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2006/10/30

クリアカットの課題

先日のブログに、「それ」とか「あれ」とか書いたら、学生から
「先生、あれは何なのでしょうか?」
と質問された。
(ほう、読んでいるのね)
と思う。
『なんだと思う?』
「分かりません」
『うーん、それは良いことだ』
「え?」
『考える問が手に入ったではないか。自分で考えることだな』

             ◆

昨日の内田先生の話の中でも関連して出てきたが、クリアに答えを出すことには是非がある。
学生に質問されて、その質問にクリアカットで答えを提示するのは、教師として必要な力量であろう。しかし、それだけではいけないのではないかと思う。

小学生が相手であれば、小学生がきちんと理解できる答え、説明を提示することであろう。しかし、中学生以降、まして彼女らは大学生だ。クリアカットな答えは、彼女らの思考を止めてしまう可能性がある。

「池田先生がこうおっしゃったから」

と、それを100%受け止めて、知識として理解してお仕舞いにしてしまう可能性がある。それはちょうど学級で学級通信を配ると、子どもたちは読むこともなく丁寧に折って鞄に詰め込んでオシマイにする子どもがいるのと同じようなのかもしれない。

そうだとすれば、私のすべきことは学生にクリアカットな答えを出すのではなく、クリアカットの課題を提出することであろう。格闘し甲斐のある課題をだ。

ということで、「それ」と「あれ」は考えてください(^^)。

2006/10/29

大人で良かった。

大人っていいなと実感することの多い週末であった。

土曜日は、いろいろな高校生を相手に授業をした。
教師を目指したいと感じたり、思ったり、考えていたりする生徒が80人ぐらい集まっていた。70分の授業時間であった。

ま、最初はざわざわするのもこういう時は仕方がないこともあるのだが、10分ぐらい過ぎても私語が止まらない三人組の女子高生がいた。この子たちは教育に興味があってきているのではなく、取りあえずここにいるというオーラを出していた。他の生徒が集中しているのだから、私の問題ではないと判断し、

『そこの三人、出て行きなさい。君たちはここで授業を受けることを認めない。他に行きなさい』

と言ったところ、出て行かない。だが、動かなかったので授業を進めた。まったく。教師を仕事として考えている子どもたちにとってはいい迷惑だ。ガイダンスの授業だって私はこういうのは許しません。

            ◆

びっくりしたことがあった。高校生相手の講座であったのだが、現役の高校の先生が自分の研修としてこの会に参加していたのだ。確かにその専門の入門を高校生に授業形式で行うのだから、大人にとってかなり合理的な学習法である。

こんなに熱心に学ぶ先生がいらっしゃるんだなあと思った。その先生からの評価もありがたい評価を頂いたので、良かった良かった。

            ◆

授業後、昼ご飯を食べてしばらく会場をぶらぶら。
鈴木大拙の展示会が合ったので、見学する。
90歳まで大学の教授をして、95歳まで名誉教授。そして永眠。
この知性はなんなんだと思っていた。

まったく違う専門分野ではあるが、その知性の圧力を心地よく感じ、エネルギーを貰う。

            ◆

夜、奥さんの友人ご夫妻が京都に来ると言うので、一緒に食事。
紹介してもらった祇園の和食のお店に向かう。

これが絶品であった。
一つ一つに手がかかっていて、丁寧な仕事が板場を見なくてもすぐに分かる。

子どものころでは経験できない値段の食事ということが言いたいのではない。初対面でありながら気持ちよく会話のできる大人、そして、甘いだけ、油っぽいだけを美味しいと感じる子どもではなく、出汁や素材、さらに調理法や器までも楽しめる大人の食事ができることに喜びを感じる。

ああ、大人で良かった。

            ◆

日曜日。

青山新吾先生が基調提案をする「人間関係的アプローチ研究会」に行く。
大阪に9:00ということで、早起き。

私は特別支援教育というものを、取り立てて勉強してきたことはない。それこそ自閉症もアスペルガーも文章上で丁寧に勉強したことはない。

だが、私に声を掛けてくださった青山先生は、私がそれらの子どもたちにも適切な指導をしているはずだと言ってくれている。二つの疑問を抱えて会場に向かった。

            ◆

正直申し上げて、私自身が子どもに接するときに必要だと思える情報は、さほどなかった。ただ、提案される考え方、話題、まとめのなかに、これらのことを指導するとすればどのような事例や観点を元に行えば良いのかという示唆はたくさん頂いた。

これらの知見をどのように授業として学生に伝えて行けば良いのだろうか。課題を一つ手に入れる。

会が終わった後、青山先生とゆっくりと感想を話したいと思ったのだが、次があるのでほんの立ち話で終えて会場を後にする.青山先生またゆっくりと教えてください。

            ◆

午後からは、内田樹先生の対談。ま、トークショーだ。青山先生の会場から30分ぐらいでいけるので、足を伸ばしてみた。

これが大正解。
面白かったなあ。
いろいろな切り口が飛び交う。
ある参加者のおじいさんはこの切り口に耐えかねて、クレームを言っていたが、ま、過激だからかもしれない。

その内容の豊かさは、先生のブログどころではない。
とても書けない。
会話からの刺激が非常に心地よく、検証すべき概念をたくさん手に入れることができた。

            ◆

対談の後、ワンコイン交流会なるものが合った。500円でちょっとしたお菓子とビールでクールダウンしようと言うものだ。当然、内田先生もいらっしゃるというので、私はきっちりマークしてお話をすることもできた。直接お話しすることもできた。いやあ、満足。

学生さんや一般の参加者もいたのだが、内田先生の話は、いろいろな人たちに届いていた。ではあるが、これが同じ内容で届いているのではない。息を吸うタイミング、笑う場所、うなずく箇所がずれるのである。だから受け止める情報は違っているはずである。だけど、届いていた。これはどういうことか。

野球に例えるのであれば、レフトからライトまでまんべんなく打ち分け、さらにフェンスギリギリから場外ホームランまで高さまで打ち分けるているのだ。だから、多くの人が自分に向かって話していると感じることができるのだ。

こんなのは、大人にならないと理解することはできないだろう。
ああ、大人で良かった。

            ◆

一日二つの研究会は消化しきれないから止めておこうかとも思ったが、青山先生、内田先生の二つとも出て良かった。

久しぶりに、自分が何ものかを語らなくても良い研究会に出席した。プレーンに感じて、じっくり考えることができたかと思う。

充実した週末であった。
大人で良かった。

2006/10/28

スピーチの実際と評価

「語り」のテストを行った。自分の好きな話を3分から5分の間で語るのである。

自分の趣味の話、恋愛の話、怪しい人に追いかけられた話、落語、雪道の登校、トイレの話などテーマは様々であった。

教師を目指す諸君であるからして話すのは得意な方ではあろう。好き嫌いであれば好きな部類である。しかし、今回のテストはプラベートなおしゃべりではなく、パブリックな語りである。授業は当然このパブリックな語りを主にして、行われる。プライベートなおしゃべりが上手な人が、パブリックな語りが上手いかというと、完全に一致することは稀ではないかと思う。

やってみただけでも、自分の語りのレベルが分かったのではないかと思う。

さらに、聞き手から項目別5段階評価と言葉のフィードバックを貰い、その上一人一人をビデオテープに録画したので、じっくりと自分を客観的に見てほしい。
最初は、恥ずかしいと思う。しかし、それを越えないと成長はない。厳しいことを言えば、そんな君が恥ずかしいと思う話し方を生徒は聞くことになるのだ。それも50分も。

恥ずかしがっている場合ではない。きちんと話す力をつけなければならない。でもまあ心配するな。恥ずかしがっているのは君だけだ。周りは全然恥ずかしくない。

(もっと上手く話せるはずなのに)という自惚れが、この恥ずかしさを生み出すのかもしれない。そうだとすれば、この自惚れを冷静に分析して、きちんと話せるようにしないとね。

            ◆

国語のテストの中で、教師が一番難しいと感じるのはこの「スピーチのテスト」の評価ではないかと思う。文章のようにじっくりと読むことができず、やり直しもさせることができない。瞬間で判断しなければならない。さらに今の先生は、学生時代にこれらの指導を受けていない。

そういうことで学校現場ではスピーチのテストを避ける先生が多かったが、今はそんなことはできない。きちんと評価の5観点の中に入っている。やらないわけにはいかない。(いや、以前からそうだったのだが、やらないで済ませている人もいるんだよね。ちなみに、中学の書道もやらないで済ませる先生がまだいる。いかんよなあ)

今回のスピーチのテストの評価をしてみて、諸君もこの評価は大変だと思ったのではないだろうか。授業で説明した通り、この評価を上手くするためには、自分で評価の観点をきちんと決め、その評価の観点を生徒に予め伝え、どういうスピーチが良いスピーチなのかを説明しておくことが、大事でなのである。

そのためには先生が、評価の観点を十分に理解し、良いスピーチができるようになっていなければならないのだ。大変である。

だけど、甘えてはならない。音楽の教師はみんなこれをしているのだ。歌を歌えて、そして生徒の歌を瞬間で評価しているのだ。国語の教師がこれをしないで良い訳がない。

            ◆

語りを作っているものには、次の要素があると私は考えている。

 内容
  体験で
  調べて
  フィクションで
 構成
  事前に作る
  話しながら作る
 伝え方
  技術
  人柄

今回の語りでは、構成と技術に弱点を抱えている人が多かったが、自分はどこが苦手でどこが得意なのかを分析し、対策を立てよう。

ここが教師が行う授業の
大事な生命線の一つなのだから。

教科通信 『修学』(10月 26日 NO. 38)より

探しても出てこないなあ

私の検索が不十分なのだろうか。
探しても出てこないなあ。

何かと言えば、「学生の怒り」だ。
この高校のカリキュラム偽装問題での怒りだ。
高校生の怒りを探しているのではない。大学生の怒りだ。

            ◆

ご案内の通り、教員採用試験は高校の社会科(いまは、地歴、公民のように別れているが)の教員になる試験が難しい。なんとなれば、社会科の教員にはいろいろな学部からなれるからである。文学部、法学部、経済学部から教職課程も受ければ社会科の教師になれる。だから、倍率も高いのだ。

