クリアカットの課題
先日のブログに、「それ」とか「あれ」とか書いたら、学生から
「先生、あれは何なのでしょうか?」
と質問された。
(ほう、読んでいるのね)
と思う。
『なんだと思う?』
「分かりません」
『うーん、それは良いことだ』
「え?」
『考える問が手に入ったではないか。自分で考えることだな』
◆
昨日の内田先生の話の中でも関連して出てきたが、クリアに答えを出すことには是非がある。
学生に質問されて、その質問にクリアカットで答えを提示するのは、教師として必要な力量であろう。しかし、それだけではいけないのではないかと思う。
小学生が相手であれば、小学生がきちんと理解できる答え、説明を提示することであろう。しかし、中学生以降、まして彼女らは大学生だ。クリアカットな答えは、彼女らの思考を止めてしまう可能性がある。
「池田先生がこうおっしゃったから」
と、それを100%受け止めて、知識として理解してお仕舞いにしてしまう可能性がある。それはちょうど学級で学級通信を配ると、子どもたちは読むこともなく丁寧に折って鞄に詰め込んでオシマイにする子どもがいるのと同じようなのかもしれない。
そうだとすれば、私のすべきことは学生にクリアカットな答えを出すのではなく、クリアカットの課題を提出することであろう。格闘し甲斐のある課題をだ。
ということで、「それ」と「あれ」は考えてください(^^)。
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