそろそろ終わりだなあ。

* 写真は、膳所の近く「におの浜」から見た、私の住む西大津の街。
後ろの山は比叡山です。私は大きなタワーマンションの左辺りに住んでいます。
お気に入りの浜辺は、そのタワーマンションの右前方です。
クリックで大きくなります。

2006/08/24

模擬授業だけでは

翌日は9時から参加。
西郷竹彦先生の講演と模擬授業から始まる。
なんというか、人間国宝の浄瑠璃や落語を聞いているような感じであった。

話の内容は、詩の読解から西郷文芸学の基礎理論の説明であった。
深い学識、鋭い見識、静かな語り口。
ああ、こうでなければならないなあ。
と思いつつ、私にはできないなあと思ったが、
教育という同じ土俵にいる以上、尊敬はするが挑み続けなければならないと思った。

でも、説明の時に出てくる内容が近代科学史を踏まえたもので、これは国語の授業というよりは、哲学の講座であろうと思わせるぐらいのすごさであった。教養ってのはこういうのだろうなあと思った。

            ◆

午後は、阿部昇先生の模擬授業。安西冬衛さんの「春」の読解である。
読み研方式のエッセンスが盛り込まれていて、分かりやすい授業であったと思う。

また、この授業から違う側面にヒントを得た。
模擬授業をする先生は、授業が上手く子どもとの反応でも、ミスをすることがほとんどない。いわゆる取りこぼしがない。

だが、模擬授業を受けている先生、見ている先生は「初心者の先生」が多い。模擬授業通りにやったとしても、さまざまな教育技術が不足していることがあって、取りこぼしが出るであろう。

ベテランの先生の模擬授業では、取りこぼしがほとんどなく、あったとしても取りこぼしのフォローが上手い。しかし、模擬授業を見て挑戦する初心者の先生は、取りこぼしは多く、フォローが下手。

そうだとすれば、模擬授業だけでは初心者の先生の授業力の向上にはならないのではないかと思ったのである。課題だなあ。

            ◆

で、4時に大学に戻って、「虎の穴」のようなレッスン。
採用試験の二次試験で模擬授業のある学生へのレッスンである。
私と採用試験の講座を担当してくださっている先生で、2時間半みっちりと行う。

懸命に学ぼうとする学生には、こちらも全力で応えてあげたいと思う。
準備は時間との勝負だと思うが、しっかりな。

期待しているよ。

2006/08/22

今日の私の最終結論。「うーむ」である。

午後からの立命館大学に向かう。『科学的「読み」の授業研究会 読み研20周年記念・夏の大会 ー 確かな国語力を身につけさせるための授業づくり 教科内容・指導方法・学習集団の徹底追及 ー』に参加するためである。

読み研は大西忠治先生から始まった。
私は大学で国語科指導法を竹内常一先生から指導を受けた。もちろん、大西先生と竹内先生は全生研での研究仲間。ここで読み研の根っこの部分が育っていたのかもしれない。だもんで、この大学での授業は、胎動し始めた読み研方式であった。

            ◆

中学校の教師をしているときは、この読み研方式で授業を展開したこともあれば、一読総合法で指導したこともある。当たり前のことであるが、目の前の子どもたちにどれだけ国語の力を育てることができるかが、授業である。

だから、一つの指導方法にこだわる必要はない。目の前の子どもに受け入れられなければ、あっさりと代えれば良い。もちろん、読み研方式を全面否定しているわけではない。部分的に活用しているところもたくさんある。そうしてきた。

ではあるが、大学で行う時は一つの指導方法としてきちんと学生に教える必要がある。なもんで、復習を兼ねて今回参加したのだ。

            ◆

で、復習の他にもいくつかの課題を得た。模擬授業を受けることで、授業方法を批判的に見て取ることができた。これは良くないな、これはいいなときちんと分かる。

で、確信したのは「教科書には、【これは悪文】と明示して悪文を掲載するべきである」ということである。

            ◆

文章を、批判的に読む、吟味して読む、確認しながら読む。色々な言い方があるだろうが、それだけで終わってしまうのは、どうしても揚げ足取りに感じる。

現在教科書は、基本的に正しい文章であり、それを押し頂くような読解が正しいのだと言う感じになっている。しかし、教科書は本当に正しいのだろうか。

教科書が正しいのであれば、説明文は、説明する側に責任があるのだから、読んで分からない文章ではないはずである。しかし、実際はある。つまり、それは下手な文章なのだろう。それを分かってあげようとする必要はあるのだろうか。下手な文章を教室で教科書で読む必要性はどこにあるのか。

唯一、下手な文章を教室で読む必要性があるとすれば、下手な文章を上手い文章に直すための素材ということになるであろう。

            ◆

手前味噌で言えば、私がディベート指導で修士論文で提案したのは、シナリオ方式と、改良シナリオ方式である。

シナリオ方式でディベートマッチの流れ、立論、質疑、反駁のアウトラインの理解、フローシートの書き方、判定方法などの初歩を行うのだが、改良シナリオ方式では、与えられたシナリオをリライトすることを求めている。だから、私の作ったシナリオ方式のシナリオは意図的に緩やかに作ってある。

「教科書には、【これは悪文】と明示して悪文を掲載するべきである」

これが本日の私の結論である。

            ◆

で終わらなかった。
会が終わった後の食事会である。
なんか予感はあった。先生方が泊まるホテルは四条大宮の近辺にあったのだが、何かに似ている。なんだろうかと考えたら、それは中国の武漢の街であった。この暑さ、このバスの多さ、この人の動き。京都はいまでも中国の匂いがした。

            ◆

で、食事会である。
そりゃあすごい。西郷竹彦先生、柴田義松先生、鶴田清司先生のお歴々とご一緒に食事をした。でまあ、これがすごい。何がすごいって、話の切り口がすごいのだ。

自分の過去の実践や、研究をまだまだアウフヘーベンしようと挑戦し続けている話なのだ.西郷先生はだって、私の父親よりも15歳ぐらい年上だぞ。

私は、西郷先生のお年のまだ半分にも達していないかもしれない。
うーむ、うーむ、うーむである。

今日の私の最終結論。「うーむ」である。

2006/08/21

「パソコン・インターネットの基本」

毎月二十日が締め切りとなっている原稿がある。
「ひまわり社」から出している「教育実践マガジン」である。
私はその中の「パソコン・インターネットの基本」という項目を担当している。

昨年度は「教育におけるデジカメの活用」というタイトルで書いていたのであるが、今年はそれをもう少し広げて書いている。

            ◆

私が教師になった頃は、ワープロを使える先生は職員室の20人の中で二人だけであった。私は卒業論文を書く時に一部使用した「ルポ」というワープロを使っていたのだが、職員室では
「時代は変わったね。国語の先生がワープロか」
とか
「池田さんは、字がうまいのになんでわざわざワープロを使うの?」
等と言われたのを思い出す。

当時は、ワープロは手書きの文章の清書のための装置として考える人が多かったのだろう。
私は「表現ツールの一つ」、まはた「思考のための道具」。はたまた「文章整理方法」として考えていた。だが、これを理解してもらうのはなかなか難しかった。

「表現ツールの一つ」というのは、簡単にいえば文字を書くのに「鉛筆、万年筆、シャーペン、サインペン、筆、筆ペン、クレヨン、チョーク」といろいろな文房具があるが、その内の一つだという考え。