という説明を私もしていたのだが、なんだ違うじゃん。

(世界史の授業をやっていないのならば、世界史の先生なんていらないんじゃん。だから、採用しなくてもいいのだから、募集は少なく採用試験の倍率は高かったんじゃん)

ということになる。
もちろん、自分の学力が低くて合格しなかったものもいるだろう。だけど、こんな偽装で採用を控えられていたんじゃ、ふざけるなだろう。

もちろん、世界史はやっていることになっているから、非常勤講師を呼んでやっていることになっているかもしれない。非常勤講師をつづけていて採用がないという人もここに関係があるかもしれない。

にも関わらず、怒りの文章が見つからないなあ。
匿名だったらありそうなもんだけど、ないなあ。
自分とは関係ないと思っているのか。

私が該当の学生であったら、怒り狂うだろうになあ。
ついでに、世界史の教科書会社の社員でも怒るだろうなあ。

            ◆

それにしても、優秀な大学を目指すために、必要のない教科を授業で扱わない。
そりゃあ、ダメだ。

私だって歴史に強いわけでもないが、優秀な大学を目指す人は
社会のリーダーを目指すのだろう?
歴史は認識の仕方でいろいろな歴史があるが、一つや二つの考え方を知っていないというのはだめだ。そうでなければ、簡単に視野の狭い人間になってしまう。

良い大学に入って、良い人生を送る。だから、必要なものだけ学ぶ。
うーん、本当に君はリーダーになれるのかねえ。

勉強は自分のために行うなんて思っているのは、リーダーではないね。
本当に力のある人たちは、その力を自分のためではなく、他人のために使える。
自分を幸せにするなんて小さい。
社会を、人類を発展させるためにその力を使っていけるかどうかである。

ほんの少しの時間だけ私達はこの世に存在しているのだと思う。
そのほんの少しの時間の間に、ちょびっとだけ社会を良い方向に変えることができるのは、このような高度情報社会においては、ごく一部の人だけだと思う。

そこを目指そうと思っているリーダー候補生が、広く学ばないでどうする。
これで世界史を学べれば、世界史の他に学んでいたことと併せれば人間的に成長するチャンスを、去年の先輩よりも多く貰ったことになるじゃないか。

三月も授業料払ってあるんだから、じっくりと学べば良い。
まだまだ、高校生じゃないか。
そして、立派な人類のリーダに育ってほしいぞ。

2006/10/27

あちらこちらで

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061027-00000307-yom-soci&kz=soci
ということであちこちで「不正」が明らかになっている。
中学校では考えられないのだが、なんでこんなになているのかなあと思う。

が、もっと分からないことがある。
なぜ、このタイミングでこの問題が噴出しているのかである。

35の都道県で282校がミスを犯しているのに、全国の教育委員会が一つも分かっていなかったというのは、ありうるのだろうか。

また、これらの高校はいわゆる進学校であろう。であれば、生徒は塾や予備校に行っているはずだ。そしたら、その塾や予備校の教務が、(あれ、おかしいな)と気がつかないわけがない。

ということは、あちらこちらで黙認していたわけである。

それが、なぜこのタイミングで出て来るのか、である。

答えは「それ」しかないような気がする。

「現場追いつけぬ」85%

内田樹さんのブログにあった記事を探してみました。徳島新聞にありました。
もう、管理職も勘弁してほしいという思いが思い切り出ています。

引用開始 ーーーーーーーーーー


「現場追いつけぬ」85% 東大の公立小中校長調査

 「ゆとり教育」の見直しなど、政治主導で目まぐるしく提案される教育改革について、全国の公立小中学校の校長を対象に聞いたところ、回答者の85%が「速すぎて現場がついていけない」と感じていることが21日、東大の基礎学力研究開発センターの調査で分かった。

 教育基本法改正案には66%が反対。「教育問題を政治化しすぎ」も67%に達した。教育改革を最重要課題とする安倍晋三首相が教育再生会議を始動させる中、格差拡大の懸念も大きく、現場に強い抵抗感があることが鮮明になった。

 調査は同センターが7、8月に全国の公立小中学校の3分の1にあたる1万800校の校長を対象に実施。約4800校の回答(一部は教頭らが回答)を得た。

 「教育改革が速すぎて現場がついていけないと考えるか」との質問に「強く思う」と答えたのは30%、「思う」は55%で、「思わない」「全く思わない」の計15%を大きく上回った。「教育改革は、学校が直面する問題に対応していない」と答えたのも79%と圧倒的多数だった。

 中教審が教員の質確保のために導入を答申した教員免許の更新制は再生会議でも重要テーマの一つ。だが、これに賛成する校長は41%止まりで、59%が後ろ向きだった。

 学校選択制については「学校活性化に役立つ」との回答が62%ある一方で、「一部で教員の士気が低下する」(73%)「学校の無意味なレッテル付けが生じる」(88%)「学校間格差が拡大」(89%)と、マイナス面を心配する声が多かった。

 安倍首相らが再三口にする「学力低下」。だが20年前と比較して子どもの学力が「下がった」とする校長は47%で「変わらない」「上がった」の計53%を下回った。

 一方、大多数の校長が心配を強めているのが将来の教育格差の問題。「子ども間の学力格差が広がる」とした回答が88%を占めたほか、「地域間」(84%)、「公立・私立間」(77%)といずれも格差の拡大を予測している。

引用終了 ーーーーーーーーーー
http://www.topics.or.jp/Gnews/news.php?id=CN2006102101000056&gid=G01より

この結果をどう受け止めるのでしょうか。

2006/10/26

ブリーフを変える

うーん、今日は当たり日であった。
何かと言えば、喫煙指導である。

本学では喫煙場所が決められている。それは職員であってもなんでも同じ。大学の校舎の外に設けられている。ところが、である。昼食等にも使うベンチで堂々と吸っている学生がいる。それも女子学生に多い。(というか、もともと女子学生の方が多いのだからこの言い方はおかしいか)

今日は3人も指導してしまった。
当たり日である。
さすがに中学生と違って
「吸ってねーよ」
なんて食って掛かって来ることもなく、多くは
「すみません」
と止めるのだが、精神衛生上良くない。

だが、注意しなければなあ。
やがて注意されることなく、無視され、相手にされないという社会に出て行くのだから。その一歩手前で、最後の注意をしてやらんことには。

ああ、面倒くさい。

あんまりルール違反していると、学内全面禁煙ってなことになるぞ。私はその方がいいが、それは禁煙ファッショだと思うし、そのぐらいのことしっかりと徹底できる人間になれよなあとも思ってはいる。

ああ、面倒くさい。

            ◆

私が授業をもっている学生にはこのような学生はいないが、いたら、即、単位はDである。大学のその程度のルールを守れない学生が、教師を目指そうなんてのは烏滸がましい。

それに、これから教員になるのであれば、絶対に喫煙はしないほうが良い。学校には喫煙場所がないからだ。煙草が吸えないイライラで生徒にあたる教師なんてのは、目も当てられないからなあ。

たばこが止められなかった人が、ブリーフ(行動のための根拠)を変更したら、禁煙できたという話を読んだことがある。

タバコを我慢する → 【禁断症状が辛い】 → 煙草を吸う

の【禁断症状が辛い】がブリーフの部分である。この部分を変更したと言うのだ。それは、

【タバコはニコチンが切れる時に脳から出る禁断サインが煙草を吸わせるというが、寝ている間にニコチンが切れて禁断のサインが出て、目が覚めて煙草を吸うと言うことはない。しかし、覚せい剤は禁断症状が出ると寝ていても起きて、苦しむという。だから、タバコの禁断症状は、本人が思っているよりも重くはないのだ。ならば、煙草はやめられる。】

という新たなブリーフである。で、

タバコを我慢する → 【タバコはニコチンが切れる時に脳から出る禁断サインが煙草を吸わせるというが、寝ている間にニコチンが切れて禁断のサインが出て、目が覚めて煙草を吸うと言うことはない。しかし、覚せい剤は禁断症状が出ると寝ていても起きて、苦しむという。だから、タバコの禁断症状は、本人が思っているよりも重くはないのだ。ならば、煙草はやめられる。】 → 煙草をやめる

となる。感情ではなく、論理を変更するのである。論理療法だろう。>西部師匠、合っていますか?

