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2006/08/13

さらばである

午後から、別れの旅に出た。

まあなんというか、今までの人生のほとんどと東京の多摩地域で過ごしてきたので、自分が育った場所を見て歩こうと思ったのだ。それを半日かけて奥さんと車で見て歩いたのだ。

私は都営の団地で20年近く過ごした。
そこで、保育園に通い、お習字教室に通い、剣道を習い、小学校、中学校と通った。小学校は取り壊され地域の教育センターになり、初めて入院した国立病院も、名前を変えていた。中学校の周りには新しい一軒家がどんどんできていた。

さらには初めて教師として教壇に立った吹上中学校にも行った。ブラスバンド部が東京都で金賞を取り、バドミントン部は関東大会に出場したそうだ。

結婚して最初に住んだ教員住宅は、跡形も無く取り壊されて更地になっていた。

            ◆

いやあ、なんというか胸に来るものがあった。

子どもの頃に過ごした団地は、とっても狭く古びた感じになっていた。日曜日の昼だというのに、子どもの姿は無く、私が昔野球をして遊んだ公園や、ビー玉遊びをした公園にも蝉の鳴き声だけが響いていた。

商店街に立つと、端から端まで見ることができた。こんなに狭かったかなあと何回も見直した。あんなに活気のあった商店街はシャッターを下ろしたままの店もあり、時代の移ろいを感じた。

その一方で大人になってから暮らした場所は、大きさは変わること無く印象通りであった。これはこれで実に不思議であった。

            ◆

一つ一つにさよならを言えるのは、悲しいのだが、すばらしく幸せなことなのだろうと思う。少年時代から青年時代への入り口辺りを駆け抜けてきたものに、さよならを言えるのだから。

父親が自分の故郷を私に説明していたように、私は奥さんに自分の少年時代の思い出をたくさん話していた。

そして、
(一つぐらいこの経験で小説を書きたいものだ)
と思った。

ま、思うだけだと思うが。

            ◆

さらばである。

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コメント

毎日拝読しております。
池田さんのお別れに比べればお笑いの域のものですが、私も7月末、17年間乗り続けた愛車フィアット・ウーノを廃車にいたしました。
廃車当日は記念撮影、そして愛車の遺品(?)としてスピードメーターとフロントグリルを取り外してもらいました。(涙)
17年間といえば、妻との付き合い以上の長さですから・・・。
一言では語り尽くすことができません。
東京のマンションともお別れされたんですか?
加えて、池田さんの愛車カペラ・ワゴンは・・・・?

暑い日が続いています。
東京は朝から突然の停電でしたが、私のところは大丈夫で、相も変わらず蝉時雨が凄いです。

自分の持ち物が自分から離れて行くというのは、寂しいですねえ。私も結局自分が手にしたマッキントッシュコンピュータはすべて手元にあります。

ものを捨てるというのは、必要な場合もありますが、ものを捨てているのではなくものに捨てられているのではないかと思うことがあります。ものには、私との関係があるわけでその関係をも捨てることになります。それは、自分の歴史を自分で捨てているのではないかというわけです。

だからものを粗末に扱う人は、自分の人生を粗末に扱うことに繋がるのではないかと考えています。

          ◆

な、わけで我が愛車のMAZDAカペラカーゴと聖蹟桜ヶ丘の家ですが、愛着の固まりな訳の上に、さらに別の要因が入ってきて足踏みしている状態です。ですが、聖蹟桜ヶ丘の家は9月に向けて人様に貸そうと動き出し、MAZDAカペラカーゴも整備し直しております。

まあ、たとえで言えば「ダイハード3」の空港内の秘密通路が見つかった辺りの状況だといえるでしょうか。なんのことだかわからないと思いますが、イメージとしてはそんな所ですf(^^;。

一気に片付くように動いております。

実は私もモノを捨てられないんですよ。
池田さんと同様、学生時代の教育実習日誌もあります。中学生のころ出演した演劇の台本、中学生時代の修学旅行のしおり等、何でもそのままの状態なんです。
わかるなあ~、その気持ち。同感、同感。

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