身体が軽くなるのだ
打ち上げを終えて、帰路についた。
奥さんの実家に泊めてもらうことになっているのだ。
二人とも疲れきっているので、駅まで迎えにきてもらう。
ありがたいことだ。
家に着くなりシャワーを浴びてビールを飲んで。
その後、身体を伸ばしたと思ったら瞬間的に寝ていた。
ありがたいありがたい。
◆
で、久しぶりに寝た。寝続けた。
起きたらお昼を過ぎていた。
幸いにして東京は涼しいこともあり、疲れた身体を布団に投げ出し、じっくりと疲れを癒すことができた。
美味しいものを食べ、高価な身なりをし、遊びまくると言うのが豊かな生活という意見もあるだろう。が、ま、それはほどほどにして仲間達と何かを作り上げる楽しみを得るという生活も、これはこれでとても豊かなものだと思う。
◆
もう11年もやっているのね。
昨日の打ち上げには43人もの関係者が一堂に集まり、楽しい時間を過ごした。
ま、若者からしたらおじさん達と飲むというのは息苦しいものかもしれないが、これも良い経験なのだよ。
仕事上の上下関係ではなく、プロジェクトの仲間として年配の人たちと飲むなんて、なかなかできないことだよ。同質の集団だけで暮らしていればそりゃあ、楽だが人としての成長はなかなか期待できないからね。参加することだよ。
ディベート連盟の宴会部長としては、そう思う。
◆
ゆったりとお昼ご飯を頂き、聖蹟桜ヶ丘の家に戻る。
家具の入っていない部屋は狭く見えるものだ。
私は持参したキャンプ用のベッドを広げ、寝転がる。
窓を開けたとたんに、風が部屋の中を通り抜け、心地よい。
目をつぶり、風の流れを感じている。
耳からは、これでもかというぐらいの蝉時雨。
(分かった分かった、君の存在は分かったよ)
と思いながらも
そのあまりにも激しい声明のような読経のような音の響きに、
心の疲れが取れて行くのを感じる。
身体が軽くなるのだ。
そして、ああ夏休みなんだと思う。
◆
さあ、もう少しくつろいだら出かけよう。
新しい出会いが待っているようだ。
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