指定場所以外での喫煙を発見する → 【ああ、注意は面倒くさいが、仕方がないこちとら教師だ】 → 注意をする

てのが、

指定場所以外での喫煙を発見する → 【ああ、学生の将来を考えるとこれはなんとかしてやらなければなあ】 → 注意をする

と私のブリーフが変われば良いのだが、そう簡単にはいかない。
教育は面倒臭さの積み重ねでもある。

            ◆

今日の授業は、あの事件が頭から離れずに、つい、サバイバル教育学をやってしまった。教育実習をいかに女性の実習生が生き延びるか、教師になった時にどうやっていけば上手く行く可能性が高まるかという、実践というよりは実戦をを中心に語ってしまった。

そのうえ、時間を読み間違えてしまい、中途半端な終わり方になってしまった。
反省。

だけど、サバイバル教育学はもっと真剣に語る時間があっていいなあと思った。

2006/10/25

『ダッセン』(長岡秀貴)

まったくもって、人間は成長しない。

            ◆

前述の吹野先生とは、こんな会話をしたことがある。

『先生、先週の説明と違いますが』
「あほんだら、人間は日々成長するんや」
なるほど。
ところが、その翌週に
『先生、また説明が元に戻っているんですけど』
「あほんだら、人間の本質は変わらないんや」
先生、ひどすぎます。そりゃあないでしょf(^^;。
そんなんだったら何を手掛かりにして勉強すれば良いのでしょうか。
「だからあほんだらなんや、そんなもん、自分で考えろ。お前の首の上に乗っているのは何だ?」
『あ、頭です』
「使え」

いや〜、懐かしい。思い出してしまった。
こんな会話を大学の100人の授業中に、普通するか。
はい、私していました。
御陰さまで少しは、首の上に乗っているものの使い方を習得できました。
まだ、はな垂れですが。

            ◆

で、まったくもって、人間は成長しない。
しかし、それが人間である。
仕事が忙しくなると本を読みたくなる。それもたくさん読みたくなる。そして、そういう時に手にした本は、一気に読めてしまう。

はあ、一気に読んでしまった。

『ダッセン』(長岡秀貴著 HID BOOKS 1200円)

まだ30台前半の、ある一人の男の半生である。教育書である。学校作りの本である。小学校の時に担任にいじめられたことから教師を目指し、出会い別れの中で成長し、教師になり、そして・・・という本である。

初心をもとうとする学生、初心を再確認したい私達のような中堅の教員のどちらにもいける本だと思う。凹んでいる時にお勧めかな。

さ、明日の授業の準備、準備。

なんとも居たたまれない

なんとも居たたまれない。
こんなことがあったのか。
私の記憶では全然報道されていなかったが。
折角夢を実現して教師になったと言うのに。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「教諭自殺、学校に責任」両親が公務災害認定を申請

 東京都新宿区立小学校に今春から勤務していた新任の女性教師(当時23歳)が自殺したのは、仕事上のストレスや学校の支援不足が原因だとして、この教師の両親が24日、地方公務員災害補償基金東京都支部に公務災害の認定を申請した。

 心の病で休職する教師が増える中、新任教師の死は学校現場に課題を突き付けている。

 両親の代理人弁護士によると、この教師は4月、2年生の担任になった。保護者と交換する連絡帳の中で、宿題の出し方が安定しない、子どものけんかで授業がつぶれるなどと指摘されるようになり、5月には、人生経験の少なさも批判された。

 このため5月22日、校長に初めて相談。保護者と電話で話すよう指示を受けたが、時間外労働も加わり、過度のストレスを感じていた。自殺を図っていったん未遂に終わったが、同月末にもう一度自殺を図り、翌日死亡した。ノートには「全(すべ)て私の無能さが原因です」などと書き残されていた。弁護士は「保護者からのクレームなどで精神的に追いつめられ、学校の支援も不足していた」としている。
(読売新聞) - 10月25日1時53分更新

引用終了 ーーーーーーーーーー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061024-00000215-yom-soci&kz=sociより

こんな状況になったのはなぜか?
この問は、実は間違っている。
「なった」のではなく、「した」のである。

教育の責任を一人の、しかも新人の先生に任せてしまうなんて、無理である。それを支えるのが同僚であり、校長であり、教育委員会であるのに。もちろん、学校現場に入る前に力を付けなければならない大学にも問題はあるはずだ。ではあるが、それらをさせない、することができないようにしているものの存在もある。

おーい、教え子で教師をしているみんな大丈夫か。
辛かったら休めよ。
全然問題ないぞ。
教育のすばらしさに出会う前に倒れそうになったら、一度立ち止まるんだぞ、引き返すんだぞ。
先は長いんだから。

2006/10/24

一雨降ってひんやりしてきたな

本当は火曜日は大学以外の場所で仕事をすることにしているのだが、つい、午後から研究室に来てしまった。

すると、たくさんの来訪者。

1)授業の質問の学生
2)お茶会のお誘い by 茶道部
3)お琴の発表会 by 箏曲部

なんで私が今日の火曜日に来ることを知っているのだろうかf(^^;。

            ◆

それから12月に行う校内研究会の打ち合わせのメールに返事を書いて、その合間を縫いながら、今日は新しいプロジェクトの企画書を書き続けていた。

最近は暗くなるのが早いので、
(いやあ、今日もたっぷりと仕事したなあ)
と思っても、まだ、今は18:00台。

だけど、文章は随分書いたぞ。
でも、一番書かなければならない文章が書けてないなあ。ま、これは来年でも良いのかもしれないが。

            ◆

さて、一雨降ってひんやりしてきたな。
帰って温かいものでも食べるかな。

2006/10/23

なんとも、嬉しい今宵

「池田先生、孔子様は良いこと言ったね。【後生畏るべし】だね」
20年前には考えられもしなかった。吹野先生に「先生」と呼ばれるなんて。
「後生畏るべし」なんて言われるなんて。

            ◆

大学の恩師の一人、吹野安先生と今日、久しぶりに電話でお話をすることができた。転職のご挨拶を送ったのだが、連絡をいただけなかったので大学の同窓会に確認したところ、先生から電話を頂いたのだ。先生の話によると、体調を崩されていて連絡ができなかったとのことだった。

吹野安先生にはとても厳しく指導頂いた。
学生の時には
(もう、どうでもいいから単位がほしいよ)
と思っていたが、今になって厳しく指導して頂いたことを心から感謝する。

大学5年生が決まった時に
「池田、5年生やるのか。そうか、じゃあ、この単位は無くすから来年も授業受けろ」
と折角とった漢文概論の単位をあっさりと取り消してくださいましたf(^^;。

指導する側に回れば、厳しく指導することがどんなに大変なことなのかが分かる。
「ああ、いいよいいよ。ん〜ん、いいよ」
なんて流して行けば生徒や学生と衝突することもなく、仏の○○なんて呼ばれて終わるのだろうが、それがどういう人間を育てるのか、今はよく分かる。

世間がどうとか、社会がどうではなく、目の前の学生に自分の価値観でガンガン指導してくださった先生だから、今も懐かしくありがたいのだと思う。

            ◆

「声を聞くと分かるよ。顔が浮かぶよ。声に勢いがあっていいねえ」
20年もお会いしていないのに、先生は、そのように話してくださった。
「若いんだから、社会にガンガン異議申し立てして活躍しなさい」
『先生、私もう、そんなに若くないです』
「なにを、まだ、はな垂れだ!」
そう言い放ってくださる先生がいることに、幸せを感じる。

『採用試験に合格したとき、「先生に30歳で大学院に戻ってこい」と言われました。ありがたく思いましたがいけず、それからさらに時間が経って大学院に戻れました。大学は5年間かかりましたが、大学院は1年で終わらせることができました。遅くなりましたがなんとか約束は果たせました』
「何かやる学生だとは思っていたよ」
『ありがとうございます』
「あの世に行く前に一度会いたいね」
『先生、憎まれっ子世にはばかるですよ』
なんて、恐ろしくて言えなかったf(^^;。

            ◆

「良い先生を育てるんだぞ」
『はい、先生にご指導頂いた厳しさには適いませんが、厳しく指導したいと思います』
「期待してるよ」

20年前にはこんな会話が先生とできるとは思わなかった。
なんとも、嬉しい今宵であることと。

さあ、吹野先生からもご指導頂いた。
厳しく行こう。

もう「学校のことは忘れてほしい」

最近読んでいる本に内田樹(たつる)さんがある。
ブログも発見したので、読んでいるがこの二つが面白い。

連戦連敗し続けてきた文部科学省の教育行政を批判し、
もう「学校のことは忘れてほしい」としている。

http://blog.tatsuru.com/archives/001961.php


http://blog.tatsuru.com/archives/001962.php

みなさんは、どのように思うだろうか。

2006/10/21

京都橘大学 大学祭

ということで、本日大学祭。
私が顧問をしている「京都子ども守り隊 守るんジャー」の広報活動もあると言うので、一応大学に顔を出した。

午前中は研究室で相も変わらず授業の準備をした。私の研究室は端っこにあるので結構静か。しめしめ。

            ◆

隊長から
「正門前で風船を配っています」
と連絡があったので、でかけていく。京都橘大学のスクールカラーの風船であった。青空にきれいに映えていた。Fusen


活動の時に着るピンクのポロシャツを学生たちからプレゼントされていたのだが、大学ではいつもブレザーで過ごしているので、どうも着る勇気がわいてこなかったのだが、仕方がない。着た。

今日は半袖一枚でも十分なぐらいのいい天気であった。
学生たちと一緒に風船を持って学内を歩く。
風が吹いてくると風船が流される。
なんか、空にいる神様か何かに引っ張られているような感じだった。

でもいい感じだったなあ。

            ◆

Kimono
ステージでは、ダンスや女装大会に着物ファッションショーなどが行われていて、なかなか華やか。今年できた和太鼓部のお披露目の演奏もなかなか良いものであった。この太鼓は来年の入学式で演奏してほしいなあ。

先日のとある大学の大学祭に行ってがっかりしたので、ちょっと恐る恐るの部分もありながらのうちの大学の見学であったが、ほっとした。

というより、気持ちが高まった。思わず研究室においてあるギターを出して弾いてしまった。久しぶりにさわったなあ、ギター。歌何ぞも歌ってしまった。ま、今日は良いだろう。

で、最後に書道部の作品を見に行く。京都橘大学の書道は、全日本高校・大学生書道展で4年連続最優秀校に選ばれている実力がある。実際の作品を見るのは今回が初めてだったのだが、いやあ、流石であった。