「思考のための道具」といのは、挿入、削除、取り消しが自由自在な文章作成装置ということである。京大型カードを使わないですむというのは大きかった。

「文章整理方法」というのは、書き終わった文章はフロッピーに入れておけば、保存と再利用が簡単だということ。もっと、あの当時のフロッピーはどこにいってしまったか、今では分からないがf(^^;。

この三つがさらに使いやすく進化しているのが、マックのコンピュータだと私は思っている。

            ◆

私の父親は無線屋であった。昔のラジオを大事に取っておいて
「これはいつか修が興味を示すから」
と言っていたのだが、残念ながら一向に興味を持つことはなかった。父は、私がそれを分解して遊ぶと思っていたのだろう。

電気回路がどうなっているとか、オームの法則とか、フレミングのとかは、まあ知ってはいるが本当に興味はない。

大学生の時にはNECから98シリーズのパーソナルコンピュータが出てきて
「これがあれば、成績を処理するプログラムが組めるんだよ。なんで池ちゃん買わないの?」
なんていわれたことがあったが、私には全く興味がなかった。
(プログラムは、それを組む人が組んでくればいいし、オレは使いやすいやつを捜して活用できれば良いや)
なんて考えていた。

            ◆

そんな私が「パソコン・インターネットの基本」の連載をしているというのだから、自分でも驚く。私の奥さんも私がこんなにパソコンを使いこなせるようになるとは思ってもいなかったと言っている。本当に、人生は何があるか分からない。

もちろん、ラジオも算数も分からない私である。あべたかさんのように専門的なことは、分からない。分からないこともあるし、面倒くさいのもある。

ただ、どうしたら快適に仕事ができるだろうかと考えて続けてきた結果、いまは、これが良いようなのでその方法を自分なりに見つけ続けていると言うことか。

そんなパソコン素人で機械が面倒くさいと思っている私が書いている連載だ。
極力難しい言葉は使わないで(使えないで)書いているつもりだ。

良かったらご覧下さい。

西大津の休日

午前中は三井寺に出かける。
今日は大津市民が市内の文化財に無料で入れる日なのだ。

奥さんはもう既に一度来たことがあるので、ガイドしてもらう。
広い。
さすがに歴史のある寺だけあって、いろいろな言われのあるものがある。

弁慶が比叡山から引きずってきた(といわれる)鐘。
山口県から運ばれてきた、一切経の版木が収められている塔。
天智天皇らが産湯として使った湧き水。

たいしたものだ。
だが、私が一番気に入ったのは、雄大な景色。
西大津全体を見渡すことができるその雄大な景色。
比叡山と琵琶湖が一望できるのだ。
もちろん、どこまでも広い空が一緒である。
Miiderakara


お能の「三井寺」に関連した観月楼もあった。
夕方、琵琶湖の向こう側から登ってくる月をここで見るのもいいだろうなあ。

            ◆

昼ご飯は、このところ気に入っている「モロヘイヤそうめん」である。
実に簡単なのだが、美味しい。

1)モロヘイヤの葉っぱをさっと茹でる。
2)1)をまな板の上で細かく叩く。粘り気が出る。
3)2)を器に移し、麺つゆと鰹節をかけて混ぜる。
4)素麺を茹でて、3)の汁につけて食す。
5)お好みで、海苔をかけても良い。

ああ、美味い。
Msoumen


            ◆

高校野球の決勝戦が始まったのだが、私は近くの市民プールに出かけて行く。
すぐ近くにあるのに、なかなか行けないでいた。
500メートルほど泳いで、あとはプールサイドのスタンドで昼寝。
持って行った本も読むこと無く、ごろごろ寝て過ごす。

(いまごろ、高校野球は決着がついたかな)
(二次試験を受ける学生は、旅支度が終わったかな)

なんぞ思いながら、ごろごろ。

蝉時雨。
プールの歓声。
蝉時雨。
トンボの大群。
飛行機雲。
飛行機雲。
プールの歓声。
蝉時雨。
・・・・・・。

4時の終了は早いなあと思いながら帰宅。

            ◆

なんとまだ延長14回であっった。
すごいねえ、明日再試合か。

夕涼みをかねて買い物に出かける。
シメイトラピストビールの赤が安かったので、これを購入。
福島産の桃があったので、これも購入。
ああ、桃ビールは美味い。

で、手元にあった焼酎に桃を入れてみたのだが、これも美味。
桃アルコールシリーズは試す価値があるかも。

おつまみは、「ハモの塩焼きガーリックオイルがけ」
ハモは白身なのでいけるのではないかと思ったが、大正解であった。

良い休日だった。

2006/08/20

中央教育審議会の答申

昼前に大学に行く。
久しぶりだ。
夏休みの大学、しかも土曜日。
学生の数はまばらで、大学の主人公は蝉である。
気持ちよく鳴いている。

さらに、新年度に完成する児童教育学科の新校舎を作る音もする。
やるきを起こしてくれる音だ。

            ◆

今日は研究室で、教員採用試験二次試験用のレッスンをする。
小論文や集団面接の対応である。

予め課題として示していた小論文に添削をしておいたのだが、それをさらに書き直して持ってこさせた。文章を読みながらさらに確認して行く。

・子どもの抱える課題
・教師の指導力
・課題の解決性

これらの三つを具体的に論じることの重要性と、その具体例を指導した。
さあ、体調に気をつけて二次試験ん頑張ってこいよ。

            ◆

その後、溜まっていた事務仕事をする。
手元に届いた書類の中に、中央教育審議会の答申があったので読む。平成18年7月11日「今後の教員養成・免許制度の在り方について(答申)」である。http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/06071910.htmに全文がある。

今回の答申の柱は3つある。

・「教職実践演習(仮称)」の新設・必修化
・「教職大学院」制度の創設
・「教員免許更新制」の導入

だ。
かなり大きな変化を求めていると言えるだろう。
ポイントを見てみる。

            ◆

教職実践演習は、

1)使命感や責任感、教育的愛情等に関する事項
2)社会性や対人関係能力に関する事項
3)幼児児童生徒理解や学級経営等に関する事項
4)教科・保育内容等の指導力に関する事項

をロールプレイング、模擬授業、事例研究、フィールドワークなどを通して行うというものである。私が注目するのは、3)の中にある「学級経営に関する事項」である。ここに少しだけ学級担任の仕事をきちんと教えるのだぞというものを見ることができる。

            ◆

教職大学院は、

1)学部段階での資質能力を修得した者の中から、さらにより実践的な指導力・展開力を備え、新しい学校づくりの有力な一員となり得る新人教員の養成
2)現職教員を対象に、地域や学校における指導的役割を果たし得る教員等として不可欠な確かな指導理論と優れた実践力・応用力を備えたスクールリーダーの養成の2つの目的・機能とする。

ということである。となると、カナダ等で行っている、さまざまな学部を卒業した人を元にして、教師になることだけを目的にして専門性を高める教職大学院とは違う方向になりそうだ。私はカナダタイプのものができたら面白いなあと思っていたが、さすがにこれは現状では無理だったか。

ここで注目すべき点は、

○専任教員:最低限必要な専任教員数は11人とするとともに、うち実務家教員の比率はおおむね4割以上とすることが適当である。

という教員構成である。4〜5人ということこか。「理論と実践の融合の実現」を「制度設計の基本方針」にしているのだから当然と言えば当然だが、実務家教員の定義がイコール現場の教員ということではない。

「実務家教員の範囲は学校教育関係者・経験者を中心に想定されるが、そのほか医療機関や福祉施設など教育隣接分野の関係者、また民間企業関係者など、幅広く考えられる。」

となっている。上手く機能すれば良いのだが、学校教育現場の抱える問題に直接向かい合える人を集めるのは難しいだろうなあと思う。そういう人にこそなってほしいと思うのだけど。

