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2006/01/21

こんな時は過ぎ来し道を

東京では、久しぶりの雪だ。
朝早くから出かける用事があったので、
早起きしたのだが外は既にうっすらと雪景色であった。

本当なら午後から降り始めるということだったが、
少し時間が早くなったのだろう。

引用開始 ーーーーーーーーーー

人が生きること
それは
つらいことではあるけれども
雪の降りつもるのを見ていると
やはり 生きることの尊さを
信じていたいという気がしてくる

三宅武治

引用終了 ーーーーーーーーーー

実にそうであるなあ。

                  ◆

こんな時は過ぎ来し道を、なんとなく少し振り返ったりする。
なんて言うか、その時は今やっていることが、あとからそんな風に展開するから、または展開させるためにやっていたつもりはないのだが、今この地点から見ると
(ああ、つながっていたんだなあ)
と思うことがたくさんある。

いや、つながっているから私の人生なのだが、
(そこで、そうきたか)
というあまりにも面白い展開に驚くこともある。

それは、たまたま手にした一冊の本のストーリーであったり、一本の映画であったり、一通のメールであり、一本の電話であったりする。

引用開始 ーーーーーーーーーー

「運命」は、それを背負ってこそ乗り越えられるのであり、逃げていては追いかけられるだけなのである。

『大人が子どもと出会うとき 子どもが世界を立ち上げるとき』(p153 竹内常一著 桜井書店)

引用終了 ーーーーーーーーーー

まったくもって恩師というものは、私の人生を見透かしているかのようにこんな言葉をさりげなく著書に紛れ込ませ、届けてくれる。

まあ、勝手に私がそう思っているだけかもしれないが。恩師の言葉を理解するのに20年もかっているんだから、大学の時から言っていたのかもしれないが。

                  ◆

しかし、70歳を過ぎて、こんな良い本を書かれてしまっては、嬉しいんだけど、追い越せないなあ。ま、
「そもそも恩師をライバルとして考えていること自体が違っているのよ」
と連れ合いには何回も言われるのだが、同じ教育を選んでいる以上、恩師であってもライバルと考えなければ、私は恩師に失礼だと思うのだが。違うかなあ。

かつて先生は、
「池田な、大学の授業ってのは、一年間講義が終わったらその時に一冊の本が出来上がっているようじゃなければダメなんだよ」
と言われていた。

20代の教師であった私は、
(おーし、そんじゃあ、中学校の授業でもやったろーじゃねーか。ええ、やりますとも)
と、なぜか「売られた喧嘩は買わねばならぬ。勝った喧嘩は勝たねばならぬ」の言葉が湧いてきて、格闘を始めたこともあった。おかげで最初の本、『中学校国語科ディベート授業入門』を書くことが出来たのだが。

                  ◆

20060121
雪が激しくなってきた。
ビルの上層階にいると、雪は下からも「降って」くる。
そしてその雪を見続けていると、まるで深い海の底に沈んでいくかのような気持ちになる。そう、潜水艦の窓からマリンスノーを見ているかのようにも思えてくる。
日本の庶民がこんな景色を見ることが出来るようになったのは、いったいいつ頃からなのだろうか。

背負うものを背負い、乗り越えていくのが人生かあ。

2006/01/20

大寒

今日は大寒である。
私の名前は、おさむなので「おー寒」となり、私の日と言っても良い。
ではあるが、久しぶりに学校に行ったので、なんだかぼーっとしたまま過ごしてしまった。

週末は出かけなければならない用事があるので、ずーっと寝ているわけにはいかないが、
なるべく休養しよう。

2006/01/19

おなか風邪? 2

ふう、なんとか治ったと思う。
明日には学校に行けるだろう。

メールの返事が書けていません。
明日の夜になると思います。
すみませんが、よろしくお願いいたします。

2006/01/18

おなか風邪?

参った。

昨晩、トイレを捜している夢を見ていた。
トイレを発見して、安心したところで目が覚めた。
すると、
(ん?)
とおなかに違和感。
時間を見ると午前3時。

念のために起きてトイレに行ったのだが、
その結果、ひどい下痢。

このところ、毎日のようにそうなっているのだが、
ここまでひどいのは久しぶり。
それから、寝られず。

復活しないので、本日は休暇を取って寝ていた。
かるーく、おかゆで食事をして
一日中寝ていた。8時間ぐらい寝ていた。
お昼も食べずに寝ていた。

まだ、おなかの調子は良くない。
おなか風邪なのかなあ。
鼻血が出やすくなっているところを見ると、免疫力が低下しているのかもしれない。

夕ご飯には、ヨーグルトとうどんを食べた。
さて、また、寝よう。
明日には治っていますように。

2006/01/17

で、池ちゃんはどう思う?

