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2006/11/30

で、模擬授業。

午前中は、東京からのお客さん。大阪まで用事があるとのことで研究室に立ち寄ってくださった。お茶を出し、研究室前の紅葉を愛でて頂く。

午後から大阪で用事があると言うので、
『是非東福寺を見てから行ってほしい』
と話す。私も所用があったので、ついでにと東福寺近くまでCOOPER Sで送る。さすがに東福寺の周りは人が一杯である。今週末が最後だろうなあ。間に合って良かった。

Toufukuji2

写真は、東福寺の苔の上に落ちた赤と黄色の落ち葉です。


            ◆

大学に戻り昼食をとっていると、今日模擬授業の学生たちが声を掛けてくる。
「先生、指導案に印鑑が欲しいのですが」
『ん、いいよ。食事が終わったら研究室で待っているから』
と話し、研究室で待つ。

「失礼します」
『はいどうぞ。では、指導案を一部見せてください』
「はい」

と手渡されたのは、印刷する前の原稿。
『あれ、言っていなかったかな? 印刷して、製本して自分たちの判子を押してから、持って来るんだよ』
「え?」

どうやら知らなかったようだ。つまらないことではあるが、これが判子を貰うという意味だと言うことを学生たちは本気で知らない。知らなければ教える。その繰り返しだ。

印刷して製本してそれから私が判子を押すのでは、これから高校に模擬授業をしに行く私としては間に合わない。しかたがない、今回は特例とするか。

大学を出ようとしたら、野球サークルの代表の学生が、判子を貰いにきた。うーむ。出るタイミングを知っているかのようだ。ま、判子が間に合って良かった。

            ◆

高校での模擬授業を終えて、大学にとんぼ返り。
今日は高校の模擬授業のために授業の開始を30分遅らせて始めると伝えてある。でないと間に合わないからだ。学生は、その30分を使って最後の調整をするとのことだった。時間を有効に使っていると良いな。

            ◆

で、模擬授業。
いやあ、良かった。
もちろん、ここがスタートで直すところもたくさんあるのだが、たっぷりと調べ、じっくり考えて作ってあるというのが分かる授業であった。

メディアの歴史を説明する場所では、パピルスに描かれた絵の実物を持って来たり伝書鳩の写真を持ってきたり。具体的な数字を示しながら説明したり。さらに、世界の場所を示すために地球儀を持ってきたり。

その地球儀は小さかったけど、「それを持ってきてここで使う」ことができるようになっていれば、教育実習ではプロジェクターを使えば良い。まだまだ工夫は足りないが、その意気や良しである。

            ◆

今日の授業者は今までは胸式呼吸をしながら話す学生だったが、今日は腹式呼吸が入っていた。だから、声の質が落ち着きを出していて、説得力がでていた。筑田先生にご指導頂いた小浜合宿の成果が出ているのだろう。また、ディベートの授業でレッスンした「ナンバリングの時には指を出して「一点目は、」とやる」という指導の成果もこの授業で自然と出ていて、分かりやすくなっていた。

さらに、生徒役の学生からの質問や意見も的を射るようなものが出始めてきた。授業に即しての質問や意見であることを求めての検討会であるが、これができてきたのだ。ということは、授業を見る目も育ってきているということなんだろうなあ。

なんか、もっとバシバシとダメ出しをしても良いのだが、懸命にやっている彼女らであるなら、厳しい言葉等使わなくても、普通に言っても伝わるという良い学習環境ができているなあと感じている。

『うっしゃあ、じゃあ、飲みに行くか!』

ってな感じだが、まだまだ授業づくりはスタートラインに立ったところ。教育実習は、これを基本的には一人で行い、2〜3週間やるんだ。もっと大変だぞ。

そうではあるが、まず、その一歩目は今日のグループもしっかりと切れたのではないかと思うよ。最低限のことはできてきたから、教育実習ではたっくさん学べると思うよ。

お疲れさん。

2006/11/29

本当にこの一瞬だな

明日の模擬授業のための事前指導3回目を朝、一時間目の授業前に行う。学生たちに聞いてみたら、今日は授業が詰まっていて、空いている時間は私が教授会ということだったので、ここしか時間が取れなかったからだ。

一昨日指摘した部分は、努力を重ねてきている。
今回の模擬授業はメディアに関しての評論を扱うのだが、今ひとつメディアについての理解が弱い。さらに、教科書があるから教えるという意識が強く、指導者である自分と教科書に書かれている内容との関連が希薄な感じがしたので、
「うちの大学にいるメディアの専門の先生に相談してご覧」
とアドヴァイスをするときちんと専門家の木下先生のところに伺って指導を受けてきた。

このあたりの真面目さは、本学の学生の大いに自慢していいところである。
で、その頂いた指導から授業の内容をつくり込んできたのだ。

今朝は30分程度の指導だったが、明日の本番の模擬授業に向けて、少しヴァージョンアップさせることができたかな。さあ、明日がんばれ。

            ◆

昼ご飯は、気になっていた大学の近くのラーメン屋に向かう。
京都ラーメンランキングで常に上位を占める店である。

結果は、また食べにきても良いかなというレベルであった。
どうしても聖蹟桜ヶ丘のラーメン店「きがら」の体になってしまっている私は、あの味を基準にしてしまっているから、なんとも正確な評価はできないのではあるが、まあ、良いのではないかな。

            ◆

で、午後もひたすら事務仕事を進める。
休憩でふと顔を上げるとブラインンドの向こうが光っている。
ブラインンドをこじ開けてみて見ると、なんと研究室の前のもみじが真っ盛りで、そこに午後の日差しが降り注いでいた。

慌ててカメラを持って外に出る。
ああ、燈台もと暗しである。

ブラインンドを開け、窓を拭き、部屋と廊下の電気を消してじっくりとその光景を目に収める。光に揺れる木々と、木々の先端で揺れる一枚一枚の花びらのような葉。

Omomiji1


写真を撮っていたら、
「先生!」
と校舎の二階から声をかけられた。少し授業が早く終わった学生だ。今朝、模擬授業の指導案の指導をした学生だ。

ほげーっとこの美しさに見とれている顔を見られてしまったかもしれないが、それはそれでいいだろう。先生を発見して声を掛けてくるなんて、そのあたたかさの方が、この景色には合う。

            ◆

昨日、一昨日は天気が悪く、明日あさっては、この時間は出張でいない。一番の盛りの美しさをこの一瞬に見せてくれたんだなあと思う。来年はこの研究室ではなく、新しい研究室に移るし、本当にこの一瞬だなと思った。

学生諸君、もし、明日が晴れていたら3限と4限の間ぐらいに、私の研究室の前に来てご覧。すばらしいもみじを見ることができるでしょう。新聞紙を持って、お茶を持って、学内で紅葉狩りができます。

BGMはなぜか、小野リサが合ったりします。ipod持っている人は挑戦してみてね。

            ◆

教授会が終わって研究室に戻ると、ブラインドを開けっ放しであって外から丸見えであった。
一階てそういうことなのね。

でも、音羽山の上に出ている半月を愛でることもできた。
なんか、やっぱり京都だよなあ。
風流かもしれない。

東福寺

朝一番で、東福寺に向かう。
この時期だけ8:30から開いているのだ。

私はここで
「すごい」
「はあ」
「なんだこりゃ」
を何回言っただろう。

ここまでする必要があるのだろうかと思う紅葉であった。
一日中体が火照る思いであった。

はあ。

Toufukuji

2006/11/27

ライトアップされた紅葉

夕方からライトアップされた紅葉を見に行った。
平安時代の歌人たちがいかに紅葉を愛でていたとしても、このライトアップされた紅葉を楽しむことはできなかったであろう。(それとも篝火などでやっていたのかな?)

家の玄関で奥さんと待ち合わせして、一路西教寺へと向かう。
なぜか夜のライトアップのときは、無料になる。
今日は日曜日、しかも雨。
人の数は少ないと見た。

             ◆

これが凄い。
もみじを楽しむつもりで行ったし、もみじも凄かったのだが、圧巻は銀杏。

もともと日本では紅葉は黄葉と書いてあることが多かったそうだ。万葉の時代は黄葉が主で、紅葉という赤が認められたのは平安時代になってからのことだという話を読んだことがある。

降りしきる雨ということで、風も吹いていた。それをライトアップしているのである。妖艶という言葉が浮かんでくる。また、精霊とか鎮守とかいう言葉も浮かんできた。

しばし見とれる。
見とれつつ、銀杏の大木と呼吸を交換してみた。
彼の吐き出す酸素を私が吸い、私の吐き出す二酸化炭素を彼が吸いということをイメージしつつ見とれていた。

あべたかさんは、私が大津に住むことでますますバイオエネルギーが充満しているとブログで書かれていたが、確かにそうかもしれない。

Photo_4

            ◆

人は年を取ると、二つに分かれるそうである。
ある人は自然の中に、ある人は人の中に、姿を隠すそうだ。
私はどちらなのだろうかと思う。

今のところ、欲張りな私は「どっちも」というのを選びたいとは思っている。

2006/11/26

火曜日には発送できるかな

ふう、今週末の校内研修会の資料ができたぞ。
あとは、この資料を元に先生方のテキストを作って、添付資料と実物資料を揃えて、
学校に送るだけだ。

となれば、あと一日あればできるだろう。
火曜日には発送できるかな?