            ◆

教員免許更新制は、

1) 社会構造の急激な変化への対応
2) 学校や教員に対する期待の高まり
3)学校教育における課題の複雑・多様化と新たな研究の進展
4)教員に対する信頼の揺らぎ
5)教員の多忙化と同僚性の希薄化
6)退職者の増加に伴う量及び質の確保

という理由から必要だというのだ。まあ、わかる。
だが、それならまず、医者だろうと思う。一級建築士もそうかもしれない。

10年に一回の更新ということだが、この更新の講座を引き受けるのは、大学と教育委員会だと言う。大学の教員は夏休みが研究の時間だが、これで研究はできなくなるんじゃないかな。30時間の更新講習だからなあ。一日5時間で一週間か。

で、私はどうなるのだろうか。私は多少は更新講習に関わると思うのだが、私の教員免許の更新はどうするのだろうか。失効するのかなあ。折角専修免許まで取ったのにそれじゃあもったいないよなあf(^^;。

            ◆

結局こうして土曜日を研究室で過ごした。
読みたい本、読まねばならない本、書かなければならない文章などを横にしながら、こうして過ごす土曜日もなかなか刺激的であった。

2006/08/19

桃ビール

もうそろそろ値段もこなれて、良い桃が出回っていることだろう。
福島のあべたかさん、山梨に親戚のいる佐内さん。
そりゃあ、やるべきでしょう。
桃ビール。

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1)グラスに冷えていない桃を入れる。

冷えていると、桃の香りが出にくくなります。桃の量は、好みで。私はまるまる一つ入れるという贅沢もします。

2)あまり冷やしていないビールを注ぐ。

冷蔵庫で冷やすよりは、水道水で冷やすぐらいが良いです。冷えすぎるとビールの香りと桃の香りが混ざりません。

3)香りを楽しみつつ、味わう。

桃を解してから飲んでもよし、口の中で噛み締めながら飲んでもよし。

さあ、今晩はみんなで桃ビールだ。

2006/08/17

みちはこたえない。みちはかぎりなくさそうばかりだ。

家にある電化製品は、クーラーだけになった。聖蹟桜ヶ丘も最後の夜になった。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機、ビデオと最後まで残っていた品々は、かつてお世話になったところで再利用してくれるというので、昨日引き取ってもらった。ありがたい。

            ◆

そして昨日の夜は、昔の仲間と一杯やる。
急にだったのだが、集まってくれて楽しくやる。

これからの教育界の方向がどこにいこうとしているのか、最先端で感じている仲間達と延々と飲む.美味しい魚、美味しいお酒、楽しい仲間。嬉しいものだ。

            ◆

今日は、聖蹟桜ヶ丘の家の貸し出しの手続きを一つ終えた。
いくつかの会社に頼み、借り手を待つことになる。
大事に使ってくれる人が見つかるといいなあ。

            ◆

夕方は、府中にあるお気に入りのパン屋に出かけて行き、大量にパンを買い込む。明日の朝ご飯と大津に戻った時に食べるパンだ。美味いんだなあここのパン。

さらに、府中の伊勢丹でキッコウゴ醤油をまとめ買い。五日市にあるキッコウゴ醤油は、私のお気に入り。関西では買えないので、まとめ買いをした。これで日本海の美味しい魚を食べるのは楽しみである。

            ◆

で、府中で手に入れた調理パンを前菜にして、多摩川縁で夕涼みをしながらビールで楽しむ。ちょっと前まで見えていた多摩川沿いのボーリング場が無くなり、赤いライトがなくなった。まさか、あのボーリング場がなくなるとは思いもよらなかった。

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず

しかし、良く言ったものだ。
失うものがあれば、新たに手にするものもある。一つを失うことなしに・・・、あ、そうだ、真壁仁だ。

引用開始 ーーーーーーーーーー

峠  真壁仁

峠は決定をしいるところだ
峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている。
峠路をのぼりつめたものは
のしかかってくる天碧に身をさらし
やがてそれを背にする。
風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいって行けない。
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。
峠にたつとき
すぎ来し道はなつかしく
ひらけくる道は楽しい。
みちはこたえない。
みちはかぎりなくさそうばかりだ。
峠のうえの空はあこがれのようにあまい。
たとえ行く手がきまっていても
ひとはそこで
ひとつの世界にわかれねばならぬ。
そのおもいをうずめるため
たびびとはゆっくり小便をしたり
摘みくさをしたり
たばこをくゆらしたりして
見えるかぎりの風景を眼におさめる。

引用終了 ーーーーーーーーーー

自分が中学時代に覚えた詩だ。
こんなところで、思い出すとは。
私の教え子達も、少しずつ教えたアンソロジーとしての詩や名言を、こうしてどこかで思い出してくれているのだろうか。

            ◆

聖蹟桜ヶ丘の美味しいものとえいば、プリムベールというケーキ屋さんの「ロールケーキ」。閉店の直前に見てみたらあったので、ゲット。

その後、ウブリアーコで最後の食事。どうしても食べたかった、生ウニのパスタがあり、注文。しかし、桃のパスタなるものもあり、これも注文。

そこに、塾時代の教え子から電話がある。
新潟で元気にやっている。
ひょっとしたら来年大阪に転勤かもしれないとのこと。
また、楽しくお酒を飲みましょう。

桃のパスタが届く。冷製である。
桃のパスタの後に、生ウニのパスタも届く。
どちらも美味し。
お腹いっぱい。
満足。
また来るからね。

良い夜だった。

2006/08/16

父親がブログを始めた

父親がブログを始めた。半年前に作ってあげたのだが、やり方が分からなくなってしまったのでそのままにしておいたのだ。

先日実家に泊まった時に、もう一度私と弟で教えて、やれるようになった。
それで書き始めたのだ。

            ◆

父親にブログを教えることで、大事なことを改めて学んだ。
それは、自分の呼吸で説明してもダメということだ。
教える側の呼吸で教えても学ぶ側は理解しない。
学ぶ側の呼吸で教えなければダメだということである。

この場合の呼吸はリズムと言っても良いかもしれない。
私の教えやすいリズムで教えていても、相手が自分の理解のリズムで学ぼうとしているとき、私の説明は相手に届かないということである。

            ◆

教える側は圧倒的な知識量を持っている。そして、色々な条件に応じて
「その場合は、これ」
という対応の仕方も知っている。

だが、これを説明の途中で始めてしまうと学んでいる側は、どれが基本なのか、どれが本筋なのかが分からなくなってしまい、混乱する。

たとえば、
(ああ、それは右クリックでできるのにな)
と思っていても、それは教えずに、今までに使っていた方法を活用して、本筋であるブログを書くというところまでたどり着かせる。それができるようになったら、
「実は、この部分は右クリックでできるんだよ」
と教えるという順番でやらなければダメだと言うことである。