私が国語科教育法で教えている学生たちもたくさん作品を書いていて、彼女らの案内でじっくりと拝見した。この実力を持った学生たちに、学校現場で先生として仕事をさせたいなあと思った。びしびし扱かなければ(^^)。

さて、夕焼けの時刻になる。今日は早めに帰ろう。

2006/10/20

ビデオ版 ディベート入門講座 完成

ビデオ版 ディベート入門講座
〜シナリオ方式のディベート〜

というビジュアル教材ができました。DVDとビデオテープの両方があります。
内容は、私が全国教室ディベート連盟の入門講座でやっているものと、中学校の国語の授業でやっているものを元にしてあります。大学生を生徒役に見立てて実際に授業をしています。

値段はちょっと高いのですが、もし、学校の予算がまだ余っているようでしたら、ディベートの授業の指導法としてご活用頂ければと思います。付属の資料も充実していると思います。

明日あさって大学祭

http://cai4.tachibana-u.ac.jp/~gakusai/

ということで、今、キャンパスはその準備に追われています。
でも、授業もしているけどf(^^;。

良かったらお越し下さい。
私もたぶんいるはずです。

脳のシナプスを増やせ

教材研究は、授業を上手く成立させるためには必須の作業である。
では、教材研究がなぜ大事なのか。
最近思うのだが、いろいろと知っていれば話したくなるからではないだろうかというものだ。

知っていることを言いふらしたくなるというのは、私の属性なのか人間の属性なのか良くわからないが、人間の属性として一般化していいのではないかと思う気もする。齋藤孝さんは、たしかこれを「教育欲」と呼んでいたと思う。

あれこれ知っていることを、知らない人に話すのは楽しい。一種の優越感なのかもしれない。

だが、話したくて仕方が無い、授業がしたくてしょうがないという状態で授業に臨むことは、とても大事なことである。

            ◆

ただ、もちろん授業でこれをそのままやってしまってはとんでもないことになる。自分が調べた量をそのまま学習者に伝えたら、学習者は容量オーバーになるし、まあ、そもそも一種の自慢話だから聞く耳を持たなくなるだろう。

そこで、調べたものを元にして、生徒に合わせて授業として構成し直すのである。調べた本人としてはとっても面白かったものでも、場合によってはその部分を授業からバッサリと切り取る。

ここの切り取り方に、授業者の経験とセンスが出るのだと思う。
優れた授業者は、授業の準備の際にバッサリと切っておき、さらに授業の展開を見ながら、ドカンと付け足したり、さらに切ったり、はたまた別の材料で展開したりということができる。

まあ、いわゆる「どっからでもかかってらっしゃい状態」であるわけだ。そのために、たっくさん調べておくのだ。

            ◆

国語科教育法2では、いよいよ模擬授業を目指す。30分の模擬授業を5人のグループに課し、5人で授業案を作り、その内の一人、または二人が模擬授業を担当する。それを60分かけて検討するということになる。

学問の秋である。

            ◆

私、考え違いをしていました。先週の授業で「ことわざなどを覚えた記憶の無い人」と聞いた時に、この人たちが多かったのですが、それを
(覚えた記憶が無くても、覚えているんだなあ。さすが、国語科)
と思っていたのですが、これが間違い。
「覚えた記憶がないので、覚えていない。知らない言葉だらけだったんだ」
と今日発見しました。

少なくとも、中学校の資料集にあることばぐらいは、全部理解しておくことが国語の先生になる諸君にはmustです。「ねばならない」ですぞ。

採用試験まで、あと1年ないぞ。がんばれ。

            ◆

短編問題集や一枚の写真を問題として行った。解けなかった諸君は一往に自分の頭の固さを嘆いていた。そして、頭を柔らかくしなければと感想を述べていた。

でも、どうやって柔らかくするの?

思いつき、アイディアというのは、今までの知識の新しい組み合わせである。デジカメと携帯電話をくっつけるということである。そして、これは突き詰めれば脳細胞のシナプスの連結である。このシナプスは経験や感動によって強められたりする。また、ときに切れたり、不安定なまま繋がっていたりする。アイディアはそこが繋がるという現象だ。

つまり、元々シナプスがない人には、そこからの新たな繋がりがないのだ。だから、頭の柔らかさを求めるのであれば、まずは、基礎的なシナプスを作ることが大事なのである。

これは何のことだか分かる? そうです。基本的な知識を増やすことです。君たちは知識量がまだまだ足りないから、そこからです。

教科通信 『修学』(10月 19日 NO. 37)より

2006/10/18

車と読書で、私の秋

もう10年になる、今の車に乗って。

10年一緒にいるということは、人生を一緒に走ってきたと言っていいだろう。
その愛車とさよならする時が近づいてきた。

いま次の車を選ぶ最終段階に入った。
このまま気持ちが揺らがなければ、11月の頭には新車になる。

色々な出来事や思いを乗せて走ってくれた私の車とさよならするってのは
まだ実感がない。
が、
そうして、人は生きて行くのだろう。
アクセルを踏み込む度に、ちょっと特別な思いが吹き上がって来る感じだ。

Pa16067


            ◆

この一日二日で、本をどーんと買ってしまった。
楽しみの本は、読みかけたまま投げ出してしまっているのだが、
仕事関連の本が
「ねえ、読んでよ」
と本屋の棚で囁いていたのだ。
その囁きを断れるほどの力は私には、ない。

研究費申請の書類を書くのと、本からの誘惑。
私は本の誘惑に勝てるのだろうかf(^^;。

            ◆

読書の秋だから考えるわけではないが、
なぜ、大人は子どもに本を読めと言うのだろうか。

いろいろな理由があるのだが、私がこのところ思うのは
「擬似的内言を通して、内言を育てるため」
ではないかということだ。

擬似的内言というのは、黙読と言ってもいいかもしれない。この擬似的内言を読書によってトレーニングすることが、内言を育てることに繋がるのではないかということだ。

人は、心の中の言葉で考える。この心の中の言葉が内言である。
幼い子どもは、よく言われるように、一人で読む時も声を出して読む。
その声が自分に響き、自分でも話してもらっている感覚になる。

しかし、やがて黙読になる。これは内言の発生とともに可能になるのだろう。
そうだとすると、さまざまな本を黙読することは、擬似的内言から内言を生み出すことになるのではないだろうか。

成長に伴って、内容、難易度の違う様々な本を読むことは、作者との対話と言う内言をも生み出していくのだろう。これが読書を勧める理由、というよりは読書をしないものは考えることができないという理由ではないかと思う。

            ◆

車と読書で、私の秋は深まって行く。
さて、オープンカーはあるか?
はたまた本の誘惑に勝てるのか?

つづく。

事務連絡

柴崎卓巳子先生、頂いたメールに返事を書いているのですが、どうしても戻ってきてしまいます。
新しいメールアドレスか、連絡先のファックス番号をメールで頂けませんか?
そちらに送ってみます。
よろしくお願いいたします。

2006/10/17

人間は、死と再生の繰り返し

このところ、寝入りに悪夢にうなされることが多い。
昨晩は久しぶりに金縛りにもあった。
動けないでいて、なんとか声を出そうとするのだが声も出ない。
やっとこのことで
「うー、うー」
と声を出したら、奥さんが駆けつけてくれて体の縛りがほどけた。
ふう。

なんで金縛りに遭うのかは分からなかったのだが、奥さんにいわれてみてそうだと思った。
私、引っ越しのあとに金縛りになることが多い。
考えてみると、実家を出てからの引っ越しのあと、すべてそうだ。

金縛りは、レム睡眠とノンレム睡眠のリズムが崩れた時に起きる現象だとは思うが、たしかに今そのリズムが崩れているのかもしれない。頭の中では仕事場が大学であることを理解しているが、体のほうはまだ中学校の仕事モードで動いているということで、疲れが通常と違うところに溜まっているのではないかと思う。

ま、長いこと同じような生活時間で過ごしていたからなあ。この年齢でこういう現象が起きるのだから、60歳ぐらいで定年退職を迎えた時だったら、どんなになっていたのかなあと思う。

            ◆

引っ越しのあとに金縛りに遭うと言うのは、引っ越しがきっかけというよりは、それと同時に起こっている生活のリズムの変化が主な原因であろう。

今までと仕事が違うのだから、平日に休みを取ることもありなわけで、そんな日はのんびり過ごせばいいのだが、まだ罪悪感がある。
(東京のみんな、ごめん)
と思って休みを取っている私がいる。

そんなことを理解してくれる人は、
「先生、ちゃんと一週間に一日は、仕事からきれいに離れて過ごさなければダメですよ」
と声をかけてくれる。ありがたいことだが、なかなかねえf(^^;。

            ◆

私の敬愛する元校長の蛭田先生は、
「池田さん、退職すると言うことは死なのですよ。これで職業人としての私は死ぬと考えているんですよ」
と退職の時に話されていた。

いま、私も職業人として、一度死んだ。
そして、死から再生をしているのだとも思う。
恩師の竹内常一先生は、
「人間は、死と再生の繰り返しだからねえ」
と学生時代に話されていたが、
(なるほど、こういうことか)
と今はよくわかる。まったく射程距離の長い言葉だよなあ。