            ◆

研究室を出て校舎を見たら、まだ煌煌と明かりがついていた。
今日は河合塾の模擬試験が行われているんだった。
一日中模擬試験か、これも大変だな。

外は雨だが、こういう日こそ地元のライトアップの紅葉を見に行こう。

ほら、怖いおじちゃんが見ているから

小さい子どもを怒る時に、してはいけない方法がある。
「ほら、怖いおじちゃんが見ているから、止めましょうね」
といって悪さをしている子どもを叱る方法である。

これの何が悪いかと言えば、悪さをしている行為そのものを怒っているのではなく、人のせいにして怒っているところが問題である。悪さをしている子どもが悪いというのではなく、おじちゃんが怒っているから止めなさいという外圧で行為を止めさせる方法である。

これだと、子どもは「自分は悪くないけど、周りが文句を言うから止める」ということを覚えて行く。

            ◆

ところが、子どもどころの騒ぎではないことになっている。
今日は来週末の広島の学校で行う校内研修会の準備を研究室でしている。休憩のときに何気なくネットのニュースを見ていたら、出ていた。

引用開始 ーーーーーーーーーー

禁煙徹底、全入学者に「誓約書」…中部学院大・短大

 岐阜県関市にある中部学院大学と同短期大学部は、来年度の入学者全員に構内や周辺での「禁煙誓約書」を提出させることを決めた。

 学校の敷地内や駐車場に加え、付近の幼稚園や養護学校などに配慮し、周辺100メートルの範囲も禁煙対象地区に指定し、禁煙を徹底させる。文部科学省の研究班によると、名古屋市の名古屋女子大が2004年春から学生に誓約書を取っているが、男女共学の大学では聞いたことがないという。

 中部学院大は現在、人間福祉学部が設置され、福祉や幼児教育に力を入れている。学生の主な就職先の福祉施設や幼稚園などは、喫煙者の採用を見送るケースがあり、今年4月から構内を完全禁煙にした。たばこの自動販売機もなくし、教職員も全員禁煙とした。

 禁煙誓約書はA4判で、来春の入試後、受験番号、学部、学科、名前、印鑑、生年月日を記入し、入学予定者は入学手続きの書類とともに郵送する。

 罰則があるわけではないが、「誓約書を書かせることで、徐々に喫煙者を減らしていく」としている。
(2006年11月22日3時6分 読売新聞)

引用終了 ーーーーーーーーーー
引用開始 ーーーーーーーーーー

教師の卵、禁煙 兵教大が来春から学内全面で
2006/11/25

学内禁煙を訴える張り紙を見る学生ら=加東市下久米、兵庫教育大学

 兵庫教育大学(加東市下久米)は、来年四月からキャンパス内を全面禁煙にすることを、二十四日までに決めた。「教師の卵が自ら禁煙しないと、子どもに禁煙指導はできない」との信念からで、同大によると「県内の国公立大では初めてでは」という。喫煙者の教職員、学生には「ニコチンパッチ」を提供して禁煙をサポートするなど、実施に向けた取り組みを本格化させる。(金井恒幸)

 兵教大は学部生、大学院生を含め約千五百人の学生と、教職員二百八十人が所属する。

 受動喫煙防止の観点などから、同大は二〇〇三年十月、喫煙を指定の場所に限定。しかし、喫煙者がなくならないため、たばこの害を説いた著書のある勝野眞吾副学長が委員長を務める「キャンパス環境・安全委員会」が今年三月、全面禁煙の方針を決めた。

 四月に、教育実習施設や付属の幼小中学校がある「山国地区」を全面禁煙。十月には、嬉野台キャンパス敷地内と建物一階を禁煙し、建物二階以上の指定場所でしか喫煙ができなくなった。

 「強制ではなく、禁煙の重要性を納得してほしい」と、今月二十二日には、全国で「大学禁煙化プロジェクト」を進める奈良女子大の高橋裕子教授を招いた講演会を開催。来年一月からは喫煙者を集めて計三回、ニコチンパッチを試す「禁煙教室」を開き、たばこ愛好者を減らす方針だ。

 兵教大はキャンパスに隣接して学生や職員の宿舎があるが、「生活空間なので(禁煙しろとは)言えない」(同大)と当面は静観する意向。喫煙者のある男子学生は「宿舎では吸えるので、学内では我慢します」と話していた。
( 2006/11/25 神戸新聞)

引用終了 ーーーーーーーーーー

そりゃあね、これから教職を目指すのであればタバコは止めた方が良い。学校に吸う場所はないし、健康にも良くないことが圧倒的であるから。

だけど、これじゃあ、「怖いおじちゃんがいるから、やめましょうね」というのと変わらないじゃないか。

私はタバコの匂いが嫌いで、吸わない。だけど、煙草を吸う人が吸いたいというのであれば、場所を設けて喫煙するのは構わないと思っている。

うちの大学の構内でも、指定の場所で吸っている学生を見つけると私は叱るようにしている。折角毎日用務の人たちが大学をきれいに磨き挙げてくれているのに、平気でタバコの吸い殻や灰を落とすような輩は許せない。だが、所定の場所で吸うのであればそこからタバコの匂いが漂ってきても、我慢せねばならないと思っている。そういうもんだと思う。

            ◆

だが、学校は子どものためという大義名分でタバコが吸えなくなってきている。
これはおかしいと思っている。
そんな論理が通るのなら、
「子どもが真似すると危ないから車は乗るな、酒は飲むな、結婚するな、夜遊びするな、パチンコするな・・・」となってしまうぞ。

「大人と子どもは違う」なんでこれが言えないかねえ。
そして、「大人と子どもは違う」と大学生は自らの意志で行動できないかねえ。

2006/11/25

こっちは、オールスターです

久しぶりに家にいる週末。この一ヶ月以上は週末に家にいなかったというのは、我ながら凄い。特にこの数週間は、外に泊まっていた。

しかし、御陰さまで体は順調。秋の花粉症も治まり、風邪を引くこともなく肉体的な疲れが多少ある程度で過ごしている。なんでも美味しく食べることができるように育ててくれた親に感謝だな。

            ◆

で、午前中はゆっくりと家で過ごし午後から大学へ。
送ったつもりの原稿が送れていなくて、メールアドレスを確認するために出かける。
そして、その後は野球観戦。

なんのことはない。私が顧問をすることになった学内の新しい野球サークルの初試合があったのだ。やっている野球場がどこにあるのかちょっと分からずにうろうろして、やっと探せた。

最終回の攻防だけ見ることができたのだが、得点シーンも見ることができ、守りきって一点差で初勝利を得ることができた。

相手は立命館の野球サークルで、ユニフォームもバッチリであった。
一方、こちらはバラバラのユニフォーム。高校時代に来ていたユニフォームである。
「こっちは、オールスターです」
と学生は明るく言っていたが、その言い方が良いねえ。確かに、全国から集まってきている学生たちだ。オールスターズだ。

            ◆

試合後、一気にグランド整備をする。
それもこちらのチームだけで、細かい指示などないのにタッタカと整備していた。
高校時代にかなりやっていたんだろう。見ていても気持ちがいい。

このサークルにいる学生たちを見ていると、教職を選んでいる学生も多い。この中から中高の野球部の監督になったり、中には甲子園を目指す監督も出て来るのかもしれないなあと思った。

そんなことを思えるのも共学になった大学での楽しみの一つだ。

            ◆

試合後、研究室に戻って仕事。
来週の広島のことをつらつらと考える。
少し、構想がまとまったかな。

さて、たまには早く家に帰りますか。
久しぶりに我が家の週末ですから。

訓読みと音読み

春夏秋冬
春夏秋冬

字面は同じだが、違う。
もちろん、「はるなつあきふゆ」と「シュンカシュウトウ」である。
京都の春と秋という二つのシーズンを体験して思うことは、訓読みと音読みの二つがあって良かったなあということである。

なんというか、一つの読み方では表しきれないものがここにあるということなのだ。一つの読み方だけでは、言いきれずもどかしく感じてしまうものが、もう一つの読み方がある御陰で救い取れるという思いがする。

訓読みと音読みで、そんな風に感じるなんて思っても見なかった。

2006/11/24

23日は会議で目黒にいた

それでもって、23日は会議で目黒にいた。何の会議かは今はここに書けない。ただ、プロジェクトのボスに聞いてみたら、文章に残さなければ良いとのこと。何の会議か気になる人は、会った時に聞いてね。