            ◆

メモにしても、私の頭でまとめたものを出しても上手く行かないことが多かった。私が説明したものを、父親が自分の言葉でまとめた時の方が、圧倒的に理解が進んだ。

子どもへのメモ指導とどこが共通して、どこが違うのかは明らかではないが、この事実を意識することは、学習という営みを考える時に大事ではないかと思った。

            ◆

http://blog.goo.ne.jp/mitsuo1936

が父親のブログである。
良かったら、コメントに何か書き込んでやってください。
喜ぶと思いますf(^^;。

2006/08/15

アフターディベートの勧め

ディベート甲子園が終わって、1週間が過ぎた。

で、一週間経ったのだが、まだあの高校の決勝戦の熱が冷めない。
良い試合だった。

その高校の決勝戦の前夜の戦いの報告をしているのが、名越さんのブログ「でぃべーたぶる」である。実に濃密な時間を過ごしていたことが手に取るように分かる。

また、この高校の決勝戦の主審を務めた嶽南亭さんのブログ「嶽南亭主人 ディベート心得帳」では、主審がどのようにこの試合を見て取ったのかの記録が報告されている。

どちらも具体的で、非常に読み応えがある。

            ◆

ディベートは、大きく三つの部分がある。

1)ビフォーディベート
2)ディベートマッチ
3)アフターディベート

ディベートがテレビ等で取り上げられる時、どうしても2)が中心になる。絵柄としても良いからだろう。ではあるが、この1)から3)を通してディベートは学習者に力を与える。

1)では、立論、証拠資料集め、反駁カードづくり、練習試合を通して、自分たちの議論の作り込みを行う。準備を行う。実は、ここで一番大きく力が育つということも言える。

2)では、試合で自分たちの準備がジャッジに伝わるように、対戦相手を借りて議論を展開するということである。人によっては、ディベートは練習が本番。試合はご褒美なんていう人もいる。

で、1)と2)とで終わらせてしまうのは、実にもったいないと思う。3)をやることで、一区切り付くと考えている。

            ◆

3)には、いろいろな方法がある。

i 今までの取り組みを振り返る感想文を書く
ii 自分の立場で小論文にまとめる
iii 証拠資料で使った論文の著者に、立論と一緒に感謝状を送る
iiii 市長や教育長に、今までの戦いの成果をもとに表敬訪問する
iiiii 取り組みの記録をまとめる

などである。
ディベーターはディベーターで、指導者は指導者として自分の事実をまとめておくことは、一区切りを付ける為にもとっても意味がある。そして、これは、試合が終わった直後の今でなければできないことだと思う。

私も全国大会で準優勝をした時に、子どもたちの記録をまとめた。「2001年ディベート甲子園 楢原中学校ディベート部の記録」
どんな大会でも、記録に残るのは優勝の学校だけである。
だけど、私の指導した子どもたちは優勝には届かなかったが、それに勝るとも劣らない取り組みをしていたのは、私が信じるところである。私の子どもたちの戦いは、私が一番良く知っているし、それを記録として残せるのは私しかいないと思い、半年間の記録を書き残すことにした。

で、思うに今からあの記録を書けと言われても、それは全く無理だとしか言えない。
だから、今、ディベーターも指導者も夏休みの三日間ぐらいは、アフターディベートに力を注いではいかがであろうかと思う。

書く、ということは次の宣言にあるものなのだと思う。

引用開始 ーーーーーーーーーー

学習権宣言(1985年 UNESCO 国連教育科学文化機関)

学習権とは、
読み書きの能力であり、
質問し、分析する権利であり、
想像し、創造する権利であり、
自分自身の権利を読み取り、歴史をつづる権利であり、
あらゆる教育の手立てを得る権利であり、
個人および集団の力量を発達させる権利である。

引用終了 ーーーーーーーーーー

そうである、
「歴史をつづる権利であり」
なのである。

            ◆

ディベート甲子園第11回大会の歴史は、この大会に参加したそれぞれの人が書き残すことで、一つの歴史となるのだと思う。


2006/08/13

『2005年のロケットボーイズ』

夏の楽しみと言えば、仕事関係ではない、楽しみとしての読書をすることが挙げられる。
国語の教師をしていると、どんな本を読んでいても
(を、これは、教材として使えるぞ)
なんて妙な職業意識が出てきて、本そのものを楽しむことがなかなかできない。ので、私は楽しみの読書は授業の無い時にするようにしているのだ。

            ◆

『2005年のロケットボーイズ』(五十嵐貴久 双葉社)
を読み終えた。

前作の『1985年の奇跡』でも十分に楽しませてもらったのだが、今回も安心して楽しませてもらった。パターンとしては特別に新しいものがあるわけでもないが、それだけに安心して、2005年という時を楽しめた。

本当は、お気に入りの日野市の市民プールのプールサイドで、この物語のラストを読み終える予定で読んでていたのだが、例によって後半戦の盛り上がりに、読むのを自制することができず
(えい! 読書ってのはこの盛り上がりを楽しむ為にあるんじゃないか。いま、読み切らずに我慢してどうする)
と思い、結局読み切ってしまった。

満足。

            ◆

私は国語の教師のくせに小説はあまり嗜まないのだが、物語は好きである。だが、人生の厳しい部分を小説で問いかけられても、ちょっと待ってくれ。そんなこと言われてもと思ってしまうのだ。

物語の展開、エンターテイメント性になら、私の時間を注ぎたいとは思うが、辛いことを文字に表しているものを、なにも読まなくても良いんじゃないかと思う。そうです、私はホラー映画を見る人の気持ちも分かりません。何もお金と時間をかけてわざわざ怖い思いをするのは、私には理解できません。

私が能天気だからだろうかf(^^;。

            ◆

『2005年のロケットボーイズ』。これだけ楽しめて1600円は、十分安いと思う。
夏の一冊にどうぞ。

感動の多い一日だった。
さあ、寝るか。

さらばである

午後から、別れの旅に出た。

まあなんというか、今までの人生のほとんどと東京の多摩地域で過ごしてきたので、自分が育った場所を見て歩こうと思ったのだ。それを半日かけて奥さんと車で見て歩いたのだ。

私は都営の団地で20年近く過ごした。
そこで、保育園に通い、お習字教室に通い、剣道を習い、小学校、中学校と通った。小学校は取り壊され地域の教育センターになり、初めて入院した国立病院も、名前を変えていた。中学校の周りには新しい一軒家がどんどんできていた。

さらには初めて教師として教壇に立った吹上中学校にも行った。ブラスバンド部が東京都で金賞を取り、バドミントン部は関東大会に出場したそうだ。

結婚して最初に住んだ教員住宅は、跡形も無く取り壊されて更地になっていた。

            ◆

いやあ、なんというか胸に来るものがあった。

子どもの頃に過ごした団地は、とっても狭く古びた感じになっていた。日曜日の昼だというのに、子どもの姿は無く、私が昔野球をして遊んだ公園や、ビー玉遊びをした公園にも蝉の鳴き声だけが響いていた。

商店街に立つと、端から端まで見ることができた。こんなに狭かったかなあと何回も見直した。あんなに活気のあった商店街はシャッターを下ろしたままの店もあり、時代の移ろいを感じた。

その一方で大人になってから暮らした場所は、大きさは変わること無く印象通りであった。これはこれで実に不思議であった。

            ◆

一つ一つにさよならを言えるのは、悲しいのだが、すばらしく幸せなことなのだろうと思う。少年時代から青年時代への入り口辺りを駆け抜けてきたものに、さよならを言えるのだから。

父親が自分の故郷を私に説明していたように、私は奥さんに自分の少年時代の思い出をたくさん話していた。

そして、
(一つぐらいこの経験で小説を書きたいものだ)
と思った。

ま、思うだけだと思うが。

            ◆

さらばである。

朝方、夢を見る

結果的に新幹線は10分遅れで東京に着いた。
途中、富士山を見ることもできたのだが新聞報道に寄ると富士山には雹が降っていたり、山手線が3時間も止まっていたり大変だったようだ。