            ◆

ま、これがこの金縛りや悪夢の原因だと思う。
大学の時間に体が慣れていくのに従って
少しずつ、金縛りや悪夢の回数が減っていくことだろう。
再生していくのだと思う。

2006/10/16

今日も早起き

あれだけ山登りをしたのに、今朝も早起きであった。5時になるとまだ目が覚める。
喉が渇いているので、水を飲みにいく。ふくらはぎが筋肉痛になっているのが分かる。

いい天気になりそうとの予報を聞くと朝日を見たくなる。
今の時期、びわ湖のほとりでは6時5分前後に日の出が拝める。

今朝はなぜか奥さんも早く起きてきたので
『見に行く?』
と聞いたら、行くという。
よし、じゃあ行こう。

朝の荘厳な30分をたっぷりと味わった。
Pa160067

            ◆

大学の授業は、教職総合演習。
ディベートを指導しながら、現代社会の問題のいくつかについて理解を深めるというものを行っている。

今日で、シナリオ方式のディベートでの一回りは終了。基礎的なスキルを指導し、シナリオ方式のディベートに至るまでの教材の開発の歴史等も話す。

来週は、改良シナリオ方式のディベートだ。この辺りから少しずつディベートっぽくなるだろう。

            ◆

さあて、明日の模擬授業の準備もまあまあできた。
あとは、体調を整えて挑むだけだ。

ということで、今宵は美味しいものを食べにいこう。
イタリアンにしようかな。

2006/10/15

初秋の大津の休日

今日は第三日曜日。大津市民は大津の文化財を無料で見学することができる。市報に無料券がついているのだ。昨日の栗ごはんをおにぎりにして昼ご飯の準備として出かける。たくさんいくぞ。

            ◆

最初は、義仲寺である。木曾義仲が眠るこの寺は、松尾芭蕉も眠っている。そんなに広くない寺に二つの墓はあった。昔は町から遥かには慣れていた場所であろうに、いまは膳所の西武デパートのすぐ近くである。もののあはれを感じる。

ここで珍しいものを見た。芭蕉の花である。Pa150005

芭蕉は、バナナの一種類であると知ったのは、中学生のころだったか。「松尾バナナ」なのである。
「吉本ばなな」という作家が登場した時に、
(文学を馬鹿にしている!)
と思ったが、実は日本文学を大切にしているという、なんだかよくわからない気持ちになったのを覚えている。

芭蕉は大津を愛していたのが分かった。

            ◆

つづいて、石山寺である。
紫式部が『源氏物語』を執筆したといわれる場所で、月の名所である。

いやあ、びっくり。
本当に石が境内にたっくさんあるのだ。
とても大きな石だらけ。大正時代に天然記念物になっているのだ。Pa150046


島崎藤村もこの寺に籠っていたとのこと。
なんか教え子との恋に破れて、籠っていたそうだ。
22歳のときのこと。
いまだったら、大変だ。

            ◆

そして、岩間寺に向かう。
この寺は、あの「古池や蛙飛び込む水の音」の舞台となった寺といわれている。Pa150076


山の上にあって気持ちがよい。そこから10分ほど山の稜線を歩くと、別の神社があって、びわ湖も少し見えた。風が心地よい。Pa150081


            ◆

さらに、立木観音である。
いやあ、すごい。700段の階段を上らなければならないのだ。
階段の途中にこの寺を月参りする人たちの短歌があったりするのだが、そりゃあ、健康になるなと思う。久しぶりに足が棒になった。

登りきったところにはちょっとだけ見晴らしのいい場所。
無料のお茶が美味しかった。

帰りも当然700段だが、
「そろそろ半分来たか?」
と奥さんに話しかけたところ、ちょうど登っていくカップルがいて
「え〜〜」
と叫んでいた。だって、半分なんだもん。


            ◆

最後に叶匠寿庵の庭園、「寿長生の郷」に向かう。
もう時間がぎりぎりだったので、場所の確認だけできればと思っていった。
とても広い場所で、季節の花がきれいに咲く庭作りは、もういちど来ようと話した。

とても疲れたが、いい気分転換になった一日であった。

            ◆

来月の第三日曜日は、紅葉のど真ん中になる。
さて、どこに行こうか。。

2006/10/14

こどもが言葉を手に入れるとき

Pa140006

ふう、やっとこれで基本的なところは終わった。

来週の高校でのガイダンスの準備である。
打ち込んだ文字数をカウントしたら、12267字だった。原稿用紙で31枚か。これを50分の授業にまとめるのね。

まとまるんだろうかf(^^;。

            ◆

今回参考にした本は、授業作りネットワークの仲間の池田康子さんから紹介してもらった岡本夏木氏の岩波新書の三冊『子どもとことば』『ことばと発達』『幼児期』。糸井先生がブログで紹介していた『なせ、その子供は腕のない絵を描いたのか』(藤原智美著 祥伝社)が中心。

さらには『モンテッソーリの教育』(あすなろ書房)、『ヴィゴツキー入門』(柴田義松著 寺子屋新書)、『思考と言語』(ヴィゴツキー 柴田義松訳)、『0歳からのことば育てと子どもの自立』(合同出版)『保育内容「言葉」』(ミネルヴァ書房)などにも目を通した。

いやあ、面白い。
それこそ中学校の教師をし続けていたらこういう知的な冒険に出ることはなかったろうなあと思う。言葉がどのように発生するのかなんて、疑問に思ったとしてもそのままだもんな。でも、こういうのを勉強しておいて中学校の国語の授業をやったらまた違ったものになっていたろうなと、ちょっと反省。

このテーマでの模擬授業の依頼があったとき、
(さて、この授業は作れるか?)
と思ったが、なんとか形になりそうで良かった良かった。
降ってくる仕事を受け止めることで、自分の勉強になる。ありがたいことだ。

一回目の本番は火曜日だから、まだ時間はある。
もう少し資料を読み込んでから、刈り込むか。

            ◆

『なせ、その子供は腕のない絵を描いたのか』(藤原智美著 祥伝社)にあった衝撃的な事例を一つ挙げておく。

引用開始 ーーーーーーーーーー

R(女児)は0歳のころから幼児教室に通わされた。絵や文字を書いたカードを見て瞬間的にいいあてるフラッシュカード、子守唄は英語のテープ、家中の家具や電化製品ネームプレートを貼り、アルファベット、カナ、漢字を覚えさせられた。学習分野はどんどん増え続けた。英会話、ピアノ、バレエとほとんど毎日、教室通いがつづいた。幼児教室の全国テストでいつも上位に入っていた。おかげで五歳の時には、なんと小学校で学ぶすべての漢字と、英会話もある程度で切るようになっていた。

国立大学付属の小学校に進み、中学校はさらに難関中の難関校に進む。けれど高校に入ってから変調が始まる。精神不安定がしだいに激しくなって行く。ついに妹の首を絞め車のフロントガラスを割る、大暴れののち、救急車で病院に運ばれることになった。

これは『救急精神病等』(野村進)という本で紹介されている少女の実例である.病院に運ばれてからの少女の言動がすさまじい。親や意志にくってかかるその言葉がきつ。毒づくにも、そのへんのヤンキーと違って心をえぐるような鋭さがある。

「精神科の医者なんて、医学部の”落ちこぼれ”がなるんでしょ」「キミ(医者)こそ精神療法を受けたほうがいい。(中略)老婆心ながら」「無力な子供を自分の『人工生命』みたいにしやがって、その人工生命が壊れたら、さっさと精神病院に送り込みやがて。その『反省』とやらを地獄の底に下りても続けなけりゃいけないのは、この壊れた人工生命を産み、そして育てたアンタ(母親)だよ。第一、アンタはこの壊れた人工生命や、そのかわいそうな妹を置き去りにして、一度家出してるじゃないか。そのことの『反省』はどうなっているんだ(略)」

この回転の速い頭脳とエネルギーをそのまま学力に振り向けたなら、きっと聡明な大人になるのだろうと、思う。けれど、彼女はけっきょく自殺してしまうことになる。この本に登場する医師は、なぜ彼女がこうなったのか、はっきりしたことは突き止められなかった。ただ、「燃えつきた」としか考えられない、という。pp.122-3

引用終了 ーーーーーーーーーー

日本の幼児教育の問題点をえぐり出しているこの本は、教科書にしてもいいかもしれないなあ。
人間の発達の力の凄さ、またその発達をコントロールしようとして失敗する人間の愚かさなどが描かれている。

            ◆

「今晩は栗ごはんだよ」
というメールが入った。
よし、美味しく秋を楽しむぞ。
帰ろう帰ろう。

2006/10/13

まだ、間に合う

今朝の日の出は幻想的であった。

Pa13001


霧が微妙な偏光率を生み出したのだろう。
これからの朝も楽しみである。

            ◆

大学に速達が届いているというので、慌てて向かう。
まったく縁のないところからの原稿の依頼。
なんだろうと思ってみたら、
(いや〜、参ったなあ)
であった。

私が新卒の時にお世話になった指導主事の先生が、東京のある大学の教授になっており、私が転職した時に連絡を差し上げたのだが、その関係で推薦されたのだ。
先生、勉強させて頂きます。

            ◆

でもって、そのまま研究室にこもって結局仕事の続きをする。
そこに内線電話。
「先生、車のスモールランプがついています」
と。
またやってしまった。
慌てて消しに行こうとすると、後ろから追いかけてくる足音。
(ん?)
見ると、国語科教育法で教えている学生。
『どうしたの?』
と聞くと、
「教員採用試験の勉強会をしているのですが、この先どういう勉強の仕方をして行けば良いのか話し合っているんです。先生、ご指導頂けますか?」
とのこと。
『ん、いいよ』
と言いながらスモールランプを消しに走る。

            ◆

で、1時間ほど、話を聞きながら、あーだこーだと話をする。
自分達に基礎学力がないことを理解した彼女らは、これから伸びると思う。

勉強は、そこからしか始まらないと思う。
そして、自分にあった勉強法で勉強することが重要だ。

彼女らは一週間に二回の割合で自主勉強会をすると言う。
採用試験まで10ヶ月。
まだ、間に合う。

しっかりね。

2006/10/12

学習ゲームを通して

「学習ゲーム」と言う概念ができたのは、君たちが中学生ぐらいの頃で、まだまだ一般化していないかもしれない。ではあるが、今回の授業でその理論と実際を学べたのではないかと思う。