その会議にはすっごいメンバーが集まっている。
その内の一人に北川達夫さんがいる。もちろん、今話題のフィンランドメソッドの北川さんだ。

メールでのやりとりはこの会議のメンバーでやっているのだが、北川さんと直接お会いするのは初めて。4時間半に渡る熱い会議をやり通し、会議の後、目黒のいつもの場所でお酒を飲みながらたっぷりとお話をした。

あれやこれやと話題は飛んだが、初対面とは思えないぐらい楽しく話は進む。京都の中学校の授業にも関わっていることや、東京の住まいが私の東京の家の隣の駅だったことがあったり、さらにいろいろと繋がりがあることを発見。いやあ、びっくり。

学生たちよ、喜べ。
北川さんが京都に来る時に、大学で授業をして頂くことを約束してもらったぞ。

楽しく飲んで楽しく学ぶ。
あれ、逆か?
ま、いい。

            ◆

翌日は(そう、今日ね)、朝風呂を浴びる。

昨日たくさん楽しく飲んで、久しぶりにマジカルミステリーツアーをしてしまった。大井町のホテルを予約しておいたのだが、大井町が山手線にあると思い込んでいた私は、乗っても乗っても大井町に着かないので、
(ありゃ、反対に乗ったか?)
と反対側に乗り換えて、それでも着かないので
(うーむ、品川から3分で着くとあったが、ここはどこだ?)
を繰り返していた。

何のことはない、大井町駅は京浜東北線でした。
終電ギリギリの京浜東北線に乗ることはできたが、風呂の時間は終了。
それで夜の風呂は諦めて、朝風呂にしたのである。

            ◆

これが凄かった。
東には東京湾を望み、西には富士山を望むのである。
東京湾には羽田に離発着する飛行機が見え、富士山はきれいに雪景色をしているのである。

それを見ながら、昨日の会議とその後の食事会を思い出していた。
(いやあ、勉強になった。このプロジェクトに参加できて良かったなあ)
心から思い、風呂に浸かっていた。

            ◆

新幹線に飛び乗り、京都にとんぼ返り。
午後からは南禅寺の近くの高校で模擬授業があるからだ。

で、南禅寺も通ることになる。
すっごい、人。
すっっっっっごい、紅葉であった。

模擬授業後、高校の先生が
「この廊下の窓から、永観堂の紅葉を見ることができます」
と教えてくださったので、見る。

すっっっっっごい、紅葉であった。

            ◆

その後、とあるところに出かけて行き、ちょっと研究モードに突入。
糸井先生、あべたか先生から始まって、東京での会議、紅葉と触れることで高まっている知的興奮を使わない手はない。

ふう、充実した時間だった。

さて、次は来週の広島の学校の校内研修会の資料作りだ。
牡蠣よ、待っていろ!

紅葉狩り

11/23

ということで、東京に向かう新幹線を待っているところである。
今日は午後から集中して会議である。
予定していた新幹線に乗ろうと思ったら、新幹線のホームに至る改札口が混みすぎていて、一本次の新幹線になってしまった。こういうときに限って次の新幹線のぞみ号は20分も待つ。

それにしてもすっごい人だ。
まあ、この祭日を含んだ週末が京都の紅葉のドンピシャのタイミングではある。一斉に目指して来るのは分かるが、ちょっとずらした方がいいんじゃないの。兼好法師も「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」って言っているじゃないの。

            ◆

新幹線の窓越しに見る滋賀の風景は、なかなか見事である。
低い山が全体が紅葉している。それが次から次へとつづくのである。

ちょっとずらすだけで、全然違う環境で同じようなものを見ることができるのに。
京都の紅葉を楽しみに行く人は、紅葉とか京都の紅葉を楽しみに行くのではなく、
京都の紅葉を見に行く自分を大事にしたい人が多いのではないだろうかと思う。

            ◆

私がいま住まいする西大津近辺は、比叡山の東側にある。この比叡山の西側は京都の東山あたりになる。つまり、南禅寺とか銀閣寺とかがあるあたりだ。だから、紅葉を見に来る人たちで大渋滞、大混雑している場所である。

ところが、この西大津近辺の皇子山公園は、紅葉の見事さは京都のそれに遜色ないのに、人が本当に少ない。朝の時間などは皇子山公園の紅葉を独り占めすることもできる。実に贅沢な時間を過ごすことができる。

もちろん、人ごみの中でわさわさしならが紅葉を見るのが本当の紅葉狩りだと思っている人には、何をとやかく言うこともない。人それぞれの楽しみ方があるわけだから、それはそれでいい。

しかし、私は一人か二人。または、自分たちのグループだけで味わうのが好きだ。
日常生活の贅沢ってそういうことだと思う。

            ◆

ま、ただ一つだけキチンと言っておけば、京都の紅葉は見事である。
恐ろしい美しさを持っています。サクラと同じです。

そして、もう一つ情報を付け加えておけば、滋賀西大津の紅葉は午前中と夜のライトアップがよろしい。(滋賀のライトアップ紅葉は無料のところが多いのです)そして、京都の紅葉は午後がよろしい。午前と午後の違いは、太陽光線の当たり具合の関係です。

「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」ではありますが、
京都滋賀の紅葉は、今週末がピークの中のピークですよ。

そして、私は東京で会議だ。

スポイトも作れなければダメなのだ

糸井先生のことを知らない小学校の教員はもぐりだと思う。
忙しい先生の、少なくとも三人分ぐらいの仕事を淡々とされて、いる。
そして、それは多くの挑戦を含んだものである。

斎藤喜博の『授業入門』(国土社)には、授業作りの話の中で湯川秀樹博士の文章の、次の部分を引用している。

引用開始 ーーーーーーーーーー

未知の世界を探求する人々は、地図を持たない旅行者である。地図は探求の結果としてできるものである。

引用終了 ーーーーーーーーーー(「旅人」)

糸井先生は、まさにこれだなあと思う。

「演劇で算数」に取り組んで、今日の授業は一つの「旅」のゴールを見せて頂いたと思った。これから地図を作る作業に入るのだろう。そして、その地図を元に若者は新たな旅に出るのだろう。

授業の詳しいところは、あべたかさんのブログに見事にまとめられています。

            ◆

昨日の宇治市立平盛小学校の校内研修会は、あべたか先生によるIT講座。プロジェクターの活用方法と、私のコミュニケーション向上に関する方略という二本立てで事後検討会が行われた。

もちろん、当日の授業は糸井先生の「演劇で算数」というものがあり、この検討をするのだが糸井先生はこの研究授業を支えている、プロジェクターの活用と、コミュニケーションということについて研修を深めることが大事だということで、あべたかさんと私の出番になったのだ。

            ◆

あべたかさんのプロジェクター講座は、それは分かりやすくて見事であった。
あまりにも簡単に使っているので、みんなもホイホイとできてしまうのではという錯覚を与えてしまうぐらいの凄さだった。

本人は簡単に使えると話されているし、その通りなのだが、前提条件が問題になるなと私は思った。糸井先生もこれを話していた。つまり、

「プロジェクターを使って授業ができる先生は、チョーク一本で行う授業も上手い」

ということである。プロジェクターがあれば授業が上手くなるというのではない。授業の上手い先生が、プロジェクターによってさらに上手くなるというのが正しいのではないかと思う。

            ◆

今大変なことになっているムツゴロウさんの著作は、私の青年時代の愛読書であった。その中に、「私が大学院時代には、ガラス管からスポイトを作ったりするところから実験をさせられた」という記述があった。

それはスポイトを買う予算がないからではなく、「スポイトがないから実験ができないというのではダメで、何処に行っても実験ができるようになっていなければ研究はできない。だから、スポイトも作れなければダメなのだ」という教官の考えに基づくものであった。

私は今改めてこのことを思い出している。

            ◆

プロジェクターを使える先生は、プロジェクターを使う前にさまざまな工夫をしてきている。あべたかさんも、糸井さんも資料を提示するのに一枚500円のカラーコピーを使ったり、その前は一枚1000円でカラー写真を焼いて授業の資料に使ってきている。それだから、プロジェクターが使いこなせるのだということだ。

私レベルであっても、高校時代から自分でフィルムをつめて現像して焼き付けまでやってきたことが、今のデジカメを使うのにも生きてきていると思うのだ。

だから、私は大学では学生にプロジェクターの使い方を、今のところは授業作りのツールとして教えることは考えていない。
「プロジェクターがないから、授業ができない」
なんてことにはしたくない。
「大丈夫。黒板とチョークと辞書があるじゃない。あとは、何とかなる。いや、なんとかして授業をつくろう」
という教師を育てることが先だと思っている。