            ◆

夜は私の実家に泊まる。
弟夫婦と甥っ子も一緒。
一種の盆休みである。
久しぶりに家族でビールを飲みながら、くだらない話をする。

さすがに二泊三日で900KM以上を移動しての強行軍はしんどかったので、夜は11時前に撃沈であった。

            ◆

朝方、夢を見る。
中学校の時にお世話になった国語の先生、西本先生の夢である。
私が国語の教師の道を歩き始めるきっかけを作ってくれた先生と言っても良い。

なんで出てきたのかは分からない。
(ちなみに、前日は琵琶湖疎水を泳いで渡ろうとするスーツ姿のおじいさんが出てきた。これもなんだかわからない)
分からないが、久しぶりに会えたと思っている私は先生に色々なことを質問する。
すると、先生は

「あー、だからこれはこうで、それはそうで、あれはあれね。参考文献はあれね。池田、読んだ?」

のように懐かしい声で凄いスピードで明瞭に説明をしてくれた。それがまた私には分からないようなフランス哲学や量子物理学の話などをしながら説明するのだ。

(さすが、西本先生だ)

と思いながら、連絡先の住所を聞いたところで目が覚める。

            ◆

よくわからないのは、夢の中ではフランス哲学や量子物理学の話が分からなかったのだが、夢の中で西本先生の頭の中をやっているのは、私である。ということは、私はフランス哲学や量子物理学の話を理解しているのかしていないのか。

ま、確かに大学ではフランス語を第二外国語で学んでいたが、「ケスクセ」を「消す癖」と覚えて喜んでいたぐらいであり、全く分からない。ましていわんや量子力学をやである。

この辺りのからくりを詳しい方教えてください。

2006/08/12

はい、御陰さまで大変だけど楽しいです

翌朝はゆっくりと起きる。このごろやっと、中学校の教員モードが解除されてきて、朝起きる時間が遅くなってきた。

風呂に入り、その後メールのチェック。
風呂の残り湯で洗濯をし、部屋の掃除、ベランダの植木に水を与える。

ブランチはそうめん。久しぶりにテレビを付けて、小学生のサッカー全国大会決勝、高校野球、三日坊主でしか働けないフリーターの番組等を斜めに見る。

(そうか、今日は12日の土曜日か)

なんて思う。

21年前の今日は、伊豆半島の先端の弓ケ浜で太平洋に浮かんでいたなあ。

            ◆

郵便受けから、手紙を受け取る。

暑中お見舞いをかねて出していた「転職・引っ越しの案内」へのお返事が届き始めている。嬉しいものだ。転職でもしなければ暑中お見舞いは出さなかったろうなあ。当然、返事も無かったはず。中には丁寧に封書で送ってきてくれる方もいる。もちろん、メールでお返事くださった方も嬉しい。

手紙の多くは私の転職を驚きつつも、合っていると喜んでくれている。ありがたいことだ。授業作りネットワークの大阪大会は、多くの方に
「ブログを読んでいます」
と声を掛けていただいた。
1日に150人平均で訪れてくれている方はどんな方かと思うのだが、こうして声を掛けていただくと嬉しいものだ。

そして、その方達は
「池田さん、楽しそうだねえ」
と異口同音におっしゃる。そして、私は
『はい、御陰さまで大変だけど楽しいです』
と答える。
大学の仕事は思った以上に忙しく、今年の夏休みもまとまって休めるのは一週間あるかどうかだが、今の仕事は充実していて、やりがいもある。そのことを正直に仲間達に話した。

刺激し合える仲間がいるというのは嬉しいものだ。

            ◆

午後の新幹線で東京に向かうことに。
念のため、金券ショップで割引切符が使えるかを確認しに行く。
残念ながら8/11からはお盆期間で、金券ショップで購入する団体の割引切符は使えないとこのこと。

しかたがないので、西大津のみどりの窓口で指定席を購入しようかと思ったら、サーバーのダウンで買えないとのこと。なんてこった。

その結果、京都駅では禁煙の指定席の新幹線を手に入れるのに1時間以上かかってしまった。
ま、自由席でも一人なら座れたかもしれないのだが、1000円で安心感が買えるのだから、無理をせず待つことにした。

            ◆

で、発車したと思ったら。京都駅を出てすぐのトンネルの中で新幹線は止まった。米原辺りで停電とのこと。そういえば、雷が鳴っていた。10分後に動き出す。ほっ。しかし、今度は静岡辺りで停電ということで、また止まる。

おーい、東京には着くんだろうなあ。

長い一日だった

ふう。
授業作りネットワークの大阪大会に間に合った。

立川を夜行バスで大阪に向かい、難波で下車。
ったって、難波がどこにあるのかわからない。
大阪のどこかにあることは確かなのだが、土地勘が全然ない。

とりあえず会場のあるところまで出かけよう。
地下鉄を乗り継いで会場のある駅までたどり着く。
まだ、時間は6時台である。

会場の前には公園がある。
仕方なしに開場までの時間をここで過ごすことにした。
昨日スーパーで買っておいたメロンパンを食べていると、鳩が寄ってくる。
少しずつ千切って与える。そこはかとないもののあはれを感じる。

            ◆

会場後、中で着替えたいと思ったのだが、なんと言っても体中汗だらけ。
このまま着替えるのはできれば避けたい。
すると、ネットワーク関係者の広島のO先生を発見。どうやらこの会場に泊まっているようだ。非礼を承知で地獄に仏。部屋のシャワーを使わせていただく。感謝感謝。

O先生、シャワーの恩義は忘れません。広島に行きますので、使ってください。

            ◆

授業作りネットワークの大阪大会では、講座とパネルディスカッションを担当。講座は春の集会で行ったものとほぼ同じものである。が今回は、『こんな時どう言い返す』をベースにして、春の集会ではできなかった、会場からその場で問題状況と言葉を貰って、それに答えると言うワークもやった。

ベテランの先生と若手の先生をペアにするようにワークを進めて行くと、このワークショップは面白くなる。今回もそうであった。

授業づくりアンケートでは、生徒指導の講座を引き受けることが多くなりますが、私は国語の教師でもありますf(^^;。

            ◆

シンポジュームでは、敬愛している岩下修先生と野中信行先生に初対面ながら一緒に壇上に登ることができた。岩下先生は法則化運動の名著『Aをさせたいなら、Bと言え』の執筆者であり、野中先生は『困難な現場を生き抜く教師の仕事術』の執筆者である。

お二人ともその御著書の明快な論証とは少しイメージが違い、穏やかな口調で話されていて、
(うーん、やっぱり校出なければなあ)
と思う私であった。

ただ、シンポジュームの内容は、学級崩壊への処方箋ということで行ったが、今ひとつにつめることができなかったのではないかと反省している。4人が学級崩壊の経験をしていないこと。また、処方箋を意識して話を広げすぎたのではないかと言う思いがある一方。もっと細かい処方箋で話を進めても良かったのではないかという思いもした。

いくつかの処方箋から、困っている先生達への役に立てれば嬉しいのであるが。

            ◆

終了後、地元の実行委員をしている先生が、大阪の美味しいお好み焼きを食べに行くというのでお供することに。野中先生もご一緒。4人でお腹いっぱい本格的な大阪のお好み焼きを楽しんだ。

本当なら、こういう集会の前後1日ぐらいずつは地元の観光をするのがいいのだろうが、なんかそんな暇もなく目的地の目的時間を目指して移動の私である。ふむ。

            ◆

お好み焼きを食べて、一路西大津の自宅に。
そうである。なんと今日は琵琶湖花火大会なのである。
本来なら8/8に実施されているのだが、台風の影響で8/11に順延されていたのだ。
ラッキーである。