ゲームで学ぶということを、この授業をする前に具体的にイメージできただろうか? どうしてもゲームには遊びというイメージがつきまとい、学校文化に馴染みにくい側面がある。

しかし、これは逆の面から、すなわち子どもの側から考えれば「勉強ではなく遊び」とイメージされるという面を持つ。

            ◆

これから君たちが本格的に指導の方法を学んでいく「授業」は、中学校では50分を基本にして作る。導入、展開、まとめというのを50分で考える。私もそれで指導したいと考えている。

しかし、実際の学校現場はそれだけでは上手く行かない。この50分の授業というのは、チャイムがなったときに教師が教室にいて、そこから授業をすんなりと始めて、チャイムと同時に授業が終われるという学習集団を想定している。君がそういう学校に赴任できれば良いが、それはなかなか珍しいかもしれない。

何回も話すが、君たちは国語が好きで国語ができるから国語の教師を目指す。しかし、教室にいる子どもたちは、国語が嫌いで国語ができない子どもたちがたくさんいる。


 学習指導をするとは、
 つまらないを面白い!に、
 分からないを分かった!に、
 できないをできた!にすることである。


これは教育の名言の中でも、かなり有名な教育学者の有名な言葉だ。作者は分かるか?*1

まず、教室の外にいる子どもたち、教室の中にいても
(だる〜)
と参加しない子どもたちに、
(ん? なに? 面白そうじゃん)
と参加したくなる仕掛けが必要であり、その方法として「学習ゲーム」はかなり有効であると考えている。

もちろん、この学習ゲームは君たちが体験して分かった通り、楽しいだけではない。力もつくのである。

だいたいからして、授業は楽しくなければダメだという言い方があるが、それは当たり前すぎるほど当たり前である。しかし、楽しいだけではダメなのである。楽しくて実力がつかなければダメなのである。

もちろん、ここに至るには相当の実力がないとできないのは、もうそろそろ諸君にも分かるだろう。(今の私にできるだろうか)
と心配もするだろう。

心配するな。できないから。

            ◆

理由は二つある。
一つ目。経験が足りない。私が十数年かけて学びながら作り上げたものだ。君ら学生にできる訳がない。これから着実に勉強しながら身につけることだ。

二つ目。ブレーキの技術がない。学習ゲームは、子どもたちが乗り出すと非常にグルーブ感のあるノリノリの授業になる。しかし、ここが危険なのだ。君たちが、生徒を止める技術、つまりブレーキを書ける指導力がないと学習集団は暴走する。ここも意識して力をつけなければならないところである。

            ◆

ではあるが、前期と比べてみるが良い。君たちはかなり成長してきているだろう。その努力を重ねるが良い。やがて大きく成長する瞬間が来るだろう。

課題をこなしつつ、力を付けて行ってほしい。

*1 もちろん、池田修先生である。

教科通信 『修学』(10月 12日 NO. 36)より

模擬授業をまとめましょう

楢原中学校の三年生諸君から、君たちの授業への御礼と感想が届きました。回覧しますから、味わって読んでください。そして、感想をoideyasuMLに流してください。

            ◆

この取り組みをワードでまとめましょう。三班ありますから、三つのまとめができるわけです。

教師が行う「授業」は、三つの段階からできています。一つは、準備。一つは、授業の実際。一つは、まとめです。この三つがセットになって「授業」が成立しています。

ですが、残念ながら学校現場は忙しく、最初に「まとめ」が抜け、次に「準備」が抜け、最後に「授業の実際」が抜けて行きます*1 。

この三つが循環するように組み立てて行くことが、学校教育現場で授業を進めるためにはとても大事なことです。ここから自分の授業を振り返り、子どもに分かりやすい授業を作る経験を重ねて行くことになるからです。

で、その最初の経験をしましょう。ワードでまとめておけば、それをそのままhtmlにしてホームページに載せることもできます。もちろん、君たちのblogを立ち上げてそこに載せることもできます。

            ◆

私が学生の時代には考えることもできなかったことが、君たちは簡単にできます。文字を活字にすることなんて、学生には夢のまた夢でしたがそれは今では当たり前。さらに、自分の書いた文章を不特定多数の人に見てもらうこと。これは夢のまた夢のまた夢ぐらいでした。これもblogで簡単。はあ。

それを使わない手はありません。
もちろん、簡単にできることから、質の高いものでなければ見ては貰えない時代に入ったということもできるでしょう。

まあ、やる前からそんなことを考えても仕方が無い。まず、やりましょう。

ええ!と驚くかもしれませんが、やりますよ。
この楢原中学校との模擬授業は、国語科教育法2の授業の一環として時数確保しましたから、やりますとも。

それからね、こういうものは後からまとめようとしても、ダメです。できません*2 。それが証拠に、君たち、「中学校の修学旅行の感想文を今書きなさい」と言われたら書けないでしょう。5年ちょっと前のことなのに、書けないんです。文章は、その時にしか書けないものがあるのです。

この楢原中学校との模擬授業に関する文章は、今しか書けません。だから書くのです。

締め切りは、本当は早い方がいいのですが大学祭もあるので、大学祭の後にしましょう。10月26日(木)までにしましょう。

詳しい書き方は、別のプリントで示します。上手く行ったとか、失敗したとかということはあまり関係ありません。

自分の行った授業を客観的に分析して、記録することができれば、大成功です。あなたの授業の経験値を上げるために、取り組んでください。

*1 「授業の実際」が抜けるというのは、生徒指導で自習になるなどを指します。
*2 わたしもこのことは良く理解しているので、ディベート指導で半年間取り組んだ内容を、2週間かけてまとめたことがあります。今書けと言われても、絶対書けません。あのとき、書いておいて良かったとつくづく思います。
http://homepage.mac.com/ikedaosamu/debate/01kiroku.html

教科通信 『修学』(10月 5日 NO. 35)より

どっからでもかかってらっしゃい状態

教材研究は、授業を上手く成立させるためには必須の作業である。
では、教材研究がなぜ大事なのか。
最近思うのだが、いろいろと知っていれば話したくなるからではないだろうかというものだ。

知っていることを言いふらしたくなるというのは、私の属性なのか人間の属性なのか良くわからないが、人間の属性として一般化していいのではないかと思う気もする。齋藤孝さんは、たしかこんなことを「教育欲」と呼んでいたように思う。

あれこれ知っていることを、知らない人に話すのは楽しい。
一種の優越感なのかもしれない。

だが、話したくて仕方が無い、授業がしたくてしょうがないという状態で授業に臨むことは、とても大事なことである。

            ◆

ただ、もちろん授業でこれをそのままやってしまってはとんでもないことになる。
自分が調べた量をそのまま学習者に伝えたら、学習者は容量オーバーになるし、まあ、そもそも一種の自慢話だから聞く耳を持たなくなるだろう。

そこで、調べたものをもとにして、生徒に合わせて授業として構成し直すのである。調べた本人としてはとっても面白かったものでも、場合によってはその部分を授業からバッサリと切り取る。

ここの切り取り方に、授業者の経験とセンスが出るのだと思う。
優れた授業者は、授業の準備の際にバッサリと切っておき、さらに授業の展開を見ながら、ドカンと付け足したり、さらに切ったり、はたまた別の材料で展開したりということができる。

まあ、いわゆる「どっからでもかかってらっしゃい状態」であるわけだ。

            ◆

国語科教育法2では、いよいよ模擬授業を目指す。30分の模擬授業を5人のグループに課し、5人で授業案を作り、その内の一人、または二人が模擬授業を担当する。それを60分かけて検討するということになる。

学問の秋である。

2006/10/11

会議の時間の時に面倒を見てくれる人

午前中から午後までずっと高校の模擬授業の準備。
まあ、自分でも良くやるなあと思う。
50分の授業のために、何時間やっているんだ。
本を読んだ時間まで含めれば、ふう(遠くを見つめる目)。

それが今の私の仕事なんだからね。
これが幸せということだね。

            ◆

午後から2時間ほど会議。
中学では会議の時に、生徒に
「早く帰れよ」
と言いながら教室を点検して歩いていたのを思い出す。

大学では時間になったら自分の研究室の電気を消し、鍵を閉めて会議の場所に行くだけである。
凄い違いだ。なんでこれが可能なのだろうかと改めて考えてみた。

大学の場合は、授業は、非常勤講師がしてくれる。事務は事務方が回してくれる。そして、大学美化は用務員さんがしてくれ、安全は警備員さんが守ってくれるのである。ちなみに、クラブは勝手にやっている。

中学校でも会議の時間の時に面倒を見てくれる人がいるだけでも、随分と違うはずだ。授業は非常勤講師に集中してやってもらうなんてのは無理だとは思うが。

            ◆

昨日の目標の今日中に完成は、無理であった。
明日もこの課題に取り組もう。
でも、50分の授業にはならないなあ。
このぐらいの準備だと、だいたい集中講義の1日分の分量だなあf(^^;。

まったく何やっているんだか。
さ、帰ろう帰ろう。

2006/10/10

えい、起きてしまえ

早起きしてしまった。
まだ、周りは真っ暗。四時台だぜ。
でもメールをチェックしたら、赤坂先生からメールが入っている。
いやあ、みんなアーリーバーダーだな。
えい、起きてしまえ。