            ◆

大切なことに気づかせて頂いた糸井先生と阿部先生に感謝。

2006/11/21

本日は、推薦入試日

本日は、推薦入試日。
晩秋のキャンパスは一気に紅葉も深まり、この秋、一番きれいな日となったかもしれない。その景色をちょこっと見て、私は試験監督をして、採点に突入である。

試験監督をしていたら、私が行った児童教育学科のガイダンスの時に参加していた生徒がいるのに気がついた。向こうも気がついたらしく
「あっ!」
と小さく叫んでいたが、まさか試験会場でその生徒だけに
「頑張れよ!」
ということもできませんので、笑顔で挨拶するのみ。
まだ名前も知らんが、合格すると良いなあ。

試験監督をしながら、
(この中から私の授業を受ける学生が生まれるんだなあ)
と思っていたら、なんと授業に関するアイディアが湧き出してきた。
休み時間に慌ててメモしまくる。

やっぱり私は、目の前に学生がいる方がアイディアは浮かんでくるようだ。さあ、面白いことになりそうだ。

            ◆

明日は糸井先生@平盛小学校での研究授業に参観。福島からあべたか先生も来るし、楽しみだ。

私の分担はコミュニケーション指導に関するところ。どうしようかと思っていたのだが、方針がまとまった。シンプルなものにしよう。25分の持ち時間である。これから教材を作るぞ。

そうすれば、明日の午前中は、明日締め切りの原稿の修正に時間が取れるはずだ。怒濤の11月もあと1/3でお仕舞い。はあ、もう一年が過ぎて行くのねえ。

これを充実していると言うのだろうなあ(^^)。
感謝感謝。

2006/11/20

多分全部

教職総合演習の授業では、本格的なディベートの試合に入った。ディベート甲子園の高校のフォーマットを採用して、今回は「死刑制度を廃止すべきである。是か非か」での試合である。

今日は二試合やる予定であった。が、その一試合目が非常に良い試合であった。
大学ではシナリオ方式のディベート、さらに改良シナリオ方式のディベートとマイクロディベートで指導して、立論の作り方反駁のやり方はさっとしか指導せずに試合に挑ませたのだが、想像以上に良い試合であった。

これは、指導者がいいのか、学生がいいのか、指導方法がいいのかわからないが、多分全部であろうf(^^;。

            ◆

二試合目を予定していた学生にジャッジをさせたところ、見事に肯定側と否定側が50%ずつで判定が割れた。それで、なぜ割れたのかどのような点が勝敗を決めたのか、今後何をすれば良いのかなどについて解説を詳しくした方が良いと判断して、二試合目を来週に回し丁寧に解説を加えた。

丁寧といっても、40分しか解説ができなかったが、解説が終わった後初めてディベートを学ぶ学生が、小さな声、無声音で
「おもしろ〜い」
と顔を紅潮させて呟いていたのだから、かなり彼女らには届いたと思う。

こうして学ぶことの大変さ、そしてその向こう側にある楽しさを学生に実感させてあげたい。それが、彼女らが教師になったときの自信に繋がるのだと思っている。

「大変でしょ。でもね、この大変さの向こう側に、すっごく良いものが待っているのよ」

と生徒に自信を持って言える教師になるために、今、学生である彼女らに経験をさせることが大事なのだと思う。

さ、来週も楽しみだ。

2006/11/19

「学級担任論」を開講する予定

教職を目指す学生が100人宿泊で集まる。
スタッフも入れると130人という規模だそうだ。
まあ、凄いねえ。

会場は、大阪の国際ユースホステル。

音に聞く高師の浜のあだ波はかけじや袖のぬれもこそすれ

百人一首の歌の舞台になった高師浜のすぐ近くである。
こんなところでご縁があるとは。

            ◆

私はオープニングの講座と学級経営講座を担当した。
担任の仕事は、採用試験に受かって教師になったら必ず受け持つ部分である。校長にならない教諭はいるが、担任を持たない教諭は、まずいないだろう。

にもかかわらず、教員養成大学には学級担任の仕事を教える授業がない。
今回参加した学生たちに聞いてみると、やはりそれぞれの大学には担任の仕事を教える授業はないとのことである。これはおかしいと私は何回も言ってきた。由々しき問題である。

掃除の指導、遅刻の指導、忘れ物の指導、いじめの指導、学級レクの指導、通信簿の書き方、学級通信の書き方、行事作文の指導、学活の仕方、班編成、席替えの仕方などなどざっと書き上げただけでも担任が指導しなければならない項目は出てくる。

これを学ぶことなく学校現場に出て行くなんて、今の時代にするなんて、丸腰で最前線に送り込まれるようなものだと思う。

確かに大学は学問の場であり、それはそれで極めて重要なものである。
しかし、教育の場でもある。

確かに担任論は、担任学にするのはまだ難しいかもしれない。学問ではないものを大学で扱うのは難しいのかもしれない。しかし、それは学校で担任をしようとしている先生の卵には関係ないことである。少なくとも私の講座に参加していた先生の卵たちは、学級担任の仕事を学ぶ講座を欲していた。

大学で教えるべきである。
私の大学では、再来年「学級担任論」を開講する予定である。
一つの挑戦をするつもりだ。

            ◆

今回の学級担任の仕事の講座は、50分。これを3回行った。
前半30分で話して後半20分に質問に答えようと思っていたのだが、50分話つづけてしまったf(^^;。

再来年やる予定の私の学級担任論の授業でも、前期15回で扱う内容であるから、それを50分でやるなんてのは無理なのは分かっているんだけど、折角だから目次項目としてだけでも説明してあげたいなと思ってやった。

            ◆

ユースホステルと言うこともあり、夜遅くまで会場で飲み明かすと言うことはできなかったが、就寝の時間が過ぎても各部屋で熱く教育について語り合っている大学生がたくさんいた。
(日本の教育に少し、風穴が空くといいな)
と思いながら、私は部屋に戻った。

そして講師の先生たちと、あやしい話をしながら気持ちのよい夜を過ごしたのでした。
この企画5年つづけると結構良い感じになるんじゃないかな。

ここから巣立った教師が学校現場で実力をつけて、ここで講師を務める。
いいんじゃないの。

そして、授業づくりネットワークの関西青年教師塾とも繋がり狩りを作りつつ、やっていけたらいいんじゃないかなあ。

楽しみ楽しみ。

2006/11/17

読書へのアニマシオンと二種類の読み方

本日の2時間目は、慶応大学付属普通部の鈴木先生による「読書へのアニマシオン」の特別授業。先生が、研修で京都にいらっしゃると言う情報を得て、午後の立命館小学校で行う前に、是非にとお願いして私の指導する学生に授業をして頂いた。

90分の授業時間のうち、30分が読書へのアニマシオンの哲学、歴史、原則などのお話。そして、残りの60分で三つのアニマシオンの作戦(プログラムのことを作戦と言います)をして頂いた。

私も前期の国語科教育法1の授業で、詩を使ったアニマシオンは学生に体験させていた。それは「物語バラバラ事件」である。今日は、それとは違う3つの作戦を、スペインのモンセラサット氏が開発した75の作戦から選んでやっていただく。

            ◆

鈴木先生の物静かな語り口で、授業は進む。物静かな語り口が授業の熱さを引き出すという見事なもの。これがなかなかできない授業者が多い。感動的なものを話す時、読む時、自分が感動的に読んではダメなのだと言うことが分かっていないのである。感動で感動を与えるというのは、一つの方法だが、淡々とした行為で感動を与えるという方法もあるのだ。

読むということは、自らの最もシンプルな解釈を伝えると言う行為である。聞き手が解釈のままならない子どもであれば、話し手はその自らの解釈を子どもに伝えることが大事である。そうして、子どもたちは解釈を読み手の解釈、読み手の演出を元にして手に入れて行く。

しかし、子どもたちが解釈を自らするようになった時(そのように指導をしているわけだから、そうなっていくはずだ)、まだ自らの解釈を伝えるような読み方では、子どもたちは「引いて」しまう。自分との読み(解釈)のズレが心地よくないのだ。ひどい場合には「子ども扱いされている」「馬鹿にされている」のように感じるのである。

            ◆

読み方には、大きく2種類あると思っている。解釈を前面に出した「物語読み(朗読読み)」と、文章を極めてプレーンに、解釈を押さえて読む「テキスト読み(音訳)」がである。教師はこのどちらもができなければならない。

昨日の模擬授業に向かう時に、きときと君にやっとこのことを説明することができたわけだが、今日の鈴木先生の授業を拝見していると、まさにこの2種類の使い分けが見事なのである。

その使い分けの心地よさの中に包まれて、学習者は自らの解釈を求めて学びを深めて行くのだと思う。

もちろん「読書へのアニマシオン」そのものも学生に大好評であったが、私は改めて「声」「語り」について再確認させて頂いた。鈴木先生、ありがとうございました。また、機会がありましたらよろしくお願いいたします。美味しいものを用意してお待ちしておりますf(^^;。