今の住まいは、西大津の駅前にあるマンション。
目の前に新しくマンションが建っているので、さてどのように花火を見ることができるかと思ったのだが、思っていた以上にきれいに見ることができた。

本当は湖岸まで出て行こうとも思ったのだが、京都から湖西線に乗り込んできた人の多さに恐れをなして、自宅で鑑賞することにしたのだ。来年はもっと良いところで見よう。
長い一日だった。

2006/08/10

夏の読書には欠かせない条件

東京に戻ってきている間に、いろいろな用件が入る。
不思議なことに、私が東京にいることを知らない人、しかもメールで連絡のあった初対面の人たちと急に会うことになったのだ。こういうのを縁というのだろう。

8日の夜は、聖蹟桜ヶ丘で。9日の午後は平河町で。新しい出会いは楽しい。
そして9日の夜は大熊研究室の前期納会に参加。ありがたいことに、私が東京にいる時に限って大熊研究室の飲み会がある。これも大事な縁である。旧知の仲間達との再会も楽しい。

納会では、14条特例の教員がどうやって自分の学びを高めて行くのかというような話を交わした。私の場合は予想だにしなかった合格だったので、この偶然の幸福を目一杯活かすように計画を立てたのだが、そのことを話した。

この夜も奥さんの実家にお世話になる。ありがたいことである。

            ◆

翌日は台風一過。
さあ、待ちに待った聖蹟桜ヶ丘の花火大会である。
こんなに雨を気にしないで花火を楽しみに待てるのは、久しぶりである。

で、待ちきれない気持ちを収める為に、近くの市民プールに出かける。2時間200円は魅力。さらに、太陽で暖められた温水でのシャワーがあり、プールサイドには本の持ち込みが可。この夏の「楽しみの為の本」を持ち込む。

久しぶりのプール。500Mも泳ぐこと無く読書に勤しむ。
蝉時雨、歓声、けだるい疲れ、のどの渇き、水の反射、風。
これらが、夏の読書には欠かせない条件である。

はあ、夏休みである。

            ◆

で、花火大会。
阿鼻叫喚。
聖蹟桜ヶ丘を離れるのには、申し分ない阿鼻叫喚。
満足。

            ◆

終了後、立川に向かう。
授業作りネットワークの大阪大会に参加する為に夜行バスに飛び乗る。
さあ、待っててね。

夜行バスの消灯時間だ。
寝よう。

2006/08/08

身体が軽くなるのだ

打ち上げを終えて、帰路についた。
奥さんの実家に泊めてもらうことになっているのだ。
二人とも疲れきっているので、駅まで迎えにきてもらう。
ありがたいことだ。

家に着くなりシャワーを浴びてビールを飲んで。
その後、身体を伸ばしたと思ったら瞬間的に寝ていた。
ありがたいありがたい。

            ◆

で、久しぶりに寝た。寝続けた。
起きたらお昼を過ぎていた。
幸いにして東京は涼しいこともあり、疲れた身体を布団に投げ出し、じっくりと疲れを癒すことができた。

美味しいものを食べ、高価な身なりをし、遊びまくると言うのが豊かな生活という意見もあるだろう。が、ま、それはほどほどにして仲間達と何かを作り上げる楽しみを得るという生活も、これはこれでとても豊かなものだと思う。

            ◆

もう11年もやっているのね。
昨日の打ち上げには43人もの関係者が一堂に集まり、楽しい時間を過ごした。
ま、若者からしたらおじさん達と飲むというのは息苦しいものかもしれないが、これも良い経験なのだよ。

仕事上の上下関係ではなく、プロジェクトの仲間として年配の人たちと飲むなんて、なかなかできないことだよ。同質の集団だけで暮らしていればそりゃあ、楽だが人としての成長はなかなか期待できないからね。参加することだよ。

ディベート連盟の宴会部長としては、そう思う。

            ◆

ゆったりとお昼ご飯を頂き、聖蹟桜ヶ丘の家に戻る。
家具の入っていない部屋は狭く見えるものだ。

私は持参したキャンプ用のベッドを広げ、寝転がる。
窓を開けたとたんに、風が部屋の中を通り抜け、心地よい。

目をつぶり、風の流れを感じている。
耳からは、これでもかというぐらいの蝉時雨。

(分かった分かった、君の存在は分かったよ)
と思いながらも
そのあまりにも激しい声明のような読経のような音の響きに、
心の疲れが取れて行くのを感じる。
身体が軽くなるのだ。

そして、ああ夏休みなんだと思う。

            ◆

さあ、もう少しくつろいだら出かけよう。
新しい出会いが待っているようだ。

2006/08/07

ディベート甲子園三日目

本日ディベート甲子園、全国大会決勝。
私は高校の決勝戦のジャッジとなった。
二年連続引き受けた。
名誉なことである。

            ◆

中学校の試合の後、昼ご飯。
なんと会場に岩手大学の望月先生が観戦にいらっしゃっていた。
私の近くに座られたので、一緒に食事をすることに。

実際に現地に足を運ばれて、自分の目で見ながら進めようとする姿は、学ばなければならない。真摯な研究の姿勢というのは、こういうことなんだろうなあ。

            ◆

さあ、高校の決勝戦である。
前評判通りの良い試合になるか楽しみ。

で、実際はその通りになった。
肯定側の第二反駁のF君が、圧倒的にうまい。

ジャッジも投票が別れること無く、5対0で一致して会津高校の優勝であった。

            ◆

しかし、なんといっても切ないなあと、毎年思う。半年間準備を重ね、一瞬にその成果を試合として発揮するわけである。全国大会であっても二泊三日であっという間に過ぎるのだ。

決勝のスピーチが終わる度に、なんとも夏が過ぎて行く切なさが、スピーチとは別に伝わってきたのだ。

            ◆

主審のスピーチをされる嶽南亭さんに、お願いをしたのは

『立論の中に使った証拠資料の著者に、御礼の手紙を書くといいということを話してもらえませんか。自分が学べたのは、この本の御陰ですということが著者に届けば、著者は嬉しいだろうなあと思うのですよ』

ということです。私が著者で中高生が自分の論文を引用してくれたら嬉しいもんねえ。もし、自分の論文が違った意味で使われたら、それも直してあげたいし、いいと思うんだけどなあ。

            ◆

理事会で大会の反省と今後の方針を確認して、めでたく終了。
そして、打ち上げ。
また新しい一年が始まる。

ディベート甲子園二日目

後楽園のホテルから、ディベート甲子園の会場のある白山、東洋大学までは地下鉄で二駅。便利である。

白山には、奥さんの義理の祖父祖父母が眠っている。考えてみると、四月に住んでいた京都東山のマンションからはその祖父祖父母が分骨されている知恩院が見えたが、ディベート甲子園でも縁があるとは。不思議なものだ。

            ◆

東洋大学は凄く立派になっていた。建物が凄い。
そして、使い勝手も良く大学側のサポートも良いので、気持ちよくディベートができる。

私は午後の3試合をジャッジした。高校2試合、中学1試合である。今年は「道州制の導入の是非」と「動物園の全廃の是非」について行った。私が見たのは予選リーグを勝ち抜いた決勝トーナメントであり、ここで負ければその生徒にとっての夏が終わると言うものであった。