            ◆

Pa100044
びわ湖が美しかったなあ。
折角の早起きだったので、湖畔まで出かけて行った。

平日だというのに、日の出前のびわ湖にはブラックバスを釣る人、コイを釣る人がいて驚いたが、写真を撮りに行く私も変わらないか。
朝日はきれいだった。
思わず拝んでしまった。

            ◆

早起きした割には9時過ぎに大学に向かう。
今日は事務仕事を午前中に。
キャリア開発演習2で学生がお世話になった先生方に電話をかけて御礼を言う。まだ、御礼の手紙を出していない学生がいて、ちょっと冷や汗をかく。

おーい、すぐに出すんだぞ。

それにしても、今日電話が繋がった先生方はみんな気持ちよく
「これからも何かありましたらどうぞ連絡してください」
と言ってくださった。ありがたい。そして、学生達の見る目は正しい。

学校現場にいて、最前線の教育をしている先生達は、必死に学ぼうとする学生には優しい。これからも礼儀正しくして指導を仰がせたい。

            ◆

午後からは、ずっと授業の準備。国語科教育法2と教職総合演習と。
さらに、高校でのガイダンスで行う模擬授業のもの。
今まで行っていたものと違う分野で行うので、もう一度組み立て直しである。

来年の児童教育学科で行う授業のために準備していた部分を使いながら、「こどもと言葉」の関係についての授業を組み立てる。

まだまだ出来上がっていないが、本をひっくり返しながら、アーでもないコーでもないと考えるのは楽しい時間だ。ただ、腹筋と背筋が痛くなる。

高校での授業までにはまだ一週間あるけど、明日には準備を終えたいなあ。研究費申請の書類もまだほとんど手をつけられていないし・・・。

            ◆

さて、帰るか。
んで、家に帰ってもう一仕事だな。

残念ながら、がっかり

きれいに晴れた月曜日。大学に行って仕事ダア!と思っていたら、祭日であることに気がつく。相変わらず休日の感覚はない。どうしようかと思ったのだが、折角の青空であることだし、オフと決定する。

軽く朝ご飯をすませ、びわ湖の湖西をドライブ。だんだんどこに何があるかが分かってきた。明智光秀が築城した坂本城の跡の公園や会員制のヨットクラブのようなところも見て歩いた。いやあ、びわ湖ってセレブの集まる場所だったのね。

            ◆

その後場所を移動して、とある学園祭に向かう。
芸術系の大学の学園祭は久しぶり。
一番最初は、私が高校生の時に行ったある美大のもの。
なんか、美に関するエネルギーが飛び交っていて、衝撃を受けた。

で、それを期待していたのだが、
残念ながら、がっかり。
(え? これって大学の、芸術系の大学の学園祭?)
と思うものであった。

自分が一生を捧げるものとしての「美」に対してのエネルギーが、ほとんど感じられないのだ。

それは、私が年を取ったからなのかとも思ったが、そうではなさそうであった。
年を取ったのであっても、いや、それだからこそ、そのギャップから生まれてくる美のエネルギーがあるはずなのに、それが感じられない。

こじんまりしているのだ。
深みが感じられないのだ。

            ◆

私は、非常に悲しく思いつつ大学を後にした。
いや、逃げ出したと言うのが良いかもしれない。
(ここに居続けたら、私のセンスが変な風に壊れてしまうかもしれない)
という危機感があったのだ。

うちの大学も10/21、22と学園祭である。
一日ぐらいは顔を出そうと思うが、
大丈夫だろうなあと思ったf(^^;。

2006/10/09

今年度最後のオープンキャンパス

日曜日ではあったが、大学に向かう。今年度最後のオープンキャンパスである。今年は児童教育学科の準備担当が私だけということもあり、オープンキャンパスのガイダンスはすべて私が担当している。来年は新しい先生がやってくるので、分担することになるだろう。

昨日の参加者は100名程度。で、教育とは、教師の仕事の魅力、教師に必要な力、授業をつくるとはということについて60分で話す。この4観点に京都橘大学の児童教育学科はどのように関わって行くのかということを加えて話す。

            ◆

最前列に座っていた女子高生が、非常にフレンドリーで私の話にどんどん突っ込みを入れてくる。
『先生の仕事は、クラブを持ち、強くなれば強くなるほど休みが無くなりますね』
というと、すかさず
「先生のクラブは何部だったん?」
と大阪弁で。
『え? えーとね、ディベート部と軽音楽部だったんだけど、わかる? ディベート部って』
「えー、合っていると思う!」
と後ろに100人いるのに、普通の会話であった。
まるでサクラではないかと思われてしまうぐらいのノリの良さであったf(^^;。

ガイダンスが終わったら何人かの高校生がやってきた。児童教育学科開設記念シンポジュームにも参加したと言う生徒も来てくれた。合格してくれると良いなあ。

            ◆

その後、研究室でちょっとした打ち合わせをして帰宅。
びわ湖のほとりのびわ湖大津館に散歩に出かけると、ガーデンで結婚式をしていた。

世の中は三連休の二日目であった。


好きなことを仕事にするのではなく

キッザニアという施設ができた。
子どもたちに、仕事を具体的に体験させるテーマパークである。企業がスポンサーになっている。対象は小学生低学年ぐらいであろうか。

自分の興味のある分野を捜すためのテーマパーク。『14才のハローワーク』が20代後半の女性に売れたように、やがて中学生もくるようになるのかもしれない。

            ◆

自分の好きなものを仕事にする。自分の好きなものを仕事にして良い。そんなことが許されるようになったのは、日本人の歴史の中でいつ頃からなのだろうか。

仕事の目的は、収入が一番でやりがいを得るためというのは減っているとのこと。これだって収入とかやりがいとか考えることもなく、ただ働くしかなくて働いていたというのが、歴史のほとんどだろう。

その中で、
(ああ、結構面白いな)
と思う瞬間があるのだろう。

好きなことを仕事にするのではなく、就いた仕事の中に楽しさを発見し仕事を好きになる。そういう風にして生きてきた日本人がほとんどではないだろうか。

            ◆

そうだとすると、好きなものを捜すと言う仕事観は違うのではないだろうか。自分が苦手なものは勘弁してもらって、
(まあ、この仕事なら許せるかな)
というものを捜すという仕事探し観も必要ではないだろうか。
社会が成熟しているのであれば、ますます必要になると考える。

キッザニアもそういう活用の仕方ができるのではないか。

2006/10/08

大津の初秋

一気に秋が降り注いできた感じである。
朝焼けも凄い。自宅のバルコニーからパチり。
琵琶湖も少し見えているけど分かる?

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午前中大学に行き、事務仕事を数点こなして戻ってくる。
国道1号線で大渋滞。秋のシーズンで渋滞か。

            ◆

午後は昼食後に、近くの皇子山球場に出かける。この球場は最近きれいにし直したところで、気になっていたのだ。

家を出たら、なんと目の前に虹。
琵琶湖方面にかかっている。
眼下に広がる虹なんて滅多に見ることができないなあ。
よく見ると二重になっているのが分かる。

Photo_3


秋季高校野球滋賀県大会の決勝が行われていだ。600円払って入場。7回表の攻撃中。2アウト満塁から打撃妨害で押し出しで一点というところ。久しぶりの大きな緑の芝生を見て、高校生の応援合戦を見て、いいもんだと思った。

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            ◆

このところ、天気がパッとしないのだが、それはそれなりに美しい景色を奏でてくれる。
音羽山に降り注ぐ雨は、東山魁夷の絵を思い出させる。ベランダからパチり一枚。

Pa010082

琵琶湖では、水上バイクがバク転している。

Pa010099

            ◆

そんな午後を過ごし、夕方からは浜大津に出かける。大津祭の宵宮を見るためだ。祇園祭の小型版といえるこの祭り。私は、この祭りはこの祭りで十分だと思った。

鐘や太鼓や笛のテンポは、京都より早く威勢も良い。

「PA070054.MOV」をダウンロード

大津の魚専門店で食事をして、帰宅。
たっぷり大津の初秋を堪能した一日であった。

2006/10/06

「逸題」  井伏鱒二

京都に来て初めての中秋の名月である。

二日連続の高校の模擬授業を終えて、京都で奥さんと待ち合わせ。
本当は、奈良の猿沢池まで行こうかと思ったのだが、
天気が悪そうだったので取りやめ。

烏丸あたりでいろいろと買い物をして、食事をして
烏丸通を京都駅まで夜の散歩。

そしたら、少しだけ月を見ることができた。
そうだ、そうしたらあの詩だ。

引用開始 ーーーーーーーーーー


逸題  井伏鱒二


けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ

春さん 蛸のぶつ切りをくれえ
それも塩でくれえ
酒はあついのがよい
それから枝豆を一皿

ああ 蛸のぶつ切りは臍みたいだ
われら先ず腰かけに坐りなほし
静かに酒をつぐ
枝豆から湯気が立つ

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ


引用終了 ーーーーーーーーーー

私の教え子には、全員教えているこの詩。
みんな日本のどこかで、または世界のどこかでこの月を見ているかなあ。

2006/10/05

『教育の再生をもとめて : 湊川でおこったこと』

お昼過ぎから大阪の高校で模擬授業。40分を二コマ。
40分のガイダンスは、なかなかない。
基本的に90分で作り込んである授業を刈り込んで、行う。
庭師になった気分である。

授業が始まると、
「たるい」
「眠い」
という声が聞こえてくる。
もうすでに机に突っ伏している生徒がいる。
その一方で真剣に話を聞こうとする生徒もいる。

(おーし、おいら、こういうシチュエーション燃えちゃうんだよね。
40分後には、みんな目をキラキラさせちゃうからね。覚悟しておけよ)