            ◆

さて、明日あさっては大阪で関西の100人の教職を希望する学生たちに授業だ。
準備は後少しで終わる。
良い出会いがありますように。

授業づくりの世界へようこそ

で、学生の模擬授業はどうであったか。
結論から言うと、一回目にしてはかなり授業になっていたと思われる。

今回の授業は

1)5人グループになる。
2)グループでし指導案を書く。
3)授業者はそのうちの1〜2人とする。
4)事前の指導を、授業の最低3日前にグループで受ける。
5)授業の範囲は、中学生の教科書とする。
6)授業の内容は、韻文、散文、古典から一つ選ぶ。
7)単元の中で1時間を本時に選び、本時の中の30分を行う。

というものである。
今日の学生たちは俳句の授業であった。

            ◆

なぜ上手く行ったのかと言えば、これは学生が丁寧に学んだからということが大きい。私もそれなりに指導を重ねて来たが、その指導にきちんとついてきたのである。

3分のスピーチ、3分の模擬授業などをさせてきて、公式な場で話すと言うこと、授業をつくると言うことを少し体験させてきた。授業のビデオを見せながら学習指導案の書き方は教えてきた。これを格闘しながら自分のものにしてきた。

さらに、夏の「授業づくりネットワーク」の大会にも積極的に参加し、佐内先生の俳句の講座にも参加していた学生である。そこで学んだことも使っていた。

また、模擬授業の前に一回は指導を受けることにしていたのだが、4回受けにきた、その上、学内の古典や言葉の先生ののところに出向いて行って、指導を受けている。つまり、彼女らなりに教材研究を丁寧にやっていることが分かる授業であったのだ。

それが「かなり授業になっていた」という中身である。

            ◆

もちろん、まだまだ、プロの教師としての授業には程遠い。
きちんと授業を受けようとしている大学生を生徒役にしての授業である。

きれいに整地され芝生の生えているグラウンドでサッカーをしているようなものである。
石ころや水たまりだらけのグラウンドで、その石や水たまりを活かしながら
サッカーができるようになるのが、学校で生徒を相手に授業をすると言うことである。

ではあるが、今日の授業の最後に、
「今日は、小さく自信を持って良いことを許可する」
と伝えた。

授業づくりの世界へようこそ、ってことだな。
来週も楽しみだ。

昼休。一息入れよう。

午前中から20日締め切りの仕事に没頭する。
昼休。一息入れよう。

今まで依頼された仕事の中では、かなり大きな仕事なので何回も気合いを入れ直して取り組んでいる。いや、その他の仕事に手を抜いていると言うわけではないのだが、この20日締め切りの仕事は、私にとって未知の領域なのだ。

ひげを剃り、ネクタイを締め、仕事着に着替えてと一連の身支度をしながらあれこれと構想を練る。どうも私は何かをしながらの方がアイディアが浮かぶタイプなので、あれこれしている。

かつて夏目漱石は『我が輩は猫である』の中で自らのことを
「我が輩の主人の仕事は鼻毛を抜いて原稿用紙に並べる仕事である」
と猫に言わせたが、この鼻毛を抜くという作業が、アイディアを探り醗酵させている時間であると理解したのは、仕事を始めるようになる前後であろうか。

            ◆

で、このアイディア出しと醗酵のための作業が、人様から見られると遊んでいるように思われることがある。ま、遊んでいるのかもしれないが、遊びが目的ではなくてあくまでも仕事の一部なのである。ちょうど筆で文章を書くためには墨を摺らなければならないのと同じ。

ただ、今は筆であっても墨汁で書いたり筆ペンんで書くことが一般的になってきているので、この前段階があまり重視されていないのかもしれない。

            ◆

もちろん、一部のビジネス書等にはこの前段階等せずに、一気に集中して一気に始めることが仕事をてきぱきとさせるためには大事なのだということを述べているものもある。

だが、それは違う。一気に行く人は日頃からあらゆる場面で前段階のことをしているのだ。あるものが次のあるものの前段階になるように仕事をしているのである。私もこの一気にタイプでやる仕事もあるのでわかる。しかし、もう一方できちんと前段階を押さえてやるタイプの仕事もあるということだ。

            ◆

家本先生は、教師は勤務時間中にパチンコ屋に行くこともあると言っていた。そりゃあそうでしょ。給食費を払ってくれない親が日中パチンコ屋で多摩を打っている時に、いきなり話しかけるのも大変で、まずは隣に座って球を打ちながら話しかけるでしょう。

パチンコで生計を立てている家だってある。そういう家庭の子どもも学校で学んでいるわけなのだから。私も同じように昼間にスーパーに買い物に行って、レジで働いているお母さんに何気なく給食費を払ってもらうように話したことがある。

そこの場面だけ見られたら、教師が仕事中にパチンコをして買い物をしてということになるが、教育は文脈で行われるものである。多くの人たちは
(ああ、何か事情があるに違いないな)
と思い見て見ぬ振りをしてくれていた。だって、そこを突っ込まれても
「ええ、このお母さんの子どもが給食費を払っていないので取り立てにきているんですよ」
なんてことは、個人情報保護法のなかったあの時代だって言える問題ではない。
「ええ、ちょっと色々とありまして」
としか言えないことなのだ.子どもを守るためにはそうするしかないのだ。

だが、
「なぜ言えないんだ」
とお門違いに追求する人がちが教育の周り、公務員の周りには増えてきている。
これが、昨日の強行採決を後押ししているのだろう。

            ◆

教育基本法は、一人の人間の人格の完成を目指すことを教育の目的として掲げているが、「改正」では国に役立つ人間の育成を目的としている。愛国心についていうのであれば、現状でもきちんとそのことは第一条で述べているのであり、今回の「改正」のポイントは第二条にあるというのが、竹内常一先生らの考えであり、私もそう思う。

ちなみに、現行は

引用開始 ーーーーーーーーーー

第一条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の
形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、
自主的精神に充ちた心身とともに健康な国民の育成を期して行われなければなら
ない。

第二条(教育の方針) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において
実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、
実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と
発展に貢献するように努めなければならない。

引用終了 ーーーーーーーーーー

であり、改正案は

引用開始 ーーーーーーーーーー

(教育の目的)第一条

教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家および社会の形成者として必要な資質を備えた、心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならないこと。


(教育の目標)第二条 

教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとすること。

一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体をはぐくむこと。

二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性をはぐくみ、自主および自律の精神を養うとともに、職業および生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

引用終了 ーーーーーーーーーー

となっている。もうちょっと言うと、改正第一条には「資質」と言う言葉があるが、これは生まれつきに備えているものであり、教育との関係はよくわからない。で、第二条ではこれ以外のものは学校教育のみならず、教育という名のつく行為においては日本では認めないということなのである。

それを強行採決で良いのか?
そんな教育の目的で良いのか?

            ◆

人にはそれぞれの仕事のスタイルがあり、それを法的とか道徳的にひどく逸脱している以外は、外野がとやかく言う必要はない。直接迷惑がかかっているわけでもないのに自らだが代表のような気分で言う必要はない。

それぞれが「言うべきこと、言えること、言えないこと、言った方が良いかもしれないこと、言ってはならないこと」の事情を抱え、生きている。

それぞれが少しずつ我慢をして、少し住みやすい世の中にすることも目的の一つとして仕事をしているのではないかなあ。

            ◆

おっと、気がついたら結構書いてしまった。
そろそろ20日締め切りの仕事に戻ろう。
トイレぐらいは行って、さあ、やるぞ。

2006/11/15

貴方の年収は、世界ではどんな感じ?

http://www.globalrichlist.com/

【やり方】

1)日本円を選び、
2)半角で年収を打ち込み、
3)「show me the money」をクリックする

すると結果が出る。
年収からすると、貴方は世界のどのぐらいのところにいるのかがわかるというのだが、
これ本当か? 

本当だと学生のバイトでも凄いことになると思うのだが。
さて、いかがでしょうか?