二年生の授業は、文法に入った。助詞、助動詞、つまりは付属語である。この付属語というのは、日本語の大きな特徴の一つである。

「私は池田修です。」この文の助詞は、「は」であり、助動詞は「です」である。付属語というのは、それだけでは意味が分からず自立語や付属語について単語と単語関係を表す単語である。

私たち日本人は、当たり前だが、日本語を第一の言葉として話す。そのため、

私は池田修です。
私が池田修です。
私の池田修です。
私へ池田修です。
私を池田修です。

とたった一文字の助詞を変えただけで、文の意味が変わってしまうことを理解している。だが、どのように変わっているのかを説明するのは、なかなか難しい。

これらの違いをきちんと説明できるようになるためには、言葉への鋭い感覚と文法への深い理解がなければならい。これを手に入れることは、外国語を日本語と比較しながら学ぶ時にも有効なツールを手に入れることにもなる。今回の授業では、その初歩の部分をやることにしている。

                    ◆

いきなり付属語の説明に入っても、なんのことだか分からない生徒が多いだろうと思ったので、今まで学んだ文法の簡単な復習をした。曰(いわ)く、単語、自立語、用言、活用、品詞の種類などである。

文法は専門用語が出てくるが、この専門用語の意味を理解していないと授業を聴いてもなんのことだか全く分からなくなる。専門用語を使って説明するからだ。

ということで、専門用語の復習をしていたのだが、授業を受けている君たちの表情が、私が心に描く表情とどうも違うのだ。一度習っていることで、自分が忘れてしまっていることを私が復習をしていることに対して、なんの抵抗もなく受け入れている表情をしていたのだ。時代なのかなあと思いながらも、次のことを話した。

『あのね、私がまだ塾の先生をしているときのことの話をしよう。大学二年生のときに、中学三年生の国語を教えていた訳ね。その時の教え子の一人は今、テレビ朝日のアナウンサーをしている萩野志保子さんね。ま、そんな話はどうでも良い。

私が担当していた中学三年生を一緒に担当していた先生たちは、専任の先生以外は、大学生ではなくて、大学を卒業した後に進む大学院に通っている先生たちばっかりだったんだ。将来は大学の先生になろうという人たちばかりね。

で、授業が終わると食事に行くわけ。そこで出てくる会話は、「○○って本は良かったな」「そうだね、△△と関連しているんじゃないの?あれは」「なるほど。で、池ちゃんはどう思う?」なんてことになっているわけ。

でも、私はその○○って本を当然読んでいないので、「え〜、ま〜そうなんじゃないですか」と誤摩化すのですよ。そして、トイレに行って先ほどの本の名前を思い出してメモして、翌日本屋に走りその本を注文し、次の授業の時には読み終えて「あれは、こういう点もポイントですよね」なんて話をしていたんだな。「読んでいません」なんてのは、言いたくなかった。必死で読んでいたなあ』

そして、こんなことを言いたかったんだ。

『でも、君たちを見ていると、一度習っていることなのに、分からなくても当然のように私の復習を聞いている。うーん、良いと言えば良いんだけどね、中には(チクショウ)と思って、こっそりと自分で勉強するってことを考えている人がいないかなと君たちの顔を見ていたのだけど、残念ながらいないようだねえ』

                    ◆

勉強てものは、繰り返し繰り返しやりながら自分のものにするものである。だから、君たちが出来ていなかったら復習につきあうのは、私の仕事だとも思っている。

だが、なんというか、
(チクショウ!)
と思ってやる勉強も大事だと思うんだよ。

今になって本当にそう思うんだな。

(教科通信「志学」 NO. 39 より)

2006/01/15

彼の独立

髪の毛を切ってきた。
私が聖蹟桜ヶ丘に引っ越してきてからずっと通ていた美容院でお願いしていた美容師さんが、独立して店を持ったという情報を手に入れたので、行ってきた。

教師という仕事をしていると、人と接する機会が多い。
そして、意外と思われるかもしれないが、私は、接する時には気を使っていることが多い。
さらに、仕事人の技術を気にすることも多い。
もっと言えば、私は仕事人の好みが激しい。気に入った人はずっと気に入るが、ダメだと思った場合は、もうずーっとダメである。

で、加藤さんは最初から
(を、いいんじゃないの?)
と思える美容師さんであった。お客に対する言葉遣いは当然のことだが、年下のスタッフへの言葉遣いが良い。この美容院全体で気持ちよく仕事をしようという心が伝わってきた。だから私は6年も彼に頭をやってもらっていた。

その彼が独立したというので、八王子の彼の店まで行ってきた。

最初に電話をしたのだが、私が
「えーっと、池田です」
と言っただけで、私ということを理解してくれた。
客商売とはいえ、大したものだ。

八王子の彼の店で、いろいろと美容界の内情を教えてもらった。
そして、彼がこんなに細かいところまで気を使いながら仕事をしていたのかと教えてもらった。
例えば、
「池田さんの髪の毛は痛んでいませんが、今のお客さんは、パーマとかヘアダイで痛んでいるのが前提です。その髪を痛めずにどうやっていくのかというのが大事なんですけど、面倒くさいんで、『あー、もともと痛んでいるのでこうなりましたね』で終わりにしてしまうんですよ。ちょっと調べれば分かるんですけどね」
と話していた。

                  ◆

まだ20代の加藤さんは、これから八王子を拠点にして二号店、三号店を育てていくんだろうなあと思いました。

なんか、とても嬉しい気持ちになりました。

来週はこの気持ちを元に元気にやっていきましょう。

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