と思いつつ、静かに授業を始める。

            ◆

宮城教育大学の学長であった林竹二先生の著書『教育の再生をもとめて : 湊川でおこったこと』(筑摩書房 1977.11 1300円)を読んだのは、大学の2年生頃であったか。
衝撃であった。
学力のない底辺の定時制高校で林先生は、笑顔を絶やすこと無く訥々と授業を進める。

すると、机に突っ伏していた生徒の顔が輝き、あろうことか数回の授業の後には背筋をきちんと伸ばして授業を受け、顔つきも変わっていたのだ。その間、林先生は一言も怒鳴ったりしていない。
「背筋をきちんと伸ばしなさい!」
なんても言っていない。ただ、人間とは何かについて語り続ける授業を行っていた。
授業内容が、生徒に変容を齎していたのだ。

(ちくしょう、こんな授業をしたいぜ)

あこがれであった。

            ◆

いや、別に今そこまでできるかと言えば、それは違うがそれでも、進路のガイダンスで教師を目指そうとしている生徒、または教育に少しでも興味を持っている生徒にだったら、それは可能かもしれないと思って、燃えてしまうのだ。

教師の仕事の楽しみ、辛さ、授業を作る面白さなどを具体例を入れて話すのだが、後半のワークの部分では、
「えー、なんや分からんと悔しいやん」
と言いながら生徒達は必死にワークシートに取り組んでいた。
(やった!)
である。

授業後、大阪イントネーションで「先生、ありがとう」とか「先生、もっと頑張ってね」なんて励ましの言葉まで貰ってしまったf(^^;。

ちょこっとだけ林竹二先生に追いつけたかなと思えた。

            ◆

その後、とんぼ返りで大学に戻って国語科教育法2の授業だ。
山科駅からタクシーを飛ばして、ぎりぎり間に合う。ふう。

今日から導入の5分間は学生に順番で模擬授業をさせることにしている。季節に応じた詩歌を黒板を使って説明するのだ。私が中学校の授業でやっていた「アンソロジーノート」の部分をやらせる。

5分ぐらいの説明のパッケージができないことには、50分なんて夢のまた夢である。来年度の教育実習に向けて、具体的な一歩である。

先週の課題のデジカメ写真による文学作品を載せた絵はがき作りを回収。これは、この後の授業の基礎技術になる。PCがちょっと弱いので、鍛えたい。

その後は、「学習ゲーム」の理論と実際。
なぜ学習ゲームなのか、限界はどこにあるのか、普通の授業との比較で考えるとどこに特徴があるのかなどを講じた後に、私が開発した「対義語でポン」を事例として、実際にやってみた。ちょっと時間がなかったので、ルールを理解するのに精一杯になってしまったかな。ちょっと反省。

            ◆

授業後研究室に戻り、出張の書類を整理し、明日の仕事の準備をして帰宅。
いやあ、今日も働いた。

2006/10/04

会議の水曜日

水曜日は会議の日である。
考えてみると、日本中の学校教育機関は水曜日に一斉に会議をしているのではないかと思う。いつからこんな慣習になったのであろうか。不思議であるが、調べたいとも思わないなあ。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。

で、会議だが今日は三つ。
教授会、研究費の説明会、FD委員会と午後は会議漬けであった。

大学人としての一年目ですから大学がどのような組織でどのように動いているのかを理解することが大事。その為にも会議には参加、参加である。

            ◆

しかし、そういう時に限って学生が相談にやってくる。
今日も教授会の直前まで研究室で相談を受けていた。

「○○に関する本を読みたいのですが、先生、お勧めの本はなんでしょうか?」

ということで、あれかなこれかなと本棚から本を引っ張り出し、机に並べて説明する。
竹内常一先生の本を出したら、

「先生、この人の本難しい」

との言葉。

『おいおい、私の恩師を【この人】はないだろう。君たちは、この先生の孫弟子になるんだよ。まあね、でもじっくりと読むと分かるでしょ』
「三回ぐらい読んでやっと分かりました」
『を、三回で分かれば優秀、優秀』
「先生は、何回ぐらいで分かるのですか?」
『私? まだ分かったこと無いなあf(^^;』

なんて会話をしていたら、教授会開始1分まえであった。
ま、こういう会話が楽しいんだけどね。

            ◆

やっと会議も終わり、帰宅の時間だ。
今日はもう、授業の準備はしないで帰ろう。

分からないぞ、人生は

採用試験二次試験の結果の発表が、そろそろ始まる。
私の教え子にも合格した学生がいる。
おめでとう。
で、いいんだよなと思う。
そうだ、懸命に努力を重ねて、自分の夢を目標にし、目標を現実のものにしていったのだから、おめでとうだ。

だが、これから今の教育の世界を取り巻くその荒波の中に、こぎ出して行くのかと思うと、心からおめでとうと言っていいのか、少しばかり逡巡する。

たぶん、子どもを嫁に出す親御さんというのは、そういう気分なのだろう。
結婚していく娘はめでたい顔をしている。
だけど、
(あれもまだできない、これもできていない。まだまだ子どもなのに大丈夫かしら)
と思いながら、親は娘を嫁に出すのだろう。

若いということは、よくわからないということである。
よくわからないこともわかっていないのが、若さである。
だから、大人が見ると
(だ、大丈夫か)
と思うことを、涼しい顔をしてやってのける。
若さとは、バカさでもある。だが、そのバカさが新しい時代を作るのだろう。

            ◆

残念だった学生もいる。
で、本当に残念だったのか。
分からないぞ、人生は。

私は教員採用試験一年目で高校の教師を受験して、不合格になり、大学五年生をやり、翌年中学校の教師になった。

そりゃあ、不合格の時は辛かったさ。
自分が社会から必要とされていないとの烙印を押されてしまうようなもんだから。
だけど、今は思うよ。あの経験があったからこそ、今の私があるんだとね。

マイナスの経験は、その後の生き方で大きな財産になる。
プラスの経験を重ねるより、大きくなる。
マイナス5からプラス5に行けば、絶対値で10の成長だ。
ゼロからプラス5に行く人の二倍になる。
それをかなえるための条件を手に入れたと思えば良い。

大学の学生支援課に顔を出すんだよ。
私の研究室にもいらっしゃい。
今後のことを話そう(^^)。

まだまだ先は長い。

2006/10/03

届く声

教職総合演習では、いまディベートの指導を行っている。
ディベート初心者の学生がほとんどなので、
私が修士論文で取り上げた「シナリオ方式のディベート」で指導している。
この授業を受けているのは三回生。来年教育実習に向かう学生たちだ。

この授業では、現代社会にあるさまざまな問題を、ディベートを行うことで議論を深め、認識を深めるということを扱う。 

シナリオ方式のディベートを指導してみて、おや?っと思った。
学生達の声が良くなっているのである。
前期に指導した学生達の声が良くなっているのだ。

どう良くなっているのかと言うと、一言で言えば、届く声になってきているということだ。
相手に届く前に、地面に落ちてしまう声の学生が多かったのだが、
昨日の授業を見る限りでは、ちゃんと届く声になってきている学生が増えてきている。

これは、嬉しい。
これなら、来年の教育実習までに間に合う指導ができそうである。

なぜこのように成長したのだろうか?
良く分からないが、楢原中学校への模擬授業が大きかったのだろうと思う。
声を出すことをしなければ、教師と言う仕事は始まらない。
そのことに関して具体的に理解を始めたのかもしれない。

ちょっと楽しみになってきた。

2006/10/01

映画 「フラガール」

うーんん、充実した日だった。
午前中は論文書きに没頭。
午後からは出かける。

            ◆

いくつかの買い物をした後で、映画に向かう。
今日は映画の日。
そう、楽しみにしていた「フラガール」である。
一言で言って、良い。
「UDON」とどちらを勧めるかと問われれば、わたしは迷わず「フラガール」である。

以下、ちょっとだけネタバレがあるかな。

            ◆

松雪泰子がこんなに上手かったとは思わなかった。

蒼井優も良かった。
「スイングガールズ」の上野樹里と比べると、この時点では同じぐらいだろうが、今後の可能性を考えると、蒼井優に軍配が上がるだろう。

豊川悦司、岸部一徳なども良かった。
ジェイクシマブクロの主題音楽も良かった。

泣いて笑える映画であった。

            ◆

ストーリーそのものは、プロジェクトXにも紹介されたもので有名な話。
わたしも知っている話。
だけど、映像の作り込みが良い。

炭坑の人たちが住む住居のふすまの柄なんて、
(ああ、昭和の時代はあれだったよな)
と思わせるもの。
バスも、セーターも、髪型も、眼鏡も、服も。
みんなあの時代であった。

            ◆

「運命は、逃げれば追いかけてくる。
正面から受けて、背負った時に初めて乗り越えることができる」
とは、恩師の言葉である。

閉山と言う運命の中で、逃れようとする人、受け止めようとする人、受け止めたくとも逃げ出さずにいられない人、その人たちを支えることで自分が救われる人。どの人生が正しく、どの人生が間違っているなんてことは言えない。ただ、懸命に丁寧に生きるだけだ。

            ◆

奥さんと一緒に見たが、明らかにわたしだけが泣くシーンがあった。

「ウォーターボーイズ」「スイングガールズ」にも共通するのだが、これらの映画は大きく言えば学校ものであり、先生が登場する。この映画では松雪泰子が先生なのだが、本番のステージに立つ前に、先生が言う台詞がある。この台詞が、ダメだった。まるで、合唱コンクール本番を迎える直前の私と学級の子どもたちと重なってしまった。

            ◆

ラストシーンは、想像していたものだったが、それでも心地よく終われた。
他にも解説したいところはあるが、まあ、ご覧下さい。
これは、映画館で見た方がいい映画である。

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