水曜日は会議の日

水曜日は会議の日。
たっくさんの会議を行うわけだが、一つ一つに京都橘大学をどうしたら良くできるだろうかという思いがあるように感じる。

今でも十分良い大学だと思うが、さらに良くするにはどうしたら良いかを色々なところで考えているわけだ。

それはそれで大変なことなんだけど、
その一員でいるのは、嬉しいねえ。

2006/11/14

原稿用紙で25枚か

ふう、今日は久しぶりに会議も出張も授業も大きな事務仕事もないので、研究と教育の準備に没頭することができた。

・今週末の講座の資料確定
・『児童心理』2月号の原稿
・ひまわり社の連載の11月号の原稿
・メールで相談されているディベートの研究授業へのアドヴァイス
・メールで相談されているディベートの試合へのアドヴァイス
・今週末に本学で授業をしてくださる中学校の先生の授業の準備

というものを中心にワープロを叩き続けた。
ざっと計算したら1万字を越えていた。原稿用紙で25枚か。
一段落着いたな。週に一日はこうして集中してやる研究日を作りたいものだなあ。

あとは、20日に締め切りの大きな仕事があるので、これを明日の午前中に本格的に取り組むことにしよう。

            ◆

さあ、気分を変えてこれからライトアップされた紅葉を見に行くぞ。
リフレッシュだ。

2006/11/13

学問の秋でありますように

昼休に、本学のS先生と一緒に食事をする。
大学での教育をしっかりやろうぜということで話が一致していて、会う度に面白い展開になる。こういう同僚がいるということが嬉しいなあ。

            ◆

大学の授業は、ただいま実技が集中している。国語科教育法では模擬授業、教職総合演習ではディベートということで、どちらも準備が必要なものである。この二つの授業を取っている学生は大変である。

が、このぐらいの課題を乗り越えてくれなければ、教師を目指すなんてのは言ってはいけないことだろう。食欲の秋、芸術の秋。大いに結構。しかし、学問の秋も大事だ。

今週の木曜日に模擬授業をやるグループは、今日の6時間目に研究室に揃ってやってきて最終の指導を受けた。4回ほど事前指導を受けたことになる。さて、どのような授業になるだろうか。

授業は水物だけに、準備していたものとは違うものになってしまうことがある。しかし、やりたい方向に向かってきちんと準備をして、作り込んで行くことはなんと言っても大事である。

彼女らの授業が楽しみである。

            ◆

私の方も怒濤の11月を過ごすことになっている。先週の一泊二日の土日があったが、今週の週末は東京から私立の中学校の先生がいらっしゃって、読書へのアニマシオンをしてくださる。その準備。

さらに、土日は関西の教職を目指す大学生が100人集まって、宿泊の学習会を行う。これに講師で出て行く。そして、臨時教授会や教授会。糸井先生の学校に行き、翌日は東京への出張。原稿の締め切り二つに、高校の模擬授業は二つ。高校の研修会の講師(おっとこれは12/1であった)と立て続けにやってくる。

頑張れ、オレ。

大学の授業をやりつつこれだけやれるのは、充実しているよなあと思う。たくさんの幸せな出会いがありますように。学問の秋でありますように。

Wakakusayama

写真は、生駒山に沈む夕日。奈良の若草山の山頂から撮影しました。あまりの美しさに、鹿も見とれているようです。

2006/11/12

教職キャンプ補遺

で、このキャンプに行く日の朝が大変であった。

私の愛車であったMAZDAカペラカーゴ君を楢原中学校時代の仲間に譲ることになっていたのがこの日であった。わざわざ東京から取りにきてくれるのだが、日程の関係でキャンプの当日の朝に京都に到着するバスとなっていた。

6:45には西大津に到着するスケジュールで動こうと思っていた。これならば、9:30に山科に集合でまったく問題ない。

            ◆

が、そろそろ駅に迎えに行こうかと思ったところ、メールが来た。
「彦根が通行止めのため、まだ京都駅に着いていません」
とのことであった。
しかも、バスは高速を下りたようでよくわからないところを走っているらしい。

なんとか現地を確認してもらったところ、草津市近辺らしい。でも、これから大津駅辺りを下の道で通るとなると朝の渋滞に巻き込まれる。うーむ。

そうしたら、草津パーキングエリアにいることが判明。もう一度高速道路に乗ったらしい。ならば、そこで下車してタクシーで草津駅に向かい、山科駅まで電車で来てもらうことにした。私は山科駅まで迎えに行けば良い。

これなら、渋滞を回避できる。

            ◆

山科駅についたところに、向こうも山科駅に着いたとのメール。うひょう。
車を降りると、なんとそこには筑田さんがもう到着していた。
挨拶をして、事情を話して、集合時間には来れないと思うので、直接西大津から乗り込むことを伝える。

そして、客人を乗せて私は再び西大津に戻る。
家で朝ご飯を食べて頂き、カペラ君の説明をして鍵を渡して、ちょっとだけ懐かしい話をしていたら、もう9:40。西大津駅を9:56に発車する電車に乗らなければならない。

挨拶もそこそこに駅に向かう。
最後の最後に、カペラ君に
(いままで、ありがとう)
と思いながら、ボンネットをいーこいーこしてあげた。

ホームに着いたときは
(うーん、私らしいなあ。やっぱり普通には行かないなあ)
と妙に納得していました。

しかし本当に、間に合って良かった。

教職キャンプ

充実した一泊二日であった。
小浜への教職キャンプである。

東京から御呼びしたのは筑田周一先生。もちろん、全国教室ディベート連盟の仲間だ。教師の体を作る上で大事な声。その声のレッスンについて、「論理と感情」と両方共の始動することができる現場の先生は、そうはいない。呼吸、五十音図、活舌、響き、指向性、低音などに渡って丁寧にレッスンをして頂いた。忙しい中を夜行バスで駆けつけてくださって、感謝感謝。

その後、本学の教員による講義があって、初日の学習はお仕舞い。

            ◆

夜は食事の後、小浜の、とあるお勧めの店に筑田さんと魚を楽しみに出かけた。
これが凄かった。
マトウ鯛、カワハギ、サバ、アオリイカと全部地物の刺身を出す店で、いろいろな工夫した食べ方をさせてくれるのであった。

魚好きには本当にたまらない店であった。
小浜に来るたんびに寄ることになる店であろう。

            ◆

旅館に戻ると、宴会の最中。
ま、学生たちは節度ある彼女らなので、どんちゃん騒ぎ等をすることもなく教育のことを熱く語る。本学の卒業生で教師をしている先生も駆けつけてくれて、現場の話等を楽しく聞かせてもらった。

日頃私が話していることと同じことを話すので、まるで打ち合わせをしたかのようになってしまったが、そうではなくて本当に一致したんだな。私もびっくり。

            ◆

二日目は、雹の降る中私もワークショップを一つ担当する。
模擬授業を行わせながら、授業中の生徒指導に対応するというレッスンである。
本邦初公開のワークショップであったが、結構行けるのではないかと思った。
他のところでもやってみよう。

きときと君もこの模擬授業の教師役に挑戦。まあまあの成績だったかな(^^)。
さらに、本学の副学長のレッスンがあり、充実した一泊二日を終える。

            ◆

昼食後、小浜の港まで足を運ぶ。
天候が凄かったので、車で運んでもらう。
小浜の食文化を見学し、地元の魚をゲットし帰路につく。

帰りの湖西線では、びわ湖にかかる虹を見ることができた。
うーむ、ドラマチックな幕引きであった。

さ、これを新たなステップとして、採用試験に向けて頑張れよ。
またこういうのやろうな。

2006/11/10

模擬授業の指導案

打ち合わせの一日でした。
ちょっと新しく動き出す記念日になるかもしれません。
そうなると嬉しいなあ。

            ◆

来週の国語科教育法2は、学生による模擬授業が始まる。
担当の学生が今日も相談に来た。

先週の課題が学習指導案作成であった。わたしの授業のビデオを見て、それを学習指導案に書き下ろすという方法で書かせた。最初にしてはまあまあの出来であった。それを受けて学生たちは模擬授業の指導案を作っているところだ。

これを通して授業をつくることの楽しみと辛さを同時に味わっていると思う。
これからこの連続であり、それとともに子どもに力を付け自分の力も付けて行くことになるはずだ。

木曜日からの授業が楽しみである。

            ◆

さて、明日と明後日は東京から先生を御呼びして、小浜で教職の合宿を行う。みっちりとやるぞ。そして、ついでに美味しいお魚も食べるぞ(^^)。

2006/11/09

そんな先生の笑顔を

今日は高校での模擬授業に大学での授業。さらに、授業後に学生と研究室で彼女らの相談に乗る。久しぶりに5時間ぐらい話をした。やる気のある生徒、学生と授業をするのは嬉しい時間だ。

高校生に教職のガイダンスをするときは、中学校の教育の裏の話も織り交ぜる。先生がどんな気持ちでどんな指導をしていたのかを話す。指導の種明かしを少し入れるのだ。

中学校を卒業してしばらく時間が経ち、これから大学で教育を学び教師を目指そうとする彼らには、それが新鮮に見えるようである。

悪さをした、迷惑をかけたと思っている生徒ほどそう思うようである。
こういう生徒には、先生になってほしいなあと思う。悪さをする子どもの気持ちも分かるし、教師の立場も分かる。

            ◆

私は今年からしばらく「学校教育現場」と「大学」の通訳をやりたいと思っている。が、これは今までは「子ども」と「大人社会」の通訳をやって行こうと思っていたことの別バージョンである。

ちゃんとした通訳がいないと、誤解ばかりが生まれると思っている。悪さをした生徒、迷惑をかけた生徒はこの「通訳」になれる素質を持っていると思う。

さらに、「できないことがあった」のが、「努力を重ねてできるようになった」という経験を持っていればさらに良い。「挫折」したのち、「復活」した経験があればさらにさらに良い。そんな先生の笑顔を子どもたちは待っていると思う。

高校生に、うちの学生たちに話しながら、もういちど教師の姿を考えた一日だった。

その手を隠していたか

ということで、「ネット断食」もしていた池田です。
国語科教育法を学ぶ学生に「メディア断食」を課題として出している私です。私もそれを活用してこの間、研究の方を集中してやっていていました。メール遅れた方、ごめんなさい。

             ◆

さて、未履修問題であるが、その手を隠していたかというのがでてきた。

教育再生会議は「学習指導要領が機能していないので、見直しするべきである」と言い始めている。ちょっと待て、確かに機能していない部分もあるが、そんなので良いのか。

学校基本調査(平成18年度速報版)で確認してみると、高校生の数は348万人。今回の未履修に関わった高校生は8万人。実に、2.2%でしかない。この2.2%の生徒のために、いじるか?