真剣に判定した。
この真剣に聞く経験を毎年できるのは、ありがたいなあ。

            ◆

試合後、理事会とNADEの総会を行い、水道橋で食事会。
関東を離れて4ヶ月であって、関東支部の練習会にも参加できないから久しぶりに昔の仲間と飲むことができた。

嬉しいなあ。
いろいろと話して、明日に備える為に帰宅。
ホテルを水道橋に取っておいて良かった。

明日は決勝だ。

2006/08/05

お疲れ、私

本日オープンキャンパス(私の出番は)最終日。
児童教育学科のガイダンスを三日間行うのだが、本日が最後。

今日は土曜日ということもあり、ガイダンス参加者はこの三日間で最高の人数200人弱ではないだろうか。

私がガイダンスでした話は、

1)教育とは
2)教師の仕事の魅力
3)受験勉強で体験してきてほしいこと
4)授業をつくるとは

という内容である。教育とはという項目だけだって15回の授業では終わらないぐらいの内容があるが、60分のガイダンスの中に入れ込むのだから、私も随分度胸が良い。

            ◆

この内容だとぎりぎり60分で終わるかどうかであるが、今日は最後ということでちょっと丁寧に説明をしてしまったら5分オーバーしてしまった。

逆に言えば、真剣に話を聞いてくれるので、こっちも熱が入ったということもある。

『教育は、子どもの未来と命を預かるわけだから、それに携わる教師になるには知識、経験、指導の技術を身につけなければなりません。そして、採用試験に合格しても、その先に管理の力、指導の力、人格の力を一生高めて行くことが求められる仕事です。すっごく良い仕事ですが、すっごく大変です』

『だから、児童教育学科では、採用試験に合格した後にもしっかりと働いて、この教師というすばらしい仕事を続けられるように、学生時代にきちんと学んでもらおうと思っています。大学に来たら思い切り遊べるというのは、本学の児童教育学科の場合は違うと思ってください。力を付ける為にある大学だと思ってください』

のような話をした。

質問を受けて、ガイダンスが終わったのが14:15pm。

面白い質問が二つ。
一つはガイダンスが終わってからすぐにやってきた男の子。
「良い講義するねえ」
(? なんだ?)
『君は高校生かい?』
「三年生。あなたに負けないぐらい良いスピーチができるようになるよ」
と言いながら去って行った。
うーん、高校生にライバル視されてもねえf(^^;。

もう一つは、ガイダンスを見に来ていた4回生から。
「先生は、クールビズはしないのですか?」
まったく、ガイダンスの中身に付いて質問しろよf(^^;。
『うん、まあね』
とだけ答えたが、ま、簡単に言うとへそ曲がりの私は、服装ぐらいお上にとやかく言われたくないのである。仕事着ぐらいは自分で決めたいのである。
アンダスタン?

さあ、これから東京に向かうぞ。

            ◆

名神高速道路京都東インターチェンジから乗り込んだのが14:25pmであった。
私のガイダンスが始まったのが、13:00pm。この時間はディベート甲子園の開会式が始まった時間でもある。そして、ガイダンスが終わった14:00pmは、第一試合が始まった時間であろう。

同じ時間にいろいろなことをしている人がいるのだと改めて思うわけだが、慌てないように高速道路を走らせる。

走り始めて30分ぐらいすると、ちょっと眠たくなるのがいつもの私の運転のパターン。早めに休憩を取ってその後安全運転で走り続けるのだが、今日は30分後に少し眠くなっただけで、問題なかった。

1時間ごとにタイマーが鳴るようにして、休憩を取るようにしてあったのだが、気がついたら諏訪SAについていた。300kmを一気に走ってしまった。

            ◆

諏訪SAからは諏訪湖がきれいに見えた。
ここでも花火があがるんだなあ、と思いながら30分休憩の後一気に聖蹟桜ヶ丘に向かう。しかし、例によって小仏トンネルを先頭にして12kmの渋滞である。
なんで、ここはいつも渋滞するかね。なんか解決策は無いのかね。

ま、いらいらしても仕方が無いのでゆったりと運転。

            ◆

聖蹟桜ヶ丘の自宅に車を置き、今宵の宿の水道橋に向かう。
まだ運転の興奮が残っているかな。
明日は冷静にジャッジしたいものである。

お疲れ、私。

2006/08/04

今宵も花火へ

暑い時は、ビールではなく蒸留酒に限る。
焼酎にシークワーサーを入れて、飲む。
魚は、明日からのディベート甲子園の前祝いで鯛のガーリックオイル掛け。

P1010011

ほろ酔い気分になったところで、今宵も花火へ。
花噴水がきれいだ。

P1010013

そして、定刻に花火打ち上げ。
きれいだなあ。

そしたら、今宵もスターマインが来た!
ディベート甲子園の前祝い、えい、動画三連発だ。

「P1010035.MOV」をダウンロード

「P1010036.MOV」をダウンロード

「P1010037.MOV」をダウンロード

            ◆

夜風が心地よい西大津であった。

そういうこともあるさ

いやあ、暑い日だった。
オープンキャンパスの二日目。

            ◆

暑い日ではあるが、ガイダンスの為に上着にネクタイを着用で挑む。
ま、私は暑いのは寒いのに比べれば大丈夫なので、これで挑むのだ。

教室の冷房設定を担当のアルバイト学生が忘れたようで、冷房なしでガイダンスを行った。ので1時間話していた私は汗がかなり出た。出たが、これが夏なんだと思う。

            ◆

ガイダンスを終えて、一路、雄琴温泉に向かう。
今日から全国高校生活指導研究協議会(高生研)の全国大会があるのだ。
恩師の竹内先生からここであることのお知らせを頂いたので、行った。

行ったのだが、大学の仕事を思い出し引き返してしまった。
家でもできる仕事なのだが、さすがに研究会の会場ではできない。
会場のホテルまで行き、先生が基調講演を元に討論している側にいながら、
本を買えるだけ買って、買ってきた。

仕方が無い。
そういうこともあるさ。

先生、また伺います。

            ◆

明日からはディベート甲子園だ。

いやあ、暑い日だった。

もう機関銃である

びっくらこいた。
私の人生で一番近い距離からの花火である。Ootuhanabi

聖蹟桜ヶ丘の家は、3年前の花火大会の打ち上げ場所から直線距離で150mぐらいは離れているだろうか。去年打ち上げ場所が多摩川の上流の方に移動したからさらに遠くなったかもしれない。

