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2006/01/14

父からの感想

正月を実家で祝う時に、昨年出した『こんな時どう言い返す ユーモアあふれる担任の言葉』を父親にあげた。まあ、息子の仕事の一面でも見てもらおうということである。

そうしたら、最近始めたメールで感想が送られてきた。70歳を超えてのメールってのもすごいなあと思いながら読んだ。記念に載せる。

そのうち、ブログを始めることになる父だが、私はとても良いことだと思っている。

引用開始 ーーーーーーーーーー


140ページへのコメント
 
もしもあのような発言をする保護者がいたとするなら?

私達が中学のころに教わった言葉に自国語を知らぬ者は他国語をしらぬと教わった事を思い出した。自分の国の言葉を理解出来ないで他国の言葉が理解できないと言うことだ。

田舎の学校でもそのような教育を受けてきたが、さて今の保護者たちはどのような教えを受けた来たのか考えさせられます。           

引用終了 ーーーーーーーーーー

ということである。

久しぶりの雨の週末

久しぶりの雨である。
何の花粉が飛んでいるのか分からないが、このところずっと鼻がただれていて痛い思いをしているのだが、花粉が原因ならこれで少しは楽になるだろう。

昨夜は久しぶりに、渋谷の開花屋に出かけていって、食事をしてきた。渋谷で魚料理を食べるにはここが一番である。特に、我が家のパーティに参加した方に大好評である「白身魚のグリル、ガーリックオイルがけ」は、この店の「雑魚のグリル」というメニューを教えて頂いて作っている物である。

久しぶりに本家の味を食べられるということで、期待して行ったのだけど、昨日のはちょっと作りが甘かったかな。魚の焼き具合が少し甘く、塩加減も緩く感じた。これは、私の鼻がただれていることに原因があるのかもしれないが、次回もそうだったらちょっと話してみよう。

でも、新メニューも食べることができて基本的には満足でした。

                  ◆

ブログを毎日のように書いていると、ときどき思うことがある。
たとえば、ブログに書かれている話は、本当なのだが、本当ではないということである。

私にしたって、このブログには日々の出来事のうち、書けることだけ書いているのであって、書けないことや書きたくないことは書かないでいる。逆に言えば、書けることや書きたいことで書いているわけである。

書くことが考えることであるとすれば、書き続けることが考え続けることであり、丸ごとの人生を考えたいのであれば、丸ごと書き続けることだろうなあと思う。

が、
「あなたのホームページは、あなたがもっとも見られたくない人に見られている」
という箴言があるぐらいだ、だらだらと書くことはできないしねえ。

                  ◆

今読んでいる本、読み返している本、映画などをメモとしていくつか。

『国家の品格』(藤原正彦著)
『容疑者Xの献身』(東野圭吾著)
『おとなが子どもと出会うとき 子どもが世界を立ち上げるとき 教師のしごと』(竹内常一著)
『油断大敵』(成島 出監督)

週末、やり残しの仕事(毎週だなあ)の合間に、楽しめると良いなあ。

2006/01/12

でた! new mac!

http://www.apple.com/jp/macbookpro/

今のマックの4倍の早さだそうだ。
私のマシーンと比べれば8倍ぐらい早いかもしれない。

年度が替わる頃には落ち着くだろう。
よーし、買うぞ!

真実は常に私を裏切り続けてくれる

参った。
急な出来事があって、午前中で学校を早退した。
その出来事は、無事に終わり家路につくことができた。

が、家の鍵を家に置いたまま家を出ていたことに家の近くで気がついた。
そういえば、今朝は燃えないゴミを両手にたくさん抱えて家を出た。
鍵を持たなかった訳だ。

                  ◆

こういう日に限って連れ合いは、外に出ている。
私はもう聖蹟桜ヶ丘にいるのに、電話はつながらない。このまま三時間ぐらい待つことになるのか。はあ。

どこで待とうかと考えて、無料の場所を探したが、地下だったりして携帯電話の電波
が届かない。仕方がないので、家の近くのサイゼリアに入る。そして、腰を据えてDVDを見ることにする。年末年始に見ようと思っていた、『ニューシネマパラダイス』である。

この作品は、泣ける作品ということで名高い。未だ見たことがなかったので、疲れたからだと心を年末年始にいたわるのに良いかと思って、借りていた。

んが、とてもそんな暇がなかった。
で、今日、嬉しいのか悲しいのか時間ができたのでマックに入れて、イヤホンをさし
て見た。イタリア映画ですから、サイゼリアでしょう。

残り30分ぐらいで、もうダメである。
こんな人様が往来するサイゼリアでうるうるする程度なら良いが、その先はダメである。とっても怪しいおじさんになってしまう。

というわけで、DVDを途中で止めてブログである。
このあと、家で続きを見よう。
連れ合いはそろそろ店に到着するはずである。

                  ◆

で、サイゼリアでDVDを見て、音楽を聴いてなんてしているのだが、見慣れた街がなんか違って見えるのには、小さな感動を覚える。

音楽がBGMとなって流れることで、街が一つの番組なってしまうのが分かる。加古隆が流れるとNHKのドキュメと日本になり、松田聖子が流れるとザ・ベストテンの現場からの実況中継になる。

                  ◆

先日百人一首大会を、体育館で行った。これが寒い。
そこで、百人一首を始める前に、その場で50回ジャンプし、体をほぐした。
生徒にやらせる訳だから、私も一緒にとやった。