もちろん、この2.2%がどの層の高校生なのかと言うことも問題である。社会のリーダー層はその同世代の2〜3%いれば良いというのを何かで読んだことがあるが、まさに、この層の子どもたちであろう。だからいじるのか? では、あとの97.8%の子どもたちの現状は政策立案には関係ないのであろうか?

            ◆

と思っていたら、もう一枚カードは切られた。
大学センター試験の「活用」である。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061108-00000032-mai-pol

引用開始 ーーーーーーーーーー

<履修不足>センター試験全教科の義務化検討 文科相が考え

 伊吹文明文部科学相は8日、高校の履修単位不足問題に関連し、全ての国公立大と私大の8割が利用する大学入試センター試験について「高校の必修科目すべてで一定以上の点数があるかどうか確認するために使うべきだ」と述べ、6教科(国語、地理歴史、公民、数学、理科、外国語)すべての受験義務化を検討する考えを示した。衆院文部科学委員会で、自民党の馳浩国対副委員長の質問に答えた。
 伊吹氏は「センター試験で、世界史と日本史が同時間に行われている」と指摘し、試験科目の設定が高校生の「日本史離れ」を招いているとの見方を示した。さらに「高校は予備校ではない。(習熟度の判断を)校長の認定する卒業証書だけに任せておくのは考えなければいけない」と強調。すでに6教科すべての受験義務化を検討するよう省内に指示したことを明らかにした。
 6教科は、いずれも学習指導要領で高校の必修教科だが、センター試験で受験生にどの教科の受験を課すかは、各大学や学部の判断に任されている。来年1月に実施される07年度試験は、4年制大学で全国公立大157校と私大の8割に当たる450校が利用。6教科全てを課しているのは83校にとどまる。【竹島一登】
(毎日新聞) - 11月8日14時19分更新

引用終了 ーーーーーーーーーー

これはどこに向かう道かと言えば、高校卒業認定試験への布石となるものであろう。これを導入するために、未履修問題をこのタイミングでまず、明らかにしたのだろう。

では、なぜ高校卒業認定試験なのか? これは、労働力不足であろう。つまり、この高校卒業認定試験をパスし、日本語が話せるという条件で外国人労働者を受け入れるという青写真があると聞いたことがある。明らかな労働力不足が見込まれる日本で、質の高い外国人労働力を確保するための一つの方法なのだろう。

確かに、フィリピンでは医者が看護婦の免許状を取り直してアメリカに就職して行くという。医者では就職がないが、看護婦なら、しかも本国では医者の免許をもっている看護婦が安く雇えるというアメリカの都合で就職できるという。この流れが日本に来る。

すると、明らかに若者の二極化が進む。仕事を持つことができない若者が更に増えるだろう。そして、この層への政策は考えられていない。自己責任があるだけである。

            ◆

そして、教員にはこの高校卒業認定試験の流れを受けて、二つ考えられる.一つは、この試験に合格させることができない高校や教員への対応である。もう一つは、この大学センター試験のシステムを使った、教員の免許更新のための再試験であろう。

もちろん、教師は知識がなければ教師としては論外であるが、10年、20年やってきた教師が、まさかもう一度ペスタロッチにルソーと勉強し直し、その結果でなんてことにはならないだろうな。

教師に必要な管理の力、指導の力、人格の力が経験年数に応じて身についているかどうかという試験ならまだわからなくもないが、そんな試験が作れるのか?作れたとして、大学センター試験のシステムの方式で大丈夫なのか。

            ◆

いささか、論理の飛躍のある展開だと私も思う。
そして、これが論理の飛躍であることを願う。

2006/11/04

14番目の月

引用開始 ーーーーーーーーーー


14番目の月

作詞 : 荒井由実
作曲 : 荒井由実

あなたの気持が読みきれないもどかしさ
だから ときめくの
愛の告白をしたら最後 そのとたん
終わりが 見える

um… IWANUGA HANA
その先は言わないで

つぎの夜から 欠ける満月より
14番目の月が いちばん好き

気軽なジョークが とぎれないようにしてね
沈黙がこわい
月影の道で 急に車止めないで
ドキドキするわ

um… YANAGI NI KAZE
なにげなく かわすけど

つぎの夜から 欠ける満月より
14番目の月が いちばん好き

つぎの夜から 欠ける満月より
14番目の月が いちばん好き

引用終了 ーーーーーーーーーー

みなさん、今晩は14番目の月ですよ。
きれいな月を見ていますか?

今晩10時からNHK教育で

本日夜10時からテレビに映るかもしれません。

NHK教育テレビで1時間半のドキュメンタリー
「ETV特集 学校が変わる 子どもが変わる〜民間人校長4年目の挑戦」
として放映されます。

去年お世話になった杉並区立和田中学校の様子が流れます。
長期取材をしていたグループ現代の記録からの番組です。

長期取材なので、去年の私も映っているかもしれません。
良かったらご覧下さい。

「ドゥーン」

クラッチを踏み込みイグニッションキーを回す。
「ドゥーン」
V8のエンジンは静かに重く唸り出す。

いやあ、とうとう手に入れてしまったAMG 6.3リッターは凄い。
早朝の湖西道路は連休の中日ではあるが、さほど混んでいると言う感じでもなく気持ち良く私を蹴飛ばすように泳がせてくれる。
びわ湖沿いの平地を走っていながら、すこし霧のかかった今朝は、まさにクルージングである。
空を滑っているかのようである。

とういうのは、半分嘘。
AMG 6.3リッターのわけがない。
大体からしてAMG 6.3リッターにクラッチなんてないでしょ。
門島さんびっくりした?

            ◆

私のこれからの相棒はBMW MINI COOPER Sとなった。
今までのカペラはロングホイールベースで、線路の上をゆったりと流しながら走る味付けであったが、こちらはまさにゴーカート気分である。運転しているという実感がバリバリある。

2速の2000回転からの蹴飛ばされるような伸びは、凄いの一言。
スーパーチャージャーは伊達じゃない。

女性にはかわいいと言われ、車好きには走ると言われ、チューンナップが好きな人には徹底していじくれるという面白い車である。

センターマフラーから出て来る音は、これがいいんだ。
イグニッションキーを回すと「ドゥーン」なんだなあ。

            ◆

自分でもこの車のオーナーになるとはまったく予想していなかったが、実物を見た瞬間、惹かれるものがあった。試乗したらもう決定であった。

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安全運転で行こう。


2006/11/03

近江神宮で流鏑馬

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近江神宮で流鏑馬をはじめて見た。

関東では鎌倉であるのだが、その鎌倉でやっている武田流鎌倉派のみなさんがここに来て奉納の神事としてやってくれるのだ。会場の近江神宮までは、歩いて行ける距離。これは見ないわけにはいかない。

            ◆

神事の前に、流鏑馬の奉行(総責任者)から、流鏑馬の解説を受ける講座を受けた。曰く、西洋の馬術は左から乗るが、日本は右。曰く、西洋の手綱使いは手を横に使うが、日本のそれは縦にして親指に手綱を一回巻くなどである。これは無料。すごい。

            ◆

その後、食事をして本番に向かう。
講座を受けた人は、非公開の神事にも立会うことができる。大神の前で鏑矢を清める。昨日の上棟式と同じような所作があり、日本の神事はみんなルーツは同じなのではないかと思う。

            ◆

さて、本番。
いやあ、一馬力は凄い。
そして、その疾走する一馬力の上で、上半身は揺らぐことなく矢を打ち放つ。

だんだんと的は小さくなる。それを射抜くたびに観客は盛り上がる。

            ◆

戦のポイントを抽象化し、式として高めているのがよく分かる。最後の的は、瀬戸物の的。当たると中から花吹雪が出てくる。きれいだ。

最後は首改めを儀式化したもので最後になる。
いやあ、こんなに良いものを見せてもらって、
お弁当代600円、有料指定席代500円である。

うーん、近江万歳である。

記念の升

昨日は児童教育学科新校舎の上棟式。
はじめて校舎の中に入った。
ちょっと身震い。

上棟式は、建物を作る時の前半が終了したことを祝い、後半の無事を祈念する式である。古式ゆかしいものを伝統にしつつ、今風にアレンジしたものを執り行っていた。本学には、歴史の碩学がたくさんいらっしゃるので、この式の解説等もしてもらえて、私はラッキーであった。