音と光と振動が同時に身体に伝わってくるこの快感は何ともいえないものだが、昨日見た花火は2〜30Mしか離れていなかったのではないか。

            ◆

浜大津のお祭りがあり、そのお祭りの終了を告げる花火が8:45pmから5分間だけ打ち上がると言う情報を大津市の広報で確認した。

久しぶりにアルコールを抜いて夕ご飯をすませ、車に乗って西大津の湖岸に向かう。涼しい風が吹いていて、なんともいえず気持ちがよい。

定刻になり、西大津から見た反対側の岸で花火が打ち上がった。琵琶湖の花噴水の左奥である。きれいだなあとしばらく見とれていた。

すると、開始から3分も過ぎた頃であろうか、突然のことであった。
私が花火を見ている右前方の「旅亭 紅葉」の桟橋からスターマインが打ち上げられたのだ。

もう機関銃である。

私の周りには、奥さんしかいない。
おーい、こんな贅沢で良いのかよ。
私達のために花火を打ち上げてくれているようではないか。

            ◆

しばし、放心状態に身体をまかせたまま花火を見る。
カメラは連写にしておいたので、ただ、シャッターを押し続けるだけ。
ピントも構図も気にしない。いや、できない。

琵琶湖の夏は毎日のようにあちこちで花火があがるので、近隣住民は花火に慣れていて見に来ないのかもしれない。凄い贅沢なことだと花火好きの私は考え込む。

ま、いいや。
花火好きな私は、今夜も出かけて行って花火を見るつもりだ。
あの放心状態を楽しみにして。

写真は対岸の花噴水。その左側に打ち上がらんとする花火。目の前のでかい花火が2〜30mのところに打ち上がったスターマイン。

2006/08/03

それじゃ、甲子園で

ディベート甲子園に持って行く荷物を準備し始める。

昨日の「ダンスで、理科」の発表会の後の反省会で、藤川さんが東京に戻られる時
『それじゃ、甲子園で、また』
「はい、甲子園で」
と別れの挨拶をした。

周りの人たちはなんだか分からない人もいたようだが、甲子園とは、全国中学高校ディベート選手権、通称、ディベート甲子園である。これが8/5から始まるのである。

             ◆

今年でもう第11回大会となる。今年は会場が東洋大学になる。
ディベート甲子園のOBには社会人となり、日本の中枢機関で働き始めている諸君もいる。
10年一昔ということだが、そうか、そんなになるのかと改めて思う。

10年前には、私が京都で大学の先生になるなんてことは、夢のまた夢にも思わなかったが、
今はこうして蜩の鳴き声を聞きながら研究室で学生のレポートの採点何ぞをしているわけで、実に不思議である。

             ◆

『それじゃ、甲子園で、また』
という挨拶は、自分でしていても、なんか熱くなるのを感じる挨拶であった。

大人が子どもたちに、真剣になれる場所を提供し続けることは大事なことだと考えている。ではあるが、ディベート部の顧問をやれば、大会前、自分の時間はほぼなくなり、学期末の事務処理との平行で猛烈に忙しくなる。

それを乗り越えて、地区大会に挑み結果を出してきた子どもたちとその指導者が、全国大会に挑みに年に一度集まる。

これを迎えるスタッフも、さまざまな仕事をこの日の為に前倒しで片づけ、子どもたちが精一杯議論を楽しめるように手弁当で準備に当たる。

そして、またあの熱い二泊三日の時が流れるのだと思うと、今から熱くなる。
顧問でなくても熱くなる自分に驚いている。

             ◆

二泊三日が過ぎれば
『それじゃ、甲子園で、また来年』
と仲間達は全国に戻って行く。

そんな夏の日々まで後少しだ。

楽しい一日を終えた

午前中は大学の仕事。
大学の論文を集めた紀要集の合評会があり、私は一人の先生が書かれた論文のレポーターを担当することになった。

教育方法に関係するものということで、私にご指名があったのだが、大学でのこういうお仕事は初めてなので、何を何処まですれば良いのかわらから無い。

そこで、

1)この論文から学んだこと
2)良く分からないこと
3)今後の研究に期待すること

の三つの柱に分けて15分間で発表した。

大学の授業に関わってシラバスと、クラスシラバスというものについての論文であったが、学校教育現場における、年間指導計画と学級開き、授業開きとの関連性に付いてレポートした。

少しずつ大学の仕事に関わることで、色々なことが分かるなあと思った。

            ◆

レポーターを終え、慌てて京都芸術センターに向かう。「ダンスで理科」の研究の中間発表会があったのだ。糸井先生岩瀬先生が発表を行い、藤川先生小暮先生がコメンテーターと言うのであれば、行かないわけが無い。

私は自分が学んできた道のりから、学習の活動において、
(これだと引いてしまう子どもがいないか)
(オレならやらねーな)
とか思う基準で授業や発表を見ることがある。また、授業の展開に従いつつも、別の流れで、別の文脈で授業を見ることがある。ここが私に取っての学びだと思うのだ。
ちょっと遅れて会場に付いた私は、ワークショップには参加しないで見学しながらそんなことを考えていた。

発表そのものもさすがのレベルであったが、そういう意味では、また別の意味で私にとっては非常に刺激的な中間発表であった。

            ◆

発表会の後、コーヒー屋さんに出向き、一次会。さらに、和食のお店でビール。そして、日本酒専門店で日本酒を楽しむ。

日本酒専門店では、「ぬる燗」を頼んでいるのに、どうしても「熱燗」になって出てくるのが不満であったが、つまみなどは絶品だったので、許す。

二学期からのそれぞれの新しい展開を約束して、楽しい一日を終えた。

さあ、明日からキャンパス見学会だ。

2006/08/01

やってみせて、教えて、やらせる

朝5時には目が覚めてしまう。
また右目にものもらいができそうな痛みがある。
薬をつけているうちに、本格的に目が覚める。
起きてしまう。

まあ、涼しいうちに一仕事をするというのも悪くないので、それで良いのだが、
残念ながら部屋に座っての眺望がないのが朝を十分には楽しめない。

聖蹟桜ヶ丘の家は、リビングの出窓から朝日を味わうことができた。
住んでいる時はそれが当たり前のことと思っていたが、いやあ、やっぱり贅沢だったんだなあ。

家は住んでみないと分からないなあ。

            ◆

午前中は、採用試験の二次試験対策のレッスンを行う。
マンツーマンで、模擬授業のトレーニングである。
教科が国語ではないので、教科内容以外のところをレッスン。

立ち位置、視線、板書、声の出し方、指示の出し方などなどを事例に基づいてレッスン。
基本的には後期の国語科教育法2の授業で扱う予定の内容を行う。

指導に関するポイントを「私は理解しています」ということを試験監督に伝わるように見せなければならないのだが、そこが甘い。何回かやり直しさせる。

            ◆

指導の技術と言うのは、一種職人芸のようなところがあり直接でないと教えきれないところがある。指示言の間とかスピード感等は、テキストを読み込むだけでは教えきれない。

かつて私がちょこっとだけお能を学んでいたときのことである。
お師匠さんは学生が舞を舞っている時に、
「ちょっと待って。そこは、そうじゃなくて、こう」
と言いながら自分で何回か舞っていた。

それは、そのタイミングというか呼吸というか、間というか。そういうものを伝えたかったのだろうと言うことが、今はよくわかる。教えてから私が見本を見せると

「分かりました」

と答えるのだが、私は

『いや、分かっていない』

と言い、学生の理解と私の伝えたかったことの差を説明する。

            ◆

そういうレッスンをもっともっとしなければならないのだろうが、大学の授業は半期で15回しか無いし、学生の数も10人を越えるともうできないだろう。

だが、そうはいってもやらないでいることはない。やってみせて、教えて、やらせる。この繰り返しだろうなあ。

八月の本番の前に、もう一度レッスンすっぞ。いいな。

ここまでのBGMは、松岡直也の " THE LAST SUMMER DAY "

            ◆

午後は、教育実習生の事前指導と委託研究の課題をやる。

実習は9月末に研究授業があるとのことだが、受け入れてくれる中学校で実際に授業が行えるのが、いまのところ3週間で9時間だけだと言う。もっとやらせてもらえるようにお願いしてみることをアドヴァイス。3クラスで3時間ずつの9時間は、少ないのではないか。

委託研究の課題は、8/3が一次の締め切り。
うんうん唸っていたのだが、ふとひらめいたものがあったので、それで完成させる。
唸らないと、出てこないもんだなあと改めて脳みその不思議を思う。

            ◆

夕方になると蜩が非常に心地よくその声を研究室に届けてくれる。
でも、今日で取りあえず聞き納め。
夕方まで研究室にいることはなくなりそう。
さあ、今週は忙しいぞ、楽しいぞ。

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