参った。
膝が痛くなり、背中の筋肉がつっている。
そういえば、年末年始はずっとワープロに向かっていて、まるで修士論文を書いていた時の状態と同じだったからなあ。体も固まっていたのだろう。声も使っていなかったので、たかだか100枚読んだだけなのに、喉も枯れてしまた。

さっそうと新学期を始めたつもりだが、真実は常に私を裏切り続けてくれるf(^^;。

2006/01/10

命の有限性

昨年末に和田中がお世話になった先生、警備員さんと二人の方がなくなられた。心からご冥福をお祈りしたいと思う。

理科のO先生は、離任式でしかお会いしたことがなかったが、それだけで(丁寧な指導をされる先生なんだろうなあ)と思えるお人柄であった。また、警備のHさんは私が転任してきたときに真っ先に名前を覚えていただき、大きな声で挨拶をしてくださった。お二人とも短いおつきあいであったが、心に残る方であった。

                  ◆

命の有限性(命には限りがあること)について、昨日の始業式で校長先生が話されていた。私も、これは非常にその通りだと思う。

私がこの、命の有限性を心から理解したのは、中学校二年生の夏のことであった。それまでにだって私の周りで人が亡くなるということはあった。だから、人が死ぬということは理解していたのだが、なんというか亡くなられた方には悪いのだけど、(ふーん)という気がないでもなかった。

その夏休みの一ヶ月半、私は体を壊して入院していた。それまでクラブを三つ掛け持ちし、動き回るのが大好きだった私が、入院で「動いては行けません」といわれて、一日に二本の点滴を体に入れるという生活を余儀なくされたのだった。

                  ◆

友人は毎日のように遊びにきてくれたが、実に暇だった。そこで、病院の中で遊ぶことを見つけ出すようになった。

車椅子のお兄さんと仲良くなり、吉田拓郎のテープを借りたり、「車椅子に乗ってみる?」と乗らせてもらい、さらに「遊んで良いよ」と車椅子の遊びを教えてもらったり、車椅子のバスケットボールに連れて行ってもらったりしていた。

村山大島紬のデザインをやっているおじさんは、当時は聞くことのできた警察無線を聞くことが趣味で、病院の裏で大きな事件が起きた時は、私を道連れに、夜、病院を抜け出して見に行ったりもした。

勉強が分からないでいると、若いお医者さんがやってきて問題を見てくれた。だが、お医者さんも解けなくて(ふーん、そうなんだあ)と変な納得をしたりもしていた。

なんだ、楽しい入院じゃないかと思うかもしれない。まあ、そういう面も今から思えばないとはいえない。だけど、点滴一本を体に入れるのに3時間。その間天井を見つめ、時に、(俺、治るのかなあ。どうなっちゃうんだ?)と不安と戦うのはやはりつらかったな。

                  ◆

で、命の有限性である。
病院は、夜の8時には消灯なのだが、中学生がそんな時間に寝られる訳がない。特別に起きていてよい許可をもらって本を読んだりしてる時のことだ。突然、廊下が騒がしくなって何事かと思ったりもした。翌日何があったのかと思うと、仲良くしてくれたおばさんが亡くなったという話。

かと思えば、何の前触れもなく、朝私が目を覚ましたら亡くなっていたということもあった。だから、夜寝るとき、とても怖かった。(俺、目が覚めなかったらどうしよう)って思ってね。

そして、そのとき分かったんだ。
(ああ、命には限りがあるんだ)
ってね。

人間ってものは、大事なことは後から分かるようにできているようで、いわれてもいわれても分からないことがある。若い時の勉強の大切さ、命の大切さなんてものもそうで、過ぎてしまってから、なくしてしまってから気がつくのかもしれない。

だけど、私は幸いにして中2の夏に学ぶことができた。ありがたいことだと今、思う。

                  ◆

命には限りがある。だから、儚く、切なく、美しいのだと思う。

お二人からは改めてそれを学ばせていただいた。ありがとうございます。

合掌。

(教科通信「志学」 NO. 38 より)

2006/01/09

新しい旅立ちかあ

さて、明日から学校再開である。
冬学期の始業式の日であるが、いきなり中学二年生は百人一首大会だ。
体育館が冷えすぎなければ良いなあ。
そして、その後会議。学力向上関係の会議である。

たしかに今年の冬休みはカレンダーの関係で長かったし、昔とは違うというのも分からないではないが、このスタートからのダッシュというのは、休みそのものを落ち着かなくさせる感じがする。

それにしても、まだ新学期の準備が終わっていない。
そんなに遊んでいたかなあ。
結構集中して仕事をしていたつもりなんだけどなあ。

                  ◆

昨晩は、奥さんの友人たちが急遽集まった。

アメリカに留学している中学校時代の友人の彼女が日本に帰ってきているというので、近くに住む友人たちに声をかけたら奇跡的にみんないて、集まった。バレーに熱中している彼女、新しく結婚を決めた二人と自分の生活を深めたり、新しい生活を始めたりとそれぞれ自分の人生の後半を踏み出していて、幸せな気持ちになれた。

人生のそういう時期になったんだなあと思う。
新しい旅立ちかあ。

                  ◆

さあて、残りの時間を使って、終わらせるか。
新しい始まりだもんね。

p.s.

あ、それから昨日マックが一瞬調子が悪くなって、再起動を行ったらメールの設定が飛んでしまって、今までのメールのデータのリンクが切れてしまいました。なんとかなるとは思うのですが、今は触りません。幸いにしてメール環境は整いましたが、返事が遅れてしまうかもしれません。よろしくお願いいたします。

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