大神をこの地に呼び、式を行い、また送り返すという流れで行うのだが、実に淡々と行われる。式は、この淡々と行われることがいいのだと思う。その中にエネルギーが込められるのを感じる。

            ◆

児童教育学科の新校舎は、本学の杉林のところに建てられている。30年前に大学を新しくしようという思いで、職員が杉を植えたのだがそれが立派に成長していたところに建てている。

思いのこもった杉を伐採し、校舎を建てたわけで当時からの職員は、万感の思いがある。で、その杉は新しい校舎の一部に使われることになり、上棟式の記念の升に変わって配られた。

なんとも、良い話だなあと思う。

            ◆

午後からは、千葉大学の学生が研究室にやってきた。卒業論文のことで相談があるとのことで、わざわざやってきた。藤川先生の所の学生で、「そのことなら池田先生が詳しいだろう」というアドヴァイスからやってきた。

小一時間質問に答えて、アドヴァイスをする。
外に出て行って自分に必要な情報を手に入れる。
こういう積極性は、大事だなあ。

            ◆

出張の書類など事務的な仕事を片づけて帰ろうとしたところ、研究室の外に人影が。
『どーぞ』
と話をすると、5人の学生が。
模擬授業の相談をしにきた。俳句の授業を模擬授業に扱うのだが、どのように進めたら良いのか詰まってしまったので、相談にきたとのこと。

俳句の授業をすることが大事なのだが、俳句の載っている教科書を教えることを主にしているのではないかと指摘。まずは、そもそも俳句って何か、俳句はどのようにして成立したのか、なんで季語が必要なのか、なんで季語のない俳句も成立するのか、など基本的な理解がなければならない。

5人でグループを作らせたのは、教材研究でアイディアを検証し、深めるためである。ぜひ、うんうん唸っていい指導案を作ってほしい。

進路の相談なども受けて、一日を終える。
うちの学生も、がんばっているぞ。

6.64

よし、準備は完了だ。
今日の午後、納車となる。

今までお世話になったMAZDAカペラカーゴは掃除して、次の乗り手に託そう。
ここにきてエンジンの調子は非常に良い。
別れを惜しんでいるようだ。
切ない。
が、ありがたいことだ。
次の乗り手に可愛がってもらうんだよ。

           ◆

次の車として今まで候補に挙がった車は、

イスト
レクサスis250
ボルボエステートワゴン
アルファロメオ
プジョー

などであった。
試乗したり外観をじっくり見たりしたのだが、これ!と思うものがなかった。

門島さんの予測は、今のところ当たってはいない。
違う車だ。
私が選んだ車、
さて、どんな感想を貰うかなあ。

ちなみに、パワーウエイトレシオは、6.64です。
門島さんなら、これで分かったでしょう(^^)。

2006/11/02

東大に結果が出ている

高校の未履修問題だが、そうやって東大に合格した学生たちがどうなっているのかというレポートがある。
立花氏の文章である。

http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/061101_yutori/

これは、やっぱり深刻な問題だ。

宮城へ

一泊二日で宮城に向かう。宮城県中学校国語科の県大会があってそこでディベートのジャッジをすることになったのだ。

            ◆

東京都の中学校の教師になった段階で、こんなに移動の多い人生になるとは考えもしなかった。都内を拠点に生活するわけで、ひょっとしたら島での生活があるかもしれないとは思っていたが、それも「昭島」で終わったぐらいだから。

移動が多いのではあるが、さすがに週に一回泊まり込みの出張があると言うレベルではない。このあたりが移動をルーティンにまで高めれられないでいる部分がある。

ではあるが、少しずつグッズは納得いくものが手に入ってきた。鞄はキャスター付きのものである。二台目だ。SWANY(スワニー)というメーカーのものだが、いたく気に入っている。

私がキャスター付き鞄に求めていた機能は

1)軽い
2)キャスターが滑らか
3)キャスターの取り替えが可能


が大前提である。
さらに言えば、

4)腰掛けることができる。
5)外側にもポケットがある。

のようなものである。今の鞄はこの機能を十分に満たしている。当分いい相方になってくれそうだ。

            ◆

伊丹空港から仙台空港まで飛ぶわけだが、自宅から1時間30分弱で今未空港まで行けるのは便利だ。新快速で大阪駅まで行き、そこから空港バス。天気は快晴であったが残念ながら座席は飛行機のど真ん中であった。

飛行場から学校までは1時間ちょっと。
阿武隈川がきれいだ。
こちらも今日はきれいに晴れていて、空が青い。
いいなあ。

            ◆

今回のディベートの論題は、【国語の教科書は、PISA型問題を大幅に取り入れるべきである。是か非か】ということで、付帯事項としては「長文問題を削除する」というものであった。ディベーターは現役の中学校の先生。

この論題で論じるために夏休みぐらいから時間をかけて準備したそうだ。試合そのものは、「非連続テキストを指導できる」「教員がいちいちした指導方法で行うことができる」という点が肯定側にユニークに発生したことなどから、肯定側の勝利となった。ジャッジは、私と名越先生と女性の先生。一致した結果であった。

私はこの結果をもとに15分で講評と判定ということでなかなか厳しい条件では合ったが、なんとか完了。司会の三浦先生が私のことを元中学校教師であるという紹介をしてくださった御陰で仲間意識ができて、温かい雰囲気で行うことができた。

            ◆

夜は名越先生と、先生の教え子の三人で地元の味が楽しめるお店に向かう。
魚を中心に地元のお酒も楽しむ。
ホテルに帰ったのは、9時。

旅は移動時間ではなく、移動距離に比例して疲れるものと言われるが、まさにその通りで、ちょっと本を読んだら、もう暴睡であった。

            ◆

翌日の飛行機は午後便になったので、午前中はホテルでのんびりしつつ、仕事。
大きなお風呂のあるビジネスホテルにしたので、そこで汗を流し、部屋でチェックアウトギリギリまで仕事をしながら過ごす。

その後、駅前の31階立てのビルに昇る。31階に無料の展望場があったので、何はなくとものぼる。いやあ、きれいだ。眼下を仙台平野を走る東北新幹線が見え、さらにその向こう側には太平洋も見える。
(あそこの海から美味しいお魚が届くのね)
と食欲優先の感想を抱く。

            ◆

仙台のお土産を手にし、バスで仙台空港に向かう。今は40分だが、おそらく今年度中には飛行場と駅とを結ぶモノレールが開通し、20分でオッケーになるという。今度来る時はそれかな。

帰りの飛行機は、希望通り進行方向左側の窓側の席を手に入れる。
美しい写真を撮ることができた。
頭を雲の上に出している富士、大阪湾に沈んで行く太陽。
満足、満足。

駆け足の移動であったが、充実していたなあ。
ご迷惑をかけたところもあったかと思いますが、ありがとうございました。

2006/11/01

それでいいんだろうか?

高校の履修違反問題の「解決」方法についていろいろと取りざたされている。4万人ともなると適正に行えではなく、救済に向かう。それでいいんだろうか?

たしか、数年前に学芸大学に推薦入試で生徒を合格させるために内申書を書き換えた先生が捕まって退職し、生徒の合格は取り消されたという事件があったが、今回のものだって同じじゃないか。

これ、管理職である校長先生たちは、懲戒解雇、または依願退職のレベルの問題ではないだろうか。公務員の信用失墜行為でもあるし。

            ◆

生徒の方だって、この4万人は7%と程度だというが、成績優秀校の高校生であろうし、ここはきっちりとやらせた方がいいと思う。

思想信条の問題ではなく、カリキュラムの問題だろう。大人である先生の「間違い」により迷惑を受けたなんて思っているだろうが、彼らだって20年後には大人になっている。ここでしっかりとやらせることが、20年後の日本を少し良い方向に変えてくれるのではないかと思う。

大人が舵取りを間違えれば、子どもに迷惑がかかるし、やるべきことはきちんとやるということを、この高校三年生で学び直すと言うことは、非常に意味があると思うのだ。安直に徳政令を出して解決する問題にして良いのだろうか。

徳政令を出したがっている方は、次の選挙を気にしているのではないかと勘ぐってしまうなあ。

            ◆

(厳しく指導してくださったから、今の私がある)
そんな幸せな思いを、大人になってから抱けるようになる若者が少なくなるのは、可哀想だな。
若い時に前向きに苦労することなんて、後から考えれば、なんでもないのに。

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